「毎年思ってたけど、トムがこういうのちゃんとやるのって・・・ちょっと意外だよね」
首から下は簡素な黒い魔女のローブと、頭部は特徴的なとんがり帽子という出立ちのサラが、ふと、そんなことを言った。
彼女が視線を向けた先には、彼女と殆ど同じような真っ黒のローブにフードまでついた衣装に身を包んだ、幼馴染であるトーマスの姿がある。彼のこの格好は、魔女ではなく死神を模したものだ。
「そうかな。うーん・・・こういう催しが出来るようになったのは、シノンが昔よりも豊かになった証だからね。それで、気持ちが高揚するからかもしれないな。っていうか、俺は元から案外こういうの好きなんだけどな」
「あは、言われてみれば確かにトムって、意外とイベント事、好きだったかも」
そう言って微笑んだサラは、手元に視線を落として作業を再開する。彼女が作っているそれは、簡素な壁掛け用の装飾品のようだった。既に多く作られた同様の装飾たちは、最後の飾り付けを今か今かと待っている。
今日は、ハロウィンである。
普段は慎ましい暮らしをしているシノンでも、この日は開拓の仕事を休みとし、ちょっとしたお祭り気分で一日を過ごすのだ。
ミュルスやロアーヌではもっと派手な装飾と共に様々な催しが開かれるのだが、生憎と開拓地であるシノンでは、そんなに大それたことは出来ない。
なのでトーマスらは毎年、自警団として集合によく使う行きつけの酒場で身内だけで細やかに楽しもう、という催しを開いているのであった。
ちなみにこの酒場の店主は、毎年この時期は首都ロアーヌで開かれる祭りへ出稼ぎに向かっている。なので毎年この日は、この小屋を好きに使っていいということになっているのだ。
「そういえば、エレンとユリアンは?」
着々と料理の用意を進めながらトーマスが尋ねると、サラは同じく手元を動かしながら応えた。
「お姉ちゃんとユリアンは、村でダックアップルやってると思うよ」
「あぁ・・・そういえば毎年やっているもんな。衣装のままやってなければいいけど」
ダックアップルとは、水を張った大きな桶に浮かべた林檎を口だけで掴むという、この時期に行われる定番の余興だ。
娯楽の少ないシノンでは案外これも盛り上がるのだが、これをすると衣装まで濡れるのでサラは苦手であったし、トーマスは眼鏡をかけているものだから同じく好んで参加はしない。なので、シノン自警団四人の中では、毎年参加しているのはエレンとユリアンなのであった。
去年も盛大に濡れ散らかしてきたものだから、小屋の床まで濡れたものである。
「衣装は多分、後で着ると思うよ。今年はおばあちゃんが新しく縫ってくれたから、お姉ちゃんも着るの楽しみにしてたし」
「なるほど、それなら安心かな」
シノンのハロウィンの仮装は、基本的に男性は死神、女性は魔女で統一されている。
ロアーヌやミュルスではもっと多彩な仮装があるらしいが、そのような装飾を入手するのも難しいシノンでは、ローブ一枚で済む簡素なものくらいしか用意が出来ないのだ。
しかし結果として、一番元々のハロウィンらしい衣装に纏まっているとも言える。
「そういえばハロウィンって、聖王歴の制定以前の風習なんだっけ」
「そうだね。文献によれば昔、今日が年の暮れで、明日からが新年の初め・・・とされている地方があったらしい。その地方のお祭りが後年、今みたいなハロウィンに変化したとされているね」
ふとサラが何気なく口に出した疑問に、トーマスが竈門の火の具合を確かめながら答えた。
「その日には世界に、現世の人間には見えない門が開き、そこから死んだ祖先が家に帰ってくるんだそうだ。ただ、その門からは同時に招かれざる客ともいうべき、悪い精霊や魔女も来てしまう。それらから身を守るため、その招かれざる客に扮して難を逃れようとした・・・というのが、仮装の始まりだとされているようだね」
わからないことをトーマスに聞くと、このように大抵のことは実に明快な説明が返ってくる。それをサラはいつも、ただただ尊敬の念を抱いて見てしまうのだ。
彼に倣って彼女もそれなりに本を読むが、全く彼の知識量には追いつける気がしない。いつかは自分もこうしてさっと答えてみたいなと、密かにサラは思うのであった。
「そういえば、サラは新しく縫ってもらってはいないのかい?」
どうやら焼成の間に時間が出来たらしいトーマスが、彼女の方へと近づきながら言った。
なぜそんなことを聞いたかと言えば、エレンは新しい衣装を縫ってもらったという話なのに、サラの着ている魔女のローブは、去年と同じもののように見えたからだ。なので単純に、そこを疑問に思っただけなのである。
「え・・・っと、実はこの下に着てるんだけど。ちょっと・・・恥ずかしくて」
「恥ずかしい・・・?」
トーマスが彼女の隣に腰掛けて装飾作りを手伝いながら首を傾げてそう問いかけると、サラは少し俯き気味になりながら小さく頷いた。
「お姉ちゃんがリクエストしたんだけど、あの、ミュルスや城下町とかで流行っているみたいな今風のやつ・・・らしいんだけどね・・・」
「今風」
何やら、俄然興味が湧いてきた様子のトーマスは、サラの言葉を断片的に鸚鵡返ししながら聞き返す。
「うん・・・。えっとね、化け猫の衣装、なんだけど」
「化け猫」
トーマスは装飾を作っている手を止めて、おもむろに眼鏡のブリッジ部分を人差し指でくいっとしてみせた。
これはちょっと、是が非でも見たいと思ったのである。
彼は、何かのスイッチが入るときには大抵この仕草をする。それは眼鏡を掛けている人は大抵これがスイッチらしいという様式美に倣ったものであるそうだ。
だが・・・と、彼は考えた。
こうして恥ずかしがっている時のサラは結構強情なもので、下手をしたら今日はこのまま魔女ローブを羽織ったまま、新衣装のお披露目なしで過ごそうとする可能性も、否定はできない。
ここで本当ならば、サラの可愛い姿を見るという目的を達成するためには大いに頼りになるはずの同志であるシスコンエレンは、多分家で既に衣装を着たサラを見ているはず。
だから、サラが嫌がるならば無理にこの場で披露させようとはしないだろうと予測された。
むしろシスコンが過ぎて、男には見せようとしない、まである。
自分の衣装は見せつけながらも、テンション上がった男共を一切寄せ付けないくせに、全く傍若無人なシスコンだ。
そうなるとつまり、サラの化け猫仮装姿が非公開お蔵入りになる可能性は、そこそこ高いのではないか。
このようにトーマスは、頭の中で瞬時に考えた。
ならばつまり、二人だけの今こそが。この瞬間こそが、確実にサラの化け猫衣装を拝む最大の好機であるのでは。
トーマスは、そう結論付けた。
「・・・サラ、俺にサラの衣装を見せてほしいな」
「えっ・・・」
単刀直入に物申してきたトーマスに、サラは思わず作業の手を止めて振り向いた。
その先に眼鏡のレンズ越しに見える、サラを真っ直ぐに見つめるトーマスの瞳は、真剣そのものだ。
「え・・・っと、あの、でも、まだお姉ちゃんたち来てないし」
「勿論、タダで、とは言わないさ」
ローブの胸元を押さえるようにしながら少し警戒気味のサラを宥めるように、トーマスは再び眼鏡をくいっとしながら、壁に掛けられた時計に視線を向けた。
「もし今ここで衣装を見せてくれたら・・・間も無く焼き上がる本日のデザートを、焼き立てのタイミングで試食させることもやぶさかではない・・・と言ったら?」
「今日のデザート・・・。ひ、ひょっとして・・・!」
可愛く眉間に皺を寄せ、顎に手を当て一瞬考えるサラ。だが直ぐにその答えに見当がついたのか、彼女は驚愕の様相でトーマスに向き直る。
「そう。今日はハロウィンさ。そして今、竈門で焼成しているのは、パイだ。ならば自ずと・・・その正体はわかるね?」
「・・・パンプキンパイ・・・!!」
まるで「卑怯な!」とでも言いたげな表情をしながら、サラはトーマスを見つめ返す。
何を隠そう、サラの大好物こそが、そのパンプキンパイなのであった。
特にこの時期は夏と比べ甘みの強いカボチャが収穫できる季節である。
ハロウィンではジャックオーランタンの飾りよりも、トリックオアトリートよりも、何よりその後に後始末として食べる大量のカボチャ料理の方が密かに楽しみであるサラとしては、料理にも長けるトーマスの作ったパンプキンパイともなると、正に至宝と言っても過言ではない代物なのである。
「普段は、事前に焼いておいたものを最後に出すからね。当然、冷めたパイだ。勿論冷めても美味しいように作ってはいるんだけど、焼成直後のホクホクでサクサクのパンプキンパイもまた、絶品なんだよ。これがこちらの用意できるカードだとしたら、如何かな?」
「・・・うぅ・・・っ!」
それでもサラは抵抗する素振りを一応見せてはみたものの、残念ながら既に勝負は決していた。
勝利を確信して静かに微笑むトーマスへと向き直ったサラは、ゆっくりとその場から立ち上がった。そのままおずおずと自らの被っているとんがり帽子へと手を伸ばした彼女は、帽子の先を摘み、すっと取り去る。
すると、帽子の中からは彼女の可愛らしい栗色の髪以外に、ぴょこんと飛び出す二つの突起装飾が現れたのだ。
(猫耳・・・だと・・・!?)
トーマスは眼鏡の奥で瞳を今年最大級に刮目させながら、その内心では力強く拳を握りしめ天に向かい雄叫びを上げる。
しかし当然、表面上は柔和な笑顔の完璧なポーカーフェイスだ。
「そ、そんな見ないで・・・」
火を吹きそうなほどに顔を紅潮させたサラは、しかし竈門から既に良い香りを漂わせてくるパンプキンパイの誘惑には全く抗えず、続けて首元のローブの留め具をゆっくりと外す。
留め具を外すと呆気なく黒いローブは、はらりと彼女の足元に滑り落ちた。
そしてその中に在ったのは、どうやら黒い羊毛を用いて作られたらしいふわふわの生地で縫い上げられた、非常に可愛らしい衣装だった。
しかしそれを見て、ここで流石のトーマスも思わず固まってしまう。
無理もない。何しろ彼女が身に纏う衣装は、胸のあたりと腰のあたりを覆うのが精々で、腹部や大腿部より下は肌が曝け出された状態の実に大胆な代物だったからだ。
「お姉ちゃんと二人分作ったら羊毛が足りなくなっちゃったみたいで・・・お腹とか、出ちゃったの。だから、ほんと恥ずかしくて・・・。・・・・・・・ト、トム・・・?」
相変わらず顔を赤らめたままのサラの目の前で数瞬固まったままでいたトーマスは、怪訝な表情で自分を呼ぶサラの声でハッと気がついたように瞬きをすると、ゆっくりとしゃがみ込んで彼女の足元に落ちたローブを拾い上げ、そのままサラに羽織らせてあげた。
「とても・・・可愛い衣装だね。ただ・・・確かにちょっと体を覆う面積が少ないから、これはちょっと・・・寒そうだ」
そう言いながら首元で留め具を締め直してあげるトーマスを、まだ紅潮したままの表情のサラは上目使いで見上げる。
「か、可愛かった・・・?」
「・・・あぁ、とても」
そう応えて微笑んだトーマスは、それではこちらもと言いながら、どこか急ぎ足でカウンターの向こうにある竈門へと向かった。
(・・・いや、あれは反則だろう。ユリアンには見せられないな・・・)
極力平静を保ちながら彼女の前から動いたつもりだが、しかし遂にトーマスは竈門の前にしゃがみ込んだところで無意識に破顔してしまい、片手で顔面を抑えた。
(あぁ、可愛かったな・・・。いや、可愛い。うん・・・可愛いしか出ないな。ていうか危なかった・・・変な声出すところだった・・・。いやしかし、完全に脳裏に焼き付けてしまった・・・)
脳内で騒がしく思考を巡らせながら、先程の映像を反芻させるトーマス。
というか恐らく、エレンはそもそも男衆にはサラのこの格好は見せるつもりはなかったのではないかとすら思う。恐らくは彼女も同じ格好をしているだろうから、村の男たちにはそれだけで十分ではあろうし。
しかしトーマスにとっては、サラの方が思いのほか攻撃力が高かったようだ。
「・・・トム?」
今度は竈門の前でしゃがみ込んだまま動かない様子のトーマスを不審に思ったのか、サラはキッチンカウンターの前まで歩み寄って、上からトーマスを覗き込んだ。
「・・・あ、あぁ、すまない。さぁ、約束の焼きたてパンプキンパイだ。二人が来ないうちに、召し上がれ」
声をかけられて現実に意識を戻したトーマスは、竈門から出したパイを早速切り分け、器に乗せてサラの前に差し出した。
するとみるみるサラの表情は笑顔に溢れ、香ばしい焼き立ての香りを楽しむようにパイの前に顔を寄せて香りを嗅いでいる。
「熱いから、気をつけてお食べ」
「はーい! いただきます!」
先程までの羞恥心はどこへやら、あっという間に上機嫌になったサラはフォークを片手にパンプキンパイ攻略へと取り掛かった。
(猫の手みたいな装飾も欲しいな・・・あとは、しっぽみたいなのも・・・。近いうちにミュルスあたり行ってみるか・・・時期が終われば色々安く売っているだろうし、来年使えるかもしれない・・・)
サラが美味しそうにパイを食べる様を見ながら、トーマスは脳内でばっちり保存されたサラの猫娘姿に様々なアイテムを当てはめつつ、妄想に耽るのであった。
「ちょっと、もう少し薪になりそうな枝を集めてから入りましょ」
「え、足りないか?」
「いいから。ほら、いくわよ!」
小屋の扉の前で立ち止まったかと思えば、なんでかエレンは急にそんなことを言い出した。
ダックアップルで髪もびしょ濡れのユリアンは、早いところ暖炉の火に当たりたいところであったが、エレンに急かされるようにして渋々森へと進路を反転させたのであった。
最終更新:2021年10月31日 21:26