タフターン山とロアーヌの間に敷かれた、長大なるロアーヌ騎士団の防衛拠点。ここに駐屯するロアーヌ軍を取り巻く戦況情勢は、直近のある時を境に一変した。
第一の転機は、年明け早々にメッサーナ王国からの支援物資が拠点に届いた時点である。
大量の戦線支援物資と同時に届けられた書簡によれば、これはメッサーナ王国近衛軍団長ルートヴィッヒをはじめとした諸侯とその同盟国の代表が年末にピドナ王宮にて行うコングレス(ロアーヌ侯国は今回は戦時につき欠席した)によって全会一致で採択された結果だという。
これを即座に受け入れる決断をしたミカエルからの補足によると、この採択の背景には六年前に没落したはずのメッサーナ名族であるクラウディウス家が一枚噛んでいるとの事だった。
また、本物資の輸送作業を実質的に担ったのは近衛軍団直下の輸送隊ではなく、ピドナに本社を置く「カタリナカンパニー」という企業であることも付記されていた。
現地拠点の総指揮を務めるブラッドレー将軍は、これらを確認後、即座に物資の分配を開始。
兵力の補填こそなかったものの豊富に揃った食糧や武器防具、崩れた砦の修繕用材木などを用い、兵の士気を保ちながら強固な防衛ラインを敷き直し、崩れかけていた魔物との戦闘情勢を持ち直しにかかった。
そしてこれより更に数日の後、第二の転機が訪れた。
その日、突如として明らかに魔物の攻勢が急速に弱まったことを、前線の兵士たちは計らずも一斉に肌感で察知した。
それまでは軍として纏まっていた魔物たちは、まるで唐突に知性を失ったかのように疎らな侵攻を行うようになったのだ。隊列や種族ごとの編成などの概念も消え失せ、只々闘争本能に従い個別に襲い掛かるばかりとなったのである。
当然これは、この戦で殊更に屈強さを増した歴戦のロアーヌ騎士団によって、全く危なげもなく各個撃破されていった。
そして、魔物の攻勢が鈍化した更に翌日。
油断しないまでも明らかな希望を見出しつつ警邏についていた物見の兵から、敵軍襲来を知らせる警鐘が鳴り響いた。
しかも、それは昨日のような鈍化した攻勢などではなかった。
平時ならば魔物の動静が鈍化するはずの日中に、あろう事か巨大な竜が一頭、突如として防衛戦線上に姿を現したのである。
その姿は遠目からでも分かるほどの見事な巨躯であり、歴戦のロアーヌ騎士たちはその竜が間違いなく巨龍種であろうということを即座に見抜いた。
「馬鹿な、何故このタイミングで巨龍種なんて・・・!」
防衛隊の先陣を担うコリンズ将軍は愛用の騎兵槍を強く握り締めながら、苦々しそうに呻く。
小型、中型種の魔物を対象とした戦闘経験は、ロアーヌ騎士団は他国の追随を許さぬほどに積んでいる。だが大型種ともなると、話は全く別だ。
そもそも大型種に分類される魔物は、極端にその個体数が少ない。
人類の生活圏に近い場所での生息も、まずしていない。
巨人種、デーモン種、巨龍種など、その存在が認識されているもの自体も非常に少ない。主にその存在が見られるのは、語り継がれる伝説や童話の中ばかりだ。
それがまさか人類生活圏の近いこの戦線に降り立とうなどと、騎士団の誰もが全く予想だにしていなかった。
「広く半円状に歩兵を展開後、中央と左右の要所に騎馬隊を配置。分散突撃し、巨龍種が用いるとされる殲滅砲への対策とする。空中に飛ばれたら手の打ちようがない。地上にいる間に可能な限り損傷を加え、相手が退くのを狙うしかあるまい」
自らも兜を深く被り、自らの直線上に座する竜を高台から睨みながらブラッドレーが口早に作戦を発すると、それに伴い各部隊を率いる将は持ち場に着くべくその場を駆け出した。
「俺は正面を担当する。必ず一撃、見舞ってみせる」
「・・・頼む、コリンズ。お互い死線ばかり潜るが、必ず生きてまた会おう」
「応よ」
互いに短くそう言い合い、コリンズは己の愛馬に跨り、迷いなく隊列の先頭へと向かう。
激動の一年の間に起こった数多の戦で打ち立てた輝かしい戦績から、ロアーヌ騎士団でも最強との噂が立つ「速攻のコリンズ」率いる第一騎馬隊。
その最強の名を持つ騎馬隊の面々は、誰一人とて怯えた様子もなく、この一大局面の先頭を牽引せんとし真正面から竜へと相対した。
(・・・こりゃあ、リブロフの砦で神王教団相手にした時くらいやべえ感じだ。あの時は詩人さんが助けてくれたが、今回はそういうわけにも行かんだろう。果たして俺の槍が、あのデカブツに届くかどうか・・・やるしかねぇな・・・!)
コリンズは可動式の面頬をカシャリと落とし、バイザー越しに竜を睨む。
これまでの人生の回想をしているほどの時間的余裕は、ない。
標的が飛ぶ前に何としても一撃を加え、退かせる。
よし、と小さく呟いたコリンズは、突撃のラッパを吹かせるべく右手に持つ槍を高らかに掲げんとした。
だが、彼がそれをする直前に、直線上に在る竜の異変にふと気が付いた。
竜は、自らの周囲を囲む騎士団などまるで気にしていないかのように寝そべるような体制を取ったのだ。
まるっきり、交戦意思がない有様である。
それだけならば寧ろ好機であるとも取れるが、更に奇妙なことに、その竜の元から、一人の人影が真っ直ぐに此方へと歩いてくるではないか。
その不思議な光景を凝視していたコリンズは、やがてその抜群に優れた視力で以って、その人物が何者であるのかを誰よりも早く見抜いてみせた。
「・・・おいおい、マジかよ・・・もう何が何だかわからねーな・・・」
コリンズは呆れ返ったような表情をしつつ、周囲の騎兵に待機の指示を出して馬から降り、面頬を上げて兜を脱ぐ。
そしてそのまま小脇に兜を抱えたままで待つ彼に気付いて正面から小走りに歩み寄ってきたのは、ロアーヌ騎士団が誇る紅一点にして自軍最強の騎士との誉高い、カタリナ=ラウランであった。
「・・・最近は一気に人間離れしてきたと思っていたが、まさかお前、ついに竜まで従えたってのか?」
声が届く距離までお互いが近づくと、コリンズはすっかり緊張が解けてしまった様子で肩を竦めながら話しかけた。
「そんなわけないでしょ。あの竜は、ルーブのグゥエイン。四魔貴族ビューネイを討伐するために、協力してもらったの」
コリンズの相変わらずの軽口に、思わずうっすらと笑みを浮かべながらカタリナが答える。
「いやそれ簡単に言うけどな・・・。っつかビューネイ・・・矢張りお前が討伐に動いていたか。ここの戦線も、突然襲撃が緩くなった。ということはつまり、やったのか」
「ええ、ビューネイは討伐したわ。その事を伝えにここに来たの。直ぐにミカエル様にもお伝えして頂戴」
カタリナのその言葉を聞き、コリンズは肩に担いでいた槍をゆっくりと降ろしてから地面に刺し、大きく長く、息を吐く。
それは、二ヶ月あまりにも及んだこの防衛戦線の終結を意味する所作でもあった。
「・・・騎兵隊から司令部へ通達!目の前の竜に交戦意思なし!及び、我が軍の騎士カタリナによる魔龍公ビューネイの討伐完了を確認、と!!」
コリンズが半身を翻しながら後ろに控えていた部下にそう指示を飛ばすと、騎兵は一瞬の躊躇いの後に指令を受諾し、急ぎ馬を走らせていった。
「・・・やっぱお前はすげえよ、カタリナ。先ずはこの場を代表して礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「いいえ、私はロアーヌ騎士としての役目を果たしたまで。寧ろ私こそ、ここで魔物を食い止め切ってくれた貴方達を心から誇りに思うわ。我らがロアーヌを守ってくれて・・・本当にありがとう」
そう言いながら二人ともが突き出した拳を軽くぶつけ合うと、自然と周囲からは歓声が湧き上がった。
その歓声は瞬く間に波打つようにしながら防衛戦線を担う兵士全体に広がり、その場の全員が、この戦いの終焉を確信したのだった。
「奥にブラッドレー達もいる。行こうぜ。ミカエル様には一緒にご報告していくだろ?」
そう言いながらコリンズがカタリナを誘うと、しかしカタリナはゆっくりと首を横に振った。
「いえ、私は一度、グゥエインと共にルーブへ戻るわ。そこに待たせている仲間もいるの。ミカエル様へのご報告は、任せていいかしら」
カタリナのその言葉にコリンズはとても残念そうな表情を浮かべるが、かと言って引き止めることはしない。今の彼女の行動を此方の意思でどうにかできるなどと、コリンズは全く考えつきもしないからだ。
「そうか・・・残念だが、お前がそういうのならば仕方ないな」
「ええ。それと、タフターン山の頂上へ調査隊を派遣して頂戴。私が見た限りは山頂を覆っていた霧も完全に晴れ、ビューネイの根城も露わになっているわ。奥には、火術要塞と同じくゲートの存在も確認出来ている。教授やヨハンネスさんが動ければ、それが一番いいとは思うけれど」
カタリナの言葉に確と頷いたコリンズは、手配を約束して二言三言を最後に交わし、互いに背を向けて別れた。
そのまま竜の元へと小走りに戻っていくカタリナを背中越しに見送ったコリンズは、ふぅと一息つきながら、軽く空を見上げる。
「・・・こりゃもう実力ってか器そのものが離れすぎてて、流石にもう一回告るとか、無理そうじゃねーか・・・?」
過去数度の挑戦失敗にも挫けなかったロアーヌ騎士団切っての成長株コリンズであったが、流石の彼をしても、挑まんとする壁の高さには苦笑を浮かべるしかなく、ぽりぽりと頭を掻くのであった。
ロアーヌ防衛戦線へ勝利の報を届けてから三日の後、カタリナはグゥエインと共にルーブ山のグゥエインの住処へと舞い戻ってきた。
瀕死の重傷を負っていたグゥエインの体を労りながらではあったが、それでも三日で地図のほとんど端から端まで移動できてしまうことには、改めて驚きを禁じ得ない。
「お二方とも、お帰りなさい!」
グゥエインの財宝の間のすぐ近くの穴から降り立ったグゥエインとカタリナを見るや否や、その場にいたフェアリーが文字通り飛び上がりながら二人を出迎えた。
「ただいま、フェアリー」
グゥエインの背から降り立ちフェアリーとハイタッチをしながら、カタリナは微笑みかける。
その笑顔が示す意味を理解していたフェアリーは、キラキラと光る瞳の奥から溢れる好奇心を全く隠そうともせずに、カタリナの手を引くようにしながら問いかけた。
「ビューネイ討伐、本当にお疲れ様です!ロアーヌもこれで安泰ですね!して、ビューネイはどのような姿だったんですか!?空中では、どのような戦いだったんですか!?」
矢継ぎ早の質問に対してカタリナは目の前の好奇心旺盛な妖精を落ち着かせるように「まぁまぁ」と言いながら、先ずはここまでの飛行をしてくれたグゥエインに感謝を述べるべく、振り返った。
ビューネイから受けたグゥエインの傷は、途中寄った人里や偶然見つけた行商人などから買った傷薬を用い、ある程度は癒すことができている。だが、元の傷がかなり深かったこともあり、まだまだ完全な状態とは言い難かった。
「改めてグゥエインも、本当にお疲れ様。伝説に違わぬ戦ぶりだったわ」
『ふん、ビューネイの影など、相手にもならなかったな』
怪我の度合いからしたら全くそのようには思わないが、それでも強がって見せるグゥエインの言葉には思わず苦笑しつつも微笑ましく思い、カタリナはそうね、と相槌を打つ。
そのあとは暫く、予備の傷薬と共に入手しておいた食料を摘みつつ、ビューネイとの戦いの詳細を聞きたがる前のめりのフェアリーにカタリナとグゥエインが交互に応えながら、束の間の穏やかなひと時を過ごした。
思い返すと、熾烈を極めたフォルネウスとの戦いから、まだひと月少々しか経っていないのだ。短期間の間にこうも命を削るような戦いを繰り返してきたということもあり、流石のカタリナも己の戦果を労う思いで、一際穏やかな気持ちで二人(?)と会話を重ねた。
フォルネウス、ビューネイとも直接その場には居合わせなかったものの、フェアリーには様々な局面で大きく助けられていた。
全ての生物と意思を交わすという妖精族の特殊な能力に頼らなければ、全くこれらの偉業を成し遂げることは出来なかったであろう。その分、フェアリーの質問攻めには夜通し全力で付き合ってあげるつもりだ。
それに今回共に戦ったグゥエインは、全く予想していないほどに高潔な意思を持った戦友となった。
種族の垣根を越え、カタリナはこの竜を真の友として心から認めていた。そしてそれは恐らくグゥエインもそう感じてくれているのであろうことが、確かに彼女にも感じられる。
フェアリーを交えながら会話を繰り広げる中で、彼の竜が紡ぐ言葉の端々から、それが彼女にも伝わってくるのだ。命運を共にした者同士だけが恐らく感じられるであろう、互いを尊敬する想い。それが確かに、竜と人との間に出来ていたのである。
魔龍公との戦いからその後のタフターン山の根城の様子など、三者の会話は夜更けまで途切れることなく続いた。
そしてそのまま一夜が明けた、明朝。
鮮やかに差し込む朝日に揺り起こされるようにして目が覚めたカタリナは、財宝の敷き詰まった寝床で静かに佇みながら此方を見下ろしているグゥエインの視線に気が付き、何かあるのかと視線で問いかけた。
『母は、どのような気持ちだったのだろうな』
「・・・?」
紡がれたその言葉の意味を測りかねて首を傾げるカタリナに、しかしグゥエインは全く構わない様子で淡々と続けた。
『我はお前と会うまで、この背に人を乗せて闘おうなどとは、微塵も考えていなかった。それは恐らく、母も同じ考えであっただろう。だが母は聖王と出会い、聖王を背に乗せて闘った。我も今ならば、母がそのように思い直したこと、よく理解できる』
グゥエインが何かを訴えかけたいと考えていることを察したカタリナは、立ち上がってグゥエインに向き直った。
グゥエインは、続けた。
『だが、母は竜であり、聖王は人であった。それは我々も、変わらぬこと』
グゥエインの真珠のように白い瞳は、変わらずカタリナを真っ直ぐに見つめている。その瞳は、どこか悲哀を交わらせた色のようにカタリナには思えた。
『我は、これから人を喰らいに行く』
「ちょ・・・いきなり何で!?」
唐突なグゥエインの言葉に、カタリナは驚きを隠さずに声を上げた。
『知れたこと。戦で失った英気を養うには、蹂躙こそが至高。竜とは、そういうものだ』
「・・・・・・」
決して、冗談を言っているわけではない。それは、カタリナにも分かった。
竜という生物がどのような文化や常識を持ち、動くのかなど分からない。だがグゥエインの言葉には一切の偽りの様子はなく、きっとグゥエインからすれば、人を喰らうというのは正に竜たるが故に当然の行動なのであろうとも思える。
この竜は、間違いなくこれから人を喰らうつもりなのだ。
だが、それをそのまま良しとすることは、人間である彼女にはできないことでもあった。
『肉を食らい宝を奪うは竜なるが故の宿命。だからこそ母と聖王は対立し、その果てに母は、聖王によって殺された。お前とて、人を喰らう竜を許してはならぬのが貴様らの道理であるということは、分かっているはずだ』
グゥエインの言葉は、全くその通りであるとカタリナにも理解できる。
竜と人の関係性は、三百年の昔から、何一つとして変わってはいないのだ。
それは、分かっている。
それでも、このグゥエインという竜と出会ってからの、この一週間程度の短い時間。
その中でカタリナは目の前の竜が持つ高潔な意思に尊敬の念を抱き、また竜からも自分という人間を認めた上で戰を共にしてくれたのだという確かな感覚が伝わってきていた。
彼女はそれに、どこか甘い見通しを抱いてしまっていたのかも知れない。
だがその感覚とは、矢張りドーラと聖王が嘗て抱いたものと同じであって、それはしかし竜と人という間柄を改変するようなものでは、ないというのか。
『だから、思うのだ。母は此の期に及び、どのような気持ちであったのだろうか、と』
「グゥエイン・・・」
竜と人の精神がどのように触れ合い、又、どのように触れ合うことがないのか。そんな難しいことは、カタリナには全くわからない。それはきっと、グゥエインにしてもそうであるのだろう。
だが数百年の昔、既に答えの出ているその問いかけであろうというのに、それでもグゥエインは考え、彼女に語っている。
『母は、聖王を疎み、憎しんだのであろうか。我は、今に至ってはそう思わぬ。母は恐らく今の我と同じように人への見方を変化させた。ただ、竜であるが故に、その宿命に従ったまでなのだ。それが今は、よく分かる。我が母は、偉大な竜であった』
「・・・では、他に何が分からないのだというの・・・?」
カタリナが問いかけた。
グゥエインは最初に、母がどのような気持ちであったのか、と問いかけてきた。だが今の言葉には、竜なるが故の宿命という、過去から続く絶対の正解しかない。
グゥエインは、何か別の思考を内包しているのではないか。そのように思ったのだ。
『・・・宿命の、その先だ。我は宿命に従った母の最後を知っている。母は聖王の手によって殺された。その時、母は何と思ったのだろう。逆の場合があったとしてもだ。母が聖王を喰らい、今もなお生き続けていたとしたら、その時、母は何と思っていたのだろうか』
宿命の、その先。そんなことは、至らなければ誰にも分からないのではないか。
カタリナは素直にそう思った。
何もそれは、竜と人だけではない。
それ以外の様々な生物と、人。または、人同士や、それ以外の生物同士。それらの中にもいくつもの宿命というものが世界の凡ゆる生物にはあって、それらの行く先を否応なく決定付けている。
当然ながらそれは今に始まったことではなく、過去から繰り返され続け、そしてこれから先も繰り返されていくものなのだろう。
そのような絶対たる宿命を前にして、宿命のその後を思うことに、意味はあるのだろうか。
だが、この竜はそれでも考えているのだ。
『宿命により、為すべき答えは出ている。しかし、その宿命を目の前にして、我と母は別の存在だ。我が思うことと母が思うこともまた、別なのであろう。今になって、ふとそれが気になってな』
そう言い終わると、グゥエインは鈍色の表皮の内にある真紅の翼を広げ、力強く四肢で立ち上がった。
『確かめようではないか』
「・・・。ええ、分かったわ」
竜と人間、所詮はこうなる定め。
そんなことは、頭の片隅では既に分かっていた事。元より、場合によっては最初からそうなる覚悟でここに来たことも確かだ。
無論それは目の前の竜も考えを同じくしており、その上で今こうして、自分に語りかけてくれているのだろう。
これは言うなれば当初の想定を大きく逸れて、とても尊い事であった。
宿命を辿ることを前にしてこうして言葉を交わせた事は、望外の喜びである事に他ならない。間違いなくそう断言できる。
だが、それでも。
それでも彼女は、矢張り心の奥底では納得がいかないでいるのだ。
こうして数奇な運命の導きの上に巡り合い、ほんの一時であったとしても心を通わせた存在同士。それが予め定められたままに、他に為す術もなく、殺し合うしかないという宿命。
このような理不尽が至極当然のような顔をして蔓延るこの現実に、彼女は強い苛立ちを覚えた。
宿命というただ一点の理不尽のために、友と殺しあう事。
これに怒らずして一体、他の何に怒れと言うのだろうか。
「・・・やってやろうじゃないの」
そう言いながらカタリナはグゥエインを、そしてその先にある宿命とやらを強く睨みつけた。
そして何故か彼女は即座に踵を返し、ここまで持ってきていた旅の荷物が置かれた壁際へと歩み寄る。
そこには途中から不穏な気配を察知して二人のことを不安そうに見守っていたフェアリーが居たが、カタリナはそんなフェアリーには曖昧に微笑みかけただけだった。
しゃがみ込んで荷物の脇においてあったマスカレイドを腰に付け、そして布に包んだ板状のものを荷から取り出し、普段はロングソードを装着している剣帯部分に括り付ける。
その脇に置いてあった月下美人には手を伸ばす事なく、かなり身軽な状態で再びグゥエインの目の前に戻り、正面に対峙した。
しかしなんとカタリナは、腰のマスカレイドを抜くことなく、ゆっくりとした動作で両手を軽く横に広げて見せたのである。
『・・・何のつもりだ』
当然その様子を訝しむグゥエインに対し、カタリナは沸々と体の内側から湧き上がり続ける怒りの感情を隠さないままに睨み返した。
「なんのつもり、じゃないわよスカタン。見ればわかるでしょう。来いって言ってんのよ。大層な御託はいいから、さっさとその宿命とやらに則って、お得意のブレスで私を焼き殺してみせなさい」
そのあまりの態度の変容ぶりに、グゥエインは虚をつかれた様子で思わず瞳を細めた。
『血迷ったか・・・』
低く唸りながら、そう呟くグゥエイン。
しかしまるでそんなことには構う様子もなく、仁王立ちの状態で目前の竜を睨みつけたカタリナは、怒りの感情のままに言葉を続けた。
「血迷ったですって?・・・お生憎様、私は至って正常よ。寧ろそっちこそなによ、さっきまで言っていた御大層なその竜の宿命とやらは、両手広げた仁王立ちの人間は対象外なのかしら。だとしたら随分と都合がいい代物なのね、竜の持つ宿命ってのは!!」
小気味よく啖呵を切るカタリナ。これにはグゥエインも堪らずふしゅうと色めき立つように口角の端から炎を吹き出し、力を溜め込むように姿勢を低くした。
『・・・吠えよる。よかろう、では望み通りに焼き尽くしてくれる・・・さらばだ、強き人間よ!』
言い終わると同時にグゥエインは大きく目を見開き、両の翼を大きく広げる。
大気に溢れる力の元素を翼から取り込むようにしてグゥエインの胴体が内側から淡く光り輝き、竜の体内で純粋な破壊を伴う力へと変革したものが全身を巡り、そして口角へと登っていく。
口角部から覗く鋭い牙の奥、大きく開け放たれた喉元の中から、溢れんほどの眩い光と共に強烈な雷撃が一直線に放たれた。
仁王立ちの姿勢からでは全く避ける事も叶わないであろう至近距離からの雷撃一閃は、寸分違わずカタリナを貫いた。
同時にその威力を証明するかのように強烈な衝撃波が周辺へと広がり、壁際にいたフェアリーは思わず抱えていた荷物ごとごろごろと転がり飛ばされてしまうほどだ。
視界が塞がれるほどの土煙が巻き上がり、雷撃によって大きく貫かれ崩れた後方の洞窟が崩れる音が遅れて響き渡る。
そして数秒間に渡り吐き出された一閃が終わり、その直線上にあった地面すらもが焼き爛れ広範囲で抉られた有様が見えるようになってきた頃。
その雷撃の中心にあったものに、当のグゥエインは正しく目を疑うようにしながら対峙した。
『馬鹿な・・・』
そこには、先程の仁王立ちの姿のままで何事もなかったかのように佇んでいるカタリナの姿があったのであった。
カタリナは真っ直ぐにグゥエインを睨みつけたまま軽く咳き込み、舞い上がる土埃を払うように顔の前を掌で仰ぎ、そのまま耳の辺りの髪を何でもないかのように撫で付けた。
「なによ、今の。光る手品を見せろなんて、言った覚えはないわよ」
カタリナの煽るような台詞に、グゥエインは暫しの沈黙の後、まるで笑うかのように口角を釣り上げ、青い炎を漏らした。
『・・・良いぞ、やるではないか人間!!それでこそ我が背に乗せた者に相応しい!!』
そう捲し立てながら、グゥエインは歓喜に満ち溢れるかのように後ろ足で立ち上がり、これでもかというほどに翼を広げ、ルーブ山脈中の魔素を集めるようにその身に力を集束させていく。
一方で竜はあくまでも冷静さを保ったまま、カタリナの周辺をつぶさに観察していた。
焼け爛れ、未だ紅く明暗する抉り取られた射線上の地面は、どうしたことか彼女の周辺だけなにもなかったかのように残っている。
何かしらの手段を用いて雷撃を防いだ、という事は確かだろう。
だが彼女の後ろには再び地面の抉れる様が忽然と続き、その奥の洞窟の大規模な崩落を招いている。
雷撃は確かにカタリナのいる場所を貫通した、ということだ。となると、まるで彼女の周りだけが何事もなかった、というような状態。非常に奇妙な光景だといえる。
(・・・物理的な防ぎ方ではない。だが、天地六術式に属する結界とも全く様子は異なるように見える・・・)
体内に集束する力が張り裂けんばかりに稲妻の走りを伴って身体中を駆け巡る中、グゥエインは思考を続けながらカタリナの細部へと観察の目を向ける。
(足元が動いた様子もない。熱量は愚か、それに伴う衝撃波すら相殺しているようだ。これは最早防御というより・・・事象の無効化・・・いや、改変と言ってもいい。だが、それでは大いに不自然だ。あれほどの手段を持っているのならば、何故奴はそれをビューネイとの戦いで用いなかった・・・?)
これをビューネイとの戦いに用いていたとしたら、戦局は大きく傾いたはずだ。あのように一か八かの決死の行動をせずとも、もっと楽に決着はついたはずである。
(であれば、何らかの制約があるので使わなかった、と見るべきか。確かにこれほどの効果であれば、それは頷ける。彼奴は腰に聖王遺物の剣を持ってはいるが、抜いていない。仮に抜いていないのではなく、抜けないのだ、としたらどうだ。攻撃を行うことができない、という制約。それならばビューネイとの戦闘で使わなかったのは分かる。そして恐らくそれを成し得ているのが・・・)
グゥエインは、目敏くカタリナの装備の変化を確りと見抜いていた。
(腰に吊るした、あの布に包まれたもの。形状からすれば、盾か。恐らくはあれが、この状態を作り出している。そして何らかの代償を伴う異能の発動は、往々にしてアビスの力が源。となるとあの盾のようなものは・・・大方、魔王遺物といったところか。魔王遺物には、魔王の盾が存在するはずだ。その効果のほどまでは知らぬが、これほどの効果を齎すのであれば相応の品と見るべき。恐らく間違いはなかろう)
青白くグゥエインの体が光り輝き、竜が蓄える力は正に最高潮に達しようとしていた。
ビューネイが空を主戦場としたように、グゥエインの最も得意とする戦場は、この根城に他ならない。
三百年に渡りグゥエインが棲み続けるこの地には主人たる竜の息吹が山岳全体に根付いており、この地でこそグゥエインの雷撃は最も力を発揮する。
恐らく次の一撃は、先のビューネイの結界をも易々と破るほどの威力を内包しているものとなるだろう。
(アビスの瘴気は、人間には猛毒。しかも力の源が魔王遺物ともなれば、その影響被害は計り知れない。そうか・・・読めたぞ。彼奴、身につけている幾つもの聖王遺物で、それを相殺しておるのか。自らの身体とそれらを全て瘴気の相殺に回すことで盾の効果を引き出しておると見える)
グゥエインは、再び口角を上げるようにして、その端から炎を溢れさせる。
その様をカタリナは、冷や汗を垂らすようにしながら見つめていた。
《カタリナさん・・・》
脳内に、フェアリーの念話が響く。念話であるというのに、その声色がひどく不安げであることが手に取るようにわかるのだから、面白いものだとカタリナは場違いに思った。
《グゥエインさん、魔王の盾の絡繰に気づいています・・・!》
《・・・でしょうね。あいつさっき、笑いやがったわ。気づいた上で、真正面からやるつもりよ》
三百年の知見は伊達ではない、という事だろう。恐らくは先の防御が魔王の盾の齎す効果である事以外に、自分が何もできない状態であるということまで、見抜かれている様子だとカタリナは判断した。
全く、この土壇場だというのにとんでも無く頭の回転の早い竜だな、などと呆れ半分に考えながら、しかしカタリナはその上で真正面から挑もうとするグゥエインの狙いが、手に取るように分かっていた。
《別に最初は、そんなつもりじゃなかったけどね。でもこれは、彼奴にとって最も相応しい決着の付け方かもしれないわ・・・》
そう頭の中で呟きながら、カタリナは額を流れる汗を乱暴に腕で拭った。
以前にはウンディーネとボルカノの魔術攻撃をこの手法で抑え切った事があるが、その際のこの盾による消耗は非常に大きなものだと感じていた。だが今、先程の雷撃を無効化するために魔王の盾が要求する代償は、既にその時の比ではない程の疲労感を彼女に齎している。
身に付けている幾つかの聖王遺物の助けがなければ、とうに彼女は力尽きて倒れているだろう。
(・・・これは、我が母を殺した聖王の力との対峙でもある。聖王の時代から幾つも世代を重ね受け継がれてきた人間の力の結実ともいえる我が誇るべき戦友が、更に聖王の力をその身に纏い、我が前に立っているのだ。その力を打ち破り焼き尽くしてこそ、最強の竜であるということの証明に他ならぬ。宿命の先に立つのは、この我である・・・!!)
内包する雷光によって全身が眩く光り輝くグゥエインは、いよいよその渦巻く力の奔流を解き放つべく、再び力強く四肢で足元の財宝を踏みしめた。
目の前の相手を焼き尽くすまでは、雷撃を止めるつもりはない。グゥエインは己の存在を賭けて誓っていた。
力の全てを放出し尽くし己が果てるか、魔王の力の代償に耐えられずカタリナが遺物ごと焼き尽くされるか。
決着は、二つに一つだ。
「さぁ来なさいよ、グゥエイン!!!」
『ゆくぞ、カタリナよ!!!!』
直後、その場の全てを覆う眩い閃光が、解き放たれた。
許容量を大きく超えて溢れる力はグゥエインの身体中から血飛沫と共に吹き出し、だがそれをすらグゥエインは無理矢理に眼前の破壊の集束へと導く。
天雷の如き轟音と共に放出された全てを焼き尽くさんとする雷光が、グゥエインの眼前の全てを飲み込みながら一直線にルーブ山を貫いた。
その雷光は先の一撃で崩落を招いていた洞窟を今度こそ跡形もなく消し去り、正しく龍峰ルーブ山を真っ二つに切り裂く光刃となったのである。
後にその光と衝撃波は天の怒りとも語り継がれ、世界を駆け巡ることとなるほどのものだった。
その雷光の渦中にあり、カタリナは既に限界を訴え悲鳴をあげる全身を、その研ぎ澄まされた精神力だけでなんとか奮い立たせていた。
(耐えろ、耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ・・・!!!!!!!!)
食いしばった口の間からはぼたぼたと血が滴り落ち、雷光を無効化せんとし激しく鳴動する魔王の盾は、しかし明らかにその出力を弱めていく。
無効化の範囲は急速に狭まり、最早彼女の足元まで雷光が迫っている。
ピシリ、と盾が音を立てた。
事象の無効化の限界を迎えようとしている魔王の盾が、今にも砕け散ろうとしている音だ。
(耐えろ・・・!・・・私は、こんなところで死んでなどいられない・・・!!!)
初めに肌が膨大な熱量を感じ、そして衝撃波となる風が彼女の髪を戦がせる。
そして次には、間も無く砕けんとする魔王の盾の効果範囲を侵すように眩い白と青の閃光が、カタリナを包んでいった。
盾の限界を察知したカタリナは、咄嗟の判断で腰のマスカレイドを抜き放ち、切っ先を目前へと突き出す。
そして大きく上段へと構えをとったカタリナは、渾身の叫びと共にマスカレイドを振り下ろした。
「・・・ぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
遂には盾が砕け、事象の無効化を打ち破った雷光がカタリナを飲み込まんとする、その瞬間。
彼女が振り下ろした聖剣マスカレイドは真紅の閃光を放ち、己を飲み込まんとしていた雷光を、真っ二つに切り裂いた。
瞬間、巨大な力のぶつかり合いによって起こった爆風が、周囲の全てを吹き飛ばしていく。
グゥエインの横あたりにまで荷物と共に避難していたフェアリーはそれに巻き込まれて再度後方へ吹き飛ばされ、またカタリナ自身も、爆風に煽られて吹き飛ばされそうになる。
だが、彼女は残り僅かな力を振り絞り、その場に留まった。
ここで吹き飛ばされるわけには、いかない。
何故ならそれが彼女の勝利に他ならないと、彼女は確信していたからだ。
その確信を、裏付けるかの如く。
強烈な爆風の収束と共に、ルーブを切り裂いた雷光は、その終わりを迎えた。
「・・・・・・」
巻き上がる大量の土煙と共に、粉々に砕けた魔王の盾の残骸がカタリナの足元へと落ちていく。
彼女が身に付けていた外套は肩口から焼け落ち、両の腕を覆っていた小手や衣服も吹き飛ばされていた。
だがそんなことには構わずに真紅の大剣となったマスカレイドの切先を地面に置いたカタリナは、徐々に落ち着いていく土煙の奥に居るであろうグゥエインを、ただ真っ直ぐに見つめていた。
彼女の視線の先には、神域に迫らんとするほどの雷光を放ったグゥエインが、その持てる力を全て使い果たしたことを示すように、ぼろぼろと鈍色の表皮が崩れ落ちるままに佇んでいた。
『・・・見事だ』
断続的に体から吹き出す流血を物ともせず、グゥエインはとても静かな調子で、そう言った。
そしてその言葉と共に、竜の四肢はその体を支えることすら出来なくなり、ズシンと重い音を立てて財宝の上に倒れ伏す。
カタリナはマスカレイドを地面に突き刺し、自らの全身の激痛を無理矢理に抑え込むようにしながら、グゥエインの元へふらつきつつも駆け寄って行った。
『・・・母の気持ちが、漸く判った』
目の前に屈み込み竜の鼻先に手を当てるカタリナを認識し、グゥエインはひどく穏やかな声色で続ける。
『・・・滅びゆく定めならば、せめて友の腕の中で・・・。きっと母はこの時、そう思ったのだ』
生命の輝きが今にも途絶えんとしているその瞳を、カタリナはじっと見つめていた。
その様子が見えているのか否かも分からないが、グゥエインが今とても穏やかな気持ちであるのだということは伝わってくる。
『お前も、人間にしては中々だったぞ。聖王のように・・・』
その言葉と共に、グゥエインはゆっくりと目を瞑る。
そして、穏やかに眠るようにして、動かなくなった。
「・・・・・・」
カタリナは竜のその言葉を聞いてから、直ぐ様自分の体に鞭打つようにして、立ち上がる。
そして眼下に横たわるグゥエインを一瞥すると、未だ収まらぬ憤りと共に呟いた。
「・・・何、自分勝手なことばっか言ってんのよ・・・!」
雷光によって一切の遮るものがなくなり、溢れんばかりの陽光がその場に満ちていた。
陽光はあちらこちらに散らばる金銀の財宝に当たることで、更に方々へきらきらと光を反射している。
全く冬を思わせぬその暖かい陽光に包まれながら、ゆっくりと竜は意識を覚醒させ、瞳を開いた。
『・・・・・・』
何故、自分は瞳を開いたのか。
それが、まず竜には分からなかった。
自らの宿命に相対し、その宿命に従い自らの生命を終えた。
それが、竜の持つ最後の記憶だった。
だというのに、どうして再び、こうして自分は瞳を開いているのだというか。
グゥエインは殆ど動く様子を見せぬ自らの身体の様子を簡潔に理解すると、痛くしんどそうに頭だけを少し上げ、自らの周囲へと視線を向けた。
己の持つ渾身の力によって大部分が吹き飛ばされた、哀れな棲家の跡。
もうすっかり熱が冷めた様子の、焼け爛れ黒ずんだ地面の痕跡。
何やら自らの周囲に幾つも乱雑に転がる空の薬瓶と、どうやらその薬を幾重にも振り撒かれたらしく薬品の匂いがつんと鼻につく、自らの身体。
そしてその脇で小さな火を焚いて囲んでいる、見覚えある二つの影。
それが意味することを遅まきながら理解したグゥエインは、火の横に座るカタリナへと目を向けた。
「・・・やっと起きたわね」
『・・・何のつもりだ』
何事もなかったかのように声をかけてきたカタリナに対し、グゥエインはあまり穏やかではない怒気を孕んだ声でそう言った。
これは、明らかに宿命を貶める愚行である。
そのようなものを許すほど誇りなき軟弱な思考を、グゥエインという竜は持ち合わせてなどいない。
出来ることならば同時に威嚇の姿勢でもしてやるべきところなのだが、しかし生憎と体はそこまで自由に動いてくれる様子はない。
「・・・なんのつもり、じゃないわよ。貴方ね、自分だけ分かった風で勝手に終わるとか、自己中過ぎるわ。私は、そんなこと許した覚えはないのよ」
大概こちらも辛そうにしながらゆっくりと立ち上がり、カタリナはグゥエインの目と鼻の先まで歩み寄る。
「貴方が聞いてきたのでしょう。宿命の先に何を思うのか、と。それは貴方だけの問いではなく、私の問いでもあるの。そしてね、私はそれにはこう答えるつもりなのよ。そんなの・・・くそったれだ、ってね」
育ちの割にはあまりに汚い言葉を使うカタリナに、グゥエインは思わず閉口するような思いで、未だ相手の意図が理解できずに見つめ返した。
「全く何かある毎に宿命宿命宿命って・・・一体この世界の住民は、どんだけ宿命マニアなのよ。生憎と私はね、欠片も気に入らない宿命を『はいそうですか』って受け入れられるほど、寛容な人間ではないの。だから、それに抗おうとしているだけ」
『馬鹿な・・・そのようなことで竜たる我が宿命をも愚弄すガッッ!!??』
激昂し声を上げたグゥエインの頭部を、なんとカタリナは握りしめた拳で思い切り殴り飛ばした。
表皮の鱗が二、三枚飛び散るほどの威力で殴られたグゥエインは言葉を遮られ、そして殴ったカタリナの拳もまた、硬質な鱗によって切れたのか血が流れ出す。
「負けたくせに、一丁前に意見述べてんじゃないわよ。制された者は、制した者に従う。それこそが対峙した二者の間にある、ただ一つの不問律よ」
なんとも理不尽な物言いだが、しかしそんな屁理屈ではこの事態を到底納得することなど出来ない。
そう考えたグゥエインは、再び睨みつけるようにカタリナを見た。
『それでも抗えぬ宿命は、ある。我らはその理の中で生きているに過ぎぬのだ』
「・・・生憎私は、それが本当に抗えぬ宿命なのかどうかをこの目で確かめるまで、納得なんてする気はないわ。だから」
まだ利用していない薬瓶を足元から拾い、その中身を手の甲に垂らしながら、カタリナは言った。
「だから、一緒に来なさい、グゥエイン」
『・・・何を・・・何を世迷い言を・・・。そもそも竜と人とでは何もかもが違・・・』
「違わないわよ」
相手の言葉を遮るようにはっきりと言いながら、カタリナは薬瓶の残りを、今しがた自分で殴り飛ばしたグゥエインの頭部に乱暴に振りかけた。
それは瞬く間に魔術的効能を伴って竜の傷口に染み込み、そこに癒しを齎していく。
「・・・ほら、こうして私にも貴方にも傷薬、ちゃんと効くじゃない。それに貴方と私は何方も目は二つで鼻と口は一つだし、手足も四本で一緒。まぁ図体の大きさとか翼の有無とか細かい違いあはあるけれど・・・何より、この世界に住まい、この世界が強いる宿命とやらに翻弄される存在であるという意味では、何も変わらないわ」
言っていることは、あまりに大雑把で無茶苦茶だ。
無茶苦茶でしかないのだが、しかし己の命運を握られたグゥエインには、反論する材料がない。
「私は、気に入らないことには抗う主義なのよ。確かに世の中には多くの不条理が蔓延り、それに従わざるを得ない人々もこの目で見てきたわ。でもね、だからって自分も無条件でそれに身を委ねるなんてのは、真っ平ごめんなの。この身に不条理な宿命が降りかかるというのであれば、それを真っ向から斬り伏せに征く」
およそ騎士らしからぬその言動に、グゥエインは最早呆れを通り越して諦めの境地に達しようとしながらカタリナを見つめた。
その視線を受け、カタリナは真っ直ぐに見返しながら続けた。
「だから貴方も、暫く付き合いなさい。無論、私に負けたんだから異論は認めないわよ」
両の手を腰に当てがい、仁王立ちで言い切る。
グゥエインはその言葉には只々呆れるばかりで、よもや人と竜とはこうまで精神構造が違うものなのか、と思ったものだった。
だが、それこそが人の進化というものであるのかもしれない、とも考える。
竜とは違いこの三百年で何世代にも渡って歩みを連ね、そして、この世界の宿命をすら超えようとするもの。
それが、人間という生物なのかもしれない。
そう考え直したグゥエインは、ゆっくりと瞬きをした後、静かに首を垂れた。
その行動が意味するところを理解したカタリナは、その鼻先にゆっくりと手を置き、不敵に微笑んでみせる。
「安心なさい。ロアーヌ軍はばっちり三食昼寝付き。そんな悲観するほど悪い待遇じゃあないわ」
後の世に数多の吟遊詩人が競って歌い上げたという、パウルスの予言に導かれし八つの光の英雄譚の中でも、屈指の人気を誇る語り詩。
この世界で、後にも先にも唯一人となる、竜騎士の誕生。
これが、その瞬間であった。
最終更新:2022年10月31日 23:54