「私が騎士になった理由?」

 三百年の昔に四魔貴族をアビスへと退けた聖王が今も眠る地、聖都ランス。その脇を通って遥か南東のファルスまで抜ける長大なるイスカル河に沿い、内陸都市スタンレーへと向かって南下する道中の、小さな宿場。
 テーブルの向かいから唐突に発せられたエレンの質問に、カタリナは手にしていたエールジョッキを傾けながら疑問符と共に応えた。エレンは、うんうんと頷きながら言葉を続ける。

「うん。女騎士ってカタリナさんの他に聞いたことないし、不思議だなって思ってたんだよね」

 エレンの疑問は、まぁご最もであろう。何しろ当のカタリナ自身、自分以外に女騎士など現役では誰も知らない。
 そもそもにして、女の身で軍人を志すこと自体、このご時世では全く異質なことであるのだ。
 更には現存する歴史書を顧みても、女性で名を残した軍人は片手で数えるほどもいない。因みにその中で最も著名な人物といえば、彼女の祖国ロアーヌの初代侯妃ヒルダ=アウスバッハだ。かの聖王十二将の一人とも云われる、生粋の戦人である。
 しかしその後は侯国に於いても女性軍人の排出はなく、他国にもその例は同様に見当たらない。そこにきてカタリナの存在を不思議に思うなという方が、無理があろうというものだった。
 しかして、それを聞かれたカタリナは答えに詰まるというよりは、まるで質問自体を懐かしむような表情をして微笑み、エールジョッキの中身を飲み干した。

「おい、あまり他人の過去をがっついて聞くもんじゃあないぜ」

 そう言いつつ横から割って入ったのは、同じくエールジョッキを手にしたハリードだった。
 それは長年傭兵である彼も色々とこの手の質問には身に覚えがあろうことが伺える、随分と気の利いた注意にも思われた。

「他人の過去なんて聞いても、大抵いいことはない。第一そこで『実はコソ泥やってました』みたいな話を聞いたら、お互い気まずいだけだろうよ」
「いやいや一々そこで俺へのディスを挟まなくてもいいよな⁉︎」

 突如として予想外の流れ弾を被弾した元盗賊のポールが必死に抗議の声を上げるが、生憎とそこは誰も反応してはくれない。
 憤慨するポールを他所に、カタリナは小さく肩を竦め、エールのおかわりを店主に頼んだ。

「別に構わないわ。今まで何百回と受けた質問だし、特に隠しているわけでもないもの」

 即座に運ばれてきた追加のエールジョッキを受け取って一口含み、カタリナはリラックスした様子でテーブルに頬杖をつきながら、ゆっくりと口を開いた。

「まぁ、特に面白い話じゃあないけれど・・・」

 カタリナはエレンに分かるようにと、現在の騎士の概要から簡単に説明することとした。
 ロアーヌに限らず、現在の各国都市の軍事力とは、主に常備軍によってのみ成り立っている。
 常備軍は基本的に貴族階級を中心として構成され、あとは必要に応じ民間の傭兵を雇うくらいで、民間人の兵役などは存在していない。
 聖王歴以前の戦乱の世には一斉徴兵が主であったが、聖王の時代以降には目立った戦乱もなく、魔物討伐も徐々に落ち着いていった。そうなると莫大なコストの掛かる軍事力の維持自体が、各国で重要視されなくなっていったのだ。

「メッサーナ諸国の数百年にも渡る秩序統制は、まぁ見事なものだった。祖国ゲッシアは聖王の教えに属さぬ国だが、その高潔な意志が世界中で長きに渡り浸透している様には、敬意を表さずにはいられなかったがね・・・ま、それも昔の話だが」

 カタリナの説明を横で聞きながら、軍備縮小の背景についてハリードが何やら昔を思い出すような口調で呟く。
 六百年前、魔王の時代を生きたとされる英雄アル=アワドを祖とするゲッシア朝ナジュ王国は、メッサーナ諸国とは異なる教えを尊ぶ国だった。しかし彼らとメッサーナ諸国は聖王の時代から現在に至るまでの三百年に渡り、良い関係を築いていた。
 それは偏に、四魔貴族を退け世界を安寧へと導いた聖王という存在が大きく影響してのことだ。

「てことはつまり、カタリナさんが騎士になった理由は、必要に迫られて・・・とかじゃないってことになるの?」
 エレンはこれまでの説明から、そのように発言する。カタリナは、素直に頷いた。

「そうね、少なくともロアーヌでは魔物討伐の頻度などはこの十年程で増えてきたけれど、急激な兵力の増強が求められていたわけではないわ」

 即座に同意されたことで、エレンはいよいよ不思議そうな顔をしながらカタリナに続きをせがんだ。

「私が騎士を志した切っ掛けは、まぁ月並みだけど・・・死食よ」
「死食・・・」

 カタリナの言葉を繰り返すように呟きながら、エレンは神妙な様子で口を噤んだ。
 三百年に一度、この世界を襲うとされる大災害。それこそが、死食と呼ばれる天体現象であった。
 死の星が太陽を覆い隠すその時、世界から全ての新しい生命が失われる。
 半ば伝説と化していたその災厄は、聖王誕生から三百年後、即ち今より十六年前、伝説通りに再び世界を襲った。そしてこれもまた伝承の通りに、世界中の新しい生命を無慈悲に奪い去った。
 その苦々しい記憶は今の世を生きる人々全てに深く刻み込まれ、そして世界を緩やかに混沌へと導き始めている。

「当時の私は十歳にも満たない歳で、あの世界を覆った絶望的な瘴気を前にこの世の終わりを感じ、強く恐怖したわ。それはもう盛大に、年甲斐もなく泣きじゃくってしまってね。両親や召使も大変だったというのに、とても心配させてしまったの」

 間もなく思春期を迎えようという時に、抗いようのない絶望を目の当たりにした記憶。それは、彼女の脳裏に強烈に焼きついた。
 一頻り恐怖し、死食の光景を思い出しては迫る死に怯え毎夜泣くことを繰り返し、そろそろ涙も枯れ果てるのではないかと思われた、ある夜。
 その日も泣き疲れて眠った彼女の枕元に、何者かが立ったのだという。
 そしてその者は、カタリナに『何事かを囁いた』のであった。

「実は、その時何て言われたのかは、一切覚えていないの。でも朝起きた時、私は死食への恐怖心が消えて、もう涙を流さなくなっていたわ。そしてただ、この国を守る為に出来ることをしなければならない、って・・・。その強烈な使命感だけが、自分の中に残っていたのよ」
「へぇ・・・そりゃ所謂、天啓ってやつかい?」

 塩漬けされた干し肉を齧りながら、ポールが言う。どうかしらねと苦笑しながら自分も干し肉の皿に手を伸ばし、そんな大袈裟なものじゃないだろうけれど、と続けた。
「でも、本当に理由はそれだけなの。私に出来ることをして、災厄からロアーヌを守りたい。唯その想いに突き動かされて騎士を志し、両親を必死に説得したわ。そりゃあ最初はもうね、死食で気が狂ったんじゃないかーって凄い心配されて」

 それは当然そうだろうな、とハリードも苦笑混じりに頷いた。
 貴族に生まれた女の生涯というものは兎に角、家の発展のために嫁ぐことに尽きる。それは、この世界ならばどの国でも同一の常識だ。それこそ生まれた時には婚約者も決まり十五の年には嫁ぐ、というのも全く珍しくはない。
 それがある日突然にその宿命を否定し騎士を目指す、等と宣うのであれば、ご両親の心配は然もありなん、といったところだろう。

「お父様とお母様には本当に感謝しているし、尊敬しているわ。何しろ、最後には私の我儘をお認め下さったのだもの。ただまぁ、周りの貴族連中からは相変わらず気狂い扱いをされているけれどね」
「あたしもシノンでは自警団やってたけど、それだって何人かからは『女が自警団なんて』って言われたくらいだもん。ましてや騎士になるなんて、本当に大変そう・・・」

 自身の経験に照らし合わせて想像してみたのか、エレンは眉を見事な八の字に歪めて見せながらそう言った。
 一方のカタリナは、自分の席の後ろに立てかけてある大剣へと視線を僅かに向けながら、軽く微笑み返した。

「まぁ幸い、騎士団の皆には良くしてもらったわ。同期連中もそうだし、将軍の方々も剣の腕で判断して下さったお陰で、あんまり余計な事に神経すり減らさずに済んだもの。弊害があったとしたら、ちょっと口が悪くなっちゃったことくらいかしら。剣を抱えて男連中と年中一緒にいると、どうしても、ね?」

 そういって悪戯っぽく微笑んで見せるカタリナに、エレンも思わず笑顔で応える。

「あたしは、ロアーヌの謁見の間で会ったカタリナさんよりも、今のカタリナさんのが断然好きだな。貴族の人って、やっぱとっつきにくい感じがするもん。モニカ様は、そうでもなかったけど」

 そのあけすけな物言いには、思わずその場の一同が苦笑してみせる。だが、そのように思うのはエレン以外も同様であった。

「確かにカタリナさん、あんまり貴族って感じはしないよな。あーいや、いい意味でよ?」
「お高くとまっていないのは、確かに好感は持てるがな。というかそんなことよりも、一介の騎士とは到底思えん腕っ節なことの方が俺は余程、気になるけどな」
 ポールが頷きながらそう言うと、ハリードも同調する。

「強い女って、かっこいいじゃない。あたしもそうなりたいわ」
「いやエレンちゃん、もう十分強いけどね・・・」

 鼻息を荒くしながら張り切るエレンに、ポールが冷ややかな視線と共にツッコミを入れる。

「でも、国を守るはずがいつの間にか四魔貴族がどうのなんて話に首を突っ込んでしまっていて、自分でも最近、何してんのかなって思っちゃうこともあるけどね。一刻でも早くマスカレイドをご返上しなければならないっていうのに・・・」

 カタリナがそう言いながら少々俯き加減になると、それをいち早く察したハリードとエレンがカタリナの横に座るポールに向かって目配せをする。
 それに肩を竦めて反応してみせたポールは、店主に声をかけて全員分のエールおかわりを頼んだ。
 酒が入って祖国の話題になると、カタリナは必ずどこかで自虐し出す傾向がある。このことを、彼らは彼女と行動を共にしたこの数週間で既に学んでいたのだ。このまま続くと、どんどんカタリナは自虐の沼に沈んでいくばかりなのである。

「よーし、しっかたねぇなー。じゃあ次は、俺とニーナの馴れ初めの話をしちゃうかな!」
「死ぬほど興味がない内容だが、まぁ今は聞いてやるとするか」
「死ぬほど興味がない話題だけど、あたしも今はそれで我慢するわ」
「じゃあ俺に振るなよなあんたら⁉︎」

 せっかくの話題転換を一撃粉砕されたポールが抗議の声を上げると、一同に笑いが起きる。

 その時だった。
 俄かに外が騒がしくなっている様子に気がついたエレンが、怪訝そうな顔をしながら窓枠へと視線を向ける。
 はたしてその窓枠の向こうには、片手に松明、もう片手には見るからに粗雑な作りの短剣などを持った野盗と思しき集団が、この小さな宿場へと略奪しにきた様子であったのだ。

「ほう・・・ポールの惚気話よりは余程面白そうなイベントじゃないか。おいカタリナ、いくぞ」
「・・・人がいい気分で飲んでいるところに、随分と無粋ね。まぁいいわ、気晴らしにはなりそうだもの」

 ハリードに急かされるようにして立ち上がったカタリナは、大剣を手にして扉へと向かう。
 その陰で、店の隅で怯える店主に用心棒代として今日の飲み食い金をチャラでどうだと声を掛けるハリード。それを見かけてすかさずハリードの頭を叩くエレン。
「・・・ほんと、カタリナさん達と旅をしていると退屈しないねぇ・・・」

 ポールは其々の様子を見ながら肩を竦め、自分も腰に下げたロングソードを抜き放つ。
 こうしてカタリナとの旅に出てから、彼は幾度も予想外のトラブルを経験してきた。いい加減その目紛しさにも慣れ始めている自分に対しても苦笑を向けつつ、恐らくはこれからもその中心に居続けるであろう人物へと、改めて視線を向けた。
 視線の先で先頭を行くカタリナは、躊躇いなく野盗の前に躍り出ると、手にした大剣を大上段に振りかぶりながら口を開いたのであった。

「生憎と、貴方達に物を差し出すためにここにきているわけではないの。さぁ、観念なさい!」



最終更新:2022年05月22日 11:12