『旧市街にて拡大する瘴気を警戒していた衛兵の制止を振り切り、少年と少女の奇妙な二人組が魔王殿へと向かっていった』
このような報告がハンス邸に持ち込まれたのは、ピドナ王宮で啖呵を切ってきたカタリナが今まさに魔王殿へ向け出発せんとする、その直前であった。
正直、衛兵としてはこれが大した報告だという意識はなかっただろう。ただ単に親切心で行った忠告を無視した犠牲者が二名増えるだけという、もののついでに近いような共有事項に過ぎない。
しかしその少年少女の外見特徴を聞いたカタリナ達は、ともすればこれから行う魔王殿攻略よりも二人の探索の方が重要だと言いそうなくらいには、軽い騒ぎとなった。
少年は、この辺りの地方では全く見かけない珍しい衣服を身に纏い、これまた近隣にはいない黒髪を頭の上で束ね、大剣サイズの細い武具を持っていたという。
対して少女は一般的なウール素材の衣服を纏い、長い栗色の癖っ毛を後ろにまとめ、その背には美しい弓を携えていた、とのことだった。
少女の特徴は大枠でサラと合致しており、そして少年側の特徴は、以前カタリナが魔王殿下層に向かう途中で会った少年のものと一致する。
ここまで特徴が揃っているとなると、二人の正体はほぼ想定通りだと考えていいだろう。
そうすると次に浮かぶ疑問は、なぜその二人が一緒にいるのか、ということだ。
一体この二人はいつどこで出会い、そしてどのような理由で行動を共にしており、今この大変な時にわざわざ魔王殿へ向かっているのか。
サラはパウルスの予言に記される八つの光の一人であり、少年も以前に聖王家で得た情報からすれば、八つの光と何らかの繋がりを持つ存在のはずだ。
であれば、二人はその予言に纏わる何らかの理由で魔王殿を目指している、と考えるのが妥当だ。
そして二人が目指す先にあるのは、四魔貴族が一柱である魔戦士公アラケスの座所と、最後のアビスゲート。
まさか、二人でそれらを如何にかするために向かっているとでもいうのだろうか。
無論その可能性も、全くないというわけではないだろう。しかし何故だかカタリナには、そう単純な理由ではないだろうという妙な確信があった。
あくまで理屈ではなく直感の類だが、カタリナはその前提で今魔王殿へと向かっている。それは果たして少年と初めて会った時の奇妙な印象が、彼女にそう思わせているのだろうか。
(もし本当にあの少年なら・・・会って、やっぱり確かめたい。あの時私に指輪を渡したのは、なぜなのか。そして彼は一体、何者なのか・・・)
陰鬱で重苦しい瘴気に侵されすっかり無人となったピドナ旧市街を抜けていく間、カタリナは外敵への警戒を怠らないようにしながらも、ずっとこればかりを考え続けていた。
自分が八つの光として様々な運命の奔流に巻き込まれる明確な切っ掛けとなった、謎の少年との邂逅。
その舞台に、彼女は帰ってきた。
もう一度、あの少年と会うために。
「・・・相変わらず、観光名所だなんて全然思えない場所ね」
見上げるその楼閣は、以前訪れた時の不気味さに更なる拍車をかけており、見る者を威圧してくるようだ。
人類を恐怖のどん底に陥れた魔王の時代を象徴する巨大な建造遺物、魔王殿。
そこから溢れ出す瘴気には太陽の光すらもが犯され、城の上空は禍々しく紅に染め上げられている。
「・・・しかし、また貴方と来るとまでは思ってなかったわ」
魔王殿の最上階へと続く特徴的な大階段を前にしながら、カタリナは己の左隣へ視線を向け、場違いにふっと微笑む。
その視線の先に居るのは、真っ直ぐに魔王殿を見上げている長身の男。トーマスだった。
彼はレオナルド工房から借り受けた聖王の槍を手にし、マスカレイドを帯剣したカタリナに並び立っていた。
「ふふ、同感です。今回もゴンの時のように、事なきを得られれば良いのですが」
昨年この魔王殿で起こった、最初の『予兆』。
その時にもカタリナは彼とこうしてこの場に並び立ち、かくれんぼではぐれてしまったゴンを探しにきたのだった。
あの時は共にシャールも居てくれたが、今回はミューズが連日の疲労によって臥せっているので、その看病についている。
「八つの光と言っても、聖王遺物のように強力な天術の性質を持つ魔導器を手にせねば、これほどの瘴気には耐えられないようですね。そう考えると矢張り、一般の軍ではアビスへの効果的な対抗策と成り得ないことが分かります」
トーマスは左手に聖王の槍を握りしめながらそういうと、空いている手でさっと眼鏡の位置を直し、意を決した様子で歩き出した。カタリナも、それに続いて長い階段を登り始める。
今回アラケス討伐の目的で魔王殿に赴くのは、カタリナとトーマスの二人だ。
元はカタリナ単騎で向かう予定であったのだが、直前にサラと思しき目撃情報が上がったことでトーマスが同行を強く希望し、結果二人となった。
因みにピドナには二人以外にもモニカ、ユリアンが戻ってきており、彼女らも同じく八つの光としての能力を有している。戦力としては、全く申し分ない。
だが手元にある聖王遺物で使用者と相性がいい武具が、マスカレイドとカタリナ、そして聖王の槍とトーマスといった具合であったのだ。
あとは聖王の鉄靴をカタリナが装着している他、栄光の杖、氷の剣、聖王の兜は魔王の斧と共にユリアンらに預けてある。銀の手は、無論シャールの管轄下だ。
なので今回は討伐兼探索隊を二名とし、他の面々と遺物は万が一カタリナらがアラケス討伐に失敗した時の、人類の切り札となる。
「手元に七星剣があれば、ユリアンも来られたのでしょうが・・・。かなりサラのことを心配していましたしね」
「そうね・・・七星剣だけは、あのクソ詩人が『取り戻したかったもの』として、神王の塔から持ち去ってしまったのよね」
「カタリナ様・・・本当にあの詩人殿のこと嫌いですよね」
ロアーヌ貴族にあるまじき直球の悪態を吐くカタリナにトーマスは苦笑いしながら返しつつ、次第に疲れとは別の感覚で足取りが重苦しくなっていくのをひしひしと感じながら、長い階段を登り続けた。
以前にゴンを探しにきた時とは明らかに異なる、異様なほどの瘴気の濃さと重苦しさ。
いくら聖王の槍を手にしているとはいえ、これほどの瘴気濃度内で活動するなどトーマスにとっては全く未知のことだ。その圧力は想像以上であり、如何に頭では平静を保とうとしていても、本能が異常を察知して強制的に緊張を強いてくるのが自覚できる程である。
だからこそ、彼には疑問なのだ。このような場所に、あの慎重なサラが不用意に立ち入るのだろうか、と。
脳内で幾度となく、同じ疑問が湧き続けている。
とはいえ現実に、恐らくサラだと思われる少女がこの先に向かったのだという。事実そうであれば、それは何かとてつもなく重大な理由があってのことなのだろう、というまでの想像は誰にだってつくのだ。
・・・そして。
その重大な理由とやらが、一体全体どのようなものであるのか。
実を言うとこの点についてもトーマスには一つ、見当がついてしまっていた。
それは彼としては絶対に肯定などしたくない、想像しうる限りで最悪の見当が。
「今更だけど、やっぱりサラ・・・なのよね」
「・・・報告の特徴から、可能性は非常に高いと思います」
恐らくは自分と似たようなことを考えていたであろうカタリナの呟きに、トーマスは視線を前に向けたまま返す。
「そしてあとは、その少年とやらがカタリナ様の言う少年と同一なのかどうか、ですね」
「多分・・・間違いないと思うわ。同じ外見的特徴の子が何人もいるとは思えないし、ランスで伺った話を鑑みても、八つの光であるサラとの接点はあるはずだしね」
あの時この場所で少年から王家の指輪を託されたことで、カタリナは八つの光としての驚異的な戦闘能力を最初に目覚めさせた。
その後にマスカレイドの手がかりを求めて聖都ランスを訪れた際、聖王家当代当主オウディウスが件の少年に何らかの因果を感じ取り王家の指輪を託したとの話を聞き、この時点でカタリナは少年も自分と同じく八つの光の一人なのであろうと仮定した。
しかし、後にミカエルがカタリナらと同じ指輪の記憶を見たことで、王家の指輪により何らかの変化を齎された人物が合計で九名となったのである。
これは立つべき光を八つ、と予言したパウルスの予知自体が外れたのか、もしくは少年が八つの光とは別の使命を帯びた、何者かであるのか。そうした二つの仮説が新たに誕生した。
とは言えども、カタリナが少年と会ったのはその一度きりだ。なので、これまでに立てられた仮説たちの真偽は、確かめようもなかった。
しかし今、その少年が因縁の魔王殿に戻ってきたというのである。しかも、行方不明となっていたサラと共に。
「・・・兎に角、先に進むしかないわね。目撃報告からそう時間は経っていないはずだし、もし二人がアビスゲートを目指しているとしても、魔王殿の奥に行くには封印された扉の鍵が必要になる。だから、そこまで行けば必然的に追いつけるはずよ」
階段を上り切ったところでカタリナが手に装着した王家の指輪を掲げながら言うと、それにトーマスも無言で頷く。
「・・・あ、カタリナ様ちょっと待って下さい。確か・・・」
トーマスは入り口からフロア全体を見渡しつつ記憶を手繰り寄せるように呟き、次いで左方向にある下り階段へ進もうとしていたカタリナの肩に手を置き、彼女を制止した。
「・・・??」
魔物でもいるのかと周囲に気を配り直しつつ、トーマスへ何事かと一瞬視線を投げるカタリナ。これに対しトーマスは、何故か階段とは反対側の方角を指し示した。
「確か、此方の方に魔王殿下層への転移用魔導器があったはずです。それで一気に下層まで跳べたかと」
「え・・・そうなの。私の記憶にはそんなのなかったけど」
「先日、似たようなものを見たので『思い出した』のです。恐らくはこれも、聖王様の時代の誰かの記憶でしょう。私たちが継承している記憶には、個々で相性というか、ばらつきがあるように思えますね」
そう言いながらトーマスは迷う様子もなく頂上広間を右に進み、崩れた床を飛び越え、角にある小さな部屋へと入っていく。
それについていったカタリナが小部屋を覗き込むと、はたしてそこには、鈍い光を発しながら鳴動する紋様の描かれた円形台座が置かれていた。
「これです。恐らく問題はないと思いますが、先ずは私が乗ってみます。異常なければ、カタリナ様も続いてください」
「分かったわ」
カタリナが応えるのを確認してから、ニコリと微笑んだトーマスは躊躇することなく台座の上へと足を踏み入れた。すると、一瞬の光と共にその場からトーマスの姿が掻き消える。
あまりに一瞬の出来事にカタリナは少し焦りの表情を見せるが、しかし考えてみれば魔王殿の地下にも転送装置があったことを今になって思い出す。ならばこれも問題なかろうと気を取り直し、ええいままよと呟きながら、自身も装置へと身を投げ出した。
「・・・・・・」
一瞬の光に視界が包まれ、暗転し、体に一瞬感じた違和感が消える。そして今度は、先ほどの小部屋よりもかなり暗い室内に自分がいることに、気が付いた。
「・・・問題なく転送されましたね。予想通り魔王殿下層のようです。私はここまでしか来たことがないのですが、カタリナ様はこの先へも行かれているのですよね?」
聖王の槍を構えながら周囲の警戒を行っていたトーマスは、カタリナが跳んできたことを横目で確認すると、何ら動じた様子もなく語りかけてくる。
自分は以前にも似たようなものを無我夢中の状態で使った経験があるからいいものの、やはりこのトーマスという男の胆力はシノンの一行の中でもずば抜けているなぁと、カタリナは改めて思うのであった。
「えぇ・・・馬鹿でかい通路を抜けた先に小さな中庭と、その先に玉座の間があったわ。その最奥に、アビスゲートへの道を封じた扉があるの」
そう言いながら転送装置のある小部屋を出ると、そこにはカタリナの言葉通りに広々とした大通路が奥まで続いている。
改めてその巨大な空間を上下左右に見渡すと、明かりも乏しく視界が悪い中、はるか頭上にある天井までを貫く何本もの支柱が、まるで肋骨のようにも見えてくる。基本的な調度デザインの悍ましさも手伝ってか、そこが魔王殿という巨大な魔物の腹の中であるかのような錯覚にさえ襲われる。
そんな錯覚の次には、その腹の中にあるはずのものがない、という明確な違和感に、二人とも早々に気付いた。
「・・・魔物が、全く居ない・・・?」
「・・・いない、わね。以前私が来た時はこの辺りなんて大型種も含めた魔物の巣窟で、進むのにかなり苦労したのだけど・・・」
そこは相変わらず精神に異常を来たしそうな程の瘴気が幾重にも渦巻いてはいるものの、それを好むはずの魔物が居ないという静寂の空間だった。
瘴気の増加と共に魔物の目撃情報も多くあり、それらは魔王殿内部から瘴気と共に発生していると考えられていた。しかしどうやら、そうではないということなのだろうか。
(まるで、招かれているかのようね・・・)
一応の警戒は怠らぬようにと武具を手にしながら二人は慎重に進んでいくが、やはり物陰にもなにも動く気配はなく、そのまま二人は何者にも遭遇せず大通路を抜け、四方を壁に取り囲まれた小さな庭園へと出る。
「・・・何者かが魔物と戦った、という形跡すらもありませんでしたね」
「そうね・・・。でも、この先にいるのは間違いなさそうよ」
そう言いながらカタリナが視線を足下に落とすと、そこには所々石畳から浮き出た泥濘にくっきりと残る、真新しい足跡が二人分あった。
「・・・二人も、この先に向かったということですね。行きましょう」
同じく足跡を確認したトーマスが小走りで進む後に、カタリナも続く。
先ほどと同様に警戒を怠らず再び建物内へと踏み込んだ二人であったが、結局玉座の間にも魔物の気配は一切ない。
なんら障害なく二人が辿り着いた魔王殿地上部の最奥にあるのは、六百年の昔に栄華を誇った恐怖の代名詞、魔王の玉座。
魔王がここに座し世界に君臨したのは、長くても歴史上の僅か数年程度であった、とされているのが通説だ。
聖王記にも詳細な記述がないのであくまで仮説の域を出ないが、魔王軍と実際に交戦したとされるゲッシア王朝黎明期の記録や、魔王台頭時代のものと思われる僅かな手記群の記述内容等を照合する限り、そういうことになるとされているのである。
しかし人々には、魔王というものは本能的な恐怖を呼び起こす程に恐ろしい存在として今も深層心理に刻み込まれている。
それはたかだか数年では説明がつかない程の、圧倒的な恐怖。
そうした魔王の滞在時期に関する謎に加え、この魔王殿という巨大な建造物が「建設中記録の一切ない状態」で突如として歴史上に現れたという謎。これは未だ全く、解明の糸口さえ掴めていないのだという。
このように魔王や魔王殿を取り巻く謎というものは古今東西に多く残されており、尽きることがない。
そして、そうした魔王や魔王殿に関する謎の中でも常に最大の関心を集めてきたもの。
それこそが魔王殿の最奥、玉座の裏にひっそりと佇む、封印の扉なのだ。
その場所に漸く辿り着いた二人は、眼前に広がる光景に大きく目を見開いた。
「・・・何、これ・・・」
その場にいることを期待していた、少年とサラの姿は何処にもなく。
それどころか、この場にあらねばならないはずのものすらも、そこには無かった。
かつて封印の扉があった場所は周囲の壁ごと完全に破壊され、無惨に崩れ落ちていたのだ。
「聖王遺物による封印が、壊されている・・・こんなことって・・・」
「歴史上・・・聞いた事がありません。聖王様によって遺された奇跡はこれまで絶対不変でしたが・・・それを上回る力が行使された、ということでしょうか・・・」
扉があった場所の壁周りには大きく抉られたような跡があり、何らかの衝撃で吹き飛んだと思われる破片は、奥で弱々しく鳴動する転送装置の周辺へと散乱している。
「・・・破片の散らばり方からして、こちら側から力が加えられたようです・・・まさか、サラと少年がこれを・・・?」
「・・・・・・」
無惨に崩壊した封印の扉跡地を前に、カタリナはしばし無言で顎に指を添え、考えを巡らせる。
四魔貴族とアビスゲートを封印するために施された、聖王遺物による強固な封印の扉。それが生半可な力で壊れるなどとは、全く考えられない。
アビスの瘴気をすら封ずる扉を破壊する程の何かが少年とサラにあるのだとしたら、それは一体何だというのだろうか。
例えばサラは聖王遺物の一つである妖精の弓を持っているはずだが、カタリナの中にある過去の記憶を辿る限り、あの弓にはこれほどの破壊を齎す威力は内包されていない。
そうすると、サラがこれを行ったとは考え辛い。
しかし、他に聖王遺物や魔王の斧以外でこれほどの威力を持っていそうな武具は、記憶の限りこの世に存在していないはずだ。
そうなれば少年にも、こんな芸当を行うことは不可能なはずである。なにしろ、その他ほとんどの聖王魔王遺物はカタリナらが保管しているのだから。
他の可能性だと海底宮でウンディーネらが紡いだ古代の合成術あたりだが、この場にはアビスの瘴気ばかりが色濃く漂っており、天地六術式を起源とする力が行使された気配は全く感じられない。
天地六術式は、使えば必ずその場の地相に痕跡が残るのだ。それがないということは、術の行使ではないということになる。
となるとここまでの結論としては、既知の経験や聖王の時代の記憶からは全く予測のつかない何らかの力で扉は破壊された、ということになろう。
あまりに得体の知れないこの状況に、カタリナは軽く身震いした。
「・・・考えても答えは出ないわね。なら、先へ進むしかないわ。この先は迷宮みたいな場所だけど、そこで二人が迷ってくれるとも思えない。急ぎましょう」
「・・・はい」
何とか己を律し、破壊された扉の跡を潜って転送紋へ歩みを進める。
以前はここに瘴気を中和していた再生の光があったが、それも破壊の影響なのか吹き飛んでしまったようだ。
カタリナは、足元の転送紋章へと視線を落とす。
この地獄への門、もとい転送装置に乗るのは、二度目になる。
この先には赤黒く鳴動を繰り返す半永久機関で作られた回廊があり、その奥には漆黒の空間と禍々しい白光紋章。そこら中に渦巻く死蝕の如き瘴気と、無限にその根源を吐き出すアビスゲート。
それらの前に佇む、強大なるアビスの魔神。
全てが、まるで昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。いま思い返しても、身震いするほどに恐ろしい記憶だ。
だが、今あの場所にあるものは、その記憶をも超えるもっと恐ろしい「何か」であるような気がして、ならない。
いや、最早それは殆ど確信として、彼女の中で確固たるヴィジョンを持とうとすらしている。
(・・・今は、行くしかないわ。私がこのマスカレイドで必ず、今度こそアラケスを討つ。そうすれば八つの光としての使命も終わり、世界は少なくとも向こう三百年の平穏を得るはず・・・その他のことは、後からどうにかすればいい・・・)
それ以上のことは、今は考えるまい。
そう己に言い聞かせ、カタリナは軽く頭を横に振る。
覚悟と不安とで昂る気持ちを落ち着けるかのように深呼吸を一つすると、カタリナは地下回廊へと一歩を踏み出した。
カタリナらが玉座の間の裏を通ってから、暫しの後。
静寂に包まれていた玉座の間に不躾に踏み入る、二つの影があった。
その影たちは破壊された封印の扉跡を一瞥すると、躊躇なくその奥の転送装置へと歩を進める。
同じ頃、カタリナらの無事を祈る者たちは各々の窓辺から暗雲立ち込め始める空を見上げ、これから世界に訪れる運命の瞬間を、静かに待つ。
魔王殿上空で禍々しく渦巻く赤黒い雲が幾重にも重なり、陽が落ちたことで周囲の瘴気は一層我が物顔で地上へと溢れ出しながら、その濃度を煮詰めていく。
やがて、まるで内側の赤子に蹴られて胎動するかのように、魔王殿全体が僅かに震え出した。
世界は、そこから「何か」が目覚めんとしていることを感じ取り、静かにそれを待ち焦がれる。
それは魔王でも聖王でもない、新たなる可能性。
それは魔王にも聖王にも成し得なかった、永き遠き宿願の結実。
その時は、もう間近にまで迫っている。
最終更新:2023年10月11日 14:38