「行くのね、カタリナ」

 マスカレイドがカタリナの手からミカエルへと返上された、その翌日。
 ロアーヌ宮殿を背にして振り返らずに去ろうとしたのも束の間、あっさりとその決意を一旦反故にしたカタリナは、自分を呼ぶその声にくるりと振り返る。
 そこにはドレス姿で居住まいを正したモニカと、その隣にこれまた正装のユリアンが立っていた。
 一年半前の時と同じく再び旅装束で、今度こそもう戻れぬ覚悟を胸にロアーヌを去ろうというカタリナに対し、しかしモニカはあの時のような驚きと悲しみの表情は見せない。
 突然に訪れた別れと違って、カタリナがこれから為さんとしていることを、ちゃんと彼女は知っているからだ。
 此度はそういう事をしっかりと話す時間があってから別れられることを、カタリナはとても幸運なことだと思う。

「はい。お約束していたお二人のための口添えが出来ず、申し訳ありません」

 言うほど心配している訳では無いが、それでもカタリナは約束が果たせないことに対してペコリと頭を下げて謝罪する。それを見たモニカは薄っすらと微笑み、ゆっくりと首を横に振った。

「いいえ。もうわたくしも子供ではありませんから、カタリナの助けがなくとも、これから自らが進むべき道は、自らの手で切り開きますわ。ね、ユリアン」
「モニカの言う通りです。俺はまだまだ頼りないかも知れないですけど、モニカと二人なら絶対に大丈夫です。なのでカタリナ様はどうかご安心して、為すべきことへ進んで下さい」

 言いながら微笑むモニカの表情は、すべての始まり、あの嵐の夜に見せた決意の表情にも勝る、実に頼もしいものだった。
 側つきの侍女として以上に実の妹のように彼女を大切に想ってきたカタリナからすれば、その成長は頼もしいと同時に、一抹の寂しさも感じるものではある。
 しかしそんな感情など全くお構いなしに、あらゆるものは、変わらずにはいられない。
 その事実を、これまでの旅の中で嫌というほど彼女は感じてきた。
 ときにはこの事実に対して絶望に近い感情を抱いたこともあったが、今は前向きに受け入れようと思えている。そんなカタリナからすれば、モニカのこの変化は間違いなく喜ぶべきものなのだ。

「カタリナ・・・貴女のこれからの旅がどのような結末を迎えようとも、貴女の帰るべき場所はずっと、このロアーヌよ。それだけは忘れないで」
「モニカ様・・・ありがとうございます。ユリアン・・・モニカ様のこと、頼んだわよ」
「お任せ下さい、カタリナ様」

 ユリアンの瞳にある光もすでに、初めてロアーヌ宮殿謁見の間で会ったときの可能性だけの光ではない。モニカと苦楽を共にし、己が飛び込んだ運命の中で守るべきものを守り通さんとする、強い意志の宿った光だ。
 これなら、安心して最愛の妹を任せることが出来る。

「・・・それでは」

 最後に短く別れの言葉を告げたカタリナは、今度こそ宮殿を背に、ロアーヌの城下町へと歩いていく。
 その背中をじっと見つめながら笑顔で見送ったモニカは、やがてカタリナの背中が見えなくなると、すぅっと大きく息を吸い込んだ。
 そして限界まで吸い込んだ息を少しの間止め、細く長く、ゆっくりと吐き出す。

「・・・次はわたくし達の番、ですわね。ユリアン」
「あぁ、そうだな。しかし・・・なんて言われるかなぁー」

 先程までカタリナに見せていた力強い表情とは打って変わり、どうにも頼りなさげに首を横に傾けながら、ユリアンはこの後の展開を思うと胃痛でもするのか、片手でお腹を擦りつつ呟いた。

「不敬罪で打首、とかならなきゃいいけど・・・」
「まぁ、ユリアンったら。大丈夫、お兄様はそんな事はいたしませんわ。あっても精々、鞭打ち程度ですわよ」
「いやいやモニカが言ったら冗談にならないって・・・!」

 くすくすと笑うモニカに、半泣きの苦笑いで返すのが精々のユリアン。
 そうして二人はしっかりと手を握りながら、宮廷の中へと戻っていった。





 カタリナがロアーヌを去ってから、数日後。
 忙しなく政務をこなしながらも空いた僅かな時間で、ミカエルはモニカとユリアンを謁見の間へと呼んだ。
 その表面上の目的は、改めて遭難からこれまでの経緯を御前報告させるため。
 とはいえ、それはあくまで形式的な話にすぎない。
 そもそも既に大方の状況を把握しているミカエルとしては今さら詳細な報告の必要などなく、その実は単にユリアンの労をねぎらうための場を用意したに過ぎなかった。

「ユリアン、モニカを良く守ってくれた」

 モニカはミカエルの側に立ち、ユリアンだけが玉座に座るミカエルに対して拝謁する形で、ユリアンに声をかける。
 一応世間には公表していない事実も今回の件では多分に含まれることから、その場は人払いがされており、室内に居るのはミカエルら三人だけであった。

「お前が昨年の遭難以降ずっとモニカを傍で支えてくれていたことは、メッサーナベント家からの報告でも聞き及んでいる。その功労への褒賞以前に、先ずはモニカの兄という立場から、改めて礼を言わせてくれ」
「そんな・・・ミカエル様、滅相もございません。俺は・・・自分が正しいと思ったことをやっただけです。それに、誰よりも一番頑張ったのはモニカ・・・様、です」

 ユリアンはしっかりとミカエルを見つめ返しながら、最後以外はしっかりと喋り通す。
 言っていることは全て彼の本心であり、何も偽りはない。しかしモニカ、で一瞬止めてしまったことはちょっと不自然だったかな、と内心では焦ってしまい、すぅっと冷や汗が頬を伝う。
 一方、モニカはモニカでミカエルの脇に立ちながら、片時も目を離さずミカエルの表情を窺っていた。
 敏い兄が、他愛のない会話一つ一つからでも多くの情報を得る事ができるということを妹はちゃんと知っている。だからこそ、先程のユリアンの言い淀み時にミカエルが素早く二回ほど不自然な瞬きをしたのを、モニカは見逃さなかった。
 これはもう、大凡を推察されたと考えていいだろう。兄ならば、そこまで読むはずだ。
 となれば、下手に様子を見ながら話を持っていこうとする必要もないだろう。
 そう確信したモニカは覚悟を決め、徐ろに半歩だけ歩み出てミカエルに向き直り、淀むことなくはっきりと告げた。

「お兄様、わたくし、ユリアンとずっと一緒にいたいと思います」

 しん、と謁見の間の空気が静まり返る。
 ミカエルは少しだけ顔をモニカに向け、彼女の表情を確認する。モニカの表情には何一つ気後れなど感じさせない、ただただ強い意志の宿った笑顔がある。
 全く、この意志の強さは一体、誰に似たというのだろう。
 そんな事を考えながら、次いで自分の前で頭を垂れているユリアンへと視線を投げかける。
 足元のレッドカーペットへと視線を落としてやり過ごす事も出来るだろうが、しかしユリアンは今それは不要だと判断したのか、ミカエルの視線を正面から受け止めた。
 彼の表情もまた、迷いらしいものは微塵も感じられない。ともすればモニカ以上に強い意志の力を感じさせる、そんな瞳でミカエルを見返している。
 その両者の様子を確認したミカエルは、微動だにしないまま、一つ息を吐いた。

「身分が違う」

 短く、一言だけ告げる。
 そう。モニカとユリアンでは、明らかに身分が異なる。
 身分の違いというものは、時に様々な場面で貴族社会にとって騒動の種になり得る問題であるが、ことアウスバッハ兄妹にとり、それこそこの問題は全く他人事ではないのであった。
 ミカエルとモニカの兄妹は、先代侯爵フランツと平民出の側室との間に生まれた子供だ。
 貴族出身の正妻との間に子を成せなかったフランツの後継として幼少期から宮廷で過ごしたミカエルとモニカの兄妹であるが、その日々はお世辞にも順風満帆などとは言えないものだった。
 平民の血筋を嫌う貴族というのは、一定数居る。というか、大抵の貴族は血筋に誇りを持つのが普通であり、生まれながらに貴族と平民とは異なる存在なのだと自然に認識している。
 そこにあるのは差別意識というより、誇りなのだ。
 なので身分の差とは、必要以上に相容れない限りは問題になることはない。貴族は平民を守り導くことを己の使命だと考えているし、その代わりに平民から税を徴収するものだ。
 だがそうした世界にあって貴族と平民という『異なる存在』が交わり生まれた子供が次期侯爵、つまり貴族の筆頭などとなれば、そこに反発が起こるのもまた必至だった。
 結果、アウスバッハ兄妹は幼い頃から迫害を受け、更には直接的に命を狙われることも度々あった。
 ミカエルはそうした、身分の違いという問題に直面した存在の生き辛さというものを、誰よりも解っている。
 だから彼の短い一言には、それら様々な思いまでもが込められているのだ。
 だが、しかし。
 ミカエルは再び、モニカを見つめる。
 モニカは、ただ一人の大切な、血を分けた兄妹だ。彼と彼女は、同じ運命の中にある。
 もしミカエルの身に何かあったならば、モニカは必ずその後を追うことになるだろう。それは本人が望む望まないに関わらず、そうなる運命なのだ。
 その確信があったからこそ、ミカエルはモニカをその呪縛から放つための凡ゆる可能性を、水面下で模索した。そして最終的に、血筋を尊ばないツヴァイク公国へモニカを嫁がせるという判断を下した。
 だが最愛の妹は、あろうことか己の意思で彼の元に戻ってきた。しかも幼少の頃より自分たちを苦しめてきたロアーヌという国の中で生きる覚悟を、その胸に秘めて。

「お兄様」

 自分を見つめるミカエルに対し、モニカは胸の下で組み合わせていた両手を解き解いて、右の手を自らの胸元へと当てがった。

「これまでわたくしを大切にしていただき、本当にありがとうございます。感謝してもしても、しきれません。わたくしは今回の旅路で外の世界に沢山の学びを得て、そして改めてお兄様と共にありたいと思いました。ですから、これからはわたくしにも微力ながら、お兄様の手助けをさせて頂きたいのです。わたくしは必ずや、お兄様のお役に立ってみせますわ」

 そのモニカの言葉を聞いて、ミカエルは大凡のことには勘付いていながら、それでもやはり驚かずにはいられないでいた。
 モニカは自分とカタリナの庇護のもと、あまり不自由なく過ごしてきた娘だ。
 基本的に考えを口にすることの少なかった先代侯爵の父に代わり、幼い頃からモニカの保護者を自負してきたミカエルからすれば、いつまで経ってもモニカは世話の掛かる妹なのだ。
 だというのに、今その妹が、自分の手助けをしたいのだという。
 それも単なる気持ちだけではなく、確かな力と強かな展望を持った上で。

「・・・・・・ふっ、よかろう」

 それは、ミカエル自身も選択肢の一つとして考えていたことだ。確かに今の状況なら、モニカの望みを叶えるのは十分に可能な状況である。
 ただしそれは同時に、この先できっと様々な苦労を彼女らに課すことにもなるので、望まぬならばそうせずともいいのではないか、とも考えていた。どういう着地になるにせよ、ミカエル自身がその時の最善手を打てばいい。それだけだと結論付けていたのだ。
 だが、こうして当人が望むのであれば、最早この選択を躊躇う必要はなにもないのだろう。

「・・・ユリアン」

 これまで視線を一切振らすことなく、自分を一心に見つめていた男の名に呼びかける。
 ユリアンがその声に応えるように僅かに首を垂れると、ミカエルはゆっくりと立ち上がって数歩前に進み、そこからユリアンに向かって右手を掲げた。

「汝を男爵に任ずる。ロアーヌのために更なる働きを期待するぞ」

 その言葉にユリアンは瞳を大きく見開き、再度ミカエルを見つめる。
 ユリアンの瞳の中にある輝きは更に増し、その力強い光は我が最愛の妹を必ずや生涯守り通すことだろうと確信させるに、十分なものだ。

「これで身分の違いはなくなった。あとは、お前たちの好きにしろ」

 そう言ってミカエルは踵を返し、再び玉座に深く腰掛けた。

「お兄様!ありがとうございます!」
「ミカエル様・・・」

 深々とミカエルに向かい頭を下げるモニカと、それに習って深く頭を垂れるユリアン。
 ミカエルは短く二人を交互に見ると、ふっと笑いながら目を閉じた。

「以前とは事情が異なり、お前たちは二人ともが八つの光という、聖王教会における聖人相当の存在だ。その聖人同士が婚姻を結ぼうと言うなら、ツヴァイク公国とてあまり事を荒立てられまい。あくまで、二人を我が国で庇護するのが最も国益に利すると考えたが故の判断だ」

 それに、とミカエルはユリアンを見下ろしながら続ける。

「我が国の貴族院としても、そのような存在を平民としておくより、身内として迎え入れる方が良いと考えるだろう。爵位を与えるには、十分すぎる理由だ。つまりこれは、それらを加味した至極合理的な選択に過ぎない。故に、必ずしもお前たちのためというわけではない」

 モニカは敬愛する兄の言葉を聞きながら、思わず左拳をぐっと握り締めた。

(お兄様、それは典型的なツンデレというものですわ・・・!)

 旅の間に毒された思考が抜けないモニカは、ミカエルのお約束のような台詞で場違いな悦に浸りながら、ゆっくりと玉座の側を離れてユリアンの脇に立つ。
 そして、ユリアンに並びミカエルに向かい合った。

「それではお兄様・・・わたくし早速ですが一つ、是非とも着手したいことがあります」
「ふむ・・・申してみよ」

 改まった様子のモニカの申し出に対し、ミカエルが何事かと先を促す。
 正直モニカがユリアンと共にこのロアーヌに留まるのならば、八つの光としての権威を様々な場面で周囲に示してもらうというのが最も重要な政務になる。外交上でも、それは非常に有用な役割となるだろう。
 それ以外では、国内の面倒な政の調整などに付き合わせることになるくらいがミカエルの中の想定だ。
 だがどうもモニカが考えていることは、もっと別の物事らしい。

「どうかわたくしの直轄領地として、開拓地シノンをお与え下さいませ。わたくしはそこから更に東・・・聖王様すらも復興を断念した、彼の見捨てられた地を切り開くお役目を、賜りたく存じます」
「見捨てられた地を・・・?」

 見捨てられた地。
 それはロアーヌより更に東方に広がる、六百年の昔に魔王により壊滅的な被害を受けて荒廃した、草木の殆ど生えない不毛地帯の俗称だ。
 三百年前には四魔貴族討伐を果たした後の聖王が視察遠征を行い、高濃度の瘴気に汚染された荒野や瘴気に塗れた腐海を見て、流石に復興を断念したという逸話が聖王記にも残されている。
 その見捨てられた地をこの妹は、自分に任せてほしいというのだ。

「・・・・・・」

 ミカエルは、押し黙った数瞬の間に様々な考えを巡らせた。
 ロアーヌが他国併合以外で版図を広げるには、確かに東へと開拓を進める必要がある。
 なにしろ国土の南方は長大なるエルブール山脈が立ち塞がり、西はヨルド海に面し、そして北はポドールイ地方と関所で明確に区切られている。
 つまり、東以外は広げられる場所が存在していないのだ。
 そのためにロアーヌ東方に開拓村シノンがあり、そこから版図を広げようとしている。
 だがその先には、聖王すらが諦めたという見捨てられた地がある。故に遠くない将来、シノンでの開拓は限界を迎えるであろうことは分かっていた。
 その為の対策は国家として当然すべきことだが、他にも優先すべき課題が多々ある中で、未だミカエルも着手できないでいる問題でもあった。

「何故、態々お前があの地を目指す。その理由はなんだ」
「理由は、ただ一つ。わたくしは彼の地に十分な可能性を見出しているから、ですわ」

 そう言ってのけたモニカの瞳には、先程から全く変わらず強い光が宿っている。彼女は本気で、見捨てられた地の開拓が可能であると確信しているようだ。
 当然他にも、この国を豊かにする方法はいくらでもある。だがその中でモニカが自らそれを選ぶのであれば、敢えて異を唱える必要もあるまい。

「・・・よかろう。シノン及び東方開拓をお前に一任する。思う通りに進めてみるがいい」
「ありがとうございます、お兄様」

 ミカエルが浅く頷きながら応えると、モニカは満足げな微笑みを浮かべ、そしてユリアンの手を取った。

「それでは・・・行きましょう、ユリアン」
「あぁ、行こう、モニカ!」

 仲睦まじい様子で、一礼して謁見の間を去る二人。
 その二人の背中を見送り一人その場に残ったミカエルは、珍しく姿勢を崩して玉座の肘掛けに頬杖をつき、なにか肩の荷が一つ降りたかのような気持ちと共に、細く長い息を吐いた。
 とはいえゆっくりと感傷に浸っていられるほどの時間的猶予はないゆえ、その息を吐く僅かな間だけ、脳裏に思い起こされる日々を思い返す。

(・・・ふっ、柄でもないな)

 そう思いながら笑みを浮かべ、ミカエルは姿勢を正す。
 そして次にはすっかり無人になった謁見の間で、先程までユリアンが跪いていた場所を見つめた。
 だがミカエルがそこに見ているのはユリアンではなく、先日そこで自分に別れを告げ去っていった者の姿だ。

「・・・私は、私の為すべきことを成す。それだけだ」

 そう呟いてからミカエルは立ち上がり、積み上がった政務を行うために自室へと戻っていった。






「ポドールイといえば、毛皮で有名なミハイルの本店はマストでチェックね。丁度毛皮のコートを新調したかったから、今から楽しみだわ」
「妹のアンナが以前、研究素材としてポドールイからマンドラゴラを少量仕入れたことがありましてね。現場ではマンドラゴラをどう採取しているのか気になっていたので、機会があれば是非ともこの目で見てみたいものです」
「・・・・・・」

 ロアーヌからポドールイ地方へと向かう、小さな駅馬車の車内。
 ミュルスとロアーヌを繋ぐ大街道に比べて少々荒い道のりを馬車に揺られながら、カタリナは目の前で好き勝手に喋る二人、教授とヨハンネスを交互に眺め、何故自分はこの二人と旅路を共にしているのだろう等と無意味なことを考えていた。

『待っていたわ。さぁ行きましょう?』

 それは、カタリナが旅の準備を整えるために城下町で買い物を終え、駅馬車乗り場へと向かった先。
 まるでそこでカタリナを待ち伏せしていたかのように(というか待ち伏せしていた)、道の真ん中に仁王立ちしていた教授から放たれた言葉だった。
 欠片も意味が分からず教授の前で立ち尽くすカタリナと、なんの疑問を挟む余地もないという表情でカタリナを見つめる教授。
 その教授の脇に控えていたヨハンネスが解説してくれたところによると、こうだ。
 やはりアビスゲートの調査結果を報告した所、調査で得られた情報は秘匿徹底の上で調査活動の一時停止、チーム解体が言い渡されたとのことだ。
 そのまま流れるように調査の報酬を受け取った二人は宮廷から放出され、晴れて自由の身となった。
 の、だが。

「何も教授たちまでポドールイに行くこと、なくない?」

 思い思いに目的地へと思いを馳せる二人に、カタリナは半眼で声をかける。
 しかし、彼女の言葉の真意は二人には届かない。

「あら、旅は道連れ世は情け、っていうでしょう。それにお目当てのものが届くのをラボで待っているだけより、こっちのほうがずっと刺激的だわ」
「それは私も同意見です。いち早くあの構想を実現させるならば、同行するのが何よりだと思います」
「そりゃそうかもしれないけど・・・」

 これでもカタリナは、最愛の祖国を二度と戻れぬ覚悟で後にした身だ。しかも、この旅は世界の平和を脅かすかも知れない、大罪とも捉われかねないものでもある。
 なのでなんかこう、今までの振り返りも兼ねつつ少しくらいは静かに一人で感傷に浸りながら旅をするのも悪くないかな、なんてちょっと思っていた矢先なのである。

「そもそもツヴァイクからポドールイへの関所は、認可商隊以外の通行が基本的に禁じられているのだもの。中々行ける場所じゃないから、こういう機会は利用するべきだわ」

 カタリナの思うところなどどこ吹く風で、教授がそう続けた。
 確かに教授の言う通り、ツヴァイク公国とポドールイのレオニード伯爵領との間には、幾つも堅牢な関所がある。その関所は主要な街道全域で両国を完全に分断しており、厳しく通行が制限されていた。
 それらはツヴァイク側の一方的な規制によるものだが、かといって長い歴史を他国に頼ることなく永らえてきたポドールイにとってはさしたる影響もなく、長らくその状態が放置されたままだったのだ。
 つまりポドールイ地方に向かうには、ロアーヌ経由で北上するしか道がないのである。

(そういえば、エレン達はそんな大回りしてられないって真っ直ぐツヴァイクへ向かったようだけれど、大丈夫かしら・・・上手く合流できるといいけど・・・)

 最早目の前の二人に対して何を言っても聞かなそうだなと思ったカタリナは、馬車から見える空をふと見上げながら、ピドナで別れたエレンたちへと思いを馳せる。

「・・・ポドールイ、か」

 現在発行されている地図の最も北東に位置する都市国家、ポドールイ。
 他国には全く類を見ない特殊な環境にあるその街を懐かしげに思い浮かべながら、カタリナは馬車に揺られていった。






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最終更新:2023年12月31日 16:26