「ざッけんじゃないわよ!!」

 ニス塗りで丁寧に磨き上げられた分厚い木製カウンターを、あわや割ってしまうのではないかという勢いで振り下ろされた、固い握り拳。そして、ドゴンッという重苦しい衝撃音。からの、エレンの怒号。
 北の大国ツヴァイク公国首都でも随一の売上を誇る大箱パブ、ツヴァイクホールに響き渡ったその怒声は、闘技場目当ての荒くれ者が集まることで有名なこのパブの客ですらも思わず驚き振り返るほどだった。
 しかし、注意したいだろうに可哀想にもすっかり怯えて行動に移せない店員の代わりに、やおら大人の余裕を漂わせる声がエレンにかけられた。

「ちったぁ落ち着けよ。いちいち怒鳴っても仕方ねぇだろうが」

 荒ぶるエレンを宥めるようにそう諭したのは、意外にもブラックだった。
 これはブラック本人にとっても中々意外なことであったが、どうやら彼は老齢のような期間を十年ほど過ごしたことで、以前の喧嘩っ早さがすっかり身を潜めたらしい、ということを自覚していた。
 とはいえ、その間であっても小指の爪の先程もフォルネウスに対する憎悪は鈍らなかったので、芯となる強固な意思は不変なのだ。逆にそういった自分の芯を堅持するためにも、他のことに対しては無駄に熱くならなくなった、というのが正解なのかも知れない。
 何にせよ余裕のある海の男というのは悪いコンセプトではないので、ブラックは存外自分のそうした変化を楽しんでいた。

「でも時間がないの。関所を押し通るしかないわ」
「だからやめろっての」

 まるで聞き分けのない子供のように我を曲げないエレンを尻目に、ブラックはツヴァイク特製のラガービールを喉に流し込みながらツッコミを入れる。
 普段の彼はラガーよりエール式のビールを好むのだが、流石にラガーの本場ツヴァイクに来てこれを飲まない手はない。ツヴァイクのラガーは、他国流通品よりも非常に喉越しがいい。これはこれで流石に美味いなぁ、などと感じながら、エレンの怨念ひしめく愚痴を適当に受け流していた。

「通行許可が出ないとなると、あと考えられるのは認可商隊に同行するとかだろう。だが、それはそれでハードルが高そうだな・・・」

 ブラックの隣でこちらもビールを傾けながら、相変わらずマスク姿のロビンが呟く。彼のトレードマークたるアイマスクスタイルは行く先々で少なからず奇異の視線を向けられるが、流石に一行はそんな視線にも慣れてきた感があった。
 因みに、意外にも酒好きのブラックに負けず劣らずロビンもツヴァイクビールをかなり真剣に味わったり、カウンター内の設備の様子やバーテンダーの動きを頻りに気にしている。ひょっとしてそういうの自体に興味があるのだろうか、などとブラックは思う。

「・・・・・・」

 ロビンの更に隣、カウンター席の一番端に座った少年は、目の前に出されたミルクをじっと見つめたまま、相変わらず無言でいた。
 突然魔王殿からカタリナらと共に帰ってきたこの少年のことは、正直なところ未だによくわからない。聞くところによればこの少年が世界の命運を左右する宿命の子とやららしいが、ブラックにはとてもそんな大層な人物には思えなかった。
 だが、少なくとも少年の瞳にはどこか危うげながらも、揺るがぬ意志の光が宿っている。
 そういう光を持っている奴は、まぁ多分、大丈夫だ。ブラックは己の経験則から、それを識っていた。だから、この期に及んでこの少年についてああだこうだと言うつもりは毛頭ない。

「・・・ま、焦るのはわからねーでもないが、ちっとばかし待つってことも覚えるんだな。目先ばかりを見て焦って悪い潮目を引いちまうと、うっかり暗礁ってのが相場だぜ」

 ブラックはエレンに向けてそう言いながら、あくまでマイペースにグラスを傾ける。

 魔王殿でアラケスとの死闘が終わった後、モニカらが急遽ロアーヌへと帰る日の、早朝。
 モニカらよりも一足早くピドナを発ったエレン一行は、その数日後にはツヴァイク入りを果たしていた。
 そのままエレンたちは最短ルートでポドールイへ向かおうとしたが、かくして、そこで親切なツヴァイクの門番に必死に止められたのであった。
 門番曰く、ツヴァイク領とポドールイ領の間の関所は現在封鎖されており、無許可の通り抜けは重罪に問われる、と。
 しかし実のところ、それ自体はピドナで既にトーマスから聞いていたことであった。その上でエレンは、以前ハリードらと共にシノンからポドールイまで徒歩で抜けた経験があるので、細い山道などに入り込めばなんとかなるだろうと読み、意気揚々とツヴァイクへ赴いたのだった。
 しかしエレンたちを止めてくれた門番によると、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
 先ずツヴァイク-ポドールイ間の関所は防衛線を兼ねていて数が多く、主な山道は全て網羅されている。そして関所間の境界線を人間が通ると、何故か最寄りの関所に越境が分かるようになっているのだという。これによりポドールイ方面への無断通り抜け、及びポドールイからの密入国者はその全てが国境警備隊に捕縛され、厳罰を受けることになるのだそうだ。

「越境探知のために、西の森に住むといかいう天才教授が作った魔導器を使ってるっつってたな」
「教授・・・あの術戦車を作ったとかいう人よね・・・」

 以前ランスでカタリナと合流した際に術戦車を実際に見たエレンは、その常識から逸脱した技術力だけは目にしていた。
 なので、越境が確実に暴かれるというのは本当なのだろうということは、何となく想像できる。そして先ほどからブラックの言うことも、勿論分かる。
 しかし、だからといってここまで来て突破口なく動けないなんていうことは、絶対に認められない。
 最悪、例えツヴァイクという国自体を敵に回すことになろうとも、エレンは絶対にポドールイへ行く覚悟であった。
 とはいえ、それでサラを救出するという目的が阻害されてしまっては元も子もないのも事実。それくらいは流石に分かっているので、エレンとしても即座に強硬手段に踏み切ることができずに悩んでいたのである。

『な・・・なんだこいつら・・・!?』
『見世物小屋かなにかか・・・?』

 答えの出ない迷路に迷い込んだエレンが苛立ちばかりを募らせていたところに、突如ツヴァイクホール店内が異様なざわつきと、少し冷んやりとした空気に包まれた。
 そのざわつきの震源は、どうやら店の入口のようだ。
 最奥のカウンター席にいたエレンたちは一番最後にそのざわつきに気付き、何事かと視線を向ける。
 するとそこには、確かに誰もが声を上げて驚きそうな様相の、いかにも個性的な二つの人影が入店していた。
 そしてその二つの人影を、なんとエレンはいずれも見知っていた。

「え・・・ウォード、ゆきだるま!!」

 エレンが思わず、彼らの名前を叫ぶ。
 すると、その声に反応して店内中の客と共に二つの人影がエレンの方を向いた。
 一人は、甲殻類の魔物から削り出したと思しき奇抜極まりない鎧を身に着けた、見上げるほどの大男。腕に覚えのある冒険者が集まるこのツヴァイクでも明らかに周囲より頭一つ飛び抜けた長身と強靭な体躯は、北方の過酷な大地が育んだ屈強な戦士ここに在りと雄弁に語っている。
 そしてもう一つの影は、丸い。ひたすらに丸い。白い大きな丸が、二つ重なっている。それは誰がどこからどう見ても、とても立派な雪だるまだった。ただ通常の雪だるまと一つだけ明らかに異なる特徴があるとすれば、それはこの雪だるまが、自立して動いている、という点だ。
 入口前で野次馬に囲まれていたウォードとゆきだるまの二人は、周囲の反応などものともせずにそのまま店内を奥へと突き進み、エレンたちの前に立ち止まった。

「おぉ、エレンにロビンじゃねえか!久しぶりだなぁ!」
「エレン、ロビン、ひさしぶりなのだ!」
「え、ちょっと二人ともなんでここにいんの!ってかゆきだるま、こんなとこ居て大丈夫なの!?溶けない!!?」

 突然登場した珍客にブラックと少年までもが流石に驚いた表情を見せる中、エレンとロビンはまるで旧友を迎え入れるかのようにその二人と親しげに抱擁を交わし、挨拶を交わす。

「おいおい、なんだこりゃ。ボストン以上に意味がわからねぇ生き物だな・・・っつか生き物なのか・・・?」

 二人の珍客、特にゆきだるまを見ながらさすがのブラックも驚嘆の面持ちで呟く。しかしその辺りの問答を散々雪の街で行ったエレンとロビンは、もはや至極当たり前のように二人に接していた。

「永久結晶があるから、全然大丈夫なのだ」
「いやよぉ、俺はあれからも何度か顔出しに行ってたんだがよ。こいつが雪の街から出てみたいっつーから、今は俺の仕事に付き合ってもらってるんだ。しっかしまぁ、こんな感じでどこに行っても注目の的でなぁ。お陰で狩りよか、小遣い稼ぎの行商が捗る捗る」

 やいのやいのと四人が盛り上がっている様を遠巻きに見物していた野次馬たちも、徐々にその非現実的な光景に慣れてくると、ちらちらと様子を伺いながらも其々に再び飲み始める。アビスゲートの活性化により瘴気に侵された精霊の眷属なども蔓延る昨今ゆえか、ゆきだるまの姿にも驚きはすれど腰を抜かすほどのことではない、というところなのであろう。

「なんだなんだ、随分と騒がしいじゃ・・・おいおいなんだぁこのデカい雪だるまは?」

 丁度そこに、別行動をしていたハリードが帰ってきた。
 そして他の客と同じく、異様な二人の存在にしっかりと驚きの声を上げるのであった。

「あ、おかえり。ってかどこいってたのよ」

 思わぬ知り合いの登場で機嫌を少しばかり持ち直したエレンがハリードに声を掛けると、ハリードはニヤリと笑みを浮かべてエレンに視線をよこした。

「何処ってそりゃお前、ポドールイに行くための手段を探してやっていたに決まってるだろ。いいネタ持ってきてやったんだから、感謝しろよな」
「え、なに、なんかいい方法見つかったの!?」

 唐突に発せられたハリードの台詞に、エレンは彼の狙い通り大層驚いたような表情を浮かべながらハリードへと食い気味に詰め寄る。
 どうどう、と逸るエレンを片手で制しながら、ハリードは先にカウンターにチップを投げ、ツヴァイクラガーを所望する。
 すると即座に出てきたジョッキを片手で受け取り早速、豪快に胃の中へと注ぎ込む。ゴクゴクと喉を鳴らしてジョッキ半分程を飲み、ふぅーっと一息ついてから、もう一度口の端を吊り上げて笑みを作った。

「俺らで出るぞ、ツヴァイクトーナメントに!」







『さぁいよいよ始まりました、第六十三回ツヴァイクトーナメント!! 今回は過去に類を見ないほどの屈強なチームが複数エントリーしているとのことで、今までにない盛り上がりを見せることは必至!!! 観客の皆様の熱量も最高潮に達しているのが、わたくし司会のもとにまでビンビン伝わってきます!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

『ではさっそくの第一回戦、いきなり初参戦チーム「エレンと愉快な仲間たち」の登場だぁぁぁぁぁああ!!!』

「いやいや待て待て、なんでこうなるんだよ!!?」

 ツヴァイクの誇る特製コロシアムの観客席が超満員と大歓声で埋まる中、やたらとテンションの高い司会の絶叫とともに戦闘エリアへと送り出されたウォードは、当然の困惑具合で空に向かい世の中の理不尽を叫んだ。 

『なんとこのチーム、セコンドにあの高名な傭兵トルネードを起用したという今大会注目の優勝候補!先鋒のウォード選手もユーステルムでは名の知られた狩人だそうで、これはいきなり本気度マックスだぁぁぁぁぁあああ!!!』

「えぇい、くそッ!!もうどうにでもなれ!!このウォード様に喧嘩売ろうってぇ命知らずな輩は、一体何処のどいつだ!?」

 やけくそ気味にウォードが愛用のツヴァイハンダーを構えると、今度は司会が彼と反対側のエリアゲートに振り向いた。

『さぁそしてそんな今大会注目チームと対決するのは、大会優勝経験もあるベテランチーム、超女軍団だぁぁぁああああああ!!!』
「ちょっとまて、あれ人間じゃねえぞぉ!!??」

 司会のアナウンスと共にゲートから出てきたのは、なんと妖精族の亜種と蛇型の魔物で構成された混合チームであった。

『ご存知の通り、本トーナメントでは一定の参加クオリティを保つ目的で人間以外のエントリーも導入しております!! その中でもこの超女軍団は数々の強豪チームを屠ってきた、指折りのツワモノたちだ!!!さぁ先鋒のダンサー選手と対するウォード選手は、どのような戦いを繰り広げてくれるのか!!!??』
「こっちはなにもご存知じゃねえよ!!!ふざけんなッ!!!」

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 全力で抗議の声を上げるウォードに対し、しかしそれを気合の雄叫びと受け取った観客たちはさらなるボルテージアップで歓声を上げる。

『それでは第六十三回ツヴァイクトーナメント、第一回戦開始の宣言を我らがロード、ツヴァイク公から賜ります!!』

 司会の誘導に応じ、最も闘技場を見下ろすのに最適な位置に設えられた専用席に座した壮年の男が立ち上がり、片手を上げて高らかに宣言した。

「始めーい!!」

 幾度も発せられたウォードの魂の叫びは欠片も受け入れられることなく、無慈悲に第一回戦開始の宣言とともに、ゴングが鳴り響く。
 すろと相対するダンサーは、軽やかにステップを踏みながらリズムに乗り、舞うようにウォードとの距離を一気に詰めてきた。

「くそっ・・・このウォード様を舐めんなよ・・・!!」

 覚悟を決め、高らかに咆哮したウォードがツヴァイハンダーを大上段に構えながら対戦相手を迎え撃たんとしていた、その最中。
 ゲートの奥にある控室ではウォードの応援になど欠片も興味がない様子で、エレンら他の出場メンバーが揃って話し込んでいたのであった。

「ってか、本当にこれでポドールイに行けるんでしょうね?」

 未だ疑心暗鬼の様子のエレンがふんぞり返った様子で座っているハリードへ釘を刺すように言うと、ハリードはふふんと不敵な笑みを浮かべた。

「エレンお前、以前ツヴァイクで変な動物を売っぱらったハンターを覚えているか?」
「ん?・・・あー、そういえばいたわね。あのときは稼がせてもらったわ!」

 それはハリードと共にロアーヌを出て間もない頃、ランスを目指しながらも先ずは依頼の豊富なツヴァイクで路銀稼ぎを行っていた時の話である。
 エレンは当時目の前に積み上げられたオーラムの山を思い出し、思わず口元を緩めた。
 エレンのこういう仕草は若干ハリードに似てきているな、とブラックなどは時折感じたりもするが、それを言っても多分色々と面倒になるだけなので態々言うことはない。

「なんでもあいつ、あそこから更に上乗せて国のお偉いさんに売り捌いて儲けたらしい。なんでその礼も兼ねてってことで、色々と情報を落としてもらったのさ」

 ハリードが聞き出したところによると、こうだ。
 ツヴァイク公爵は自国が定めた認可商隊以外のポドールイとの通行を全面的に禁じているが、ここに実は、唯一の例外が存在するそうだ。
 それこそが、国主たるツヴァイク公爵の勅令を受けた「聖杯奪還隊」である。
 聖杯とは、ポドールイの領主レオニード伯爵が所有する聖王遺物のことだ。聖王の血が注がれたという逸話を持つその聖王遺物は他の遺物とは一風異なる特性を持っており、その杯からは枯れることなく『力』が湧き続けるのだという。
 ヴァンパイアであるレオニードを忌諱するツヴァイク公は、人間でないということを理由にレオニードが聖王遺物を持つに相応しくない存在であると決めつけ、この聖杯を奪うことの出来る実力者を募った。
 だが、懸賞金に目が眩んで集まった程度の傭兵たちではレオニード伯爵に近づくことさえ叶わず、彼のもとに集う死霊に軽くあしらわれてしまう。
 幾度かその失敗を繰り返した後にツヴァイク公が考案した対策の一つが、このツヴァイクトーナメントであった。
 このトーナメントを勝ち残るほどの猛者であれば、レオニード伯爵から聖杯を奪うことが出来るに違いない。そう考えたツヴァイク公の主導で始められたこのトーナメントには、実のところ今まで一般参加から勝利したチームは存在しないらしい。

「俺等の一回戦相手の超女軍団や、その他だとドラゴンズ、そしてツヴァイク公国最強部隊『じごくの壁』とかの運営側が仕込んだチームが、トーナメントの優勝常連らしい。興行としても利回りが良く、公爵自身も剣闘狂いらしくてな、こいつは元の目的が達成されずとも定期開催されているんだそうだ」
「つまり、そいつらを全部ぶっ飛ばして奪還隊とやらになれば、お上公認で堂々と関所を通れるってワケか」

 椅子ではなくテーブルの上に片足を上げて座りながら話を聞いてたブラックがそう纏めると、ハリードは浅く頷いた。

「あぁ。しかも、優勝賞金が一万オーラムもでる。こいつは正に一石二鳥だぜ」
「あんた絶対それが目的でしょ!」

 カムシーンの刃より鋭いエレンの指摘にハリードが性懲りも無く反論を始め、控室内がいつもの様にガヤガヤとし始める。
 しかしそんな賑やかさとは全く無縁の様子で、一番端にある椅子に腰掛けたまま微動だにしないでいた少年がボソリと呟く。

「その聖杯が・・・『鍵』なのかな・・・」

 少年の近くにいて微かにその声が聞こえたゆきだるまが、少年に身を寄せる。

「鍵って、一体なんのことなのだ?」

 ゆきだるまの質問に、少年は素直にそちらへと反応を向ける。
 少年はどうにもあまり人好きしない性格らしいが、なぜかゆきだるまとは会った直後から、随分と気安く接している様子であった。

「・・・僕にも、よく分からない。でもトムさんが言っていたんだ。少し前に、鍵はポドールイにあると聞いた、って」

 そもそもエレンたちがポドールイを目指している理由こそが、その『鍵』だった。
 エレンと少年は、アビスゲートの向こうへと消えたサラを助け出す、という共通の目的を持っている。しかし、一体どうすればサラの元に辿り着けるのかという具体的手段については、全く見当もつかない状態だった。
 そこで藁にも縋ろうということで追いかけることにしたのが、この『鍵』という情報であったのだ。

「もし僕たちに鍵が必要になったら、それはきっとポドールイにある・・・トムさんは、詩人さんからそう聞いたと言っていた。詩人さんがなんでそんなことを言ったのか、その鍵っていうのが一体なんなのか、そもそもそれがサラの元にたどり着くためのものなのか・・・それはトムさんも分からないって言ってた。でも、今の僕たちにはそれくらいしか縋れるものが・・・」
「大丈夫よ、テレーズ」

 いつの間にか、ハリードたちと話していたはずのエレンが少年とゆきだるまの前にいた。

「トムが、その詩人の言葉は賭けるに値する情報だって言った。だから大丈夫。必ずあたし達は、サラの元に辿り着くわ。そのためにもテレーズ、あんたが必要なの。あの子の鼓動を感じることが出来る、あんたの助けが」

 エレンの真っ直ぐな言葉を聞いた少年は、小さく、しかし力強く頷く。
 それをみて満足そうに頷き返したエレンは、腰に手を当てて控室の扉へと視線を向けた。

「まずはポドールイに辿り着くことだけを考えましょ。となると早いとこトーナメントとやらを終わらせたいけど、今どんな感じなのかしら」

———ゥォォォォォォォォォォォォォォォッッ!!!!!!———

 まるでエレンの声に応えるかのように、扉の向こうからは会場の一際の盛り上がりを伝える歓声が響いてきた。
 そして急報を知らせるべくバタバタと駆ける足音が近づき、勢いよく控え室の扉が開け放たれる。

「先鋒ウォード選手が相手チーム主将の石化攻撃により敗退!次鋒ゆきだるま選手、準備お願いします!!」

 駆け込んできた係員の知らせに選手一同は互いの顔を見合わせ、気合を新たにするのであった。





『さぁさぁ一体誰が予想したのかこの展開を!!!!!!第六十三回ツヴァイクトーナメント決勝戦の対戦カードは、こいつらだ!!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 これまでで最も大きな歓声を一身に受けつつ決勝戦に挑む選手らが東西ゲートから入場し、闘技場中央を挟んで睨み合う。

『西側ゲートから登場したのはなんとなんと!!由緒あるこのツヴァイクトーナメント初出場にしていきなり決勝戦まで勝ち抜いてきた今大会注目のダークホース、エレンと愉快な仲間たちだぁぁぁぁあああ!!!!』

「今更だがよ、このチーム名はどうにかならなかったのかぁ・・・?」

 随分と気の抜けたチーム名にブラックが真っ当な突っ込みを入れるが、最早そんなことを気にしている観客は一人もいない様子である。
 なにしろここまで、未だ大将が出ることすらなく圧倒的な実力差で常連チームらを叩きのめしてきたチームの実力は、もはや疑う余地のないものとしてこの場に集まった観客らに認識されているからだ。
 初戦の超女軍団戦は、大将になんと伝説級の魔物であるメデゥーサが配置されていたことでウォード、ゆきだるまと立て続けに石化されたものの、中堅であるロビンが得意のレディーキラーっぷりを発揮し、撃破。
 続く二回戦目はゴブリンズという名前の、そのままゴブリン種で構成されたチームであった。どうもこのゴブリンズについては強い場合と弱い場合があるという事前情報をハリードが掴んでいたが、今回は弱い構成だったようで、ウォードの一人抜きで難なく撃破。
 そして準決勝は、なんと龍種で構成されたドラゴンズというチームと対戦することとなった。このチームはなんといっても副将である大型龍種レッドドラゴンが花形であり、一体どんな絡繰でこれほどの魔物をこんなところに連れてきたのかと考えずにはいられなかった。
 しかしこれについては相性の問題か、レッドドラゴンまで辿り着いて早々に退却したウォードに続くゆきだるまが永久結晶の力により相手の炎を寄せ付けず、誰もが予想だにしないワンサイドゲーム展開となったのであった。
 そんなこんなでロビン以降に配置された副将ブラック、大将エレンの出番がないまま辿り着いた、トーナメント決勝戦。

『そして東ゲートから登場したのは、勿論このチーム!!!!我がツヴァイクの誇る最強部隊!!!!専用特殊装甲【ヴァンツァー】に身を包んだ六機の英雄!!皆様お待ちかね、じごくの壁だぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 一際大きな歓声を受けながらエレンたちに立ちはだかったのは、金属製の全身鎧に身を包んだ六人の人物。しかしその鎧は、エレンたちが見慣れたものとは随分と様相の異なる、やけに仰々しい代物だった。
 それもそのはず。何を隠そう彼らの纏う鎧もまた、教授による作品の一つであった。なので正確には彼らが纏っているものは鎧ではなく、術戦車などと同じく魔導器に分類される代物なのである。
 その名も、戦闘歩行魔導装甲ヴァンダーパンツァー、通称【ヴァンツァー】だ。
 この魔導装甲にはタイプ別に三つの特徴が備わっており、それぞれ支援型、近接射撃型、格闘型に分けられるのだという。
 ヴァンツァーを身に纏う彼らはその特色を余すことなく発揮した連携攻撃を用いることで、数々の苛烈な戦いから自軍を守り、自らも生き残ってきたのだそうだ。
 その風評を裏打ちするかのように絶対的な自信を漂わせた立ち姿を見定めるように睨みながら、腕を組んだハリードが呟く。

「ツヴァイク公国軍第六十四機動戦隊、通称じごくの壁・・・。俺は直接戦場で見たわけじゃないが、傭兵の中では割りかし有名な連中だ。ここ十年ほどのツヴァイクが絡む北方の戦で、あいつらの名前を聞かない戦場はなかったというぜ」

 ハリードの言葉を聞きながらエレンも油断の一切ない視線で相手を睨みつけていると、どうしたことか相手の一人が試合開始の合図を待たず、こちらへゆっくりと歩み寄ってきた。
 何事かと眉を顰めながらもエレンとハリードがそれに応えるように一歩前に出ると、二人の前で立ち止まった鎧は、思いの外軽快な動作で右手を差し出してきた。

「お初にお目にかかる、傭兵トルネード。俺の名はグリーグ。あんたと戦えることを光栄に思う」
「グリーグ・・・噂は聞いてるぜ。怒れる雄牛【マッド・ブル】の名を冠する、じごくの壁の隊長機だな。俺も界隈ではトルネードなんて呼ばれるが、名はハリードというんだ。よろしくな」

 差し出された手をハリードが握り返し、固く握手を交わす。
 そしてマッドブルが自陣へ戻っていくのと同時、司会が改めて声を張る。

『さぁ両チームが固い握手を交わしたところで、決勝戦のルール説明です!!!!じごくの壁と決勝戦で対戦する場合はご存知の通り特殊ルールが適用され、セコンドまで参加しての集団サバイバル戦となります!!』

 司会の宣言に並行し、なんとコロシアムの闘技フィールド内に施されていたらしい仕掛けが発動し、地面から鋼鉄製と思しき障害物のオブジェクトがいくつも現れ、両チームの視界を遮った。

「だからなんもご存じじゃねーっつーの・・・」

 最初から振り回され続けたウォードが諦めの境地のような表情で呟くが、当然そんな声はハイテンションな司会には欠片も届かない。

『両チームどちらかが全員戦闘不能となるまで続くサバイバル戦、間も無くスタートです!!では両チーム、配置についてください!!』

 なんら事前説明がされないまま勝手に話が進んでいくが、それに対していやに冷静な様子のエレンは、先ほどのハリードと同じく胸の前で腕を組んだまま、闘技フィールド内の障害物を見ながら口を開いた。

「・・・あいつら、持ってる得物が三種類に分かれていたわ。近接型、中距離、遠距離ってとこかしら。わざわざ集団戦にしたってことは、二人か三人で動く戦法で来るって考えた方が良さそうね」

 エレンの的確な予測にニヤリと笑みを浮かべながら、ハリードは同じく腕を組んだまま顎に手を当てた。

「いい推察だ。となると大抵はインファイトを仕掛けてくる奴が隙を作り、中距離役が仕留め役。んで、それら連携を阻害されないように長距離担当が獲物周囲を威嚇する、ってところか」
「・・・向こうがその戦法で来るなら、こっちも術が使える俺様とゆきだるまが分かれた方がよさそうだな。あとはどう分ける」

 ハリードに続いてブラックが顎の無精髭を弄りながら何やら愉しそうに言うと、既にレイピアを抜き放って臨戦体勢のロビンが一歩前に出る。

「であれば、速度を出せる私とハリードが分かれ、一撃の重さを活かせるエレンとウォードが同じく分かれる編成でどうだろう」

 この提案には、その場の全員が即座に首を縦に振る。

「異論はないのだ」
「俺もそれでいい。とっとと終わらせちまいたいぜ」

 結果、エレンとロビンにゆきだるま、ハリードとウォードにブラック、という編成で左右に分かれ、相手を迎え撃つ作戦に落ち着いた。
 そしてエレンチームがフィールドに散開したのを確認した司会がツヴァイク公に合図を送ると、間も無くツヴァイク公爵が立ち上がり、闘技開始の宣言を行った。

「始めーい!!」

 間の抜けた掛け声に反し、戦闘そのものは初手から大きな動きがあったか、コロシアムの観客のいきなりの熱狂ぶりにハリードらが身構える。
 すると、その予測を裏切らない様子で何か固いものが岩の上をかけるようなガキンガキンという音が響き渡り、カムシーンを抜き放ったハリードとツヴァイハンダーを構えたウォードが背中合わせに周囲を警戒した。

「HEY!!Tornado!!」
「ッ!!」

 突如、上空からの声。
 それに即座に反応したハリードが背後のウォードを踏み台にするようにして横に飛ぶと、それに合わせてウォードもハリードに蹴り飛ばされる形で反対側に倒れ込む。
 その直後、先ほどまで二人が立っていた場所目掛けて巨大な鉄甲が衝撃音と共に振り下ろされた。

ズガァンッッッ

 地面がしっかりと抉れている様子を尻目に体制を素早く建て直したハリードが抜き身のカムシーンを構えると、その剣先に現れたのは先ほどのマッドブルは別のヴァンツァーだった。
 どうやら、地面から迫り上がった障害物の上を飛び移るようにしてここまで一気に移動してきたようだ。流石に、このフィールドでは戦い慣れているということか。

「Hoo!!今のを避けられたか。流石トルネードの名前は伊達じゃないな」
「ふん、そりゃあどうも。お前は・・・近接型か。振り分け的には恐らく隊二番手のウィナー機が向こう側で、隊長機マッドブルチームがこっちの相手をしてくれるんだろう?なら、お前がグリーグに飼われているって噂の【ストレイキャット】だな?」
「Hey・・・その冗談は笑えないぜ」

 ストレイキャットの名を冠する近接戦闘型ヴァンツァーが、不機嫌を丸出しにした声色でハリードに向かい拳を構える。彼もまた隊長機【マッドブル】を支援する近接型ヴァンツァーとして数々の戦功を上げてきた、これまた北の戦線でその名を知らないものはいない存在である。
 しかし戦場と闘技場の違いで勘が鈍っているのか、彼のすぐ近くで起き上がったウォードがツヴァイハンダーを振りかざしているのも見えていないらしく、少々短気な性格のようだ。
 しかし、そんな彼の支援もまた、チームの役割なのだろう。
 それを証明するように、ツヴァイハンダーを振り下ろさんとしたウォードに向かって高速で飛来する岩石弾があった。

「けっ、見え見えなんだよ!」

 そう言いつつ右手を突き出したブラックから発せられる風の矢が、飛来する岩石弾を貫き砕く。
 しかしその攻防に気付いたストレイキャットが素早く飛び退ったことで、ウォードの一撃は虚しく地面を削ることとなった。

「いきなり突っ込みすぎだぞ、ストレイキャット」

 続いて後方の障害物の裏から出てきたヴァンツァーの声に、ストレイキャットはガシャリと音を立てて肩を竦める。

「飼い主のお出まし、だな。もう少し躾けをした方がいいんじゃないか?」
「ふふ、うちは狂犬揃いでな、俺も手を焼いているのさ」

 そう言いながら構えるマッドブルと共に、ストレイキャットも深く腰を落として臨戦体制に入る。
 今は視界には入っていないが、目の前の二機以外に先ほどの岩石弾を飛ばしてきたやつが近くの障害物の裏に隠れているはずだ。

(まぁそいつの相手は、ブラックに任せるとして・・・。ううん、俺がこの二機を同時に相手しちまってもいいが、それではつまらんしな・・・ウォードにもう少し働いてもらうか。さて、エレンは上手く捌いているか・・・?)

 右手に持ったカムシーンを少し浮かせては何度も握り直すようにして弄びながら、ハリードは自分たちと逆方向に展開したエレンらのことを思うのであった。
 まさに、それはハリードがそう考えた瞬間だった。

ガキィィィィーーーーーーーンッ
——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 金属同士の衝突を思わせる聞き慣れない衝撃音と共に、明らかに会場の歓声が一段階跳ね上がる。
 響き渡った常識外れの衝撃音もさることながら、明らかに勝負の行方を左右するような何かがあったと予想される観客の盛り上がりに、思わずハリードらも、衝撃音がした方向へと顔を向けた。

『な・・・なななななぁぁぁぁぁぁんとおぉぉぉぉおお!!これは凄いぞぉぉぉッ!!!!この闘技場専用に作られた最高硬度のフィールドオブジェクトが、まさかの真っ二つにぶち割られたぁぁぁぁぁぁああああ!!』

「なに・・・この鋼鉄の塊を真っ二つだと・・・?」

 絶叫する司会の解説の聞きながら、流石のハリードも俄かには信じられないと言った様子で周囲のオブジェクトへと視線を配る。
 頑強なヴァンツァーが飛び乗ってもびくりともしない頑強なオブジェクトを割るなんて、実際可能なことなのだろうか。これほどの厚みの鋼鉄ともなると、巨龍種の分厚い鱗をすら上回る強度だろうに。

『凄まじい威力の斬撃を披露したのは、エレンと愉快な仲間たちの主将、エレン選手だぁぁぁぁぁああ!!!! これには思わずヴァンツァー【ナッシング】機も腰を抜かして起き上がれないぃぃいい!!!!』

 続いて叫ばれる名前を聞き、ヴァンツァーたちが戦慄の様子を見せる一方で、ハリードらは苦笑いを浮かべる。

「おいおい・・・エレンのやつ、こいつを薪割りと同じテンションでぶち割ったっつーのかよ!!はっはっは、ダイナミックじゃねえか!!」
「いやこれ割れねぇだろ・・・剣のがポッキリいくって・・・」

 ブラックが豪快に笑い飛ばし、ウォードがオブジェクトを剣先でコツコツと叩きながら呆れた声を上げた。
 そんな二人を他所に、ハリードはその場の全員が戦意を削がれたその一瞬で、素早く思案する。
 例えば四魔貴族や巨龍種のような規格外の存在でもないかぎり、戦場というのは個の武力で勝負が決まることはない。
 まずは数、つまり物量が最も重要で、それに応じて選択肢が広がる戦略、次に戦術と続く。他には自軍の練度なども並行して重要度が高く、個の武力とは実際、一般的な重要度としてはかなり後ろにくる。
 だが稀に、個の武力が戦術や戦略レベルに達することがあるのだ。
 それは実際非常に稀なことだが、何度か歴史にはそうした事例もある。ハリードが敬愛してやまないゲッシア建国の英雄アル=アワドなど、まさにその典型と言えるだろう。
 そうした存在が戦場で起こす何らかの行動は、そのまま両軍全体のモラルをも左右するような一手と成すことが可能だ。
 例えばそう、今この瞬間などのように。

「なぁマッドブル。このチームの主将が俺じゃなくてエレンっつー女である理由が、あんたには分かるか?」
「・・・何?」

 左足に重心を移して腰に当て、まるで世間話のようにハリードが問いかける。
 対して臨戦体勢こそ崩さないものの、すっかり戦意が削がれた様子を隠しきれていないマッドブルは、ついその問いかけに反応してしまった。

「なに・・・簡単な話さ」

 カムシーンの背を肩に乗せ、ハリードはにやりと口の端を釣り上げながら言った。

「俺よりあいつの方が強いからだ」
「・・・ふっ、まさかそのような・・・」

 しかしマッドブルは、そのまま否定の言葉を言い切ることができなかった。なにしろ今まさに、前代未聞の脅威的な破壊力を目の当たりにしたばかりなのだ。
 仮にあの攻撃を自分が受けていたらと思うと、思わず背筋が凍りつく。
 まさか、あの世界的に有名な傭兵トルネードにも並ぶほどの存在がいて、しかもその二人がタッグを組んでいるとは。まず自分がトルネードに対して敵うかどうかも不明だというのに、それを超えるような相手など、ヴァンツァー【ウィナー】が率いる逆サイドチームにはあまりに荷が勝ちすぎる。
 瞬時にそこまで思考し、一層表情を険しくするマッドブル。

「あいつが次に振るう斧は、確実にヴァンツァーの誰かをぶった斬るだろう。そうなりゃ、間違いなくそいつは再起不能だろうな。そうならんうちに俺らを倒して助けに行くか、それとも手っ取り早く降参するか。早いところ決めることを強くお勧めしておくぜ」
「・・・くっ」

 続けて発せられたハリードの言葉に明らかに動揺した様子のマッドブルは、しかしそれでも戦場で敵に背中を見せるようなことはしない、生粋の戦士であった。
 ここまでに削がれた戦意をなんとか奮い立たせ、手にした武器を構え直し、周囲のヴァンツァーに号令をかける。その姿は正しく隊長機に相応しいと、敵ながらハリードも感じ入るほどだ。
 だが性急な判断には必ず綻びがあり、乱れがあり、そして隙がある。
 それこそが、ハリードの狙いだ。
 人間同士の戦で無類の強さを誇る傭兵将トルネードの真骨頂、正にここにあり。

「ストレイキャット、ハッピーラング、一気に仕留めるぞ、デルタアタックだ!!」

 マッドブルの決死の覚悟を受け、ハリード、ウォード、ブラックは一様に得物を構え、臨戦体勢に入った。





「お、おれたちの戦法が通用しないとは・・・」

 ガックリと肩を落とし、真っ二つに割られた得物を地面に突き刺したマッドブルが、力無く呟く。
 その姿を前にしながらカムシーンを悠々と踊らせて納刀したハリードは、いつものようにニヤリと口の端を釣り上げた。

『決まっっっっったぁぁぁぁあああああ!!!! なんとなんとなんと、第六十三回ツヴァイクトーナメント優勝チームは、初出場のダークホース、エレンと愉快な仲間達だぁぁぁぁああああ!!!!』

——ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!——

 もはや絶叫を通りこして息も絶え絶えといった感のある司会の怒号に合わせ、会場全体が揺れるような歓声に包まれる。
 その最中にも驚くほど俊敏に闘技フィールドは片付けられていき、あれよあれよという間にエレンたちは壇上から見下ろすツヴァイク公爵の前に立たされていた。

「見事であったぞ。褒美を授けよう、近こう。わしの顔をほりこんだありがたい優勝メダルだ」

 代表して一歩前に出たエレンが受け取ったのは、しっかりとした重量を持ったゴールド製のメダルだった。何度かハリードと共に貴金属に触れたことがある彼女は、直感でこれが本物のゴールドで出来ているであろうことを察した。
 造形のセンスは最悪といって差し支えないが、これは換金すれば相当なオーラムになる。それを確信したエレンは、内心で思わずほくそ笑む。

「あとこちら、副賞の一万オーラムです」

 続けてコロシアムスタッフからオーラムの詰まった袋をハリードが受け取り、これまた悪役の見本のような笑みを浮かべる。その笑顔の邪悪さは、本職のはずのブラックですら堪らず眉を顰めてしまうほどだ。
 そんな様子の二人を他所に、何やら興奮した様子で身を乗り出してきたのは、先ほどエレンにゴールドメダルを授与したばかりのツヴァイク公であった。

「もう一つ、優勝者に頼みがある」

 その言葉に、待ってましたとばかりにエレンとハリードの二人が視線を向ける。

「君らほどの強者であれば、聖王遺物として名高い『聖杯』のことは聞いたことがあるだろう。それが今、ポドールイのバンパイアの下にある。聖王遺物とは、我々人類の至宝だ。あんなモンスターに聖王遺物を握らせておくわけにはいかん」

 そう語るツヴァイク公の表情は見る見るうちに怒りに打ち震えるように怒気を増し、赤らんでいった。

「なんとしても我ら人類の元に絶対に取り戻すのだ。だが、かのバンパイアは卑怯にも城に閉じこもり、闇に紛れ、非常に狡猾だ。故に一筋縄ではいかず、我々も手を拱いている。どうか、強者たる君たちの力を貸してほしい」

 ツヴァイク公は正しく自らに絶対の正義があるかのように語るが、実際にポドールイのレオニード伯爵に会ったことがあるエレンからすると、果たして本当にあの伯爵がそのような存在なのかどうか、すぐには判断が付かなかった。

「報酬は?」

 すかさずハリードが、短く質問する。
 その無礼な態度に公爵の周囲が色めき立つが、中心にいるツヴァイク公はなんら気にすることなく片手をあげて周りの臣下を制し、にやりと笑う。

「無事に聖杯を我が元に持ってきた暁には、今渡した優勝賞金の倍額を更に出そう。また、聖杯以外にもバンパイアめは多くの財宝を隠し持っていると聞く。だが、わしはそれらには興味がない。聖杯以外のものは、自由にしてくれてかまわぬ」

 ツヴァイク公の言葉に、ハリードはこれまたニヤリと笑みを浮かべる。

「二万オーラムと財宝か・・・いいだろう、承った」
「おぉ、それではよろしく頼むぞ。ポドールイへ向かう関所は、そのゴールドメダルを見せれば通行可能だ。是非とも聖杯奪還隊として、任務を果たしてくれ」

 ツヴァイク公とハリードはお互いに笑顔を交わし、すぐさま一行はその場を颯爽と立ち去ることにする。
 いつまでも鳴り止まぬ観客のスタンディングオベーションに見送られて出てきたコロシアム出口では、少年がすでに旅支度を整えて全員分の荷物も用意しつつ、今か今かとエレン達を待っていた。
 そこに合流するとエレンは無言で少年に向かって片手を翳し、ぱちんと軽くハイタッチを交わしてから即座に荷物を手際よく背負っていく。

「なんだかよく分からんが、まぁ頑張れよ」
「また会おう、必ずなのだ」

 気持ち程度の分け前をハリードから受け取ったウォードとゆきだるまに城門で見送られつつ、エレン達は意気揚々と東へ向かい歩き出した。

「よし・・・それじゃあいくわよ、ポドールイへ!」






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最終更新:2024年06月02日 11:15