バレンヌ帝国歴1003年。
 時の皇帝ジェラールによる治世はその最盛を極め、首都アバロンは過去に例を見ないほど人口流入が起こっていた。
 これに合わせて国内では今後1000年を見据えんとして様々な事業が立ち上がり、大陸全土平定という大願へ向け次なる一歩を今まさに踏み出さんという気風が、国中に溢れている。
 そしてそんな気風の震源地たるアバロン宮殿の、映えある帝国軍兵の憩いの場たる大食堂。
 ここに、帝国中に満ち溢れる気風の一切を拒絶するようなとても重苦しい暗鬱たる空気を纏った女が一人、バーカウンターの隅で項垂れていた。
 女は、帝国軍歩兵隊の要たる軽装歩兵部隊副長、ライーザであった。

「き、今日は随分と空気が重いわね・・・」

 項垂れる女の隣には、その姿を心配そうな様子で近づいてきた、もう一人の女。
 帝国猟兵部隊が誇る、帝国随一の呼び声高い弓の名手、テレーズである。

「なんでそんなダウナー極まってんのよ・・・最近、お互い忙しくてライブラ君と会えてないとかいってたけど、それの影響?」

 ライブラ、という言葉に反応したのか、ライーザはぴくりと体を震わせ、少しだけ顔をテレーズに向ける。
 しかし、口を開く元気まではないようだ。

「・・・ちょっと最近あんた、マジで様子がおかしいって。ひょっとしてライブラ君と何かあったの?」

 もう一度ライブラという言葉に反応して、ライーザの体がぴくりと震える。しかし、言葉を発する様子はない。
 その様子を見たテレーズは、こちらもため息をつきながら葡萄酒の入ったグラスを傾けた。
 どうも反応を見る限りは、テレーズの指摘は的を射たものなのだろう。
 何を隠そうこのライーザと、史上最年少で宮廷魔術士合格の経歴を持つ「神童」ライブラとは、2年程前から清いお付き合いをしているのだった。
 ただ、正確にはまだ交際しているわけではない、というのは当事者たちの主張である。
 ライーザ曰く、ライブラが成長してもっと相応しい相手を見つけるまでの保護役を買って出ている、らしい。そしてライブラ曰く、自分がライーザに相応しい存在になったらもう一度告白するので近くで見極めてもらっている、ということらしい。
 周りから見る2人はもう明らかに恋人ムーブなのだが、当事者たちの意思は無駄に固い。
 とっとと付き合ってしまえばいいというのに、何故そんなことになっているのか。
 その原因はおそらく、ライーザとライブラの年齢差にあると大方は踏んでいた。
 二人は10歳ほど年齢が離れており、ライーザが年上である。
 身分のある高齢の男性が若い女性を娶るということはそこまで珍しい話ではないが、その逆は殆ど聞かない。そしてアバロンにおける女性の婚姻平均年齢を、ライーザはそれなりに上回っている。
 そういう点がいまいち踏み切れない要因となっているのではないか、とテレーズは考えていた。

「ねぇ・・・何度も言ってるけどさ、周囲じゃなくて、2人の気持ちが大切だと思うのよ。あんたたち、お互いを好き合ってるんでしょ?・・・ならちゃんとさ、お互いそういう関係になろうって話せばいいじゃない」

 3度目のライブラという単語に、ライーザは今度こそ大きく反応し、項垂れていた頭をあげ、しかしテレーズに向き合うでもなく前方を空虚に見つめ、深いため息を吐いた。
 そして、ぽつりと呟く。

「・・・ライブラ多分・・・ちゃんとした相手が見つかったと思う・・・」
「はぁっ!?なにそれ!!?」

 座っていた椅子をガタンッと派手に後方へ弾き飛ばしながら立ち上がり、テレーズは思わず叫んでいた。
 その絶叫は大食堂の外まで響き渡り、俄かに皆の注目を集めたのだった。






「はーん、そりゃアレだな。あの小僧、若けぇ女に乗り換えゥボァッッ!!?」

 開口一番、傭兵隊隊長ヘクターが持ち前の先陣速攻が如く言い放った瞬間。
 繰り出された二つの拳が彼の顔面を真芯に捉え、ヘクターは成す術なく盛大に後方へ吹っ飛ぶ。

「今のが失言だというのは、流石に俺でもわかるぞ・・・」

 ヘクターの隣に座っていたジェイムズが小さくそう呟きながらやれやれという様子で助け起こしに行くのを横目に、息の合ったパンチを披露した女二人はふんっと鼻息荒く、椅子に座り直した。
 アバロン城下町に数ある酒家の中でも宮殿に程近く、勤めを終えた兵士が立ち寄ることも多い、帝国兵も馴染みの酒家。
 今宵その酒場の一角には、ヘクター、ジェイムズ、テレーズ、そしてキャットの4人が集まっていた。

「・・・で、ライーザはそのあと、なんだって?」
「特には何も・・・。そもそもこれ以上、本人もあんまり追求するつもりないみたいで・・・」

 キャットの質問にそう答えたテレーズは、頬杖とため息をつきながらエールジョッキを傾けた。

「最近魔術棟に出入りしている女、か・・・。確かに、来月開設の術法研究所のために外から呼ばれた魔術士たちが結構出入りしてるのは把握してる。その中にそいつが居る、ってセンはあるね」

 腕を組み椅子の背に体重を預けながら、キャットは可愛らしい眉間に皺を寄せつつ言った。

「当然あたしらも身辺調査で一通り事前チェックしたけど、それっぽい女、居たかなぁ・・・」

 うーんと唸りながら記憶を思い出そうとするキャットをよそに、テレーズとキャットの二人に殴り倒されたヘクターはイテテテとボヤきながら、起こした椅子に座り直す。

「っつかそんなん、ライブラに聞くのが1番早いんじゃねーのか?ライブラがその女と頻繁に会ってるってんならよ」

 ヘクターがエールを追加注文しながらそういうと、テレーズとキャットは揃って呆れたように息を吐き、首を横に振った。

「それはダメ。回答がどうであれ、それは一番ライーザが嫌がるわ」
「ちょっと考えればわかんでしょ・・・当のライーザが聞けないのにあたしらが直で聞くとか、ほんと論外すぎ」
「お、おぅ・・・すまん・・・」

 女性陣に意見を一蹴されたヘクターがしゅんとしながら受け取ったエールを傾ける横で、今度はジェイムズが腕を組みながら唸った。

「そうなるとライブラ君への接触は無しに、ライーザの言っていた女とやらを探るしかないわけか」

 ジェイムズの言葉に、これまた同時に頷いたテレーズとキャット。そしてテレーズが、その場に集まった面々の顔を順番に見る。

「なので、協力をお願いしたいの。私は非番時とか休憩時にライーザから聞けるだけ追加情報集めるから・・・」
「ならあたしは、術法研究所と宮殿内魔術棟の出入り人物について、リストや情報筋をあたるわ」

 テレーズの言葉に続けるようにキャットがいうと、テレーズは浅く頷く。

「助かる。それでジェイムズには訓練中ライーザをそれとなく気にしてて欲しいのと・・・」
「了解した。同部隊の俺しか、そこはできないしな」

 ジェイムズにそう言ったところで、ここまでグビグビとエールを胃に流し込むしかなかったヘクターが肩を竦めた。

「んで、俺にはなにしろってんだ・・・?」

 彼の言葉に、三度テレーズとキャットは同じタイミングで彼に振り返った。

『決まってんでしょ。アリエスさんに聞き込みよ』
「・・・うげぇ」

 ここも見事にハモる二人の言葉に、ヘクターはいかにも嫌そうな顔をしながらエールジョッキを傾けるのであった。






「ようアリエス。最近忙しそうじゃねーか」
「・・・驚きました。陽も高いうちに貴方がここに来るなんて、明日は雪でも降りそうですね」

 相変わらず薄暗くて不健康そうな(とヘクターは常々思っている)魔術棟の一室を訪れたヘクターのラフな挨拶に、部屋の主たる宮廷魔術士アリエスはワザとらしい驚き文句と共に彼を迎え入れた。
 生まれてこの方魔術の類とは縁もゆかりも無いヘクターであるが、そんな彼が意外にも魔術士の中で一番交流を持っているのが、このアリエスだ。
 宮廷魔術士アリエスは、現在のバレンヌ帝国宮廷魔術団の筆頭魔術士である。
 当然その実力は折り紙つきであり、皇帝ジェラールが遠征に赴く際には身辺警護で帯同することもあったほどだ。
 そんなアリエスとヘクターとは、元々お互いの住む世界が異なることから存在すら認めていない者同士であった。だがとある出来事をきっかけに、お互いの価値を認め合うに至った。
 以後、表面上はじゃれ合うつもりはないとでも言いたげな態度をお互い取るものの、なんだかんだと交流を続けている。

「いや俺だって別に来たくて来たわけじゃねーんだが・・・あーまぁ、それは今日はいいんだ。ちっとお前に聞きたいことがあってよ」

 言いながら部屋に用意されている来客用の椅子を勝手に引き寄せ、背もたれに腕を乗せるようにして逆向きに腰掛けるヘクター。そんな彼に向き合うように、アリエスは律儀に彼の方角へと自分の椅子をずらした。

「伺いましょう」
「おう、聞きてー事ってのがよ、今度できる術法研究所?だかのことについてなんだが」
「・・・ますます明日の天気が心配ですね。貴方が一生興味を持たない類の話だと思っていました」

 ヘクターの言葉にアリエスがうっすらと瞳を細めながら軽妙に返すと、ヘクターは分かりやすく眉間に皺を寄せて不機嫌を演出した。

「っせーな・・・んで、だ。その研究所の為に新しく来たっつー魔術士連中について、ちっと教えてほしいんだよ」
「あぁ・・・あの連中ですか。あれは、魔術士とは言えません」
「お?・・・なんだよ、お前にしちゃ珍しく穏やかな雰囲気じゃねーな?」

 アリエスが分かりやすく眉間に皺を寄せながら返してきたことに、今度はヘクターが俄然面白そうに声のトーンを上げて聞き返した。
 対するアリエスは口を真一文字に結んで肩を竦めてみせると、机の上に置いてあったコーヒーを手に取り、一口啜る。

「丁度その連中の事については、私も頭を悩ませていたところです・・・」
「ほぉ・・・その話、詳しく聞かせてくれねぇか」

 ヘクターは思わず前のめりになり、椅子の背もたれに乗せていた腕に顔も乗せ、アリエスの話に耳を傾けていった。




「あぁーあの方々ですかぁー。もー大変なんですよー。特にアリエス様が、ああいうタイプお嫌いでぇ・・・」
「えー!それってなんで?」

 丁度非番だったらしい宮廷魔術士オニキスを最近帝都で流行りのカフェに連れ出したキャットは、巷で人気の南バレンヌ風パンケーキをつつきながら、それとなく最近の術法研究所事情を探っていた。
 オニキスはライブラと同じ年に宮廷魔術士に入隊した術士で、現在はエメラルドの配下で研究をしている。
 大体が性格に一癖はある宮廷魔術士たちの中、まさに稀有と言っていいほど素直な性格と噂の彼女。
 それ故に色んな諸先輩方に都合よく使われがちな立ち位置でもあるが、その分多くの魔術士たちと関わるため、魔術棟内部事情には妙に明るかったりする。
 キャットなどは、実はオニキス自身がそれを分かって敢えて演じているんじゃないか、などと穿って見ていたりもするが。

「やっぱり、魔術士としての伝統を軽んじているからだと思いますよー?」
「魔術士としての伝統・・・?」

 イマイチ魔術士界隈の事情が分かっていないキャットが首を傾げると、オニキスは身振り手振りを加えながら話し始めた。
 彼女が言うには、最近になって術法研究所での新たな研究のために各地から招呼された魔術士たちの中には、いわゆる伝統的な魔術教育を受けていない者たちも多くいるとのことである。

「界隈ではフリーメイジ、なんて呼ばれていますけど、要は伝統的な魔術の基礎や理論を尊ばず、粗野な手法で怪しげな実験を繰り返す野蛮な人たち・・・って、アリエス様は言ってましたー」
「ははぁーん・・・まぁあの人、明らかに余所者嫌いそうだもんね」

 現在宮廷魔術士のトップに座する魔術士アリエスは、代々宮廷魔術士を排出する家系に生まれ幼少の頃より伝統的な英才教育を受けてきた、ガチガチの保守派魔術士である。
 そんな彼は、自分にも他人にも厳しい性格としても有名である。近年はヘクターと絡み始めた影響からか少しは丸くなったとの噂もあるが、未だ自分が認めたもの以外には冷淡な態度を取りがちであった。

「まぁフリーメイジさんたちの言っていることも全然分かるんですけど・・・アリエス様が聞いたら『魔術士の伝統を汚すつもりか!!』とかって発狂しそうなことを、平気で口走るんですよねー」
「あー・・・何となくイメージ掴めた。ところで、そのフリーメイジって、どんな人たちなの?結構若い子もいたり?」

 キャットが少し身を乗り出しながら聞くと、アイスティーで唇を濡らしながらオニキスは小さく首を傾げた。

「んー、老若男女、割と幅広い年齢層だと思いますよー。でもそんなに若い人は多い感じじゃないかもですー」
「ふーむ・・・」

 オニキスの発言内容を脳内で整理しながら、キャットは腕を組んで背もたれに体重を預け、快晴の青空を見上げるのであった。






「打ち込み、止め!!」

 ジェイムズの号令が訓練場内に響き渡り、模造剣を打ち込み台へ振るっていた隊員らが一斉に動きを止め、思い思いにリラックス姿勢に移行する。
 ジェイムズとライーザの所属する軽装歩兵部隊は帝国軍の中で最も所属人数が多い隊であり、帝国歩兵の要と言える。そこで本年から隊長を務めることになったジェイムズは、性格には少々融通の利かないところがあるものの、それでも多くの隊員に慕われる真っ直ぐな男だ。武具の類は大抵器用に使いこなすが、中でも大剣を一番得意とする。その実力はかつて帝国一の使い手と名高かった故ヴィクトール皇子にも匹敵すると言われ、同じく帝国最強の一角を担う傭兵隊のヘクターと常に競い合っている。
 そして彼を補佐する形で同じく今年から副長を務めるライーザは、ジェイムズ以上に武芸百般に通ずると言われるほどに様々な戦道具を使いこなし、その継戦能力の高さは軽装歩兵隊歴代最高とすら言われている。
 両名ともその能力を遺憾無く発揮し誰よりも日々の訓練に精を出すので、帝国軽装歩兵隊の指揮は、常に高い。
 だがしかし、最近のライーザ副長の様子には、隊員たちからも心配する声が上がっていた。
 訓練中は、何ら普段と変わらない様子でいる。だがこうして休憩になった際などは、普段なら隊員たちに細やかなフォローや助言を怠らないライーザだったはずが、最近はめっきり黙り込んでため息ばかりついているのだ。

「ジェイムズ隊長・・・」

 こそこそと駆け寄ってきた隊員の呼びかけにジェイムズが応じると、隊員は悟られないようにライーザを見ながらジェイムズに耳打ちしてくる。

「ライーザ副長、流石にやばくないっすか・・・もう見てらんないっすよ・・・」

 慕われる彼女だからこそ、隊員もこうして心配して最近はジェイムズに相談をしてくる。
 ジェイムズという男がこの手の相談にはあまり適さない人物であることは隊員たちの方がよほどよくわかっているだろうに、それでもこうして声をかけてくるのだから、相当なことなのだろう。
 ここで以前のジェイムズならば、問答無用でライーザに直言しただろう。休憩中とはいえ、隊員に心配を掛けるのは副長としてどうなのか。原因が私生活にあるとて、立場があるのだから服務時間内にそれを悟らせるな、と。
 彼は過去、何度かそうした物言いで舌禍を招いたことがあり、今は流石にそうしたところで何も良い方向には進まないということを知っている。
 しかし、かといって上手くことを運ぶ手腕を身につけたと言うわけでもない。

「うむ・・・俺も気にしてはいるんだがな・・・」

 隊員に対しては、そう言ってやるのが精一杯だ。
 隊長として、情けない限りである。

「あの、隊長。少々よろしいですか」

 そこへ、今度は別の女性隊員が駆け寄ってくる。そちらに振り向いたジェイムズが彼女の口から話を聞くと、彼はあからさまに眉を顰めた。

「ふむ・・・わかった、すぐ行く。すまないが休憩が終わったら、通常訓練メニューを続けていてくれ」

 短くそう回答すると、ジェイムズは女性隊員が指し示した方へと足早に歩いていった。


 訓練場の外まで出てきたジェイムズは、そこで待っていた人物の前に歩み寄って相対し、わかりやすく口をへの字に曲げて腕を汲んだ。

「・・・訓練中にお呼び立てしてしまい申し訳ありません、ジェイムズ隊長」
「構わない。休憩中だ。で、何の用だね・・・ライブラ君」

 ジェイムズを呼び出したのは、渦中の人物、ライブラであった。
 この2年ですっかり背が伸びた彼は、ジェイムズともほとんど身長に差がないほどに急成長した。髪も少し伸び、以前はブカブカだった宮廷魔術士の外套もすっかり着こなした様子の、今の若手で一番の成長株。
 そして、軽装歩兵隊副長たるライーザと清い交際をしているという噂の青年。

「不躾ながらジェイムズ隊長にお願いしたいことがあり、参りました。どうかこちらを、隊長からライーザ副長にお渡しいただけませんでしょうか」

 そういってライブラがジェイムズに差し出したのは、小さな封筒だった。手紙かなにかが中に入っているのだろう。
 それを半眼で見下ろしたジェイムズは、しかし受け取る様子もなくライブラに視線を戻した。

「何故俺を介する。君が直接渡せばいいのではないかね」
「・・・今は、それは出来ないのです」
「ほう。それは何故かね」
「それは・・・私が未熟なためです」

 言葉少なく、応酬を交わす。
 ジェイムズは決して、口が良く回る方ではない。だから、ここで彼がライブラ相手になにか情報や事情を聞き出そうとしたところで、恐らく上手く行くことはないだろう。それは、本人もよくわかっている。
 そしてまた、彼がそう言う男だとわかっているから、恐らくライブラも彼の元に来たのだろう。
 恐らくここでジェイムズが断ったところで、ライブラは何か別の方法で間接的にライーザへこの封筒を渡すだけだ。
 その上で、恐らく彼は最初にジェイムズの元を訪れた。

「・・・一つだけ教えてくれないか、ライブラ君」

 腕を組んでの仏頂面は崩さぬまま、ジェイムズはライブラへと問いかける。
 彼には、言いたいことが山ほどあった。
 仲間を思う気持ちが人一倍強いジェイムズという男だからこそ、信頼のおけるライーザの痛々しい様子には誰よりも心を痛めているし、どうにかしてあげたいと思っている。だからその原因と目される彼には、きっと夜通しでも足りないくらい、言いたいことはたくさんあるのだ。
 しかし、そんなことに意味がないことをジェイムズはわかっている。だからせめて一つだけ、一番大切なことを彼に聞いておきたいと思ったのだ。
 ジェイムズの言葉にライブラが顔を上げ、真っ直ぐにジェイムズを見つめ返した。
 その瞳を鋭く射るように、数秒の間ジェイムズはライブラを見つめ続ける。
 その間、ライブラは微動だにしない。

「・・・いや、やはりやめた。これは、俺からライーザに渡しておこう。君からだ、と伝えて構わないな?」
「!!・・・はい・・・ありがとう、ございます」

 すんなりと封筒を受け取りながらジェイムズが確認すると、ライブラは深々と礼をしながら答えた。

「確と承った」

 そう言いながら封筒を腰回りのポシェットに仕舞い込み、颯爽と訓練場へ戻っていくジェイムズ。
 ライブラはその後ろ姿が見えなくなるまで、深々とした礼を崩さなかった。





 夕食時。いつもの大食堂の、いつものテーブル席。
 意気消沈した様子でラザニアを突つくライーザの向かいに腰掛けたテレーズは、持ってきたミートソースパスタを無言で食べ始めるが、数口の後、意を決してライーザに声をかけた。

「・・・ねぇライーザ。ライブラ君の相手のこと、気にならないの?」

 十数秒の、沈黙。
 その後に、ライーザは食べる様子もなく突ついていただけのラザニアに興味を失くしたのか、テレーズへと顔を向ける。だが、目を合わせる気力はないのか、テレーズの胸元に視線は落としていた。

「・・・気にならないっていったら、そりゃ嘘よ。すごい気になる」
「・・・うん」

 当たり前のことだろう。こんなこと、本当ならば聞くまでもない。
 ただ、ひとつひとつ彼女の心に問いかけていかなければ、何も前には進まないのだ。だからテレーズは今自分が究極におせっかいだということを自覚しながらも、言葉を紡ぐ。

「・・・私、2年前あんたにけしかけられるような形でジェラール様にアタックしたけど、そのこと、今も本当に感謝してる。自分だけじゃ、絶対動けなかったから」
「・・・・・・」

 ライーザは、黙ってテレーズの話に耳を傾けていた。
 その様子を見つめながらくるくるとパスタを巻き続けていたフォークを止めると、テレーズは身を乗り出す。

「だから今回は・・・私から言わせてもらうわ。あんたが諦めるってんなら、それもいい。でもせめて、あんたが本当に身を引くに値する相手なのか、ちゃんと知っておくべきだと思う。それはあんたの権利ってより、義務のはずよ。あんた、あの子に相応しい人が現れるまでって自分で言ってたでしょ。本当に相応しいのかどうか、あんた自身が確かめなくてどうすんのよ」
「・・・でも、ライブラが選んだ人なら・・・」

 再びラザニアを突きはじめるライーザを、テレーズがさらに追い討つ。

「あんたね、齢17の男の子なんて色仕掛けされたら理性なんぞ消し飛ぶわよ。ライブラ君はそんなんじゃないって私も信じてるけど、でも絶対なんてないわ。私たちは常に最悪の状況を想定し、その上で最善手を見極め確実な勝利へのプロセスを実行する。帝国兵の行動大原則よ」
「・・・・・・」

 テレーズの勢いに気圧されるように、ライーザは再び手を止める。

「あんたが直接確認する勇気がないってんなら、私が見極めたっていい。だから、あんたが知っている限りのことを私に教えて」

 止まったライーザの手に自分の手を重ねながら、テレーズはライーザの瞳をまっすぐに見つめる。その瞳を受け止めきれずに見つめては逸らすという行動を繰り返していたライーザだったが、やがて硬く閉ざされていた形のいい唇が微かに震え、彼女は静かに、語り始めた。





「つまり纏めると・・・」

 再び城下町の酒場に集まった4人は、丸テーブルを囲んで調査結果を持ち合っていた。

「やっぱり怪しいのは術法研究所のために外部から集まってきたフリーメイジという連中で、伝統的な魔術の仕来りなどを軽視するから宮廷魔術士と相性が悪くて、年齢層は様々だけどあんまり若いのがいるという話は内部でも聞いてなくて・・・」

 まずはヘクターとキャットが聴き込んできた情報をテレーズがまとめていく。
 ちなみにヘクターが言うには、アリエスからはキャットと似たような情報以外はひたすら愚痴ばかりを聞かされ、思っていたほど情報は得られなかったそうだ。

「そしてライーザが見かけたライブラ君と親しげにしてた女ってのは、今の流行りではないけど品のいい衣服に身を包んでいて、スタイルはすらっとした感じ。長い銀髪を後ろに結んでいたって。後ろ姿しか見ていないらしいけど、見た感じはどこぞの貴族のお嬢様っていう感じにも見えたとか」
「うーん・・・そんなの、フリーメイジ連中の中にいたかなぁ・・・」

 テレーズの話を聞きながら、キャットは盛大に首を捻った。

「あとは・・・」

 テレーズの言葉と共に、彼女とキャット、そしてヘクターの視線がジェイムズへと注がれる。

「ジェイムズがライブラ君から受け取ったっていう、手紙がなんなのか・・・ね」
「あぁ。訓練終わりに渡そうとしたんだが、ライーザは直ぐに沐浴に向かってしまったみたいでな。明日渡そうと思う」

 ジェイムズはエールジョッキを傾けながら何食わぬ顔でそういうが、その様子を見るテレーズとキャットはというと、いかにも何か言いたげな表情だ。

「その手紙っての、今持ってんだろ?見てみようぜ」

 何食わぬ顔でヘクターが呟くと、テレーズとキャットはぴたりと動きを止める。2人とも理性ではそれがダメなことだとわかっていても、正直なところとてもその手紙の中身がめちゃくちゃ気になっているのは確かだった。

「それはダメだ。双方に失礼というものだろう」

 ピシャリとジェイムズが却下すると、ヘクターは無言で肩をすくめながらエールを呷る。ついでにテレーズとキャットも、己の邪な考えを振り切るように手元の杯を傾けた。

「それに俺はこれを受け取る時にライブラ君の目を見て、彼が何か特別やましい気持ちを抱いているとは感じなかった。だからこの手紙はきっと、ライーザにとってそんなに悪いものではないと思う」

 ジェイムズという男は、確かに口が回る方ではないが、一方で人を見る目は確かだ。彼が多くの人に信頼される大きな要因の一つは、そこにあるといっていい。
 その彼がこうまで言うのだから、そこには一定の信憑性があるのだろう。
 だが、それでもまだテレーズらは腹落ちしかねていた。

「・・・じゃあ、明日その手紙を受け取った後のライーザの動向は私とジェイムズで注視するから、キャットとヘクターは集めた情報の人物像に当てはまりそうなのがいないか、引き続き捜査を進めてちょうだい」

 テレーズの言葉に各々が頷き、今日のところはこの話はここまでとなった。




最終更新:2025年02月25日 09:15