ゴドウィンの変、なんて呼ばれ方をしているらしい先日のロアーヌでの事件は、多分、あたしの人生を大きく変えたんだろう。
 なにせ、生まれてから今までの二十年を開拓地シノンから殆ど出たことなんてなかったあたしが、あの事件から数日経った今、どうしたワケか港町ミュルスでこうして遠く離れた地へと誘う船を待っているのだから。
 そして更に驚くべきことは、あたしの隣で眠たそうに欠伸をしている風変わりな男が、これから始まる未知の旅の連れだということだ。
 いや、正確には違ったか。あたしは最早、この男に連れ去られたに等しい。
 お節介にも、今まで当然だと思っていた自分の居場所がなくなって呆然としていたあたしを、この男は連れ去ったのだ。






「なんだ、エレン。未だにウジウジ考えてるのか。意外と女々しいな」

 遠く吹き鳴らされる汽笛の音を聞きながら空をぼーっと見上げてたら、隣の男が欠伸をかみ殺しながら話しかけてきた。
 男の名は、ハリード。戦人の間では有名な腕利きの傭兵らしいけど、正直知ったこっちゃない。

「・・・相変わらず煩いオヤジね。抑もあたしは、正真正銘の女よ。女々しくて何が悪いのよ」

 ワザと不機嫌っぽく声色を変えながら、半眼でハリードを見る。
 だけどハリードはそんな事には一切動揺なんてしないで、さっきまでのあたしと同じ様に、青く広がる空に目を向けた。

「ま、海に出たら気分も変わるさ。精々今のうちに、暫しの別れとなるロアーヌ領土を眺めておくんだな」

 たいそう他人事の様にそう言うと、少し深くベンチに座り込んだハリードは目を瞑って昼寝にはいってしまう。
 それをあたしはため息一つついて眺め、言われた通りに少しでも記憶に残そうと周りの風景に視線を投げかけた。






『あんたが一緒じゃ、トムの邪魔になるだけよ』
『そんなことないよ。私だって、お姉ちゃんがいなくても一人でトムの手助けが出来るわ!』

 ずっと守り続けてきた最愛の妹の、これが初めての口ごたえ。
 一言一句、忘れず覚えてる。
 それでまさか頭に血が昇っちゃうなんて、あたしってまだまだ若いんだなって思ったわ。
 何時の間にか、あの子を自分の所有物気取りしてたってワケ。これってすっごい自己嫌悪。
 それで喧嘩別れして、何故かこのおっさんに連れ去られて今に至る、と。
 ほんと、なんでこんなことになったのか。
 あたしはこれからどうすればいいっていうのか。最愛なる妹は今頃はどうしているだろうか。
 ・・・とまあ、すごく色々と考えてしまうわけよ。
 とは言え妹のことは、最もあたしが信頼する友人のトムが任せてくれって言ってくれたから、実はそんなに心配はしてないのよね。
 トムなら寧ろ、あの子の成長をあたし以上に巧く手助けしてやれることでしょう。
 そう思ってしまうところも、自己嫌悪の一因だけど。
 そんなわけで、これまであたしの中の殆ど全てを占めていた存在理由が無くなってこれからどうしようかってとこなのだけれど、そんな人生最大の悩みを女々しいの一言で片付けてくれやがった隣のおっさんは、そう言えばなんであたしなんかを連れ出したんだろうか。
 なんか変なことを考えてたらいつでもぶん殴ってやるけど、多分違うって思う。
 このおっさんは、多分あたしよりもっとずっと、無くしてる。
 類友っていうのかな、こういうのを。そんな気がする。
 何となくそれを感じてしまったからだろう。
 今こうしているのは、居心地が悪くもない。
 傷の舐め合いみたいで情けないけど、今はそんな行為に甘えていたい。
 だから、あたしは連れ出されてしまったんだ。

 あぁ、確かにあたし、ちょっと女々しいかも。




『どうした? みんな行っちまったのに、なんで残ってるんだ?』
『そんなのあたしの勝手でしょう! 一々煩いオヤジなんだから!』

 生まれも育ちも性別もそうだ。
 思えば何もかもが違うはずなのに、あの時のこいつは、まるで昔の俺みたいだった。
 突然、無くした、って顔をしてたのさ。
 それでいて顔が姫と瓜二つだなんて、そんな馬鹿みたいな話があって良いものかと思ったよ。
 自慢じゃないが、俺は硬派なんだ。自分から女を旅に誘うなんて、今の今までただの一度だってした事がない。本当だ。
 だが今回は事情が違う。
 こいつは姫と瓜二つのくせに、よりにもよって俺と同じような顔をしていやがった。
 そんなのに声を掛けずに立ち去れる奴がいるか?
 少なくとも俺には無理だ。なにせ、俺は割りかし節介焼きな方だからな。自覚してるよ、そんくらいはな。
 そんな優しさに対する返答がオヤジ呼ばわりなのは、納得いかないがな。
 まぁそうはいっても、こうしてついて来たんだ。多分こいつも、奥底で気が付いてたんだろう。自分が、無くしちまった、って事を。
 そうして今に至るなら、まぁいい。
 俺がこうした事にも、こいつがついてきた事にも、いずれこれからの旅の中で答えが出てくる事だろう。
 だが正直、この先に関しては戸惑いも多い。
 勢い余って連れてきちまったものの、こう、なんつうのかね。年頃の女の扱いってのは、慣れちゃいない。
 戦闘の素質は十分過ぎるほどにあるし、気質もいい。性格も快活で、そういう意味では扱いに困る奴じゃない。
 だが、女だ。
 暫く旅をすれば色々とあるだろう。と言うか既に、対応をどうしようか懸念する事がいくつか有るんだ。
 例えばそう、あれだ。月一のアレとか。
 俺は察してやるべきなのか、敢えて無視するべきなのか。
 街でとる宿は風呂付きのとこにしてやった方がいいのか。
 あ、野宿も含む旅路の備品には、体臭を気にするなら香水とか持たせた方がいいのか?
 一先ずはこうして昼寝を装っている間に、それらの事項に対して基本指針を立てなければならない。
 うぅむ、前途多難な気がしてきた。

 あぁ、確かに俺、オヤジかもしれねぇな。









 先日の嵐が嘘の様に、穏やかで透き通る様な青い空の下。
 アイスティーを買ってきて二人で並んで飲みながら、間もなく荷の積み込みが終わる船舶を眺めていた。

「ねぇハリード」
「・・・なんだ?」

 此方に視線は向けずに、野太い声だけが返ってくる。
 寧ろその方が話しやすいので、そのまま続けた。

「ありがとう」

 ポツリとそう言うと、ハリードはぴくりとも表情を変えないまま、アイスティーを一口啜った。

「まだ、何も変わっちゃいない。今、礼を言われる筋合いは・・・」
「変わったじゃない」

 言葉を途中で遮ってやると、あたしは大きく一歩踏み出してハリードに向き直った。

「二人だよ。ついさっきまで一人だったのに、今は誰かと一緒にいる。これって、すごい変わり様だと思わない?」

 アイスティーを口に添えたまま二度三度目を瞬かせてあたしを見たハリードは、ゆっくりとカップを下ろすと、ニヤリと口の端を吊り上げて笑った。

「そうだな。確かにそうだ」
「でしょ?」

 満面の笑みと共に、あたしはそれに応える。
 最早、グダグダと悩んでいるのが馬鹿らしくなっていた。
 考えたって今はどうしようも無いし。
 あたしはあたしの何かを、これから見つけなくちゃならない。
 そう、何かよくわからないけれどこれはきっと、チャンス。それくらいの気持ちでいよう。
 しかも、一人だと不安もあるだろうけれどワザワザそれに付き合ってくれる道連れがいるなんて、有難いことじゃない。
 よし、決めた。世界、どんとこい。





「わ、ハリード見て見て、イルカ!」
「・・・そんな珍しいもんか?」

 船のヘリから海面を見下ろして、大はしゃぎするエレン。
 こいつはさっきから、ずっとこんな調子だ。

「そりゃ珍しいわよ! シノンの田舎っぷりを舐めちゃいけないわ!」
「いや、今一番シノンを舐めたのはお前だぞ・・・」

 なんでかよく分からないが、兎に角、本人の中では吹っ切れたようだ。
 このテンションに付き合うのは骨が折れそうだが、まぁたまには騒がしい旅も悪くない。
 はしゃぐエレンを尻目に、俺はいたって平和な青空に視線を投げかけた。
 今回のロアーヌでの一件から、どうも何かが動き出したような気がしてならない。急激にではないが、しかし緩やかでもない速度で。
 そして確実に、その流れによってこの世界の何かも変化していく。そんな予感がする。
 つまりはあのデカイ事件が、さらに大きな何かの始まりの様に思えてならないのだ。
 単なる勘だが、意外とこういう勘ってのは当たるもんだ。

「ねぇハリード!」

 物思いに耽っていると、また名を呼ばれた。こう自分の名を連呼されるのも、随分と久しい。

「イルカって食べれるのかな?」
「・・・意外といけるかもしれんな」
「ほんと!?」

 なにやら周囲をキョロキョロと見渡しはじめたエレンを眺めていたら、急に小さな笑いがこみ上げてきた。
 久しく忘れていたような、そんな笑い。そんな気がする。
 なにが起こるかも分からないのなら、どんと構えていればいい。
 今までずっとそうしてきたし、これからもそうだ。
 それが愉快なものならば良かろう。
 それが不愉快なものなら・・・こいつと一緒に、ぶっ潰すのも悪くない。
 さて、流石にイルカの一本釣りを始めそうな勢いの相方をそのままにしておくのは拙いだろう。
 ため息と共に自然と自分の口の端が吊り上がるのを自覚しながら、俺は今まさに釣竿を振りかぶったエレンに向かって歩き出した。





最終更新:2012年07月03日 23:58