再び新市街の邸宅へと集まった一行はまずミューズ等と初対面であったもの達が自己紹介を踏まえて軽く挨拶を済ませ、そして今回ミューズ達に起きた事件の経緯を知った。
そして次に先ほど旧市街で行った会議の内容を触りだけ伝え、そのあまりに予想外な事の重大さに館に居た面子は固唾を飲んだ。
なにせ、つい昨日には自分たちが世界を救う使命を帯びているなどというおとぎ話の様な出来事に巻き込まれたばかりであるというのに、今度はこれから聖王暦誕生の時より栄える世界最大国家のクーデターに巻き込まれるかもしれないというのだから、これは無理も無い反応だ。
カタリナは改めて大広間に集まった面々に対し、自らにこの件に対して確固たる参画の意思がある者のみ以後の参加を願いたいと告げた。
何しろ、これは失敗することがあれば逆賊として世界最大国家から追われる立場となるのが確定している行動となるからだ。無論、捕まれば有無を言わさず極刑だろう。
それほどのことに、意思確認もしないままなだれ込むようなことは流石に出来ない。
だが現状を再確認したところでここに集まっていた全員の腹はとうに決まっていたようで、妙にやる気を見せたモニカを筆頭に、皆が即座に首を縦に振った。
其々の意思表示に対してこちらも大きく頷いたカタリナとトーマスは、早速これからについての会議を始めることにした。
全体の流れとして先ほど旧市街で話した内容の要点と直近の方針を繰り返した後、まずトーマスが完全に役割分担を決めて動く事を提案した。
一同がそれに賛同するとトーマスは軽く頷き、部屋の隅から大きな紙を持ってきて卓上に広げ、慣れた手つきで羽ペンを構えた。
「今後、我々はミューズ様とシャール様を中心とした現政権打破の為の中心となるピドナ駐屯チームと、カタリナ様を中心とした様々な情報収集の為のチーム、そして私を軸にしたカンパニー運営による後方支援チームの三つに別れて動こうと考えています。メンバーの各振り分けは、この様なもので如何でしょう」
そうしてトーマスが紙の上にスラスラとペンを走らせていく。
先ずミューズとシャールの下に名前が書かれたのは、モニカ、ユリアン、ノーラ。
そしてカタリナのチームにはハリード、エレン、ポール。
最後にトーマスの所にはサラと、ポールの名前が書かれた。
「ちょ、まてよ、俺が分身してるぜベントの旦那」
大袈裟に肩を竦めながらトーマスのうっかりを指摘するポールだったが、しかしトーマスは悪びれなくニコリと笑った。
「いえ、これで良いのです。ポールにはカタリナ様と共に向かった先々で、しっかり営業もしてもらわなければなりませんから」
笑顔のままのトーマスに、ポールは引き攣った笑みで応える。
そこで、次にシャールが口を開いた。
「ピドナでは内心ルートヴィッヒに反感を抱く者は宮廷内、商人、市民にも数少なくない。其れらは、直ぐにでもクラウディウスの名の下に集うだろう。我々が行う水面下での動きは、いざ事を起こす時の規模をどれだけまで拡大できるかが鍵となる。当面はそのための根回し、情報の共有に力をいれて行くつもりだ」
よろしく頼む、とシャールが頭を下げると、ノーラ、モニカ、ユリアンはしかと頷いた。
次に、トーマスが口を開く。
「私の方では、フルブライト商会との連携を組みながら、ピドナ経済を睨みつつこれまで通りに会社の規模拡大と、いざとなれば経済圧力をかけられる段取りを整える事に注力します。ここでの運営には秘書にサラ、あとはこの邸宅を有する従兄弟のハンス商会がいれば十分です。外へはポールの獲得するアポイントで飛び回り、各国に影響力を持っていきます。経済面でのアシストは、お任せください」
トーマスがそう言うと、サラがささっと伊達眼鏡をかけて腕を組んで見せる。
それに顔をほころばせながら、最後にカタリナが席から立ち上がった。
「私達は、ミューズ様達やトーマス達の活動の肝となる情報を収集していくわ。先ずはグレートアーチへ。そこで必ず、神王教団を崩す為の手掛かりを持って帰るわ」
力強くカタリナがそう言うと、その場の全員が頷いた。
その後の話し合いの結果、暫くは今まで通りにここハンス商会所有の邸宅を活動拠点とし、ミューズ達も身の安全を考えて当面はここに住まう事となる。
そして直ぐ様カタリナ達の出発の日程が一週間後で組まれ、あとは自由時間となった。
短い休息を終えた、グレートアーチ出発当日の早朝。
ふと暁に目を覚ましてしまったカタリナは大分時間を持て余し、まだ朝靄の漂うピドナ市街地を何気なく歩いていた。
流石に世界の中心たる都市は、朝も早くから既に街全体が動き出している。
通りのカフェからパンを焼いている香ばしい匂いが漂ってきて鼻腔を擽ったかと思えば、朝市の為に大量の魚介類が載せられた手押し車が忙しなく市場へと搬入されていく。
その様をまだ眠そうな眼で眺めながら、カタリナはぼんやりとロアーヌを出てからここに至るまでの出来事について、頭の中で反芻していた。
気が付けば彼女がマスカレイド探索の旅に出てから、既にもう半年近くにもなる。
其の間に幾分かの遠回りと、一筋縄では行きそうにも無い別の案件を抱え込みながらも、いよいよ彼女の本来の目的へとつながる明確な手掛かりが掴めたのだ。
着実に彼女の旅は、前に進んでいる。
だが、今ここにきて彼女の心は、どうした事かあまり晴れやかではなかった。
これまでの旅の中で、彼女を取り巻く環境は以前とは比べ物にならぬほどの変容を遂げている。
それはつまり、最早このまま順調にマスカレイド奪還が成されたとしても、それで全てが丸く収まるなどという状況では無くなってしまった、ということなのだ。
魔王殿での一件に起因する四魔貴族と聖王にまつわる伝説の事や、ここに来て表面化したメッサーナ王宮に渦巻く事情。
そして何より、偶然の再会を果たしたモニカの、ロアーヌとの決別という決断。
これこそ、もうあの頃へと戻ることの出来ぬ何よりの変化だ。
確かに旅の当初の目的の達成には近づいたが、しかし彼女が心の奥で切に望む様な以前の暮らしには、もう戻れない。
その事実が、今になって彼女の心の中で燻っていた。
だが、それは仕方の無い事なのかもしれない。そう、カタリナには感じられた。
考えてみればあの頃のままいつまでもモニカがあそこにいてくれたわけではないし、同じ様に、世界がそのままであるはずも無い。
仮にあの事件が無くあのままであったとしても、遅かれ早かれ変化は訪れていたはずなのだ。
そして、よしんば全てがあの時のままでマスカレイドだけが戻ってきたとしても、だからといって彼女はもう今まで通りにあの頃のあの場所に居られはしない。
それだけの失態を、自分は冒してしまったのだ。
だから今はもう、この先にあるものをありのままに享受するしかない。
それは、重々頭では分かっている。
だが人はそのような状況でこそ、より強く、叶わぬと分かった望みに惹かれる。
世界中心都市の名にふさわしい広大な港から少しずれてヨルド海とトリオール海を一望できる防波堤に辿り着いたカタリナは、遠く太陽の登る方角にゆっくりと体を向けた。
(・・・せめて・・・一目だけでもいいから・・・)
頭の中でその言葉を一瞬思い描き、カタリナは慌てて頭を強く左右に振った。
(いけない・・・。こんな事だから、私はこうなってしまったというのに・・・)
浅く唇を噛み締め、次いで頬をパシリと軽く叩き、気を引き締めようとする。
だが、それでも一度頭の中に思い描かれたその願望は、そう容易く掻き消えるようなものではない。
それどころか、これまで考えようとせずにいた事がこんな時になって、堰を切って出たように目まぐるしく頭の中を駆け抜けていく。
それが過ぎると、今度は何故か急に心が酷く乾き、五感に感じる全てが虚しくなってしまうのだ。
それらが最早永久に叶わず、望む事すら躊躇われるものであるのであれば、なおの事。
ゆったりと波打つ大海に反射した朝日に照らされる中で突然に訪れたその感情の波の前に、彼女の心は張り裂けてしまいそうになっていた。
「・・・冴えないご様子ですね」
ふと聞き慣れない声が海風と共にするりと耳に入り込んできて、カタリナは言われたままの冴えない顔で、声のした方向に振り向いた。
するとそこには、明け方の街並みにはこれでもかというほどに不似合いな、風変わりな服装の男が立ってこちらを見ている。
「貴方は・・・この間の聖王記詠み・・・」
「ええ、先日はどうも。覚えていただいていて光栄です」
ぺこりと詩人が会釈をするが、カタリナはそれを伏し目がちに見ただけで、再び海へと視線を戻した。
「・・・悪いけど、一人にしてもらえないかしら。今は、あまり人と話したい気分ではないの」
カタリナが明らかな拒絶と取れる言葉を放つが、しかしそれに対して詩人は反応せず、その場で軽く腕を組んだ。
「・・・お言葉ですが、カタリナ殿。貴女は一つ、大きな勘違いをしておられるようだ」
唐突な詩人のその言葉に、カタリナは自分の要望が聞き入れられなかった不快感を露わにした表情をする。
だがそれすらも届かず、詩人は言葉を続けた。
「最早貴女は個人である前に、組織の核として動かなければならない存在だ。となれば今その胸に抱く感傷も、今に至る切っ掛けとなっただけの当初の目的も、もう何の意味も為さない」
無機質に、詩人が言い放つ。
その唐突且つ部外者には知り得ない筈の情報が含まれた内容に驚いてカタリナが彼に向き直ると、その視線の先で詩人はニコリともせずに真顔でカタリナを見返し、彼女の背後から登りくる太陽の光に目を細めた。
「・・・いくら感情的に嘆こうとも、致し方無いこと。これは、貴女がその身に宿した運命なのです。そう・・・宿命、とでもいいましょうか」
日の光を遮るように帽子のツバを下げながら会釈をし、詩人はふらりとカタリナに背を向けた。
「・・・待ちなさい! 貴方、一体何者なの?」
カタリナが身構えながら多少語気を強くして言うと、それに立ち止まった詩人はなに食わぬ様子で肩越しに彼女を見て目を細めた。
「いずれ、また」
それだけ言って詩人は再び歩き出すが、カタリナはそれを止めようと小走りに近づく。
しかし詩人は動作の気配を感じさせずに振り返り、何時の間にか手にしていたショートボウに当てがった矢で彼女の影をすかさず射抜いた。
「・・・!?」
瞬時に術式が生きてその場から身動きが取れなくなった彼女を確認すると、詩人は帽子を深々と被り直して、再び会釈をした。
「そうそう・・・本題を忘れてました。南に着いたら、片足が義足の老人を訪ねると良いですよ。扱い辛い偏屈な老人ですが、恐らく彼が次のキーマンだ」
そう言って微かに笑うと、詩人は身動きの取れぬカタリナを尻目に悠々とその場を去っていった。
「・・・」
術式が解けるまでの十数分、朝焼けの中に取り残されたカタリナは詩人が去って行った方角を見つめながら、突きつけられた言葉の真意を自分に問い続けていた。
最終更新:2013年02月14日 00:52