間もなくグレートアーチだという船員の合図と入港準備に走り回る複数の足音を耳にしながら、閑散とした船内食堂に陣取ったハリード、エレン、ポールの三人は神妙な面持ちで三方から向かい合っていた。
 あの嵐から、現時点で五日が経っていた。
 船団は若干の日程遅れと一隻の船の損害を出したものの、ただ一人の乗客を除いて乗務員を含めた全ての人間が無事にグレートアーチへと辿り着いた。
 まともに立つこともままならないほどの暴風雨とあれだけの数の魔物の襲撃を受けた経緯を考えれば、この状況はこの上なく人的被害を抑えられたと言っていいだろう。
 しかしそのような事実も、そのただ一人の犠牲者を身内に出してしまった彼らにとっては、何の慰めにもならなかった。

「・・・なぁ、あんた等はどうする」

 沈黙が支配していた中、徐にポールが口を開く。するとそれに口では答えず、その真意を問うようにハリードが視線だけを投げかけた。
 その隣のエレンはポールに向き合う気もないらしく視線を落としたままだが、ポールは構わず続ける。

「・・・カタリナさんが行方不明じゃ、ぶっちゃけここにきた意味は無い。というか、あんた等にしてみればついてきた意味が消えたと言っていいだろう?」

 事実だけを直視したその言葉にエレンの表情が一層曇るが、これはどう言い繕っても仕方の無いことだ。
 ハリードはその言葉を受け止めてふんと鼻を鳴らし、逆にポールに問いかけた。

「それはお前も一緒だろう。お前こそどうする」

 逆に向けられたその問いかけに視線を険しくしたポールは、しかし勢い余って言葉を発するでもなく、ただ深いため息をついた。

「・・・俺は、ここで待つ。あのカタリナさんがこんな簡単にくたばるとは、思えない」
「お前、本気で言ってんのか? 確かにあいつは規格外の戦闘力だったが、しかし俺らと同じ人間だ。温海のど真ん中に身一つで放り出されて生きていられたら、それはもう人間じゃないぜ」

 考えるまでもなく至極最もなハリードの意見に、しかしポールはゆっくりと首を横に振った。そんなことは分かっていると言いたいのか、単に事実を信じたくないのか。その仕草だけではハリードにはどちらとも見えかねたが、そのあとで向けられた視線は、冷静なものであった。

「あんとき、カタリナさんは確かに何かを叫んで俺らと逆方向にいった。俺らが脱出するところだったのも見えてたはずだし、船がやばいのももちろん分かっていたはずだ。だが、それでもこちらには来なかった。この行動自体は、絶対に考え無しに離れてったわけじゃないはずなんだ」

 それに、と言葉を続ける。
 あの時確かにカタリナは、何者かと一緒にいたのだ。こちらに向かって何かを叫ぶカタリナよりも先に逆方向へと向かっていった人影を、確かに脱出艇から身を乗り出したポールは見ていた。それ自体はハリード達も同じく目撃していて、三人の中では共通の認識である。しかしいざ避難を終えてから乗客の点呼をとった時には、その場にいない乗客リストの人物は何度数えなおしても、カタリナだけだった。
 戦闘に混ざっていたポール達は、乗客の中では最後の最後まで船に残っていた。その彼らの後に船を脱出して避難先の船に移ったのはマゼラン船長と数人の水夫だけで、その中に乗客はいなかったとの言質も直接とっている。そうなると、カタリナと一緒にいた人物は船員でも乗客でもない誰かであり、それがカタリナがあの時すぐに脱出しなかったことに関係があるはずなのだ。

「あとは、ちっと気になる事を喚いている奴らがいてな・・・」

 そう言ってポールがチラリと視線を向けた先にさり気なくハリードも倣うと、その先には此方と同じく沈痛な面持ちで項垂れる一団があった。その雰囲気とはちぐはぐに多少色合いの派手な衣服に身を包み、年齢層も疎らな集団だ。
 ハリードがそれを眺めて眉間にシワを寄せると、ポールは小声で続けた。

「世界中を回っている、見世物小屋のキャラバンだそうだ。あいつ等も俺らと同じ船から脱出したクチでな。んで、あの小太りの男が座長だそうで、奴さん船を移ってからマゼラン船長にえらい剣幕で詰め寄っていてな」
「・・・そりゃそうだろう。恐らくは商売道具が全部海の底に沈んだんだろうからな」

 肩を竦めながらハリードが冷たく言うと、ポールはそれに小さく頷いた。

「ああ、そうらしいな。んでまぁわんさか喚いていたんだが、なかでも一等捲し立てて繰り返し叫んでたのは・・・妖精って単語だ」
「妖精・・・ねぇ」

 ハリードが半信半疑に怪訝な顔をする。確かにしきりに同じような事を繰り返していたのは彼も聞いてはいた。我々が苦労の末に手に入れた世紀の一大発見、本物の妖精が積んであったんだぞ、どうしてくれるんだ・・・とかどうとか。そんな事を只管叫び続けていたのは、確かにあのキャラバンの座長だった気がする。

「・・・俺の見間違いじゃなければ、あの時カタリナさんと一緒にいた奴の背中に、確かに何か不自然なもんがくっついてるのを見たんだ。あれが衣服の類ではなく・・・そう、羽だとすれば、カタリナさんはその妖精とやらと一緒にいた事になる」
「・・・成る程。それで・・・? よしんばそれが妖精だったとしたら、だからどうなるというんだ?」

 話半分のつもりで重ねてハリードが問うと、しかし彼の期待に反してポールはそこで肩を竦めた。

「わかんねぇよ。でも、何か理由があってカタリナさんはそいつと行動を共にしてたんなら、単に逃げ損ねた・・・なんて展開はやっぱ考え辛いと思うんだ。それに、妖精は大気を味方につける種族だ。それと一緒なら、小舟の一艘でもあれば生き延びてる可能性は高いと思う」

 夢物語にも近い単なる憶測だろうが、しかしポールはいやに確信的だった。
 確かに妖精が大気を味方につけるというのも、彼の言葉なら頷ける部分はある。何しろ彼は現在、聖王遺物である妖精の弓の使用者だ。妖精族が聖王に献上したとされるその弓は風の流れを矢に載せて放ち、その威力は小型のサイズからは想像もつかない強弓なのである。
 その彼の言葉に少し真面目に可能性を考えてふむと頷いたハリードは、ほったらかしてぬるくなってしまったエールを喉に流し込んだ。

「カタリナはなんて言ってた?」
「あん・・・?」
「グレートアーチに着いてからの予定だよ」

 耳に入ってくる言葉にエレンがゆっくり顔をあげる横でハリードが空になったジョッキを置くと、ポールは片目を瞑りながら頭を掻いた。

「うーん、それがなぁ・・・。ほれ、ピドナからずーっとあの調子だったから、殆ど聞いてねぇんだよな。ただまぁ、なんかアテっぽいのはあったらしいけど・・・」

 唸るポールに対して口をへの字に曲げたハリードは、ひとつ短いため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。
 それをポールが視線で追うと、彼もまた頭を掻いて口を開く。

「まぁ文字通り乗りかかった船だ。お前がそこまで言うなら、もう暫くは付き合うさ」
「うん!」

 ハリードの言葉に合わせてこれまでの様子から一変して元気に椅子を跳ね除けながら立ち上がったエレンと共に、ポールもニヤリと笑いながら腰を上げた。

「・・・よっしゃ。そうと決まれば、カタリナさんがここにくるまでしっかりバカンス・・・してたらキレられるか。何をアテにしてたかは知らねぇけど、何とかそれっぽい情報収集位は進めよう」

 テーブルの傍らに置いてあった荷物を手早く纏め、一行は既に停泊準備に取りかかった船の外へと視線を向けた。







「うふふふふ、あは、こ、ここどこなのかしら・・・ふふふふふ」
「えっと・・・ジャングル、です・・・」

 見渡す限りに鬱蒼と生い茂る熱帯地方特有の大きく育った草木の間をかき分けながら、道とも言えぬ道をカタリナとフェアリーの二人は進んでいた。
 色鮮やかな鳥や蝶々が視界の隅を幾度も飛び交い、この熱帯雨林に生息する様々な動物たちの鳴き声が止むことなく木霊する中、フェアリーが先導する形で二人はかれこれ三時間ほどにも差し掛かる行軍の最中であった。

「あはは、ここがジャングルなのね!くふふふふ、わ、笑いが・・・止まらないわ」
「す、すみません・・・よく迷い込んだ人たちに仲間が食べさせていたから、大丈夫だと・・・。まさかワライダケだとは思わなくって・・・」

 世界各地に童話や伝記にて名を残す中でも特に多く見られる記述によれば、非常に悪戯好きだとして伝えられる妖精族。彼らは不運にもジャングルに迷い込んだ現地人を様々な方法でからかっては、その驚く様をみて楽しむという。
 しかし目の前の少女を前にそんな事など思い出しもしなかったカタリナは、海上漂流で数日の断食から漸く陸地に流れ着いたところで流石に限界を感じ、何か食べれるものはここにはないかと食料を欲した。そこでフェアリーが少し考えた末に人でも食べれるものがある、と言ってジャングルの中から持ってきてくれたキノコを食べてからこっち、彼女はずっとこんな調子だった。

「あははは、ぜーんぜんいいのよ。くふふふ、美味しかったわぁ。ふふふ、今思い出しても笑える味・・・うふふ」
「す、すみません・・・」

 不気味に笑い続けるカタリナに流石に顔を引きつらせながら、フェアリーは先導して歩を進める。
 近年の治安悪化はこのジャングルにも影響を及ぼしているようで道中ではアビスの瘴気にあてられた邪精や巨大植物などが襲いかかってきたが、其れ等は須らく高笑いするカタリナに瞬時に切り伏せられていった。
 その様を見ながら、フェアリーは素直に感心したように声を上げた。

「・・・船でも拝見いたしましたが、とてもお強いんですね。妖精族にも戦士は居ますが、あなた程の使い手は見た事がありません」
「ふふふ、そんな事は・・・あるかしら、ふふ。これでも世界を背負って立つ立場だし、あははは・・・ひぃ・・・」

 流石に笑い疲れてきたのか、腹部を押さえてぜぇぜぇ言いながらカタリナが応える。
 漸くそれにも慣れてきたのか笑い声には反応しなくなったフェアリーは、ふとカタリナの言葉の内容に首を傾げた。

「世界を・・・ですか?」
「ふふ、そう・・・笑っちゃうでしょ・・・うふふふ・・・あは、はぁ・・・」

 喋るうちに段々と呼吸が落ち着いてきたのか、横隔膜の震えを抑え込まんとするように腹部を抑えながらカタリナが言った。

「それではカタリナさんは、その・・・聖王様の後継者なのですか?」

 パタパタと羽を忙しなく動かしながら器用にその場で止まって小首を傾げたフェアリーに、カタリナはうぅんと此方も首を捻った。

「どうかしら・・・。所謂宿命の子だとかそんなものではないらしいけれど、でも全くの無関係って立場とも言えない立ち位置、という曖昧な感じね。正直、それですら実感は湧かないけれど。聖王様のことは、私たちだけでなくフェアリーたちにも伝わってるのね・・・ふふ」
「・・・はい。私達は発生時に既に、直接記憶を共有して持っています。遠い昔に私達の長が、聖王様に協力しました」

 この南方のジャングルの何処かに根城を構えるとされる四魔貴族の一柱である魔炎長アウナスが三百年前に聖王に討伐された時、妖精たちはジャングルに迷う聖王をアウナスのもとへと導き、更には全身が炎に包まれ触ることもままならぬとされるアウナスへの攻撃手段として妖精の弓を献上したという。

「・・・あの、このままアケまでお送りするつもりでしたが、もし宜しければカタリナさん。私達の長が貴女を、私たちの里へお招きしたいと言っています。ご案内しても宜しいですか?」

 風に耳を傾けながら唐突にそう言ったフェアリーに、カタリナは目を丸くする。それは単純に唐突な申し出だったからというのもあるが、要はその真意を図りかねたのだ。

「・・・死蝕以降、このジャングルでもアビスの瘴気が急速に広がりつつあります。以前は、道中にあのような植物や邪精などもおりませんでした。ですのでこれには私達も非常に危機感を感じています・・・。そのタイミングで聖王様に連なる方がこうして現れたことに、長も何かお考えがあるのだと思います」

 それに、とフェアリーが続ける。
 まだ自分が助けられた礼もロクに出来ていないから、是非とも招きたいのだ、と。
 一刻も早くグレートアーチに向わねばならぬのは勿論そうであるが、そうまで言われては多少の寄り道もやぶさかではない。
 妖精族の長の考えとやらも気にはなったので、カタリナはこの際だからとお言葉に甘えることにした。

「有難うございます・・・! では、ご案内いたしますね!」

 非常に可愛らしい笑みを浮かべながらフェアリーがそういってくるりと一回転すると、カタリナはこうした妖精の可憐さに惑わされて悪戯されてきた逸話の数々も頷けるなぁなどと場違いに思いながら、笑顔で返して道を進んでいった。






最終更新:2013年05月01日 01:39