「爺さん、あんたがハーマンか?」
グレートアーチのサウスビーチにある桟橋で、ハリードは海を眺めていた男に背後から声をかけた。
幾人かの地元民から聞く事が出来た情報で、既にこの人物の容姿と名前、よくいる場所はわかっていた。
その声に反応してゆっくりと振り向いたその白髪の男は、義足の左足を引き摺りながら杖をついている。聞いた情報そのままだ。
顔に刻まれた深い皺は老人のそれだが、それにしてはえらく鋭い隻眼の眼光がハリードを見返してきた。
「なんだ、ブラックの財宝のありかを知りたいのか? 100オーラムで教えるぜ」
「・・・それは無用だ」
ハリードが辟易した様子でそう答えると、ハーマンと呼ばれた男は不機嫌そうに表情を歪めた。
「・・・じゃあ何の用だ。わざわざ名指しで来た要件ってのは」
「・・・ブラックの・・・いや、ジャッカルの事に詳しい人間を探している。あんたなら、何か知ってるんじゃないかと思ってな」
ジャッカルという言葉に、ハーマンの眼光は一層鋭く剣呑さを帯びた。
当たり。そう確信したハリードは、ハーマンの視線を真っ向から受け止めて言葉を待った。
数秒の間ゆっくりとハリードを観察したハーマンは、鼻を鳴らして姿勢を崩した。
「ジャッカルなら十年前に死んでいる。そんな事ぁ俺でなくても知ってるさ」
「ああ、そうだな。だが、どうやらそのジャッカルの亡霊がピドナにいる様でな。それの判別をできる程度に詳しく知ってる奴を、探しているのさ」
怪訝そうな顔をするハーマンを前に、ハリードは淡々とそう言った。
「亡霊だと?」
「そうだ。あんた、何か知らないか?」
一瞬押し黙ったハーマンは、杖をカツカツと桟橋に当てながら無精髭を撫でた。
ハリードがそれに目を細めると、ハーマンは不意に桟橋をビーチに向かって歩き出す。
「詳しく聞かせろ」
とても義足とは思えない早足で歩いていくハーマンに、ハリードは無言でついていった。
砂浜を歩いていくハーマンを後ろから眺めていたハリードは、内心で何とはなしに違和感を感じとる。
どうにもこの老人が、ハリードの目からみると何か不自然なのだ。
どうやら腕に覚えがあるようだし、口ぶりからすると海賊事情についても詳しいようだが、地元民からこの男の事を事前に聞き込んだ時は、昔からいる偏屈な爺さんだとしか言われなかった。
しかしハリードが見る限りでは、この男がどうも老境の瀬に至った人物に思えない。それどころか、どこか自分に近い様な何かをすら感じてしまう。それがどう言った類の直感なのかはイマイチ彼にも分かりかねるようだが、兎に角不自然さだけは感じるのだ。
そんな事を思いながらハリードが連れていかれた先は、何の事はない、しなびたビーチ外れの酒場だった。
半分壊れた戸をくぐっても視線をよこしただけで無言の店主と、柄の悪そうな数人の客。意外とこういうところの方がうまい酒があるんだよな、などとハリードが考えていたところで、ハーマンは空いていたテーブルにどかりと座り込んだ。
「おいジジイ。いつものくれ」
「ジジイにジジイと言われたかねぇよ。ツケは効かねえぞ」
「いんだよ、財布がある。二つくれ」
そう言って手を振ったハーマンを見て、店主がハリードに視線を寄越す。
それに対してハリードが肩を竦めながら席に座ると、店主は手元を動かし始めた。
「・・・で、ジャッカルの亡霊ってのはどういう事だ」
くたびれた白のジャケットから煙草を取り出して近くのテーブルから引っ張ってきた燭台で火をつけながら、ハーマンは半眼でハリードに問いかけた。
ハリードは椅子に半身だけ座りながら、逆に質問を返す。
「・・・あんたは、神王教団を知っているか?」
「あん? 宗教に興味は無ぇが、名前くらいは知ってる。それがどうした」
言いながらハーマンの吐く南国特有の匂いのきつい煙草の煙に顔を顰めたハリードは、顔を背けながら応えた。
「ピドナの神王教団のお偉方連中がな、なんでか挙って赤珊瑚のピアスをしてるのさ。そしてあいつ等は何故か聖王遺物を血眼になって探しててな。そしたら、二年前にピドナで起こった聖王遺物の絡む殺しの事件の中で、ジャッカルっつーキーワードが出てきた」
赤珊瑚のピアス、そしてジャッカルの言葉に、ハーマンは露骨に眉間に皺を寄せた。
それには反応せずにハリードが黙って続きを待つと、ドリンクが運ばれてきたタイミングで漸くハーマンがグラスを持ち上げながら再び口を開いた。
「・・・そいつ等がジャッカル一味だったとして、お前はそれをどうする気だ?」
問うと言うよりは試すようなその言葉に、ハリードは一瞬考えるように顎に手を当て、徐に肩を竦めて自らもグラスに手を延ばした。
「・・・ジャッカル一味だったとして、そいつ等をどうするわけじゃない。その事実を餌に、それの背後にいるやつ等にまずは一発叩き込みたいのさ。あとは・・・聖王遺物を回収するくらいかね」
言い終え、グラスに口をつける。
不純物が混じり混んでくすんだ質の悪そうなロックグラスに注がれた琥珀色の液体は、ウィスキーか何かかと思いきやフレーバーの効いたスピリッツのようだった。
「・・・聖王遺物なんて集めてどうする」
まるで新鮮な空気に深呼吸をするかのように煙草の煙を肺一杯に満たし、長く細い煙にして吐き出しながらハーマンが言った。
ただその質問は単なる興味本位なのかなんなのか、声色も先程の問いかけより気の抜けたものだ。
しかしこれには、ハリードもどう答えたものかと一瞬考えあぐねる。だがあまり深く考えずに口から出ただけの事なので、それに対して多少頭を捻ってみたところで、どうにも大した理由は出てきそうになかった。
「・・・さぁな。それは手に入れてから考える。お宝なんて、そんなもんだろ」
目線を合わせずにもう一口グラスの中身を舐めるように啜りながらそう言うと、テーブルの向こうではハーマンが鼻で嗤うのが聞こえた。
「はっ、そうだな。お宝ってのはそういうもんだ」
ハリードの言を気に入ったのか、上機嫌にグラスを傾けながらハーマンは身を乗り出して来た。
「・・・で、てめえは何者だ。何故ジャッカルの事を俺に聞いてきた?」
ガタンと肘をテーブルに叩きつける音に、店内の視線が二人に集まった。
およそ老人が放てるとは思えない覇気を身に纏い、射殺さんばかりの視線がハリードに突き刺さる。
米神を抜けて頭頂に向かって走るような寒気にニヤリと口の端を釣り上げたハリードは、癖でカムシーンの柄に手を掛けながら、しかしゆっくりと肩を竦めてみせた。
「・・・さあな。何故かは確かに俺にも興味はあるんだが、残念ながら知らん。知りたいなら、依頼主に直接聞いてくれ。それと、俺は単なる傭兵だ」
ハリードのゆらりと躱す様な返答に、ハーマンは一瞬だけピクリと皺だらけの表情を揺らすと、ケッと洩らして再び椅子に背を預け、グラスを傾けた。
「単なる傭兵が聞いて呆れるぜ。んで、その依頼主ってのは何者だ」
「依頼主は・・・人類最強の女、かな」
思わず口をついて出たハリードのその言葉に、ハーマンはたいそうなしかめっ面を披露した。それの言わんとする所が流石に伝わったのか、ハリードは苦笑いをしながらグラスに口をつける。
「いや、別にふざけて言ってるわけじゃないぞ。それこそ単騎で四魔貴族と喧嘩する位だからな。過言じゃないだろう」
「・・・四魔貴族だと?」
隻眼を数度瞬きし、ハーマンは何故か四魔貴族という単語にえらく過敏に反応した。
その変化にハリードが思わず露骨に目を細めるが、ハーマンはお構い無しにハリードに詰め寄った。
「そいつは四魔貴族を殺そうとしてんのか? 聖王遺物を集めるのは、それが目的なのか?」
まるで仇敵の名を聞いたかの様に突然表情に怒気が走ったハーマンをハリードは怪訝に思いながらも、グラスの中の氷を指で回しながら口を開いた。
「・・・それも、俺の知る所じゃない。そんなに興味があるなら、ついでにそれも直接聞けばいいだろう」
「そいつは何処にいる」
直ぐ様返ってくる質問に、ハリードは肩を竦めながらグラスの中身を飲み干した。
「さあな。今は分からない。だがあと数日もすれば、このグレートアーチで合流できる予定だな」
そう言うとハリードは酒場の店主に向かってもう一杯同じものを、とサインし、ゆっくりと立ち上がった。
「・・・尤も、依頼主が質問に応えるかどうかは、おたくが依頼主にとって適う人物かどうか、ってとこが重要だろうがな」
自分の事を目線で追いかけてきたハーマンに対してそう言うと、ハリードは懐から1オーラムコインを取り出した。
「・・・こいつは前金だ。そいつと、あと一杯はいけるだろ?」
後半は、グラスを運んできた店主に問いかけた。
それに店主が眉を上げて応えると、ハリードは満足した様にコインをテーブルに置いてハーマンに背を向ける。
「待て」
そのままこの場を立ち去ろうとした所を、予想通りと言うべきか、嗄れた声に呼び止められる。
それに振り返らずに立ち止まって言葉を待ったハリードに、ハーマンが続けた。
「依頼主っつーのが来るまでの間は、てめぇは何処にいるつもりだ?」
「・・・バランタインに宿をとっているが、それがどうした?」
ハリードの答えに、ハーマンは口笛を吹きながらグラスを傾ける。グレートアーチ随一の高級ホテルを冷やかしたのだろう。
そして手元近くまで灰になって火種の消えていた煙草を床に放り捨て、新しく取り出して火をつけた。
「事と次第に寄っちゃあ、手を貸さんでもない。だが、だとすれば回収しておきたいもんがあってな。明後日そっちに行くからよ。得物を磨いて待ってろ」
ハーマンの言葉にふんと鼻を鳴らしたハリードは、そのまま振り返る事なくその場を立ち去る。
椅子にもたれながらそんなハリードの背中を鋭く眺めたハーマンは、ひとりでにニヤリと笑みを浮かべながらグラスの中身を一気に呷った。
いくら世界広しと言えども、恐らく妖精族の長にあれ程まで頭を下げさせたのは自分が初めてなのではなかろうか。
場違いにそんな事を考えながら、カタリナは二度とは味わえぬかも知れない未知の浮遊感覚に酔いしれた後、ふわりと大樹の根元へと降り立った。
訪れた時と変わらぬ穏やかな木漏れ日の照らす美しいその場所を記憶の隅に仕舞おうと見渡す間に、フェアリーが風に舞いながらすぐ隣に降りてきた。
「・・・本当にいいの?」
確認の意味を込めて、カタリナが尋ねる。
風に揺れる葉音に意識を向ける様に上を向いていたフェアリーは、投げかけられたその言葉に躊躇いなく頷いた。
「妖精は見た目はか弱い感じですが、実は結構強いんですよ。特にアールヴ族などは過去にこの密林において最強の名を欲しいままにし、魔王亡き後から三百年前の四魔貴族討伐に至るまでには、あのアウナス配下の妖術師を撃退するのにも活躍しました」
そう言ってにこりと微笑んだフェアリーの小柄な体は、上半身が微かに揺らめく薄い絹の様なものに覆われている。
なんでもこれはフラワースカーフと言われるものだそうで、人の目から妖精の羽を隠してくれるのだそうだ。過去にはこれを用いて妖精も人里に下りる事があったのだとか。
そして腰のあたりには布で覆われた、その身の丈に不釣り合いな長さの槍。
これはアーメントゥームと呼ばれる形のもので、妖精族の間では伝統武器なのだそうだ。カタリナにはどうにも土地柄に似合わぬ得物にも感じられたが、そこはあえて彼女が気にするところではなかろう。
つまるところ、フェアリーはあたかもこれから旅に出ます、的な格好をしているわけなのだ。
それに平然と頷き、こちらも新たに腰に差した見事な意匠の太刀を慣れない手つきで支えながらも、颯爽と歩き出すカタリナ。
場面は、一昨日の夜に遡る。
『本当にごめんなさい!』
閉じた瞼の向こうで舞う月光に誘われてうっすらと瞳を開ければ、まず最初に二人の妖精の大変に申し訳なさそうな顔と、そんな言葉が聞こえてきた。勿論それも重なって、二人分。
如何な理由があってこの状況なのかは起きぬけの頭では欠片も理解したくなかったカタリナだったが、ただ少なくとも、安易に妖精の差し出すティーカップに口を付ける事はしてはならない、という事は身をもって理解していた。
「まさかティーの用意を手伝ってくれた子が、祈りヒナゲシを入れてるなんて思わなくて・・・」
カタリナが目覚めてから通算六回目くらいの時だっただろうか。フェアリーはまたしても深く頭を下げながら、確かそんな事をいっていた。
妖精の悪戯好きは、どうやら伝記以上に深刻だったようだ。
因みに祈りヒナゲシとは妖精達のみが持つ生成法の、睡眠を誘発する飲み薬だそうだ。元来睡眠作用のある雛罌粟の乳汁を過度に濃縮させたものにカモミールの蜜を混ぜながら更に煮詰め、満月の次の夜明けに太陽に顔を向けた葉から滴る朝露と割って作る薬、なのだそう。
何やら製法だけ聞いているととても美味しそうで、実際ティーは美味しかったような覚えがうっすらとあるのだが、どうにもカタリナには効果覿面過ぎた。
この事については長も非常に遺憾であったようで、あわや土下座してしまうのではないかと言うくらいにカタリナは謝られた。
眠り自体は非常に上質なもので寝覚めも良かったので気にしないで欲しいと、 フォローと言えるか微妙な持論を展開して取り敢えずその場は納めたカタリナ。
そうしてなんとか居眠る前の話題に戻ったところで、少なくともカタリナには優先するべき事項があり、更に自らに課せられているらしい八つの光の使命に関しては同僚(?)と審議中であることを、ここまでの簡単な経緯と共に素直に伝えた。
この問題については長も現時点での即決を強くは求めていなかったようで、カタリナが示した前向きな姿勢で快く納得をしてくれた。
問題はといえば、実はこの後である。
昨今の情勢を感じ取って今回カタリナを里へと招く判断に至った妖精族の長は、頼むばかりでは申し訳ないから何かしら自分にも出来る協力を、としてカタリナに一振りの太刀を差し出してきたのだ。
差し出されたそれは、かつてカタリナが魔王殿で見た少年が手にしていたような、反りのある細身の大剣。
その剣は見れば誰もが惚れ惚れするような絢爛たる意匠の鞘に収まり、抜刀すれば大業物固有のしんと冷えた霊威が刀身から滲み出て辺りに静かに広がった。
その余りの威風に、カタリナは思わず身震いしてしまうほどの代物であったのだ。
銘を、月下美人。これは聖王の時代より遥か以前、魔王の時代にまで遡り、代々妖精族最強のアールヴが振るってきた太刀だという。
当然そんなものは受け取れないと大慌てするカタリナだったのだが、長は長で頑として譲らなかったものだから、断れない性格のカタリナは最後には深々と頭を下げながらこれを受け取る羽目になる。
ここにおいて更に計算外であったのが、月下美人を受け取った直後で何事も断り辛い雰囲気の中、どうした訳かフェアリーがカタリナの旅路に同行したいと名乗り出たことだ。
曰く、この先は、人だけの責任などではないから。
そう言って同行を願い出たフェアリーの言葉の意味は、カタリナには分からなかった。
だがそんな事はお構い無しに長は大変納得された様子でこれまたカタリナに頭を下げながらお願いしてくるものだから、もう好きにして頂戴とカタリナが匙を投げるのに、そう時間はかからなかった。
それから一日の妖精の里観光を行った後、その明朝カタリナとフェアリーは妖精達に見送られ、密林の西の端、人からはジャングルへの入り口と言われる集落、アケへと向かって出立するのだった。
そこからグレートアーチのサウスビーチ行きの定期船に乗り、ニ、三日後には目的地へと到着する予定だ。
最終更新:2013年08月07日 17:56