聖王の時代から三百年。世界の中心として弛まず発展を続けてきたメッサーナの首都ピドナの王宮お膝元にある新市街地区は、特徴的な三つの区域に分けられる。
 まず都の入り口である港と併設するように、新市街区域で最も大きく面積を占めるメインストリートと市場がある。
 なだらかな丘陵の先にある王宮へと向かうメインストリートとそこから枝分かれしていく幾つもの通りに所狭しと並ぶ商店の数々は、まさにこのピドナでしか見受けられない混沌ぶりだ。
 いわゆる街の顔にあたるこの部分を抜けて行くと、次には整然と区分けされた区画に大小様々な建築物が居並ぶ商業地区が見えてくる。
 メインストリートや市場で商いをしていたり、四つの海の中心から世界を相手に貿易を営んだりと、メッサーナの経済の中心とも言える法人各社が事務所を構える地区だ。市場とは打って変わって騒がしさはなくなり、道ゆくビジネスマン達は皆一様に表情が硬い。
 そしてその先、緩やかな丘を上りながら仰ぎ見る王宮に至る手前。そこには、この地に暮らすのが恐らくこの世界で最も羨望されるステータスであるとすら言われる、邸宅地区がある。
 名だたるメッサーナの貴族や豪族がそれこそ地方都市国家の城と同じほどの規模にもなりそうな邸宅を構え、それと気付かずに贅を尽くす。
 そんな邸宅地区に今日も単身訪れたユリアンは最早己の存在場所の場違いぶりを既に達観し、完全に開き直った様子だ。気づけばいつの間にやら通い慣れた道を左に右に折れ、この地区の中でも一際大きく、そして異様な空気に包まれる館に訪れた。
 そしてその館の入り口が見えはじめたところで彼は小脇に丸めて抱えていた何かを広げ、颯爽と身に纏う。それは神王教団が教徒に対して着用を義務付けている、紫色に裾模様だけを加えた、麻のローブだった。
 その格好で頭まですっかりフードを被ったユリアンは、欠伸を噛み殺しながら館の入り口をくぐる。
 そここそは、十五年前の死蝕以降に着実に世界各地へと勢力を伸ばし続ける神王教団の最も栄えている筆頭支部と言われる、ピドナ支部教会であった。







「こんにちはー」

 細い肩で押した拍子にカランカランと乾いた音を立てたドアの鈴に招かれ、サラは大きなバスケットを両手で抱えてレオナルド工房の中に入った。
 相変わらずピドナ商業区の職人通りの中でもこの界隈は人通りがあまり無いが、それでもここ最近はちらほらと業者や昔馴染みの客が以前には増して来店しているようだ。その証拠に、数ヶ月前よりも工房のエントランスは来客を意識してかなり小綺麗になっていた。

「あ、いらっしゃいサラ!親方とケーンなら下にいるよ!」

 これまた、以前には無かった出迎えの声がサラのもとに届く。彼女の登場を受け、カウンターの中で隠す気もなく堂々と暇そうに頬杖をついていた少女が表情も明るく手を振りながら声をかけてきた。
 工房独特の無骨な周囲の景色にそぐわぬとても華やかな空気を纏ったその少女は、トレードマークとも言える鮮やかな紅色の髪を空色のリボンで複数のお団子に纏め、それに負けず劣らず派手な赤と黄色のチェック柄コートに身を包んでいる。
 サラの個人的な感想でいえば、おもちゃ箱をひっくり返したような見た目、といったところだ。
 彼女の名はキャンディといい、一ヶ月ほど前からこのレオナルド工房のカウンター受付として住込みで雇われている。
 雇われる少し前にメインストリートの一角でサラが道端に蹲っている彼女を見つけて声をかけたのがきっかけで、彼女の厚意によって当時三日ぶりに食事にありついたらしいキャンディは、そこですっかりサラに懐いてしまった。
 話を聞こうにも何故か名前以外のことは殆ど語ろうとしない彼女だが、しかし明らかに路頭に迷っているのは明白だった。なので取り敢えずトーマスに相談してみようとキャンディを連れて帰宅したところ、偶然その時ハンス家に来ていたノーラが事情を聞いて快く世話を買って出てくれたのだ。
 丁度受付に人を雇おうと考えていたそうで、キャンディも兎に角寝床と働き口が手にはいるならば文句は無いと、この申し出を受けたのだった。

「お昼、持ってきたよ。キャンディもご飯食べるでしょ?」
「もっち食べる!」

 両手で抱えたバスケットを少しだけ持ち上げながらカウンター越しの少女の名前を呼べば、たちまちキャンディは嬉しそうな表情を浮かべてカウンターを乗り越え近づいてきた。

「今日はお天気もいいし、高台の木陰で食べましょう。モニカ様達も来るって」
「オッケ! じゃあ親方達呼んでくるね!」

 サラが提案すると、すぐにキャンディは頷いて地下へと続く階段を駆け下りていった。
 それを顔だけ追って見届けたサラはすぐそばにあった来客用のテーブルにバスケットを置いて一息つきながら、窓から覗く夏真っ盛りの青空を見上げた。


 この二ヶ月余りは、彼女やその周囲にとって実に目まぐるしいものであった。
 彼女の姉らが現状の膠着を切り崩すための手がかりを求め海を越えて南国グレートアーチへと旅立ったのち、世界中心都市たるピドナに残った面子は一日とて休む暇なく動き続けた。
 元々このメッサーナの地において現地の商業組合の古株でもあったトーマスの従兄弟ハンス商会の脈を通じて、商業地区全域をまずトーマスとサラが駆け回った。
 そこで彼らは既に回収提携済みであった元クラウディウス商会参画企業と関わりのあった複数の企業群に対し、カタリナカンパニーの資金力と主にツヴァイクを中心に北の地に得ている広大な流通独占コネクションを武器に提携、もしくは合併買収を持ちかけた。ここには裏にミューズとシャールの口添えもあり、一月余りで目星を付けていたほぼ全ての企業に接触、大筋において合意する事に成功する。
 トーマスはこの段において、仮にも世界中心都市国家の企業群がここまで脆く容易に買収出来てしまう現状に、相当の危機感を覚えたという。それは少なくともこの数ヶ月を彼の秘書として過ごしてきたサラにも薄々ながら理解出来、気持ちを新たに二人は奮起した。
 時を同じくして、クラウディウスの血統に関わりがあり五年前の内乱時に邸宅地区から離れていった実力者のうち極一部の特に親しかった者達には、クラウディウス本家の紋印を添えたミューズ直筆の密書がユリアン、モニカの手によって直接その手に送られた。
 その手紙の内容は運び人である彼らは知らなかったが、彼らの前でそれを見た人物は皆一様に視線を険しくした。そしてその手紙を手にした者たちの多くは、身を隠しながら静かにピドナへと集い始めていた。
 彼らは商会がピドナのほぼ全域に散らばる商館事務所を経由する伝達網を秘密裏に用いて情報を共有し、確実にその結束力を強めていった。

「上半期決算報告会、ですか?」

 ハンス家執事のお手製サンドウィッチを片手に、ケーンがサラの発した言葉を首を傾げながら繰り返した。
 その表情はあまり彼女の言葉の意味を理解した様子ではなく、それは木漏れ日の下で一緒にランチを楽しんでいた面々のうち、ノーラも同じような反応をした。すっかりお馴染みとなったフードの変装に身を包んだユリアンとモニカは既に知っていたようで、ノーラ達と違い小さく頷いている。キャンディだけは抑もこういった話に全く興味がないようで、只管に目の前の大きなクラブハウスサンドの征服にかかっていた。

「うん、そう。ピドナホテルの宴会用大広間を借りて、カンパニーの設立からこれまでの業績を発表するの。この会は、既にピドナや近隣都市の各界要人へ広く招待状を出しているわ」

 ポットに入れてあったアイスティーを全員分カップに注ぎながら言葉を続けたサラは、おもむろに伊達眼鏡を装備した。
 決算報告自体は幾つかの商業自治体でも定期報告が義務付けられているが、単独でホテルの大宴会場を貸し切るような規模のものは、フルブライト商会や北のドフォーレ商会、リブロフのラザイエフ商会のような超大企業以外では殆ど例がない。
 それをあえて今回開催に踏み切ったのは、勿論トーマスの発案だった。

「南に向かったカタリナ様やお姉ちゃん達のアシストもできるよう、此方でも打てる手は打って、多方面から情報を集めたいんだって。それに、これをすることによって今までは控えめにしていたフルブライト商会とも表立って連携を図れるだけの口実にもなるだろうから、って」

 フルブライト、の単語に、ユリアンがピクリと反応した。
 つい先日にもピドナを訪れていたフルブライト家の現当主であるフルブライト二十三世は定期的にトーマスの元を訪れているようで、その都度世界経済の動向や互いの活動報告などを行っている。
 そして先日ピドナを訪れた際に彼はなんと、隠す様子もなくモニカやミューズに何度かウインクをしていたのだ。
 それに気がついてからユリアンは、どうもあまり彼の事が好きになれないでいた。
 この件についてシャールに話しかけてみたところ彼もそれはしっかり認識しており、珍しくシャールが饒舌に怒っているのを見てユリアンは少しシャールに親近感が湧いたりしていた。

「もうすぐカタリナ達帰ってくるんだっけ?」

 アイスティーで喉を潤して一息ついた所で、ノーラが欠伸をかみ殺しながら聞いた。
 それには、こくりとモニカが頷く。

「はい。温海の海上保安隊からいただいた文では、そのように」

 カタリナ達が南に向かってから三週間ほど経った頃に、その二週間弱ほど前から一時的な治安悪化を理由に定期便が欠航となっていた温海方面の海上保安隊からカンパニー宛に、カタリナからの文が届いていた。
 そこには現在、帰りの渡航の規制解除を待っている事や今回の旅のキーとなる情報の目処がたった事、あとは行きの船で一騒動あった事なんかが冗談めかして書いてあったりした。

「予定よりすごく早く情報が手に入ったみたい。これならひょっとしたら、決算報告会に間に合うかもしれないね。やっぱり社長が居ないと締まらないもんね」
「え、居なきゃ居ないで決行する予定だったの!?」

 サラの発言に、思わずキャンディが突っ込みを入れた。
 それに驚いてその場の一同がキャンディに振り向くと、彼女はわたわたと慌てた様子を見せた。

「あ・・・いやほらそういうのって一番偉い人が必ず挨拶とかするものなんじゃないのかなーって思っただけ!」
「うーん、体裁としては本来それが望ましいんでしょうけどね。でもトムは急ぎたいみたい。何か考えがあるんじゃないのかな」

 サラもキャンディの意見には概ね同意のようだが、発案者がトーマスである以上、そこはあまり深く考えないようだった。
 キャンディはそれに微妙な相槌で引き下がると、カップに注がれたアイスティーをぐっと飲み干して立ち上がった。

「さて・・・っと。お腹もいっぱいになったし、親方、今日はこのあとすぐ来店の予約ってあるの?」
「いや、今日は特にはないよ」

 キャンディの問いかけにノーラが答えるとキャンディはその返答に満足げに頷き、少し散策をしてくると言って足早にその場を去っていった。

「・・・あの子ずいぶん若いのに、昔からこんな仕事してたのかねぇ」

 ふとノーラがそんな事を口にすると、ユリアンが首を傾げた。なにせ彼には、キャンディが一切そのようには見えなかったからだ。

「いや、あの子に工房の帳簿整理頼むと、ケーンの三倍は早く終わるんだよね。んで正確なの。計算すごい早いし。一昨日なんか、直近の発注原価とメッサーナ周辺都市の市場売価が帳簿の裏に落書きされててね。多分あれ暇潰しがてらに、うちの品の価格見直しをしてたんだと思うのよね」

 多分今もメインストリートのいろんな店を物色してるんじゃないかな、とノーラが締めくくると、ユリアンとモニカはとても意外そうな表情で顔を見合わせた。
 対してサラはそこまで意外なわけではなかったようで、ふんふんと頷きながら腕を組んだ。

「実はキャンディが着てる服、あれどうもリブロフのハイブランドらしいのよね。トムが言ってた。本当にそうだとしたら、私とおんなじような年齢でそんなのを持ってること自体が普通じゃない。としたら・・・」
「・・・金勘定とファッション好きの超苦労人?」

 ポツリとユリアンがいうと、その形容とキャンディの見た目のあまりの不一致ぶりに、一同が思わず吹き出した。

「・・・まぁ、なんにせよなんか事情があって行き倒れてたんだろうし、かと言ってそこをあえて詮索もしないよ。それで困るわけでもなし、寧ろうちはあの子が来て助かってるし。その辺は必要なら、そのうち自分から話すでしょ」

 そんな物言いが実にノーラらしいなと感じつつ彼女の言葉にサラが頷くと、皆もそのように納得した。
 そのままランチタイムを終えた一同は、また明日に約束をして解散した。







最終更新:2014年08月30日 03:24