「これはこれはカタリナ社長。ご機嫌麗しゅう」
「・・・どうも」

 不本意ながらも最早若干着慣れた感のあるタイトなスーツに身を包んだカタリナがボーイに案内されるままにホテルの一室にはいると、中で待っていたフルブライト二十三世が表情も柔らかに両腕を軽く広げながら挨拶をしてきた。相変わらずな口調なので、反射的に彼女は少し身構えてしまう。

「やはり新聞の一面で拝見するより、現実の貴女は格別にお美しい。今日この会場に招かれたゲストの方々は、本当にラッキーだ」
「・・・」

 次いで出たその言葉にカタリナが心底嫌そうな顔をすると、それすら可笑しいのかフルブライト二十三世は頑なに笑顔を崩さぬまま、まずはカタリナに席を勧めた。
 そこは素直に従ってカタリナが腰掛けると、フルブライト二十三世は部屋の壁にかけられた時計を眺め、ふむ、と頷く。

「さて、今トーマス君は会場設営の最終確認を行っているはず。ですので其の間に私から、今日の会の流れを改めて説明しておきましょう」

 腰掛けたカタリナの目の前のテーブルの上に広げられた進行表の一番上を指差して説明を始めたフルブライト二十三世に、カタリナは一応聞き耳を立てる。
 カタリナ達がハーマンを連れてグレートアーチから戻ってきたのは、これよりつい三日ほど前の話であった。
 カタリナとしては最早その時点で直ぐにでも神王教団ピドナ支部に突撃して教団上層部連中を片っ端から確認したい気持ちであったが、矢張り機というものはしっかり狙うものらしい。
 しかもトーマスが言うには、機を狙う為に必要な環境というものが、まだ出来ていないというのである。

『極力此方が冷静に確認をしっかり出来、二の手を紡ぎやすく、且つ教団とルートヴィッヒの両方を同時に攻略していけるタイミングを作り、そこを狙うのが肝要です』

 それがつまりこの会の本懐であると、トーマスは言った。故に彼にそう言われて帰国からこの二日、今日にカンパニーの上半期決算報告会の表裏の趣旨と流れ、そしてこちらが事前に仕込み、流した情報によって会中に予測されるであろう幾つかの出来事についての対応をメンバー達で煮詰め合った。
 とはいえ矢張りそこはメインプランナーがトーマスであるが故、彼の提案に概ね乗っかる形でカタリナ達は動く事になっている。

(今回の彼の狙いは、二つ。第一の目的と、または同時に攻略の可能性を秘めている第二の目的。これはどちらに転んだって私たちには間違いなく有益・・・。大なり小なり事を進展させることは間違いないわ・・・。しかしこういうのって本当、トーマスだから考えられるものよね・・・私では逆立ちしたってこんな風には思いつかないわ・・・)

 トーマスの考えた今回の会の趣旨は、狙いのどこまでを実現させたとしても益となる、実に今後を見据えた堅実且つ大胆なものであった。彼女らがグレートアーチに情報を探索しに行っている間にも彼はこのピドナ中に彼の思惑通りの様々な情報を流布してその影響をリサーチし、その結果に今日という日を用意した。
 帰ってきてからそんな彼を目の当たりにして、つくづく自分は言われた通りに体を動かすくらいしかできる事がないのだなと、カタリナは勝手に少々気落ちしてしまった程である。

「・・・以上が今日の、ざっくりとした流れです。なにかここまででご質問はありますか?」
「・・・いいえ」

 フルブライト二十三世の最後の確認に、全くの上の空であったカタリナはすぐさま返答をした。
 それでも問題はない。昨夜も寝る直前に何度目になるか分からない確認を、とうに済ませてあるのだから。カタリナ自身の挨拶からカンパニー略歴、業績報告、今後の展望とその一例、協賛各社ご紹介(サプライズゲスト、フルブライト二十三世の挨拶)、そして閉会からの宴席・・・と、今日の予定は暗唱できるほど頭の中にしっかり入っている。
 因みにフルブライト二十三世は今回の会の表向きの趣旨のみを理解しており、その為に昨日夜にピドナに渡航してきたのだった。
 元はと言えば今回の決算報告会というイベント自体も、フルブライト二十三世の提案が発端であったのだという。

「それならば、進行自体は心配なさそうだね。あとは皆様が企んでおられる内容については、少なくとも会中はどうか穏便に運んでくださいね。私はノータッチなので」

 流石に彼は彼なりに何かしらを察しているようだが、かといって関わる気はないようだ。恐らく、そこまで関わったところで彼に利があまりないからであろう。カタリナとしても形だけでも社長なんてものをしていると、商売人がどういった判断基準で最終的に動くのかなどというものが、なんとはなしにわかってくる。

「さて、これは・・・少し予定を早めて開場ですかね。来賓の方々は、大半が既にロビーにお集まりのようだ。流石は今期注目度ナンバーワン企業の決算報告会、といったところかなぁ、ふふふ」

 扉を少しだけ開いて外の様子を伺いながら、フルブライト二十三世はニヤリと笑った。その表情が余りにも堂に入っているものだから、カタリナはやれやれと肩を竦めた。これではまるで、彼が黒幕だ。
 するとそこへ、彼の予測を裏切らない知らせを持ってトーマスが入ってきた。

「これ以上ロビーにお待たせするのは難しいですね。会場も設営オーケーですので、十五分巻きですがオープンしましょう。カタリナ様は此方へ。フルブライト様は後ほどホテルの者が裏から舞台袖の扉までご誘導致します」
「あぁ、わかったよ。それではカタリナ社長、後ほどゆっくり語らいましょう」

 そう言ってにこやかに見送るフルブライト二十三世を背に、カタリナとトーマスは部屋をあとにする。
 部屋を出ると直ぐ様トーマスは会場入口にて名簿を管理いていたサラに駆け寄って声をかけ、次いで控えていたホテルの黒服に開場の旨を伝えた。
 そして間も無く会場の扉が大きく開かれると、ロビーにいた大勢の来賓客が続々と中へと入っていく。
 その様子を見ながらカタリナは足早にロビーの端にある階段へと向かい、会場へと流れていく来賓客を横目に登った。その先は三階層分か吹き抜けとなっており、カタリナは丁度ロビーを上から見下ろせる位置にある手摺に佇んでいたダンディーなスーツに大きめのハットを被っている二人組に近寄った。
 お互いが談笑するような仕草をしながらも常にそこから階下のロビーを眼光鋭く観察していたのは、普段の格好からは想像もできないのだが、ハリードとハーマンであった。

「・・・どう?」

 近付くカタリナの気配を既に察知していた二人は、そう言って彼らの後ろにあるソファに座ったカタリナの言葉に、視線は向けずに答えた。

「近衛軍団からの来賓がさっき数人通ったがな・・・その筆頭は、ありゃあ副団長のマルセロだ。ルートヴィッヒの子飼の中では、かなりの古株だな。随分大御所が出てきたもんだよ」
「成る程ね・・・そうなれば、カンパニーは近衛軍団からの注目度も上々、と判断して良さそうね」

 ハリードの言葉にカタリナがその背中へ答えると、次にハーマンが口を開いた。

「まだ教団っぽい連中ってのは通ってねぇな。とっとと通りやがれってんだ。この格好、胸糞悪くてしょうがねぇんだよ」
「ふふ・・・似合ってるわよ」

 可笑しそうに笑いながらのカタリナの言葉に益々不機嫌な表情になるハーマンであったが、しかしその直後、ロビーに向けられていた彼の目が鋭く細められた。
 それにいち早く気付いたハリードがさり気なく彼の視線を追うと、その視線の先では濃いめの青緑色をしたローブを身に纏った五、六人の集団が、それ様に特別に設えられた事の一目でわかるたいそう立派な作りの馬車を降りてホテルのエントランスへと現れたところであった。
 集団はその殆ど全員が頭までローブを被っており、ハーマン等の位置からではその顔までは分からない。
 しかしその中で一人だけ顔を出している人物がおり、位置関係からしてその人間があの集団の中で最も位の高いことが伺えた。
 相変わらず義足とは思えぬ機敏な動きでその場から歩き出したハーマンは、先ほどカタリナが登ってきた階段を下り、降りた位置のすぐ脇に置かれた灰皿の前に立った。そして、スーツの内ポケットから普段とは違うピドナで流行りの銘柄の煙草に火をつける。そしてゆっくりと味わう様に煙をふかしながら、紫煙の向こうを横切って行くローブの集団を眺めた。
 その間は、ほんの数秒だった。そのまま何事もなくローブの集団はハーマンの前を素通りし、彼らは恭しくお辞儀をする受付のサラに名乗りを上げた。

「これはこれは・・・まさかマクシムス様にご来場頂けるとは、光栄で御座います」
「我々の教義では商業の発展を促す故、御社のようなこの地で成長目覚ましい企業の空気を是非、肌で感じたいと思いましてね」

 サラの隣に立っていたトーマスが教団の面々に対してそう挨拶しているのを聞き届けると、ハーマンはもう一口だけ煙草を吸ってから物足りなさそうな顔で火種を潰し、ゆっくりとした足取りで再び階段を登っていった。
 丁度そこではカタリナが頃合いを見て会場に向かおうとソファを立ったところであった。
 そのすれ違いざま、ハーマンがカタリナに耳打ちをする。

「どういうことかはわからねぇ。だが間違いねぇ。あのマクシムスって野郎、ジャッカルだ」
「・・・!?」

 突然囁かれたその言葉にカタリナは立ち止まり、一歩遅れて眉を顰めて返した。

「ジャッカルって、海賊ジャッカル本人?」
「あぁ、そうだ。あんな汚ねぇ顔は絶対忘れねぇ。あんとき首根っこをかっ切ってやったのに、生きてやがった。こりゃ間違いなく神王教団は、黒だ。あいつがいてマトモな場所であるわけねぇ」

 神王教団幹部たちが通り過ぎていった通路を不機嫌そうに眼光鋭く見下ろしながら、懐から取り出したいつもの煙草に火を付けるハーマン。
 カタリナもそんな彼と通路を交互に見ながら、この後の一手をどうするべきか、考えていた。





「以上を持ちまして、第一上半期決算報告会を終了とさせていただきます。この後引き続き、すぐ上の階の会場にてささやかながら宴席のご用意がございますので、どうぞお時間の許す限りお楽しみください」

 トーマスが壇上からそう言い終わって軽く一礼をすると、会場の扉が開け放たれ、ボーイ達が来賓客を宴席会場へと誘導し始める。
 それを確認してカンパニーの面々が壇上から降りるとカタリナとトーマス、そしてフルブライトは一気に来賓に囲まれ、業績に対する賛辞を惜しみなく浴びた。
 その三人が揉みくちゃにされて動けないでいる間にそそくさとその人ごみを抜けてきたサラは、会場の隅で佇んでいるフェアリーの様子が少し変なことに気がつき、近寄った。
 淡いピンク色のワンピース姿に勿論フラワースカーフを付けているので周囲には相変わらず人間の少女としてしか写っていないが、その可憐極まる容姿は会場内でも視線を集めずにはいなかった。
 それで気分でも害したのだろうかと、少々心配になったのだ。

「大丈夫?」

 サラが声を掛けると、フェアリーはつぶらな瞳を何度か瞬いて、サラを横目で見た。

「はい、大丈夫です。ただ、会場内に一人、おかしな人がいるんです」
「・・・おかしな人?」

 フェアリーのその言葉に小さく首をかしげたサラは、どうやら二人の様子が気になって近寄ってきたらしいエレンを視線で確認し、その到着を待ってから再度口を開いた。

「お姉ちゃん。フェアリーが、会場内に一人不審な人がいるって。まだいる?」

 エレンも何事かと少し目を細めながらさり気なく会場内に視線を走らせた横で、フェアリーは微かに頷いた。

「はい。あの人です」

 指差すわけでもなく視線だけでフェアリーが方角を示し、二人がそれを追う。すると、その先には神王教団の面々が会場を移動しようと立ち上がったところであった。

「・・・あの中の、誰?」

 エレンがそれとなく確認しながら尋ねると、フェアリーも合わせて周囲に悟られない様に努めながら言葉を続ける。

「真ん中の、一人だけフードを被っていない人です」
「・・・神王教団ピドナ教長のマクシムス、って人だね」

 受付をしていたサラは顔も名前も覚えていたので小さくそう言い、しかし不思議そうに首を傾げた。
 一見して何処と無く取っ付き辛そうな強面ではあるが、そういう特徴以外には見る限り妙なところなど彼女には見当たらなかったからだ。
 それは彼女の姉も同じ様で、ふぅむと唸ってはみたものの、矢張り違和感を認識出来ないでいた。
 そんな二人の様子をみたフェアリーもまた首を傾げたが、確かに彼女の瞳には、他にはない明らかな違和感が映り込んでいる。

「あたしには分からないわ。何が変なの?」

 エレンが小声で素直にそう言うと、フェアリーは少し目を細めてみながら再度注視した。

「・・・体の周りに妙なモヤモヤがあって、全身が霞んで見えます。これが私だけに見えているのだとしたら・・・何らかの法術的要素か、精霊等の力が関わっている可能性があります」
「うーん、多分そうみたいね。私には見えない。兎に角これは、トムやカタリナ様達に伝えよう」

 サラがそういいながら軽く頷くと、エレンもそれに倣って頷いた。
 フェアリーがそれに相槌を打ってからカタリナ達のいる方に視線を向けると、彼女らは来賓に囲まれながらゆっくりと歩き出そうというところであった。
 その流れに合わせ、三人もすぐ上の階へと移動を始めた。





最終更新:2021年08月13日 18:02