「そういえば妖精族にも、人間との恋物語とかがあるんですよ」
「妖精と人間の・・・恋物語?」
大きくくり抜かれた大樹の部屋の床の木目から蔦が飛び出し、それが何本も絡まることで形作られた椅子とテーブル。そしてテーブルの中央には大きな籠にこんもりと盛られた、彩もよく種類も多岐にわたる沢山の果物が誇らしげに陣取っている。
程よい弾力があって抜群の座り心地である蔦の椅子に腰掛け寛いでいたカタリナは、果物の盛り合わせの中から苺を摘まんで今まさに口に放り込まんという姿勢のまま、フェアリーの唐突なその言葉を繰り返して動きを止めた。
「そうです。日常的というような程では有りませんが、この地で私達は昔からアケなどに暮らす方々とは関わる機会がありました。それと潮流の関係なのか温海で船が漂流したりすると、遭難者がジャングルに流れ着くことも稀にあったりしますし」
此方は木の幹の間から咲き出た花弁に触れるか触れないかといった具合でふわりと腰掛けながらカタリナの口が半開きな表情に真面目に頷き返すのは、三百年の時を経て訪れた外界の客人をもてなす妖精の里一日観光ガイドさんこと、フェアリーである。
「そんなわけでして、私達妖精族は人と関わる機会というものが意外に多くあります。ご覧の通りに私たちは外見は人間のそれとよく似ています。なので長い歴史の中に幾つか、そのような物語が点在しています」
へぇーと脊髄反射な反応を見せながら、カタリナは手元のティーカップに口をつける。妖精のいれるティーは、罠にさえ気をつければとても美味しい。それを身を以て学んだ彼女は、今度はフェアリーが一人で作る様をじっと隣で見つめ続けながら、しっかり安全確認をしたのだ。
「でも・・・人間側はさておき、その場合って妖精側には恋愛感情って生まれるものなの?」
ふと思ったことを、思ったままに何気なく口にしてみる。
確かに姿形は妖精も人間のそれとよく似てはいるが、精神構造だったり生態系だったりとか諸々の問題というのは起きないものなのだろうか、と思ってしまったのだ。
そもそも妖精って人間みたいにお腹から生まれてくるものなのか、なんて疑問がカタリナにはあるわけなのである。これでも彼女は、妖精ってお花から生まれるんじゃなかったのか的な乙女思考の持ち主だったりする。
「うーんとですね・・・そこは確かに諸説ありますね。ただこれまでの出来事を元に推察すれば妖精は矢張り基本的には人間と違いまして・・・例えば人間によく見られるような恋愛感情の表現の一つとしての生殖活動等は、私達は好んでは行いません。どちらかと言えばストイックに精神的な繋がりのみを求める傾向にあるようですね。肉欲も恋愛のベースとして割合強く存在するであろう人間側とは、やはりそこの感じ方は違うようです」
「いきなり生々しい話になったわね・・・」
臆面なくフェアリーがそう言うと、カタリナは少し目を細めながら苦笑いをする。
するとフェアリーはひざの上で手を組み、続けてふわりと笑った。
「それでも、そういう出来事があったというのはすごい事だと思うんです。言ってしまえば元来私達の精神的な依り代というものは長も含めて、この大樹だけです。それがそうして外部から訪れた何かに新たな執着や依存が生まれたというのは、種族的には私は・・・進化、と表現しても良いと感じます」
「成る程ね。そうかもしれないわね。でもそういう考え方って、こういったコミュニティ内では珍しいのではないのかしら?」
カタリナがそう尋ねると、フェアリーは確かにそうですねと頷いた。種族として外世界におらずにこういった活動拠点のみで生活が成り立っているコミュニティは、大なり小なり外来を拒む傾向にある。
その辺りの感覚は、彼女にも分かるのだ。なにしろカタリナ自身も、どちらかと言えば閉鎖的な気質である「貴族」というコミュニティの中で基本的に育ってきた人間だからだ。
それでも彼女がこれまで育ったコミュニティ内とは異なる感覚にこうして共感を持てるのは、貴族であると同時に騎士として実力社会に身をおいてきたからに他ならない。
とすると逆にフェアリーがこの里で育ちながらもこういった考え方を持つのは、彼女がここ妖精の里の長に「お転婆」だと形容されたところからきているのだろうか。
「私達妖精は発生時までの記憶を共有しているとは先日お話ししたかと思いますが、それはあくまでもこの大樹に蓄積された大まかなものに過ぎず、またリアルタイムでの思考や感情の共有といった様な事も成されません。故に発声、又は念話による言語を操ります。因みに今は私自身のこうした考えというのは、あんまり皆にいい顔はされませんね」
苦笑いとも取れる笑みを浮かべながらフェアリーが膝の上で手を組み直しながら言うと、カタリナはティーカップに口をつけながら言葉にならない相槌をうった。
妖精同士はとても仲が良さそうに見えるし(実際に仲は良いのだろうとは思うけど)意見の対立なんて何も起こらなそうにカタリナには思えたものだが、意外とコミュニティ内での思惑の交差というのは人間のそれと同じく存在しているようだ。
「あ、そうですカタリナさん」
ぽん、と手を合わせながらフェアリーが唐突にカタリナの名を呼んだ。ところどころこういう仕草がどうにも人間くさくて、とてもカタリナには非常に可愛らしく映る。
なあに、とカタリナがふんわり応えると、フェアリーは花弁からするりと滑り落ちるようにして降りながら浮き上がると、大きく開けた木の窓に体を向けた。
「今お話しした人と妖精の恋物語の所縁の場所の一つが里からそう遠くない場所にあるのですが、そこが実は私のお気に入りの場所なんです。里はもうそんなに見る場所があるわけでもないので、良ければこれから行ってみませんか?」
なるほど行動力に定評のある彼女らしい突然の提案に、カタリナはもちろんすぐに頷いた。この辺りの観光案内は、フェアリーにすべてお任せする事にしているからだ。
「では、参りましょう!」
ふわりと窓の外へ飛び出したフェアリーに連れられるように、カタリナも風を受けて重力の檻を抜け、窓から身を乗り出した。
妖精という存在が現在に至るまでに記されている史実に初めて現れたのは、これも聖王の時代だとされている。
時の支配者であった四魔貴族の一人、魔炎長アウナスが潜むと目される密林の奥に聳え立つ火術要塞へ聖王軍が侵攻する際、ジャングルの危機に奮起し迷える森の中で聖王軍の導き手を自ら名乗り出たのが妖精なのだ。
しかし、それとは別に妖精をある種の土地神、又は神の使いと捉えた土着の信仰はこの聖王記に描かれた逸話よりはるか昔から存在しているようで、口伝等によって代々伝えられてきた様々な逸話や風習が密林の入り口とされるアケなどにはあるのだという。
因みに、こうして伝わる話の多くは妖精の悪戯に纏わるものであり、悪い子には妖精がお仕置きに来るぞ、といった具合に躾のために親が子へと聞かせるようなものが多いのだとか。
しかし、一部毛色の違う伝記も残されている。
それこそが、妖精と人間の恋物語であるのだそうだ。
「身分や文化の違う二人が落ちる恋物語には結末として悲恋が多いように感じますが、妖精と人間のそれも御他聞に洩れず、そのような話が多くを占めています。ですがこの先で生まれたとされる恋には、恐らくそれは当てはまりませんでした」
せせらぐ小川を軽やかに飛び越え、辺りを極彩色の蝶々が軽やかに舞う様を横目に歩きながら、カタリナは里の中よりことさらに饒舌なフェアリーの話に耳を傾ける。
そうして道無き道を導かれて樹々の間を抜けた先には、小さな泉の畔が広がっていた。
鬱蒼と生い茂る葉の間から降り注ぐ陽光が湖の水面でゆらゆらと輝き、辺りには微かな霧が漂っていてその光を淡く周囲に拡散させている。散らばった光は幾重にも重なり七色の変化を繰り返し、緩やかな風に擦れる葉の音と湧き出る泉のせせらぎが、まるでフェアリーとカタリナを迎えるように周囲に木霊する。
幻想的、等という言葉で片付けるにはあまりに神秘的なその光景に、カタリナは我知らず息を漏らした。
「・・・ジャングルっていうのは、随分と絶景に事欠かない処なのね」
カタリナのそんな感想にたいそう満足気に微笑んだフェアリーは、手を後ろに組みながら羽を震わせた。
「ここで、何処か遠い土地から海を渡って漂流してきた男性の旅人とアールヴ族の妖精が出会い、互いが一目で恋に落ちたそうです。男性は肌が浅黒いので、ナジュ方面の出身ですかね」
「・・・会ったこと、あるの?」
まるでその人物を見たことがあるといったような表現に、畔にしゃがみ込んで泉の水中をまじまじと眺めていたカタリナはフェアリーに振り返った。
「直接ではありませんが、この泉には主さんがお住まいでして。その主さんが拝見したことがあるそうで、教えてもらいました」
「・・・ヌシさん?」
カタリナがフェアリーの言葉を繰り返してそう言った直後、ざぱーんと泉の水面を盛大に揺らしながらカタリナの身長近くはありそうな魚が、勢いよく中空へと飛び出した。ゆうにカタリナの身長を越えるほどの高度まで躍り出たその魚は重力に引き戻される寸前に大きく身を翻し、そのままの姿勢で吸い込まれる様に泉の水面を打った。
音に反応してそちらに向き直った瞬間にきらきらと光るその魚に思わず見惚れたカタリナは、そのまま着水の勢いで跳ねた泉の水を思いっきり正面から被ることとなった。
数秒後、先の拍子に頭の上に乗っかったらしい水草を片手でつまみ上げながら、カタリナはもう一度フェアリーに振り返った。
なんとフェアリーは、さっきよりも後ろに下がっている。ちゃっかり彼女は跳ね水を避けたようだ。
「・・・それで、ヌシさんは喋れるの?」
「言語は操れません。ただ思念で語りかければ、返ってきます。主さんはここに七十年近くお住まいだそうで、この湖畔で起こった出来事は大抵覚えているみたいです」
思念による意思疎通が同族以外にも成立するなどと、さり気にとんでもない特殊技術を聞いてしまった様な気がするが、取り敢えずそこは今は流すことにした。
「なるほどね。それで、結局その二人は幸せに暮らしたのかしら」
「それは、残念ながらわかりません。少なくとも私が見聞きした限りでは、二人でジャングルを出て以来の消息は知りません。ですが・・・」
言いながら泉の上へと移動したフェアリーは、再び手を後ろで組みながらカタリナに振り返って、にこりと笑った。
「古い伝聞を除けば、近年ではこのお話と私自身以外に妖精がジャングルを出た話はなかったので、私の経験則から言えば、恐らくは幸せになったんだと思います」
「・・・つい最近まで人間の手によって捕まってた割には、随分と楽観的解釈なのね」
こちらも微笑みながら言うと、フェアリーは泉の水面から伸びた蔦のくびれに触れる様に腰をかけた。
「ふふ、外の世界にはこうして私などでは予期出来ないような素晴らしい出会いがあります。勿論すべてが良いことばかりではないのでしょうが・・・そのせいで本来備えている素晴らしさまでもが損なわれるわけでは、ないと思います」
「・・・貴女のその考え、私は好きよ」
衣服にまだ残っていた水滴を手で払い、ゆっくりと立ち上がりながらフェアリーの言葉に朗らかに応える。
彼女にとって人ならざる存在との会話は魔族、魔神を数えて妖精で三種族目となるが、ここにきて妖精が自分とは別の種族などとは全く思えなく感じていた。それだけフェアリーはカタリナが想像していた以上にしなやかな思考の持ち主で、よき話し相手だと感じるからだ。
「妖精と人が・・・様々な形でそんな風に惹かれ合うのなら、実は互いの起源は思ったより近いものなのかもしれないわね」
「はい、そうであれば素敵だなって思います」
そう答えて微笑んだフェアリーはひょいと蔦から飛び降り、泉の上に立つ様にゆっくりと浮かんでからカタリナのそばまで戻ってきた。そしてここまで来た道を指差し、口を開く。
「帰り道、少し寄り道していきませんか? 大樹の近くに、お花の群生地があるんです。摘んでいきましょう」
「ええ、そうしましょうか」
これまた唐突な提案だったが、もちろんこれにもカタリナは二つ返事で同意した。花摘みなどもう十年以上もした覚えがないが、この密林に広がる花々とやらはきっと見事な眺めで以て、今度も十二分に彼女を楽しませてくれることだろう。
「では、参りましょう!」
ふわりとその場で一回転しながらそう言ったフェアリーにカタリナも笑顔で応え、二人は泉を後にした。
うっすら靄の立ち込める泉には、二人を見送る様に再び小さく跳ね上がる主の姿があった。
最終更新:2014年03月17日 04:35