灼熱の砂漠を越えて遂に辿り着いた彼女の目に先ず見えたのは、今まで彼女が見てきたどんな建造物よりも高く高く天に突き刺さらんとする、無骨な塔であった。
そしてその塔を中心として商人達の市が広がり、更にそれを囲うように円形に住居が形成されている。
それら住民の暮らしを支えるように近くにはオアシスが複数箇所に渡り点在しており、恐らくそれらの水源であろうと思われるハマール湖が南東に覗く。
神王の塔とはその様な街の中心に突如として聳え立っており、只々異質な空気を醸し出していた。
だが砂漠越えに同行してもらった商隊に礼を言って別れたカタリナは、その直後、更にこの地において異質なものをその目にした。
「やぁやぁ、これは奇遇ですねカタリナ殿。いやはやこんなところでばったり出会うなんて、なにやら運命めいたものを感じてしまいますね。最早ここは殿なんて言わず親しみを込めて、カタリナさんと呼ばせてもらっちゃいましょうか」
「・・・!」
突如カタリナに声をかけて来たのは、余りにその見た目が特徴的すぎて忘れる事も叶わないであろう人物。
ピドナで遭遇し彼女に不可思議な言葉の数々を投げかけてきた、聖王記詠みを自称する謎めいた詩人だった。
朝焼けの港での出来事がフラッシュバックし思わずその場で抜刀しそうになるのを何とか抑え、カタリナは警戒心むき出しで詩人を見据えた。
「・・・何故ここにいる。私に一体、何の用なの」
「いやー・・・暑苦しいこの地では心地いいくらいに反応が冷たいですねー。ここに来るためのキーマンを教えて上げたの、私なのに」
酒場にいれば笑いを誘う様な大袈裟な素振りで頭を項垂れる詩人に対し、カタリナはピクリとも表情を変えずにいる。
すると詩人はやがて諦めたのか一つため息をつくと、つれないなぁとぶつぶつ呟きながら、カタリナを手招きして歩き出した。
「・・・マスカレイド、取り戻すのでしょう? それなら、ついて来た方がいいと思いますよ」
立ち止まったままでいたカタリナに詩人は一度だけ振り返り、あくまで悪戯っぽく笑みを浮かべながらそう言った。
全く以て不気味な話だが、此方の目的等は全て分かっている、という事なのだろう。
そのままあとは振り返る事もなくゆっくりとしたペースで歩いて行く詩人の背中に一つ悪態をつくと、カタリナは実に不本意そうな表情と共にあとを追って歩き出した。
そのまま二人は市の中心地から離れ、やがて人通りの少ない路地裏で詩人は立ち止まった。
用心深く多少の距離をとって同じくカタリナが立ち止まると、詩人はそんな様子のカタリナにはお構いなしにあくまで自らのペースを崩さず、肩から下げていたバッグからズルズルと麻で作られたローブを引っ張り出す。
それは、神王教団の教徒が着用する専用のローブだった。
「はい、どうぞ」
そう言って無造作に放り投げられた丸まったローブをカタリナがキャッチしてから詩人を見返すと、彼は丁度自分の分のローブを同じくバッグから引っ張り出したところだった。
「神王の塔に入るには、このローブを着用しているか、もしくは何とびっくり一万オーラムのお布施を捧げないといけないんですよ。碌なアトラクションもないっていうのに、随分とぼったくってきたものです」
ぶつぶつとそういいながらローブを羽織る詩人と手元のローブを交互に見ながら、カタリナはこの状況についてどう対処するべきかを考えていた。
「・・・着ないんですか?」
「・・・貴方は何者なの? 目的は、なんなの?」
詩人からの問いかけを無視する形で、カタリナはそう言った。
「何者か、は・・・残念ながら秘密です。そんでまぁ今回の目的ですが・・・」
彼女の言葉に答えながら詩人は着用していた特徴的なとんがり帽子を脱いでローブで頭まですっぽり覆い、似合うでしょ、と聞いてくる。
それを当然の様にカタリナが無視すると詩人は少しだけいじけた様な表情をしてみせ、そしてふと神王の塔を見上げた。
「私も少し、取り戻したいものが有りましてね。なもので折角だから、ご一緒しようかと思ったわけです」
そう言ってカタリナに振り返った詩人は、臆面なくにこりと笑う。
それに対してカタリナはピクリと眉を動かすだけで答えたが、それ以上はこの男が語りそうにもない事を悟ると、諦めた様に手に持ったローブを羽織った。
「・・・もう油断はしないわ。何かしようとしたら、容赦なく斬る」
「やだなぁ、私そんなに節操ないわけじゃないですよ?」
カタリナの言葉に詩人が相変わらずの調子で返すと、むすっとした表情のカタリナはそのまま彼を追い越して、街の中央へと歩き出す。
詩人はそんなカタリナの背中を眺めてやれやれと言った様子で肩を竦め、その後を追った。
カタリナが市まで戻ると、其処彼処で露店を開いている商人たちが本日の目玉商品を声高らかに彼女に向かって過剰にも思えるくらいに宣伝してくる。
先程はその様な事は無かったので、違いといえば神王教団のローブを羽織っている事だ。
この地が神王教団に実質支配される様になってから十年、彼らはこの地では商魂逞しい商人達にとってよい商売相手として認識されているのだろう。
「おお、見てくださいよ。この絨毯模様の見事なこと! なんか空、飛べそうじゃありません?」
ゲッシアの絨毯織物技術は世界的にもその品質や芸術性の高さが有名で、愛好家は西方諸国にも少なくない。周囲を見渡せば砂しか見当たらないようなこの土地から作られるなどとは想像もつかぬほどに色鮮やかに染め上げられた糸を織り合わせ、露店に並べられた商品はそのどれもが美しい幾何学模様を披露して通行人の目を楽しませている。
確かに時間と余裕があればゆっくりとそれらを眺めて回りたいのは山々だが、今のカタリナは生憎とそのどちらも持ち合わせてはいない。
故にそれらを一瞥しただけで再び歩き出すカタリナに対し、詩人は其処彼処の露店に視線を泳がせながらなんとか彼女の背中にすがりつく様な形でついていく。
だが街の中心に近づくにつれて、徐々に道に広がる露店の数は少なくなっていった。
そして最後に織物を扱う商人の横を通ると、急に目の前の空間が大きく開けた。目前に聳える巨大な塔が建設中であるということを匂わせる幾つもの日干し煉瓦の山が点在している以外には何もない空間が、塔を囲う様に広がっていた。
一度そこで立ち止まって塔を軽く見上げたカタリナは、ふとここまでの旅路に思いを馳せ、そして意を決して歩き出す。
そのまま何事もなく入り口に辿り着くと、そこには一人の神王教団教徒が入り口の番人として立っていた。
だがカタリナが教徒のローブを羽織った姿で近づくと、番人は軽く会釈をして脇に避ける。
それに会釈を返し、拍子抜けしてしまうほど何事もなくカタリナ達は神王の塔へと侵入を果たした。
多少薄暗い中で視界を慣らすようにゆっくりと周囲を見渡すと、中は窓が設えられておらず代わりに蝋燭が灯されており、外が昼間であるのか否かもよくわからなかった。そして何より、砂漠のど真ん中に立てられているにしては随分と冷んやりとした空気に包まれているな、と言うのが彼女のこの場に対する第一印象だった。
入り口から三又に通路が別れているが、そのうち正面と右側の通路は教徒が立って道を塞いでおり、カタリナは軽く会釈をしてみたがその場を動くような反応はなく、どうやら通行止めのようだった。
別段強行突破する理由も今はないので残された左の通路を進み始めたカタリナと詩人は、細かく区分けされた幾つもの部屋を抜け、その先に設置された階段を登り、歩みを止めることなく只管に上を目指した。
「しっかし・・・不親切設計な塔ですねぇ。上まで登るのにこんなにグルグルと階の中を歩き回らなければならないなんて」
いい加減歩き疲れた様子で詩人がその様に悪態をつくと、それには流石にカタリナも同意を示した。
まるで塔の中央を避ける様にその周りを回りながら上を目指す様な構造は、確かに不親切極まりない。これもまた、何かの宗教的な考えの結果なのだろうか。
「お、今度は外まで回れってことらしいですよ。徹底してますねぇ!」
遂には室内に道がなく、外のバルコニーへと続く進路のみとなった。
詩人が思わずそれに茶々をいれるが、もし彼が言っていなかったらカタリナが言っていたかもしれない。面倒極りない作りだ。
「・・・わぉ」
「おー、これはなかなかいい眺めですねぇ」
バルコニーから外に出ると、階層にしてそれ迄に十ほどを進んできたのだろう。かなりの高さまで登っていた。
見下ろす街並みは美しく環状に広がり、道行く人々がとても小さく見える。
「最上部はまだ建設中の様ですね。となると、ゴールは近そうです」
詩人が見上げる先にカタリナも視線を移せば、確かにまだ最上部には建設用足場が組まれている。
それを確認したカタリナは、再び歩き出した。
バルコニーを通ってまた室内へと戻り、その先にようやく見えた階段を登り、またバルコニーへ。
それまでと変わらず嫌がらせの様な構造の建物を根気強く二人は登り続け、漸く終点へと辿り着いた。
それまでの細かく区切られた間取りとは違い広く取られたその広間には、奥に設えられた厳かな台座の上に、黄に染められたローブを羽織った一人の老人が此方に背を向けて立っていた。
カタリナと詩人が歩み寄ると、その人物はゆっくりと二人に振り向いて、何事か、と視線で語る。
それに応えるように二人が身に纏っていた麻のローブを脱ぐと、男は落ち着いた様子でゆっくりと目を細めた。
「お前達、教団の者ではないな」
老人のその言葉に小さく頷いたカタリナは、脱いだローブを折り畳んでから姿勢を正した。目の前の人物に見覚えはないが、この佇まいは間違いなく教団の長だろう。
「神王教団教主ティベリウス殿とお見受けします。突然の訪問をお許しください。私はロアーヌの騎士、カタリナ=ラウランと申します。此方は現地案内人です」
カタリナの紹介に合わせて詩人が優雅に一礼をすると、ティベリウスと思しき老人は手にした杖をコツンと床に一度当て、台座から降りた。
「いかにも、私がティベリウスだ。ロアーヌの騎士殿、よくこの地に参られた。神王様はすべての人のために現れる。故に歓迎しよう」
ティベリウスのその言葉に軽く一礼をして返したカタリナは、軽く周囲を確認し直した。そして特に人の気配も感じられないことを確かめると、ティベリウスへと視線を戻す。
「単刀直入にお聞きします。マクシムスは、どこにいますか?」
「マクシムス? あやつならピドナにおるはずだが」
一体それがどうしたのか、とティベリウスが首を傾げると、カタリナは一歩前に進み出た。
「あの者の正体は、かつて温海にて残虐非道の限りを尽くした海賊ジャッカルです」
「・・・海賊であろうが、殺人者であろうが、くいあらためて神王様を待つ者は救われる。マクシムスが昔どんな名を持っていたとしても、今は関係ないことだ」
「ジャッカルはこの教団を隠れ蓑として、今も非道な悪事を続けています。それも容認なさるのですか?」
ティベリウスの返答にカタリナが即座に応えると、ティベリウスはカタリナの瞳を見返した。そこに偽りの念が全くないことを読み取ると、ふむ、と唸って口を開く。
「真偽を確かめるために、出頭させよう」
そう言った、その直後だった。
嫌悪感を催す悍ましい視線を背中から感じとったカタリナが、咄嗟に背後に振り返る。
その直後、広間の入り口から下卑た笑い声が響きわたった。
それに詩人も遅れて振り返ると、その先には数日前にピドナでカタリナが見た姿と同じ、神王教団幹部の位を示す青いローブを身に纏ったマクシムスが立っていた。
「マクシムスか。この者達の言うことの真偽を聞きたい」
ティベリウスがまずそう口火を切ったが、マクシムスはそれを一瞥しただけで無視した。
そして下卑た笑みをそのままに、カタリナへと視線を移す。
「よぉ、美人社長のカタリナさんよ。ピドナでは派手にやってくれたそうじゃねぇか。おかげさんで俺様の可愛い部下どもは、殆どお縄になっちまったようだ。だが・・・残念だったなぁ! もう俺はあそこに用はなくなった!」
不快に耳に届くマクシムスの声を聞きながら、カタリナは手にしていたローブを床に放り、躊躇う事なく月下美人を抜刀した。
「マクシムス! マスカレイドを返してもらいにきたわ!」
声を発した直後に、カタリナは一足飛びでマクシムスに斬りかかる。
だがマクシムスはそれを思いの外機敏な動きで後方に飛んで避けると、なんとそのまま笑いながらバルコニーの手摺へと身を乗り出した。
「くっくっく、随分と威勢がいいじゃねーか。そういうの、嫌いじゃないぜぇ? しかもそれが聖王遺物のお土産付きともなりゃあ、大歓迎だ」
追撃を繰り出さんという姿勢のカタリナに対し、マクシムスはカタリナが身につけている聖王のブーツと王家の指輪をみて、上機嫌に笑う。
そして漸くその後方に控えていたティベリウスへと視線を移すと、残忍な笑みを浮かべた。
「と、いうわけだ。この塔は頂いたぞ、ティベリウス」
「・・・この塔は神王様の物だ。お前の自由には出来んぞ」
ティベリウスが即座にそう返すと、マクシムスは鼻で笑った。
「神王だと? そんなガキは必要ない。世界は俺様が支配してやる。集めた聖王遺物とモンスターどもを使ってな!」
そう言い捨てると、なんとマクシムスはバルコニーからそのまま身を翻し飛び降りた。
まさかのその行動に驚いたカタリナがバルコニーまで駆け寄ると、なにかとても大きな物体が彼女の目の前を下から上へと通り過ぎる。
その影を追ってカタリナが上空を見上げると、巨大な鳥ような魔物の背に乗ったマクシムスが、相変わらず不快な笑みを浮かべて彼女を見下ろしていた。
「てめぇの死体からしっかり聖王遺物は回収しておいてやるからよ。全員仲良く死ねよ」
そう言って高笑いをするマクシムスの背後から、更に大きな魔物が姿を現す。真紅の巨体に獰猛な眼光を宿した赤竜だった。
「おやおや、レッドドラゴンですかぁ。どうやって手懐けたんでしょうねぇ?」
暢気な声を上げながらも、詩人は慣れた手つきで腰にさしていた剣を抜く。
それに合わせてか赤竜は雄叫びを上げ、狭い入り口にそのまま体当たりをしてきた。
慌てて横に飛んでよけたカタリナを素通りして轟音と共に入り口周囲の壁を破壊しながら広間へと突入した赤竜は、続けざま即座に口角を大きく開く。
そこに超高温の揺らめきが収束したかと思えば、次の瞬間には周囲を薙ぎ払わんとする轟炎の奔流が吐き出された。
「ただでさえ暑いんですから、少しは気を利かせてアイスブレスとかにしてくれませんかねぇ」
ティベリウスをかばう様に彼の前に位置した詩人は、相変わらずの様子でそういいながら手にした剣を横に凪ぐ。
すると彼の目の前に広範囲の炎の障壁が現れ、迫り来る炎をいとも簡単に全て堰き止めてみせた。それは嘗てシャールが夢の世界で見せたものと同じもので、少なくとも詩人のその身の熟しと術式が非常に高い水準にあることが垣間見える。
(・・・やっぱりただものじゃないわね、あの男・・・)
それを体制を立て直しながら見ていたカタリナは、炎を吐き切って動きが止まった赤竜に向かい、すかさず月下美人の一太刀を浴びせる。実のところこの月下美人を実戦で使うのはほぼ初めてに近いのだが、事前にフェアリーから聞いていた扱い方を元にした鍛錬は抜かりない。教えられた通りに太刀筋の流れに沿って斬ることを意識し、無心で太刀を振った。
すると驚くべきことに殆どなんの抵抗も感じられない程の切れ味で、赤竜の背中に生えた翼が一本、あっさりと斬り飛ばされた。
それに思わずぎょっとしたのは誰あろうカタリナで、激痛に叫ぶ赤竜の脇を慌ててすり抜け、詩人の横まで戻って剣を構え直した。
「すんごい切れ味ですねー、その刀」
「刀・・・というの? 貰い物だからあまり知らないけど、確かに今のは我ながら驚いたわ」
刀自体も実戦でしっかり使ったのは初めてだったが、切れ味でいえば彼女が今まで使ったどんな剣よりも、この月下美人という武具は優れているようだ。
痛みに暴れまわっている赤竜が再び此方にターゲットを向けて口を開かんとしているのを確認すると、早いところ勝負をつけてしまおうとカタリナが先に動いた。
赤竜が前足の爪で迎撃しようとするがそれを難無く躱し、懐に入ったカタリナは全身に力を込める。
次の瞬間には赤竜の背中へとすり抜けたカタリナが先ほどまで立っていた位置に、ゴトリと赤竜の首から上が落とされた。
「おぉぉ、お見事ですねぇ」
剣を鞘に戻し、ぱちぱちとやる気のなさそうな拍手をカタリナの背中に送る詩人。
それを流しながら血振りした月下美人を納刀したカタリナは、随分と風通しの良くなったバルコニーへと視線をやった。しかし、そこにはもうマクシムスの姿はない。
「彼奴は、この塔の何処かにいるはずね。ティベリウス殿、心当たりはありませんか?」
「この塔の中心部を通るようにマクシムスが設計を主導した昇降機があるが、今は動いていない。どこかに起動装置があると思うが・・・」
「昇降機ですかー。魔術紋章を用いたものは多少は存在しているみたいですけど、完全に機械仕掛けで動くものなんて初めて聞きましたよ。マクシムスさん、発明家に向いてません?」
ほんわかと場違いな発言が好きなのだろうか。詩人がそのような感想を述べているのを聞き流しながら、カタリナは踵を返して歩き出した。
だが、それを呼び止めるように声が掛かる。カタリナがそれに振り返ると、彼女を呼び止めたのはティベリウスだった。
「待ってくれ。私も行こう。場所なら、大凡の見当はつく」
「・・・感謝します」
カタリナが頷くと、ティベリウスは思いの外機敏な動きで歩き出した。
先行するティベリウスを追うように二人は壁の破片が飛び散った広間の入り口を越え、ここまで登ってきた道を逆再生して行くように戻る。
そして二つ程下の階層に戻ると、行きには番がいて塞がれていた道が開かれていた。大方、上で起こった騒ぎに逃げ出したのだろう。
ティベリウスが躊躇いなくそこに入っていったのでその後を追うと、中は巨大な螺旋階段となっていた。
「ここから一階まで一気に降りれる」
「わお! 私一度、こういうのやってみたかったんですよね」
ティベリウスの言葉を聞き終わらないくらいで、詩人が乗り出す。
塔の中央を貫く螺旋階段には手摺が設置されており、彼はそこに腰をかけた。
背中を吹き抜ける風を感じ、一瞬だけ下を覗き込む。
「うーん、落ちたら死んじゃいそうですけど・・・そんなこと気にしてたらロマンは追いかけられませんよねぇ。ってなわけで、一番乗りいただきまーす」
そのまま勢いをつけて手を離した詩人は、軽快な速度で手摺伝いに下方へと滑り落ちていく。
「・・・落ちちゃえ」
その様子を見ていたカタリナはぼそりとそう言い、そう言いつつ自らも手摺に腰を掛けた。少し品がない気もするが、確かにこの方が速そうだ。
そのままするすると滑り出していったカタリナを見届けたティベリウスは、自分も一瞬だけ手摺を見たものの、そこは冷静さを取り戻して踏み止まった。
そして早足に歩いて長い螺旋階段を漸く降りきると、丁度部屋の出口ではカタリナと詩人が悍ましい人面の獣を斬り捨てたところであった。
「この塔に、このような魔物が蔓延っていようとは・・・。許さぬぞ、マクシムス・・・!」
「まぁまぁ。そうカッカすると血圧上がっちゃいますよ? 起動装置というのは此方ですかね?」
血相を変えているティベリウスを宥めながら詩人が示したのは、獣が立ち塞がっていた扉だった。
その中をカタリナが覗き込むと、今度は地下へと道が続いているようだ。そして、其処彼処に魔物の気配がある。
広くはない通路なので月下美人を鞘に収めて代わりにレイピアを手にしたカタリナと剣を持った詩人が先行する形で、道を進む。途中の通路を塞ぐ魔物を難無く打ち倒しながら走破していくとやがてその先は行き止まりとなり、そこにはレバー式の切換器が露出した何かの装置が鎮座していた。
恐らくはこれが昇降機の起動装置なのだろう。
躊躇うことなくカタリナがレバーを切り換えると、ガチャリという音と共に内部で何かが動き出す。
しかし、それを確認したカタリナが手を離すとレバーはゆっくりと元の位置に戻ってしまい、同時に内部で動いていた仕掛けも止まってしまった。
数度繰り返してみるが、結果は変わらず。何か押さえになるものがないかと手荷物を漁ってみたが、役に立ちそうなものもない。
「・・・ここは私が押さえておこう。先に進むがいい」
ティベリウスが起動装置に手を掛けながらそう名乗り出ると、カタリナと詩人は彼に礼を言って先に進むことにした。
ここまで来た道を戻り、塔の入り口まで辿り着く。すると上から降りてきた時に使った螺旋階段の部屋の奥、先ほどは何もなかった筈の場所に昇降機と思しき台が現れていた。
「いいですねー。こういう仕掛けがある所って、なんかこう、攻略してるーって感じがしますよねー」
「・・・貴方が隣にいると、こっちはちっともそんな気がしないわ。でも・・・確かにこの先に目指すものがあるみたい」
詩人の軽口にそう返しながら昇降機に足をかけつつ、指にはめられた王家の指輪へとカタリナは視線を落とした。
まるで魔王殿の地下へと誘われた時の様に、指輪がこの先へ早く進めと彼女を囃し立てている。
二人を乗せた昇降機は内部でカタカタと振動する動力装置により、ゆっくりと上昇を始めた。
そうして誘われた先でも相変わらず遠回りを促す不親切な通路設計の中を突き進んでいくと、再び何かの起動装置が現れた。
形状も先程のものと同じで、やはり誰かが押さえていないとすぐに戻ってしまうのも一緒だ。
「今度は私ですね。どうぞ先へ」
思いの外素直に詩人が進んで装置に手を掛けた事に一応感謝しつつ、いよいよ一人となったカタリナは先へと進んだ。
通路の先に現れた昇降機を今度は下り、その先は広く取られた空間があった。そしてそれまでよりも多く配置された魔物達を次々と斬り捨て、更に奥の階段を下っていく。
道中には魔物は元より様々な罠も仕掛けられており、とてもではないが宗教上のシンボルとして建てられた塔の様には思えなかった。
ティベリウスは思いの外話のわかる人物だったが、彼にはこの事態は把握できなかったのだろうか。
何かを信じるものは、得てしてそこに付け込まれると油断し、騙されやすいものなのかもしれない。
それは自分自身にも大いに言えることであって、自分で考えておきながらも非常に耳に痛い事実だった。
だが、間も無く自らの油断と慢心が招いた一連の事件に一つの決着がつく。
通路の最後で飛び掛かってきた大型の蛇を斬り飛ばしたカタリナは、悍ましい気配を放つ奥の間の扉の前に立った。
すると扉は一人でに開かれ、その奥に鎮座する人物がその位置から見えた。マクシムスだった。
「やるな、ここまで辿り着くとは」
広間の中へと入ったカタリナに対し、マクシムスは素直にその様な賛辞を述べた。
「マスカレイドを返してもらいにきたわ。大人しく渡しなさい。さもなければ、斬る」
静かにそう言い、抜刀した月下美人を構える。
しかし刀を向けられたマクシムスはカタリナを見ながら余裕の表情で顎に手を当て、生え揃った顎髭を撫でながらにやりと笑った。
「おい、お前。俺の部下にならないか? そうすればマスカレイドはお前にくれてやるし、広大な領地もやるよ。それこそあれだ、世界の半分を、ってやつだ」
突然の妄言にカタリナが眉を顰めると、マクシムスは至って本気の様相で身を乗り出した。
「わけがわかんねぇ、って顔だな。何をとち狂ったこと言ってんだ、とでも思ってるな? ってことはお前・・・自分が持っている聖王遺物って代物がどんだけの力を持ったもんか、いまいち分かってねぇな?」
そういいながら立ち上がったマクシムスは、椅子に立てかけてあった木の杖を手にとった。それに王家の指輪が反応したのを感じたカタリナは、その杖もまた聖王遺物であろうと目星をつける。
「こいつは、栄光の杖。聖王遺物の中じゃ地味な部類だが、今までに数百人の聖職者が血反吐を吐きながら祈りを捧げてきた、世界でも指折りの神器だ」
マクシムスはそう言いながら、栄光の杖を振りかざす。すると僅かに光を湛えた杖からマクシムスへと光が流れ込み、マクシムスの周囲の空気が揺らぐ様に一変した。途端にマクシムスの纏う圧力が劇的に上昇したのをカタリナは肌に感じとる。
更にマクシムスは石造りの椅子の脇に無造作に置かれた箱から一本の槍を取り出した。
見るもの全てを魅了するかの様に煌びやかな装飾が細部に施されたその槍は、しかしその飾りとは裏腹に圧倒的な威圧感で周囲を制しながらカタリナに矛を向ける。
「こいつはいい拾いもんだった。かつて魔戦士公アラケスが操ったという魔槍を希代の名工と共に鍛え直したとされる聖王の槍・・・。カビくせぇ工房なんぞに置いとくには過ぎた代物だぜ」
振り翳した槍をマクシムスが構えると、槍は刃先に風を受けて不思議な音色を奏でた。その音色に導かれた光が更にマクシムスへと収束し、それは軽い風圧を為して周囲に拡散する。その風を頬に受けながら、人に対峙する上では感じたことがない類の圧迫感をカタリナは感じていた。
(なんなの、この出鱈目な圧力は・・・。これが、聖王遺物の本懐だとでもいうの・・・?)
ジリジリと後退りながら対峙するカタリナに対し、マクシムスは期待通りの反応を得た子供の様に笑みを浮かべながら一歩前へと進んだ。それに合わせてカタリナが後退するのを見てさらなる笑みを浮かべ、勝ち誇った様相で口を開いた。
「俺はある時、天命によりアビスの魔物を従えた。こいつらがあれば、人間の軍勢がどれだけ集まろうが対抗出来る。そして更に俺はこの絶対的な力、聖王遺物をも手に入れた。これなら・・・四魔貴族だろうが対抗できる」
振り翳した槍を恍惚の表情で見つめながら、マクシムスはもはやカタリナを見ているわけでもなく、誰にともなく語った。
「だーが・・・まだ足りねえ。如何せん俺一人だけっつーのが良くねーんだ。六百年前に魔王が失敗した理由はそこよ。右腕がいねぇ。そこで、お前だ。赤竜をぶった斬る程の能力を持ったお前なら、この俺様の覇道に付き合う権利がある。どうだ、俺の部下にならねえか?」
言いながらマクシムスが翳していた槍をおろした事で威圧感から一時的に解放されたカタリナは、こちらも刀を下ろして直立の姿勢をとった。
その様子にマクシムスがニヤリと笑うのを確認すると、彼女は肩で一つ息を吐き、ゆっくりとした動作で再び刀を構える。
「続きは夢の中にして頂戴」
「・・・あん?」
マクシムスが眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情をすると、カタリナも負けず劣らず不機嫌そうな表情で返しながら、眼前の邪気を払う様に月下美人を真横に薙いだ。
「寝言は寝て言えっつってんのよ!」
「・・・はっ!この状況でその口の聞き方とは大した奴だ!」
両手に構えた槍を眼前のカタリナに向け、マクシムスは全身に力を込める様に腰を深く落とした。
「じゃあ残念だが、ここで消えてもらうぞ!俺様の邪魔はさせん!」
石畳が弾けんばかりの強烈な踏み込みでカタリナに迫ったマクシムスは、勢いに任せて渾身の突きを放つ。先端が三叉の形状をとられた槍の刃先に対してカタリナはその間に刃を差し込みながら受け流そうとするが、接触の瞬間に槍の刃先が跳ね上がり、次いで石突がカタリナの顎を狙って唸りをあげながら迫った。
それを間一髪上体を反らせる事で回避したカタリナは、槍を振り上げて脇腹ががら空きになったマクシムスを狙って刀を横に薙ごうとしたが、刀を振り抜かんとしたまさにその瞬間、突如としてマクシムスの身体からカタリナ目掛けて炎が迸った。
予想外の事態に思わず身を庇う姿勢を取りながら後ろに下がろうとしたが、その間に態勢を立て直したマクシムスが回転させた槍に捉えられてカタリナは脇腹を浅く裂かれる。
「・・・っ!」
構わず後方に飛び退いたカタリナは軽い裂傷に舌打ちしながら構えを直し、ニタリと笑うマクシムスを睨みつけながら下段に刀を構えた。
(今のは、聖王遺物の力などではない・・・。もっと、とても悍ましい何かの力だった・・・)
「オラオラどうしたぁ!? さっきの威勢はよぉ!?」
手の内がわからず積極的に攻めあぐねいたカタリナの様子を見てとり不敵に笑いながら、マクシムスは手にした槍で攻め立てる。
カタリナはその攻撃を全て紙一重で躱し、弾き、捌きながら、慎重に相手を観察した。
幾らでも隙もあれば先ほどの様な炎が見えるわけでもないのだが、しかしそれに誘われて攻めに転ずるには至らない。
「・・・ふん、流石だな。こんだけぶん回しても一つも擦りやしねぇのかよ。だが、このままじゃ死ぬのがちっと伸びるだけだぜ?」
防戦一方のカタリナに対して攻め立てていたマクシムスもこのままでは埒が明かないと考えたのか一度攻撃の手を休め、ギリギリ間合いの外まで下がると飽きれた様にそういった。
その様な安い挑発に乗るカタリナではないが、それ以前に未だ彼女には攻めるための起点が見つからない。先ほどの様な謎めいたカウンターの正体が掴めないと、この男を倒すことが出来そうもないのだ。
刀を上段に構え直したカタリナは一度距離を取って様子を見ようと、月下美人を地面に突きたて地を這う衝撃波を見舞う。
それをどのように避けてくるにしても、先と同じ大味な避け方であるなら地走りの連撃を見舞わんと気構えた。
しかし、ここで彼女の予測は大きく外れた。
マクシムスはなんと真正面から地を這う衝撃波を身体に受けつつ再び深く腰を落とし、力を溜める姿勢をとったのだ。
その間に衝撃波がマクシムスの身体を幾重にも切り刻んでいくが、しかし切り裂かれた箇所から吹き出したのは鮮血ではなく、なんと赤い炎であった。
その奇怪な光景にカタリナが驚愕の表情を浮かべるのを見て焔を纏ったマクシムスはまたしても下卑た笑いを浮かべ、そして咆哮した。
「終いだ、くたばりなぁっ!」
深く根を下ろすようにその場に固定された下半身と、大きく捻られた上半身。その両腕に抱かれた槍の先に集約された力の奔流が最高潮に達した時、マクシムスはカタリナに向かって強大な衝撃波を伴う二段突きを繰り出した。
放たれた衝撃波は瞬く間に燃え盛る炎龍と凍てつく蒼龍の姿をとり、石造りの地面を削りながらカタリナへと迫る。圧倒的な質量を伴うその双竜の波は、確実にカタリナを捉えていた。
(・・・今の焔・・・知っている。指輪が覚えているわ。あれは・・・深い闇の狭間から生まれるアビスの焔・・・)
地面に突き刺した刀を抜いた段階で目前に迫る双竜波を避けきれないと判断したカタリナは、無心で衝撃波を切り裂く様に月下美人を真横に薙いだ。
瞬間、月下美人が仄かに光って衝撃波に纏わり付いていた瘴気ごと双竜を粉砕するが、しかしそれで全てを抑えきるには至らない。
相殺しきれない衝撃をもろに全身に喰らったカタリナは後方に吹き飛び、地面を二、三転してから漸く止まった。
「っけ、しぶてぇな。益々惜しいが・・・まぁ仕方ねぇわな」
よろよろと起き上がるカタリナを見下ろす様に睨み、身体に焔を纏ったマクシムスは再び構えを取る。
槍の先端に再度瘴気が収束していくのを感じながら膝に手をつきつつ立ち上がったカタリナは、各部に裂傷を負ったもののまだ四肢が問題なく動くことを確認すると、月下美人を正眼に構えた。
まだ仄かに光を帯びたままの月下美人が柄から掌を通し、彼女に構えを促す。
(・・・王家の指輪には刀の扱いは刻まれていない様だけど、長年妖精達が鍛錬してきたこの刀が、私に語りかけ、力を貸してくれる・・・。私が扱うことを拒んでいない・・・)
彼女の視線の先では、今まさに再び槍が振りかぶられたところであった。
それを黙って見守ると、間も無く当然の様に槍は轟音と共に突き出され、再び双竜の形を成した衝撃波が荒れ狂いながらカタリナへと迫る。その奥ではマクシムスが上機嫌な様子で笑いながら何かを叫んでいるが、それは破壊を伴う轟音に掻き消され彼女の耳には届かない。
それらの光景を正面から見つめていたカタリナは刀に誘われるまま、その場から動かなかった。
(斬れる)
確信したカタリナは正眼に構えていた月下美人を上段へと振りかぶる。
そして眼前に迫った双竜が正に彼女を喰らい尽くさんとした瞬間、カタリナは刀に宿る霊威を斬撃に載せるように静かに、そして力強く振り下ろした。
甲高い鍔迫り合いのような金属音が周囲に響き渡り、次いで引き起こされた強烈な爆風にマクシムスは思わず目を腕で庇う。
数秒後、巻き起こった風圧が止んでからマクシムスが正面に視線を直すと、刃先を相手に向ける形で八相に近い構えをとったカタリナが刺すような視線を向けていた。
「確かに聖王遺物の秘める力は、私が認識していた以上に絶大のようね。あなたでもこんな威力の攻撃が繰り出せるなんて、本当に凄まじいわ」
先程のマクシムスと同じように両足を深く地に馴染むように擦り合わせ、腰を深く落としながら言葉を紡ぐ。
その姿勢に呼応するように月下美人の刀身には淡く仄かな明かりが集い、やがてそれは刀身全体を覆う光となった。
「だが、稚拙。どうやらお前如きに操れる程、その武具は容易く出来てはいないようね」
カタリナに集まる光の奔流はその言葉を紡ぐ間にも膨れ上がり、そこから発せられる圧力は先のマクシムスが放ったものを完全に凌駕していた。
「・・・っくそ、てめぇ、舐めんじゃねえぞ!」
マクシムスはカタリナの構えを崩さんとし、背後から一振りの斧を取り出した。
柄から刃先まで全体に禍々しい装飾を施されたその斧は、聖王の槍や栄光の杖に見られるような神々しさはなく、それそのものが強大な瘴気の塊であるかのような吐き気を催す程の邪気を纏っている。明らかにこれまでの聖王遺物とは異なる代物だった。しかしその本体から溢れ出すプレッシャーは、聖王遺物のそれに比べて非常に攻撃的なものだ。
マクシムスはその斧を振りかぶり、すぐさまカタリナに突撃せんと足を踏み出した。
しかしその一歩を踏み出した直後、マクシムスの足元には突如として遠方から投擲されたロングソードが突き立った。
「・・・貴方にそれは、少し過ぎた玩具ですよ」
力を貯めているカタリナの背後から声がしたかと思えば、そこから現れたのはいつもの帽子を目深に被り直した詩人だった。
「悪役というのは散り際が潔くなくては、大物とは言えません。此度の戦いは私がサーガの一節として盛大に謳って差し上げるので、どうぞ心置きなくお覚悟を」
突然の乱入者にマクシムスは驚きの表情を詩人に向けたが、対する詩人は場違いににこりと笑いかけ、帽子を軽くあげながらまるで目の前の人物に別れを告げるかのように、優雅に一礼をした。
それに合わせて、ここが砂漠の更に地中に埋れた場所であること忘れさせるような、しんと冷えた空気が広間全体に広がる。
その変化にえもいわれぬ不安を覚えたマクシムスが正面に向き直ると、そこにはうっすらと明かりを帯びた月下美人を従えたカタリナが細く長い息を吐き終える姿があった。
「滅しなさい」
言葉と共に振り上げられた刀はそのまま上段で逆手に持ち直され、地面に突き立てられる。
その瞬間これまでで最も激しい衝撃波がその場に巻き起こり、それは周囲の全てを薙ぎ倒さんと爆散した。
辛うじてその衝撃波を手に持った斧の瘴気で以て耐えたマクシムスには、まるで自分だけ時間の進みが遅くなったかの様にゆっくりと、しかしどうあっても反応できない速度でカタリナが地を斬りながら自らの懐まで滑り込んでくる様を見る。
地を摺る程に姿勢を低く保ちながら吸い込まれるようにマクシムスの足元まで月下美人を引き摺ったカタリナは、瞬間その場に停止し、そして渾身の力を込めて月下美人を天へと振り抜いた。
その刀身が描く弧は円を為し、それは光の軌跡によって満月を成す。
斬線と共に飛び上がったカタリナが重力に則ってマクシムスの背後に着地すると同時、マクシムスの体には斜めに一筋の線が入った。
そして次の瞬間にはその線から溢れ出した炎が、まるで暴走を始めたかの様に彼の全身を包み込んだ。
「がっ・・・あぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!????」
言葉にならない叫びを上げるマクシムスに振り向いたカタリナは、目の前の炎を纏った男を静かに見つめた。
「クソ・・・クソッ!!俺が・・・また死ぬだと・・・はは・・・い、いいだろう、じゃあてめえがあれを倒して見せろよ・・・あのクソ忌々しい炎の魔神を・・・俺を炎の地獄によってこの世に留めた、あいつをよぉ・・・」
最早炎に炙られたその目には、何も映っていないはずだった。しかしマクシムスはしっかりとカタリナへとふり返り、薄っすらと笑い声さえ混じらせながら、そう言葉を紡いだ。
「・・・炎の、魔神・・・」
カタリナがその言葉を繰り返して呟くが、その時には既にマクシムスは半身が切り落ち、物言わぬ塊と成り果てて燃え落ちた。
「・・・アウナスの事でしょうね。古今東西の魔術や幻術に通じ、密林の奥に隠れた火術要塞に巣食う・・・四魔貴族が一人。炎に蝕まれた最期から判断するなら、この男も奴等の犠牲者の一人・・・といったところなのかも知れませんね」
瞬く間に燃え尽きた男のそばから魔性の斧を取り上げつつ、詩人が呟いた。
その言葉を耳にし、カタリナは月下美人を納刀しながら目を細める。
「ロアーヌだけではない・・・。メッサーナの首都ピドナの中心地に食い込む程、四魔貴族の影響は世界に蔓延しているのね・・・」
やがて塵となって形もなく崩れ落ちた亡骸に視線を落とし、カタリナは何かを考える様に軽く唇を噛む。
そうして佇むカタリナの横を通ってマクシムスが座っていた石造りの椅子に歩み寄った詩人は、そこに立てかけられていた聖王の槍と栄光の杖、そして椅子の裏から、二振りの剣を取り出した。
そのうちの一本を掲げた詩人は、満足そうに頷く。
「・・・取り敢えず私も目的は果たせました。そして此方は・・・マスカレイドですかね。ほら、貴女がお探しのものですよ」
呼ばれて振り向いたカタリナに、詩人が煌びやかな装飾の施された小剣を差し出す。
何度か瞬きをした後に受け取ったそれは、確かに彼女が探し求めて止まなかった、聖剣マスカレイドだ。
手にとり、やけに懐かしく感じるそれを見下ろす。
だがどうしたことか彼女には今、こみ上げる様な達成感も何も一切、湧いてはこなかった。寧ろどこか物悲しくさえ感じるような気持ちが自分の中にあることに気付き、彼女は内心で密かに驚いた。
「・・・ピドナのあの時と同じ様な表情をしていますね」
唐突に詩人がそう言った。
それに反応してカタリナがゆっくりと顔をあげると、詩人はそれに合わせて相変わらずおどけた様な動作で肩を竦める。
だがその表情は、笑っていなかった。
「残念なお知らせ・・・かどうかは分かりませんが、まだ、貴女の旅は終わりません。それを今すぐにロアーヌ侯爵に返還するわけにはいかない事も、わかっているでしょう。なにせ貴女は、既にその身に大きな宿命を背負っているのだから」
耳に届くその声を受け流す事も切り返す事もできず、カタリナは放たれた言葉の波に揺られながらマスカレイドを両手に抱いた。
「言ったでしょう。貴女は今、大きな流れの中心に居る。その流れの終着点は生憎と、ここではない」
「・・・私に、何をせよというの」
どこか弱々しくそう言ったカタリナに詩人はすぐに言葉で反応を示さず、代わりに彼女に押し付ける様に手にしていた聖王遺物を渡した。
「先ずは約束を果たしなさい。貴女は英雄の生まれた地で、悲劇の天文学者に約束をしたのでしょう? その約束を果たすためには、それらが必要です」
その言葉を聞いた途端、それに呼応するかの様に手に持たされた聖王遺物の数々から力強い波動が体に伝わってくる。
それを感じて急速に意識が研ぎ澄まされていったカタリナは、何故だか今この武具達に励まされたような気がして、そんな事があるものかと冗談交じりに自嘲の笑みを浮かべる。そして今度はしっかりとした意思の元に、詩人を見据えて口を開いた。
「ストーカー紛いの熟知振りね。気持ち悪いわ。それで・・・貴方が何者なのかは、まだ教えてくれないのでしょうね。なら今はその代わりに一つ、知っているのなら教えてくれない? 世界が直面している危険に対抗するのが、他の個人でも国や軍でもなく、何故私たちなのかを」
ピドナに集った八つの光と目される面々が何より疑問に感じた部分は、そのままカタリナも抱いていた。
そこがはっきりせねば、いくら宿命だの八つの光だのと言われても、実感が湧かない。故にそれについて目の前の人物が知っているのなら、是非とも教えを請いたいものであった。
一方最初に気持ち悪いと言われて軽く衝撃を受ける素振りを見せた詩人は、彼女の質問を受けてから顎に手を当ててしばし思考した後、一人合点がいったように軽く頷いた。
「うーん、まぁいいでしょう。お教えします・・・とはいえまぁ、私もすべてを知るわけではありませんがね。先ずは、歴史のおさらいをしましょう」
そう言った詩人は大仰に背後の石造りの椅子に腰掛け、語り始めた。なにやらそうして椅子に座っている様子が随分と様になるものだから、カタリナも苦笑いをしながらそんな態度を受け流す。
例えば、宿命の子はなぜ宿命の子であるのか。彼の話はそこから始まった。
何故宿命の子がそうたり得るのかは、宿命の子だけが持って生まれる圧倒的な能力に起因するといわれる。
六百年の昔に全世界を恐怖に陥れた災厄の化身である魔王は、ただ一人で四魔貴族を全て従える程の圧倒的な力を持っていた。
その力は例えば人間が何千人集まろうとも到底敵うものではなく、手にした斧の一振りで辺り一面が焼け野原になる程であったという。それは古のナジュにおける戦いの歴史が物語っている。 当時、唯一魔王軍に対して天の術を用いた瘴気の中和を駆使して勝利を収めたナジュと東方諸国連合軍だったが、その後魔王はほぼ一人でそれを壊滅に追いやって見せたという。
その戦いで数千の兵が犠牲になったと書には残されており、矢張り魔王という存在は圧倒的な力を持っていたことが伺える。
そして時代は下り、宿命の子の運命は聖王に降りた。
聖王が生まれ持った力は魔王のような純粋な火力ではなく、力を集めるための力だった。他者、或いは物体に力を宿らせ、己の力と成す。
それは今も聖王遺物として現代に残されており、その一つ一つの武具が途轍もない能力を秘めている。
それらを駆使して聖王は仲間と共に四魔貴族討伐を成し、世界に平和を齎したのだ。
そして現代。
新たに生まれ出でたであろう宿命の子が如何なる力を発現するのかは全くわかっていないが、かつて聖王の時代に三桀と謳われたパウルスは長年の天文学の研究の末に一つの結論を導き出し、編纂された聖王記に一節を加えた。
それこそは、かの有名な『パウルスの予言』だ。
「ここで注目したいのは、予言のこの一文です。・・・後の世に三度死食あるべし。アビスの門開きて、邪悪なる者再び世に出んとす。又、一人の赤子、生き永らえん。光と闇、双方をその身の内に保つ者なり。死食起こりて十余年の後、神に選ばれし光、立つ。その数、八なるべし。集いて、邪悪なる者をアビスの彼方へ封じん・・・と。さて、この予言が意味する事は分かりますか?」
唐突に話題を振られ、若干反応に困るカタリナ。その質問が何を意味しているのかを分かりかねてしまったのだ。
どうも、目の前の男が歴史学者的な見解を欲しているようには見えない。
そうして彼女が考える様子を見て意地の悪そうな薄ら笑いを浮かべた詩人は、言葉を続けた。
「いえいえ、深く考えないでください。ご存知の通りですよ・・・つまりここには、邪悪なる者と宿命の子がどうする、って描写はないわけです。そう、アビスの者共を相手取るのは、今回の宿命の子の仕事ではない。そもそもその仕事は、三百年前から八つの光に託されているわけです」
三度目の死蝕によって誕生する宿命の子が背負う宿命とやらは、聖王のようにアビスを相手取る事ではない。
これは確かに数十年前から各方面の学者達が言ってきたことでもある。文面を素直に読み取ればその解釈は当然出てくるものだからだ。
そして代わりにアビス討伐を託されることになった八つの光には、宿命の子そのものと同じ力とまではいかぬものの、これまでの人類が積み上げてきた研鑽と、聖王らが得た実技面のノウハウが継承されるだろうというところまでが、主に歴史学者がパウルスの予言全文を多角的に検証した結果の解釈だ。
正直、そこまでならカタリナも学んだことがある。伊達に彼女も、敬虔なる聖王教徒ではない。
つまり聞きたいのは、それが何故なのか、である。
それが余程顔に出ていたのだろうか、詩人はこちらを見ながらまたしてもにんまりと微笑んだ。けっしてこの男は見てくれが悪いわけではないのだが、どうにもこの顔は好きになれそうにないとカタリナは思う。
「答えは単純です・・・四魔貴族という存在には抑も、人が現時点で用意できる手段で致命傷を与える事が出来ないからです。彼らは自らの守護するアビスゲートから湧き出る瘴気を常に力に変換している。だから例えば貴女が斬り捨てる事に成功したアラケスの右腕も、既に修復されていたりするでしょう。それは例えあの時首を獲っていたとしても、同じことです。じゃあ質より量、となれば・・・まぁ明らかに住処に向かってくる軍勢なんて従える多くの魔物で対抗出来てしまうし、そもそも四魔貴族自身も魔王程とは言わぬものの、千を超える軍勢でさえ全く意味をなさぬ程の力を持っている。数を揃えても圧倒的火力の前には意味を成さないですよ。ぶつけるなら、同じ圧倒的火力というわけです」
つまりお前の事だ、とでも言いたげな視線で見られたように感じたカタリナは、ぐっと言葉を詰まらせる。
確かに言われてみればその通りだ。アラケスと剣を交えたからこそ、彼女にはわかる。あれは、確かに人が汎用的手段で相手ができるようなものではない。
そして今し方自らが体感したからこそ、なお理解できる。あれは聖王遺物という出鱈目な能力をもった兵器を用いてやっと、なんとか相手をする事が出来る存在なのだ。
「因みに聖王の祝福を受けている品は、アビスの瘴気を祓う性質を備えています。魔王軍に対抗した東方諸国連合軍が必死に編み出した天の術の応用技術が、潜在しているわけですね。特にこれらが四魔貴族に効果的な理由はそこです。あとは自然界にもごく僅かですが、その様な特質を備えた素材が存在します。貴女が携えているその刀も、その様な素材を用いて作られているみたいですね」
妖精だけが知っている製法か何かなのだろうか。カタリナはふとそんなことを思いながら、言われて腰の月下美人に視線を落とす。
「・・・なるほどね。兎に角、軍では通用しない理由は分かったわ。では最後に、なぜそれが私たちなのか。それは一体どんな理由があるの?」
「さぁ、それは知りません」
さらりと即答する詩人。表情を引き攣らせるカタリナ。
そして暫しの沈黙が場に訪れた。
あんまりカタリナがひどい顔をしていたのだろう、詩人は気まずさに耐えきれなくなり、両手を振りながら弁明した。
「あ、別におちょくりたくて言ってるわけじゃないですよ!それは本当に知らないんです!貴女達が八つの光として選ばれた理由は何かあるのかもしれないし、特にないのかもしれない。でも例えばシノンの若者四人が揃ってそうであることをみると理由なき偶然とは考え辛いですから、何かしらの理由というか、選ばれるに至った条件とかは恐らくあるだろうとは思いますけど・・・!」
その言葉に嘘はないか。それを見極めんとカタリナが詩人に迫る。それに合わせて詩人がじりじりと椅子の上で姿勢を後退しているところに、彼女らの背後である広間の入り口から人の気配がした。
「・・・終わっておったか」
僅かに気疲れを感じさせるような声と共に現れたのは、ティベリウスだった。
カタリナが抱きかかえている数々の武具と床に残った何かが燃えた残骸を見て彼なりに状況を理解したのだろうか、ティベリウスは大きく項垂れた。
「・・・大変な迷惑をかけた。神王様の元に集った信徒に、この様な輩が紛れ込んでいたとは・・・」
そういって再び力なく頭を下げたティベリウスに、カタリナはロアーヌでそうしていた自分が重なるような感覚を覚える。
そんな様子のティベリウスに向かい、詩人はいつの間にか椅子から立って歩み寄った。
「貴方方が何を信じ集おうが、それは貴方方の勝手でしょう。しかし組織とは力であるという事を長である貴方が理解し御せねば、このような輩は何時でも何処にでも現れるもの。ゆめゆめ、それをお忘れなきよう」
詩人が淡々とそう告げると、ティベリウスはゆっくりと頷いた。
「・・・意外とまともな事、言うじゃない」
「貴女のその一言多い癖、治した方がモテると思いますよ」
「・・・それなら、暫く意識して一言いう様にするわ」
カタリナの突っ込みに空かさず詩人が返す軽快なリレーはそこから暫し続くかと思われたが、表情が冴えない様子のティベリウスに気がついたカタリナは周囲の様子を見渡し、肩を竦めた。
「・・・そういえばここ、瘴気の残滓がきついわね。もう行きましょうか」
「それもそうですね。何よりこんなとこで動き回ったせいで身体中砂まみれですし、早く宿に帰って湯浴みしたいです」
「乙女か」
軽口を飛ばしながら、三人は広間を後にする。
そして静寂に包まれた空間の冷たい床に積もった塵から一筋の炎が立ち上がったかと思うと、それは一瞬だけ人の様な形をなし、そして消えたのだった。
最終更新:2015年07月30日 12:45