アクバー峠を望む出城の物見塔の縁から、よく使い込まれた様子の騎士鎧に身を包んだ男が顔を出した。ゆっくりとした仕草でここ数日続いている見事な晴天を仰ぐと、そこから次に視線を落とし、遠く広がるトゥイク半島へと視線を向ける。
 半島に沿って大きな湾を形成している眼下の海は、普段の陽気な様子と違ってすっかり成りを潜めたように動きがない。一つの波風も立たぬその様子に、男はそれが気に入らない様子で低く唸った。

「・・・凪、か。不気味だな。こんなに静かなのが、逆に気持ち悪い」

 その呟きは誰に対して発せられたものでもなかったものなのであろうが、男の後ろから塔を登ってきたもう一人の男が、ひょっこりと顔を出しながらその言葉に続いてみせる。

「確かに、不気味だぁな・・・まぁぼちぼち、くるだろうな」
「・・・コリンズ」

 声に振り向いた男は、昔馴染みの戦友を見て取ると肩を竦めた。

「ブラッドレー、お前は少し張り詰め過ぎだ。戦前に休んでおけよ」

 同じく半島の方へと視線を向けながらコリンズが言うと、ブラッドレーは同じ方向を向いたまま生返事を返した。

「あぁ・・・。なぁ・・・コリンズ。お前はこの戦、どう思う?」
「どう、って?」

 そこで改めて視線をブラッドレーに向けたコリンズは、突然の質問の意味を理解しかねて問い返した。ブラッドレーという男は以前からそんなに表情が豊かな男ではないとコリンズは認識していたものだが、今日のこの男は特別表情に抑揚がない。これは何かにつけ考え込むことが多い彼の、特に難しいことを考えているときによく現れる特徴だった。

「今回の戦はリブロフ軍の奇襲に端を発した連戦だが・・・俺には、この戦がそれだけのものとはどうにも思えないんだ」
「・・・どういう事だ?」

 コリンズが首を傾げると、ブラッドレーは塔の縁に肘を置いて楽な姿勢を取りながら視線を細めた。

「逆賊ゴドウィンの一件からこの半年あまり、以前とは比べものにならない頻度で戦が続いているだろう。それこそ親父の代なんざ、精々年一の魔物討伐が毎晩聞かされる定番の武勇伝だったっつーのに、だ。とんでもない変化量だと思う。起こった戦の一つ一つは一見無関係に見えるが、はたしてこんな短期間に斯様な偶然があるものだろうか・・・?」

 ブラッドレーが口にした疑問を聞き、コリンズはふぅむと腕を組んで唸った。
 今から半年以上前、当時のゴドウィン男爵がミカエル候に対して謀反を起こした直後に一つの騒動が宮廷内であり、その結果彼らの同期が一人ロアーヌを去る事態となった。
 そしてその直後に、まずロアーヌ近隣に居を構える傭兵団から資金難の相談がロアーヌ宮廷に届いた。
 しかしその内容はお世辞にも相談などとは言えぬような挑発的なものであり、援助がなければ城下町まで攻め上がる、といったものだった。それは誰が見ても明らかに内乱直後の不安定な時期に揺さぶりをかけにきた形だ。
 それまで長年穏健派で過ごしていたロアーヌの臣下らはこの出来事に当然の如く資金援助による解決を侯爵に具申するも、侯爵はこれを棄却。
 結果凡そ四千もの軍を成してロアーヌへと攻め上がった傭兵団を相手取り、同数程度の兵力ながらも用兵の妙を用いてロアーヌ軍は圧倒的な勝利を収めた。

「そういえばあったなーそんなの。パッペンハイムのおっさんは、俺あんま嫌いになれないんだよなー」
「そりゃあお前、あそこの団長お前と同じく速攻好きだから気が合うだけだろう」

 コリンズの言葉に、ブラッドレーはそう応えながら笑った。
 その傭兵戦のすぐ後には、なんとゴドウィンの親族を名乗る何者かからゴドウィンが治めていた領地の管理権譲渡を迫られた。
 侯爵は書状を見て呆れ返って無視したものの、後日その男が隊列を成して城下町に進軍しているとの報を受け、これをまたしても同程度の軍勢を率いて徹底的に蹂躙する。

「なんだっけ、あいつの名前。ジーパンみてーな名前のやつだよな。リーヴァイスだっけ?」
「・・・エドウィンだ」

 立て続けに起こったこの二戦で圧倒的な力量を周辺国に知らしめたロアーヌだったが、これまでとは明らかに異なる好戦的なその姿勢に過敏に反応して牙を向いたのが、ロアーヌ周辺を根城としている野盗の大軍であった。
 ロアーヌより北方に広がる森林にて行われたこの野盗討伐戦は、それまでの連戦を明らかに上回る過酷さだった。
 しかし三度に渡って軍勢が衝突したこの戦いでは地の利を生かしつつ更に三倍近い兵力を用いて挑んだ野盗軍に対し、なんとミカエルはその全ての戦略を見抜いて砕き、敵味方共に被害を最小限に留めて勝利を収めてみせた。
 この結果に誰より心酔したのが野盗団幹部の面々であり、今や彼らは野盗ではなく北方やシノン方面の開拓を兼ねた駐屯兵として雇用されている。
 更に一部の面々はシーフギルドとして組織立てられ、侯爵のために様々な活動を行っているという。

「フォックス・・・可愛いよなぁ。あのクールな感じがたまらん」
「・・・俺はラビット派かな」

 これらの連戦が終わって一月ほどした頃だったか。
 連戦連勝に気を良くした臣下の具申により、ロアーヌ軍は幾つかの状況を想定した軍事演習を行う事となった。これはミカエル侯も以前より考えていたようで話が決まると速やかにスケジュールが組まれ、それぞれ環境の異なる三つの進路を定めて行軍演習を行った。
 実戦形式の演習ではなかったのだがそれぞれのルートで魔物の大軍と鉢合わせる等のハプニングがあったが、この時に明らかにそれとは異なって団旗を掲げぬ謎の軍勢とミカエルの本隊は交戦することとなった。
 無論の事無難に勝利を収めたミカエルであったが、その軍の正体はその時点では結局分からずじまいであり、後日に発覚したのはそれがリブロフ軍だったということだ。

「今回の三連戦も矢張り、ミカエル様の用兵は凄まじかったな。沼地の隊列変更もそうだが、ここの投石機の速やかな弓部隊による殲滅は鮮やか過ぎて、俺達ですら戦況を把握し損ねるところだった。リブロフの奴らも慌てて突撃してきたしな」
「・・・しかし此度の連戦はかなりお体に負担がかかったことだろう。それをなかなか我らに見せぬからな、侯爵様は。今回だって我ら五人がかりで迫って漸くロアーヌに休養を取りに帰ってくれたが、あれも最後ラドム将軍が跪いて頼み込まなきゃ帰らなかったと思う」

 そうしてミカエルをなんとか休養させるために一度ロアーヌへと返し、その間攻め落としたこの出城の守備を任された指揮官がこの二人、コリンズとブラッドレーだった。
 二人とも逆賊ゴドウィンの討伐任務からミカエルの指揮する本隊所属として従軍し、目覚しい戦果を上げている。
 他にもライブラやパットン、タウラスといった筆頭騎士も彼らと同じ世代に名を連ねており、現在のロアーヌ騎士団の核となる面子である。

「連戦がどうなのかは俺にはよく分からんが・・・しかし今回の敵がリブロフなのって実際、お前はどう思う?」

 コリンズが欠伸を噛み殺しながら伸びをし、姿勢を戻しながらブラッドレーに視線と共に疑問を投げた。

「・・・それはつまり、ルートヴィッヒが背後にいるかどうか、ということか?」

 ブラッドレーが返した問いに、コリンズは浅く頷いた。
 それを確認して目を細めながら外に視線を戻したブラッドレーは、数拍おいてから口を開く。

「・・・俺は、ないと思う。奴がメッサーナの王位を得るのに、俺たちに喧嘩を売って弱体化させることの意味が見出せない。勿論、穿った見方をすれば幾らでもこじ付けは可能だろうが・・・俺にはルートヴィッヒという男が悪戯に敵を増やすような真似をする人物には思えない」
「成る程な・・・でもよぉ、かと言ってリブロフの独断とは考え辛いよな」
「だな」

 近年のトリオール海以南の情勢は、以北に比べて安定していた。
 しかしそれはメッサーナ王国リブロフ軍により齎されたものではなく、その最も大きな要因は間違いなく神王教団の存在であった。
 リブロフは元々ルートヴィッヒが総督をしていたが、五年前の内乱を機に現在はその後継としてバイヤールという人物が統治を行っている。
 彼らと神王教団の関係値はルートヴィッヒのそれを完全に模倣したもので、その治安維持から経済相互補助に至るまで密にやり取りを行いながら、ピドナとの連携を図っている。
 しかしその一方で近年、リブロフが密かに軍事増強を行っているという話は何処からか漏れていた。

「私欲なのかねぇ」
「・・・かもな。誇りの伴わぬ権力に意味などないというのに・・・メッサーナの連中はどいつもこいつもお目出度い」

 心底呆れた様子でブラッドレーがそう言うと、それに同意の意を示しながらコリンズは塔の縁に背中から寄りかかった。

「ミカエル様がお強いのもそうだが、そもそも奴らの戦争動機が腐ってるから俺たちの相手にならん。驕りはしないが、事実リブロフ軍に負けるなんて事はない。が・・・怖いのは奴らか」

 そう言ったコリンズは、南東に広がる広大な砂漠へと視線を向けた。燦燦と照らされた太陽の光を吸収して揺らめく砂漠の向こうには、物見の塔の上である彼の位置から微かに建造物らしきものが見える。
 今やナジュの実質的支配者となっている、神王教団の本拠地だ。
 その視線に倣ったブラッドレーはその塔の先端を睨むように見つめた。

「・・・恐らくリブロフが手を組むとしたら、十中八九奴らだ。古都ナジュを滅ぼした勢いは、今もまだ健在だろうな」
「今の情勢では、間違いなく一番厄介な相手だろうなぁ。どうなる事やら・・・」

 そう言ってコリンズが肩を竦めた瞬間だった。

 南方独特の音色を持つ角笛の音色が突如として辺りに響き渡ったかと思うと、それは点を線で繋いでいくように南へと向かって次々に木霊し、伝達して行った。
 やがてそれは幾重にも重なる重奏となり、そして遠方から巻き上がる砂埃がそれらに応えた。
 血相を変えて塔の縁から南方へと身を乗り出し視線を凝らしたコリンズは、山間の陰から突如として現れた軍隊がこの出城へと向かって進軍を開始した様子をしっかりと確認した。

「・・・噂をしてりゃあ来やがったな! おーい、聞こえるかー!!」

 塔から下に向かって叫ぶと、別箇所から状況を見ていた兵士がすぐに反応をした。

「籠城戦だからな!しっかり投石機を使っていくぞ!狼煙を上げてこの事態を宮廷に知らせろ!」

 その指示に兵士が頷き、投石機の配置された城門へと向かった矢先だった。コリンズの横で同じく血相を変えたブラッドレーも身を乗り出し、大声を張り上げて兵士に停止を呼びかけた。

「待て!今の角笛・・・どこから鳴った!?」

 その言葉を聞いた兵士が怪訝な顔をしたのも束の間だった。城門の方面から飛来した矢に頭を射られた兵士はびくりと震えた後に崩れ落ち、血溜まりをその場に作って事切れた。そしてなんと、直後には出城の城門が重苦しい音を立てながら開き出したのだ。

「・・・なっ!?」

 何が起きたのか分からないと言う風に驚き声を上げるコリンズ。籠城戦といった矢先に城門が開いた状態では、どうぞ攻め込んでくださいと言っているようなものだ。コリンズの横でブラッドレーは苦虫を噛み潰したような顔をし、直後に急いで塔を下っていく。丁度そこに大慌ての様相で駆けつけた後続の兵士が塔の入り口にいたブラッドレーを見つけ、必死の形相で叫んだ。

「ブラッドレー様!侵入者です!城門部屋を奪取されました!」
「馬鹿な・・・くそ・・・!!」

 彼が考え得る限りでは、間違いなく最悪の展開だった。先ほどの角笛は城内、それも籠城の要となる城門から発せられたものであったのだ。城門の操作が出来ぬとなると、当然ながら籠城どころではない。しかし自軍はこの出城での攻防は籠城戦を想定し兵装や人数等も調整をしており、打って出るには心許ない状態であった。
 ブラッドレーが奥歯をかみ砕いてしまうのではないかと思われるほどの形相で考えを巡らせているところに、同じく塔から駆け下りて来たコリンズが南の城門とは逆を指し示す。

「ブラッドレー、俺が北東側から兵を出して迂回し南門前に展開する。お前は城門部屋奪還を!」
「・・・承知した。死ぬなよコリンズ!」

 一瞬の間の後に発せられたブラッドレーの言葉に手を上げて応えたコリンズは、そのままにやりと笑うと大急ぎで兵舎へと向かっていった。
 前には大軍、そして後ろには占領された城門と投石機。その中で時間を稼ぐとなると余りに危険な役目だが、コリンズは自らそれを買って出たのだ。
 ブラッドレーは勇気ある戦友の行動を無駄にしてはならないと自らを奮い立たせ、直ぐ様兵士に指示を飛ばした。

「投石機は絶対に使わせるな!物見塔三カ所に3名配置し城門上を短弓で狙え!剣戟隊は末席二部隊を残して全てコリンズ部隊長に続け!あとの二部隊は城門部屋の奪取!俺に続け!」

 矢継ぎ早に飛ばされた指示を兵士は瞬時に理解し、迷いなく仮宿舎へと走っていく。
 ブラッドレーは自らも剣を抜き放ち城門奪取の為に駆け出しながら、死地へと赴かんとする戦友を想った。

(この隠密・・・頭の固いリブロフ軍などの仕業ではない・・・それにあの妙な笛の音もリブロフ軍のそれではない。間違いない、神王教団だ・・・!  くそ、待っていろコリンズ・・・死なせはしないぞ・・・!)




「弓は先ず背後の城門を!投石機を封じろ!歩兵は上翼下翼分かれ、共に二連隊にて逆弓型防壁波陣!城門奪取まで一定距離を保て!騎馬隊は先ず一発かまして相手を兎に角止める!薄いところから荒らしていくぞ!俺に続け!」

 愛用の剣を腰に引っさげ、馬上槍を片手にコリンズが吠える。それに俄然大きく鬨の声を上げるロアーヌ騎士団。
 味方は意気軒昂。このような劣勢不利にも何の物怖じもせず、自分を信じて付いてきてくれる。それがひしひしと感じられ、コリンズを更に奮わせる。
 だがそれでも、この戦は今までのどの戦場よりも過酷だと言えた。

(・・・要は挟み撃ちを食らってるようなもんだ。目測で敵は四千てとこか。即座に城門を奪い返して籠城に持ち込まないと、数も圧倒的に足りない)

 馬を走らせながら前方より迫り来る軍勢とその周囲をつぶさに観察し、コリンズは低く唸る。

(・・・あの角笛、相手は神王教団と見て間違いない。となると機動力の要は戦駝。馬を操るこちらの方に速度では分がある・・・が、籠城前提でいたから騎馬隊は最小限まで絞っちまっている。真面に陣も組めない・・・。撹乱がてら時間稼ぎに二手に分かれて端から削っていくしかないか・・・!)

 そう判断したコリンズは即座に指示を飛ばし、二手に分かれた騎馬隊は上翼下翼奇襲の構えをとった。
 だがコリンズの指示により騎馬隊が隊列を変えた矢先、再度背後から角笛が一定間隔で鳴り響く。
 その角笛が鳴り終えると、今度は前方の軍勢内から同じく角笛が鳴り響き、相手の隊列が中央突貫型へと変化していく。

(・・・!!  くっそ、背後からこっちの動きが丸見えで相手に伝えられちまってる・・・!?)

 慌ててコリンズは分かれる寸前の騎馬隊に纏まり直すように指示を変更する。
 そのまま進行速度を保ちながら相手の陣形と人数を見て取り、コリンズは表情で悪態をついた。

(・・・攻撃の波陣か。強襲する気満々じゃねーか! くそ、正面からでもぶつかって勢い止めるしかねぇのか・・・!)

 砦には最低限の城門攻略組を残してきただけだが、ロアーヌ軍は楽観的に見積もっても相手の半分がいいところだった。そのままぶつかればこちら側の大打撃は免れないだろう。
 だが、城門に近づかせればそれこそ全てが終わる。つまりは、全滅だ。
 何としても、相手の勢いを止めなければならない。
 だが、止めるには圧倒的に物量が不足していた。

(・・・畜生めが・・・駄目だ、このままぶつかるんじゃ止まんねぇ・・・。こっちが轢き殺されて終わりだ! 何か、何処か相手の隙はないのか・・・!)

 極限の状況にコリンズの思考は研ぎ澄まされ、高速回転で思考を重ねていく。だが、其れでも彼の元にはこの状況を打破するための手立てが舞い降りては来なかった。

「コリンズ隊長・・・! 我々が上翼一点集中で突撃し、相手を止めます!隊長は一度お下がりになり防衛指示を!必ず止めて見せます!」

 コリンズの脇を走る騎士が、決死の表情でそう申し出る。
 コリンズは当然そんな事させるものかと一喝しようとしたが、しかし部下の騎士は続けた。

「このまま全滅するわけにはいきません!我々が止めている間にコリンズ隊長が下がり状況を見て歩兵隊を纏めて下さい!!その間にブラッドレー隊長が必ず城門を奪還します!そうすればこの戦は勝てます! 我々は誇り高きロアーヌ騎馬隊にして速攻のコリンズ隊第一隊!あの様な輩にはかすり傷一つも負わずに必ず止めて見せます・・・!どうか、ご指示を!」

 彼はもう、死を覚悟していた。
 その上で放たれた強い意志の言葉を受けたコリンズが苦渋の表情で周りを見れば、並走する全員が表情を同じくしてコリンズに視線を投げかける。
 コリンズは砕けそうな程に強く歯を食いしばり、前方に視線を戻した。

「いいだろう!我が隊の勇姿をとくと邪教徒共に見せつけてやれ!突撃後は速やかに本隊へと合流し、籠城戦へと移るぞ!」
「はっ!畏まりました!」

 コリンズの指示に俄然奮い起った騎士達は、槍を構えて突撃姿勢を取った。

「・・・・・・な、なんだあれ・・・!?」

 そのまま上翼突撃をせんとした、まさにその時だった。
 突撃姿勢の一人が下翼の方面を向きながら当惑の声をあげ、その声に反応したコリンズが其方に視線を向ける。
 すると、確かにそこにはとてもこの状況では理解し難い光景があった。

「・・・敵の新手、か?」

 いいながら、まさかと自分で否定する。
 彼の視線の先には、今まさに激突せんと加速する両軍の丁度真ん中を縫うように駆ける、一頭の駱駝がいたのだ。
 駱駝の背には人が一人乗っているが、ローブ姿のようで遠目からは容姿も何もわからない。
 だが、駱駝に跨るその騎手が手を振り上げて何かの動きをすると、それを見たコリンズは目を見開いた。

「な・・・き、騎馬隊止まれぇぇえ!」

 コリンズの突然の指示に、しかしよく訓練された騎馬隊は即座に反応して急停止をかける。

「コ、コリンズ様・・・あの者は、今・・・」
「あぁ、彼奴、うちの手信号使いやがった・・・」

 同じくそれを見ていた騎士の言葉に、コリンズは頷いた。
 見た目は間違いなく敵のそれに近い格好なのだが、しかしその動作は間違いなくロアーヌ騎士団の中で使われる伝統的な手信号だ。
 事前にそれを入手した敵軍による情報操作とも考えられたが、それならば格好をこちらに合わせてくるはずであろう。それに何より、あの信号は普段このような場面で使うものではない。

「自分に任せろ・・・だと? 彼奴、何するつもりだ・・・?」

 コリンズのその呟きが終わる頃には、件の人物は両軍の中央辺りの位置まで到達すると、なんと駱駝を降りて只一人で神王教団の軍勢に向かい合った。

「・・・おいおい、何のつもりなんだ彼奴・・・どんな奇策を使うつもりだよ・・・」

 コリンズはいつでも動き出せるように騎馬隊に指示を飛ばしながら、固唾を飲んでその光景を見守った。




 大量の砂埃を巻き上げながら視界前方に広がる軍勢は、速度を緩める事なく突撃してくる。
 たかが人一人のために止まる事などあるわけもないのだから、当然と言えば当然だろう。
 故に相対したその人物もそんな事に構う素振りはなく、前方の大軍を見据えながら駱駝を降り、自分の背後に駱駝をしゃがみ込ませたあと無造作に腰から一本の剣を抜き放った。
 金色にて細身のその剣は、ずぶの素人が見たとしても大変な価値のありそうなものだという事だけは一目で分かるほどに煌びやかで、そして圧倒的な威圧感を有していた。
 鞘から解き放たれた刀身はまるで身震いをするかのように小さく震え、その場に風を巻き起こす。やがて己の有する金色ではまだ足りぬとばかりに剣は鳴動し、その身になおも光を集め始める。
 渦巻く風に沿って光の集約していくその様は、まさに満天の星の煌めき。瞬く間に眩く発光する刀身を確認したその人物は、慈しむようにその刀身を一頻り眺め、そして剣を構えた。
 まるで、大気がそれを待っていたかの様に。
 ふと、風が止んだ。
 それこそは、開演の合図。
 周囲の怒号も鳴り響く風も全てが掻き消えた刹那の静寂の中で、その様舞踊の如く流れるように美しい動作でふわりと一回転し、眼前の軍勢に向かって剣を薙ぐ。
 剣を起点に、光が弾けた。
 一瞬の閃光。次いで突風、衝撃。そして轟音。
 起点の後方にいたコリンズが感じとれたのは、そこまでだった。
 爆風により大きく砂埃が舞い上がり、あたり一帯の視界を遮る。
 だが直ぐに戻ってきた吹き抜ける風によって砂埃は取り払われ、そうして開けた視界を確認したコリンズは目の前の光景に思わず槍を取り落とした。

「・・・おいおい・・・なんだよこれ・・・」

 彼の眼前にて、敵の戦駝隊は全滅していた。
 騎手らはその全てが地面に落ち、その後方の歩兵までが前面はほぼ壊滅状態にまで追い込まれているようだった。
 戦場特有の熱気は既に消え失せ、その場にはそれこそ嵐が過ぎ去った後のような静けさと、神王教団軍負傷者の呻き声だけが僅かに残されている。
 その数秒後、またしても特有の角笛が独特の拍子で鳴り響く。
 それが何を意味しているのかは、知らずとも分かる。
 一目散に、眼前の神王教団軍は退却を開始した。

「・・・じ、城門制圧を急げ!」

 その様を見たコリンズは直ぐに背後の歩兵隊に指示を飛ばす。彼と同じく呆然としていたロアーヌ軍はその一言で目覚め、即座に反転し隊列を整え進軍を開始した。
 騎馬隊も合わせてそれに向かわせたコリンズは、撤退していく敵軍へと振り返り戦場跡に一人佇む人物の元へと視線を向ける。
 その人物は既に剣を納め、再び駱駝に騎乗しようとしているところであった。
 考えるより先に手綱を握り直したコリンズは、その人物の元へと馬を走らせる。
 先ほどの疾駆が冗談かと思うほど緩慢とした動作で立ち上がる駱駝の上に跨るその人物は砂漠の民によく見られる通気性に優れた日除けのフードとマントを装着しており、年齢はおろか性別も識別できない。
 先ほどの手信号等を見るに敵ではなかろうが、最低限の警戒は怠らぬようにしつつコリンズはその人物に近付きながら声を張り上げた。

「・・・ま、待ってくれ!」

 その声に、フードの人物が振り返る。
 しかし顔面も目の部分以外はフードに覆われ、正面から見てもやはりその人物像は今一伝わらない。
 とにかく止まってくれた事に安堵しつつ、コリンズは直ぐそばまで馬を寄せた。

「・・・まずは礼を言わせてくれ。助かった」

 コリンズがそう言いながら頭を下げる様子を、フードの人物は微動だにせず見つめ返す。

「俺は第一騎馬隊のコリンズ。先の手信号からするとお主は我が軍の者なのか?」

 フードの間からわずかに覗く瞳に向かってコリンズが問い掛けると、目の前の人物はゆっくりと首を横に振った。その次には、フードの下から少しくぐもった男性のものと思われる声が発せられる。

「いいえ、私はあるお方からお使いを頼まれただけの・・・」

 そう言いながらその人物はゆっくりとフードを取り去り、代わりに色合いが特徴的なとんがり帽子を被り直して微笑んで見せた。

「一介の、聖王記詠みでございます。以後、お見知りおきを」









最終更新:2015年12月28日 19:16