光の届かぬ無限に続くようにも思える深い深い闇の底で、何かがずるり、と蠢く気配があった。
 その気配は、複数。それらの気配は其々が、まるで長き眠りから覚めたばかりのように緩慢な動きで起き上がる。
 ふと、その場に炎が灯る。それは赤く、しかし業深き深淵の炎。

「・・・動き出したようじゃ」
「・・・そのようだ。やはりこうでなくては、な」
「・・・結局お前は自分で殺したいだけか。ではもう僕は好きにさせてもらう」
「・・・私もそうさせて貰うわ」

 短い会話の後にその場から二つの気配が消えると、後に残ったのは炎に照らされた醜い顔の老人と、その影に僅かに映る巨躯。

「・・・此度の宿命の子が何を齎すのか、見ものじゃな」
「・・・何れにせよ、今回で終わらせる」

 そう言ってさらに一つ気配が消え、その場には炎と老人だけが残された。

「・・・どれ、まずは彼奴かの」

 その呟きとともに炎が消え、その場には再び闇が舞い戻った。






 メッサーナ以北にはツヴァイク公国をはじめとした幾つかの都市国家が群立しているが、その中でも最も流通が栄えているのは、間違いなく商都ヤーマスであろう。
 かの有名な聖王による魔龍公ビューネイ討伐の片翼を担った巨竜ドーラが住んでいたとされる竜峰ルーブを中心とするルーブ地方の玄関口として静海を臨む巨大な港を有したこの都市国家は、ウィルミントンに居を構えるフルブライト商会に勝るとも劣らぬ一大企業、ドフォーレ商会の齎す恩恵によって嘗てない旺盛を極めていた。
 単独事業として世界経済に大きく影響を与えている各地の陸海運企業を抑えて世界最大商会フルブライトと凌ぎを削るドフォーレは、その強引な商談スタイルが持ち味だ。その剛腕にて周辺の企業を次々と傘下に加え、ここ最近で瞬く間に巨大企業となった。
 だがその強引な姿勢の裏にはあまり良くない噂も絶えず、企業イメージとしてはフルブライトよりも数段劣るというのが経済界での認識だった。
 特に近年問題が表面化してきている薬物の密輸に関する流通経路の不透明さの裏にドフォーレのマーケットが絡んでいるという噂が実しやかに囁かれており、声を大にして言えば潰されるのでどこも言わぬものの、これを危惧する企業は非常に多い。

「んでまぁ、それを叩く為のネタ探しと、あわよくばドフォーレの弱体化ってのが俺らの今回のミッションってわけよ」
「ってわけなのよ」
「なんだかわくわくしますわね」
「あたしはもうちょっと派手な仕事の方がいいかなぁ」
「で・・・具体的には何をすればいいんだ?」

 ヤーマスの中心街の裏路地に位置するパブ・シーホークのカウンターの隅で、五人の男女が周囲の喧騒に紛れてひっそりとグラスを傾けていた。相変わらずのラフな格好にバンダナ姿のポールを筆頭に、特徴的な緑髪を掻き上げながらそれとなく周囲の警戒を怠らないユリアン。そしてその隣には煌びやかな美しい金髪を後ろで纏め、眼鏡をかけて一応の変装を施しているモニカがおり、あとはカーソン姉妹が仲良くグリッシーニを摘まみながら話に花を咲かせている。
 流石にルーブ随一の商都だけあってか中心街の賑わいはピドナのメインストリートにも匹敵するほどで、昼間からこのパブシーホークも喧噪に包まれており、彼らの声が他のテーブルにまで届くことはない。

「んー・・・このヤマに関してはちょっとした当てがないわけじゃあないんだが、でも先ずはがっつり聞き込みだな。俺はここを拠点にこの街のメインエージェントを見つけて接触を図るから、ユリアンとモニカさ・・・あー、モニカ。んでエレンとサラは二人一組に分かれてドフォーレに関する話を中心に兎に角なんでもいいから町中から集めてくれ。その辺の鼻はサラが効くだろうから、ユリアン組はドフォーレ関連以外でも何か役に立ちそうな情報がないか、街中洗ってみてくれ」

 ポールの指示に、にっこりと微笑むモニカを筆頭に四人はこくりと頷く。
 途中でポールが言い淀んだのは、ここに来るまでの間に五人で話し合ったことを慣れぬながらも実行した結果である。他の全員がお互いをそのまま名前や愛称で呼んでいるのに対し、モニカのみが敬称付で呼ばれている現状を本人が非常に嫌がった。なのでうっかり敬称をつけそうになった瞬間モニカの突き刺すような視線に気がつき、言い直したと言う訳なのだ。

「何かあればここで落ち合おう。じゃあみんな、よろしく頼むぜ」

 ポールの言葉に各々が返事を返し、そのまま程なくしてグラスを空けて店を出て行く。それを見届けたポールは、自分もジョッキを空にした後に腕を組み、一つ唸った。

「さて、と。どうやって絡めるかねぇ・・・」




「ドフォーレか。俺も以前あそこの仕事は受けたことがあるが、地上げ屋紛いでいい気のする仕事じゃあなかったな。金払いはいいから何回かやったが」

 昼下がりの職人通り。長い歴史を誇る幾つもの工房が建ち並ぶ一角に聳えるレオナルド工房のロビーは、中央通りの喧騒が嘘のように静かなものだった。
 装備のメンテナンスの為に訪れていたハリードが愛用の曲刀の手入れをしながらそう言うと、テーブルの向かいに腰掛けたシャールは此方も槍の手入れをしながら応えた。

「神王教団に関する余罪を洗っている中で、件の企業との裏取引を匂わせる資料が出てきたそうだ。この件についてはトーマスが近衛軍団にフルブライト商会と合同で後追いをする旨を進言し、公式に捜査協力をしているそうだ」
「ルートヴィッヒがよく首を縦に振ったな」

 ハリードが顔を上げると、シャールは肩を竦めてみせる。それに合わせて、彼の右腕の銀の手がかしゃりと音を立てた。

「そこまで手が回らない、というのが実情だろう。一般市民へと向けた表向きの体裁は見事に情報操作をして見せているが、内部は未だ細かい火消しに躍起になっているようだ。あやつらとて自分達で手をつけたいのであろうが、手も回らん上にフルブライトの名を出されては首を縦に振らぬわけにもいかなかったのだろう」
「・・・そんなところだろうな。それを分かっていて如何にも親切心を装いながら申し出るトーマスの顔が目に浮かぶ。俺は彼奴こそ一番敵に回したくないと心底思うね」

 ハリードがニヤリと笑いながらそう言うと、シャールもそれには心底同意すると言いながら微かに笑う。

「・・・でも、なんでその調査メンバーにサラやモニカが入ってるの。遊べなくてつまんない」

 男二人の間に位置するところで言葉通り詰まらなそうに足を組んで座っていたキャンディが首を傾げながらそう言うと、ハリードは磨き終えた曲刀を鞘に納めながら彼女に視線を向けた。

「サラに関してはポールと組んで、現地で懐柔できる企業はその場で回収するためだろう。あの娘も、どうやら姉より随分とその辺の頭の回転が早いようだ。トーマスにだいぶ仕込まれたな。ありゃあ将来は化けるぞ」
「ふぅん・・・」

 ハリードの意見にもキャンディが引き続き詰まらなそうに答えると、そんな様子は御構い無しにハリードの言葉が続く。

「寧ろ、その辺のノウハウが何もないユリアンをモニカ姫までつけて同行者に指名したポールの方が、俺にはよくわからんけどな」
「・・・確かにな。だが今回のミッションにはユリアンこそ適任だとポール自身は言っていた。てっきりあの男の事だから、そこはフェアリーあたりを指名すると思ったのは私もだがな」

 シャールの物言いに、間違いないと笑って答えるハリード。
 すると、丁度一仕事終えた様子のノーラが地下の工房から上がってきた。石造りの階段を軽快に鳴らす特注ブーツの音で誰が上がってくるのかがすぐ分かったのか、キャンディは彼女の声がかかる前に立ち上がっていた。

「親方、紅茶?」
「うん、宜しく」

 キャンディが紅茶を淹れに席を外すと、ノーラはキャンディが座っていた椅子に勢いよく腰を掛けて一息ついた。そのまま背伸びをするとバキバキと彼女の節々各所が大きく音を立てる。そうして体にたまった疲労を放出するように大きくのびを終えたノーラは、改めてその場の面々に視線を向けた。

「メンテ終わったのに二人して帰らず、なんの話をしていたんだい?」
「なに、ポールたちの作戦はどうなのかを話していただけだ」

 シャールの返答にあぁと反応したノーラの横に丁度ポットと茶器一式を持って戻ってきたキャンディは、トレーをテーブルに置いて慣れた手つきで茶器を展開しながらその場の三人の話に耳を傾ける。

「あぁ、ヤーマスのやつね。ドフォーレ商会でしょ?結果断ったけど、うちも取引を持ちかけられたことはあったよ。あそこ、自社でも工房もっているしね。結構大きいはず」
「・・・結構も何も、あそこの武器工房は規模だけならここ以上だよ、親方」
「へぇ、そうなのかい?」

 不意にキャンディから言われた内容にノーラが感心したように返事をすると、キャンディはくるくるとポットを揺らしながら言葉を続けた。

「あそこは表向きは地続きのランスやバンガードあたりが大きな取引相手だけど、大手商会の中で唯一自社海運を持っているから、実はかなり低コストで内海を抜けれるの。だから頻繁にナジュまで行って直通取引も行っているよ。神王教団を中心としてナジュ交易品の北部流通もあそこが一手に引き受けていたはず。当然、武具関連も。ハマール湖の戦いで何故現地の民が当時の王国軍に渡り合える武具を揃えられたかっていうと、ここが大きく関与しているんだよね。まぁリブロフに頼るわけにもいかなかったのは分かるけど、でもそのせいで現地の商会の影響力は・・・」

 ノーラの愛用カップへと紅茶を注ぎながら言葉を続けていたキャンディは、そこではっと我に返って周囲に視線を走らせる。
 そこには、ノーラをはじめとしたその場の三人の非常に物珍しげなものを見るような視線が自分に注がれている光景がまっていた。

「・・・あ、こ、これお得意さんの行商人の受け売りね」
「へぇ、うちのお得意さんは随分その道に明るいみたいだねぇ」

 態とらしく感心したようにノーラがそう言うと、ハリードとシャールも大げさに頷いて同意してみせた。

「ねぇ、それトーマスに共有できる話があるかもしれないよ。もう少しキャンディがその行商人から聞いたっていう話、聞かせてくれる?」
「・・・べ、べつにいいけど」

 ノーラに正面から言われ、キャンディは少し視線を泳がせた後にどもり気味にそう答える。

「・・・あ、あくまでもこれは行商人から聞いただけだからね!」

 しつこく前置きをそのように重ねてから、キャンディは語り出した。
 現在の世界には大きく分けて3つの商会勢力が存在し、それは筆頭であり最も長い歴史を持つフルブライト商会、リブロフに拠点を置くラザイエフ商会、そしてドフォーレ商会の三社である。
 だがこの構図になったのは割りかし昨今のことであり、死蝕以後になってこのような構図が形成された。死蝕以前は世界経済はフルブライトの絶対天下であり、ラザイエフ商会はピドナにほど近いことを理由に栄えたものの、聖王所縁のフルブライトには及ばぬ永遠の二番手のような立ち位置であったという。
 また当時のピドナにはクラウディウス商会もあり、ラザイエフとほとんど同じ規模の商会であった。
 ここで死蝕後に一気に膨大な資金力を保有して台頭してきたのが、ドフォーレ商会だった。
 その取扱品目はルーブの良質な鉱石を用いた武具に始まり、フルブライトをも凌ぐ西大洋からの豊富な海産物と資源。そして聖王の時代に取扱禁忌とされ表には出回らぬ幾つかの違法物資をも保有しているとの噂が付き纏った。

「でも何よりドフォーレが大きく資金力を伸ばした最大の要因は、塩だよ」
「・・・塩?」
「そう、塩」

 ノーラが首を傾げながらそういうと、キャンディは大まじめに頷きながら続ける。
 毎日の食卓に欠かせない塩は、世界の中心たるピドナなら中央市場で当たり前のように取引されている。だがこれらの塩をどの様に調達しているのかと言えば、そのほとんどは輸入に頼っているのが現状であった。
 世界各地に供給される最も一般的な製塩法は海水を濃縮し煮詰めて作る方式だ。降雨の比較的少ない地域には塩田もあるが、海棲の魔物を警戒する必要性から人件費が掛かってしまう。故に、大抵の都市国家は前者の方法で製塩する。だがこの製法は単純な工程で言えば塩田に比べ燃料や道具を要するので矢張り少なからずコストがかかり、大量製塩がし辛い。故に古来より塩は単価が安定して高く、各都市国家の主たる国家事業として供給されていた。
 そこに突然大量の良質の塩を安価に供給し始めたのが、ドフォーレ商会だった。
 それまで発見されていなかった大規模な塩鉱をヤーマス近郊にて採掘することに成功したドフォーレ商会は、これを主軸に一気に世界中の塩の価格を塗り替え無名の商会からフルブライト商会にも迫るほどの規模へと拡大したのだ。
 さらにこれを助けるかのように世界各地の海岸沿いの塩田は降雨が増えたり魔物の出没が相次ぐなどし、かのフルブライトもガーター半島西岸に構えていた塩田を放棄せざるを得ない事態にまでなった。これにより、自力で安定した塩の供給を行える国家は乾燥地帯に塩湖を保有するナジュと規模こそ小さいものの自国供給を賄うには足るだけの岩塩鉱山を領内に所有するツヴァイクのみとなり、それ以外の国で供給される塩のおよそ三割強もの量がドフォーレと取引するものとなったのだ。
 このような背景により、ドフォーレの資金力は圧倒的な勢いで伸びていった。

「今回のドフォーレに関する調査にルートヴィッヒ団長さんが本当に噛みたかった理由も、まぁ間違いなくこれだよね。仮に近衛軍団がドフォーレの塩鉱を支配下に置けたら、それはもう世界を牛耳るに等しいよ」
「・・・成る程な。まさかトーマス殿は、ここまで読んでこの状況を優先して作ったのか・・・?」

 シャールが驚きを隠さずに舌を巻く。その様子を見てなぜか得意げにふふんと言いながら腕を組んだキャンディは、そこでふと持ち上げた人差し指を顎に当てながら、考えるような仕草をした。

「でも今回ヤーマスに向かったポールは、なんかトーマスさんの思惑とは別の展開を目論んでいるように思えたんだよね」
「別の展開・・・?」

 ハリードがそういうのに合わせて再度三人がキャンディに視線を向けると、キャンディは肩を竦め、確信はないけど・・・と前置きをしながら口を開いた。





 神王教団の出城奇襲から数えて五日の後、ミカエル率いるロアーヌ騎士団本隊はナジュ砂漠へと陣を展開していた。
 奇襲より三日後には出城に到着していたロアーヌ軍本隊はシーフギルドを中心に編成した斥候の調査にて近隣に潜伏して体勢立て直しを図っていた神王教団軍の駐屯地を発見。即座に追撃戦を展開した。
 この際砂漠方面へと後退していく敵軍を追ってアクバー峠の上下に分かれてロアーヌ軍は下から攻め上がる行軍となり地形の利を活かした反撃を受けそうになるものの、ブラッドレーの仕掛けた煙攻めを起点として精強なるロアーヌ騎馬大隊を率いるコリンズ、パットンの疾風の如き猛攻を受け、敵軍の将アクートは敢え無く敗走。
 更に追走を続けるうちに砂漠へと突入したロアーヌ軍は、慣れない気候に苦心しながらも一夜を砂漠にて明かした。
 翌る日、斥候の確認で前方に神王教団軍が陣を張り待ち構えていることを確認したミカエルは開戦を目前に最後の軍議を開いていた。

「斥候隊の偵察によれば相手軍は凡そ四千。我が軍は砂漠行軍のために全体を三千に絞っている。総数で不利であり、且つ慣れない気候で兵の士気もコントロールは平時に比べ困難であることが予測される。正面から消耗戦を挑んでは勝ち目はない」

 ブラッドレーの状況説明に、その場に集まった将たちは低く唸り声を上げる。
 その場に集まったのはミカエルを筆頭に、現在のロアーヌ騎士団主力陣であるブラッドレー、コリンズ、パットン。斥候や密偵を主とし戦場では弓兵で主に構成されるシーフギルドのフォックス。
 そして、先の神王教団による出城奇襲戦の際に絶体絶命の危機に瀕していたロアーヌ軍を救ったことで直々にミカエルから声を掛けられ客将としてロアーヌ軍に招かれていた、聖王記詠みを自称する謎の人物、詩人。
 以上の六人であった。

「・・・一応聞いておくが、詩人さんよ。あのすげーやつは、暫く使えないんだよな?」

 コリンズが頭を掻きながら丁度彼の正面あたりに立っている特徴的な服装に身を包んだ詩人にそう問いかけると、彼は即座にこくりと頷いた。

「はい、残念ながら私は本来の使用者足り得ませんので。再度の行使には、この七星剣が自然に光を取り戻すのを待つしかありません。天空にほど近い適度な高度の山の山頂で満天の夜空に掲げ続け、まぁ三年ってところでしょうか?」

 実に軽妙に言い切る彼の様子に、その威力を知るコリンズとブラッドレーは惜しそうに溜息をつく。
 詩人が神王教団に対して放った想像を絶する威力の衝撃波は、聖王遺物の一つである七星剣の力によるものであった。今もまた煌びやかな柄を見せている七星剣は、確かにあの戦場にあった時のような圧倒的な威圧感を有してはいない。
 そこに手元の地図を見ながら次に口を開いたのは、フォックスだった。

「あと、少々気になる編成が相手に。前列は砂漠での戦闘を想定した軽装歩兵装備で間違いないのですが、後方に明らかに戦闘装束とは考え難いローブに身を包んだ集団を確認しました。念のため宮廷魔術師に探ってもらいましたが、魔術兵団というわけでもないようです。ですので単に相手の宗教的な理由による編成かも知れませんが・・・いい予感はしません」
「んなもん構わず突撃!・・・って言いたいとこだが、用心は欠かしちゃいけないな。ブラッドレー、なんか案はねーのかよ?」

 フォックスの言葉を繋いでパットンがブラッドレーに振り直すと、彼は腕を組んで唸った。慣れぬ戦地な上に数が不利であるという状況に、己の持ちうる戦術のどれが通用するのかどうかを考えているのだろう。

「本来、数的不利は地形と陣形で補うのがセオリーだが、今回は戦地も慣れぬ。そして相手の情報が不足しているので、これまでの様に尖った戦術も打ち辛い。分かっているのは、間違いなく相手より我々の方がこの地での戦には慣れていない、という事だ。いくつも戦術の変更をしていられる時間も体力もない」

 そこまで言って困った様にブラッドレーはミカエルに視線を向けた。
 砦制圧に至るまでのこれまでの戦で主に作戦を決めてきたのは、ミカエルだ。彼の意見を聞きたいと思ったのだろう。
 それを察したのか、ミカエルは地図へと視線を落としながら皆に傾けていた意識を戻し、ふむ、と一つ息をついた。

「・・・以前、聞いたことがある。あやつらの戦法・・・実に邪教らしい、悍ましい戦法を」

 それは、十年前のハマール湖での戦いだった。
 ティベリウス率いる神王教団と民間義勇兵、そしてナジュ王国との間に起こった戦。
 この戦いにおいて神王教団が王国軍に勝利したのは、傍から見ればとんでもない偶然の賜物、それこそ神の起こしたる奇跡と言ってもおかしくないくらいに通常では考えられない結果だった。
 何しろそれまで碌に武器を手に取ったこともない様な民間人と宗教家が、しっかりとした兵装を施し訓練もされていた王国軍を打ち負かしたと言うのだから、俄かには信じ難いことだ。
 しかし奇跡は起き、神の導きにより神王教団はこの戦争(聖戦、と彼らは呼ぶ)に勝利した。
 だが当時の一部の者、主にナジュ王国軍の生き残りは、その奇跡がどの様にして齎されたものであるのかを目の当たりにし、震え慄いた。
 ナジュの王国城下町でゲリラ戦を展開していた神王教団は、交戦中に王国軍の中に建物の上から飛び込み、神に祈りを捧げながら次々に爆ぜたのだという。

「人間・・・爆弾・・・?」
「そうだ」

 ミカエルはコリンズの言葉を肯定しながら、言葉を続けた。

「信者は体から火を噴きながら爆ぜ、周囲の王国兵数十人を瞬時に道連れに焼き尽くしたという。市街地でのゲリラ戦でこれを防げなかったナジュ王国軍は隊列も瓦解し、自ら望んで命を絶つ信者たちに恐れ慄き、敗走したのだ。恐らくフォックスのいうローブの集団は、これの可能性が高い」

 あまりに狂ったその戦法に、その場の騎士たちは低く唸った。

「・・・しかしそうなると、その戦法は市街地のゲリラ戦だからこそ効果的であったもので、この戦場では奇襲も使えない分効果は薄いですね。分かっていれば怖くはなさそうだ」

 ブラッドレーが顔を上げてそう言うと、ミカエルはそれに頷いた。
 するとそこで、詩人が遠慮がちに片手を挙げる。
 それに反応したミカエルが視線で発言を促すと、詩人はこほんと咳払いをしてから、得意げに言葉を発した。

「因みにその爆弾兵、多分射抜けば爆発しますよ」
「なんと・・・それは本当か詩人殿!」

 パットンが驚きながらそう言うと、詩人は浅く頷いた。

「着込んだローブの下は、火星の砂あたりをベースにした火薬でしょう。そしてそれの着火剤は、彼らの体内に渦巻く炎。ローブ姿の信者たちは恐らく人間ではありません。アウナス術妖と呼ばれる魔物だと思われます。奴は体に傷を負うと炎が吹き出し、傷を覆います。それが火薬に引火し、爆発する。ですので、射抜けば爆ぜるはずです」

 アウナス術妖という言葉に、ミカエルはぴくりと眉を動かす。唐突に出てきた四魔貴族の名前と神王教団に、なにか関係性があるということなのだろうか。
 だがそれより更に気になるのは、何故そのような情報をこの聖王記詠みが知っているのかということだ。
 まるでそれらを相手に戦ったことがあるかのような口ぶりに、ともすれば彼はハマール湖の戦いを経験した人物か何かなのかという予測がミカエルの脳裏を過る。
 それを確かめようと口を開きかけたところで、しかしそれは外から大慌ての様子で幕舎へと駆け込んできた斥候の報告に防がれた。

「ご報告いたします!先刻、敵陣にて大規模な爆発が発生!!並びに、白旗を掲げながらこちらへと向かってくる人影が確認されています!」
「・・・ふふ、どうやら戦をせずに済みそうですよ、ミカエル侯」

 詩人が斥候の報告を受けて突然そのように言い出すと、その場の全員が全く状況が分からないとでもいうように彼を見返した。

「いえ、ね。今のこの戦とは全くの別件ですが、つい最近、神王教団教長ティベリウス殿に直談判をした知り合いがいましてね。この戦の事も随分と憂いていたので、このタイミングなら使者も恐らくその人物でしょう」
「へぇ、その人物っていうのは・・・?」

 コリンズが首を傾げながら聞き返すと、詩人はいたずら好きな子供がするそれのようににんまりと笑顔を作りながら肩を竦めた。

「それは、相対してからのお楽しみ、としましょう」
「ミカエル様を前に無礼な!・・・っていいたいところだが、この御仁の言うことには不思議と怒る気が起きんな・・・。如何いたしますか、ミカエル様」

 パットンがそう言ってミカエルに視線を投げると、ミカエルはふっと笑ってから斥候へと視線を向けた。

「どうもこうも、行くしかあるまい。案内せよ」
「はっ!」

 畏まって敬礼し幕舎からでる斥候に続き、その場の全員が後に続いた。






最終更新:2016年03月12日 22:52