「あら、キャンディさん。こちらにいらっしゃるなんて珍しいですね?」
まるで何かを気にするようにきょろきょろと周囲を忙しなく確認しながら挙動不審気味に廊下を歩いてきたキャンディに、ミューズはいつも通り柔らかい口調で声をかけた。
その声にお約束通りびくっと体全体で反応したキャンディは、しかしミューズの姿を確認すると一転ぱっと表情を明るくし、彼女の元へと駆け寄る。
「ミューズ様!こんにちは!」
ハンス家の邸宅には殆ど立ち入ったことのないキャンディは、漸く見つけた知り合いに安堵し、ミューズの白く細い腕に抱きついた。
キャンディとミューズは直接やり取りを多くしている訳ではないが、サラたちと共によくランチを一緒にしているランチ仲間だ。その中でも取り分けミューズの清楚を体現したかの様な美しさと柔らかい物腰にキャンディは強い憧れのようなものを抱いており、会うたびにこうして飛びつく癖が出来てしまっていた。
「実はちょっとトーマスさんに用事があるんだけど、場所がわからなくて。何処にいるかミューズ様は分かりますか?」
「ええ、来客がどうとか仰っていたので今日は出かけないはずですから、書斎に居るはずです。ご案内しますよ」
「ありがとうミューズ様!」
すっかり緊張感を解いてミューズの隣で上機嫌に手を組みながら、キャンディは案内されるままに廊下を何度か曲がり、突き当たりの部屋まで到達した。
そこでミューズが扉を軽くノックする。
「トーマスさん、いらっしゃいますか?」
ミューズがそう声をかけると程なくして扉が開き、中からトーマスが顔を出した。
「おや、ミューズ様・・・と、キャンディ?」
「やっほ、トーマスさん」
ミューズの後ろから顔を出した珍しい来客にトーマスが思わず首を傾げていると、キャンディはそんな様子には構わず片手を上げて軽く挨拶をする。
「実はね、ちょっと確認したいことと調べたいことがあるんだけど。相談いい?」
「内容にもよるけど、何を相談したいんだい?」
キャンディの唐突な申し出にも、柔和に笑顔を見せながら対応するトーマス。キャンディは、こんなお兄さんが自分にもいればいいのに、と時々思うものだった。
「ポールが出発前に確認したことと、漁っていた資料を見せて欲しいの」
「・・・成る程。構わないよ」
「ほんと? ありがとう!あ、ミューズ様も案内ありがとうございました!」
申し出を快諾してくれたトーマスとここまで案内してくれたミューズの双方に礼を述べると、キャンディはするりと部屋の中に入り込んだ。ミューズを見送ったトーマスがそのあとに続くと、キャンディは物珍しげに本や書類が大量に整頓されて並べられた棚を眺めながら応接用のソファに腰掛けた。
「それで、ポールが確認したこと、だったね。因みに、何故そんなことを聞きに来たんだい?」
「うーん・・・ほんと、ちょっと気になっただけなの。しかもどう気になるのか自分でもイマイチ分かってないから、何故かって言うのはこっちが聞きたいくらい。だから調べに来た、かな」
キャンディのあっけらかんとした答えに、トーマスは思わず苦笑いをする。全く意味はわからないが何故かそれが非常に彼女らしくて、それ以上聞く気もトーマスには起きなかった。
「ポールが確認しに来たのは今回のヤーマス遠征の狙いと、ここ数年で洗える限りのドフォーレのデータだね。取り分け一部の取扱品目流通量と取引価格の推移を細かく見たがっていて、こちらも細かく把握しているわけではなかったので集められる限りを集めて、彼に見せてやったよ。因みに、そこに纏まっている」
そう言ってトーマスが指さした先には、棚とは別に分けられた箱の中に大量の資料が纏められていた。
早速立ち上がってその箱に近寄ったキャンディは、箱を持ち上げてソファの近くに運ぼうとする。しかしあまりの重量にキャンディの腕力ではぴくりとも動いてくれず、引っ張ってみるがそれでも結果は同じだった。
結局これも、トーマスが持ち上げてソファのすぐ脇に置いてあげた。意外とトーマスって腕力もあるんだなぁ、などと呑気に思うキャンディ。
「アイスティを持ってこさせよう。僕はもう直ぐ来客の予定があるので席をはずすけど、好きなだけ見ててくれていい。気が済んだらそのままにしてておいて構わないから」
「わかった、ありがとうトーマスさん」
そう言ってトーマスが部屋を出て行くと、早速キャンディは箱の中に詰め込まれている資料を上から手に取った。
(・・・聖王歴三百八年流通履歴。年代的には丁度ドフォーレが大きく台頭し始めた頃の履歴みたい。こっちは・・・)
片手で別の資料を手に取り、応接机の上に広げる。
(・・・スクラップブック・・・新聞の切り抜きだね。これには、ここ数年のルーブ地方の都市警護団の対応の記録が纏められているみたいね。これはあんまりドフォーレとは関係なさそうだけど・・・)
ぺらぺらと資料をめくりながら、大凡どのような傾向で調べ物が行われたのかを頭の中で推測していく。
(・・・流石にこの量を全部見たわけじゃないはず。上に積んであるやつの幾つかから大体は推測できるかと思ったけど、ルーブ地方にすら限らず世界各地の色んな事が結構幅広く収集されていて、一見して全然纏まりがない・・・。でも、この新聞切り抜きのスクラップブックは自作っぽいな。王宮の資料保管庫辺りで調べてきたのかな。流石に近衛軍団に近づいた恩恵はここぞとばかりに利用するなぁ・・・まぁそう言えば近衛軍団公認での調査だって話だもんね。んーと・・・資料傾向はここ十五年くらいのドフォーレの流通品目とルート分布、其れ等の取引価格でほぼ確だね。スクラップブックの方は一応ルーブを中心にしてるっぽいけど、世界各地の様々なニュース・・・。何だろう、ニュースの傾向が分かれば何かしらわかりそうなんだけど・・・。うーん・・・だめ、こっちから推測するにはウチの知識が足りないや。そうなるとポールの言っていた通り・・・)
執事が調べ物の合間に飲み物を運んできてくれたのにぎこちない会釈だけで返しながら、広げた資料の中で先ずは自分にもある程度知識のある商会決算資料や流通傾向を見ていく事にした。
(ドフォーレの調査と弱体化・・・それが目的にしては、ポールが連れて行った人数はむしろ不必要に目立って邪魔に思えるほど多い。しかもその道の素人が半数以上を占める上に、その活用目的を周りに知らせなかった。これが一番不可解。本当なら、サラと二人が一番いい筈。あの男は絶対に無駄な事はしない・・・だからあの人選には必ず理由がある。しかもそれは、今回の遠征の表面上の目的とは異なる気がする)
資料に視線を走らせながら、考える。
ポールという男に関して、キャンディは実のところ周囲の人間以上に高く評価していた。
要領がよくて腕の立つ軽い男、と言うのが一般的な彼の評価で、彼自身もそれを認めている節がある。
だが実際はその評価とは真逆と言っていい位に彼は泥臭く地道な努力を苦としない人間であろうとキャンディは予測立てていた。
情報を扱う人間には大きく分けて二つの傾向がある。自分の得意なものに深化する者と、幅広く様々なものを扱う者。どちらかと言えばキャンディは前者で、ポールは後者だと思っている。
(でもポールの情報収集は、あまりに常軌を逸している。集める情報量とその収集及び精査能力が桁外れ。病的にも見えるくらい。むしろあれで軽い男を演じているのが恐ろしくすら思える)
市場価格の変動調査と経済情勢を眺める事を趣味とするキャンディは、工房の休日や自由時間を使ってピドナのメインストリートを練り歩くのを日課としていた。
その中でここ最近キャンディは、何度もポールを見かける事があったのだ。彼との面識は彼がグレートアーチから帰ってきて以降のそう長くない期間となるが、初めて会って以来ほとんど彼女が出かけた時には街中で彼を見かけたと言ってもいい。
そうして見かける折、いつも彼は誰かと話をしていた。それはカフェのマスターであったり、近衛軍団の衛兵であったり、明らかに怪しい風体の情報屋らしき人物であったり、時にスラムから出てきたならず者であったり。
そうして様々なルートから得たり買ったりした情報を彼は常に書に認め、保管しているようだった。
一度、偶然を装ってカフェで同じ席に座って彼の書いているメモを見せてもらった事がある。
一見すると何の取り留めもなさそうな大量の情報の羅列の走り書きと、それらが突如として理路整然と関係性を持って並び替えられその原因と考察まで細かに記載された調書。それの裏取りが出来ているか否かの確認。
その精査力にも驚いたものだが、彼は一連の作業を終えると再び収集へと向かって行った。彼が向かった方向は旧市街に近く治安があまり良くない方角だったため後を追う事はしなかったが、どうやら彼はあれを時間がある限り毎日続けているらしい。
ピドナは世界の中心だから情報には事欠かない。だが一つの情報は多方面から見たり聞いたりしないと、歪曲されたものもあれば一部だけが真実であとは嘘のものなどが非常に多い。これを素早く見極めるのは少し経験とコツがいるが、先ずは慣れている分野で見聞を広め、思考を鍛えるといい。そう、彼は言っていた。
(集められたドフォーレの資料は大凡十五年分。死蝕の後だ。それまではヤーマスの中小商会の一つに過ぎなかったドフォーレに売り上げで劇的な変化が訪れたのはやっぱ塩鉱を採掘した聖王歴三百六年ね。ここで塩の流通を手掛けるようになってからの伸び率は本当に脅威だね・・・。しかも恐らく発掘の源泉資金は、前年に起こったハマール湖の戦いでの神王教団への独占武具販売だ。全くこの企業の悪運の強さったらないよ・・・ん、でもそれ以前の三百一年から三百五年までの間の数字は・・・まって・・・え、これ絶対おかしい・・・)
資料に羅列されている数字の一部に釘付けになったキャンディは、多分ここの関連資料も集めている筈だと踏んで大急ぎで箱の中身を漁る。資料の束らしきものを何冊もひっくり返していくと、彼女が探していたものが矢張りあった。
(あった・・・そんなに多くないし総決算分だけだけど、同年の他企業の決算推移。三百年初頭分しか纏まってないってことは、着眼点は一緒の筈・・・)
資料を開く。そこにはフルブライトやクラウディウス、ラザイエフを始めとした名だたる大商会、そして大手陸海運やルーブの他企業の三百年初頭数年分の売り上げ推移が記されている。
見る限りは見事にどこの企業も軒並み壊滅的な数字になっており、力無い企業はその殆どがこの数年で姿を消したり大手に吸収合併している。この時代はどこも例外なく多大な損害を被り、その時代を生きてきた商人たちは死蝕の恐ろしさをその身をもって味わい、生き抜いてきたのだ。
(ウチが生まれる前年・・・全ての新しい生命が死に絶える未曾有の災厄である死蝕が起こった年。ここから数年は世界経済も瀕死に窮したんだ。だと言うのにドフォーレはこの数年の間、殆ど売り上げに変化がない。ってかむしろ成長すらしてる・・・)
記載によれば、ドフォーレは死蝕の翌年、当時ヤーマスの港を拠点としていた名前も知らぬ海運会社を買収している。恐らくは地元を中心として短距離輸送を生業としていた小規模海運だろう。
(小さなったって、仮にも造船所と契約しているくらいの海運業者。それをこの時のドフォーレが買うなんて、決算数値だけみればそれこそ社内資金をほぼ全部突っ込んでも足りるかどうかってレベルのはず。しかも時は死蝕直後。ルーブならばマッキントッシュ海運が最大手だから、近隣で発注される輸送案件の殆どは死蝕からの再起に必死なマッキントッシュがかっ攫ったはず。現在の陸海運に殆ど小規模運送業者がおらず大手のみに絞られている状況は、抑もそういった死蝕以降に大手以外が淘汰された結果だ。だから、小規模海運なんてそれこそ手に入れたところでこの当時は仕事そのものが見込めない・・・こんなの、およそ正気の沙汰とは思えない買収じゃん・・・)
では何故ドフォーレは、ここで海運などを買ったのか。現在でこそドフォーレ海運として別法人化しマッキントッシュに勝るとも劣らぬ規模の海運となっているが、当時にそんな展開を目論めたものは居ないはずだ。
(先見・・・いや、そんなことありえないよ。だってあの時代は誰に聞いたって、みんなが生きるのに必死だったって言ってた。それこそ今日を生きられるかどうか、それに必死だったんだって。なのにこのタイミングのこんな買収なんて、まるっきりどう生きるかを考えている人間の思考じゃないよ。あのフルブライトや・・・それこそ父様だってそんなことは全然考えられなかったはず。なのにドフォーレだけが何故ここでこんな行動に出ているの・・・そう、本当に直近のことなんて考えていないとしか・・・)
全くもってこの数字が語る事実の合点がいかず、キャンディは可愛く眉間にしわを寄せてたっぷり十数秒考えたあと、ふと諦めたようにその身をソファに投げ出した。
纏まらない思考に苛立ち、手を伸ばしてアイスティの入ったグラスを掴んで一気に飲む。カラン、と氷が崩れる音を聞きながらグラスをテーブルに戻したキャンディは、資料とは別に積み上げられたスクラップブックに何気なく手を伸ばした。
(・・・ん、これも年代別に纏めているんだ・・・。死蝕の時、数字以外では何があったんだろ・・・)
気分転換のつもりで、キャンディはスクラップブックに纏められた記事から死蝕直後のものを探してみた。すると程なくして該当のファイルが見つかり、それを手にとって膝の上でぱらぱらとめくってみる。
(・・・強盗、襲撃、暴動の記事ばかり・・・。死蝕直後は本当に治安もままならないし、魔物どころか人間も殺気立っているし傭兵も碌に雇えずで、陸海運は事故も多かったって聞いたな・・・)
そんな中、経済欄らしき部分の記事が彼女の目にとまった。どうも、織り込まれた宣伝のようだ。
(・・・ドフォーレ海運の広告だ・・・。破格の請負価格と抜群の安全性、か。この時代によくまぁそんな眉唾の宣伝文句・・・)
その広告自体を鼻で笑いながら直ぐ下に纏められていた記事に目を移したキャンディは、思わず目を見開いてその記事に書かれた内容に食いついた。
(なにこれ・・・ドフォーレ海運が通年無事故で最優良海運企業に選出?この時代はメッサーナ最大の海運であるアルフォンソですら年に数回は船が沈んだり海賊の略奪にあった時代の筈なのに、無事故・・・!?)
キャンディは先ほど投げ捨てた資料を慌てて手元に引き戻し、ドフォーレの決算報告書と物流を見直す。
(・・・流石に当時の一個口あたりの相場までは分からないか。でも、この全体数字と取引量を見る限り、海賊や海棲の妖魔に常々対応出来るような護衛を雇えているとも思えない。殆ど積み荷を運ぶ事だけを考えたような数字で、無事故だなんて・・・)
そのまま資料を何冊か捲るが、聖王歴三百六年に塩鉱を発掘して爆発的に売り上げを伸ばすまでは、着実に売り上げは前年対比増加を繰り返していた。その中心となるのがこの海運事業であり、そして塩鉱発掘成功の前年である聖王歴三百五年に、ハマール湖の戦いでの武器商人を請け負うことで大きく財を固めている。
(そうだったんだ・・・今でこそドフォーレといえば武器と塩だけど、むしろ一番謎なのは武器商人としての成功を収めるまでの海運での成長だったんだ。まるでドフォーレは死蝕の影響なんて全く受けていないみたいな過程で成長を遂げ、着実に築いた財と海運での評判で武器商人としての仕事を掴み、そして塩鉱発掘までたどり着いている。その買収と増益の遍歴は、まるで・・・『そうなる事を知っていた』かのように迷いの感じられない流れ・・・これじゃあ、なにか裏があるって言ってるようなもんじゃん・・・)
ごくり、と唾を飲み込みながら食い入るように資料に目を落とす。数字の羅列と当時のニュースを絡ませる事で見えてきた過去の違和感に思わず背筋が震えたキャンディは、己の好奇心の促すままに資料の続きをめくっていった。
(・・・塩鉱発掘が始まってからの爆発的な企業規模拡大は、流石としか言いようがない。聖王様がコングレスで定めた銀行法のヤーマスでの管理権も委託され、金融としても成長・・・。地元の大手製粉工場と製紙工場と独占取引契約を結び、実質私物化。これで周辺地域の小麦を抱えつつ、実質的な広報印刷物の根元を抑えて情報操作も行える。この辺は剛腕とか言われる所以だね。あからさま過ぎて反吐がでる。でもまぁ、この流れは金にものを言わせれば実行可能だから、言ってみればなんら不思議ってわけじゃないね・・・。だめだ、このデータからじゃさっきのような違和感は洗い出せそうにない。この間にポールが集めてきたニュースは何なんだろ・・・)
一度資料を戻してポール手製のスクラップブックを漁ると、聖王歴三百六年以降からは特に多めに年毎に分けられて当時の記事が収められていた。
(地域毎にも分かれてる・・・見やすいけど、結構量あるなぁ。ここはルーブで・・・こっちはピドナか。ツヴァイク、ロアーヌ、リブロフ・・・フルブライトの影響が色濃い地域は集めてないんだ。ルーブは周辺での魔物による被害の記事が目立つ・・・あ、ガーター半島の記事。ウィルミントン近くの記事はこれしかないのかな・・・)
スクラップブックに収められているフルブライトの威光に照らされた地域で唯一と思われる記事は、ガーター半島西岸の塩田壊滅の記事だった。
(・・・聖王歴三百八年、ガーター半島で最大の規模を誇る塩田が魔物の大群の襲撃により壊滅。塩田従事者と警備合わせて二十二名が犠牲になった、近年治安悪化が懸念されていた西太洋でついに起こってしまった大規模被害・・・。これでウィルミントン都市憲兵は海洋警備を大幅に拡張せざるを得ず、また治安回復が見込めるまで西岸での塩田事業再開も断念・・・か。まるでドフォーレの塩鉱事業の追い風の様な・・・・・・ありうるか?)
別のスクラップブックに手を伸ばす。同年、ないしは前後二年ほどの記事を集中的に見てみると、世界各地に広がっていた塩田の幾つかはこの時期に魔物の襲撃を受けて壊滅に追いやられている。
(・・・偶然にしちゃ出来過ぎじゃん・・・。塩鉱事業が好調だということの裏には、こんなえげつない出来事が絡んでいた・・・。ドフォーレ、黒い噂は商人連中の間でもいっぱい飛んでたけど・・・まさか本気で魔物と手を組んでいる・・・!?)
ポールはまさか、ここまで確証を持つためにこれ程の量の資料探しを続けて纏めていたのか。
(・・・まって、それで今回の作戦に人数を揃えたって事は・・・まさかポールは・・・)
ガチャリ、と音がした。
音と共に部屋の扉が開き、咄嗟にそれに反応して顔を上げたキャンディは和やかに誰かと喋りながら入ってきたトーマスと目があった。
「あぁ、まだ居たんだねキャンディ。邪魔をして悪いね。ちょっとこちらも探しものを・・・」
「トーマスさん!聞いて!ポールは今回の作戦でドフォーレを潰す気かもしれない!」
トーマスの言葉を遮ってキャンディがテーブルから身を乗り出しながら半分叫ぶ様にそう言うと、トーマスは目を丸くしながら首を傾げた。
「ドフォーレを潰すだって? そりゃあ有り難いが、なんとも穏やかではないね」
トーマスの背後から、男の声が聞こえてくる。それに気がつきキャンディが訝しげにトーマスの背後を注視すると、トーマスの横から身を乗り出してきたのは、フルブライト二十三世だった。
「可愛らしいお嬢さんの声だったが、一体・・・」
そう言いながらキャンディへと視線を投げたフルブライト二十三世と、それを見つめ返すキャンディの視線が交錯する。
そのまま二秒程だろうか、両者はその姿勢のまま固まった。
そして次にフルブライト二十三世が口を開くのと、キャンディがソファに座らせておいた愛用のクマちゃん人形を掴み取ったのもまた、同時だった。
「君は、まさかタチあぶ!?」
とんでもない速度で顔面に飛来したクマちゃんを真正面からそのまま受け止め、フルブライト二十三世は口にしようとした言葉を途中で遮られる。
その隙に素早くテーブルを飛び越えて二人の足下まで一気に詰め寄ったキャンディは、フルブライト二十三世の足元に落ちた直後のクマちゃんを掻っ攫いながら、もう片方の手でフルブライト二十三世の手を掴んで廊下へと駆け出した。
「トーマスさん!この人ちょっと借りるから!」
「・・・え?」
そう言いながら走って行くキャンディと、なぜか素直にキャンディに引かれるままに去って行くフルブライト二十三世を見送り、取り残されたトーマスはぽりぽりと頭を掻いた。
「・・・えーっと」
「絶対にみんなに喋らないで。喋ったら許さないから」
ハンス家の庭で相対したフルブライト二十三世の言葉をまたしても遮り、キャンディは冷たくそう言い放った。頬をぷっくりと膨らませ、見てこれほど分かりやすい物は他になかろうとフルブライト二十三世が場違いにも考えるほどには機嫌が悪そうだ。
「や、まぁそれは別に構わないけれど・・・。君のお父様はなんと仰っているんだい?」
「・・・知らない」
その返答は、にべもない。この時点でフルブライト二十三世には大方の予想は付いたのだが、ふぅむと息をつきながら腕を組み、軸足を移動して姿勢を変えた。
「わかったよタチアナ。僕は君のことに関しては何も知らないし、この状況について詮索もしない。それでいいかい?」
「キャンディ」
「・・・は?」
突然、目の前の少女は一体何を言い出すのか。そう如実に表情で語りながら、フルブライト二十三世は疑問符を浮かべた。欲しいのだろうか。それならば持っていれば無論要求に応えてあげることも吝かではないのだが、生憎と自分は今、お菓子の類いは持っていない。
「ここではキャンディって名乗ってるの。だからあんたもそう呼んで」
「・・・了解したよ、キャンディ」
名前だったのかと一人心の中で苦笑しつつ、フルブライト二十三世は素直に少女の言葉に従う旨を述べながら小さく肩を竦めてみせる。
彼女について実のところフルブライト二十三世はそれなりに付き合いがあったので名前やら出自やらは知っているが、それらも今は知らないことにしておいてやろうと素直に考えた。
無論、商人である以上は対価を求めるが。
「・・・その代わり、と言っては何だが・・・さっきの話をもう少し聞かせてくれないか?」
「・・・ドフォーレのこと?」
そこで初めてキャンディが真面にフルブライト二十三世に向かって視線を上げながら聞き返すと、彼は無言で頷いた。彼は、この少女がその見た目と年齢からは想像がつかぬ程に賢いことを知っている。だから、先ほどの言はなにか大きな確信を得て言っているはずなのだと考えた。
「・・・いいよ。カタリナカンパニーのポールのことは知っている?」
その問いかけにフルブライト二十三世が頷くと、キャンディはそれに頷き返しながら話を始めた。
「じゃあ今ポール達がヤーマスに行っているのは知っているよね。その目的も。でもね、今回ポールが旅に連れて行ったメンバーは全部で四人。ユリアン、モニカ、サラ、エレン。もうこの時点で目的と違うような気がしない?」
そうキャンディに聞かれ、フルブライト二十三世は言われてみればまぁそうだね、と答える。
そこからキャンディは、自分が先ほど調べてたどり着いた推論を聞かせた。ドフォーレの死蝕以降の動きと、同時間軸の世界経済の動きの様々な相違点。そして要所要所で起きている魔物被害と、その影で不幸な事故をも糧に成長を続けたドフォーレの事業。
「死蝕から十年程の間に見られたそれらのデータから見れば、ドフォーレは裏で魔物と手を組んでいると考えても可笑しくない。恐らくポールはそれを確かめ、可能ならば叩くために戦力を加えてヤーマスに向かったんじゃないかと思うの」
「ふむ・・・確かに我々が塩田を失ったのもドフォーレの成長を助ける形にはなったし、それ以外の事故も都合が良いとは感じていた。それがまさか塩鉱事業以前からそうした流れがあったのならば、君の推測はかなりの確率で正解かもしれないね」
フルブライト二十三世が考え込むような仕草をしながら相づちを打つと、キャンディはこちらも腕を組んで思考を廻らせつつ唸った。
「でもまぁ、ハリードのおっさんとかじゃなくてモニカを連れて行ったのがちょっと不思議ではあるんだけどね」
「それはまぁ、そうだね。しかしまぁ・・・」
フルブライト二十三世が顎に手を当てながらキャンディを見下ろすと、その視線に気がついたキャンディはその視線の意味を問いかけるように首を傾げて見せた。
「いや、僕の知っている君らしくないな、と思ってね」
「なにが?」
フルブライト二十三世の言葉にキャンディが再び首をかしげると、フルブライト二十三世は普段とは違った自然な笑みを浮かべた。
「聡い君のことだ、カタリナカンパニーのことを知っていたなら、ここが僕らフルブライト商会と関わりがあったことも予め分かっていただろう。君がここに至る事情が僕の予測通りだとして、だとすると僕の知っている君なら、その時点でここには近づかない筈だ・・・と思ってね。それとも、その危険を冒してでも今回のことを知りたかったということなのかな」
フルブライト二十三世がそう言うと、キャンディは不機嫌丸出しで眉間にしわを寄せた後にそっぽを向いた。
その仕草にまたフルブライト二十三世が苦笑していると、キャンディは大げさに溜息をついてからフルブライト二十三世に向き直る。
「・・・まぁ最初はね、それは正直考えてた。第一、態々家を出てまで商売事に首を突っ込みたくないもん。でも三ヶ月くらいここで暮らしてみんなの話を聞いて、思ったの。みんなウチよりもっとずっといろんなことを経験して、挫折して、奮起して、今は何かを目指している。まだ探している最中の人もいる。それに比べたらウチは・・・」
腕を組み直し、フルブライト二十三世にというよりはまるで自分に問いかけるように遠くを見つめるような視線でキャンディが続ける。
「ウチは、逃げてきただけ。そんなの分かってる。でもここでみんなと居て、話して、より痛感しちゃった。今は多分、ウチもあの人達のようになりたいんだ。何かから逃げるんじゃなく、何かに向かうようになりたい。だから彼らが何をしようとしているのかがこんなに気になるんだと思う。丁度それで身近に現れた疑問が、今回のポール達の作戦だった・・・って感じ。ま、言ってもそうそう会わないだろうと思っていたのによりによって今日あんたがここに来たのは、単純にウチの運が悪かったんだろうね」
肩を竦めながらキャンディはそう結び、何語っちゃってんだろうね、などと自嘲気味に言いながら目の前のフルブライト二十三世を見上げる。
するとフルブライト二十三世は、これぞ鳩が豆鉄砲を食ったよう、と表現するにふさわしい顔で彼女を見下ろしていた。
「・・・なに?」
「・・・あぁ、いや、失礼」
キャンディの半眼の問いかけに、フルブライト二十三世は片手で顔を覆いながらもう片方の手を振ってみせる。
それにキャンディが多少不機嫌そうに眉を顰めながら見上げると、フルブライト二十三世は観念したように両手を軽く上に上げながら肩を竦めた。
「僕もいつの間にか年を取ったものだ、と思ってね」
「なにそれ、意味わかんない」
要領を得ない回答にキャンディが変わらず半眼のままで睨みながらそう言うと、フルブライト二十三世は苦笑でそれに返す。彼の記憶が確かならばほんの一年前くらいにも彼女と会っていたはずなのだが、人の成長とは本当に唐突なものだと内心舌を巻きながら。
「いや、気にしないでくれ。こっちの話だ。さぁ、そろそろ中に戻ろう。あまり長く離れていては、トーマス君もいい加減訝しむだろう」
「・・・わかった。いい、絶対ウチのこと喋んないでよね」
そう念を押しつつ先に歩き出したキャンディの背中に向かってはいはいと返事を返しながら、フルブライト二十三世も彼女の後に続いた。
最終更新:2016年05月12日 05:42