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昭和戦中期①


皇紀2599(昭和14/西暦1939)年
  • 9月1日
 ナチス・ドイツ軍、神聖イシュトヴァーン王冠帝国領オーストリアに対し侵攻。以前より警戒していた王冠帝国軍は苛烈な迎撃戦闘を行うも、機動力と戦力の集中の点で勝るナチス・ドイツ軍の前に大損害を出して遅滞防御に走る。
  • 9月3日
 大日本帝國、神聖イシュトヴァーン王冠帝国への援軍派兵を即時決定(飽くまでもナチス・ドイツは正当政府ではないため国交が無く、宣戦布告は行わなかった)。内戦が終わったばかりのイスパニア帝国の安定の一助としてバルセロナ近海に在泊し(主に要注意対象であるフランスに対して)睨みを利かせていた遣欧艦隊をイタリア近海まで急行させ、イタリアの了解を取り付けた上でその呆れるほど長大(過大)な航続距離を活かし、艦載機をイタリア半島を横断させ王冠帝国領オーストリアの飛行場まで先遣隊として派遣。既に同地で繰り広げられつつある航空戦(特にザルツブルク)に介入を開始。先の欧亞不可侵条約に基づき欧亞連合軍を結成し、欧州に於ける総司令部をウィーンに開設。
  • 9月17日
 初手こそ譲ったために侵攻を許したものの、王冠帝国領オーストリアの国境線を数十キロ下がった所で進軍を停止させた欧亞連合軍に対し、ナチス・ドイツ軍が王冠帝国領オーストリア以外の各地でも長大な国境線を突破。更に後背からソ連がポーランドに殴り掛かり、欧亞連合軍は一気に窮地に立たされる。
  • 9月27日
 中国共産党人民解放軍が第一次支那事変時の停戦線を各所で突破。内戦に明け暮れて各方面と睨み合いになっていた各地の軍閥は各個撃破の危機に晒される。
  • 9月28日
 相互援助条約と軍隊の駐留権を要求するソ連の最後通牒を、エストニアは拒否。
  • 10月5日
 相互援助条約と軍隊の駐留権を要求するソ連の最後通牒を、ラトビアは拒否。
  • 10月6日
 ポーランド・リトアニア間の連絡線が独ソによって分断される。
  • 10月10日
 相互援助条約と軍隊の駐留権を要求するソ連の最後通牒を、リトアニアは拒否。
  • 10月15日
 大日本帝國、日ソ国境線を固めつつ本土主力を満州に移動。準動員を下令。
  • 11月
 ソ連はフィンランドに対し、レニングラードの安全保障上の問題を理由に、フィンランド湾の島嶼とカレリア地方の割譲等を要求する最後通牒を行い、フィンランドは拒否。
 大日本帝國、遣欧軍出航。英本土への防空部隊を中心とした航空戦力を満載した輸送船団と、突貫工事で数を間に合わせた護衛艦艇で構成。
  • 11月30日
 ソ連がバルト三国とフィンランドへ侵攻。
  • 12月
 フィンランドとバルト三国はソ連軍を寡兵で以て撃退。その間にグレートブリテン軍がスカンジナビア半島を横断し援軍としてバルト海に到達。ソ連領で唯一バルト海に接するレニングラードを巡り、ソ連軍との間にバトル・オブ・バルト(BOB)が繰り広げられる。一方、同じ人民戦線陣営であるフランスの不気味な沈黙を警戒していたため、北海からの攻勢によって戦力を誘因出来ないことから、南北の連絡線を断たれ東西から徐々に削られるポーランドに対し、グレートブリテンは有効な支援を行えず、本格的な動員を待つことになる。

皇紀2600(昭和15/西暦1940)年
  • 1月
 大日本帝國、遣欧船団第一陣が神聖イシュトヴァーン王冠帝国に到着。その数は機械化二個師団と一個航空艦隊にも及び、到着直後から戦闘に加入。ナチス・ドイツの大機甲部隊との間に第二次ザルツブルク攻防戦を生じる。
  • 2月11日
 第二次ワルシャワ攻防戦。ワルシャワ前面に展開する連合軍に突進するソ連軍を、ポーランド軍を主力とする騎兵(とは名ばかりの高速機械化師団)が半包囲し火力戦を挑む。一週間の攻防の末、弾薬の著しい消耗と引き換えにソ連軍を撃退する。
 ソ連軍、フィンランド戦線に於いて総攻撃。大日本帝國は極圏航路で送り込んだ航空隊でコラ半島を空襲しフィンランド戦線のソ連軍地上部隊を襲撃。更に本国で大増産中の航空機を新米搭乗員の育成も兼ねて空輸に使う荒業で大量に持ち込む。
  • 2月14日
 日本軍事顧問団の援助を受ける張作霖軍、北京東方で中華人民解放軍と交戦。
  • 2月23日
 張作霖軍と交戦した人民解放軍、機械化された張作霖軍に包囲殲滅される。
  • 3月13日
 足掛け1か月余りの攻防でソ連軍は激甚な損害を蒙りフィンランド侵攻は頓挫。元の国境線まで押し戻される。代わりにバルト三国への攻勢を強めるが、ポーランド=リトアニア間の再連絡を棚上げしバルト三国の防衛に先ずは心血を注ぐBOBでは、予てから(それこそロシア革命での独立以来)半ば要塞と化していた所に(ドイツを警戒してバルト海に艦船を入れられないものの)北海からスカンジナビア半島を通じて物資と兵力を送り込んだグレートブリテン軍が資本主義の本領を発揮しており、圧倒的兵数(≠兵力)を擁するソ連軍と互角に戦っていた。
  • 3月16日
 第一次山西省の戦い。人民解放軍と張作霖軍による睨み合いに終始。
  • 4月9日
 ナチス・ドイツがデンマークに侵攻。スウェーデンからの鉄鉱石輸入に大きく依存しているナチス・ドイツが北欧を席捲しようとしていると見たグレートブリテンは集結させた本国艦隊を大挙出撃させ、デンマーク救援に向かう。
  • 4月10日
 第二次ユトランド沖海戦。ナチス・ドイツのデンマーク占領阻止に出撃したグレートブリテンの本国艦隊、今まで閉塞していた、第一次世界大戦以来の旧式艦を主力としていたナチス・ドイツ艦隊を捕捉し艦隊決戦に及ぶも、本来の艦隊主力を囮として水面下に潜む潜水艦達の「殺し間」に誘い込まれ、止めにナチス・ドイツの最新鋭艦「ビスマルク」の砲撃を受け、伝統の水雷防御に於ける欠陥設計が露呈。戦艦の半数が撃沈または大破する大損害を蒙る。
  • 4月13日
 デンマークに取り残された連合軍、ナチス・ドイツ軍の攻勢を辛うじて撃退するも、激しい空襲に晒される。
 スウェーデン海軍、バルト海に機雷を敷設。キール以東へのナチス・ドイツ軍艦艇の移動に制限を掛け、バルト海の制海権で優位に立つ。
  • 4月14日
 グレートブリテン空軍、ヴィルヘルムスハーフェンを空襲しドック内で建造中の大型艦(空母グラーフ・ツェッペリンの艦体)を擱座させる。
  • 4月18日
 第一次貴州の戦い。人民解放軍をグレートブリテンが支援する華南軍閥が迎撃。激しい塹壕戦となる。
  • 4月27日
 第二次山西省の戦い。張作霖軍が人民解放軍を強襲したものの、消耗戦となり半壊。
  • 5月10日
 ナチス・ドイツ、エルザス=ロートリンゲン王国に侵攻。三方面作戦を実施。これに刺激されたフランスも現場軍人の独断という形でエルザス=ロートリンゲンに侵攻。エルザス=ロートリンゲンは何の通告もないままに侵攻する両軍に対し激しく抵抗するものの、独仏の緩衝国として設定されたに過ぎない小国が両大国に抗し切れる筈もなく、5月15日には両者に対し降伏を宣言したものの、ナチス・ドイツ軍とフランス軍がそのまま交戦状態に突入したため、エルザス=ロートリンゲン王国の降伏は無視・黙殺されることになる。
  • 5月12日
 第三次山西省の戦い。日本陸軍遣支方面軍が本格的に戦闘に加入。機体性能と練度もあり数だけは多い人民解放軍の航空部隊を手も無く捻り潰し、華北の人民解放軍を沈黙させる。
  • 5月20日
 ナチス・ドイツがベネルクス三国に侵攻。オランダ、ベルギーの両王国が連合軍への参加と救援要請を表明。
  • 5月26日
 連合軍はダイナモ作戦を発動。グレートブリテン軍がナチス・ドイツの潜水艦が待ち受けているのを承知での低地諸国への揚陸作戦を実行。
  • 5月30日
 グレートブリテンの本国艦隊が威信を賭けた護衛作戦を行ったことと、オランダ・ベルギー両軍の粘り強い抵抗もあり、ナチス・ドイツのベルギー南部貫通を許したもののダイナモ作戦はグレートブリテン軍を主力とする上陸部隊の揚陸を完遂し、オランダとベルギー北部の死守に成功する。一方、連合軍の上陸までにベネルクス三国の撃破が間に合わなかったナチス・ドイツ軍はベルギー南部を突破し、連合軍の南下による分断の危険を冒しつつも、エルザス=ロートリンゲンに攻め込んだフランス軍の包囲殲滅に動く。
  • 6月9日
「コルマールの悲劇」発生。エルザス=ロートリンゲン争奪戦を繰り広げるフランスとナチス・ドイツの両軍が、無防備都市宣言を行ったコルマールの占領を賭けて突進し、ほぼ同時に到達。両軍が郊外で衝突すると共に、市街に雪崩れ込んで自軍への協力を強要。拒んだ市民は敵軍協力者としてその場で射殺されるなどの凄惨な戦いとなる。背景には機動包囲されつつあるフランス軍主力が、政権の面子に掛けてエルザス=ロートリンゲンの占領を完遂させる必要に迫られており、戦略的撤退を実行できなかったことから、一刻も早くエルザス=ロートリンゲンを占領し、ナチス・ドイツ軍主力に正対しなくてはならないという焦りがあったことにあると考えられている。
  • 6月14日
「コルマールの悲劇」を察知した連合国、「やっていることが変わりない」としてフランスに対し国交を断絶。対独戦に於いて協同しているわけではないものの、敵の敵である潜在的味方から背中を撃たれた形となったフランスは連合国を痛罵。ナチス・ドイツ宣伝省は(自らの行いは棚に上げて)フランスの行いに対する自らの正当性を声高に叫ぶものの、連合軍がナチス・ドイツ相手の戦闘で手加減することも無かった。
  • 6月19日
 第二次貴州の戦い。互いに戦車部隊を主力とした華南軍と人民解放軍の機動戦。泥縄式に戦闘規模が肥大化したため、双方とも統制不能となり泥沼化。
  • 6月28日
 マルセイユ沖をイタリアのラ・スペツィアからイスパニアのバルセロナへ向けて航行中だった日本の遣欧船団の支隊が、トゥーロンから出撃したフランス艦隊の執拗な追跡を受ける。地中海に於いて遣欧船団を護衛するイタリア艦隊主力との睨み合いに。
  • 7月3日
 アメリカ東海岸を出港した輸送船団がフランス・ビスケー湾各地の港湾に大挙入港。アメリカは自らを「民主主義の兵器廠」と称し、「民主主義によって選ばれたる人民戦線内閣」の全力支援を宣言。連合国の対仏開戦に漏れなく自国からの宣戦布告が憑いて回ることを示唆。連合国に釘を打ち込む。
  • 7月24日
 第三次ワルシャワ攻防戦。ウクライナとリトアニア方面からの増援が戦略機動包囲を行いソ連のワルシャワ攻撃軍を圧迫。
  • 8月12日
 エルザス=ロートリンゲンに侵入したフランス軍の後方をナチス・ドイツ軍が遮断。半包囲を解こうとフランス軍がパリ前面に展開した主力で側面からの挟撃を図る。
  • 8月23日
 第三次ワルシャワ攻防戦、ナチス・ドイツ軍に対し守勢を取りつつソ連軍に対し攻勢を取ったリトアニア方面軍が独ソに分断されたポーランド・リトアニア間の連絡線を突破。南側からウクライナ方面軍がソ連軍を攻撃しつつワルシャワに突進。包囲を逃れたソ連軍は一時転進(撤退ではなく転進)。
  • 9月1日
 第一次キール運河攻防戦。キール軍港から北海へ抜けるナチス・ドイツ軍艦艇の唯一の移動経路であるキール運河の閉塞を狙って空襲を仕掛けた連合軍と、空襲を悟って近隣飛行場に先制奇襲攻撃を仕掛けたナチス・ドイツ軍の戦い。レーダーで空襲を奇襲を察知した連合軍は守勢に立たされ、爆撃機の大半が退避に失敗。一方、ナチス・ドイツ軍も激しい航空消耗戦に陥る。
  • 9月5日
 連合軍、転進するソ連軍を追撃しソ連に侵された失地を回復。軍部が実権を掌握しクレムリンを制圧する政変が起こり、スターリンが失脚。猛烈な内ゲバに。
  • 9月13日
 ソ連軍の積極的攻勢が停止。支那大陸での戦闘も鈍化。
  • 9月19日
 ケーニヒスベルクの戦い。抑えを残して従来の国境線での対峙に移行した対ソ戦線から、対ナチ戦線へと転身したリトアニア方面軍が、東プロイセンのナチス・ドイツ軍との本格戦闘に突入。ポーランド方面軍の戦力回復時間を捻出する。
  • 9月27日
 ソ連共産党は「スターリン専制主義を幇助」し「人民に塗炭の苦しみを味わわせた専制主義に回帰させんとした不法結社」であるとして、軍部が立ち上げた臨時政府たるソ連軍事評議会はソ連共産党を解散。軍部が擁立したレフ・トロツキー率いるソビエト連邦社会党が形式的に多数派を形成し、最高会議の第一党に躍り出、組閣する。
  • 10月5日
 カリシュの戦い。従来の国境線に近いナチス・ドイツ占領下にあるカリシュの回復を目指し、ソ連軍への備えを残したウクライナ王国軍のほぼ全力がポーランド方面軍として加入。
  • 11月5日
 本格動員を終え十分に訓練された日本陸軍が一個航空艦隊と共にプラハ入城。ドイツ東部の工業都市であるドレスデンを守るナチス・ドイツ軍との本格戦闘に突入する。
  • 11月18日
 ソ連と連合国は停戦に合意。正式な講和条約の締結へと動く。
  • 12月
 日本海軍、長門級、金剛級「比叡」「榛名」の近代化改装を終える。入れ替わりで「金剛」「霧島」が近代化改装に入る。
  • 12月8日(米国時間で12月7日)
 ビスケー湾に於いてフランスに軍需物資を運び込んでいたアメリカの輸送船「リバティ号」が雷撃を受け沈没。これを口実として、アメリカがナチス・ドイツに対する本格的戦争状態への突入を宣言。フランスに対し「武器貸与(レンドリース)法」を可決し事実上無制限に無尽蔵の支援を行うと共に、「何故か」本国で待機していた陸軍部隊を満載した輸送船団を発する。

皇紀2601(昭和16/西暦1941)年
  • 1月
 アメリカ、対独戦備を口実に更なる軍備拡張案を可決。一方、北大西洋上に於いてアメリカからの船団「のみ」を狙ったナチス・ドイツの潜水艦が殺到し輸送船団は大打撃を蒙る。
  • 2月1日
 府米協定調印。グレートブリテンとアメリカは互いをナチス・ドイツに相対する友軍であることを認め、互いに敵対的行動を少なくとも「ナチス・ドイツが打倒されるまで」取らないことを相互に確約。抜け駆け的にアメリカ(そして不穏な動きを見せていたフランス)との関係改善を行ったグレートブリテンに対し、連合国の中では不満が出たものの(特に地中海で衝突しかけた日本とイタリア)、目下差し迫る脅威はナチス・ドイツなので、押し隠しつつも轡を並べて戦っていくことになる(但し、従来からの「連合国」は一度たりともフランス戦線からナチス・ドイツとは戦わなかった)。
  • 3月
 第二次キール運河攻防戦。グレートブリテンから移動した一個航空艦隊がキール運河を破壊。キール軍港に残存する有力艦艇を殲滅。キール運河を挟んで両軍の激しい塹壕戦に。
  • 3月13日
 リガ講和条約。連合国はソ連に対して求めた「レニングラードを含むバルト海に於ける非武装化」こそ得られなかったものの、戦前の国境線に戻し、レフ・トロツキーからは「革命の輸出」「世界革命論」の撤回と一国社会主義への転向、尚且つ国境線からレニングラードを除いた30km圏内のソ連側を、非武装地帯として軍隊の配備を規制する内容での締結に成功。徒に他国への革命輸出を図らない方針へと転換し、当面の間、欧州と支那大陸と国境線での睨み合いに於ける軍事力の積み上げを行わずに済む予測が成り立ったことを以て、日府両国は当面の間ソ連に対する矛を収めることになる。
  • 6月6日
 アメリカ軍はノルマンディーに一個軍を揚陸。
  • 6月9日
 ナチスドイツはバルバロッサ作戦を発動。北海の制空権を航空戦力の全力出撃による飽和攻撃で確保し、府仏海峡を残存する艦艇の全力で突進し、上陸中の米軍を撃破し戦意を挫こうとするもの。戦略的にも戦術的にも低地諸国を陸海空一体となって攻撃した方が合理的で成功率も高く、末期戦に有り勝ちな視野狭窄に拠る所が大きい。当然ながら、カイザー・シュラハトよりも更に無謀な作戦だった。
  • 6月11日
 第三次ユトランド沖海戦。互いの航空戦力が北海上空の制空権獲得競争に拘束される中、ヴィルヘルムスハーフェンを出港草々に捕捉されたナチス・ドイツ艦隊と、グレートブリテン艦隊が艦隊決戦。遮二無二突破を図るナチス・ドイツ艦隊が死兵と化し激しく突進。激しい海戦となり、グレートブリテンは戦艦「フッド」を撃沈されるなどの大打撃を蒙るも、ナチス・ドイツ軍の主力であった「ビスマルク」「ティルピッツ」の両艦を大破漂流に追い込み、作戦目的達成前に壊滅させる。
  • 6月12日
 北海上を大破漂流中の「ビルマルク」「ティルピッツ」、連合軍に降伏し鹵獲され、連合軍に同道していたドイツ帝国軍によって武装解除。
  • 6月14日
 バルバロッサ作戦発動により対仏戦線の突破を図ったナチス・ドイツ軍、パリ正面のフランス軍主力を撃破しパリに迫るも、アメリカの供給する潤沢な重砲を装備したフランス軍の守備が土壇場で間に合ったことと、何れの戦線でも完全な突破に失敗し必要とする資源地帯を得られなかったことからくる物資の不足もあり、パリを前にして攻勢が停止。逆に突出部となって包囲撃破の危機に。
  • 6月30日
 重武装の日本陸軍を中核とした連合軍オーストリア方面軍、国境を突破しミュンヘンを守備するナチス・ドイツ軍の南方軍集団との間にローゼンハイム会戦を展開。
  • 7月3日
 アウグスブルク蜂起。アウグスブルクを中心にカトリック教徒が半ばローゼンハイム会戦に呼応する形で暴動。
  • 7月6日
 アウグスブルク蜂起が全土に波及。ナチス・ドイツ、親衛隊(SS)を除いた全軍部隊が、暴動の鎮圧命令を無視し自衛以外の戦闘行動を停止。
  • 7月9日
 パリ前面に迫っていたナチス・ドイツ軍、アメリカ軍を前に撤退を開始。
  • 7月10日
 ベルリン政変。総統官邸が爆破されヒトラー以下ナチス幹部が十把一絡げに暗殺される。ドイツ臨時政府が立ち、臨時政府首班にエルヴィン・ロンメルが就任。連合国に対し停戦を申し入れ。エルザス=ロートリンゲンからの撤退を開始。
  • 7月11日
 アメリカは「無条件降伏以外は認めない」旨の声明を出すも、「不当に国土と国権を占拠する不法集団」を除き暫定的に秩序を回復した者さえも殺めようとするのかと連合国から反発を受け、ドイツ皇帝ルイ・フェルディナント一世から「我が国の叛乱状態が自らの力によって鎮圧に向かっている以上、不法占拠者が降伏するのは自分であるべきであって他国に対してではない」旨の関係筋からの発言を受け、発言撤回に追い込まれる。
  • 7月15日
 アメリカ軍の本格的戦闘開始を前に、ドイツ臨時政府がドイツ皇帝に対する降伏とそれに伴う叛乱の収束を宣言。以降、事実上の戦争状態を終わらせるための交渉(具体的にはドイツ帝国を通じたドイツ叛乱勢力であるナチス・ドイツの侵攻に対する補償)へと舞台が移る。
  • 7月17日
 連合国がオランダ・ベルギー全土を回復。ドイツ本土に連合軍を伴って上陸したルイ・フェルディナント一世に対し、ドイツ臨時政府首班であるエルヴィン・ロンメルが改めて降伏を宣言し武装解除を行う。
  • 7月23日
 ポツダムに於いてナチス・ドイツとの交戦国と、統治を回復したドイツ帝国との間に、戦争状態の終結を目指すポツダム会談が持たれる。国境線に於いてはナチス・ドイツ政権が成立する前の状態に回復することが最初に決められたものの、激しい戦闘で政府が消滅したエルザス=ロートリンゲンを巡り、自らの統治下に置きたいフランスと、何らかの緩衝国を置いておきたいドイツとの間で紛糾。更に補償問題でも特に東欧諸国と揉め、更に動き出したばかりの戦時生産の勢いを保ちたいアメリカが首を突っ込んで事態をややこしくする。
  • 7月26日
 ドイツ帝国、アフリカ植民地をフランスに割譲し、大規模な軍縮を実施。国内に残存する兵器の内最低限を残した一切合財を現物賠償として譲渡し、主に連合軍と遣り合って破壊された国内インフラの復興に、アメリカから借款を受けて将来利子付で返すことでその利子分を賠償とする内容で、一応の講和条約を締結。交戦国と共に講和が成ったことを発表(ポツダム宣言)。これにより、第二次世界大戦の前半戦とも言える、1939年から1941年までの三年弱戦われた「三年戦争」が終結する。
 しかしながら著しく低下した軍事力は、第一次世界大戦以来の仇敵であり、経済的に上手く行かず、アメリカ参戦の出汁にされて存在感の低下が著しく、その上イスパニア内戦での行いから連合国からは常に疎外感を感じているフランスからすると、格好の獲物としか映っていないのは明らかだった。しかもナチスに煽動され無様に瓦解したドイツ国民には、帝室が残存しているとは言え、今更帝室に阿っても居心地の悪い思いをせざるを得ず、最早合わせる顔も無いといった風体から、逆に統治者と非統治者との間に隙間風が吹く様になる。また、周辺諸国との間にも安易な煽動に乗って戦禍を撒き散らしたことから、第一次世界大戦以来の民族意識の高まりから来る対立的意識が醸成される。
 統治者(王室)不在となったエルザス=ロートリンゲン王国は、ナチス・ドイツに一時占領されたルクセンブルク大公国に合同し、ルクセンブルク、エルザス、ロートリンゲンの三大公国を包括する永世中立国「ルクセンブルク=エルザス=ロートリンゲン王国」が新たに建国。領土化を目論み自国への併合論を唱えていたフランスの意見は退けられた。
 尚、秘密条項として、支那事変で更に進行していた支那大陸各地の租界の要塞化と利権の切り売りは、抜け駆けによって他国を出し抜いたり、現地への大規模な進駐でもしない限りは暗黙の了解として黙認することが決定された他、支那大陸への一定以上の航続距離と搭載量を持つ爆撃機の輸出も禁じられた。
  • 8月
 本格的参戦直後に停戦・講和が発効したことにより、アメリカの軍需産業の株価は急落。既存計画分の内、艦艇については既存艦艇の更新という形で計画分の全ての建造が認められたものの、陸軍の動員は解除され、新型長距離爆撃機の生産は常識的な範囲に大幅に縮小される。この為、アメリカは倉庫でダブついた余剰兵器に関して、ソ連と、混迷を極める支那大陸の軍閥に売却することを決定。これに加え、国内軽工業の衰退に伴う代替的軽工業地帯をアメリカ経済が欲していたこともあり、軽工業設備それ自体が輸出されることに。またその陰で、対ナチス・ドイツ戦で多大な援助をアメリカから受けたフランスも、事実上アメリカ経済の軍門に下ったも同然の状態に陥る(代表例として、戦中にアメリカへ発注した艦艇の数々について、フランスはキャンセルを認められなかった)。
  • 9月
 アメリカ、レフ・トロツキー政権下のソ連を「秩序を回復し、専制主義を打倒し人民によって選ばれた正義の政府」の統治下にある国家とし、支那大陸には「混迷を極め困窮する人民に自衛力を与え、秩序と安寧を齎すため」として、武器売買契約を締結したことを宣言。
 大日本帝國、欧州からの艦隊引き揚げを決定。航空艦隊に関しても連合軍の回復を待って順次撤退へ。・11月
 対ナチス・ドイツ戦に備えて計画された軍備に加え、嘗ての軍縮条約時代の主力艦が更新時期に来ていることや、技術革新に伴う戦力の拡大(特に日本での旧式艦の徹底改装による再戦力化)から、対ナチス・ドイツ戦の終了に託けた軍備縮小会議の必要性を、各国の有識者が連名で唱えるも、それぞれの参戦経緯や戦場での行い、政府間での講和とは別に存在する国民感情から、潜在的に対立が残る各国の大多数の国民からは、戦争それ自体には否でも戦争を吹っ掛けられることを警戒した自存自衛意識の方が勝ったため、支持を得られず。総力戦体制こそ発動されないものの、少なくとも戦中に発動された軍備計画の大半は、進行速度を低下させながらも継続が是認される。
  • 12月16日
 日本海軍、大和級戦艦1番艦「大和」竣工。

皇紀2602(昭和17/西暦1942)年
  • 1月
 ソ連はスターリン政権下の重工業偏重路線を改め、農工業全般の均衡性を重視した成長戦略を策定。トロツキー政権を擁立した軍部自身が「富国強兵」路線を支持し、軍縮が進行する一方、長大な国境線を接する日本を鏡とした火力密度の向上へと特化していく。
  • 2月
 ルクセンブルク=エルザス=ロートリンゲン王国、シャルロット・アルデゴンド・エリザベート・マリー・ウィルエルミーヌが女王として即位し成立。豊富な鉄鉱石と石炭の産地を丸々抱え込む、ヨーロッパでも有数の工業・資源国に。政情の安定しないドイツと今一信用ならない人民戦線内閣が存続するフランスに挟まれるベネルクス三国は、関税同盟を結成する。
  • 4月
 大日本帝國、陸海軍の航空部隊を改組し空軍を創設。防空及び長距離爆撃任務に特化するものとし、地上部隊の直掩は陸軍、艦載機部隊及び対潜哨戒は海軍に委ね、輸送機は其々の需要に合わせて各軍が必要数を調達し、それらの上に方面軍司令部を創設して統合運用に当たらせるものとした。
  • 6月26日
 フランスの膠州湾租借地に入港しようとしたアメリカからの貨物船を、南シナ海上で日本海軍が臨検。船内からポツダム宣言に於ける秘密条項に反する性能の爆撃機が分解状態で発見される。
  • 6月27日
 大日本帝國はアメリカに対しポツダム宣言秘密条項違反を抗議するも、ルーズヴェルト政権は秘密条項の存在を「公表されていないものの存在など与り知らぬ」として、自らも締結国の一つであるにも関わらず存在しないものとして黙殺。(一応)秘密条項となっているため、大日本帝國も公に強く攻撃することは出来ず。
  • 7月4日
 アメリカは独立記念日に於ける演説に於いて、「友好国との軍事的交流」としてフランス植民地であるインドシナから西回りに各地を「親善訪問」する艦隊の派遣を発表。更に米仏同盟の一環として、比較的周囲から孤立した立地にあるインドシナ地域防衛に寄与すべく、在仏印米軍の創設をも視野に入れていることを仄めかす。ポツダム宣言ではインドシナ地域は支那大陸には含まれていなかったため、ポツダム宣言を理由としてアメリカを掣肘することも出来ず。大日本帝國では「白色米帝艦隊(グレート・ホワイト・フリート)の再現か」と警戒感が一気に上昇する。
  • 7月29日
 アメリカ陸軍航空隊が仏印・サイゴンに進出。
  • 8月1日
 アメリカは対日輸出を停止。
  • 8月5日
 日本海軍、大和級戦艦2番艦「武蔵」竣工。
  • 10月30日
 第二次上海事変。日本海軍が臨検を行おうとしたアメリカ船籍の貨物船が上海港で座礁。乗船を試みた日本海軍兵と銃撃戦の末、貨物船が爆沈。残骸から大型爆撃機用の航空爆弾が積載されていたものと推測され、アメリカのポツダム宣言違反が強く疑われたものの、アメリカは日本によって不当に座礁させられ撃沈されたと言い張り、両国の関係は急速に悪化していく。
  • 11月10日
 日米交渉開始。二度の臨検に於けるアメリカの不正輸出疑惑に対する調査結果の積み上げと追及、仏印への米軍駐留の撤回を求めるも、アメリカは「ポツダム宣言秘密条項など存在しない」「仏印派兵は米仏両国間の合意事項であって他国に対し何ら軍事的脅威を与えるほどのものでもなく、日本は過剰反応している」等、交渉を持つことそれ自体に積極的かつ真摯ではなかった。更に三年戦争中に計画・生産された武器を中心とした対仏ソ輸出による戦後の一時的な経済の躓きからの回復が、実際の所は三年戦争中の契約の履行を隠れ蓑にしたアメリカ自身の軍備拡張によるものであり、アメリカが日本との戦争を準備していることは、日本も含む諸外国も薄々勘付いており、それ故に尚のこと互いを頑なにしているのも交渉不成立の原因だった。
  • 11月26日
 大日本帝國の「対中輸出に於けるポツダム宣言秘密条項の誠実な履行」「仏印からの撤退」「これらを実行した上での正常な貿易関係の再開」を骨子とした最終案に対し、アメリカは「満州国の市場開放」「支那大陸の市場開放」「太平洋上に於ける航路解放」「太平洋に於ける軍縮」を骨子とする最終案(ハル・ノートと呼ばれる)を手交。更に在仏印米軍に旧式戦艦から成るアジア艦隊を編成・追加派兵した為、日米交渉は事実上物別れに終わる。
  • 11月29日
 日本海軍は、アメリカ合衆国を徒に刺激することを避けるために連合艦隊の下に方面艦隊を組織する形式を敷いていた太平洋方面の表面的平時哨戒体制を解き、連合艦隊の下に決戦型の部隊を組織する戦時体制への完全移行を決定。各地に分散配置している主力艦の集結を始める。
  • 12月1日
 日本海軍、大型爆撃機用航空爆弾を満載した膠州湾行のアメリカ船を拿捕。アメリカは大日本帝國に対し猛烈に抗議。日本もアメリカの不実を痛罵し両者は完全に決裂。
  • 12月8日(日本時間)
 アメリカ合衆国は「度重なる日本の悪意ある行為」によって「アメリカ国民が犠牲」となり「交渉に於いて誠実な態度どころか痛罵した」ことを以て「アメリカの正義を示し政治的後進国である日本を民主化するため」、アメリカ・ワシントン時間12月7日16時を以て宣戦を布告。太平洋戦争勃発。

最終更新:2014年05月25日 14:41