希望崎学園落語研究会会長、蟹田正継が鬼遊戯大会に参加する事になった時の経緯を語ることにしよう。
その時の事を語るには鬼遊戯大会開催一月前に遡らなければならないだろう。
鬼遊戯大会開催前の2018年1月、当時学内は『鬼の哄笑』により大荒れに荒れていた。
事件は様々な憶測が呼び、ついには『連合間紛争』と呼ばれる一大事件が発生してしまう。
団結して生徒会に立ち向かわなければならない同志であったはずの部活連合は血で血を洗う様相を見せ始めていた頃だった。
また鬼遊戯大会を目前にして他のライバルとなるであろう部活を叩きつぶそうという輩が出ることも必然であっただろう。
そう、落語研究会は窮地に立たされてたのだ。
「や、やめたまえ!こんな事をしても意味が無い、佐藤二郎先輩はこんなことを望んでいない!」
そう訴えるのは落語研究会二年の堺未来生。彼の後ろには数人の男女、つまり落語研究会の後輩。
そして彼らを取り囲むのは大勢の男、男、男―――男の群れ。
男たちはみな一様に逞しく、筋骨隆々としている。まさしくジョックと呼ばれる類の人種。
ジョック達は堺の訴えを聞くや否や大声で笑い出す。
「ハッハッハッハ!!佐藤二郎だって~~~~っ?そんな奴関係ないね!」
「俺達はあのクソみたいな奴がいなくなってむしろせいせいしてるんだ、ようやく本当の俺達らしい事ができるってね!!」
そう、学園の上位カーストであるジョックにとって佐藤二郎は目の上のたんこぶもいいところだったのだ。
佐藤二郎による統制が乱れた今、ジョックは本能のおもむくままに下位カーストを虐げようするのも必然であろう。
「クッ……やはり、魔人ラグビー部。我々とは対話が出来ないということか」
堺未来生は覚悟を決め、扇子を握り魔人能力を発動させようとする。
堺未来生の持つ魔人能力は『在らざるものは此処に在り』。
落語家は扇子を他の道具に見立てて噺を表現する、この能力はそうして見立てた道具を具現化するのだ。
発動すればこの場にいるジョック達の何人かを道連れにすることも可能だろう。
しかし、それは叶わない。一人の男がジョックの海を割って現れたからだ。
その男の名は葛原王理。
希望崎学園魔人ラグビー部のエースにして部長。
爽やかな甘いマスクと高い身長、逞しい肉体がそれぞれ主張しつつも調和した美しさがある。
さながらギリシャ彫刻が命を吹き込まれて動き出したかのようと形容されることもある。
「ハハハ、無駄なことはやめた方がいい。死にたくなければな」
男の発する圧倒的ジョックオーラにより堺未来生の足が竦む、対峙した瞬間に理解する恐怖。
「な、なんで貴方がこんな所に……葛原王理!!」
堺がその言葉を口にした瞬間、堺の体が中空を舞った。
この場にいた誰もが理解できなかった。
中空を舞った堺、堺の後ろで怯えている落語研究会の後輩達、取り囲んでいるジョック達すらも。
「誰が僕の名前を呼び捨てにしていいといった。……下郎が」
腕をアッパーカットの形で振り上げている葛原。
葛原が堺を殴り上げたのだ。誰の目にも留まらぬ圧倒的超スピード。
音速を超える超音速によって繰り出されるアッパーカットにより堺の下顎は粉々に砕かれていた。
(……な、何が起こったんだ!? 何も見えなかった)
堺は砕かれた顎の激痛と突然の出来事に思考を乱されつつも思考する。
堺は運動能力に自信があるわけではない。しかし、落語家としての目があるが故にその事象に困惑する。
(僕の目を持ってしても見えなかったなんて……どういうことだ!?)
落語家は万物を『語り』と『演技』によって表現すると言われており、そのためには物事の本質を見抜き理解するしなければならないのだ。
つまり落語家は常人よりもはるかに優れた観察眼を持たねば末席に連ねることすら不可能、落語家は『噺家』とは違うのだ。
末席すらコンマ一秒で二十桁の数字を理解することは容易とも言われているほどである。
その堺の目を持ってしても理解することはおろか、目にも留まることすら許さぬ葛原の一撃。
己の目が優れており、それを自負しているからこそ困惑せざるを得ない。
そして、心が折れるのも当然とも言える。
「……ア、アァ」
堺は砕かれた顎で、怯えている落語研究会の後輩に逃げるように口を動かそうとする。
されど口から漏れるは意味を持たない呻き。後輩達はその姿に恐怖して動くことすらままならない。
その哀れな姿を見てジョック達は堺達を嘲笑する。
「ハッハッハッハッハ!! 葛原様、如何されますか?」
「フン、徹底的にして構わない。放置していても鬼遊戯には支障はないだろうがうろつかれると目障りだからな」
「……ほう、徹底的にやっていいので?」
ジョックが下卑た笑みを葛原に向ける。
「構わん、だが……」
ジョックに向かって葛原は頷くように答え、一度言葉を切った。
そして、ジョックオーラを込めて次の言葉を口にする。
「由緒正しい魔人ラグビー部の名が傷つかないように気を付けろ。万が一があれば……分かるな?」
「は、はい……ッ!!」
その言葉に恐怖しながらもジョック達は顔に笑みを形作る。
この後に行う行為への期待、得られるであろう満足感に胸を踊らせながら。
(す、すみません……会長、留守を守るつもりでしたが……)
堺は薄れゆく視界の中で後輩達の怯える声が、叫びが耳に届く。
自らの無力さを心中で嘆き、絶望で胸を満たし始める時に―――その声を聞いた。
「あらら~、なにやら楽しそうな事になってますねぇ」
その声はこの場に似つかわしくない、とても軽いものだった。
例えるならば、友人との雑談中に語りかけてくるような軽薄さ。
されどその声はここにいる者、落語研究会の人間ならば聞いたことのある声。
「ちょっくら、あたしも混ぜて貰っても構いませんかね?」
―――その声の主こそ希望崎学園落語研究会会長、蟹田正継である。