水星VSヴェータ

渡り廊下その1、通称右側。
踊り場から繋がるその長い通路に向かう者が一人。
水星だ。
全身を覆い隠す漆黒のコートを羽織った彼女は、鈍重とも言える重い足取りで一歩。そしてまた一歩と踏み出していく。すぅーっと浅く息を吐く彼女の表情は緊張しているのか強張っている。
渡り廊下の入り口、そこに辿り着く最後の一歩を踏みしめた後、水星は正面を見据える。
戦闘開始の刻限まで後少し。
競技かるた部1年、ヴェータ。水星が約束をしていた相手は果たして決闘に現れたのだろうか。

居た。

競技かるた部の勝負服(ユニフォーム)なのか、着物を羽織り毅然として向かいの入り口に正座している。
超長距離射撃体勢《正座》――これこそ、己がポテンシャルの最大値を引き出す為の日本古来の伝統的体勢。
一切揺らぎもしないその長身は古来より大地に根付いた巨木を連想させ、日本の文化に馴染みが薄い水星でさえ、はっと息を呑むような美しさがあった。
少しでも多くの情報を読み取ろうする水星の視線に対し、瞑想をしているのかヴェータの瞳は閉じられていた。

戦闘開始まであと一分。
渡り廊下中央の時計から、時を刻む針の音だけが響き。
そして。
戦闘開始の合図を告げるチャイムが校舎全体に鳴り響いた。

刹那、カッと見開かれるヴェータの力強い瞳。
いずれ音速を超える逸材と評されたのは伊達ではない。先手は無論、彼が取った。
しなるように長い腕が唸り、前方に置かれたカルタの一枚を弾く。
鞭で叩くような音を残し、カルタが弾かれる。いや、もはや射出されたと言っても良い速度だ。
更に如何なる妙技か、カルタには回転が加わっている。豪速で飛ぶカルタはまるでライフル弾の様であった。

迫るカルタに相対する水星は渡り廊下を駆ける。
少しでも近くに。鎖の射程圏内に敵を収めるため。前傾姿勢で駆け抜ける。
一直線で駆け抜ける水星に、飛来するカルタは。

水星に当たることなく、横を通り抜けた。

水星は回避行動をしていない。首を曲げることすらなく、ただ真っ直ぐに走っていただけだ。
ならばヴェータの狙いが外れていたのか? 遠距離射撃体勢を維持している彼が狙撃に失敗することがあるとでも?

――否。否否、断じて否。競技かるた部を見くびる事なかれ。

彼の狙いはカルタを敵に命中させることではない。もっと別の目的がある。
それはカルタが通り過ぎた後、一瞬の間を置いて生まれる。

「ッ!?」

一言で言えば、豪風。
カルタが通った道筋を中心として渦巻く強風が水星を襲う。
超高速で放たれたカルタがこの風を引き起こしたのだ。そしてその銃身となったヴェータの腕前たるや如何程ばかりか。もはや魔人の域に到達していると言って過言ではあるまい。
水星は、足元をすくわれ後方に吹き飛ばされる。
これこそヴェータ流の”投げ“。前方から面攻撃となって襲い来る強風であるため防御など不可能だ。

しかし、水星もただ黙ってやられているばかりではない。
即座に体勢を立て直すと、右手を支点に鎖を回転させ、投擲。
蛇を模した鎖の先端、蛇の顎がヴェータ目掛けて飛ぶ。
だが、遠すぎる。長さが足りず途中で墜落する未来が幻視される。
――しかし、鎖は墜落など知らないかの如く伸びてひたすら前に進む。
コートの内側から伸びたそれは、正座したまま動かないヴェータへと向かう。
そう、コートの内側には大量の鎖が隠されていた。渡り廊下に到達するまでに歩みが遅かったのはその為である。ヴェータが長距離射撃を得意とするという情報を手に入れたが故の対策だ。
防御不可の攻撃がヴェータの鳩尾を狙い、直撃。

「……ッ!」

それでも彼は姿勢を崩さない。これを崩したが最後、自分のペースが崩れるとわかっているからだ。傷を負いながら、尚正座を崩さない彼の精神力は生半可なモノではないだろう。

そして二度目の、射撃。力強い音が響く。
強風に煽られ、水星は更に吹き飛ぶ。

「なるほど……まずはあの姿勢を崩さなければ攻略は難しそうですねっとォ!!」

故、水星が選択するのは――投げ。微動だにしないヴェータを鎖で絡め、引き寄せるように投げる。投げてしまえば強制的に体勢が崩れると考えたのだ。
しかし、水星の認識は甘かったと言わざるをえない。
ヴェータは投げられ鎖から解き放たれた瞬間、空中で受け身を取り着地と同時に正座をしていた。彼の体勢をそう簡単に崩すことなど出来ないのだ。

「なかなかやりますね……!」

水星は歯噛みする。恐らく正座を崩すことが出来なければ相手に有利を取られたまま、いずれ敗北するだろう。
現状、打開する案は浮かばないが何もしなければ削り殺される。
水星は敵の姿勢を崩すことは出来ないと知りつつも、投げや発勁を選択するしかなかった。
無駄だと分かっていながらも苦渋の選択を迫られている時点で、完全に相手の手中にある。
一方ヴェータは淡々とカルタを弾き飛ばす。しかし只真っ直ぐに飛ばしているだけではない。相手がどんな位置にいても吹き飛ばせるよう、時には前に放ったカルタによる暴風の余波すら利用して軌道を曲げて飛ばす。
彼は狙撃手。
弾速、風向、風力、ターゲットとの距離。これら総てを把握してこそ一流の狙撃手足り得る。そしてヴェータの空間把握能力、否、もはや空間支配能力と言っていいそれは充分以上の素質を持っていた。

「……では、これならどうです!」

都合五度目の攻防の後、水星は打開案を思いついたのか、投げ・発勁以外の第三の選択をする。
回避。
ヴェータがカルタを放つ前から回避行動に出た。先手を取られた驚きに、一瞬、ヴェータの瞳が揺らぐ。
そして、水星が取った行動は回避だけではない。回避と同時に鎖を飛ばす。真正面ではなく真横に。

「――ッ!?」

今度こそ、ヴェータの全身に動揺が走る。
渡り廊下側面の窓ガラスが割られたのだ。外からの風が入ってくる、あるいは中で暴れていた風が外に流れ出すことにより風向が、風力が乱れる。
よって、ヴェータの計算が狂う。それでも即座に計算しなおし、暴風を相手に当てようとしたのは流石というべきか。
しかし、先手を取られた動揺が思いの外響いたのか。それとも暴風を外さないようにすることにばかり意識が向かってしまったのか。あるいはその両方だったのかもしれない。
とにかく、水星の策略によりヴェータは致命的な失敗をすることなる。

――ヴェータは、体勢を崩してしまったのだ。

ヴェータの計算は精密過ぎたが故に、それを破られた時の綻びは大きかった。
姿勢を崩してまで当てようとしたカルタの暴風は水星を吹き飛ばすことに成功したが、不安定な体勢で放たれた分、威力は明らかに下がっていた。
続く水星の回避行動。
ヴェータの心に焦りが広がる。少なくとも攻撃だけは当てなければと逸るが、今度は無理な姿勢をしたせいで右足骨折が痛み出した。
「痛ッ!」
手元が狂い、あらぬ方向へとカルタが飛んで行く。当然、水星の回避は成功。

「どうやら、此処までのようですね。観念してくださいよ、ヴェータさんッ!!」

水星は一撃目に発勁、二撃目に投げを選択する。
最後のあがきとして、ヴェータはカルタを飛ばすがやはり威力が足りない。第一惑星を排除するには至らない。

鎖による投擲が見事に決まり、水星は勝利した。

【END】






最終更新:2015年04月25日 23:15