一条千冬の罪
私は、弱い。
私は、愚かだ。
私は、勇気の使い道を間違ってしまった。
私は、憧れの人を殺めてしまった。
だから、私は――――
◇◇◇
「ぅ……ぐ……」
もはや泣ける気力すら残っていない。
執拗に腹部を狙った蹴撃。下校時に脇道から現れた人影になんらかの薬品を嗅がされ、気がついた時にはこの暴行が始まっていた。
この暴力の嵐を止める条件は、暴力を振るっている男とそれを指示する女の二人との協力を受け入れることだという。こんな手を使ってまで協力を得たいと思う輩の企みなど碌なものではないはず。だから、私は最初拒絶した。次の瞬間、返答代わりに襲ってきたのはより鋭い蹴り。
繰り返される暴行に、私は次第に気力を保つことができなくなり、そして――
「分かりました……協力します」
私はあの時、悪魔に魂を売ってしまった。
悪魔はニヤリと笑う。その瞬間攻撃はぴたりと止まった。
よくぞ受け入れてくれたと心から歓迎するように拍手すら交えて、その悪魔は私に囁いた。
「水星を殺しなさい。どんな手を使ってもいい。その代わり、必ず殺すこと」
「水星さんを……? そんな、無理ですよ! 彼女は鬼遊戯大会に出るほどの実力なんですよ? 殺そうと思って殺せる相手じゃないです!」
「そうね。私のパンチを持ってしても殺せない。でも、これを使えばあなたならできるんじゃない?」
投げ渡されたのは、ガラス製の小瓶だ。中には透明な液体が入っている。
「これは……?」
「毒よ。半日たってようやく効いてくる遅効性の毒。即効性はないけど、却って足がつきにくくなって都合が良いんじゃない? 試合中に死んだとなれば、対戦相手のせいにも出来るしね」
「……分かりました」
ここで嫌だと言ってもまた暴力を振るわれるだけだ。ここは柔順に従う振りをして……と、その思考を読むかのように、女は絶望を叩きつけてきた。
「あぁ、この場をとりあえずやり過ごして水星を殺さないとか戯けたことは考えないように。期限は明後日。それまでに殺せなかったら、それなりの制裁は加えさせて貰うわ。水星は『準惑星』と『惑星』という絶対的な格の違いがあるから殺せないけど、一般人ならいくらでも殺せるの。そしてあなたの住所は既に把握済み。この意味、分かるわよね?」
「……ぁ……お父さん、お母さん……」
「理解してもらえたようで何より。あ、勿論誰かにこの事を話すのも無しよ? んじゃ、よろしくね」
手をひらひらと振って、女は立ち去る。男もそれに続くように去っていった。
残った私は身体を震わせて、しばらく動くことができなかった。
◇◇◇
翌日の早朝の作戦会議。
私達は天文学部の部室を作戦会議の場と決めていた。
入部届を出す前と同等の、いやそれ以上重い足取りで私は部室の前にようやく辿り着いた。
ここで、踏み出さなければ水星さんを殺さなくて済む。でも、家族が死んでしまう。どちらにせよ、私の大事な人は死んでしまうのだ。問題は、そのどちらかが大事かということ。それは昨日解放されてから、ずっと考えていたことだ。
そして私は、一歩踏み出す。扉に触れる。
そう、私は決意した。水星さんを殺すことで家族を守る。ただ憧れている”だけ“の人と家族では自分の中での重みが違う。やはり家族は大事なのだ。
この選択をするはずだと、あの悪魔のような女は分かっていたのだろう。だから、家族を引き合いに出したのだろう。悔しいが、あの女の判断は正しい。現に私は水星さんを殺そうとこの場に立っているのだから。
私は悲壮な覚悟を腕に込めて、扉を開けた。
「あ、おはよう千冬ちゃん」
「おはようございます。一条さん」
「……おはようございます」
まさか私が水星さんを殺そうとしているなんて、思いもよらないのだろう。柊先輩と水星さんは私を暖かく迎えてくれた。
「あれ、千冬ちゃん寝不足かな? 隈ができてるよ」
「あはは、昨日ちょっと夜更かしをしてしまいまして……」
本当は、怖くて眠れなかったのだ。この手で人を殺すことになるのがあまりに怖くて。
「もー。夜更かしはお肌の天敵だよ? 千冬ちゃん可愛いんだからそこらへん気をつけなよー」
そう言って、柊先輩は私の頬をむにむにと触ってくる。先輩も、水星さんも、私を受け入れてくれてる。そう実感するだけに今からやろうとしていることが恐ろしくて堪らない。私は今からこの平和な日常を壊してしまうのだ。
「水星さん、柊先輩、差し入れのりんごジュースです」
声が震えてしまうのをなんとか抑えながら、鞄から2つペットボトルを取り出す。
「わぁ、これ自家製?」
「はい。えと、親戚がりんご農家やってて大量に送られてくるんで、それをミキサーにかけて作りました」
「おー、ありがとうございます。これを糧に今日の試合頑張りますね」
「はい! 頑張ってください!」
我ながらよくもこんな白々しい台詞が吐けるな、と思う。水星さんに渡したペットボトルの中には、例の毒が入っている。
「早速飲んでみてもいいですか?」
「あ、はい。勿論、いいですよ!」
今飲んでもらえれば、丁度お昼すぎに毒が回ってくる。試合中に死ぬ形になるので、罪を試合の対戦相手になすりつけることが出来る。
水星さんはペットボトルに口をつけ、ごくりと飲んだ。
――あぁ、これで水星さんの死が確定してしまった。
即効性はないのだから、特に異変は生じないはずだが、なんとなく気になってしまって水星さんの方を見た。
「……ふむ」
水星さんは一口飲んでから、少し考えるように顎に手を当てていた。
「? ど、どうしましたか水星さん。美味しくなかったです?」
もしや、気づかれてしまったのだろうか。そう思って、動揺が言葉に表れてしまった。
「……なるほど。なるほど。いえ、美味しかったですよ。ありがとうございます」
何かを納得したように、二度頷いてからこちらを向いてお礼を言った。その不審な行動に少し疑問を持ったが、それについて考える暇もなく後ろから柊先輩が抱きついてきた。
「わっ!」
「うん、美味しかったよ! ありがとうね千冬ちゃん」
頭をわしわしと撫でられる。何も良いことなどしてないのに褒められて、罪悪感が湧きでた。いますぐこの場で泣きながら謝りたい衝動に駆られる。でも、それは許されない。誰かに話したら家族が殺されてしまう。
そんな複雑な思いを懐く表情を単に柊先輩の抱きつきに困ってると解釈したのか、水星さんが言う。
「こらこら、一条さんが困ってるじゃないですか先輩。そろそろ作戦会議の方始めましょうよ」
「はいはーい。千冬ちゃんも何か意見があったらどんどん言ってね」
「はいっ!」
先輩が椅子を引いてくれたので、私はそこに座る。
そして、作戦会議が始まった。
◇◇◇
「んー、そろそろ試合の準備しないとだね。大体纏まったし、ここらで作戦会議は終了としますかー」
柊先輩が、伸びをしながらそう言った。
「そうですね。では私は体育館の方に行きますので、先輩と一条さんは見学席の方へ、よろしくお願いします」
「うん、今日も頑張ってね! 応援してるから!」
「私も応援してます! 頑張ってください!」
「ありがとうございます。では」
言って、水星さんは歩き去ろうとする。私と水星さんがすれ違う形になる。
その刹那――ぽんと肩に手を置かれ、去り際に小声で囁かれた。
「……気に病む必要はありませんよ。一条さんは、悪くありません」
「え……?」
その言葉の真意を問いただそうとしたが、水星さんはすたすたと足早に去って行ってしまった。
まさか、気付かれていた……?
気付いた上で、総てを理解した上で、私を許すような言葉を残した……?
私は愕然とした。この場で糾弾されていた方がまだマシだっただろう。罪を懺悔することだってできた。けれど、私は許された。この罪悪感をどうしたら良い……?
無性に泣きたい気分になった。
その思いが表情に出てしまったのだろうか、柊先輩が心配そうに覗きこんでいた。
「どうしたの? 水星ならきっと大丈夫だよ。また活躍してくれるよ」
「あぁ、いえ。すみません。ちょっとお腹痛いのでトイレ行ってきていいですか? ……見学席には先に行っててもらって構いません」
「大丈夫? 無理せずゆっくりしていていいからね。千冬ちゃんがいない間は二人分応援しててあげるから」
「はい、ありがとうございます。では」
そのまま私は、走ってその場を立ち去った。
そして私は――――
【END】
最終更新:2016年10月16日 20:08