【Waiting for】

 Waiting for


 “彼女”のことか? ああ、知っている。
 そりゃそうさ。他に何にもなかったからな。


 「何にも」ってのは文字通りだ。まわり見りゃ想像つかないか? 今でもいろいろあるとはいいにくい状況だろ? 一応これから何かが生まれるだけのスペースはある。それが救いだな。
 最初からあったもんもあるよ。言葉だ。
 どんな言葉かは知らない。ただ言葉が何を作ったのかは分かってる。入れ物だ。あらたまった言葉を使うなら『境界』かな? 中にあるものと、外にあるものを区別する決まりごとだ。お前はこっち側、お前はあっち側。といってもけっこう頼りない代物だぜ。なにしろ基準が相当曖昧だ。
 『境界』はこう定めたのさ。「この内側に世界あれ」ってな。
 あんたが今目にしてる世界もそういう中身の一つさ。殺人事件の物語に、横にあるのはある豪華客船にまつわるエピソード。ここで重要なのはエピソードってところだな。挿話って意味だ。但し書きやおまけみたいなニュアンス。全体が見て取れるわけじゃなくて、部分を取り上げたものなんだ。そこがすごく大事なんだ。
 分かりにくいか? だろな。色々説明できなくもないが、いいたとえを中々思いつかない。いっつもそうなんだ。そういう時俺は“彼女”の話をすることにしてる。あんたもそれが聞きたくてここに来たんだろう? 違うかい?


 “彼女”は突然やってきた。
 ま、ここじゃなんでも突然だがな。因果関係ってもんが今のところないんだ。何かが理由もなく起こるし、どうなるかは適当に決まっていてルールが無い。曖昧だ。だからその辺にいきなり扉みたいなものが開いて“彼女”が姿を現したときも、そういうもんなのかと思って見てたな。
 眼鏡をかけてた。本を持ってて、そいつは時々何かしゃべりそうになってた。言葉になってなかったよ。まだしゃべり方を知らなかったんだろうな。“彼女”もそんな感じだった。口調が一定してなくてな。挨拶を交わしてるうちに分かったよ。頭を下げるからこっちも礼を返して、その辺に座らせた。ここの一応地面みたいな形してるもんはそのとき生まれたんだ。椅子も生まれりゃよかったのにな。
 転がっている世界を指差して“彼女”は聞いたのさ。「それはなんですか」ってな。
 「さあな」と俺は答えた。つっけんどん過ぎたから、世界だと思うって付け加えて。
 すると“彼女”はそれを拾い上げて、懐から鍵を取り出して突っ込んだ。
 拾い上げたってのは比喩だな。とにかく何らかの形で接触したんだ。で、鍵でもってこじ開けた。どんな世界にも必ずあるもの、『境界』をな。必ずってのは間違いかもな。どこまでも際限なく広がっていくやつもあるかもな。でもここにはそういうのは無いんだ。有限なものしか居られないんだよ。
 でまあ“彼女”は世界の中に入っていった。しばらくすると帰ってきて、本を開いて何事か記録して、今度はもう一個の世界に鍵を差し込んだ。今度は時間はかからなかった。戻ってきて「他にこういうのはないですか」と聞くからいいえと答えてやった。実を言えばここの細かい規則を記したガイドブックみたいなもんがあったりするし、とてもよくできてるんだが、ありゃべつに世界じゃないからな。
 すると“彼女”はしばらく黙って、周りを眺め回して、「あなたは誰ですか」と聞いてきた。
 そんなもん俺が聞きたかった。特に話せることもないしな。ここにいて、ここの事を見てるってだけだ。何にも確かな事が分からない。だから答える代わりに聞き返した。「お前こそ何もんだ」ってな。
「世界を旅して回っています」
 “彼女”はそう答えたよ。
 じゃああんたが今まで見てきた世界の話をしてくれよ。そう聞くと“彼女”はさびしそうに笑ったな。「まだ行ってないんです」だと。
 なんのこっちゃと思ったけど、それでもすぐに分かったよ。“彼女”も俺と同じで、他はこれから決まっていくんだって事が。


 いいたとえが一つ見つかったし、“彼女”のことにもつながるからすこし説明させてくれ。部分と全体の関係について。
 名探偵っているだろ? あれ。あれと対になるものがあるって言ったら分かるか? そう、名探偵には事件がつきもの、事件にあわない探偵なんてただの無駄飯喰らいだ。だから、名探偵が居るとなると、その周りでは事件が起きることになる。名探偵が部分で、事件が全体だ。支えあってるのさ。事件が名探偵を作るし、名探偵は事件を要求するってな具合に。
 “彼女”も同じことさ。
 “彼女”は世界を旅する少女。ってことは、訪れるための世界が必要だってことだ。訪れる先がないと“彼女”も存在できない。逆に、これまでにこういう世界を訪れたんだと“彼女”が言い出せば、行ったことのある世界だって作らないといけない。一つ決まれば、それを足がかりにどんどん他の物事が決まっていくわけさ。
 「決まっていく」というと自動的みたいだな。実際は違う。誰かが作るんだ。上手く出来ることもあるし、つながらないことだってあるだろう。破綻することだって珍しくないだろうな。そんな簡単に作れるもんじゃないってのは俺でもわかる。簡単に出来上がるもんなら、ここがこんなにがらんとしてるわけがないからな。
 だから“彼女”は行くところに困った。困ったあげくここにたどり着いた。まだ何にもない、世界が転がってるだけの世界へ。
「かわいそうな話だな」
 そう言ってやると“彼女”は驚いてた。何が? ってな具合に。もう一つかわいそうなことがあったってわけだ。それ以上突っ込むのは気がとがめたけれど、他に何にもなかったから間が持たなかった。そしたら“彼女”は立ち上がって、鍵を掲げてその辺を探った。
「どこへ行くんだ」
「元居た場所へ」
 どこなのかはさすがに聞けなかったな。とにかく“彼女”は扉を開けた。そんで、ここからいなくなった。


 “彼女”の話はこれで終わりで、ここからは俺の話だ。少し付き合ってもらうぜ。なに、すぐ終わるさ。
 “彼女”と出会った後、俺は色々考えた。俺やこの場所は一体なんなのか、何をすればいいのかってな。
 「世界があります」って他には何も決まってない。それがここの全てだ。そして俺はここを見てる。出来ることは一つしかないじゃないか。
 俺も世界を作ればいい。
 どうすればいいのかは分からない。なにしろ何にも決まってない。設計図でも引くべきなのか? それともとにかく手を動かせばいいのか? 少し迷って、結局やってから考えることにしたよ。ここは少々がらんとしすぎてるから。
 上手くいったかって? そりゃあんたが判断することだ。
 なにしろこれがそうなんだからな。
 作ってみて改めて実感した。世界ってのは簡単に組み立てられるもんじゃない。骨組みしかなくて、不恰好で、あちこち欠けていて、贔屓目にみても破綻してるようなもんをこしらえるのがせいぜいだ。これにしたってけっこうがんばったんだぜ?
 でまあ作って、ここに転がってる世界のとなりに並べてみて分かったことがある。ここには俺以外がいるんだってことが。
 曖昧さ。姿も見えない。聞こえるのは言葉だけ。それでも確かに居るんだ。居て、ここを眺めてる。たまに世界を作って転がしたりする。気に入ったものがあれば拾い上げて、自分なりに弄り回す。勝手にやるのはご法度らしい。ここそのものを整備しようとしてる奴らもいる。そのうち住みよくなるだろな。
 そして皆、何かを待ってる。
 他の連中が何を待ってるのかは知らないよ。俺が待ってるのは“彼女”だ。“彼女”がやってきて、ここに集まったいくつもの世界を目にするそのときを待ってる。気に入ってもらえるかもしれないし、顔をしかめておしまいかもしれない。どっちにしてもさぞや気分がいいだろな。言ってみれば、俺は世界を作る事で、“彼女”をも作っているわけだから。悪くないじゃないか。
 俺はもう一つか二つこしらえようと思ってる。あんたがこれからどうするか――それはあんたが決めるといい。
 仲良くやろうぜ。

終わり

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最終更新:2010年04月09日 23:09
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