【与一 前】

 与一


 男は生前の名を那須与一といった。
 死んだとき、与一は極楽から仏が迎えに来たのを確かに見たと思った。なにしろ身体から何から金色に光っており、浮いており、加えて周りの人間には見えていない様子だったからである。
 実を言えば違和感もしっかり覚えていて、たとえばそれは仏様はずいぶんがっちり着込んでるものなのだなという思いであったりした。これではまるで鎧ではないか。おまけに槍まで持って。仏様には羽が生えているものなのかどうか、目の色は青だったのかなどと思い悩んでいるうちに、与一の魂は導かれ、あの世へとたどり着いていた。
 あの世は、与一が想像していたものとずいぶん異なっていた。
 三途の川も閻魔様も蓮の池もなし。そこは宮殿だった。何もかもが金色に輝いていて、狼と鷲がうろついていた。時折猛々しいうなり声が響き渡り、なにやら鋼がぶつかり合うような音がそれに混じる。だれかが戦っているらしい。そう与一は悟った。
 何か間違った場所につれてこられたのではないか。そう聞き返そうとして、与一は自分をここに連れてきた仏らしき女に声をかけようとした。だが仏らしき女は黙って与一の手を引き、宮殿の中へずいずいと入っていく。なにやら豪華な装飾の扉を押し開けると、与一は部屋の真ん中へ押しやられた。
 大勢の目が与一を迎えた。さまざまな姿の、さまざまな武器を携えて、そしていずれも戦士だった。いぶかしげに杯を下ろし、食いかけの肉を投げ捨て、戦士たちは皆腰の武器に手をかけた。殺気が部屋に満ちた。
 なんとあの世でまた死ぬことになるとは。与一は驚き、嘆いた。そういえば修羅道というものがあり、そこではひたすらに戦い続けることになるらしいが、ここがそうなのではなかろうか。たくさん殺してきたことの報いか。与一はため息をついた。極楽はやはり無理だったか。
 戦おうにも武器は無い。周りをぐるりと囲まれて、仕方なく拳を握りしめていると、何かが放り投げられた。与一は思わず手を伸ばして受け取った。
 弓であった。ぽかんとしていると、ついで矢筒が渡された。男たちの殺気が緩んだ。
「あー」
「弓か」
「部屋の中じゃなー」
「分が悪かろう」
「そんなのに勝ってもしょうがねえや」
「あとで外行ってやろうぜ」
 口々にいいかわす戦士たちの顔に浮かんでいるのは、なぜか親しげな笑みであった。与一が首をひねっていると、戦士たちを押し分けて一人の男が姿を現した。男の姿を目にするや、戦士たちは皆膝をついた。
「よう新入り。歓迎するぜ」
 堂々たる体躯、隻眼に閃くのは不敵な眼光、一本の槍を突いた老人は、両肩にカラスを止まらせていた。
「ようこそヴァルハラへ。新たな戦士よ、せいぜい楽しむといい」
 老人の言葉に、戦士たちの爆発的な歓声が続いた。
 与一ははあ、とあいまいに答えて頭を垂れた。どうにもよくわからないところへつれてこられたと悟ったからである。


 食う寝る戦う。それが全て。
 そう教えてくれたのは、なんともったいなくも源九朗義経その人だった。思わずかしこまった与一に、義経はいいからいいからと料理を勧めた。
「『名誉ある戦士の楽園』だとさ。お前が最初に会った『おうでん』ってあの片目な、あの神様だか仏様だかに仕えて戦うのが仕事だ。なんでも訓練なんだとさ。本番がいつ来るのかは知らんが」
 巨大な卓の端で焼き魚を頬張り、義経は骨を吐き出すと酒をあおった。
 卓には大勢の男たちがつき、料理に手を伸ばしている。日の本の人間が大半だが、中には金髪や黒い肌の人間も居て、そういうものたちは出される料理を興味深そうにつついている。人間の形をしていないものもいて、遠巻きにされながらなにやらうごめき、それぞれのやり方で飲み食いしている。鬼が一体、一抱えはあろうかという杯を干して、周りからやんややんやの喝采を浴びた。
 与一もまた酒を飲み、その旨さに驚嘆した。出家が長く、酒を味わうのは久しぶりだったからである。なれぬ味わいではあったが、それを補って余りある美酒であった。
 だが与一の憂いは消えない。どうしても気になるところがあったのである。
「義経様、一つ分からないことがあるのですが」
「あ?」
「どうして某はこんなところに?」
「不満か」
「いや、地獄か極楽のどっちかに行くのだろうと思っておりました」
「いわれてみればそうだな。神様の考えることはさっぱりだ」
 傍らに控える割烹着のヴァルキュリアから白米の大盛りを受け取ると、義経はわき目も振らずかっこみ始めた。
 与一はどちらかといえば、自分の事を戦好きではないとみなしていた。
 確かに弓は好いている。だがそれだけである。戦いが弓の道具であることは間違いないだろうが、戦いに赴いたのは他に食う方法がなかったからであって、弓が理由ではない。ここに集うものたちとはそこが異なる。
 なにより大した功績があるわけでもない。大勢の名高い戦士たちに引き合わされて、与一はそれを実感した。
「馬鹿な。与一殿は我らの立てた扇をきっちり射落されたではないですか」
 なんとなく与一が不安をぶちまけると、やおら立ち上がる男があった。
「まさに古今に比類なき射手。何も恥じることはありませんぞ」
 腕を打ち振るのはかつての怨敵、門脇宰相、平教盛であった。平家一門をはじめとする大勢がそれに賛同した。与一が扇を射落としたことは後の世で伝説化している。日の本を代表する弓取りである。与一は口々にそう聞かされた。
「だいたい某がここに来ているのに与一殿がダメとあっては、『ばるきりあ』たちの見る目がないということにもなりましょう」
「実際無いのかもな。お前が来たときにも思ったわ」
「何だと!」
 義経の言葉に教盛は血相を変えた。
 たちまち場は騒然となり、その日戦う理由も同時に決まった。何しろ訳があろうとなかろうと『ばるはら』の住人たちは戦うのだが、あればあったで張り合いが違うのである。戦士たちは旨い飯を食い、どうでもいい事で喧嘩し、血みどろの戦いを繰り広げて疲れ果て、眠る。与一は始まったバカ騒ぎに押し流されるようにして一日を終えた。


 なぜヴァルハラなのか。
 与一の疑問はなかなかぬぐえない。だがどこで答えが得られるかといえば、これまたなかなか難しい問題だった。
 まずは、とばかりに与一は自分をヴァルハラへ伴ったヴァルキリアを探した。すぐさま見つかったが、そこから事態が進展するにはしばらくかかった。ヴァルキリアは全く言葉を発しなかったからである。
 言葉のみならず自我もない様子であった。
 ヴァルキリアたちは戦士たちにかいがいしく仕え、その仕事は武器の手入れや給仕、果ては夜伽にまで及んでいたが、言いつけられない限り何もしようとはない。時折思い出したように武具をまとって飛び立ち、帰ってくると戦士の魂を伴っている。戦士がある程度増えるたびにあたらしいヴァルキリアが補充されているらしいが、どこから増えているのかはなんと大神その人すら知らないという有様らしい。
「実を言うとわしもあいつらの事はよく分からんのじゃ」
 オーディンは呵呵大笑する。
「ここを作ったとき、自然とその辺から沸いて出た。ここの一部みたいなもんじゃ。綺麗だからいいじゃろ」
 あまりな言葉に与一はたじろいだが、退くことはしなかった。
「ではコレはなんなのですかと」
 与一は一冊の本を突きつけた。ヴァルハラにも書物を集めた部屋があり、与一の予想に反して多くの戦士がそこに入り浸っていた。粛々とした雰囲気の中、ふと思い立って習慣であった写経をしていたとき、なんとなく目に止まったものである。題は「ニーベルングの指輪」。
「ここに書いてあるヴァルキリアどのはしゃべっております。心もあります。そういうふうになることはないのですか」
「よそのはな。ここのは違う。それだけじゃ」
「よそ、とは」
「わしが知っているだけでもヴァルハラはここ以外に三つある」
 オーディンはこともなげに言う。
「そのどこにもヴァルキリアがおって、お前たちのような勇者の魂を拾ってくる。ヴァルキリアにはそれぞれ好みがあるらしくてな。あるヴァルハラで拾われなかった魂がここに導かれることだってあるし、逆もまた然り。どこが勇者なのか全く分からんようなもんをつれてくることもある」
 だからな、とオーディンは与一の肩を掴んだ。途方もない強力が与一を捕らえ、隻眼が真正面から覗き込んで破顔した。
「どうしてここに来たのかなんて詮無い話じゃ。忘れい」
 そういわれてしまっては否も応もなく、与一はすごすごと退散した。


「ははあ、それはまた。大神はとんでもない事をさらっとおっしゃいますねえ」
「もう某はどうしていいのか分からない」
「そうですねえ」
 廊下をそぞろ歩きながら、与一は愚痴をこぼしていた。こぼされている側のイプシロンはうんうんとうなずき、柔和な笑顔を崩さない。それ以外の表情が存在しないのだと陰口を叩かれているのを、与一は耳にしたことがある。
「まだましなほうじゃないですか。僕なんて同位体がここにつれてこられたことありますよ」
「同位、たい?」
「要するに僕の複製です。どうもOSのヴァージョンが違うと別個体だとみなされるみたいで。意識はずっと連続してるんですけどね。びっくりしましたよ。急に自分と引き合わされてお前ら仲良くしろよって言われて」
「むちゃな……」
「実はこの話には続きがありましてね。僕と同じような目に合わされている人がいるんです。それもけっこうな数。僕は機械ですから自我が曖昧ですけど、人間の場合は大騒ぎになるみたいですね。与一さんが来るちょっと前にもサラディンさんその4ぐらいが連れてこられてましたよ。サラディンさんその2に決闘で負けて消滅してましたけど。2号さんもけっこう長いこと防衛してますよね」
 あっけらかんとむちゃくちゃを言う。与一はこめかみを揉み解した。『ばるはら』は全く不思議な場所であり、イプシロンはそのなかでも群を抜いて変わっている。与一は改めてその事を実感した。
 イプシロンは人の形を取ってはいるが、実態は人ではない。「イプシロン・エリダニ防衛艦隊の艦載AI群による複合意識です」とい自己紹介で相手の気勢を削いだ後に、「船のお化けみたいなもんです」と続けるのがイプシロンのやり方である。とぼけた物言いを侮るものも多いが、そういう者たちは戦いにおいてイプシロンが繰り出してくる武器に度肝を抜かれて評価を改める。イプシロンが戦うときには、天のそのまた向こうに遊弋しているという船から大地に向かって光の矢が突き立てられ、爆風で全てがなぎ倒された後に鋼鉄の巨人たちが降り立って蹂躙する。ヴァルハラにおいてはしばしば即席の軍団が結成されて互いに争うが、イプシロンはただ一体で軍団級の戦力とみなされており、実際軍団そのものであるから、なにかと規格外である。本人も言うとおり人間ではないのだが、とにかく勇壮に戦って名を残しさえすればヴァルハラにつれてこられてしまうものであるらしい。
「まあですから、与一さんもあんまり気にしないほうがいいんじゃないですか。ここ割りと何でもありですよ。どうしても気が晴れないなら写経付き合いますよ?」
 イプシロンの趣味は写経と読経であり、与一と知り合ったのもその縁である。
 だが与一はイプシロンの申し出を断り、射撃場へと向かった。気を晴らすのには弓しかない。そう考えてのことである。



 弓をとるのが与一の日課となっていた。ほかにするべきことがなかったためである。
 とにかく無心に矢を番え、射る。『ばるはら』には特に射手のためにあつらえられた練習場があり、そこには他の戦士たちも顔を出していた。的は単なる丸印な事もあれば、趣向を凝らした標的であることもある。遠くで戦っている別の戦士たちの頭であったりすることもあり、そんなときはなだれ込んできた「的」たちによって練習場と射手が細切れにされることもよくある話。でたらめな死は『ばるはら』では当たり前のものであり、翌日になれば直ってしまうちょっとした打ち身のようなものでもある。
 その日の的は、どうやら珍しいものであるらしい。射撃場に近づくと、射手たちの歓声が与一を迎えた。
 常に無いごったがえぶりであった。『ばるはら』中の戦士がここに集っているらしい。空を指して何事かいいかわし、あるいは罵声や歓声を上げる。与一はみなの視線を追い、空を見上げた。
 矢が、与一の視線を追い抜いた。
 地上から撃ち放たれた矢を追いかけ、さらに多くの矢が上った。矢は宙に浮かぶ小さな何かに向かって放たれていた。金切り声を上げる矢の雲が宙を走り、反対側から撃ち放たれた何かにぶつかって消滅した。どよめきが場を圧した。
 与一もまた驚嘆した。全ての矢が、矢によって撃ち落されていたからである。
 『ばるはら』の戦士たちにとり、矢を矢でもって撃ち落すぐらいは朝飯前であるとみなされている。なにしろ的としてイプシロンの端末群などによる超音速飛翔体が供されることもよくある話、矢は的としては遅すぎるというのが射手たちの共通認識となっているほどである。与一ははじめそんな無茶があるものかと思っていたのだが、ためしに自分でも射てみたところ百発百中であったので納得していた。『ばるはら』の戦士たちは皆、いつのまにか超人的な技巧を身につけてしまうものらしい。
 だがその超人たちにとっても、雨あられと降り注ぐ矢を全て射落とすのは易しいことではない。
 いかなる射手か。
 与一は目を凝らし、再び驚愕した。
 赤子であった。羽を生やし、短弓を下げ、腰に吊った角状の矢筒から突き出した矢柄に手をかけていた。傲然たる目つきで地上の戦士たちを見下ろし、すっと息を吸い込むや大喝、与一の鼓膜がびりびりと震えた。
「そんなへぼ矢しか撃てないのか! へたくそども!」
 与一は三度驚愕した。赤子と思えぬ野太い声であったからである。
「そんなんじゃ蚊も落とせんぞ! 太陽を射落とすぐらいのきつい奴をくれてみろ!」
「よっしゃあ!」
 一つの影が戦士たちの中から飛び上がると、『ばるはら』で最も高い塔に降り立った。
「そういうことなら俺の出番だ!」
 イーであった。九つの太陽を射落としたという古代中国の英雄の姿は、与一にとって見慣れたものである。ことあるごとに高いところに上っては太陽を射落とし、暗くなったヴァルハラにひとり高笑いを響かせることもしばしば。自信家であり、目立ちたがり屋でもあるイーは、同時にヴァルハラでもっとも実力ある射手の一人でもある。
 今しも、イーが矢筒から矢を掴み取った。
 四本を一度に番え、引き手も見せず撃ち放つ。空を走る矢はこめられた力の違いによって軌道を縦横に変え、しかもそれぞれが致命的な威力をはらんでいる。たちまちに三本が迎え撃たれたが、残る一本は張り巡らされた矢の防壁をも貫いて中空の赤子へ迫り、その頭にぶち当たった。
 静寂が場を包んだ。
 満足げなイーの笑みが、いくらもしないうちに掻き消えた。
 与一もまた、言葉を失っていた。
 赤子が、歯で矢を受け止めていたからである。
 矢じりを噛み砕き、吐き捨て、顎を上げて口元をゆがめる。唖然となったイーに向かって、赤子は淡々と言葉を投げた。
「勢いはまあまあだな。だがほしいのはそういうのじゃないんだ」
 何事かいいかけたイーの頭部を矢が貫いた。矢がまとう豪風は頭のみならずイーの全身を切り裂き、揺さぶられた塔からイーの破片が戦士たちに向かって降り注いだ。
 赤子が肩をすくめた。
「そんで? 他にはいないのか?」
 怒号が答えとなった。戦士たちは口々に騒ぎ立てながら得物を振りたてた。本日の戦う理由が決まった形である。
「与一」
 与一が振り向くと、そこには義経が立っていた。甲冑をまとい、白刃を下げ、みなぎる意気が煙となって立ち上っている。義経は空に向けて顎をしゃくった。
「あれを撃て」
「しかし」
「あんだけ馬鹿にされて引っ込んでいられるか。お前がやらんなら俺が貰うぞ」
 言うが早いか、義経は地を蹴り空中にあった。天狗とも評される身の軽さは、ここヴァルハラに至った事で神業の域に達している。わずかな土ぼこりやさらに小さな何かすら足がかりとして、義経はすいすいと宙を渡って赤子に肉薄していく。他の戦士たちもまた、宙の赤子へと得物を向ける。槍や斧や石が空を埋め尽くすほど放たれ、機銃や砲、バリスタの一斉掃射が第二波までの時間を稼ぐ。強力無双の巨人や怪異が次々と兵士たちを拾い上げては天に投げ、弾丸と化した戦士たちが赤子を押し包んでいく。赤子は宙を滑ってかわし、あるいは次々と矢を連射して近づくもの全てを撃ち落していく。不意に天空から突き立った光条を、赤子が危ういところで避けた。イプシロンが軌道から放った砲撃は土煙を巻き上げ、そこから飛び出した赤子が勢いを殺さず戦士たちの群れを突き抜ける。超音速駆動によって発生した衝撃波が戦士たちをひき肉に変え、撒き散らされた血肉を受けて地上の男たちは荒れ狂い、その足元ではトングとバケツを持ったヴァルキリアたちが肉片を回収している。
 地獄だ。与一は呆然とつぶやいた。
 赤子が放った矢が、いくつもの頭をまとめて撃ち飛ばした。そのうちの一つが与一の足元に転がった。平教盛の頭であった。与一が思わず手を伸ばすと、先に拾い上げる手があった。ヴァルキリアであった。
 首を抱えあげてその目を閉じてやり、運んでいた桶の中に安置すると、ヴァルキリアは与一を見上げた。透明な目が、一瞬与一に焦点を結んだ。その口がわなないた。
「なむはちまんだいぼさつ」
 細く、しかし確かに、ヴァルキリアはそういった。与一の矢を指し、弓を指し、空を飛び回る赤子を指して、ヴァルキリアは「なむはちまんだいぼさつ」と繰り返した。
 それは与一にとって忘れられぬ言葉であった。平家の扇を射抜いたあの時、与一は菩薩に祈ったのだった。否応なく矢を番え、はるか遠くに頼りなくゆれる的を狙いながら、与一はひたすらに仏のことを思ったのだった。そうして与一は的を射抜き、今ここにある。
 だが何故その言葉をヴァルキリアが口にするのか。
 与一は口を開いたが、問いかけることは叶わなかった。空から飛来した何かがヴァルキリアの真上に落ち、その身を粉々に砕いていた。うめきながらよろよろと立ち上がる姿は、義経であった。左の上半身がもぎ取られ、肋骨が露出していた。
「義経様」
「あの赤子、けっこう出来るな。何より硬い。突きこんでみたがこの通りだ」
 義経は刀を放り捨てた。半ばからへし折れていた。
「与一、お前の刀を貸せ」
 与一は義経がつぶしたヴァルキリアに目をやった。潰れた頭は口元だけが残り、口元は同じ動きを繰り返していた。なむはちまんだいぼさつ。なむはちまんだいぼさつ。
 与一の手に力がこもった。
「――義経様、ここは某におまかせを」
「なんだ、お前がやるのか」
「はい」
「そうか」
 満足げに笑んだ義経の体が崩れ落ち、そのまま息絶えた。
 かがみこんで義経のまぶたを閉じると、与一は矢を取り、番えて天を見上げた。
 嵐がおきていた。鉄と血と熱がお互いを飲み込み合いながら爆発し、撒き散らされた余波を切り裂いてさらに戦士が突っ込んでいく。赤子は中心にあって笑っている。誰とも異なる笑みであった。楽しみではなく、嘲りでもなく、何かよいものを待つ笑みであった。親が初めて歩いた子をいつくしむような、そんな笑み。
 おそらく射手を探しているのだろう。そう与一は思った。
 イーほどの名手が捨てられた今、自分が目に叶うとは思わない。だが、試してみるに越したことはない。それより他に道はない。
「南無八幡大菩薩」
 与一は目を閉じ、待った。超音速で飛び回る赤子を目で捉えようとはせず、ただ撃つべき時が知れるのを待った。音が消え去り、体が消え去り、全てが姿を消して、それでも尚消えぬものがあった。その何かが瞬いたとき、与一は目を見開き、射た。
 矢は、赤子の弓の弦を射抜いた。
 虚を突かれたかのように、赤子が与一に目を向けた。後頭部に振り下ろされた斧を素手で受け止め、別方向から突き出された銃剣を喉でへし折りながらも、赤子の視線は揺るがなかった。粘りついた時間の中で幾多の刃を砕き、撃ち抜き、それでも解体されながら、赤子は与一に目をあわせ続けた。与一がその真意を読み取るより早く、赤子は周りの戦士たちごと落下して土煙を上げた。
 与一は弓をおろし、落下点に歩み寄った。わずかな生き残りが与一に駆け寄り、口々に褒め称えて肩をたたいたが、与一はそれに構うことなく、自分が射落としたものを見下ろした。
 絡み合った肉と金属の中心で、赤子の残骸がびくびくと震えていた。全身を切り裂かれながらも、赤子の手は弓をしっかりと握っていた。与一は思わず手を合わせた。
 不意に、閃光が辺りを押し包んだ。
 肉を透かして骨を写すほどに強い光であった。光を発しているのは赤子の破片だった。目を覆う与一たちの前で、赤子の破片は寄り集まり、いびつな人の形を取り、もう一度閃光を発した。
 光が収まり、与一は目をぬぐった。
「それなりに出来るみたいじゃないか。気に入った」
 羽を生やした赤子が、与一の眼前で滞空していた。


 エロス、アレスとアフロディーテの息子。赤子はそう自己紹介した。
「愛の神だ。適当な男と女をくっつけるのが商売だな。他にも色々名前や身分や相《アスペクト》があるが、それはまあ、おいおいな」
 笑うと、エロスはヴァルキリアから杯を受け取り、一息に飲み干した。
 与一とエロスは宴会場で相対していた。夕食時であり、本来ならば戦いを終えた男たちで埋まるはずであったが、ほとんどが死亡していたために部屋はがらんとしていた。落ち着かないものを覚えながら、与一もまた、杯を干した。
「んで、お前さん名前は」
 はらりと何かが与一の前に舞い降りた。薄い紙であった。どこから取り出したものか、エロスは筆を手に取り、片手で紙を押さえていた。与一が名を答えると、さらさらと筆が滑った。
「よし、あとはまあしばらく時間がかかる。その間ちょっと話をしよう」
 エロスが手を放しても、筆は自ら動き続けた。何事か文言が綴られていく紙と筆を脇へ押しのけると、エロスは酌をするため待機していたヴァルキリアの一体に何事かささやいた。ヴァルキリアは頷き、立ち上がって部屋を出て行く。その後姿を好色そうな目つきで追いかけながら、エロスはまるぽちゃな手をひらひらと振った。
「俺は別に喧嘩しに来たわけじゃないんだ。殺しに来たわけでもない。人を探しに来たのさ。使えそうなやつをな。雑魚しかいないんで帰ろうかとも思ってたんだが、ちょうどいいのが見つかった」
「某か」
「そ」
「あんなやり方で人探しとは」
「別に一人ひとり夢なりなんなりで面接してもよかったんだが、そんな悠長なやり方じゃ興味を持ってもらえないだろうと思ってな。ここじゃなんでも戦いを介していたほうが受けがいいだろ? 現に大勢さん集まってくれたじゃないか」
「だがあんなに殺すこともあるまいに」
「なんだお前、本当にここの戦士か? とにかく戦いとなりゃなんだろうと血が沸き立って仕方が無いってぐらいじゃなけりゃやってけないだろうに。まあでも都合がいいな。お前さんにもいい話になりそうだ」
 ニヤニヤと笑っていたエロスは、与一の背後に目をやると表情を改めた。つられて振り返った与一が目にしたものは、隻眼の大神であった。
「これはオーディン殿。わざわざお呼び立てして申し訳ない」
「どうせこっちから行こうと思っておった。オリュンポス企業連合体の役員様なんぞ珍しいからな。こんな零細に何の用だ」
「ええ。こちらの与一殿をぜひともわが社にお迎えしたく」
「うちは派遣はやっとらん」
「そこを是非に」
「ふん。見返りは?」
「現在わが社で養育中の汎世界間文明が一つ、大戦期に入ろうとしています。そこでの優先的な刈り入れを保障します」
「『優先』ではなく全部なら考えよう」
「ここのキャパシティを越えると思いますよ。試算をお送りしますのでご覧ください」
 エロスの手のひらに光の粒が現れた。粒からは文字が流れ出し、言葉の川はオーディンの片目に向かって伸びると、そこで鎌首をもたげた。オーディンがひとたび瞬きすると、文字はその目の中へとなだれ込んでいく。オーディンの顔が曇った。
「確かにこりゃ拾いきれんな。わかった。優先権でいい」
「そこでご提案なんですが、いったん全ての魂を共同名義にしておいて、他のヴァルハラと協力して回収、然る後に戦利品を分配するというのはいかがですか? もちろんここが優先権を得る形にしておきますが」
「他所をかませるのか? それはちょっとな」
「ヴァルハラは魂の回収において独自のノウハウがあります。我々としても、育てた世界から絞れるだけ絞りたい。現状、一般人の魂は我々のグループ企業である『ハデス』が回収していますが、偉人の魂に関してはなかなか上手く行かないのが現状です。そこで複数のヴァルハラが協力すれば、少なくとも戦士の魂だけはより効率よく回収することが出来るでしょう。あなた方は勇者の魂を得る、我々はたくさん収穫できる。いいやり方だと思いませんか?」
「まあな」
「なんでしたら、今回の共同企画についてはコンサルティングまで含めた全体をお譲りしてもよろしい。複数のヴァルハラをまとめる初めての試みを成功させれば、オーディン様の威信もより高まるでしょう。巨人族とて恐れおののくはずですよ」
「ふん、それが全部この与一と引き換えか。ずいぶん張り込むもんじゃ」
「それだけの価値があると判断しました。いかがですか? 契約書はこちらでご用意させていただきましたが」
 オーディンは足元で踊る筆と紙に目をやると、すっと槍を突き出した。槍は過たず紙を貫き、そのまま手元へと引き寄せたオーディンは目をすがめて内容を検分した。エロスが手を叩くと、紙から文字がはがれ、オーディンの目へと滑り込んだ。
「よし、よかろう」
 オーディンの親指が槍の刃を滑った。滴った血を契約書へ押し付け、握りつぶして投げ返す。即座に元のように広がった紙を眺めて満足げに笑うと、エロスは契約書を握りこんだ。小さな手のひらを開いたときには、もうそこには何もない。
「契約成立です。ではいただいていきます」
「うむ」
 オーディンが与一に目を向けた。
「ここの名に恥じないよう、向こうでも存分に戦うんじゃぞ」
「――お待ちください」
 与一はなんとか声を上げたが、オーディンはそれを無視した。取りすがろうとした与一の肩を、いつの間にか立ち上がっていたエロスが押さえつけた。万力のような力で締め付けられ、与一は小さく悲鳴を上げた。
「まあアレだ、うすうす状況も分かってきただろうけど、お前さんは身請けされたってわけだ。以後よろしくな」
 与一は肩を落とした。なんだかよく分からぬうちにつれてこられたヴァルハラから、なんだかよく分からないうちに連れ出される。己の意思は一顧だにされず、死して尚それは変わらない。
 勝手きわまる話であった。与一の肩に、力がよみがえった。
「まあ勝手だわな。じゃあ来たくなる話をしてやろうか」
 与一の顔を読んだのか、エロスは口元をゆがめた。片手でやすやすと与一の全力を押さえ込みながら、エロスはあけたほうの手で虚空から弓を取り出し、与一に突きつけた。木とも金属ともつかない不思議な物質で作られた小ぶりの弓は弦が切れて垂れ下がり、それでもってエロスは与一をぺしぺしと叩いた。
「この弓は特別誂えだったんだ。自己相似オリハルコン結晶体で、弦はヤヌスのひげをむしって作った因果の糸だ。ヴァルカンのラボでこれを作らせるのにどれほどの費用がかかったかは覚えてないが、お前が何回生まれ変わっても稼げないだろうな。ついでに言うとこれは俺の持ち物じゃなくて会社の資産だ。なんつってもわが社の活動に欠かせないものだからな。とにかくお前はEROS&Coに重大な損害を与えてくれたわけだ。なあ、どう落とし前付けてくれる? え?」
 押さえつけが力を増し、与一の骨が悲鳴を上げた。正面から覗き込むエロスの目が発光し、ついには炎を吹き出して与一の頬を焼いた。
「このままひねりつぶして向こうで再構成してもいいんだぜ?」
「――弓を壊したことは謝る」
 エロスの腕がわずかに緩んだ。
「確かに某がやったことだ。だから、その責任を取る」
 事実であった。明確に分からぬとは言え、ただそうせねばならないという思いに突き動かされてやったことであった。もとより、行くことに否やはないのだ。己の身を越えたものが何かを押し付けてくることには慣れていた。
 ただ、納得できないというだけである。
「某はお前の元へ参ろう。そして償いが終わったらお前の元から去る。それでよいか」
「そこは大事なところなのか?」
「いかにも」
「決まりだ」
 力が緩み、与一はつんのめって倒れた。起こした顔の前に文字が躍った。光で宙にかかれた文字は宙に一瞬とどまり、与一の目に飛び込んで焼いた。たちまちのうちに、与一は己がエロスとの契約に縛られた事を知った。細かな例外規定を除けば、契約はたった一言によって成り立っていた。すなわち、「エロスの弓となり、エロスが示す的を射る」。
「よし、じゃあ用意が出来たら言ってくれ。俺は飯でも食う」
 パンパンと手をたたき、エロスがヴァルキリアたちを呼び寄せた。与一は席を立ち、部屋を後にした。食事を運び込んでくるヴァルキリアたちとすれ違い、廊下に出ると、ふと一体のヴァルキリアが与一の前にたたずんでいた。
「なむはちまんだいぼさつ」
 ヴァルキリアはそれきり言葉を発さず、抱えていたお櫃を持ち直すと宴会場へと入っていった。
 問いかけるのを思いとどまり、与一はなんとなく手を合わせた。


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最終更新:2010年04月17日 22:34
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