00
私は後悔していた。
一歩踏み進めるごとに増す恐怖。それに随行して、確実に萎縮していく陽の光。厚くひき敷かれた落葉がいまにも足首を呑み込もうとしている。
「約束よ、ミラちゃん――」
瞳を限界まで引き伸ばし、周囲を見回す。あるのはただ自身の息遣い。服と皮膚のあいだで逃げ場を失った冷たい汗が悲鳴をあげる。
頭骨の中で臆病な妖精がガタガタと騒ぎ出し始めた。 乾いて皮膚のくっついた唇を舐めた。恐怖の味がした。
「約束よ、ミラちゃん――森の奥には、絶対行っちゃだめ。悪い悪い怪物がたくさんいて、ミラちゃんみたいな可愛い女の子なんて、ひと口で食べちゃうんだから」
幻聴。祖母の戒め。村の戒律。
「もう、遅い。遅いのよ、おばあちゃん」
私は呪いの言葉を吐いた。そして一縷の救いを求めて天を見上げたが、そこに空はなく、あるのは臓腑色をした木葉の天蓋だけだった。
****
分厚い葉の隙間から朱色の斜陽が零れ始めると、その夕刻の証は私の胸中に甘美な絶望をもたらした。私はすでに棒となった足を懸命に振るって
この自然の迷宮からの脱出を望む。
「はっ、はっ、はっ――早く、ここから――」
乱れた髪が汗ばんだ肌に張り付いて気持ち悪い。無数の害虫が、餌を求めて私の太股を上へ上へと昇ってくるきがする。いまにも気が狂いそうだった。
やがて生気を失った斜陽は、私に夜の到来を告げはじめた。
「まだ、やめて、怖いよっ! 助け、うぇっ」
張り出した樹木の根に足首を刈られ、地面に突っ伏した。汚れた顔で見上げると、目の前には一筋ばかりの光。
私はその最後の希望に手を伸ばしたが、
まもなく彼は眠りにつくときのように音もなくその場を辞した。
「あぁ・・・・・・あぁぁぁぁ」
私は涙した。じきに、暗闇は森の隅々に浸透しはじめ、そこここで生肉を好む獣たちが眼を覚ますだろう。そのときだった。
滲んだ眼球の端で私は仄かな灯りをとらえた。
「あか、り・・・・・・?」
こんなところに、なぜ? 疑問符と同時に私の四肢は再び生命力を宿し、誘蛾灯に惹かれる昆虫のように、
ゆらゆらと件の明かりを目指して歩む。広大な城壁があった。
私は目を疑ったが、それは過不足なく城の壁だった。山脈のようなその外壁の中から幾つもの尖塔が飛び出しており、
そのどれもが淡い光を宿している。人がいるのだ!
私は走り出した。外壁をまわりこんでしばし行くと城門があった。城門は開いており、まるで口をひらけた入道のように私を待ち構えていた。
「人が、いるんだ――」私は恐れることなく城門をくぐった。この浅はかさがのちの運命を決定づけているとは知らずに。
「すみません、誰かいませんかぁ?」
城門をくぐると、そこはすぐ大通りになっていて、幅広の路の両脇には家々が鎮座ましましていた。そのさきには件の城が、薄闇のなか、ぼうと浮かびあがっている。
辺りに人の気配はなかった。「だ、誰か、いませんか?」
お城の明かりを視界にとらえたまま、大通りをとぼとぼと歩きはじめた。足取りは重い。通りの家々の窓が生気のない亡霊のように私を見ている。
「誰か、誰かいませんかー?」
その場に立ち止まって、私は一際大きな声で叫んだ。声は闇のなかを切り裂くように飛んでゆき、やがてはどこかに吸い込まれていった。
返事をあきらめかけたとき、すぐうしろで声がした。振り返ると目の前に醜い小男がいた。
小男はせいぜい私の腰辺りまでしか背がなかった。この暗闇のせいで容貌は判然としなかったが、でこぼことした岩のような輪郭だけははっきりとわかる。
きっと、生来の奇形なのだ。
私の視線を感じたのか、小男は困ったふうに笑った。自身の不躾な視線を恥じると、私はあわてて顔を地面に落とした。
小男は気にするふうもなく、親切な口調で私に話しかけてきた。「どうしました、お嬢さん、迷子ですか?」
甲高く不快な声だった。私は頷いた。「そうなのです。私は森の外にある村の娘で、それで、迷ってしまって、
どうか助けてほしくて――あぁ、勝手に入ってごめんなさい。一晩だけでいいんです、どこか、小屋でもいいから、泊めて頂けないでしょうか」
言葉に詰まりながらも、私はまくし立てるようにしゃべった。小男は顎に手をあてて考え込んだ。
「お願いします、どうか――」
私は手のひらをあわせた。もう、夜も遅い。不躾な願いだとは承知していた。けれど、もう一度あの森に戻ることだけは避けたかった。
「うーん」
小男は思案しながら私の周囲をゆっくりと回った。ふいに、その猫の目のように光る瞳から、
値踏みするかのような視線を感じたのは気のせいだろう。疲れているのだ。
「よし! いいよ。お穣ちゃん。ぐへへ、泊まっていきな」
さっそく、小男はお城に向かって歩きだしながら私について来いという仕草をした。この人、外見はひどく醜いけれど、
心はそれほどでもないのかもしれない、と私は彼に対する評価を改め、その後ろにしたがった。
「ありがとう、おじさん。優しいのね」
小男の小さな背中に向かって、私は感謝の言葉をいった。
「いやいや、ぐへ。遠慮しなくていいよ、じゅる――さぁ、もうすぐお城だよ! ほら、すぐ、すぐそこだ!」すると小男は何かを思いついたときのように、手の平を打った。
「そうだ! まずお風呂に入れてあげよう。汚れているだろう? 香草を使ったお風呂だよ。臭みが取れていいんだよ」
小男は笑った。
その意味深な台詞をよくよく理解しないで、私はお風呂という単語に飛びつき感嘆した。お城でお風呂を用意してもらえるだって? 私はなんて幸運なのだろう!
「帰ったら、アンに自慢しなくちゃ」
そう言ったとき、小男は私を肩越しに振り返ると、これまでに見せた事のない卑劣な笑みを一瞬だけ浮かべた。私は背すじに言い知れぬ悪寒を感じて思わず立ち止まったが、
小男は気にしたふうもなくまた前を向いて歩き始めた。
気のせいだ。疲れているのだろう。私は自分に言い聞かせた。そしてそのあいだも、胸中では信じがたいもてなしとそのさきにある、汚れひとつない純白のシンク、
香草の入った湯船を想像しては、湧きだつ心を禁じえなかったのだった。
01
「――そしていまでも、森の奥には恐ろしい怪物が住んでいます」
老婆はうなだれた頭を持ちあげると、そこでようやく話を締めくくった。「どうか信じてください、すべてほんとうの話なのです」
テーブルを挟んだ向かい側、三人の若い女が真剣な表情で老婆の話に耳を傾けている。
すると三人のうちのリーダー格にあたる――腰まで伸びた金色の髪と、湖のように深い青色をした瞳をもつ――アッティラが、
使い古されたテーブルのうえに組んだ手を握り締めながら老婆にいった。
「あなたのお話を私たちは信じます。それで、その怪物とやらを?」
「ええ、ええ・・・」
老婆はふかく二度頷いた。そして足元から擦り切れた麻袋を取り出すと、それをおもむろにテーブルのうえに置いた。
「少ないですが、我が家にはもう、これだけしか・・・・・・」
袋のなかには大量の銀貨が詰め込んであった。しかしアッティラは差し出されたそれをそっと老婆に押し戻した。
そして彼女は老婆を諭すように、そのかたちのよい顔に柔和な微笑を浮かべた。
「・・・勘違いしないでください。私たちはただの通りすがりです。金で雇われた用心棒じゃない。だから、もらうわけにはいかないのです。でも、
必ず、あなたの大切な人を助け出すと約束します。では、失礼」
老婆が目をぱちくりさせるなか、アッティラは席をたち、外套をひるがえしながら颯爽と玄関に向かった。残りの少女達もそのあとに続いた。
彼女らの勇気ある背中を見送りながら、老婆はその場にひれ伏して何度も額を床につけた。「ありがとうございます・・・・・・ありがとうございます。
どうか、どうか勇者様がた、無事にミラを、孫を連れ帰ってください・・・ありがとうございます、ほんとうに――」
玄関の扉が閉まったあとも、老婆はずっと感謝の言葉を唱え続けた。
02
老婆の家を出ると、外はすっかり暗闇に包まれていて、空にかかっている薄ぼんやりとした月のはなつ明かりが、三人の少女の姿を白く浮かびあがらせていた。
そしてそのすぐ傍には、強風にあおがれ、まるで巨大な怪物のように息づく広大な森が横たわっている。
「本気なの、アッティラ?」
玄関を出るや否や、そう訊ねたのは弓使いのガラテモアだった。彼女はこの話に唯一乗り気ではなかった。
「本気よ」
アッティラは簡潔にそう答えた。「あの可哀そうなおばあさんを放っておくなんて、私にはできない」
「でも」とガラテモアは食いさがった。「なによりもまっさきに魔王をぶったおすって、わたしに約束したじゃない――」
「やめなさい」そのとき浅葱色の外套で全身を包んだ女の手が、ガラテモアの肩におかれた。「ガラテモア、言葉を選びなさい」
ガラテモアはふりかえってその白い指の持ち主をにらみつけたが、そこにヴァレンティノの切れ長の赤い瞳をみてとると、
途端に萎縮したように首を垂れた。
ヴァレンティノは魔女だった。そしてガラテモアの天敵でもあった。
ガラテモアは肩におかれたヴァレンティノの手を振り払うとそっぽを向いてほほを膨らませた。
「なによ、みんなして!」
「仕方ないわねぇ、この娘は。ホントに子供なんだから」ヴァレンティノは言いながら、ちらっとアッティラのほうを見た。
彼女は細い腰に手をあてながら、困ったふうに笑っていた。
ガラテモアは目の前で両親を魔王に殺された。彼女ら三人とも似たりよったりの境遇なのだが、幼かったぶん、少女の魔王に対する憎悪はすさまじかった。
そしてそれはときとして、少女の瞳を盲目にさせた。魔王のしていることは許せない。しかし、目の前で困っている人を無視するのとはまた別の話だった。
「行きましょう、ガラテア」
アッティラはガラテモアの小さな――本当に小さな――背中に優しくいった。
「行かない!」
ガラテモアは肩をいからせながら答えた。「二人だけで行けばいいでしょ! 私はひとりで、先に行くもん!」
アッティラとヴァレンティノは顔を見合わせた。ガラテモアのわがままには困ったものだ。しかし、まだ少女とはいえ、
ガラテモアは一流の弓使いであり、貴重な戦力なのだ。が、
「仕方ないわね」
妖艶なる魔女ヴァレンティノはそっけなくそう言うと、森に続く小道へと向かいはじめた。「わがまま小娘はほうっといて、行きましょう、アッティラ」
「・・・・・・ガラテモア」アッティラは心配げにガラテモアを見やったが――少女の肩はいまや小刻みに震えている――ヴァレンティノに再度さいそくされると、ややあって森へと歩き出した
***
「ずいぶん、歩いたわね」
夜通し歩き続けたふたりだが、件の城はまだ現れていなかった。
「ええ、ほんっとに忌々しい森だわね」
ヴァレンティノの手のなかで燻ぶる松明は尽きようとしていたが、すでに空は白みがかりはじめていた。彼女は松明をふき消した。
「あの子、ひとりで大丈夫かしら」
短剣を手に、行く手をさえぎる小枝や毒草を薙ぎながら、アッティラは、ひとり残してきた少女の身を案じていた。
「心配ないわ。いまごろ、ひとりで先に進んでるんじゃない」
ヴァレンティノは冷たく言い放った。この魔女はいつもそうなのだ。ガラテモアにたいして、突き放した態度ばかりをみせる。
「少し、冷たすぎるんじゃないかしら。ガラテモアはまだ幼いのよ、正直、あなたの態度には、身に余るとげがあるわ」
つい、アッティラは胸中を吐露してしまった。そして襲いかかってくるであろう、魔女の辛辣な批判を予言して身をかたくしたが、それはいつまでたっても、やってこなかった。
「ヴァレンティノ、その、言いすぎたわ」
行き場のない沈黙のなか、アッティラは素直にあやまった。ややあって、魔女は囁くように答えた。
「似てる、のよ」
「似てる?」
アッティラは聞き返した。そして以前ヴァレンティノの口から聞いた、魔女の暗澹たる過去の物語を思い出した。そう、確か、彼女には、妹がいたのだ――。
「妹は、モヘヤの街で、磔にされ、焼き殺されたわ。衆目の前で、裸にされ、まだ”女”にもなっていなかったのに・・・」
モヘヤの街とは、ヴァレンティノと出会った街のことだ。そこでは魔王の魔力によって、人々は精神を病み、そして魔女狩りがおこなわれていた。
代々魔女の家系であるヴァレンティノはその悲惨な儀式によって家族を失った。ヴァレンティノは続けた。
「だから、いらいらするのよ。あの子――ガラテモアの、幼い態度を見ていると。妹だって、もし生きていれば、いまのあの子と同じ年頃だった。わがままを言ったり、
態度で人を困らせたり――悪気があってやってるんじゃないってことくらいわかってる、だから、だから、私だって、やさしく接しようとするのよ? 嫌いなんかじゃない。愛しているわ、
仲間だもの、でも妹は死んだのよ。狂気の業火に焼かれ、悲鳴をあげても誰も助けない、私はただ震えて見ているだけだった、
黒い炭になっていく妹を――きっと、次はわたしの番――あなたたちが街にやってこなかったら、まちがいなく私は死んでいた。そう、ガラテモアは私に死のにおいを連想させるのよ、
そして、同時に、死んでしまった妹に対するやり場のないいとおしいさも――」
そこでヴァレンティノは口をつぐんだ。アッティラは慰めの言葉をかけようとしたが、言葉は喉に引っかかって出なかった。
陳腐な慰めがなにも解決策をうまない事くらい、自分でもよく知っていた。
「ヴァレンティノ――」
「しっ、黙って!」
アッティラがヴァレンティノに愛情ある抱擁を施そうとしたとき、魔女の白い指が、彼女の口元を覆った。
アッティラはわけもわからないまま身をかがめ、魔女の白い指が差すほうに顔を向けた。そして突如として途切れた森のなかにあらわれた巨大な城壁を目にしたとき、
彼女達の心に、いい知れぬ緊張感と、戦士としてのある種の高揚感が沸き立ったのは言うまでもなかった。
03
ミラが眼を覚ましたのは城内の客室にある豪華なベットのうえで、だからさいしょ彼女は自分がまだ夢の中にいるものだと思い込んでいた。
そしてその甘い幻想を打ち破ったのは空腹の音で、そこで彼女はふかふかの絨毯の敷いてある床を横切り、広い部屋の中央に置かれたテーブルのうえのフルーツ盛りを食べた。
見たことのない果実で空腹を満たしたミラは、赤いビロード天蓋の付いたベッドにお尻のうまるまで腰かけ、このつかの間の幸福感にひたった。
「すごい、わたし、まるでお姫様になったみたい」
心地のよい満腹感が、ミラの精神に疼くような妄想を羽ばたかせる。そしてそれはご多分に漏れず世界中の少女が夢見る物語であり、
そのなかではもちろん、彼女は王国の麗しき姫君だった。そんな少女の、永遠にも近い妄想を打ち破ったのは、木製の大きな二枚扉のひらかれる音だった。
扉から姿をあらわしたのは、ミラと同じくらいの、この世のものとは思えないほどの、美しい容姿をしたふたりの少女だった。
ミラは音もなくこちらに近づいてくるふたりの少女をいぶかしげに見ていたが、やがてその少女達が一卵性の双子である事と、昨夜、
自身の世話をしてくれたメイドであることを思い出すのにはそう時間はかからなかった。彼女はもうすっかり目が覚めていた。
『お早うございます、ミラ様』
双子は同時にそう言うと、慇懃に礼をした。ミラも思わず頭をさげる。
「お、お早うございます」
あわてて付け加えたミラだが、双子はなにも答えず、その表情は湖の底のように静かだった。
『お着替え、お手伝いします』
双子はかたちのよい唇を、示し合わせたように動かし、そしてどこからか服を取り出した。
「え? じ、自分で着替えますからっ」
そう言ったものの、双子の手つきはすばやく、ミラのからだはあっという間に肌触りのよい生地に包まれた。
『昨夜着ておられた服は、まだ乾ききっていないため、それで我慢してくださいませ』
内心、自分には
もったいないくらいの服だとミラは思った。生地を指で摘んでみる。この服、いったい幾らするんだろう。
『それでは、お食事の準備ができています。こちらにおいでくださいませ』
双子は揃って背中を向けた。肩で切り揃えられた黒髪がぷるんと揺れたのをみて、ミラは吹き出しそうになったが、
ここで笑ってはいけない事くらい知っている。彼女は双子のあとに続いて、どこまでも続きそうな廊下を歩いた。
後頭部に鋭い痛みがはしったのは、下へ降りる階段の踊り場だった。ミラはなす術もなく、その場に倒れこんだ。
白濁してゆく意識のなか、少女が最後に見たのは、自分を見おろすふたつの同じ顔だった。
今回ミラが眼を覚ましたのは、天蓋つきのベットでも豪奢な部屋のなかでもなく、生臭いにおいのする石造りの部屋だった。身動きをとろうとしたけれど、できなかった。
からだはちょうど大の字にひらかれており、手足の先には金属の枷がはめられていた。枷を外そうと奮戦したが、成果はなく、獲られたのは傷ついた皮膚だけだった。
ミラは首の骨の許すかぎり、顔をめぐらせて、状況を把握しようとした。まず、少女の右手には大きな流し台があって、異様な臭いはそこから発散しているようだった。
天井からは、鉤爪のついた鎖か何本もたれさがっている。左には石壁があるだけだったが、壁はなにかの液体によって赤黒く汚れていた。
木の軋む音と、規則的な足音が頭のうえのほうから聞こえてきた。そのときミラは、足音とともにはいってきた微妙な空気の流れを鼻で感じ取った。
地下室独特の、かび臭い陰気な臭い。するとここは城の地下?
『ご気分はいかがですが、ミラ様』
足音の正体は双子だった。そしてその美しくも、狂気を宿した顔を見たとき、ミラの後頭部がにわかに痛みを思い出しはじめ、
少女はその鈍痛に顔をしかめた。
『ちょっと、痛くしすぎたかしら。ごめんなさいね』
双子はミラの、さらさらとした金髪のなかを、傷口をまさぐった。それは嗜虐にまみれた愛撫で、ミラの顔はさらに苦痛に歪んだ。
「あなたたちは、いったい――」
そこでミラは祖母の言葉を思い出した――森の怪物――しかし、双子の姿は怪物とは程遠く、その容姿はおとぎ話にたびたび登場する天使のようだった。
そのとき、ミラは視界の隅であるものを捉えた。双子の手に、銀色の狂気が握られていた。刃物だった。
『これ?』
双子の片割れは視線を感じたのか、刃物をミラに見せた。銀色の狂気は鋭い光を放っている。すると双子は刃物の切っ先を、ミラの襟元に合わせると、
慣れた手つきで服を裂きはじめた。そしてその手首の動きは、動物の皮を剥ぐときの動きによく似ていた。
「やめ、て!」
ミラは叫んで身じろぎしたが、その嘆願は冷たい刃先を止めることができず、まもなく少女は、うまれたままの姿で台のうえに仰向けに横たわっていた。ちょうど、
捌かれるのを待っている、まな板のうえの魚のように。
『綺麗・・・』
双子は見惚れたように、露出したミラの乳首を弄りはじめた。そしてその無遠慮な指先は、ときに強く、優しく、まだ男を知らない少女の乳首のかたちを変えていった。
ミラは顔を背け、目を瞑った。全裸でいることよりも、同世代の女の子に、身体をいいようにまさぐられていることが我慢できなかった。
『美味しそうなおっぱい・・・』
双子の片割れが、大胆に乳房を口に含んだ。もう片方の双子は、ミラの知らぬ間に上着を脱いでおり、同世代とは思えないほど豊かな乳房を強引にミラの唇に押しつけてきた。
『舐めなさい』
双子の片割れはミラにそう言った。いや、命令した。少女はおずおずと唇を開き、その赤い乳首を咥えこんだ。そのときである。下腹部に悪寒を感じたのは。もう片方の双子が少女の、
まだ毛も生えていない恥部を弄び始めたのは明らかだった。敏感な粘膜のひだを一枚ずつ摘まれて、恥辱の泥の中に誘い込まれる。
「やめ、ん、んっ」
双子の柔らかい舌が、ミラの粘膜を音を立てて舐める。顔に押し付けられた胸でいまにも窒息しそうだった。やがて少女は快感の泥のなかに足を呑み込まれ、ずぶずぶと沈んでいった。
*******
三人の少女の淫靡な行為は半時ばかりつづいた。行為のあと、放心したように口を開けたままのミラの傍で、
双子は満足げな表情で衣服を整えていた。
『私たちにも、楽しみはないとね』
双子の片割れが、同意を求めるように言った。
『当たり前の権利だわ』
もう片方の双子が頷いた。『さぁ、そろそろ、食事の用意をしないと。あいつらといったら、もし用意を怠れば、私たちを食べかねないもの』
双子の片割れが放心しているミラの乳首を摘み、うえに引っ張った。ささやかな乳房がそれにつられて、上方へもちあげられる。ミラは痛いという意思を表した声を発したが、
それは囁くような叫びで、たとえそれが聞こえていたとしても双子は行為をやめなかっただろう。盛りあがった少女の乳房の付け根に、刃物の切っ先があてがわれる。
双子は一時の楽しみを与えてくれた玩具に名残惜しそうな一瞥をくれると、さも楽しげに哂うのだった。
そのときである。いままさに少女の乳房が切り取られようとしたとき、強烈な地響きと、それにつづく轟音が三人を揺さぶった。
『何事なの!』
壁にしたたかに頭を打ちつけた双子の片割れが、外に飛び出した。そして戻ってきたときには、その美しい顔には驚嘆の色がありありと浮かんでいた。
『侵入者よ!』
『大変!』
『どうしましょう、せっかくの料理が』
『ほうっておきなさい。どうせ逃げられないわ。ドーリーの奴が、事態を沈めるのを待ってからでも遅くないわ』
『そ、そうね』
『さぁ、私たちも避難しましょう。だれだかしらないけれど、迷惑な話だわ』
双子の足音と声が遠ざかっていくのを、ミラはぼんやりとした頭で聞いた。
誰もいなくなった部屋。するとみたび木の軋む音がして何者かが慎重に部屋に入ってきたが、同時に訪れた死のような深い眠りに少女は精神を絡め取られてしまっていて、
その人物が自身に救いをもたらす者か、はたまた悪夢をもたらす者かさえ判別する事ができなかった。けれど薄れてゆく意識の底でミラは確かに声を聞いた。
「・・・・・・!? 待ってて、いますぐに助けてあげるからね!」
05
かつては王国の姫君が住んでいた部屋のテラスに、ひとりの醜い小男がいる。彼は眼下で繰り広げられている激しい攻防戦を俯瞰しつつ、
生娘の血でできたワインを味わっていた。彼の名前はドーリー、怪物たちを統べる者である。
城へとつづく大通りは、さながら地獄絵図と化していた。石畳の地面には目地に沿って血が河となって流れ、飛び散った肉の塊がそこかしこに転がっている。
城の内部から黒い波のようにあふれ出してくるみにくい怪物を相手に、しかし正門から颯爽と現れたあのふたりの女は、
ほとんど傷つくこともなく奮戦していた。そこには圧倒的な力量の差があった。
「ドーリー様、いかがなさいましょうか」
手下のブッカがドーリーに尋ねた。ドーリーはさして思案するふうもなく、余裕のある笑みを手下にみせたが、それは次の瞬間、すさまじい轟音と衝撃波にかき消された。
魔女の手の平から飛び出した巨大な雷が、何百もの兵達を一瞬で焼き払ったのだと理解したとき、さすがのドーリーも、背すじの震えを禁じえなかった。
「これは、困ったな・・・・・・」運良く生き残った数少ない兵達は、はやくも城内に退却しはじめている。ドーリーは忠実な手下をふり返り、さも重大そうな口ぶりで伝令を告げた。
「さて、そろそろ、我らの誇る英雄に、ひと暴れしてもらおうじゃあないか」
*********
肉の焦げた臭いと焼け爛れた死体の山が、大通りのかつての美しい景観を見るも無惨なものにしていた。アッティラとヴァレンティノは、
そのなかを城に向かって駆け抜ける。城の門がようやく前方に確認できたとき、巨大な塊が地響きとともに空から降ってきた。するとアッティラとヴァレンティノはともに驚嘆し、
その巨大な塊がやがて人の容――全長五メートルはあろうかという巨人――を成してゆくのを呆然と見ていることしかできなかった。
巨人の灰色の皮膚に覆われた太い胴体には丸太のような手と足がくっついていて、ぎらぎらとした光芒を放つ目、そして唾液のたれた口は猫のように大きく、
その輪郭に沿って並んでいる歯はどれも鋭利に尖っていた。巨人は大気をびりびりと震わせる咆哮をはなった。ふたりの女は全神経をひきしめ、この強大な悪魔と対峙した。
「ヴァレンティノ!」
アッティラは、長剣を構えつつ、魔女に目で合図を送った。頷いた魔女は後方へと下がり、精神を集中して呪文の詠唱に専念した。
「ここを、とおしなさいっ!」
アッティラが猛然と突撃する。巨人は迎え撃って、その岩石のような拳を矢継ぎ早に振るったが、女のからだに掠りもしない。ふところに易々と侵入した彼女は、
長剣の切っ先を巨人の太股にぞぶりと埋め込み、勢いよく引き抜いた。噴出した鮮血がアッティラの端正な顔を濡らす。彼女は、魔女の周囲に集い始めた妖気を感じ取ると、
後ろに飛びずさり十分な距離をとった。
「***********」
魔女が詠唱を締めくくる。すると突き出された手の平から巨大な火炎球が現出し、苦痛に膝を折る巨人めがけて飛んでゆき、
一瞬にしてその身体を炎で包み込んだ。
**********
「まさか、グーブ様がやられてしまうなんて!」
ドーリーの傍で事態を見守っていたブッカが、すっかり炎に呑み込まれた巨人をみて、悲鳴をあげた。グーブがやられたとなると、こちらに残された手段はほぼ失われたといってもいい。
「あの女、いったい・・・・・・」
悲観にくれるブッカの声が届いていないかのように、ドーリーは別のことに意識を囚われていた。その表情には、いまだ余裕のある微笑がたたえられている。彼にはわかっているのだ、
彼の最愛の従弟――巨人グーブの本当の力がまだまだこんなものではない事を。
だから、巨人が身の毛もよだつ咆哮とともに炎を消し飛ばしたときも、彼だけはさも当然といった表情で、手に持ったワイングラスを優雅に傾けていた。
06
ミラは夢を見ていた。そしてその夢はやけに現実味を帯びていて、終始だれかに耳元で何かを囁かれていた。
『ほんとうは、助けるつもりなんて、なかったんだから』『あの性悪魔女ったら、ほんとに、最低よね。よし、解けた。
この枷ほんとうに固いんだから、ああ、もう、指がすりむけちゃったじゃない』『ごめんなさい。ほんとうは一緒に逃げてあげたいんだけど、
あのふたりをほうってはおけないの。だから、もう行くね。いまなら、城にはほとんどだれもいないわ。ここを出たらまっすぐ森に――』
ミラは戸口へと向かう声の主をみるともなくみていた。そしてその後姿があまりにも小さかったのと、とてつもなく大きな弓を肩に背負っていたことが彼女には印象的だった。
****
「なんて、なんて力なの・・・」
肩をかすめただけの巨人の拳が、鎧の肩を容易く剥ぎ取ったのを目の当たりにして、アッティラは舌を打った。
あれからふたりは激しい攻撃を巨人に与え続けていたが、成果はまるでみられなかった。巨人の皮膚はすべての魔法をかき消し、
どんな剣戟の傷をも数瞬にして治癒するようだった。いまや魔女ヴァレンティノはなす術もなく、アッティラの放つ剣戟を見守ることしかできない。
そしてその試みのどれもが無効化されるのをみていると、じわじわと、自身の背骨がきしむ感触をおぼえた。いったい、なんなの――この化け物は!?
「このっ、いいかげんに、しなさ――きゃぁあああああ」
そのときとうとう、アッティラの長剣が弾き飛ばされた。剣は甲高い音をたててふたつに折れ、地面に落ちた。彼女は巨人の攻撃をまともに背中に受け、地面に突っ伏した。
「アッティラ!?」
魔女は叫んだが、非力な彼女にはどうすることもできなかった。恐怖という名前の鎖が内奥で存在を増してゆくのを彼女は感じ取った。
巨人は、気を失ったアッティラに屈み込みその匂いを存分にかいだ。そして大きな口を目いっぱいあけて、彼女を頭から食い千切ろうとした。
そのときである。巨人がぴたりと動きを止めた。そして次の瞬間、肩を怒らせながら、苦痛の叫び声をあげはじめた。すると巨人の肩に、見覚えのある矢が何本も深々と刺さっているのをヴァレンティノは見た。
魔女は金縛りからとかれたようにに我を取り戻し、アッティラを巨人から救い出した。治癒呪文を唱えると、アッティラはすぐに眼を覚ました。頭の上から、懐かしい、生意気な声が降ってきた。
「ほんっと、わたしがいないと、なんにもできないんだから、ふたりとも!」
声の主は屋根から地面にふわりと降り立った。そしてさらに巨人に矢を追い放ち、それは見事に目と目のあいだに命中した。
「ガラテモア!」
アッティラとヴァレンティノは同時に嬉しい叫び声をあげた。そして三人は駆け寄りあい、互いに抱擁を交わした。
「苦戦しているみたいね」ガラテモアが言った。その手にはすでに新しい矢が持たれている。アッティラとヴァレンティノは頷いた。そしてこの天才的な弓使いに一部始終を簡潔に説明したあと、
早くも苦痛から脱却しつつある巨人を見据えた。
「でも、ここからが、本番よ」
アッティラは言った。その双眸は、かつてないほどの力を宿していた。
最終更新:2008年05月18日 15:37