以前破棄した予約の前半部分になります。
戦闘パートから先は展開潰しになりそうなので載せてません。
時刻はもうじき夕方だというのに未だ日は高い。
気温もまた然り。
体格にも体力にも恵まれていないあさひには酷な熱暑が続いていた。
“少し、動きすぎたな……”
あさひが育った環境は劣悪の一言に尽きる。
暴力と恫喝しか能のない父親のもと、ろくな栄養も摂れずにこの歳まで生きてきた。
午前中の力仕事に、
光月おでんとの決闘。
他の主従との遭遇に、グラス・チルドレンとの遭遇。
常人でもハードを極める日程なのだから、そんなあさひが疲れないわけがない。
“日の出てる内に仮眠でもしておくか…このままじゃ、もたないかも……”
額に浮かんだ汗を拭ってベンチの背凭れに体重を委ねる。
今の内に少し休んでおこう。
そう考えて目を瞑るあさひだったが……それを妨げる声があった。
「あさひ。お気の毒だが今昼寝するのはオススメしないぜ」
「……アヴェンジャー? 何かあったのか?」
既に睡眠のスイッチを半ばほどまで入れていたあさひ。
眠い目を擦りながら
デッドプールに訊く。
すると彼は返事の代わりに盗品……もとい戦利品のスマートフォンを見せてきた。
“なんだ、どこかで派手にやり合った奴らでもいるのか……?”
そんな風に思いながら画面を覗き込んだ。
瞬間……あさひの心臓がぎゅっと縮み上がった。
「な…何だよこれ……!?」
「俺ちゃんも今気付いておったまげたよ。まさかあの可愛かったあさひが、どこに出しても恥ずかしくないお尋ね者にビフォーアフターしてるなんて」
女性ばかりを金属バットで出会い頭に襲う通り魔。
反社界隈との繋がりが深く、薬物中毒者という情報も。
バット以外にも武器を持っている可能性がある極めて危険な人物。
"
神戸あさひ"に注意してください。
拡散希望、拡散推奨。連続通り魔"神戸あさひ"に注意してください――。
「こりゃやられたなって感じだ。どこのどいつが絵を描いたんだか知らねぇが、ご丁寧に顔写真付きで拡散されてやがる」
怖えぇな情報化社会。
デッドプールはそう言うが、あさひは激しい焦りに冷や汗を掻いていた。
さっきまではあんなに暑かった外気も途端に寒々しくすら思えてくる。
「まさか、
星野アイ……あの女が?」
「第一容疑者だな。こんな拗らせたナードみたいなことを真乃チャン達がするとは思えねぇ」
それに、とデッドプール。
「あのライダーが言ってたこと覚えてるか?」
「ああ、確か……同盟を申し出てきたサーヴァントと交渉に行くとか言ってたな」
「怪しいだろ。どう考えても口封じだ」
デッドプールの予想はこうだった。
あの時ライダーは、自分達に同盟を申し出てきたサーヴァントがいると言っていた。
察するにあれは本来漏らしたくなかった情報なのではないか。
だからこうして、知ってしまった自分達の口を封じようと手を打ってきたのではないか……。
「アイとライダーがやったのか、その交渉相手がやったのかは分からん」
「でも、これは……」
「問題はそこだな。やることの規模も手際も完璧すぎだ。素人の情報工作にしちゃ可愛げがなすぎる」
密告者(ユダ)が明らかなのはいい。
しかし問題は相手方が取ってきた妨害工作のスケールだった。
やることがあまりにもでかすぎる。
確かに今はSNS全盛の社会だが、それにしたって拡散の速度と精度が異次元だ。
まず間違いなく強力な、敵に回そうと考えるだけで馬鹿馬鹿しくなるような後ろ盾があるとデッドプールは推理していた。
そして真実がどうであるにせよ敵方の目的は既に完遂されている。
SNSで「神戸あさひ」の名前を検索してみれば、そのことが嫌でも分かった。
「とりあえずそのパーカーは脱いでバットも捨てろ。連続暴行犯のシンボルになっちまってる」
「……わかった。どの道、こんなもの此処じゃ役に立たないしな」
言われた通りパーカーを脱ぐ。
少し躊躇はあったが、意を決してゴミ箱の中に押し込んだ。
バットは人目に付かないよう草むらの中に捨てる。
“あのホスト崩れみてぇなナリしたライダーめ。やってくれやがった”
デッドプールが毒づくのも無理はない。
ロールに恵まれなかったなりにひっそり生き延びてきた基盤が全部パーだ。
この炎上が収まったとしても、神戸あさひの名前と顔はほとんどのマスターに認知されてしまった筈。
あさひとデッドプールは一気に、この聖杯戦争で最も不利な立場に追いやられてしまったのだ。
“今は逃げ得が罷り通らん時代だぜ。イジメっ子はいつか必ず吊るし上げられて、今度はてめえがイジメられるのさ”
リングに上がるのも許さずの完敗だった。
流石のデッドプールも今はやられ役の定番ゼリフしか吐けない。
“――覚えてろよ。俺ちゃんをコケにしたこと、地獄の果てまで後悔させてやるぜ”
だがデッドプールは転んでもただでは起きない男だ。
そうでなければ彼の境遇からヒーローに上り詰め、英霊の座に列ぶなんてそもそも不可能。
今は負け犬、それでも次は勝ち馬の喉笛を食いちぎる。
復讐者(アヴェンジャー)相手に勝ち逃げしたことの意味はしっかり思い知らせてやろう。
そう思っている、ちょうどその最中のことだった。
彼らの元に流れを変える一本の電話がかかってきたのは。
「……誰からだ、アヴェンジャー?」
「サンタマリアからだ。蜘蛛の糸を一本、地獄に垂らして下さった」
ラブリーハニーオアシス真乃チャン。
そんなふざけた、それでいて今はまさに砂漠のオアシスのように安心できる相手の名前。
デッドプールが差し出したスマートフォンを受け取りあさひが通話に出ると。
『――あさひくんっ! 無事でしたか……!?』
電話の向こうからは他人事とは思えないほど焦った様子の、
櫻木真乃の声が聞こえてきた。
◆ ◆ ◆
田中摩美々との通話を終えた櫻木真乃。
今時SNSは芸能人にとっても絶好のマーケティングスポットだ。
真乃達アイドルもその例外ではない。
だから、真乃がSNSを通じて爆速で拡散されているあさひの悪評を認知するまでにそう時間はかからなかった。
“な、何これ…! なんであさひくんが……!?”
最初にそれを目の当たりにした時の驚愕はとても大きかった。
しかし、真乃はすぐにそれが根も葉もないデマだということを見抜いた。
いや……見抜いたなんて高度なことはしていない。
真乃はただ、自分の心に従っただけだった。
敵同士なのに自分のことを励ましてくれたあさひの姿。
それと、今世間が注意喚起している凶悪犯の話とが全く結び付かなかった。
だからそんな筈はないと強くそう思い、ひかるの同意を受けてあさひと連絡を取ることを決めたのだ。
『大丈夫です……今のところは。パーカーとバットも捨てたので』
『よ…良かった~……っ。ごめんなさい、すごく心配になって……思わず電話かけちゃったんです』
『え、っと……その』
安堵する真乃とは裏腹にあさひはどうにも歯切れが悪い。
どうしたのだろうと真乃が思っていると、彼はどこか遠慮がちに言った。
あさひが抱くのは――困惑。
「そんな簡単に信じて、いいんですか」
『へっ? なんでですか……?』
「なんでって……。俺は今、世間じゃ連続襲撃犯ってことになってるんですよ」
現在拡散されている情報が嘘だと断言できるのはあさひだけだ。
槍玉に挙げられている張本人なのだから当然だろう。
逆に言えば当人であるあさひ以外から見れば、あさひが本当に凶悪犯という可能性もある筈。
むしろそっちの方が可能性としては強いくらいだ。
なのに真乃にはあさひを疑ったり、彼を探ったりする様子がまるでなかった。
『でもあさひくんはやってないんですよね? あんなひどいこと』
「それは……そうなんですが」
『なら私はあさひくんの言うことを信じます。私には、あさひくんが皆が言うような悪い人だとは思えないんです』
曇りのない声で言い切られあさひは二の句が継げなくなった。
あさひは人の噓や悪意に敏感だ。
そういう育ち方をしてきたから。
でも……この櫻木真乃という少女からはそれを感じない。
初めて会った時から今まで、一度だって感じていない。
『今何処にいるんですか? あさひくんが迷惑じゃなかったら……合流しませんか、私達』
「っ……それは、櫻木さん達に迷惑がかかりますから」
『迷惑なんかじゃないですよ』
真乃は臆面もなくそう言い切る。
彼女のサーヴァントも当然それを止めない。
そのことがあさひの心に響くと同時に、痛みも与えていた。
『あさひくんは私を励ましてくれました。あの言葉のおかげで、私はもう一度前を向くことが出来たんです』
「あんなの、誰にでも言えることですよ」
『そうかもしれません。でも……あの時私を元気づけてくれた言葉は、あさひくんのものでしたから』
願いを追う者といえば確かに聞こえはいい。
でも結局やってることはただの人殺しだ。
ほしいものを喧嘩で勝ち取っているだけ。
他の誰かを犠牲にして明日を掴もうとしているだけ。
その上あさひは……血を分けた実の妹を殺す覚悟すら固めている。
“櫻木さん……あなたは、俺には眩しすぎるよ”
そんな人間にとって真乃はあまりに眩しかった。
そして、痛かった。
「……」
デッドプールの方を見るあさひ。
だがお喋りなこの男はこんな時に限って口を噤んでいた。
特に面白おかしいジェスチャーもしていない。
“……自分で選べってことか”
巻き込むか、巻き込まないか。
決めるべき人間は神戸あさひだ。
あさひは唇を噛んで数秒考える。
考えて、そして……言った。
「ありがとうございます…櫻木さん。俺に、俺達に……力を貸してください」
『…! はい、勿論です! 困った時はお互い様ですから!』
快く頷いてくれた真乃に改めてお礼を言って合流場所を指定する。
すぐ行きます! と言う真乃にどうか気をつけてくれと念を押して通話を切った。
「なあ、アヴェンジャー。これで……よかったのかな」
その言葉に何を言うでもなくデッドプールはあさひの肩を二度叩いた。
デッドプールに未来を見るすべはない。
あさひの選択が正しかったのかどうかは彼にも分からない。
だがそれが何を招いたとしても、彼はこの弱い少年が自分で選んだ答えが"正解"であり続けられるように戦うだろう。
このナリと言動でも、デッドプールはちゃんとヒーローなのだから。
◆ ◆ ◆
あさひが合流場所に選んだのはそれまで彼がいた公園に隣接している人工林だった。
広さはそこまででもないが此処ならばまず人目につかない。
もし誰か通りかかったなら、その時はデッドプールの手を借りて気絶させることになるかもしれないが……。
「これ、よかったら。お腹減ってるかなって思って一応持ってきました」
やってきた真乃はコンビニの袋を提げていた。
中に入っていたのは菓子パンやカロリーメイト、スポーツドリンク類。
正直なところこの差し入れはあさひにとって非常にありがたかった。
これだけ顔と名前が広がっているのだ。
分かりやすい特徴になる要素は捨てたが、それでもおいそれと店には入れない。
食料と飲み物を一挙に賄う真乃の差し入れは、今のあさひに一番必要なものだったと言ってもいいだろう。
「ありがとうございます、何から何まで……」
すみませんと言わなかったのはデッドプールのアドバイスを活かした結果だ。
デッドプールは真乃が来る前に、あさひにこう言っていた。
『助けてもらうことを選んだのはお前だ。なら、そのことで謝ったりはするなよ』
あさひとしては謝りたかった。
デッドプールの助言がなければ、迷惑かけてすみませんと頭を下げていただろう。
でもそれをしたところで結局さっきのやり取りの焼き直しになるのは見えている。
だから此処は後ろ髪を引かれる思いを感じながらも、謝罪ではなくお礼を言うのに留めた。
「……聞いてもいいですか。あさひさん、デッドプールさん」
質問を投げかけたのはひかるだ。
「私も真乃さんと同じで、あさひさんがこの町の皆さんを襲ったなんて信じてません。でも……なんでこんなことになっちゃったかとか、心当たりはあるんでしょうか」
「星野アイとあのライダーだ」
デッドプールがその質問に即答した。
ひかるが驚いた顔をする。真乃も同じだ。
彼女達はアイ達を信用しているのだから当たり前の反応だろう。
だがデッドプールはそれに遠慮はせず話す。
「あの時ライダーのあんちきしょうは俺ちゃんに自分らと同盟を組みたいサーヴァントがいるってことを明かしてた。十中八九その絡みだと思ってる」
「あ…アイさん達が……ですか!? そんなの――」
「言い切れるか? ありえないって。真乃チャンとアーチャーがお墨付きをくれるんだったら俺ちゃんも一考するぜ」
……言い切れない。
それはひかるも真乃も一緒だった。
二人はアイ達のことを信じている。
アイとそのサーヴァントが自分達のことを現在進行形で利用しているなんて思ってもみない。
だが……そんな真乃達も、星野アイが聖杯戦争に乗っているというのは知っていた。
「何も単独犯だとは思ってねぇ。でもこれは、多分アイ達のミスをもみ消すために描かれた絵だ」
デッドプールの推理は完全には的中していない。
彼の目からは先進国の首都一つを情報操作で掌握出来るほどの人脈を持った巨悪の存在までは見えていなかった。
しかし要点は抑えている。
あの場面でアイのライダーが真乃達に見せていない同盟候補の話を出したのはミスだと見抜いているし。
このあさひに対する包囲網はそれをもみ消すための工作だろうとも確信している。
満点ではないが合格点は取れる答案だ。
「俺達は…星野アイを信用出来ない。櫻木さんも、あの女とは早い内に縁を切った方がいいと思います」
デッドプールとあさひ、その両方の言葉を聞いた真乃達は眉根を寄せて顔を見合わせた。
真乃達にとっては全く予想だにしない話だったのだろう。
自分達が同盟を組んでいるアイとライダーこそが、あさひの生き地獄の始まりになったかもしれないだなんて。
「櫻木さん達も、きっと奴らに利用されていると思う」
「……あさひくん」
「怒らせてしまったらごめんなさい。でも……」
このままあの女とつるみ続けていたら……。
きっといつか、真乃達は悲惨な末路を辿ると予想がついた。
仮に今回の件がアイ達と全くの別口だったとしてもそれは変わらない。
アイだけならばまだあさひは信用していたかもしれない。
“あのライダーは…ダメだ。あいつからは……暴力の匂いがした”
しかしあさひの嗅覚が、あのライダーだけはダメだと告げていた。
最後まで釈然としない気持ちのまま別れることになったし、デッドプールから奴らが怪しいと聞かされた時は納得した。
他人を暴力でどうこうして何とも思わない汚い大人。
そんな奴の近くに置いておくには、櫻木真乃は眩しすぎた。
「大丈夫です。怒ってなんかいません」
「……櫻木さん」
「でもごめんなさい。アイさん達のことについては……もう少し考えさせてください」
それがあさひ達を疑っている故の発言でないということは分かる。
真乃はあさひ達を信じているが、だからといってそれをアイ達を疑う理由にはしたくないのだ。
ちゃんと自分で向き合って話し合って決めたい。
その善良さはやっぱりこの掃き溜めみたいな世界に置いておくには眩しすぎた。
「……分かりました。でも、気をつけて」
本当なら両手で肩を掴んで揺さぶってでも説得したかった。
でも警告できただけでも十分だ。
自分に出来るだけのことは、やった。
「あさひくん達は、これからどうするかとかもう決めてるんですか?」
「俺ちゃん達もこんなことになってるって知ったのはついさっきなんだよ。だからまだ何とも言えねー」
宙ぶらりんってやつだ。
言って首を吊るみたいな不謹慎なジェスチャーをするデッドプール。
「けど俺ちゃん達を嵌めた連中には必ず地獄に落ちてもらう。血の池で水泳大会させてやるさ」
それから親指を真下に下げ、今度は打って変わって首を切るジェスチャー。
アイドル相手にやるジェスチャーじゃないだろとあさひが彼の肩を肘で小突いた。
「……廃屋か何かを見つけて、ある程度時間が経つまで隠れようと思ってます」
それがいつになるか分からないのだけは問題だ。
「ネットカフェやカラオケボックスに避難するのは……少し危ないですよね」
「そうですね……それに、手持ちもあまり多くないので」
「……」
しかし真乃としても出せる代案の手持ちはなかった。
少なくともこの場では、絶対に出せない。
あさひを騙すようで心苦しかったが、そういう約束なのだ。
“あさひくんのこと……アサシンさんに相談したいな”
“わたしもそれがいいと思います。あの人なら、きっと話は聞いてくれる筈です!”
“……そうだよね! 摩美々ちゃんには迷惑をかけちゃうかもしれないけど、後で連絡を取ってみるよ”
あさひ達は聖杯を狙っている。
真乃や摩美々とはスタンスが違う。
なのでもしかすると、いい返事はもらえないかもしれない。
それでもきっと聞いてみないよりはマシの筈。
そう信じて、真乃はあさひにとっての助け船を呼ぶ計画をこっそり練っていた。
「じゃあ私達もよさそうな隠れ場所がないか探してみます。見つかったらすぐにでも連絡しますから!」
「あの…本当にありがとうございます、櫻木さん。……でも無理だけはしないでくださいね」
神戸あさひはきっと、今この東京で一番不遇な立場にいるマスターだ。
しかしあさひは自分の運命を呪ってはいない。
あさひの人生はいつだって不幸の中にあった。
その中で泥と血に塗れながら、綺麗なものを精一杯守ろうとするばかりの人生。
あの悪魔の元で過ごした何年もの地獄を思えば今の辛さは薄れる。
取り戻した筈の月が汚れていたことを知った時を思えば、忘れられる。
いや、そもそもそれ以前にだ。
今のあさひには、一人で戦う必要がない。
“でかい借りを作っちまったな。あさひよ”
“……ああ。返さないとな、必ず”
デッドプールがいる。
敵味方の枠を超えてまで助けてくれる人もいる。
これで不幸だなどと嘆いたら罰が当たる。
あさひはそう思っていた。
“櫻木さん達は……いつか乗り越えなくちゃいけない壁だ”
あさひだって真乃達と戦いたくなんてない。
だが、それで彼女達が他の悪意ある誰かに踏み躙られてしまうのはもっと嫌だった。
いつか来るその時を思ってあさひは拳を握る。
だけども、いつかは今じゃない。
“その"いつか"が来るまでに必ず返そう。お前も……その時は力を貸してくれ”
“水臭えな。お互いケツの穴の皺の数まで数え合った仲だろ”
“……お前そのジョーク、櫻木さん達の前では絶対言うんじゃないぞ”
生き残ろう、必ず。
こんな悪意の網は押しのけて。
自分を嵌めた汚い大人達もみんな倒して。
そうでなければ櫻木さんの心に報いれない。
あさひは、言葉もなくそう決意する。
真乃に対する負い目が完全に消えたわけではなかったが、それでも彼女と会う前よりはずっと前向きになれていた。
「櫻木さん。俺……」
あさひが真乃の名前を呼ぶ。
そして口を開いた。
何かを伝えるため開かれたその口は、しかし。
言葉を最後まで言い切る前に、吹き抜ける衝撃と轟音によって遮られた。
◆ ◆ ◆
「っ…あ、ぁ……?」
何が起きたのか分からなかった。
記憶が連続していない。
気絶していたのかとあさひが気付いた時、彼の体はデッドプールの腕の中にあった。
「怪我はねえな? あさひ」
「あ、あぁ…。アヴェ、ンジャー。一体何が……」
「空気の読めねえクソ野郎のお出ましだ。学校裏サイトなら毎晩悪口に花が咲くこと間違いなしのな」
見れば真乃も自分のサーヴァントに庇われ、へたり込んでいた。
そのことに安堵したのもつかの間あさひはぎょっとする。
自分達はさっきまで、小さいとはいえ人工林の中にいた筈だ。
なのに今、あさひ達の視界は遠く開けている。
理由は単純だ。
木々が、一本残らず根こそぎへし折られ……消し飛ばされているからである。
誰が信じられようか。
この光景が、ただの一撃で作り出されたものであるなどと。
「神戸あさひ。そして283プロダクション所属のアイドル、櫻木真乃だな」
インベーダーは二人組だった。
人工林を一撃で吹き飛ばしあさひと真乃の両主従を丸裸にした張本人、褐色の巨漢。
そして彼から数歩離れた後方に立つ銀髪の少年。
少年の右手には隠そうともせず、あさひ達にとって見慣れた赤い刻印が印されている。
少年の目が……デッドプールと
星奈ひかる。二人を交互に見た。
「脆弱な霊基だな。能ある鷹宜しく爪を隠しているのか、それとも見かけ通りの小鳥なのか……」
その時何かを感じ取れたのはきっとサーヴァントである彼ら二人だけだろう。
だがあさひには、傍から見ていてもその異常性を感じ取ることが可能だった。
あのデッドプールが。こんな言い草をされて黙っている質ではない筈の彼が、何も口にしない。
黙したまま、ただ"たかが"マスターの少年を見据えているのだ。
“あ……アヴェンジャー。あいつ――”
“絶対下手に動くな。あさひ”
思わず念話を飛ばした、その本質的な理由。
それは、この状況だからこそデッドプールの軽口が聞きたかったからだった。
彼の歯に衣着せない粗暴で下品な物言いがあれば少しはこの動悸も落ち着くかと、そう思った。
だが。
“あの黒んぼもそうだが……マスターのガキも大概だ。下手したらアイツだけで俺ちゃんより倍強え”
“は……っ!?”
“とにかく動くな。下手すると、此処で俺ちゃん達全員奴らの魔力プールの肥やしになっちまう”
デッドプールから帰ってきたのはそんな台詞だった。
心なしか伝わってくる声にもいつものような遊びがない。
起伏のない、言うなれば冷たい声。
よりによってこの男がそんな声を出していることが、あさひに自分達の置かれた状況の危うさを嫌でも思い知らせる。
「同情する。さぞかし腹が立っただろう、蜘蛛の巣でもがく感触というのは」
だが、と少年。
「もう思い悩む必要はない。蜘蛛の謀略に怯える時間もこれまでだ」
少年の年頃はきっとあさひと同じか一つ上程度だろう。
あさひの体格が貧相だから傍からはそう見えないかもしれないが妥当な線の筈だ。
しかしそれを踏まえても、あさひはこの少年に対して親近感だとかそういう類のものは一切感じることが出来なかった。
むしろ実際に彼が抱いた印象は――隔絶。この二文字に尽きる。
「おまえの慟哭は、此処で終わる」
震えを覚えた。
同じ人間に見えなかった。
それは彼がサーヴァントを連れているからなのか。
そうでもあるし、それだけではないだろう。
それはきっと生きてきた道のりの違い。
そして、その体の内側に秘めたる力の違い。
“デッドプール…! ダメだ、こいつらとは……!”
あさひが紡いだ念話に答えは返ってこなかった。
返すだけの余裕が瞬時の内に奪われたからだ。
“お前の言いたいことは分かる。俺ちゃんも同感だ。心底ムカつくが、こいつらとは今事を構えるべきじゃねぇ”
あさひの痩身がもんどり打って転がった。
攻撃を受けたわけじゃない。
攻撃が行われた、その余波の風圧だけで……そうなったのだ。
“けどよ、見ろよあのイケメン君。ついでに隣の日焼けサロン常連客も”
あさひと真乃。二人のマスターは今完全に蚊帳の外だった。
デッドプールとひかる。二人のサーヴァントだけが突如来襲した脅威と真っ向から向かい合っている。
“……此処で俺ちゃん達と真乃チャン達。纏めてブチ殺すつもり満々っぽいぜ?”
あさひは此処に来て初めて実感した。
きっと真乃もそうだったに違いない。
聖杯戦争、その実情。
英霊の座などという仰々しい場所から遠路遥々やってきた怪物の、その恐ろしさを。
「羽虫。分かっているだろうが、手は出すなよ」
「言われなくてもそのつもりだ。本戦でも君の力が健在であることを監査させてもらうとするよ、ランサー」
「ほざけ。貴様の軽口は癪に障る」
ランサー。
色黒な肌と長身の体躯が特徴的なその男のステータスははっきり言って悪い冗談の類としか思えなかった。
だが空気を通じて伝わってくる絶望的なまでの威圧感が、それが虚仮ではないとダイレクトに理解させてくる。
男が一歩前に出た。
デッドプールとひかるは彼ら自身の意思に関わらず迎え撃つ構えを取るしかない。
強者と弱者の戦いというものは、得てしてそういうものなのだ。
最終更新:2021年10月14日 23:03