◆◇◆◇



ぼんやりと光を放つ液晶画面。
手のひらで震える振動。
暫しの間を置いて、それは虚しく途切れる。
そんな工程を二、三度繰り返して。
“犯罪卿”――アサシンは目を細めつつ、スマートフォンを握る手を下ろした。

夜の闇と、静寂を背負い。
金色の髪を、月明かりに輝かせ。
憂いを帯びた眼差しで、犯罪卿は息を吐く。
うだるような真夏の影の下。
端正に整った表情の裏側で、込み上げてくる焦燥を抑え込みながら、彼は思考を重ねる。

“協力者”の一人――中野区の警察署に所属するNPCの警察官“大門”と連絡が付かなくなった。
白瀬咲耶の失踪などを始めとする事件の捜査状況や事務所近辺の不審な情報などを横流しし、犯罪卿の情報網の一翼を担っていた。

中野区の警察署で、社長の天井務を始めとする事務所の面々が事情聴取を受けていた。
日中の“事務所が荒らされた一件”についての捜査だった。
新宿での大災害の勃発で近隣の警察は対応に追われ、聴取に関しても大幅に時間が遅れている。
だから事務所の面々も、当分は警察署に留まっている――それが最後の報告だった。

プロデューサーが事実上の人質になった今。
今後、283プロダクションの関係者が更なる危害を加えられる可能性が高い。
その可能性に至ったアサシンは、警察署にいた面々の安否を確かめるべく、大門へと連絡を取ろうとした。
何時頃まで滞在していたのか。既に帰宅はしているのか。まずはそれらを確認したかった。

だが、一切応答はなかった。
大門が電話に出ることはなかった。
定期的な状況報告の時間にも、連絡は来ていなかった。
新宿事変の混乱がまだ続く中で、近隣の警官は対応や処理に追われているはずだ。
大門もまた勤務している可能性が高いにも関わらず、反応は返ってこない。

“七草はづき”から妹のにちかへと連絡が来たという話も、マスターである摩美々からは一切聞いていない。
これだけの事態が起きた上で家族が長らく外出をしているのならば、安否を確認したとしても不思議ではないはずなのに。
事情聴取を受けている事務所の面々――その周辺が、不自然なほど静まり返っている。


―――胸騒ぎが、込み上げてくる。
何か、取り返しの付かないことが起きたような。
そんな直感が、脳髄を刺激する。


気に掛かる事柄はそれだけではない。
先刻、豊島区近郊に配置していた偵察役のNPCから“垂れ込みの連絡”が入っていた。
池袋の方角へと目掛けて移動する、巨大な二つの人影を見た―――“老婆”と“龍のような大男”だったという。
そのNPCは思わずその場から逃げ出したそうだが、それを不手際として咎めることはしない。当然の反応だ。
そんな状況下で目撃情報を伝えたのならば、寧ろ上等だ。

その報告で、アサシンは確信した。
ビッグ・マムは、既に動き出している。
そして、恐らくは“結託”を果たしている――あの峰津院と激突したサーヴァントと。


彼らは池袋へと向けて直進していたという。
狙いは何なのか。何を標的としているのか。
それは恐らく、“敵連合”だ。

ビッグ・マム達の行動と平行して、“蜘蛛”との連絡も不通になっていることに気付いた。
そして峰津院といった一大勢力を無視して、彼らが潰しに掛かる陣営といえば。
それこそ、敵連合のみに絞られる。
あの一帯に存在する企業群に、もう一人の蜘蛛が潜んでいる可能性は高い。

三大勢力のうちの二組の結託、そして連合への直接攻撃。
想定よりも遥かに早く、連中は動き出した――まるで蜘蛛の同盟に対するカウンターを行うかのように。
早期の結託自体は“可能性の一つ”として考慮していた事ではあったが、余りにも状況が早すぎる。

そして―――懸念は立て続けに起こる。
件のSNSの書き込みだ。
“峰津院が掌握している東京タワーとスカイツリーの地下には、聖杯戦争の勝敗を分ける程の莫大な魔力が眠っている”。
“283プロダクションのアイドル達は脱出派のマスターであり、参加者の棄権が達成された場合聖杯戦争は破綻する”。

DOCTOR.Kというアカウントによって、その情報は流布された。
真偽は定かでなくとも、仮に事実であるのならば問答無用で対処を迫られる事柄だ。
聖杯戦争がワンサイドゲームへと転じる可能性と、聖杯戦争そのものが無効化され残存参加者が処分される危険性。
“様子見で受け流す”という日和見の行為へと向かうには、あまりにもリスクが高すぎる仮説だった。

これらの書き込みを見て、真っ先に動き出す主従とは。
自身の領域を脅かされる危険性が生まれ、尚且つ脱出派の集団を自前の戦力で早急に攻撃できる陣営―――峰津院だ。
“脱出派が魔力プールによって聖杯戦争を掌握する”可能性に彼らが至った場合、283は真っ先に標的とされる。

聖杯戦争の打破を目論む集団が、その荒唐無稽な目的を達成する為に“膨大な霊地の掌握”を目論んだら。
戦局に決定打を与える程の魔力が聖杯戦争の破壊へと向けられた瞬間、その時点で他の陣営は詰む。
仮に脱出派が具体的なプランを持っていなかったとしても、霊地の恩恵を受けたうえでの敵陣営掃討作戦によって聖杯戦争を強引に無力化させる可能性も生まれる。

聖杯を狙う陣営にとって、脱出派の残存は最早大きなリスクでしかない。
そのリスクを早急に解決できる陣営、あるいは解決する必要に迫られる陣営があるとすれば、それは間違いなく峰津院となる。

霊地というアドバンテージを奪取される危険性を抱えつつも、峰津院には数の利を持つ脱出派陣営を力押しで殲滅できるだけの戦力がある。
現状の懸念を強引に排除できる実力を持つ彼らが、ここで動き出さない理由はない。
先の会談で283が峰津院への餌になる可能性をMと共に言及していたが、あの投稿によってそれは現実のものとなった。

グラス・チルドレンは283を標的に定め、峰津院大和も攻撃を仕掛けてくる可能性が極めて高い。
圧倒的な大火力戦闘が解禁され、そして283が脱出派の集団として流布された今、最早グラス・チルドレンへの“脅し”は通用しない。

策は、潰された。
そして、ここから先も。
策が成立しない見込みは、極めて大きい。
どれだけ打算を重ねようと。
どれだけ強かに立ち回ろうと。
彼らには、その全てを叩き潰せるだけの実力があるのだから。
その暴力を縛る秩序も、既に打ち砕かれた。

知略、策謀、暗躍―――それらにおいて、蜘蛛は他の追従を許さない。
されど。ああ、それでも。
盤面の頂きに立つ無双の怪物達が、社会という枷から解き放たれれば。
その瞬間から、蜘蛛の謀略は“ただの糸屑”と紙一重のものに成り果てるのだ。
駆け引きを成立させる為の“暴力”で圧倒的に劣っている以上、ウィリアムの算段は最早破綻と隣合わせの領域にある。

グラス・チルドレンは、当初こそ逆境に立たされていた。
圧倒的なイニシアチブを握っていたのは犯罪卿だった。
今、その両者の関係は反転している。

本戦開幕当初におけるガムテの誤算は“自分達の置かれた状況を見誤ったまま、戦術以外の目的で283プロダクションへと出向いたこと”だった。
あの時点でガムテや幹部一同は組織全体の練度の低下に対し、正確なアプローチを取れていなかった。
適切な指揮系統が形成されていない中で実力の低い末端の構成員達を戦場に駆り出し、結果として数々の情報漏洩を齎した。
ガムテ達はそんな現状を掴みきれなかった。それ故に犯罪卿の策に嵌められ、283との対峙を余儀なくされた。

あの時点では実態も実害も曖昧だった283プロダクションと、都市伝説同然に認知され一大勢力として東京を蠢いていたグラス・チルドレン。
仮に犯罪卿によって情報が拡散された場合、窮地に立たされていたのは紛れもなく後者の方だった。
もしもその状態が維持されたまま、新宿事変によって大規模戦闘の火蓋が切られていれば。
グラス・チルドレンは一度情報を拡散された瞬間、制約を失った火力と包囲網によって叩かれる危険性もあったのだ。

しかし、“殺戮の王子”はただでは転ばなかった。
四面楚歌の危機を、打破してみせたのだ。

首領であるガムテの手腕と洞察力によって、戦術面での的確な立て直しを図れたこと。
283の最重要人物であるプロデューサーを自陣営の手駒として引き入れたこと。
ビッグ・マムとの即時共闘を果たせるサーヴァント、カイドウがこの舞台に存在していたこと。
対聖杯陣営が脱出を果たした際のリスクを他の陣営が察知し、283を孤立させられる土壌が産まれたこと。
そしてリンボという暗躍者の密告をきっかけに、蜘蛛二人の同盟が即座に筒抜けになったこと。

現状に対する適切な立ち回りと偶然の追い風が奇跡的に重なり、グラス・チルドレンはこれほどの窮地を乗り越えることができた。
自身の首筋に刃物を突き立てていた犯罪卿に対し、彼らの脅しを無効化しつつ優位に立てる程の手札を次々に手に入れたのだ。
そうして犯罪卿を中心とした283陣営は、最早いつ瓦解してもおかしくはない状況へと立たされている。

犯罪卿は―――着実に追い詰められていた。
策を張り巡らせ。彼女達を生かすための算段を重ね。
社会の陰で暗躍し、予選という一ヶ月を乗り越えた。
そして本戦開始後もその頭脳を駆使し、一度は“四皇”を退ける立ち回りを見せた。

だが、状況は変わってしまった。
知略さえも覆す圧倒的な力の解放を、許してしまった。
数々のスタンドプレイヤーが揃っていた、生前のロンドンのようには行かない。
此処に集っているのは、正真正銘の怪物――古今東西の世界で名を馳せた、英傑達なのだから。

そしてこれより先、脱出派は。
この界聖杯で最強の座を担う三主従と、対峙することになる。
グラス・チルドレン。皮下医院。そして、峰津院財閥。
四面楚歌に陥ったのは、283の陣営だった。

同盟を結んだ敵連合は、既に襲撃を受けている。
例え生き延びたとしても、陣営として少なくない手傷を負うことになっているだろう。
つまり、暫くは脱出派の戦力だけで対応しなければならない。
それは、賭けと呼ぶことさえも難しく。
余りにも熾烈であり、余りにも困難な勝負だった。


――最悪の場合。
――自身の“犯罪計画”を以て逃走経路を確保し、283のマスター達を離散させる。


即ち、対聖杯陣営の一時的な解体だ。
以後は雲隠れに徹するか、あるいは頃合いを見て再び合流を果たすか――確実な見通しは立っていない。
兎に角、彼女らが生存する可能性だけは手繰り寄せなければならない。
彼らとの全面抗争へと縺れ込めば、最早彼女達が生き残れる見込みは無くなる。
それだけは絶対に避けなければならない―――。


永遠のような夜の静寂も。
じきに終わりの時を告げる。

聖杯戦争の激化。加速。
それが齎す結果を、あの新宿事変は否応無しに伝えてきた。
いずれこの東京は、破滅の業火に包まれるだろう。
秩序も平穏も消え去り、力が衝突し合う戦場へと変わる。
あのロンドンの炎のような―――革命の狼煙ではない。
全てを焦土に変え、灰燼に帰させる、死の舞踏だ。

この一ヶ月。
彼女達が生きた日々は。
彼女達が生きてきた証は。
アイドルという、少女達の輝きは。
訪れる破壊の前では、容易く掻き消される。

それ故に。
だからこそ、犯罪卿は―――全力を尽くさねばならない。
自分が、考え抜かなければ。
自分が、戦わなければ。
自分が、背負わなければ。

ああ―――あの時と同じだ。
迸るような感覚が、彼の脳髄を蝕む。

ロンドンを牛耳る“脅迫王”に先手を打たれ。
あの国を変える“光の騎士”が、暗黒へと突き落とされ。
策が限界へと追い込まれ、やがて決断を迫られた――あの胸騒ぎ。


そして、ふいに携帯が振動した。
メッセージの受信を報せるバイブレーションが、静かに鳴り続ける。
アサシンは、片手に握ったスマートフォンの画面を見つめる。


【“子供達”が都内に残存していた彼女達の始末を完了した。】
【次は貴方達が標的になる番だ。じきに準備を整え、襲撃を仕掛ける。】
【奴らは鏡を媒介にして自由自在に空間を移動する。マスターとサーヴァント、その使い魔だけが恩恵を受けられる。】
【襲撃のタイミングは―――】


それは―――密告。
プロデューサーに配送した携帯電話。
その番号から、メッセージは送られてきた。
罠の可能性を一瞬疑ったが、恐らくは違う。
誘導をする上で、“鏡による移動”という空間移動の種明かしまでするメリットなど無い。
それだけではない。襲撃の連絡が送られた時点で“マスターを避難させる為の猶予”が生まれる。

つまり、これは283を嵌めるための罠ではなく。
紛れもなく“情報の横流し”である。

その時、犯罪卿は確信する。
連絡の通じない中野区警察署で、何が起きているのかを。
風野灯織や、八宮めぐるが犠牲になったように。
事情聴取を受けていた彼女達も。

そして、“彼女達の始末”という文言。
気付くべきだった。先手を打つべきだった。
グラス・チルドレンへの脅迫が通用しなくなった可能性に行き着いたのなら、彼女達の安全も確保すべきだった。
つまり、この都内に在住していたアイドル達もまた。



犯罪卿。
お前は、何をしている?



運命で結ばれた“彼”の声は、聞こえない。
自らの背骨を抱える優しい言葉は、見つからない。
目を見開いた犯罪卿は、ただ沈黙し。
その瞳を、静かに濁らせた。




◆◇◆◇




広々としたリビング。
家族にとっての団欒の場。
明かりは灯されず。
仄暗い夜の闇に包まれ。
沈黙が、その場を支配する。
そこに、温もりはなく。
ただ―――取り返しの付かない、死の匂いが充満していた。

その男“プロデューサー”は、椅子に腰掛けていた。
傍には霊体化したランサーが控えている。
茫然とした面持ちで、虚空を見つめる。
自らの中に渦巻く負の感情と、これからやらねばならないこと。
雁字搦めになるそれらを紐解きながら、その場に留まり続ける。

その瞳は、濁りきり。
表情は、窶れて。
胸の内では、どうしようもない喪失感が訪れる。
哀しみも、痛みも。苦しみも、怒りも。
全てが混ざって、淀んだ色を形作る。

だというのに。
涙だけは、溢れては来なかった。

ああ、そうだ。
俺らしいと、彼は自嘲する。
にちかの心を、皆の心を傷付けて。
そしてまた、此処で彼女達の心を傷つけることになり。
それでもなお、願いのために戦うことを選んだのだから。
そんな自分に、涙を流す資格なんてない。
例えそれが、にちかや皆のための祈りだったとしても。
彼女達の想いを裏切ったのは、間違いないのだから。
そして、今も。
こうして―――まざまざと見せつけられている。


視線の先。
濁った眼差しの先。
足下。血肉が散乱した床。
あちこちが赤く染まり、腐臭が漂う室内。
家具や倒され、日用品が撒き散らされ。
それらに紛れ込むように、“彼女の両親”の手足が転がっている。
四肢を切り落とされた彼らの顛末は――最早、触れるのも憚られるもので。

そして、視線を上げる。
視線を、ゆっくり―――ゆっくりと。
ああ。頭が、重い。
見たくない。もう、見たくない。
そう思っていても、彼は視線を動かす。
見ろ。お前が何を齎したのかを。
しっかりその目に、焼きつけろ。
心の奥底から湧き上がる言葉に、彼は従う。



その“少女”は。
壁に打ち付けられていた。
まるで十字架に掛けられた救世主のように。



衣服を剥ぎ取られ。
全身を鋭利な刃物で切り刻まれ。
両手の指は、余すことなく切断され。
そして、彼女という個人を示す“顔”は、原型を留めないほどに破壊されている。
目を抉られていた。鼻や舌は削がれていた。
その整っていた顔は、鈍器か何かで骨ごと叩き割られていた。
血に塗れて。ぐちゃぐちゃに刻まれて、潰されて。
痛かったろうに。怖かったろうに。
本当に、本当に、苦しんだろうに。
なのに、俺は――――何もしてやれなかった。


ああ、彼女達は。
283のアイドル――NPCの彼女達は、“子供達”に殺されたのだ。
その現実を、彼は改めて直視した。


傍らには、“チェスの兵士”が立っていた。
それがビッグ・マムの使い魔であることは、すぐに気付いた。
プロデューサーがこの場に来たときから、ずっと留まっており。
まるで彼と同じように、死体を見つめ続けていた。
死を検分するかのように。あるいは、懺悔をしているかのように。

その“使い魔”が自身の“魂”で作られたホーミーズであることに。
プロデューサーが気付くことは無い。
そして、闘気の感覚によってそれを悟っていたランサーは、沈黙を貫いていた。






神戸あさひが、櫻木真乃との電話をした後。
行動に出ようとしたプロデューサーは、見張りの子供達から言い渡された。
“暫くは待機しているように”。
“指示があれば、あの鏡を使って指定された場所まで赴け”――と。
そうしてプロデューサーは、“緊急連絡用”として簡素な携帯電話を渡された。

プロデューサーは、彼らの指示に従った。
ここで下手に行動して、謀反の可能性を悟られれば。
にちかに会うことも叶わず、願いを掴み取ることも出来なくなる。
悔しいが、あのビッグ・マムは正攻法で倒せる相手ではない。
乱戦へと縺れ込ませない限り、両者の共倒れを狙うことは出来ない。
だからこそ、耐えた。今は時を待った。
それが―――凄惨な結果を招くことになるとは知らずに。


やがて、プロデューサーは指示を受けた。
そうしてミラミラを介して、ある場所へと転移した。
それは―――283プロ所属のアイドルの自宅であり。
“彼女”とその両親の凄惨な亡骸が転がる、殺戮の現場だった。
この時間。慎重になることを選んだ、あの一時。
耐え忍び、機会を待つことを選んだ、あの瞬間。
結果としてプロデューサーは、彼女達の死を見過ごすことになった。


仕方がないことだった。
察知しようがなかった。
そんな言い訳をするのは、容易くとも。
それでも、彼の心には―――喪失と絶望が、重く伸し掛かる。


なぜ彼らは、こんな現場を見せつけてきたのか。
これは、自分への“見せしめ”であり。
そして、都合の良い行動を促すための一石ということだ。

この惨劇を見せられたプロデューサーが“283陣営のサーヴァントの排除”を急がない筈がない。
彼女達がこの盤面に立ち続けている限り、いつ同じような目に遭ってもおかしくはないのだから。
つまり――尻に火を付けてやったのだから、今すぐに283陣営を崩すための尖兵になれ。
そうすれば、お前が大切に想っている偶像達は戦場から降りる。
恐らくは、そういう話なのだ。

自身があの家へと到着したとき。
部屋の中では、グラス・チルドレンが待ち受けていた。
それは、彼女達を惨殺した“殺し屋”であり。
仲間のために戦い、仲間のために怒ることのできる、“子供達”だった。
彼らは自身の到着を確認した後、予め送られていた使い魔を監視役にして退散していた。


――――プロデューサーサン、俺達はね。
――――若くして心を殺された!
――――家庭や学校!そんなものにズタズタにされた!
――――だから俺達は、殺人(コロシ)をやるんだ。
――――俺達のヒーロー、ガムテと一緒なら何だってやれる。
――――幸福(シアワセ)な奴らをブッ殺すんだ!


子供達の一人は去り際に、そう言っていた。
一瞬の邂逅だった。僅かな対面だった。
それでもプロデューサーは、察してしまう。
アイドル達の亡骸の傍に立っていた“子供達”の表情が、脳裏に焼き付いて離れない。
歓喜。憎悪。憤怒。悲嘆。嫉妬。
あらゆる感情が綯い交ぜになった面が、彼らの全てを物語っていた。
あの歳で、あれだけの凶行に手を染め。
そんな子供達だけで、寄り添い合い。
そして、世間への恨み辛みを吐き出している。

ああ、あの子達は――――復讐をしているのだ。
幸福に生きられなかった自分達を憐れみ。
幸福に生きられた誰かを、恨んでいる。
そして、彼らは人で居ようとする。
同じ子供達で寄り合うことで、人であることを保とうとしている。
そうしなければ、人の形すら保てなくなるから。

彼らは、何なのだろう。
プロの殺し屋。残忍なシリアルキラー。
あるいは、“普通の幸せ”から見放された悲しい被害者。
きっと、どれも彼らの側面なのだろう。

けれど、それらは本質ではない。
彼らは間違いなく哀れな子供達だ。
幸せでいることを許されず、その果てに壊れてしまった犠牲者なのだ。
されど、哀れならば他者に犠牲を強いることを許されるのか。
どうしようもない悲劇を背負っていることは、他者を傷つける免罪符になるのか。


決して、違う。
もしもそうだとすれば―――俺のような人間でさえ、許されるべき存在になってしまうのだから。


彼らは、彼女達を惨殺した。
罪のない少女達を、躊躇なく犠牲にした。
それは、決して揺るがない事実だ。
そして、いずれ彼らは――願いを叶えるために、消えてもらうしかない。

だからこそ。
グラス・チルドレンは、結局のところ。
プロデューサーの“敵”であることに、代わりはないのだ。






そして、緊急連絡用電話の着信が鳴る。
椅子に呆然と腰掛けていたプロデューサーは、すぐにその電話へと出た。
末端のグラス・チルドレンからの連絡だった。


――――参加者以外の偶像(ブス)共は殲滅した。
――――次は“聖杯戦争のマスター”達だ。
――――世田谷周辺で活動してた構成員が目撃情報を掴んだ。
――――その後も隠密行動に長けてる仲間(ダチ)が調査を続けてたが、確定だ。
――――さあプロデューサー、アンタらの出番だ。
――――海賊(ババア)の使い魔も貸してやるとよ。


ああ、やはり来たんだな。
プロデューサーは、予期していた連絡を前に自嘲する。

正確な住所や位置などの情報は無い。
グラス・チルドレンが拠点としている地点へと転移し、その後自らの脚で強襲を仕掛けろということなのだろう。
杜撰な指示のように見えるが、そうではない。
ランサーは優れた探知能力を持つ―――闘気への嗅覚を転用し、魔力を探ることにも長ける。
敵が何処へ潜んでいるのか、どの程度の戦力がいるのか、大まかな位置に接近さえすれば完璧に把握できるだろう。
故にこの襲撃は、十分に成立する。

このまま行けば、彼女達は戦場に巻き込まれる。
それだけは、避けなければならない。
だからプロデューサーは、隠し持っていたスマートフォンを取り出し。
既に打っていたメッセージを、ある連絡先へと送った。



【“子供達”が都内に残存していた彼女達の始末を完了した。】
【次は貴方達が標的になる番だ。じきに準備を整え、襲撃を仕掛ける。】
【奴らは鏡を媒介にして自由自在に空間を移動する。恐らくマスターとサーヴァント、その使い魔だけが恩恵を受けられる。】
【襲撃のタイミングは―――】



『業務連絡用』。
電話帳に入っていた、一件の連絡先の名前だった。
それは283プロの別の仕事用携帯電話へと繋がる番号とメールアドレスであり。
恐らく、これこそが“犯罪卿へと繋がる連絡先”だ。

彼がこの界聖杯における283プロダクションの盟主であり、日中にプロデューサーへと携帯電話を支給した張本人であるのならば。
283プロにまつわる連絡網も、彼が何かしらの形で管理している可能性が高い。
それこそ仕事用の携帯電話程度ならば、彼が所有していても不思議ではない。

この携帯に連絡先を予め用意していたのは、“プロデューサーが何らかの形で事務所側にコンタクトを取ろうとした時”のために敢えて残していたのかもしれない。
その時点での犯罪卿は「プロデューサーのグラス・チルドレン入り」を予期することなど不可能だったのだから。
そしてプロデューサーが他の陣営に引き込まれたという可能性に彼が行き当たったのならば、不用意に連絡も入れられなかったのだろう。
下手なコンタクトを取れば、敵側へと情報が漏洩する恐れにも繋がるのだから。

襲撃の直前に自ら連絡を入れ、両陣営の乱戦を狙う。
立案した当初から、この策は正気の沙汰ではなかった。
そして今、この策は紛れもなく破れかぶれの博打となった。
自分が実行する襲撃計画のタイミングを、標的に対して直接伝える。
まともではない。どうかしている。
“ガムテ達を巻き込んだ乱戦”という前提すら崩れている。

しかし、最早そうするしかない。
いつガムテ達が殲滅作戦を敢行してもおかしくはない中、彼女達を生かすためには自分が先鋒を担うしかない。
メールによって危機感を煽り、彼女達の避難を促した上で自分が強襲の火蓋を切る。
そうしてランサーやホーミーズらを使って少しでも相手側のサーヴァントを削る。
闘気探知によってランサーは確実に先手を取り、状況を撹乱させることが出来る。
それらの能力と与えられた戦力を駆使して、283組のサーヴァントへの効率的な攻撃を行う――最早“正々堂々と戦う”つもりはない。



ミラミラの空間へと入り込み、ゆっくりと歩を進めて。
そうしてプロデューサーは、世田谷区の“グラス・チルドレンの隠れ家”へと繋がる鏡へと踏み込む。

薄暗い部屋で待ち受けていたのは、無数の使い魔達―――先程の使い魔と同じく、いずれもチェスの兵隊のような姿をしていた。
ああ、これが彼らとの戦うための道具であり。
何か起きたとしてもビッグ・マムがすぐに自身の裏切りを察知できる“見張り役”なのだろうと、プロデューサーは悟った。

283の縁者である自分が、283潰しの尖兵として駆り出される。
言ってしまえば、これさえもガムテやライダー達の思惑通りなのかもしれない。
敵の主力を削り、彼女達を体よく潰す為の足掛かりに過ぎないのかもしれない。
それでも、ここで自分が戦果を上げて、今後の“283組への攻撃”における発言権を得ることが出来れば。
そうすれば、虐殺へと至る可能性を逸らすことが出来る。

そして、283組を攻撃した上での戦果として最も確実な存在がいるとすれば。
彼女達を戦線離脱させるために。
グラス・チルドレンに283への攻撃を緩めさせるために。
必ず落とすべき者が居るとすれば。


――――それは、“犯罪卿”。
――――脱出派の盟主と言うべき、黒幕。
――――彼はここで、倒さなくてはならない。


犯罪卿について、グラス・チルドレンからも話は聞いていた。
彼は“咲耶を陥れた黒幕”を名乗り、ガムテを手玉に取ったのだという。
しかしその実態は、283プロダクションの守護者であり。
自らの顔に泥を塗った彼への復讐のために、今のグラス・チルドレンは283への苛烈な攻勢を強めている。

――予選期間中。
あの一ヶ月間。
自身はマスターでしかなかった。
プロデューサーは、己を振り返る。

願いのために戦っていた。
己の望みのためにランサーとともに駆けていた。
彼女達が参加者である可能性から、目を背けていた。
界聖杯における“プロダクションの現状”について、向き合うことをしなかった。
彼女達を守るべき立場にあるはずの自分が、彼女達の居場所を放置し続けていた。

犯罪卿は―――きっと、283プロダクションの誰かのサーヴァントなのだろう。
あの予選期間中に発表された“事務所の活動縮小”。
それから奇妙なほど自然に軟着陸を始めたプロダクション。
他の主従に尻尾を掴ませることなく、ごくごく平穏に、何事もなく。
283プロは、“店じまい”を始めていた。
社長と事務員の七草はづきしか在籍していない中で、適切な運営を保ち続けていた。

もしも、あの流れが存在していなかったら。
もしも、事務所が穏便に看板を下ろしていなければ。
もしも、それを為せるだけの裏方が居なければ。
彼女達は、どうなっていたのだろう。

恐らくは予選期間の中で、何らかの形で存在を察知され―――事務所そのものが標的となっていたのではないか。
そうして脱出派として結託する間もなく、攻撃を受けていたのではないか。
彼女達は強い。その絆も、間違いなく本物だ。
しかし、この界聖杯で蠢く者達は―――彼女達の善意ではどうしようもないほどに強かで、冷徹で。
故に彼女達が喰いものにされる可能性は、いつでも転がっていた。



そんな中で、あの犯罪卿がいた。
恐らく事務所の運営を操っていたのは、彼だ。
アイドル達に視線を集めないために。
彼女達が標的にされないために。
その為に彼は、あれだけの立ち回りをしたのだろう。
自ら黒幕の汚名を背負うことでガムテ達と対峙したのも、アイドル達に危害を加えさせないためだったのだ。

ああ、そうだ。
犯罪卿は――――戦い続けていた。
要を失った居場所を守るべく。
彼女達の、守護者となっていたのだ。

だから、プロデューサーは。
決別の想いも込めて。
その一言を、静かに呟く。


「ありがとう」


それは、紛れもない本心だった。
この一ヶ月間、自分が成し得なかったこと。
この聖杯戦争で、自分が果たさなかったこと。


「みんなを、ずっと守ってくれて」


その責務を、“犯罪卿”は引き受けてくれた。
彼女達が、プロダクションが、この世界で生き延びられたのは。
紛れもなく、彼という守護者が居たからだ。

無垢な少女達の居場所を、彼は守り続けてくれた。
彼女達のために、自分は何もしてやれなかった。
身内にマスターがいる可能性から目を逸らし、彼女達と距離を取り続けた。
そんな自分と、彼は違う。

戦う道を選んだ己と、守る道を選んだ犯罪卿。
にちかを救えなかった己と、彼女達を守り抜いている犯罪卿。
きっと、ヒーローと呼べるのは―――彼の方なのだろう。



「令呪を以て命じる、ランサー」



だからこそ、犯罪卿。



「――――『今回の戦い、絶対に勝利を掴め』」



貴方は―――俺とランサーが落とす。
貴方が居る限り、彼女達はこの舞台に立ち続ける。
俺の願いは、貴方を排除しない限りは成し遂げられない。
故にプロデューサーは、命じる。
絶対的な勝利を掴むべく、右手の令呪を迸らせる。
ああ、始まる―――これから、戦いが。
彼女達の命運を左右する戦果が、巻き起こる。


―――これは、俺がやらなくちゃいけないことだから。


プロデューサーは、己にそう言い聞かせる。
もう後戻りは出来ないし、するつもりもない。
今はただ、戦い。犯罪卿を倒し。
そして彼女達を、この舞台から下ろす。
それが彼の、決意だった。



◆◇◆◇


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年04月19日 10:06