緋色の糸、風に靡く――/――静けさがしみ込むようで息を止めた
午前5時、非常階段で爪を噛む。
◆◆◆
夜間の世田谷区からこっち、峰津院のサーヴァントと海賊の尖兵と、連続した襲撃を受けていること。
プロデューサーが襲撃前に送ってきたメールから、海賊側の移動手段が『鏡面』だと確定したこと。
それらの事実によって、アイドルの少女三人と、彼女らにつくサーヴァントの三人はそろって場所を選んだ。
まずは、『反射物』の見当たらない場所を選定すること。
峰津院のように空撮を可能とするだけの財力を持った主従もいる以上、夜が終われば上空が開けた地点も警戒すること。
目覚めはじめた小鳥のさえずりを、たしかに耳に留めながら。
それを聞いて鳥という生き物の全般が大好きな
櫻木真乃が、耳をすませるようにしたのを見つめてから。
人差し指で通話をかけるための電話マークをなぞり、端末を耳元に当てて反応を待った。。
コール音だけが聞こえるわずかな時間は、心構えを試すための前置きだ。
お前が『彼』のように『もう一人の彼』と話すのはどだい無理なのだから、このコールが繋がったら覚悟しろと。
『私だ。まずはお互いに落ち着いたようで何よりと、挨拶に代えようか』
私が応答した、と。
あたかも言わずもがなの英雄(ヒーロー)を名乗る様に切り出されたその声の主は。
しかし、悪の救世主だと名乗るがごとくに、重く、深く、低く、聞くだけで汗をにじませた。
「Mさん、ですね」
応答の主が彼になってしまうことは当然だ。
こちらが引き継いだのは、マスターの連絡先ではなく、あくまで『蜘蛛』の連絡先なのだから。
『そういうお嬢さんは、あるいは『W』を名乗った彼のマスターなのだろうか』
「……それに答える前に、確認、いいですか?」
にちかのライダーからは、まず何に応えるよりも先に確認をした方がいいとアドバイスを受けた。
こちらが得ている『鏡』の情報を、向こうも得ているかどうかは分からないからと。
『鏡を始めとして、盗聴の原因になり得るものは排除しているよ。それで足りるだろうか』
しかし、打てば響く。
いや、『周りにガラスや鏡はないですか?』とこちらが打つ前にもう響いていると言うべきか。
確認すると言えばそれしかないだろうと、分かり切ったような断言の仕方が、どきどきと胸を揺さぶった。
「はい……」
知っていた、絶対に油断する余地などない相手だということは。
分かっている、元はといえば白瀬咲耶の炎上騒動を起こした人であると。
それを利用して、事務所の皆を生き餌として危険にさらした諸悪の根源だということも。
「私は田中摩美々……Wさんの、マスターです」
それでも、この早すぎるテンポで交わされる会話は、よく知っている。
一か月、この『速さ』に付き合ってきた。
すっかり馴染みのものとしながら、生きてきた。
やはり『蜘蛛』なのだと、そう重ねてしまった自分の湿っぽさを、摩美々は叱る。
『理解した。その話しぶりから、そちらは『交渉の続き』をするつもりで、
――未だに自分たちは手を組むだけの価値を維持しているという楽観視を持って、接触を図ってきたと言うのかね』
そして、もう一つ分かったことがある。
『あの人』は、あれでも摩美々たちを怖がらせないように、なるべく非日常の顔を解いて接してくれたんだなと。
リンボが、『お化け』だとするなら、この声の主は『漆黒の闇』だ。
黒い太陽は、それでも太陽だった。姿は明瞭で、全容は露骨で、正体が分からなくとも何をされるのかは察せる。
闇は、どこまでも不定形だった。『今でも組めると思っているのか』と発せられる声は、威圧のようでありながら戯(ふざ)けのようであり。
少しでも怯みを見せたら寄生される強迫観念がある上で、逆にいつでも『先に騙そうとした戦犯』に仕立て上げられてもおかしくない。
こんな時に思うことでは無いけど――世田谷区で銀翼のサーヴァントが、『蜘蛛』との会話を断固として拒否していた理由も分かる。
「その、話をするなら」
だから、彼の土俵に上がるのは摩美々ではないし、彼と話すことが最初にすべき事でもない。
「まずは、あなたのマスターに代わってもらえませんか?
お互いのマスターが了解してから話をする。そういう決まりだったと思います」
通話に至るまでの休息時間の間に、にちかのライダーは録音アプリに記録されていた蜘蛛たちの密談をおよそ把握している。
そして、Mのマスターからじかに同盟の可否を問えるようになるまで、Mとの会話は最小限にというのもライダーの指示である。
『それはもっとも、では我らが盟主を紹介するとしよう』
そして、要望はあっさりと聞き入れられる。
矢面を代わったとしても、まず襤褸を出すようなマスターではないという余裕があるかのように。
端末の向こうで小声が交わされ、人を呼んでいるかのような雑音のさざなみが伝わる。
対話に臨むための壁は取り払われた。
摩美々は大きく息を吐く。
ライダーや真乃たちに親指を立ててみせる。
しかし、老いた蜘蛛はまだ続きの言葉を残していた。
いよいよ先方のマスターが出て来るのだという、意識の切り替わりの隙を縫うように。
『――ところで君は、【お別れ】を経験したのだね』
それは、疑問ではなかった。
断言であり、区切りであり、前提の共有だった。
そして、誰とのことなのかを指しているのも明白だった。
「そちらにも、経験した人がいるんですか?」
摩美々は知っている。
『モリアーティ』は、とても頭が良い。
だから何故分かった、とは聴かない。
そちらに『も』と答えることで、その通りだと明示して。
それを聞くならこっちだって聞いてもいいはず、と質問で返す。
『ああ、教え育てていた子の一人でね。別れを経験することで成長したようだったよ』
お互いに、マスターの幼年期は終わったようだねと。
摩美々は、通話相手が頷くのを感じ取った。
満足を得たような温かさ。
他人事のような冷ややかさ。
無情ではない。
少なくとも、別れを経験したその当人の心情を理解する心はある。
しかし、善人の価値基準ではない。
少なくとも、男はその離別を『総合的に見てプラスだった』という評価軸に収めている。
怪物性の差異ではなく、弁舌の差異ではなく、ただそれによって摩美々は察した。
「あの人のことをよく分かってるみたいで、どーも」
この犯罪者は、人々を憂うことはしない。
彼とこの人は、同じような物語を与えられた、ぜんぜん違う存在だということ。
やはり、人を『枠組み』で判断するのは良くない。
生きていることは物語じゃないのだからと、かつて
幽谷霧子は言っていた。
同じ物語を生きた二人だったとしても、同じ人生を生きたと見なすのは双方にとって失礼だ。
「でも、私なら……」
牙をたてようとすれば、毒を盛られる。
だからこそ会話は最小限に、これまでの恨みはいったん脇に置くつもりで。
ただ、白瀬咲耶のことを始め、昨日までは確かに水面下の敵だったとの確信はあって。
「悪い事と数学の宿題は、別の人に教わります」
皆を窮地に置かれたこと、そして、何やら人の相棒をさんざん煽ったらしいことは忘れていない。
どうせこちらの感情は読まれているのだろうし、引きずるべき遺恨として扱われない程度に表明しないわけにはいかなかった。
◆◆◆
『……
星野アイのカモにされてた奴らのお仲間だったか?』
開口一番。
どうやらこちらの期待値はお世辞にも高くないらしい。
同盟に漕ぎつけるだけの交渉をしたサーヴァントがもう亡いと割れている以上、舐められていない方がおかしいのも否定できない。
「283プロダクションのアイドル、田中摩美々。歳はじゅーはち。再契約は済ませてます」
自己紹介も兼ねて、はぐれマスターではないと、誤解になりそうな事は正して。
『名乗るのかよ。こそこそ隠れまわって、マスターのガワは名乗らない連中じゃなかったのか?』
「そうまでして守りたいモノは、もう無いので」
283プロの顛末にどこまで調べがついているかは知らないが、隠すつもりはなかった。
これが数時間前なら、こんなにきっぱりと答える摩美々はいなかったかもしれないが。
「敵連合のリーダーさんですよね。お名前を聞いてもいいですか?」
『
死柄木弔。ジジイの相手が厄介だからこっちから懐柔しようって腹なら話は終わりだ』
芸名を使うアイドルより、だいぶ本名らしからぬ名前だった。
だが、いきなり電話を切ることをも辞さないほどの稚気だけで終わる人物が、盟主を名乗っているはずもない。
「懐柔とか交渉とか、そういうお付き合いのことだけじゃない話もあります」
摩美々と何歳も離れていないであろう、年若い青年の声であることは分かる。
だが、若くて青いと言っていいエネルギーに満ちているのに、『罅が入ったように皺枯れている声』というものを摩美々は初めて耳にした。
ドラマの出演経験もあったけれど、どんな演者でも、こんな病み憑いて、冷え切って、それでいて煮えている声を出したことは無い。
「まずはお礼、ですかね。
あなたのサーヴァントに、うちのサーヴァントがずいぶんお世話になったみたいで」
『お礼ってのは皮肉なのかマジなのかはっきり分かるように言うもんだろうが』
「さすがに、皮肉の為に電話を替わったりはしないですよー」
『それもそうか。そっちは海賊どもに囲まれて、恥知らずにも敵に助けてくれって頭を下げようとしてんだからな』
「そう言う死柄木さんは、聞かないんですねぇ……Doctor.Kさんが言ってた、あれそれのこと」
283側の主従がジリ貧であることを前提に話している。
すなわち、脱出プランにまつわる布告を深刻視していないという事実に、摩美々は尋ね返していた。
実のところ、改めて同盟を結ぶにあたっての最大の障壁であり誤解のタネはそれになるというのがライダーの言だった。
こちら以上に情報の入手経路には事欠かないであろう権力と人脈に恵まれた蜘蛛が、くだんのSNSによる暴露を気付かないはずも無し。
そうなれば、『こちらと手を結ぶ裏で、全員見殺しの算段を整えていたのか』と責められ、話を打ち切られるだけならまだ良い方。
海賊よりもお前らが先に死ねと、現時点での敵を増やす結果に終わるのがなお悪い方だろうと。
仮にそこまで心証が悪化していれば、むしろ脱出計画を持ち込んだライダーたちが話すべき案件であり、通話を替わるとも聞いていたのだが。
『そのへんの頭を使った話はジジイに聴け。俺は、お前らが脱出とやらを決行できない優柔不断で良かったって聞いてるだけだ』
「……じゃあ、死柄木さんにしか、聴けないことを聴きたいです」
こちらの脱出は、やはりと言うべきか辛辣に受け止められていたけれど、そのあたりの損益計算は後後にライダー達と話し合うとして。
終始、『こちらは同盟の話を打ち切ったっていいんだぞ』というある種の自信、そして生理的に合わない別種族と会話するような悪感情は一貫していた。
戦力の足しになるなら許容するし、利用する。けど、必要以上に近づくな、慣れ合うな。
光を目指して手を取り合う関係は求めていないし、ここはそういう集団じゃない。
そのマイナス感情を承知で切り出すのは、怖じ気もあるのが本当だった。
だけど、これを切り出すために話したがったようなものだから、と一呼吸をしてはっきり発声する。
「聖杯が手に入ったら、世界をぜんぶ壊しちゃうのは本当ですか?」
しばらく沈黙があったからには、予想外ではあったのだろう。
『……策謀ジジイ同士で話した時に、何か聞いたのか?』
自ら願うところを語ったことはあったとしても、他者にそれを当てられた経験には乏しかったらしい。
二人のモリアーティが、組むにあたって互いの目的を推察し合った結果として出てきたものがそれだという。
「そっちのお爺さんは否定しなかったみたいですケド……何を話してたか、聴いてないんですか?」
『大半が頭を捏ねくり回した、人に聴かせる気のない話だった。そういうお前は全部丸ごと聴いたのか?』
「それもそうですね…………お互い、そこには苦労したみたいで……」
おおよそを要約して教えてくれたにちかのライダーが頭の痛い思いをしたのなら、大変に申し訳ない。
原因の半分はこちらのサーヴァントです。
『それで、本当だったならどうした、脱出を成功させて俺たちの野望を阻止してやる、とでも言うつもりか?
それとも、世界の為にこんな連中と組んでいられない、と思ったのか?』
「いいえー。さすがに、その言葉一つで人を判断するのは無理だなと思って」
私はMさん達みたいに頭良くないから、と前置いて。
「何の為に、その願いを叶えるのか、聞きてもいいですか?」
どうして、というたった一つの問いかけ。
そこに通わせられる心があればいいという、光明。
どう考えても受け入れられない悪行に、それでも一分の理解を見出したいという希望。
その感情は、すべて余すところなく、摩美々の声にのっかった。
この会話を望んだ理由は、単なる駆け引きではなく、対話であると。
アイドルとして磨かれた表現力は、質問ひとつに真意をこめることに成功していた。
しん、と。
端末ごしに、問いの意味が一考されるだけの時がたつ。
その『相手は答えを考えている』という事実が、摩美々の心を少しだけ軽くして。
しばらく待てば、返答はもたらされた。
そんなことかと言いたげに。
あまりにあっけらかんと。
ごく当然のものとして。
『その方が、すっきりするだろ』
嘲笑の入り混じった、底冷えのするような冷徹さで。
「は?」
『そう思えないなら、分かるもんじゃねぇよ』
田中摩美々は、知らない事だが。
魔王が、以前に盟友にも聞かれた『とむらくんはどうして?』という問いかけに対して。
『何もかも目障りだ』という、それだけのことが過去にあったと示唆する文言で返さなかったのは。
こいつなんかに、軽々しく本当に奥底のことを明かしてやらないという諦念だったのか。
あるいは、通話を受け取った初めの挨拶で、彼女のことを『まぁ、普通だ』と看破したことか。
たとえ、一部の者が己こそ『普通』で『石ころ』だと形容し、彼女や他のアイドルを『特別』で『宝石』と見なしたところで。
彼女に、
神戸しおや星野アイのような『壊(イカ)レ』はない。
女子高生らしき年頃と、独特のテンポ感を伴う話し方にはトガヒミコを思い出さないでもなかったが、内面は似ても似つかない。
かといって、凡庸性、ろくでもなさを晒した上でなお『こちら側』が似合っていた、同じ田中姓を持つ男のように、飢えてもいない。
先ほどに宣戦布告を交わし合った
峰津院大和のような、声にもありありと現れる刃は持っていない。
いずれにせよ確かなのは。
彼女もまた、死柄木弔を苛立たせる、破壊すべき息づく全ての一片に過ぎないということだった。
「……この世界が壊されたのも、気持ち良かったんですか?」
『オイオイ。そりゃ新宿とか他の連中がやったことも一緒にしてんだろうが。
あン時は、人が暴れようとしてたところで先におっ始められてこっちも不愉快なんだ。
俺がアレをやったなら、『先に仕掛けたのは病院側の方だー』なんてしょっぱい言い訳配信なんか流さない。
『これは敵(ヴィラン)の仕業で今日この世界は終わるぞ』って誰にも分かるような宣伝を流してたさ』
人間は、笑うために生きている。
そして、彼らが笑うための必要十分条件とは。
自分たち以外が笑わなくなり、混沌の坩堝に飲まれることにある。
「あなたの周りにいる人達は……それに、賛成してるんですか?
……星野アイさんとか、昨日まで普通にアイドルやってたって聞いたんですけど」
言い返す言葉がたどたどしくなることを、摩美々は嫌でも自覚した。
悪い人達が連なる連合の長の言葉は、対話の余地があるとか無いとかを、もう通り越していて。
そもそも根本的な感性から食い違うものだったから。
『そんなもん、自分(テメェ)の願いを叶えることしか考えない連中が今さら気にするか。
他の連中だって、ハナから敵(ヴィラン)連合と言われて寄せられた連中さ。
俺の周りには、昔も今もいた。世の中ぶっ壊れた方がいいと考えてる、そっちの方がきれいだと思ってるろくでなしだ』
彼らが愛でるものは、アイドルが魅せようと研鑽し、ファンが魅せられたいと望む輝きとはどこまでも真逆。
光の下に出るなんて虫唾が走るし、みんなのための偶像を愛でる営みは鬱陶しい。
みんなが普通に特別に好きなものが、彼らにとっては普通じゃない。
「…………死柄木さんには、いないんですか?」
理解も共感も無理。
頭よりも胸とか喉がむかむかして、本音はそれだと訴える。
どうしてそんな事ができるんだろうという疑問は、『普通はそんなことしない歯止めがあるはず』という性急な反論を生む。
「この人は死なせたくないなって、そんな家族とか、大切な人とか」
言ってから、失言だったと思った。
いないからやってる、という答えが返ってくる可能性は、決して低くない。
むしろ亡くしたからこそそうなった可能性さえゼロではない未知へと、下手に悲劇を掘り返し得ることを言ってはいけなかった。
それでも回答は、予想のさらに斜め上だった。
『――家族なら、もう全員殺したよ』
それは、悲劇でさえなかったのだと。
あの時アレが無かったならと、もしもの夢を見るべき悔恨はなかったと。
手を伸ばして繋ぎ止めてくれる『誰か』なんて持ちようがない。
彼と手を繋いだ者は、次の刹那に崩壊して粉になる。
「それは…………文字通りの、意味で?」
『他にどんな意味がある? 過失で死なせた罪を被ってるとか、不幸な事故や悲劇でも期待してんのか?』
残念、ハズレと。
身内想いの少女に対して、身内殺しの殺人犯は、それを悲劇ではなかったと語る。
『母親を殺したら胸が軽くなった。父親を殺した時は気持ちよかった』
彼にとって、伸ばされた手は絆でも救いなかった。
顔を掴んで離さないそれは、咎めであり否定された証だった。
『家を壊したらすっきりした。豊島区でも派手にやれたが、それぐらいじゃ、やっぱり足りない』
事務所(いえ)を亡くしたばかりの少女に、家を壊したと夢に向かってひた走る少年のように語る。
『お前らの場所も例外じゃない。ああ、もう無いんだっけ? どのみち早いか遅いかの違いか。
ここは前夜祭みたいなもんさ。壊したい本命は帰った先だが、消える世界なら片づけた方がいいだろ』
彼の者が夢見ているステージは、ライブ会場ではなく社会を瓦礫に敷いた更地の荒野であり。
彼の者のパフォーマンスは、歌唱ではなく破壊の音であり、舞踊ではなく大量殺戮である。
『中止になったアイドルのライブだかより、そっちのがよっぽど戦争らしい』
その傲岸無礼な慟哭を。
残響激励すら忘却を。
さあ、混沌の時代には再誕を。
独演するのは、新時代の魔王(トット・ムジカ)。
怒れ、集え、謳え、破滅の譜(うた)を。
「――どうして?」
怒りが、噴出した。
見守る真乃達の姿が霞むぐらい、視界が赤くなった。
その『どうして』は、とうとう呼びかけでも質問でもなくなった。
箍が外れて、こいつのことが大嫌いだという否定を無視できない。
「どうして見たこともないライブを、そんな自信満々に悪く言えるの?」
魔王の独演会を辞めさせたいという思いに、理性が負けた。
負けた、という自覚はあったのだ。
当然、言葉は跳ね返る。
はっと、魔王は嘲笑した。
その短い音に、摩美々は血の気が引いた。
『お前、自分たちは誰も否定しなかった側だと思ってるのか?』
「少なくともあなたとは、初めて会ったと思いますケド」
『結局、お前らだって予選の一か月で死んでいった連中は見殺しにしてるわけだろ?』
「…………」
そもそも死柄木弔自身が、『予選の間に何をやりましたか』と問われると『それほど何もやりませんでした』になる。
契約を経て間もないころに自らの手で主従一組を屠りこそすれ、予選期間で働いていたのは全面的に『蜘蛛』とその子飼の仕事だった。
だがそれでも、死柄木弔にとっての予選とは『溜め』だった。
犯罪王が猶予期間を作り出した、無意味ではない時間だった。
だから死柄木が指摘するのは、『予選の間に何も行動しなかったこと』ではなく。
己のことを棚に上げて積極的に周辺被害を出すことを狡猾(ずる)な悪行だと定義する、その欺瞞について。
『だいいち、お前らの戦いだって『新宿』みたいなことになっただろ?
正当防衛で民間人を殺すつもりはなかったから、相手の方が悪いんですー、なんてガキの口答えでも用意してるのか?
それとも、事務所のみんなは身内だけど、他の
NPCは他人の上に作り物だからいいんですー、って話に持って行くのか?』
「なんで、そんな人のやり方にあれこれ言ってくるんですか?」
豊島区で発生した『崩壊』事件のように、アイドル達も何かしらの攻撃を受けたであろうと、魔王のサーヴァントは解き明かしている。
世田谷区騒動についての詳細まで死柄木が知らなくとも、敵側が周囲に被害を出すことを厭わない攻撃をしてくるからには。
迎撃した283プロの主従たちとて、誰も巻き込まないささやかな戦いなどできるはずも無かったと分かっている。
『偶像(ヒーロー)ってのは、いつもそうだよな。助けられないことに見て見ぬふりして、【私は皆を守りました】って顔でヘラヘラしてる』
それをして、偶像(アイドル)であることをして『私は嘘つきだ』と公言する星野アイは、まだスジを通していると言えるだろう。
だが、嘘をついた自覚すらなく、相手は狡猾な悪党で己は正直者だと信じているなら。
戦わなければ死ぬ世界で、踏み躙ることに躊躇している我々はまだ善玉で、躊躇無しに踏みにじる輩は卑劣な悪だと眼をそらすなら。
『そんなのが漏れてるから、戦いにびびって逃げる気だとか海賊どもに思われてんじゃねぇの?』
死柄木弔が回顧するのは、数時間前に切ったばかりの啖呵。
そして、偶像達のことも等しく敵に回しているという、前時代の皇帝たち。
――皆殺しにしてやるよ老害共。これからは"新時代"だ
お前らに、あの海賊女帝の覇気にさえ屈さなかった可能性の器たちのような気概が持てるか。
そこには至れないだろうとの決勝戦相手への信頼を持って、魔王は苛立ちを吐き出し終える。
「そんなに怖いか? 『旧時代』が」
突き放す。
これで同盟だの利用だのといった話を終わりにしても、それでいいと冷めていた。
この程度でうずくまるような輩であれば、戦力としての利用価値があるかどうか以前に話にならないから。
ここまで応答したのも、モリアーティが敵連合に向ける関心とは別の執心を持っているようだったから、以上のものはなかった。
これまでの連合員がそうだったような、初見の印象を裏切ってくる緊張感は無い。
だから、相手が黙り込んだままであればそれを理由に通話を切る心づもりだった。
「――私、少しだけ安心しました」
そうはならなかった。
そこに魔王の選択分岐があったことを、田中摩美々は知らなかったけれど。
そこに、会話を繋がなければいけないという焦りはなかった。
ほんとうに、皮肉でもなくほっとした声が出た。
『話、聞いてたのか?』
「はいー、その上で言ったつもりですケド」
魔王の声を聴いた上で、それは紛れもなく本心だった。
相互理解の余地がないと突き放されたことを安心するのはどうだろうかと、分かった上で。
『せいせいした、って言いたいのか?』
「いいえー。だって、死柄木さんがもし『別のやり方があるならそっちで』という話ができる人だったら……私のサーヴァントが早とちりをしたことになりますから」
まず、話に聴いていた悪党を自称する蜘蛛の主従は、『彼』が最大限の警戒を持って接していた、というのが理由の一つ。
ライダーを通して同盟に至るまでの梗概を聞いただけでも、マスターの方もまた危険人物である可能性は高いとのこと。
そして摩美々の知っている彼は、主張だけを取り出せば極論だけれど、少なくとも融通が利かないわけではない。
『サーヴァントが悪の蜘蛛だから』というだけで、根拠もなしにマスターまで同類に見なすような真似はしない。
「それに、会ったこともない人達を、『死柄木さんの見てきたヒーローはダメ寄りだったんだ』って決めつけるのも失礼ですし」
実際に話してみた死柄木にせよ、会話の中で『ヒーローはいつもそうだ』と言っていた。
つまり死柄木はこれまで何人ものヒーローに出会って、彼は『見て見ぬふり』をされたということで。
それに対して、死柄木の知るヒーロー達が特別ダメだったんだと偏見を持つよりも。
『立派なヒーローの数々でさえ、彼を救えないと諦めるほど問題が深刻だったんだ』と考えた方が、どっちにも失礼がない。
だから摩美々は、相手が『理解できなくていい』という受け答えをすることぐらいは、覚悟した上で話したいと思っていた。
「それで、――私がそんなに怖がりなのかどうか、でしたか?」
そして、死柄木が終わらせにかかった会話の端を掴む。
話題を引き戻し、問い詰めるのではなく、問いに答えることを選ぶ。
「怖くない、と言ったらウソですね」
あんな連中怖くない、と言い切ることはできない。
リンボに啖呵を切ってみせた時に、膝が笑っていた自覚はある。
生まれて初めて放り込まれた本物の戦場だとか、爆炎とか異形の兵士とか『死』そのものみたいな存在だとか。
ほんのわずかでも目を離した隙に、隣にいた人達がいなくなる理不尽だとか。
一生のうちで、そう何度も経験したいものではなかった。
それに、友達が泣くのは見たくなかった。
そもそも優しい人達が傷ついていくのが戦場なのだから、恐れずに受け入れたいものではない。
「戦うのが怖い人より、無理やり戦う覚悟を強いる人が悪いに決まっとるやんけー、と思ってたのも本当ですケド」
『ふわっとした言い方すんなよ。要はアイドルを一人、海賊側のガキに殺されて、やり返したいって話だろ』
「復讐のことを言わなかったと言ったら、ウソですね。でも、家族(サーヴァント)を復讐の道具にするのも違うでしょ」
真乃とマスター同士として通話をしていた頃から、怒りの矛先が不確かになった。
聖杯を欲しがっている人にだって、そうしなければ生きていけないぐらいの願いがある。分かる。
聖杯を獲った人以外は帰れないのだと追い立てられた人達が、生きたいと望むことに罪はない。分かる。
だから聖杯のために人を殺すことは正当化される……それは詭弁(ズル)だとも、本当は思っていた。
だって、帰れるのが一組だけであるかどうかに関係なく、殺し合いをする人はいるのだから。
でも、それはもう『咲耶を殺された復讐で殺し返そう』なんて気持ちではなかった。
もしも、そこで真乃が話した『相手の事情によっては受け入れよう』という全てをまるっと肯定してしまったら。
【だから、大好きな人が傷ついたのも死んだのも仕方ない】という話に流れる。
それだけは絶対に違うと思った。
相手を受け入れるというのは、『ひどいことをしたけれど、それでも手をのばしたい』ということであって。
『相手は責められるほど大したことをしてないから、気にしません』というのは、ぜんぜん入り口が違うでしょう。
だから、罪には責任をともなわせようとする、彼のことを支持すると決めた。
でも、それだけでは、やがて彼のことも独りにしてしまうと気付いた。
「家族の誰かが一人でも危ない目に遭いそうになったら退かせる。それがうちの――283さんちの、鉄則だったので」
全員で何かをやる時に、皆はいつだってそうしてきた。
他人のために余計なお節介ができるのは尊いことだと思う。
けど、三峰もしばしば『それは自分の安全を勘定に入れているか?』と叱っていた。
咲耶の手紙を読んだ上で、そうじゃないと言い返すことがあるとすれば。
それは、困難な実現可能性の低い道を選んだことではなく。
それは、戦いから逃げずに立ち向かったことではなく。
まして、皆を許して助けようとしたことでもなく。
『貴方の心を傷つけるな』と言い残しておきながら、咲耶自身は傷つき犠牲になったことだ。
その上で、観客・七草にちかがアーチャーを守るために命を散らした事。
もしかしたら咲耶も、誰かを救おうとした心でそうなった事までは、やはり否定すべきじゃない。
心が、体が勝手に動いていたということまで、止めることなんかできないのだから。
だから、彼女たちがそう動いたことではなく、その死が『尊い犠牲だった』とか『仕方なかった』とか扱われた時に怒りを覚える。
『どのみち聖杯戦争が終われば消える事務所を守るために、ずいぶんと消極的に構えたもんだな』
「死柄木さん……私、『いい子のやり方』なんかじゃないですよ。もっと『いい』ようにやれた事なら、きっと沢山あります」
思えば彼にもずいぶんと負担をかけたなぁ、とか。
怒りに促されて発言した『ずるい』は、真乃への呪いになってしまった、とか。
そもそも界聖杯に呼ばれる以前だって、いたずらじゃ済まない大きな罪があった、とか。
事務所のみんなのことにしても、ちゃんとはっきり言っておけば良かった。
マスターだとばれないように、目立たないようにだけじゃなくて、『私たち、皆のこと好きですもんね』と一言でも認めればよかった。
たとえ知っている人達の再現なのだとしても、同じ心を持っているなら笑っていて欲しかった。
いつか消える世界だというなら、せめて当たり前までは壊れないようにと。
生命倫理として、ここからここまでと線を引いていたわけじゃなかった。
霧子に紹介された皮下一派の者たちは受け入れようという話になった上で。
覚醒していないNPCなら多数の世田谷区民は軽視したのかと、それは博愛ではなく身内愛のエゴだろうと言われたら否定はしない。
「わたしはきっと、みんなを同じように大切にしてきたわけじゃない。嫌いだと思った人だって、アイドルやっててたくさんいました」
アイドルの仕事は好きだけれど。
どうか早く終わってくれ、と思う時間はある。
何だこいつら、と思うような手合いはたくさんいる。
特に、『アイドルらしくない』だの『アイドルだったらこういうもんだろう』などという色眼鏡で見るような輩は大嫌いだ。
『こんな派手な格好をしているなんて不良だな』と誤解されること承知で、ワルそうな恰好をしているのもまた摩美々だけれど。
『ヒーローはこういうもの』だの、『アイドルはいい子』だのという死柄木にその苛立ちをまったく感じなかったと言えばウソだけれど。
けれど摩美々もまた、声を聴きたいと思った相手のことを固定観念で見つめてはいけない。
拾える限りは拾うと言う、ハッピーエンドへの大原則を崩してもいけない。
「できるだけ悲しみを生まないように気を付ける。私達から言えるのは、それだけです」
『そしてまた海賊や俺らの悪事(ワルサ)を阻止するために、他人の命をベットするわけか』
「このまま何もしないで、東京を更地にするのを他の人にお任せしてたら、もう加害者にはならないですね。
MPC殺しも参加者殺しも他の人がやるから、これ以上は汚れずに黙って死ねばいい。
……って、なんでやねーん。それは絶対に違うでしょ」
世界一頭が良いかもしれない人だって、自分を正しいとは思っていなかった。
そんな彼でも、私から見れば素敵だったし、彼は私をきれいだと言った。
そんな私だって、罪のない被害者というだけではない。
……そしてきっと。
「死柄木さんだって、ただのヒーロー嫌いじゃない。それは、私が『いい子』じゃないのと同じことです」
『さっきは『どうしてだ』とか曇ってたやつが、ずいぶん分かったように語るもんだな』
「他人のことは、もとから分からないものですよ。事務所の皆とは仲良かったけど、今でも知らないことたくさんあります」
他人と分かり合いたいとは思っていても、他人のことを何もかも分かると錯覚してはいけない。
それでは、理解できないと悟ったとたんに相手を拒絶してうずくまることに繋がるのだから。
友人、恋人であっても、『まだまだ知りたい』という余地が残っている、それぐらいのものなんだと割り切って。
それでも知ってしまったからには、見て見ぬふりはしない方がいい。
「私はいい子ではないので、『見て見ぬふりをされる』っていう言葉がどういう時に使われるかは、知ってますよ」
『何が言いたい?』
摩美々は、家族に殺意を抱いたことはない。
全てを壊してしまいたいほど、誰もかれもを嫌ったことはない。
今ある社会の全てを壊してしまいたい、という思いなら断片を知っていた。
色がついていない、奴隷の眼をした人と略奪者の眼をした人しかいない世界ならば、夢で見たことがある。
でもそれは彼が生前に生きていた『旧時代』の夢で、摩美々自身が生きている時代に抱いた想いではない。
だけど、優しいということは、『満たしてくれる』ではない事なら知っている。
優しい人達がいたとしても、その上で『見て見ぬふりをされた』というオリジンに至ることはある。
――ケーキは冷蔵庫にあります。
――色んなものを買ったから、好きなものを食べてね。
――全部食べてもいいよ。
田中家は、とても広くて立派だった。
一人娘が、ほとんど一人で暮らす為の家にしては、いささか以上に広かった。
――私……髪、染めたんだ。
――まぁ、そうなの、似合ってるわ。
『染めたんだ』というまで、母は娘の髪が黒から紫に変わっていると気付かなかった。
不登校が常態化しても、朝6時に寝て夜6時に起きる生活習慣で生きるようになっても。
両親から、何かしらの言葉は無かった。
――プレゼントはたーっくさん用意しておくから。
――パパからもいっぱい預かってるのよ。
――クリスマスの日に食べたいものがあったら、ママに教えてね
家族は優しかった。今でも優しいけれど。
父も母も子離れが普通より早かっただけで、忙しいだけ。
だから、私は不幸じゃなかったし、それは悲劇でもないけれど。
【でも、私が本当に言ってほしかったのは、その言葉じゃないよ】
――クリスマス当日ということで、4時間連続生放送でお送りしておりますが……
――はい! クリスマスって、大切な人と過ごす日だと思うので……
――これから歌わせていただく曲は、そんな今日にすごく合ってるなと思って……
――『隣の君のその笑顔、ずっとずっと一緒にいよう』
皆が喜ぶ、きらきらしたイルミネーションは嫌いだった。
あなた以外は、みんな一緒になって楽しそうに笑ってるぞ、と。
そう見せつけられたくなかったから、もともと眩しい世界は好きじゃなかった。
「死柄木さん、ずっと『世界が壊れたらいい』じゃなくて、『自分で壊したい』で語ってますね?
自分なら配信してるとか、派手にやりたいとか、見せつけることを大事にしてる」
『目立ちたがりだって煽ってるつもりか?』
「いいえ。目立ちたがるなら、そこには見せたい人がいるんだなって思っただけです」
いつも、非行少女のように、家出少女のように、夜に向かっていた。
どこへ行こうというあても無く、迷うように歩いていた。
とびきりに目立つ靴を履いて、とびきりに目立つ紫色になって。
誰かが声をかけてくれたらと、そう願いながら。
どうして派手なものが好きになったのか、『あの人』に会うまでは忘れてしまっていた。
どうして目立ちたかったのかを、とっくに忘れてしまったとしても。
目立ちたがるというなら、そこには『見せたい人』がいるのだ。
誰にも気取られないように、誰にも悪事を掴まれないように。
あるいは、誰もが気が付くように、社会の敵(ヴィラン)だと畏怖するように。
相反するふたつは、実のところ表裏一体だ。
分かりやすく目立つなら、誰でも、誰か一人でもと、思っていて。
分かりにくく目立つなら、それは誰でもいいわけではない。
「さっき襲ってきた、ファンの皮を被ったアンチみたいな白黒のサーヴァントさんは、理解も納得もできなかったケド。
あなたのことは、納得はできないけど、理解はおこがましいけど、分からない理屈で動いてる人じゃないと思いました」
死柄木弔を相手に、かつてヒーロー側からの感想を述べた者ならいた。
言葉を考えながらしゃべるような話の組み立て。
一つ一つに、恐怖が滲んでいる言葉だった。
しかし、断言めいた確信を持っていた。
言い回しに、既視感があった。
頼りない、取るに足らぬ相手の言葉をわざわざ聴きに踏み込んだ状況がそうだったのもある。
――僕はお前のことは理解も納得もできない
――ヒーロー殺しは納得はしないけど理解はできたよ
最後に会話した時は、そう言われたか。
『理解できなくていい、できないから正義(ヒーロー)と悪(ヴィラン)だ。』と、今ならそう切り捨てていただろう。
その癖、つかず離れずで撫でるように、もたもたと、ふわっとした話し方をする偶像は。
あの不愉快な『緑色』が正道のように、馬鹿正直にぶつかってくるのとは違う。
色相環の円卓で『緑色』の反対側に座るように、斜に構えた、斜めに見た、ひねくれた向き合い方をしてくる。
『何が分かったんだよ、はっきり言ってみろ』
「本当に分かってるかは知らない。だから、聞いてみないと分かんないです」
見て見ぬふりをした人達に、見せつけたかったというのなら。
初期地点には、その裏返しの『期待』があったということになり。
誰かに見つけて貰えたことで、摩美々の飢えが掬われたなら。
死柄木はそれを得られないが故の、憎々しい情念を抱えたことになり。
「あなたは、初めはヒーローが好きだったんじゃないですか?」
――俺と一緒にトップアイドルを目指してみませんか?
この人は、「君は■■■■になれる」とは、声をかけられなかった。
まぶしい何者かになることを肯定されずに、独りで夜に迷っていたんじゃないか。
『――お前、殺すぞ』
その刹那。
とほうもない殺意が、摩美々を貫いた。
それは彼女を絶句させ、崩落の波に飲まれたかのように制止させる。
己の力で、ほぼ開ききっていたような記憶の封印だが。
他人に抉じ開けられたかったかと言えば、話は別だ。
声だけで伝播する超弩級の昏い輝きに、摩美々はしばらく圧倒され。
通話越しでも、身の危険を感じないではいられなくなり。
確かにこの人物には『格』があると唾を飲んで。
それでも、溜まった息をどうにか吐き終えて、言った。
「やっと、『私』を見てくれましたね」
脱出派なんて邪魔だ、でもなく。アイドルは殺す、でもなく。
例外なく殺すうちの一人だ、でもなく。
『お前』のことが殺したいほど不快だと、彼は答えたのだ。
一時的にでも戦力として利用する価値さえない、と断じられるよりはよほど良かった。
そして、感じ取ったことがもう一つ。
「死柄木さん…………もし聖杯が無くても、願いを叶えるんじゃないですか?」
彼の本意は、少なくとも『聖杯が無ければ、望みは叶わない』では無いようであること。
崩壊という、彼の夢を叶えられるだけの『個性』という異能のことを、摩美々は知らなかったけれど。
是非はべつとして。
この人なら、全部ぶっ壊すぐらい普通にやりそう。
死柄木弔の妄執を浴びた少女の、それが素直な感想だった。
『無くても壊す。けど有ったら有ったで好きに使うだろ? 少なくとも他人に譲る理由は無いなァ』
聖杯があれば破壊の地平を作り出すという夢の果ては近づくけれど。
かといって、聖杯が無くともそれを叶えることに異論はない。
ほっと。
『聖杯が無くても』という言葉を摩美々が発した直後から。
ずっと『本当に危なくなったら通話を替わるぞ? 替わるぞ?』と言いたげな心配で見守っていた、ライダーの顔が緩んだ。
どうしてだろうと、圧倒されて麻痺した頭で、摩美々は一考。
ぽくぽくぽくと木魚を叩くようにぼんやりとした思考で、心当たりにたどり着いた。
「そっか。お宝そのものが、お目当てじゃないんですね……」
どっと汗をかいていて、喉も乾いているけれど。
それでも、姿は見えた。
瓦礫によって平らかになった地平にたたずむ、姿も知らない新たな皇帝。
『そう言うお前は、手を組みたいならまず初めに言うことが言えてない。
お前らの目当ては何だ。まさか【いつか脱出して全員を殺すけど、悲しみはできるだけ減らします】なんて寝言を抜かすようなら今度こそ切るぞ』
界聖杯を獲れば、この聖杯戦争を終わらせられる。元の世界において夢を叶えられる。
それは、界聖杯を打倒すれば、という手段こそ異なるけれど。
『聖杯そのものが欲しいのではなく、聖杯を獲る(出し抜く)ことで、終わらせたいものがある』という点で方舟と一致している。
「最初は私が私のまま帰れたら良かったですよ。
でも、今ではもう負けるのが怖いだけじゃなくて、勝ちを諦めるのがイヤになりました」
もちろん、下手すれば世界一つを滅ぼす可能性のある人物をそのまま放流するような戦犯行為は回避しなければならないけど。
どのみち、聖杯を狙っている集団の盟主が、どたんばで聖杯を放り投げる選択などするはずないのも事実ではあるけれど。
それでも、『聖杯はあれば使うけど、無くとも夢を叶える』という言葉を引き出せたことは有意義だった。
聖杯を絶対に必要としている人なら、『願いを叶えるために、自分たち以外は贄にする』というゴールを動かすことは難しく。
そして、そもそもゴールが違う人に無理やり同じ道を歩かせることは、とうてい『手を差し伸べた』とは言えないものになってしまう。
それはプロデューサーに関して言えば『願いが叶っても元の事務所と元のにちかは戻って来ない』と思うからやはり止めたいけれど。
逆に言えば、ゴールが違うところにある人でないのだから、一緒に歩こうと言える余地は絶無ではない。
「聖杯戦争の結末を、『殺し合って皆が死ぬ』じゃないハッピーエンドに持ってきます。
だから敵連合さんとは、界聖杯を獲るか、界聖杯を出し抜くかの勝負になる。
死柄木さんとはそれまでに、伸ばした手を壊されない関係になれたらいいですね」
『今は戦わずに、お互いに決勝で会おうとか、お決まりの台詞でもぶつけるつもりか?
あいにくとこっちは、俺と最後の決勝戦をやりたいって予約をもう決められてんだ』
「そこまでは言わないですよ。私も、決勝の相手はもう決めてますんで、有り得たとしても準決勝かそれ以前ですね」
啖呵は切られた。
であれば、お互いの本命が誰なのか、渋るところはどこにもなく。
どちらからともなしに2人は、互いの指名した宿敵について存在を明かし合う。
すでに互いのチームを持っている上で、最後に対峙したいと個人的願望を持つ者について。
『愛とやらの為なら殺しても奪っても二人で飛び降りても構わないと吠えてる、聖杯が欲しくてたまらないバカップルの片割れさ』
「瓶の中に愛する人をたくさん放り込んで引き離して、私は願いを叶えるだけで悪いことなんかしてないって嘯いてる界聖杯です」
組むのか、組まないのかという話は、もう必要なかった。
最終更新:2022年11月10日 20:00