◆◆◆
「時にひとつ尋ねるが」
互いのマスター同士が頷き合った時に初めて、同盟が成立する。
マスターの性質を鑑みれば、ある意味で戦力比や利害が噛み合っているかどうかよりもよほど難所だったその条件は、果たされた。
「君は、『我々がW君と通話してから密かに裏切って海賊たちに情報を横流しており、それを元に襲撃が起こった』と。
そして『今まさに弱った君たちを、我々が吸収合併のように利用しようとしている』とは、考えなかったのかね。
君達の視点からでは、我々にもたらされた襲撃がハッタリかどうかなど、判別がつかないだろう」
よってここから先は、啖呵の切り合いではなく、擦り合わせの時間だ。
通話を替わったのは、策謀家モリアーティと、交渉人
アシュレイ・ホライゾン。
自己紹介もそこそこに切り出されたのは、『一連の密約でさえお前たちを餌として売り渡すための嘘だったらどうする』という意地の悪い問いかけ。
むろん、事実はそうではない。
互いに静観する間柄であったリンボが海賊たちに肩入れし、豊島区に2人の海賊が押し寄せたことは悪の蜘蛛にとっても計算外だった。
故にこれは、電話を代わったばかりの、言うなれば蜘蛛の『後任』となるサーヴァントを試すためのものだ。
まず、代表を引き継ぐにあたって、どの程度の事情を把握しているかの確認。
そして今は亡き善なる蜘蛛の、サーヴァントとしての後任なのだろうと目される男について、どれほどのものか見極めようという意図。
『ああ、実際に豊島区の方で集中放火があったらしいのと、Wがそのリスクに言及していなかった時点であまり疑っていなかったな。
だいいち、こっちは逃げるつもりが無い事を信じてくれというのに、アンタらのことは信じられないってものおかしな話だろう』
結果として、すぐに分かったのは、相手が善人だということ。
言葉には曇りがなく、感情には悪意がない。
通話ごしに駆け引きを愉しんだもう一人のモリアーティを分かりにくい善性を持った悪人とするなら。
ライダーのクラスを開示してきたこの男は、本当に分かりやすい善人だ。
そして、策謀家としてはとても及第点に及ばない。
「四十点と言ったところだね。反論する根拠を持ち出すなら、大きく欠けている観点がある。
まず『あの海賊たちを野放しにするどころか塩を送るだなんてとんでもない』という事実を無視してはいけないよ、君」
『アンタらにとって、海賊同盟はそれほどの脅威なのか。霊地を二つ抱えているという峰津院よりも?』
「明白だ。峰津院陣営とて看過できぬ存在には違いないが、しかし『連合軍』ではない。
圧倒的な暴力に対して『数と個性とチームワーク』で挑もうとしている我々がもっとも警戒視すべきは、
同様に数を揃えた上で、個々の構成員と武装・兵装の質も馬鹿にならない集団が、その暴力にものを言わせる展開だよ」
『会場一面を更地にできるような規格外のサーヴァントが少なくとも二騎、
逃げ隠れもできる上に空間を跳躍する移動手段ないし異空間の拠点、
プロの殺し屋集団という組織力にくわえてドラッグで強化された兵隊、
峰津院の霊地や聖杯戦争の中断条件なんて裏の
ルールをハッキングできる解析者、
それぞれのマスターも
峰津院大和よろしく戦場に出て来れるほどの強さがあると推定されていて、
櫻木真乃さん曰くの
神戸あさひ主従や、さっきの襲撃で横入りしてきたリンボみたいに、予備戦力にも底しれない余裕がある。
改めて並べてみても、とてつもないな』
【方舟】にしてみれば、さらにそこにマスター達にとっては見捨てられない『人質』さえも抱え込まれている状況だ。
敵連合と組んでいる間に片をつけなければ食われると、消耗状態にある中でもそう思考せざるを得ない。
「本来であれば、その『連合軍』がきちんと機能する前に叩く。これが最上だったのだけどね」
『そうならないように、アンタもWも動きたかった、ってことか』
『龍と女海賊』が支配する連合軍が成立する前に、それを上回る対等な同盟者同士での連合軍を成立させて包囲すること。
それが叶うならば、というのが第一次の蜘蛛同盟が結ばれるにあたっての肝だった。
『数の力で包囲しようとしたら数の力で拮抗される』という状況が成立するなら。
大会社が物理的に炎上倒壊させられるだとか、アイドルがおおぜい殺されるといったような。
社会的不祥事を伴うような一斉攻撃が解禁されたところで、反撃の備えありと示せていた。
たとえ、炎上などによる社会的制裁などという、現代ならではの指名手配が効かなくなったとしても。
蜘蛛たちの同盟が成ることによって、『下手に動けば数で上回る主従から迎撃(レイド)される』という牽制は用意できたはずだった。
すべてひっくり返るほどの破滅(カタストロフ)そのものは予想して、備えようとしていた一方で。
同盟が完成しそうになっていたタイミングで、社会的基盤そのものに一斉攻撃をかけられる可能性を、予想から外していたのはこちらの落ち度だ。
なぜ、見落としていたかと言われたら。
包囲と逆包囲の応酬は、必ずどこかで臨界点を迎えるからだ。
味方に引き入れられる主従の数には、絶対に上限があるのだから。
そして状況が加速すればたいていの主従は『強すぎて裏切れない盟主』に属することは避ける。
なぜなら、『誰かの下につく』という行為は【全て上に立つ者の声しだい】になるということだから。
生殺与奪を握られるリスクが、敵連合のような『蹴落とし合いにおいては対等の同盟』の比では無いから。
よって、組織というものは巨大化するほど、対抗同盟が組まれるような示威行動は慎まざるをえない。
いざ全面戦争にうつるその時まで、戦力の逐次投入のように実力をアピールする真似は避ける。それが定石だ。
だが、現実として『海賊』の集団は。
デトネラットを襲撃するにあたって、敵連合の通信を盗み聴きしたことを隠そうともせず。
NPC達の一斉殲滅や、戦場を自在に出入りするマスター達の動きによって、常識外の集団行動ができることを示唆して。
多数の主従に対して、『峰津院が霊地に秘蔵する宝』や『界聖杯のゲーム中断条件』といった情報へのアクセス権を開示した。
躊躇なくそれらをやれる理由が、峰津院という突出者や、脱出派という『全員にとっての敵』を仕立て上げられる前提にあったとしても。
下手をすれば峰津院大和よりも脅威に見られてしまう、という未来を恐れていない。
そしてそれは、かの集団が愚かであることを絶対に意味しない。
『彼らは、それでも全てを沈めてみせると自負するぐらいに、戦力として、万物の霊長として、強いのだよ』
それが、目下の脅威を海賊たちだと見なせる最大の理由。
海賊の持つ戦力の全貌が分からないまでも、まずこの聖杯戦争で手を組んだら一強になるだろうと、絶望視するに足りる理由。
いざとなれば、暴力で何とでもなるからそうしている。
強者としての自信と矜持しかうかがえない。
弱者には弱者の戦い方しかできないが、強者には強者の戦いができてしまうのだ。
『是非はどうあれ、今まで大変だったんだな……あなたも』
「君のような若者に大変だったな、と言われるとはね。なに、先刻の襲撃は悲劇ではなかったさ。
これは強がりのない適正な評価だが、海賊が揃って押しかけたことで若者たちは成長、覚醒を果たすことができた」
『でもそれは集団としての勝利であって、自分が計算ミス(失敗)をしなかったわけではない……とあなたは考えそうに思ったんだが』
「それは、ずいぶん人心というものに精通しているようだネ……」
クラス名呼びではまぎわらしいようであればHと呼んでくれと名乗ったライダーの言葉は、皮肉でも煽りでもなかった。
寄り添うように、ねぎらうように『大変だったんだな』と口にしていた。
こちらはいつでもアイドルたちの寝首をかく算段を整えようとしていると理解しているだろうに、そのような気遣いを寄越す。
奇特な若者だなと、抱いていた印象を修正した。
「それに、峰津院大和君にはすでに通信をはかり、海賊同盟への脅威を説いて聴かせたばかりだからね。
できれば一波乱あって彼の気が変わるか、海賊との対立が決着する前に側面から仕掛けたい。
色々言ったが、『消耗しているとはいえ、我々が状況を動かせるのもまた今しかない』ということなのだよ」
『……何というか、改めて根回しの速さががすごいな』
もしも方舟が戦意を失っているようであれば。
知恵者の遺産や、人質がいることによって生み出された膠着によって逃げ隠れしながら食いつなぐだけの素人集団であれば。
『戦力』ではなく『餌』としてしか使えないと見限り、積極的な介入には慎重になっていた。
敵連合の前でも述べたように、戦況の見極めには慎重になっていた。
だが現実として、もはや新時代に向かう者の誰も、全面戦争にならないとは信じていない。
「そして、あらかじめ言っておくが」
その上で、釘を刺すように。
これでわずかでも光明が見えたかと明るくなる方舟の乗員たちに、刻み込むように。
ゆっくりと、断言として、モリアーティは告げる。
「たとえこちらから仕掛ける中で、君達の【人質】が前線に駆り出されることがあったとしても、我々は攻撃を躊躇しないよ。
君達にとっての人質を救出する為に我々が動きを制約されるのは、どう考えても割に合わない」
共通の敵を倒すにあたって共闘めいたことはする。
だが、善意でそちらの人質を救ける仕事までは請け負わない。
重く、静かに、当たり前のことを説くように、楽観視は許さないと告げた。
『そうか……まぁ、そちらの人員も、人質救出作戦だったなんて聞いてないと、頷けるわけないだろうからな』
「食い下がらずに、あっさり退くのだね」
『食い下がる余地が無くたって、この流れで話を反故にはできないよ。
それに、【海賊が人質を投入する局面を選んでくれる】だけでも意味があるだろう?』
「ほう、先ほどの『四十点』よりはだいぶマシな答えだ。組織間抗争の経験でもあるのかね?」
『いちおう生前に【人質を取られた上での交渉】も経験しなかったわけじゃない』
方舟にとって、即刻で詰みにつながる展開とは。
はじめから人質を盾にされて、『こいつがどうなっても良ければ逆らうな』と人質を見捨てるか、武装解除かの二択を要求される展開だ。
だが、同じ全面戦争に、『人質を見せつけたところで意に介しない第三勢力』がいるならば。
【方舟】にとっては有効となる人質を、下手な第三勢力にあっさりと殺されて無駄撃ちに終わらせてしまうより。
人質を切り札として使える適切なタイミングが来るまで、人質の命は温存しようということになる。
ゆえに『敵連合が人質の救命に頓着しないと分かっていても、方舟は看過するしかない』というが逆転現象が生まれる。
「本音を言えば、人質は我々の手元に置いてしまいたいよ。
もしも人質が自由になってしまえば、君達が脱出を行うリスクは格段に高まるだろうからネ」
敢えてそのように本音のひとつを明かしてしまうのは、方舟側の危惧を誘導する為でもある。
こういうことをされるかもしれないと身構えていれば、いざという時に別の手段で嵌められるかもしれないという警戒心が疎かになるからだ。
『それについてなんだが、ひとつ約定を持ちたいと思っている。ここにいる皆とも同意の上でだけど』
対するライダーは、どこまでも曇りのない声で応じた。
『細部の推敲はこれからだけど、Doctor.Kに返信する形で告示するつもりだ。
人質に限らず【全員に対話を試みるまでは、方舟は出航しない】とか、そんな感じのことを』
「…………マジ?」
驚いた・
返信そのものは、すぐに廃棄できる捨てアカウントを利用すれば可能だろう。
そして脱出派が返信することで反論を打ち出してくるところまでは、予想していた。
だが、『本当に相容れないのかどうかをとことん見極めるまでは逃げない』と言い切るのは、あまりに公約として大言壮語すぎる。
それだけでなしに。
「何をしても脱出されないと楽観視した海賊達が、人質を扱いかねて殺すと思ったりはしないのかね?」
『人質を生かしておいて損はないと思ってもらうためにも、俺たちも戦いに参加するんだ。
それに 運が良ければ、人質当人に伝わった時に、【あなたを見捨てない】というメッセージにもなるしな』
あなた達だって、俺たちを戦場に出さないという選択肢は無いんだろ、と確認をするように念を押される。
「かえって裏目に出て狙われやすくなるとは思わないのかね?
君達は、ある意味『じり貧の上に脱出する踏ん切りもつけられない素人集団』だと軽視されていた方が生き延びやすい立場にある。
まだまだ闘志は充分にあるとアピールするような公約を出せば、かえって注目を受けるかもしれない」
『皆にもそうなるかもしれないとは言ったし、それでもと言われたよ。
《奇跡は犠牲の果てにあるものじゃない》と言ったのに、《アイドルになるから見ててくれ》と言ったのに、呼びかけないのは違うんだってさ』
……そして、声をかけられる相手には手あたりしだい声をかけようって言い出したのが俺だから、反論なんてしようもなかった』
「他者の助力を前提にしたサーヴァントか。善なる蜘蛛の彼も、さぞ扱いに窮しただろうね」
『あいにくと、これしか戦い方を知らないんだよ。色んな人から、人殺しには向いてないとお墨付きをもらっててね』
その発言に一切の偽りはないのだろうと、モリアーティは既に察した。
と言うよりも、その発言で人となりの全てが腑に落ちたと言っていい。
この男は善人で、普通人で、それでいて『誰とでも手を組める』中立中庸の、どこにでもいると言われそうな青年だ。
頭はかなり回るようだが、それも交渉人としての人生で溜め込んだ成果であって、根っからの知恵者というわけではない。
こと立ち回りや化かし合いという観点でこの青年にできることと言えば、信じるべき相手を信じ抜くこと。
そして、疑いながらも疑っている人に頼ることを躊躇わない肝っ玉か。
もしも特筆すべきことがあるとすれば、余人には思いつかないパーフェクトコミュニケーションを常に引き出し続けられる共感能力。
――おそらく『人たらし』としては天性のものを持っているのかもしれないけれど。
それさえもむしろ、お悩み相談やハニートラップに秀でた才覚であって、頭を使った殺し合いに向いた性質ではない。
人物像をどう分析しても、このサーヴァントは『犯罪卿』の後任ないし代行を担えるような『犯罪者』ではなかった。
だが。
そういう男と似たような『凡人』がいたことを、モリアーティは知っている。
宮本武蔵も、同じ少女と旅をした上で、『彼女』とアシュレイ・ホライゾンを引き合いに出したのだ。
武蔵とモリアーティが大きく性質の異なる英霊とはいえ、同じ少女のことをよく知った上で比較しているのだから、結論が似てしまうのは必然である。
なるほど、『君』もおそらく、どたんばで彼のことを生かしておきたくなったのか。
モリアーティは、そのように納得を得た。
こういう人物は、『要』なのだ。
ある意味で何もできないが、士気の維持こそが生死を分ける窮地の泥沼では、何をするためにも必要になる。
マスターではなくサーヴァントに対して『要石としての才能』を見出すのも奇妙な構図ではあったけれど。
ともあれ。
敵連合と方舟の若者たちもまた、二つのタワーを発端とした争いに加わることを取り決めて。
やがて予期される全面戦争を、回避しないと選択して。
あとは、どこに誰が向かうかというチーム編成と攻め入る座標と、どこまでも実務の話し合いになったのだった。
◆◆◆
ぷしゅー、という風船がしぼむような空気音が聞こえてきそうだった。
公園防災林の木かげの、しっかりした木の根に座って休息をとる
田中摩美々が、である。
駆け引きから情報交換に移行したライダーの通話から距離をとること少し。
それを取り囲むのは、会談を見守っていたアイドル達と、そのサーヴァント。
櫻木真乃と偶像・七草にちかは未だ機能していた自動販売機から飲み物を買ってきたりと。
あるいは手荷物のハンカチで汗を拭いたりして、よく頑張ったねと労っていた。
そこに改めて正座し、形のよい姿勢で向かい合う影が一人。
霊骸の浸食にによって花弁に陰りはあれど、面差しは凛とした花、セイバー・宮本武蔵。
「283プロダクション、改め方舟の皆さん、そして田中摩美々さん。
此度は私の契約者を救うための助力に応じていただき、誠に有難う御座います」
自己紹介をして。
互いの状況説明を終えて。
まず真っ先に為さねばならない他陣営との橋渡しを終えて。
セイバーが道中で七草はづきを救助していたことと、杉並区の窮地における救援に、少女たちは感謝した。
そして、これまでセイバーと梨花が皮下院長を訪問したこで、283プロへの攻撃材料をもたらしてしまった、という結果は咎めなしとされた。
そもそもの皮下病院に向かう事になったきっかけが、アイドル・
幽谷霧子の身代わりのような形だったこともある。
事情を聴いたうえで『皮下病院に赴くなんて明らかに危険なことをするより、霧子を見捨てて良かった』などと言い出すアイドルはいなかった。
そして、『脱出の計画を尾ひれがついた形で口外される』という機密漏洩を直接に生じさせられたのは、偶像・七草にちかとアシュレイ・ホライゾンだったが。
彼女らにせよ『そもそも夜になるかどうかの時点で皮下病院に向かう話を聞いていたのに、こちらも同盟者としての安否確認どころではなかった』という経緯を持ち出して、トントンにした。
そういった因果関係の謝罪と謝礼を、一通り終わらせた上で。
改まっての武蔵の感謝は、『方舟』の少女たちとそのサーヴァントが、『
古手梨花を救ける』という目標を立てた恩義に対するものだった。
まず、先刻に退場したアサシンからの言い残しを通して、古手梨花の考えられる現状が当のセイバーも含めた全員に伝わったこと。
それにより、『皮下一派に尋問を受けながらも【脱出手段を持ったライダー】の情報を引き出されないよう粘っている』という見解が共有されたこと。
そんな話を聞かされてしまえば、否応なしに一同は梨花救出のための士気を上げずにはいられなかったこと。
その上で、摩美々が反撃の初手として必要な『別勢力との対話』に踏み切ったこと。
「なにぶん人質を利用されたら動きを縛られる身の上ではありますが、この恩は戦働きでお返しします。
……なんて、畏まっても堅苦しい。お気遣いは無く、ただし油断はなさらずに、これからもよろしくね、ということです」
きっぱりと口上を述べ終えて顔を上げれば、ニッコリと明朗な笑みがある。
摩美々はつられるように背筋を伸ばして、照れくさそうに両手の甲で紫髪を揺らすように撫でた。
「てゆーか…………こちらこそ、霧子と咲耶がお世話になったこと、ありがとうございました」
「どういたしまして。でもそのお礼は、私じゃなくて梨花ちゃんが受け取るべきものかしら」
霧子ちゃんの連行に割って入ったのも、私じゃなくてあの子だったから、と。
空気をほがらかにさせた上で、しかし武蔵はふたたびの真面目な語調になった。
「それで…………答えにくいことかもしれないけれど、その霧子ちゃんとは一緒にいないの?」
答えにくいことなら『申し訳ないのだけれど』とは、武蔵は言わない。
幽谷霧子とそのサーヴァントにすぐにでも合流が叶うのかどうか。
ひいては、彼女らに合流を依頼していた
光月おでんとそのサーヴァントの助力が見込めるのかどうか。
それはこれからの勝率をダイレクトに左右する事柄であり、武人である武蔵にとっては必須の情報だ。
他に情報交換すべきことの遣り取りを終えてしまえば、問うことにまったく遠慮はしなかった。
対する摩美々は、気にしていたことを聞かれたという図星でしばらく固まった。
「連絡が取れなくなってる、って感じですねー……」
昨晩に七草にちかの携帯電話を介して最後に通話した時のことを語る。
光月おでんを新宿近辺で探してみるという話を最後に、こちらからかけても通じない有り様を伝える。
一緒に聴いていた真乃が「あの……」と口走り、とてつもなく言いにくいことを切り出すように言った。
「事務所のみんな、襲われちゃったんですよね。もしかしたら、霧子ちゃんも巻き込まれてるなんてことは……」
当然に考えられる危惧ではあった。
霧子との連絡が通じなくなったのは、割れた子ども達の一斉襲撃があった時間と前後している。
観客・七草にちかのアパートもまた短期間の間に二つの陣営から捕捉・襲撃されたことも併せて考えれば、
幽谷霧子の動きもまた子供たちに捕まれ、物量によるマスター襲撃を受けたのではというぞっとしない危惧が生じる。
「ううん。それはきっと無いかなーって、世田谷のアパートに煽りメールが来たときに、ライダーさんも言ってた」
仮にそうだとすれば、『あなたのせいで死人が増えた』などという曖昧な通知は来ないだろう、というのが彼の見立てだった。
もし、あの時点で割れた子ども達の一派が幽谷霧子に何らかの魔手を伸ばしていたのだとしたら。
メールの文面は明確に『白瀬咲耶の友人だった幽谷霧子もまた毒牙にかけた』ことを示唆するものになっていたはずだ。
所在がほぼはっきりしていたNPCのアイドルと異なり、移動中のマスターに手を出したところで、こちらには遭難がすぐに伝わらないのだから。
「都内が今こんなのだから……スマホの電池が切れて、充電できないだけの可能性もある、そうです」
「その場合の合流の可否は、単純に通信手段が確保できるかどうかにかかってくるわけか。
梨花ちゃんがその手の道具を持っていなかっただけに、ここ一日で本当に通信のありがたみを実感するものね」
「メッセ全盛の昨今に、公衆電話から番号を思い出してかけるなんて難しいでしょうしねー」
霧子はたしか、以前『家(うち)とおばあちゃんと
プロデューサーの電話番号は暗記している』と言っていたような気がする。
でもそれは逆に言えば、『ユニットメンバーの番号までは覚えていない』とも受け取れるわけで……。
はぁ、とため息。
そのまま武蔵が重たい沈黙に移行しそうだったのを、本能だか空気読みだかで、遮るように。
近くに腰を降ろして聞いていた七草にちかが、「セイバーさん」とおずおず割り込んだ。
「…………今でも、マスターじゃなくて梨花ちゃんって呼んでるんですね」
はて、どういうことだろうと首をかしげること少し。
やがて武蔵は、『そう言えばそうだった』と思い出した。
以前に出会った時に、武蔵はにちかとそのサーヴァントの前で公言している。
――だから、私がマスターと呼ぶのはただ一人だけ。この世界に於けるマスターとも言うべきあの娘をそう呼ぶかは……彼女の選択次第、って訳。
そして武蔵は、皆の前でも『梨花ちゃん』『契約者』などとだけ呼び続けていた。
「いえ、『それどころじゃなかったでしょ』って言われたらその通りですよね……あはは、私ってば、なーに空気読めないことを」
「ううん、別にそこまでは思ってないから謝らなくていいのです。でも、そうね……梨花ちゃんは確かに、立派な選択をしてきたと言えるでしょう」
ここまでの古手梨花の選択に、武蔵は思いを馳せる。
今現在、一時間後も知れぬ命となっている彼女を死なせてはならないという使命感と庇護の想いは、代わらずあるものとして。
新宿の路地裏で、辻斬りのサーヴァントを看過できなかったことを始めとして。
名乗り出なければ捕捉されることもないと分かった上で、幽谷霧子の扱いに割り込み。
推測ではあるにせよ、己の身を危うくするような拷問が隣り合わせにあるだろう中で、非力な童女の身で仲間の情報を売るまいとしている。
……出会ったばかりの、さ迷える猫のようだった煮え切らなさは感じられなかった。
むしろそれは、誰かの悲鳴を聞けば耳を塞ぐことができない、たった一人の少女と同じ道の選び方に似ている。
「むしろ、ありがとうにちかちゃん。考えておかなきゃいけないわ、私の中で本当に、『マスター』と呼ぶにはまだ足りないのかどうか」
「いや、お礼だなんて……」
「型に嵌めて、そう難しく考えることでもないだろう」
そう意見を出したのは、いつの間にか、当たり前のようにそこにいた男だった。
それもそのはず。彼は新たに田中摩美々のサーヴァントとして再契約をしたのだから。
「マスターと呼ぶかどうかなんて、心がそう思ったら自然に呼んでるもんだ。
俺だって最初は……生前の付き合いだった奴とは違う、若い女と二人連れはどうなるかと、思わなかったわけじゃない」
言ってすぐ、今や摩美々のアーチャーは、眼を逸らすようにした。
『女』という単語の一つさえ口にすることにも照れるぐらいには、女慣れしていないらしい。
「へぇー、一人目の女の人がいたんですかぁ、アーチャーさん」
「いや、それじゃにちかが二人目になるじゃないか……そりゃ文字通りの意味では間違っちゃいないが、そうじゃない」
「摩美々ちゃん。その、それだと私は、ひおりちゃんとめぐるちゃんとひかるちゃんで、三人目になっちゃうから」
「や、そこでめぐひおを引き合いに出すのは…………なんか、本当にイルミネだね。
まぁ、かく言うまみみが、私のサーヴァントは一人だけ、なんて言ってるせいでアーチャーさんには三人目がいないんですけど」
「いや、別に俺はそっち方面に不自由した奴じゃない」
「……でも、どっちだったとしても、一緒に歩くからには、仲良くできたらいいなって、そう思いますよ」
会話のオチを提示されたアーチャーが食いつきぎみに頷いて、それでいいだろと武蔵をチラリと見た。
心なしか、武蔵の首から下――具体的には胸元を、視界に入れないよう気を付けているようにも思われて、「やれやれ」と武蔵も苦笑。
「じゃあ、私は気を取り直して交渉の様子を見て来るわ」
手をひらひらと振って、通話の模様がくみ取れるようなライダーのそば近くへと歩いて行く。
やはり梨花のことを想うと、方針擦り合わせの結果がどうなったかは一刻も早くそばで聞き取りたいものがあるらしい。
「てゆーか、その『一人目』で言ったら私達、みんなプロデューサーが一人目じゃーん」
「ふふ……それもそうだね」
ひと段落ついたように笑い合う。
彼女らにとって、プロデューサーの現在は深刻であっても、プロデュースされた思い出は悪いものでなかった。
「あのっ……」
けれど、プロデューサーの存在を引き合いにだすことが刺激になる少女もいた。
これまでの会話で、『観客』の彼女もやはり彼女らにとっては『七草にちか』だったのだと実感した上で。
その少女は、283プロに数か月所属していたとはいっても、他のアイドル達との交友には乏しい。
七草にちかのWINGに至るまでの日々は、激務であり、必死であり、普通の少女にできる200パーセントだった。
故に、『彼女達はこういうもの』という感覚には慣れないまま、尋ねる。
「夜中からこっち……皆さん、私を、責めないんですか?」
これがライダーを相手にしたような自責と自傷行為であれば、にちかはもっと八つ当たりめいた言い方をしたかもしれない。
しかし彼女は、年少者としての生まれ育ちから『羽目をはずす時も、甘える時も、相手は選ぶ』という処世術を身に着けている。
ゆえに、二人の少女とメロウリンクが首をかしげざるを得ないほど、弱気な言葉として漏れた。
「責めるって……」
「どのへんのことー?」
「その……だって、283の事務所とお姉ちゃんを大変なことにした、最低の家出をした奴ですよ?」
摩美々はもとから、よくわからない家出をした迷惑アイドル候補生として覚えているはずなのに、一切責めるようなことを言わなかった。
櫻木真乃も、七草にちかが二人いる光景を見たときはとてつもなく驚いていたのに、普通に接している。
「えっと、事務所が変わっちゃったのは、私達が支えられなかったり、色んな理由があってのことだよ?」
「それに、家出をしたにちかとだって別人なんでしょー?」
彼女らは、『観客・七草にちかと仲が良かったから』という延長で仲良くしていて、もし『別人』を感じた時はがっかりするのでは、とか。
彼女らが馴染んでいるのは、『脱出手段を持つライダー』とか『プロデューサーを説得できるのかもしれない』とかの期待ありきでは、とか。
他者の人間性への疑いではなく、『283プロにいた偶像・七草にちかの好感度に自信がない』という所在の無さで、彼女はそれを疑う。
まして、七草にちかがプロデューサーの主従に声を届けられなかった結果、彼女達のサーヴァントが二人も退場している――と、にちかは思っている。
彼女たちは、偶像・七草にちかにとってのアシュレイ・ホライゾンに当たる存在を失ってしまったのだ。
真乃のアーチャーが消滅を告げ知らせてきた時、真乃が己もまさに窮地に置かれていることさえ忘却して、最後の念話だけに集中していたことを知っている。
摩美々のアサシンが血に塗れ、潰され、焼かれて変わり果てた姿になっても、摩美々が火の手も鼻をつく異臭も恐れず駆けつけ、寄り添うところを見ている。
あれほど大事にされていた人達が、サーヴァント達自身も選んだ結果とはいえ、七草にちかに聖杯の奇跡をもたらそうと失われている。・
「それにプロデューサーさんは、私のために聖杯戦争やってるのに、さっきの私は、話を取り合ってもらえなくて……」
「それは、動画配信でさよならって言われた私達だって似たようなものだし」
「うん。私も、にちかちゃんが黙ってろって言われた時はひかるちゃ――アーチャーちゃんと同じで、サーヴァントさんの方に謝ってほしいって思った」
べつに偶像・七草にちかに何らの隔意はない、と言いたげにアイドルが二人、うんうんと頷き合っている。
プロデューサーの暴挙を止められていない、彼を救えていないことについていえば、皆にも同じ責任があると当たり前のように共有して。
「ってゆーか、一緒に遊んだりはなかったけど、みんなで全体曲(resonance+)収録するとかは普通にやってたし?」
「うんっ。はづきさんも事務所だと『七草さんが~』ってお仕事用の呼び方で打ち合わせしてた。辞める約束があるなんて知らなかったよ」
「こっちの事務所でも、皆にとっては283の一員だったんじゃないかな。NPCさんも、テレビの報道でも、引退アイドル扱いしてなかったでしょ?」
にちかだって彼女達からしてみれば、とっくに283プロの一員だったのだと、間違いないと同意が遣り取りされる。
もしかして自分は、そこそこ自意識過剰に陥っていたんじゃないかと、偶像に復帰したばかり・七草にちかは却って何を言えばいいか分からなくなり。
「今のにちかは、プロデューサーのこと、嫌い?」
シンプルな質問に、胸をつかれたようにどきりとした。
そう尋ねる田中摩美々も、どころか283プロのアイドルの多数がこの質問に『大好きです』と答えるだろうことはもう知っている。
「いや、違うからぁ。この質問に嫌いって答えてほしくないな、とかじゃなくて……」
霧子ならどう言うかな……というつぶやきを、小声で挟んでから。
「考えや好き嫌いが違っても……話をしないままでも……一緒に歩けるなら、私はそれでもいいよ?」
真乃に対しても、そう言いたかったというように頷いてみせた。
櫻木真乃もまた、何かを思い出すような目をしてから。
「そうだね。私も、まざってくれてありがとう、って思ってるよ」
違うからって、誘うことを心配しすぎないようにしたいから、と。
ほわっとした笑顔で、そう答えた。
左手の手のひらを頬にあてる、テレビでもよく見せていたそのままの仕草だった。
――283プロって変わってる。
緋田美琴がそう言っていたのを思い出した。
こういうところをして、そう言っていたのかは今となっては分からないけれど。
今になって、『私、この人達のいるところでアイドルやろうと思ったんだなぁ……』と思った。
「嫌い、というならすまない」
アーチャーが、無骨そうな手で挙手をした。
「白状させてもらうと、俺にとってあの男は今のところ、だいぶ好きになれるか怪しい」
アイドルは三人とも、えっと驚いた声を出す。
「いざ人質を助けるために動くぞとなった時に、モチベーションの低さを問われても良くないから、今言っておこうと思ったんだ」
きっぱりと辛辣そうな発言に、揃ってアーチャーを凝視したものの、すぐにこの人にとっては無理もないと気付く。
そもそも、プロデューサーとほぼ接点のない観客・七草にちかのサーヴァントという、元から縁の薄い存在であることが一つ。
その観客・七草にちか自身が、『あの男は殴る』とプロデューサーに親密さを持っていなかったことが一つ。
そのうえで、彼の人の襲撃が、たとえ『サーヴァントだけに的を絞って仕留める』というマスターの安全確保のための試みだったとはいえ。
その襲撃が間接的な原因となって、観客・七草にちかの命が絶たれていることが一つ。
さらに、プロデューサーが人質に取られて以降のアイドルたちの精神的動揺や、283プロに所属する主従のやりにくさなどを傍目に見れば。
283プロの人間関係の機微などをよく知らない外様の主従にとっては、『積極的に尖兵にくだった寝返り者』に見えてしまうことも一つ。
「モチベの話になるってことは、助けること自体は、認めてくれてるんですか…?」
「【アイドルがプロデューサーを見捨てたという話になれば、拾える限りの命を拾うというスタンスに矛盾する】という話はもっともだからな」
このロジックがある限り、プロデューサーという人物の存在をつい先刻知ったばかりの、言うなれば赤の他人である古手梨花のセイバーでさえも。
『見捨てることで脱出阻止目当ての敵を増やしてしまうなら、こちらは何も言えません』と、プロデューサーの救出には同意を得られている。
「それに、『七草にちか』がアイドルになれなかったら、『俺のマスター』は悲しむだろう。
あんたらが後腐れなしにこれからの人生を歩いて行くためにも、あの男を救ったという結果が必要なのは分かってるつもりだ」
たとえ、ここにいる偶像・七草にちかをプロデュースした男は別の世界線にいるとしても。
にちかの為として命を懸けているプロデューサーとの対話を経なければ、彼女にとって彼のことはブラックボックスとしてその後の人生に影を落とすだろう、と。
そう言わんとすることが分かっているが故に、再び偶像になると決めた少女はうつむいて。
そして、二つの出来事が起こったのは同時だった。
ひとつは、にちかももつ携帯端末がバイブレーションを発したこと。
待機モードを解除すれば、そこには着信者の名前が『お姉ちゃん』と書かれていた。
そしてもうひとつは、しばらく口を開いていなかった櫻木真乃が顔を上げたことだった。
「すいません、私もライダーさんに、電話を代わってほしい人がいます」
◆◆◆
Mのおおよその話しぶりから、そろそろ擦り合わせは終わりに向かっているらしいと。
敵連合員、全員の分のソファーがある応接室で、思い思いにくつろぐうちの一人、
星野アイはそう察しをつけていた。
そんなタイミングで、自分の番が来たかのように通話中の端末を差し出されたものだから、驚いた。
「櫻木真乃が君との通話を希望しているらしいが、受けるかね」
立ち直ったのかもしれない、という可能性はMから聞かされていた。
だけれど、あれだけ許せないと断じられた上で、向こうから連絡を取りたがるとは思わなかった。
『お久しぶりです。そして、失礼なお別れをしたのに一方的に押しかけてしまってごめんなさい』
本当に久しぶりに、可愛らしい声が聞こえてきた。
新宿の災害時に電話した時は『可愛い声』などと言えないような憔悴をしていたから、昨日の昼日中ぶりぐらいだ。
「……うん、どっちかって言うと、あの後に知らない蜘蛛さんから電話があった時の方がびっくりしたから。今さらではあるのかな」
『あっ……そうでしたね。あの時は約束を破って番号を教えてごめんなさい。
じゃなくて、そもそもアドバイスをもらったのに、許せないなんて言って、ごめんなさい』
あの時はアドバイスを通り越して口論になりかかっていて、こちらはいつか殺すも同然のことを言ったのだから、許すも許さないもないと思うけど。
「ずいぶん、元気になったみたいだね。何かふっきれることでもあったの?」
『何か……と言うか、本当にあれから、色々なことがあったんですけど。
あの時のアイさんの言葉も、道しるべになったと思うんです。
だから、まずはそれをありがとうございました』
まだ戦う覚悟を決められないのかという、強めの発破にも、八つ当たりのようにも受け取れたアイからの本心暴露。
アイ自身も限りなく素の自分に近い所を見せるつもりはなかったからこそ、それが励みになったと言われると複雑なものはあったけれど。
『アイさんのライダーさんは、そこにいますか?』
「いるよ。代わって欲しい?」
『いいえ、今はアイさんに話したいと思ったから。でも、伝言があります』
すぅ、はぁと発声練習をする前の深呼吸のような音が、小さく聞こえてきた。
『私のアーチャーちゃんが、言葉を届けてもらって、とってもお世話になりました。お礼を伝えてください』
その言い方に、察するものがあった。
あのはきはきとしたアーチャーの少女は、礼を言おうと思ったなら、自分の口から伝えるだろう。
それが真乃の口から伝言のように伝えられることが、何を意味するかと言えば。
『あの子とは、お別れしました』
「…………それ、正直にばらして良かったの?」
『どっちみち、Mさんとのこれからの話し合いでも、秘密にしておけることじゃなかったと思います。
それに、アイさんとそのライダーさんの中で、あの子がまだ生きてることになって、更新されないのは、なんだか違うって思いました。
ひか――あの子はきっと、ライダーさんにもお礼を伝えたかったと思うから』
あれほど仲がよさそうにしていた、歳の近いサーヴァントと生き別れになり。
あまつさえ、Mの話では、彼女らを率いていた盟主にあたるサーヴァントも倒れたという。
その上で、憔悴を重ねるでもなく、直前の真乃の言葉を借りるなら、アイドル・櫻木真乃を『更新』したかのように通話を求めてきた。
「真乃ちゃん、私はもう敵連合(ワルイオンナ)でやっていく事に決めたよ」
だからこそ、アイは先にそう言っておかなければと思った。
櫻木真乃が何かに目覚めたのだとすれば、星野アイもまた己の居場所を定めたと一線を引き直す必要があったから。
『はいっ。アイさんは強い人だから、私の話を聞いても何も変わらないかもしれません。
でも、あの時に私がちゃんと届け損なったのは、悔しかったから。届けそこなったものは、自分で届け直したいと思ったから』
こうして。
しばらくの間、二人のアイドルはお互いの在り方についての話をした。
櫻木真乃は、アイドルで在り続けるために生きるという話をした。
星野アイ(キミ)に伝わりますように。
『もしもアイさんだけがこの戦いから帰る時が来たとしても。私がいたことで、アイさんに届けられるものがあったらいいなって』
そして、星野アイ(キミ)が伝わりますように。
『もしも私たちがどうしてもアイさんと帰れない時でも。世界を越えてアイさんの大切な人に、何か届けられないかなって』
そういう櫻木真乃のことを、一通り聞いた上で。
星野アイは、生き抜いた果てにアイドルで在り続ける話をした。
「カメラの前では見せてないけどね、星野アイはとっても欲張りなんだ。
それでね、今いっしょにいる仲間も、同じぐらい欲張りでワルイ人達ばっかり」
『はい』
「だから私は――いつか、真乃ちゃんも殺すね」
『はい……私も、殺されないようにがんばります』
その言い方だけは、初対面で一緒の仕事をしようと張り切っていた時と変わっていないのが、何だかおかしかった。
あの時と同じように、今の櫻木真乃が笑えているのかは分からない。
ただ、笑えていたとしても、そういう時間が今だけのものであることを、アイはもう悟っていた。
サーヴァントを亡くした寄る辺の無いはぐれマスターとなり。
所属する集団も、脱出派であるという白眼視と、戦力を大きく削られた窮地に立たされている。
これで彼女が長生きして『アイドル』を全うできる希望はどれほどあるだろうかと、アイは冷静に現実的に受け止めていて。
「それから、最後にお節介をひとつだけね。
真乃ちゃんがたぶん今でも気に掛けてる、あさひ君のことだけど」
まぁ、これを明かしたところで今さらしおちゃんは怒らないだろうし、と割りきって。
意地悪ではなく、突きつける事実として。
淡々と、彼女の目指している道の厳しさを提示して終わらせた。
「あさひ君、たぶんもう真乃ちゃんの言葉では届かないと思うよ。
こっちの仲間にあさひ君の妹がいるんだけど、それでもあさひ君は私達を殺す側につくって決めちゃったんだってさ」
最終更新:2022年10月19日 20:41