「この戦争の主役は誰だよ。土の下で爆睡してるデカトカゲに取られたままで満足か?」
◆
「……ん、どうした提督。首尾はどーよ。こっちは今からアイドルちゃん達に電話するところよ。
受け入れても断っても、どちらにせよ連中のスタンスは詰みだ。まあおたくに興味はねえんだろうがお望み通り
光月おでんさんとの取次も任せて……」
「…………………………………………」
「光月おでんと、酒飲みしてる?」
「その間に、283のサーヴァントが峰津院と交渉? で決裂? スカイツリーからデカイ龍が出てきた? ビッグ・マムは大和のランサーとタイマン?」
「……………………………………」
「え、どゆこと?」
◇
「いやグッダグダじゃねえかっ!」
皮下は絶叫した。
思わずぶん投げたティーカップがソーサーと衝突して「ギャー!」と叫ぶが一顧だにしない。
リアクションは狙ってオーバーに振る舞ってるが、心境はさほどの差異もなかった。有り体に言ってノリツッコミだった。
今まさに、返却した
プロデューサーの携帯でアイドルに休戦の示談をかけようとした時だった。
方舟が何を動かそうとも、二重の人質をかけている状況を握っているこちらの同盟が、幾らでも縛りをかけられる。そういう通告を刺す予定だった。
だから動かず余計な手出しをするなと重りを乗せようとしたら……交渉相手は一歩先に走り出して、ワッパをかける手が空を切っていた。
「ガムテ君はなんかわけわかんねえし、
リップも動いた連中を抑えに行っちゃったしさあ……人が苦労して立てたプランを全否定し(ブッコミ)やがって……!
昨日に続いて今日も厄日かあ俺?」
拠点に戻ってくるなり交渉の結果も曖昧に「連合(アイツら)動いたんで出撃(で)ます」とメモを置いてとんぼ返りしていったガムテ。
「これ以上付き合ってると後手になりかねない。先に進める」と、接近してくる第三勢力を牽制に向かったリップ。
外での『環境』の劇的な変化に、二組のマスターは戦場に駆け出した。皮下を放って。
圧倒的な損切の速さだが、鏡から覗いた、現実に浮いた光景を見れば妥当な判断だろう。
墨田区のスカイツリーを根にして、巨大な龍が生えていた。
頸を無限に連結させたような、奇天烈な外見であるが、龍と呼んで差し支えない。
見ているだけで見られ、見られているだけで、自分が陸の上のちっぽけな虫でしかないと思い知らされる。
巨大というのは、それだけで他に屈服を強いる。戦うまでもなく格付けを済ませる、最も原始的かつスマートな生存競争。
そしてそんなものが突如地を割って出てきた理由は一目瞭然。
霊地を使ったのだ。それしか考えられない。
どうやって、どのようにしてかは、魔術師ならぬ皮下では理解できない。
宝具か召喚か、どちらにせよ眠らせていたここぞという時の備蓄を、『ここ』だと決めて開放したのだ。
そうすると、この時点でもう、スカイツリーを攻める理由は消え失せてしまったことになる。
リップがアーチャーと別の方角へ飛んだのもそういう訳だ。必死を覚悟であのランサーに銃を向ける意味が、あそこには残ってないのだ。
無論残った東京タワーに合流されないよう、足止めの戦闘は必須となるが。
それはビッグ・マム単騎で当たれば十分な時間稼ぎになる。当人も一騎打ちをご所望とあるなら気分良く潰し合ってもらう。
件の片方の霊地……東京のタワーの方は、更に輪をかけて地獄絵図が予想される。
なにせ、
カイドウがもうノってしまっている。
取り次ぐよう要請した光月おでんと先に顔を合わせ、これはもう本当にどういうことなのか、酒を酌み交わしあって時間を潰す真似までして。
駄目押しに霊地の片割れの消費と、己の身の丈を超す龍と来た。
酒と再会と縄張りの枯渇。フラストレーションが最高潮になってるのがありありと想像できてしまう。
こうなるともう、令呪で呼び戻さない限りはもう止まらないだろう。
霊地掌握(片方使われたけど)と大和陣営との戦いは、あの二人に任せる他なくなってしまった。
これらの連続した怒涛の事態が、皮下が算段をつけてる間に、方舟陣営が起こしていたとしたら、大博打どころの騒ぎじゃない。
連中は今、半島分の火薬庫の導火線に火をつけたのだ。
カイドウにしてみれば、アイドルに関連する事項はどうでもいいと見做してる。
皮下(マスター)が決めたのならわざわざ破る気も起こさないが、守る気もない。
ましてや戦端が開かれたのは連絡するよりも前、約束の前提からして成立してないものを守るも破るもない。
方舟も同様に、誰も聞いてない提案の破綻で人質を害される可能性に怯えるなどできようはずもない。
それでも害すると言えば、提案を持ちかければ動揺は生み出せるだろう。
ただ、それが今かと言われれば、そうも言ってられない状況過ぎる。
ここで方舟のアイドルに提案を呑ませ、指揮を落としたとて。
その後に今も進行している大和の火の手は、こちらが受ける羽目になってしまう。
戦闘中の両軍に割って入って停戦を呼びかけるのがどれだけ愚かしい行為か、辺鄙な島で研究続きだった皮下でもそれは知っている。
敵連合と手を切るか、プロデューサーと梨花の身の保証を守るか。
直接的にコンタクトを取ってない中、どこまで考えてるかの実態を探る時期は必要だった。
こうなってしまった以上、後回しにせざるを得ないが。
「もう、宜しいんじゃないですの皮下さん?」
不意に、甘い囁きが香りと共に聞こえてきた。
「どーした沙都子ちゃん。愛しの梨花ちゃんの監禁室(おへや)は向こうだぜ」
「ええ。後でお邪魔させていただきますわ」
頭に手をついて唸ってる間に席に着いていたのか。
赤いゼリーを指でこねくり回して、優雅にティータイムを嗜む淑女然といった風を押し出す沙都子に、皮下は気怠げに目を向けた。
「皮下さんの作戦は確かに的確で嫌らしいですけど、些か手が遅いですわね。
アドリブ力不足というべきでしょうか。綿密ですが細か過ぎて、目まぐるしく変わる現場のスピードについてこれていませんの」
「オイオイ、言ってくれるじゃねーの」
つくづく、小学生の出せる胆力だとは思えなかった。
カイドウとビッグ・マムの圧迫面接を堪えたといい、梨花とのやり取りといい、一体この幼童の中身は普通の人間から何に置き換わっているのか。
「ですので、ここはわたくしにお任せしてもらえません? 霊地についてはもうどうにもなりませんが、あと一つについては、先程リンボさんが面白いものを見つけたと仰っておりましてね」
「つまり録でもねーってことじゃんか。却下却下」
手首を振って即取り下げた。
ここでリンボとか本気で勘弁して欲しい。プラスチック爆弾の上にニトログリセリンでも垂れ流すつもりか。
「そこは一言一句とも同感ですわね。ですのでまずは報告を聞くだけ聞くことにしまして。そうしたらええ、確かにこれは面白いなと思いましたの」
厄ネタの押し売りには断固拒否する腹積もりでいたが。
沙都子の方に顔を向けて、少し和らぐ。
それはむしろ、喜色で誘う声に、異なる警戒が表れたからであるのだが。
「試してみませんこと? アイドルさんの返答と、固まった場面を有利に動かす。一度に両方達成できる、とぉってもいい方法を」
紅く、赤く、朱く、染まる。
誰かからのモノを目一杯浴びて落ちなくなった、花の虹彩を見せて。
◇
文京区は新明治通り、山形通りを交差して中野区へ続く交通路。
黒塗りのリムジンが、他の車がまばらな道を走行する。
「……………………………」
縦長の車体が風を切る。
法定速度を超えた走行だった。
後部座席に座る賓客に快い気持ちのまま移動を済ませるよう施した遮音機能が、その用途を発揮しきれないほどに。
信号機が青から黃、直前で急激な速度が乗ってない限りの、事実上停止の合図に切り替わるのを意に介さず、減速なし。
黃から赤、完全な停止、進行の禁止の合図に切り替わるのに足元のブレーキペダルに触れる素振りすら起こさず、減速なし。
交差点でも、曲線でも、歩行者が横断中ですらあっても、リムジンは減速の気配を一巡たりとも見せない。
飲酒か、薬物か、運転手の暴走としか余所の通行人には映らない危険運転。
だが目撃者が抱くのは、自分が巻き込まれるかもしれない恐怖ではない。
ハイスピードを維持しながら、走行はぶれのない直線。前方の車を避けに車線移りするにも間合いを見計らう時間はなく、一瞬で移動。
タイヤがスピンを起こし、ハンドルを持っていかれ横転する事がなく。
ガードレールに正面衝突を起こし、突き破った先の崖に落下する事もない。
車、とりわけスポーツカーに精通した識者の目には、プロレーサーのデモンストレーションと思いこんでしまうような。
機体性能を熟知し、狂いを生じさせない範囲を把握する技量で手綱を握る、奇跡の御業と見紛うドライビングであった。
「……………………………………!」
巡回中の警察車両が目撃したとしても。サイレンを鳴らして追跡する暇も与えず疾走するリムジン内で。
田中一は口を閉じきって沈黙を持続している。
無個性な顔を蒼く白め、今にも嘔吐しそうな表情。
外の空気圧こそ受けないものの、首から足先までを猛烈に後方に引っ張られる加圧に身を晒されて。
「…………!」
無言。
無息。
無視。
言葉を交わす余裕も持てない車内で聞こえるのは、遮音し切れない走行音のみ。
自由に振る舞えている者は一人しかいない。
田中の右隣。運転席に座る、袴姿の黒き影。
幽谷霧子と契約するサーヴァント、セイバーだけだ。
「…………………」
いや。
自由と言うには、空気の陰鬱さが尋常ではないが。
振動で脳が揺れてる田中に、確かめる勇気は残されてなかった。
相談の結果、霧子と鳥子は拠点に送る事となった。
地平戦線の初手が交渉に決定しても、戦闘に発展する可能性は依然残る。
交渉の決裂。海賊同盟の進軍。それらに関わらない他勢力の干渉。
火種は、多い、あまりにも。未然の鎮火も食い止められないぐらいに、多大で。
非戦闘員の避難は急務といえる。戦えぬ身にして、戦うサーヴァントの要となるマスターには。
わけても。
仁科鳥子は鍵である。
錠前を開けてしまう鍵。
鍵穴に差し込むのではなく、鍵が破壊される事で、禁断の門を解き放ってしまう。
鍵にして、門。アビゲイルの精神の深淵を覗いてしまう。
門より降臨するものは、際限なき、虹色に泡吹く地獄に他ならぬ。
移動の足は、既に確保されてある。
田中が鳥子を出迎えに使用したリムジン。デトネラット経由で卸された支給の移動手段。
ここまで運転してきた田中の付き人、花畑ほかデトラネット職員は、おでんの覇気を浴びたおかげで、全員がのびている。
失神からの復帰には早く、目を覚ましても操縦できる状態にはさらなる時間を要す。
暴走族(ゾク)のライダーより融資された薬物(ヤク)……無理矢理にでも口内にねじ込めば、即時覚醒を促せるか。
田中がその考えに到る、十数秒前に。
「あ、あの……! セイバーさんは……車の運転……できますか……?」
そのように、言った。
気絶した集団を見るや駆け出し、介抱をしていた幽谷霧子が、おずおずと手を挙げながらも、しっかりと。
サーヴァントに内包されるスキル。
生前の技術・固有の能力を保有する他に、召喚時に自動的に付与される、クラスに応じた特典スキル。
そのうちのひとつ『騎乗』は、所持さえすれば、ランクの許す限りの騎乗物の運転を可能とする。
活動した時代が如何なる原始、異世界だろうとも、現代の機械類に精通した操作が敵うようになる。
知識として、サーヴァント契約に際して自動的に挿入された情報としてのみ記憶していた霧子は、ようやっとそれの用途を思い出した。
「お願いしても……いいですか……?」
この時に、田中は初めて霧子のセイバーを見た。
鳥子の対面の際は、巡回と称して暫し席を外していたからだ。
腰を抜かした。
霊体化を解いた見目は他のサーヴァントと大差ないのに、顔面に張り付いた三対六眼を目にした途端、枯れた喉から悲鳴を上げてしまった。
「………………………………………」
それ以来、田中はセイバーの顔を見ていない。
霧子に懇願された時も。
光月おでんとそのサーヴァントが、交渉の足止め役の任を負い離れていく際も。
どのような表情を浮かべたが、何も知らなかった。
「ぅ……うぶ……………」
そして、そういうことになった。
リムジンの座席に無言で乗り込んだセイバーは、霧子達四人が座席に入り、ドアを閉めた瞬間にギアを入れて発進した。
同乗者を無視した速度の軌道。
いや、気を払ってはいるだろう。事故は起こしていないのだから。
接触、衝突、車を傷つけ、内部の人間に損害を加える事態は、ただの一度も発生していない。
騎乗スキルは正しく機能し、セイバーの運転技術は、現代のプロレーサーのそれを凌駕し、上回っている。
しかし配慮はしていない。加速につぐ加速、揺れと振動を固定された箱の中で延々と繰り返される。
遊園地の絶叫マシンを、無停止かつ連続で乗せられ続けたように、脳が撹拌される。
田中は遊園地には学園行事以外に行った事はないし、絶叫系とホラー系は徹底して避けてきていたが、きっとそれより酷いのだろう。
胃液が喉元へ逆流するのは目前だ。
隣の操縦席に座る鬼面に、止めてくれ、せめて速度を落としてくれ、と泣き叫ぶ気力が、今の田中にありはせず。
この爆走も無限ではない、目的地に近づけば自然と減速してくれるからそれまでだと言い聞かせ。
せめて少しでも早く終るよう、思考を無にしてしまおうと放棄準備をしようとした際。
「……漸くか…………」
暗い声。
静かに、しかし、腸に重くのしかかる重さのある声。
右隣の運転席から男の声が聞こえたと、三半規管が麻痺しようとした耳に入った瞬間。
爆発と衝撃が、車外の後輪から起きて、横に揺れるばかりのリムジンを縦に持ち上げた。
「わ、ぁ────ぁあああああ!?」
これまでの旋回は児戯であったと嗤う本物の破壊音。
下から持ち上がったリムジンは縦軸に回転を起こし、放物線を描いて……重力に逆らわず落下。
百貨店の正面入り口のガラスを破砕し、婦人服・ハンドバッグコーナーのマネキンやショーケースを叩き割り、フロア中央のエスカレーターにめり込んだところで、速度が止まった。
「う……うぐ、おぇえええ………っ」
今度こそ限界だった。
朝の会談の際に腹に詰め込んだ穀物が胃液に混じって口から溢れる。刺激臭が鼻を刺し口内を汚す。
えづき嘔吐する田中。反して、横転した車内にいても身体に傷らしき傷は見当たらず。
偶然が折り重なった幸運でドアを素通りし、大理石の床を滑り出して無傷で切り抜けたのか。
それよりは遥かに現実に即したものとしては。第三者に背中をつままれ、落下前に窓から放り出されたか。
「おやぁ? 蛞蝓が割れた殻から這い出た思えば……そこにいるのは、もしや我が協力者、田中殿ではありませぬか?」
生き延びた理由を確かめるより前に、すぐ傍にまで這い寄る死の要因に、吐き出すもののなくなった田中の胃が再び痙攣した。
「よもやよもや、このような場所でお会いになるとはなんたる偶然。朝方に買い物にでも参られたのでしょうか?」
「リン……ボ……お、まえ」
忘れられはしない。
忘れられるはずがない。
この金切り声よりも怖気させる撫で声を。
狂人の描いたキャンバスより目を毒す言の葉を。
出会う全てを負に滑落させる、指向性の怪物を記憶違いするものか。
アルターエゴ・リンボ。
田中を嘲弄する法師陰陽師。地獄をご覧にいれると豪語する者。
「それとも、もしや───もしや、ですが。
そこの壊れた、当世の自動車なる絡繰りの中に詰まっていたのですか?
だとしたら、おお、何という……! お許し下さいませ!
拙僧、あくまで巫女殿にのみ用向きがあったのですが、田中殿まで相席なさっていたとは思いもよらなんだ!
ええ、本当に。貴方様を巻き込む意図は本当に無かったのです。重ねて謝罪致します」
雨あられの弁明謝罪。
混じる笑いに、些かの反省もなし。
立て板に水のまま捲し立てる言葉に、一切の真実などありはしない。
「ですので、ええ。拙僧、田中殿に危害を加えようなどとは露とも考えておりませぬ。なんとなれば、お詫びに体の不調もたちどころに治して差し上げます」
這いつくばる田中に何の用もないと言うように。
左右非対称の両面。そのうちの瞳孔が黒く濁る方の玉が、ぐるりと回る。
好奇心のままにいたぶる小動物を見つけた猫の目で。
「拙僧の用向きは申した通り───あちらにしかありませんので」
白き少女。
幼い少女。
金の少女。
それらを煙出す車内より摘まんで引きずり出した黒き侍を見据えて。
獲物(にく)を見つけた獣の目で───笑う。
「お初にお目にかかりまする、黒けき侍殿。
そして、お久しうございます。我が降臨者。マスター共々壮健であり、このリンボ、感激の極みなれば」
「……とりあえず、真っ先に言いたいことはふたつ。
『私』のサーヴァントを『我が』とかつけて呼ばないで。気持ち悪いから。
あとこの様を見て壮健とか感激とか言わないで。嫌味ったらしくてないから」
片腕を失って、コンディションが不調なのも相まって。
最悪といっていいタイミングでの奇襲にも、鳥子は憎まれ口で応えてみせる。
余裕なく気を滅入らせる顔をするのは、こいつを愉しませるだけだから。
「悪いけど───ううん、別にあなた相手じゃ悪いとは思わないや。私達さ、急いでるんだ。
会わなくちゃいけない人や、やらなくちゃいけない事がさ、たっっっっくさんあるから、構ってる暇はないんだよね。
だいたい、そっちも何か色々忙しいんじゃないの? 暇がないのはお互いじゃない?」
「ンン───つれませぬなぁ。せっかく運命の成就だというのに。
しかし、然り、然りでございます。此度ばかりは図星と申しましょう!」
頭を垂れる。
仰々しく。恭しく。まるで忠節の騎士かのように。
項垂れる先には、車両突入で倒れたのを立て直した、写身の姿見が。
「拙僧の目的は巫女殿ですが、此度の主賓は別のお方をお求めでして、その仲立ちをしただけ。
さァ──────どうぞお入りなさい」
全身を映す大きさの鏡の面に。
鳥子達を映す面がブレて水を打ち、波紋を起こす。
残酷にして奸譎なるリンボとの後に続く者とは、果たして鬼か魔性の類なのか。
あるいは──────それはあるいは─────────────
「……………………………………………霧子?」
呪いの糸が、撚り合わされてこよりを結ぶ。
「…………プロデューサー、さん………?」
かつての祝福を巻き込んで。
「何で───────────────」
これからの祈りを重ね折って。
「何で、霧子が───────────」
”さあ、悲劇の幕をブチ上げろ”
銀の運命は遂に、折れた翼に追いついた。
◆
結論から先に述べると、
松坂さとうとガムテの会談は失敗に終わっていた。
少なくともさとうにとっては失敗と呼べる、口内に苦い味が残る結果となった。
始めから、楽観できる展望を持ってはいなかった。
さとうの愛、つまりはしおと明確に敵対の線を引いてると公言したガムテ及びその陣営と、協調の関係はまず組めない。
最大の問題はその「しお」が、果たして「殺さなくてはいけない」しおなのか───言葉の綾になるのは最大に自覚した上で───かどうかも、分かっていない状況で。
聖杯に願いを叶える権利を得て、さとうが願いを口にして、さとうが望んだ通りの世界が生まれるとして。
その時元の世界でさとうの傍にいる「しお」は、ここにいる「しお」はどうなるかのかという、存在のパラドックス。
認めなくてはいけない。自分は何も知らない。
あれだけしおを想って、しおで心の全てを満たされていると思って。
だから自分の願いが叶えられるのは当然の権利だと信じていながら。
今ここにいるしおが、さとうには分からない。
想像するだけで我が身が裂ける思いだったが、目を逸らすわけにはいかなかった。
しおが属する集団はどのような組織なのか。周りにどんな奴がいるのか。しおはそこでどんな扱いを受けてるか。
怪我はしてないか。ご飯は食べられてるか。意地悪をされてないか。不当な扱いを受けてはいないか。
もし虐げられている立場なら、何を置いても助けに向かわなくてはいけない。どんな手段を、それこそガムテ達を引っ張ってでも。
ひとりで歩けるようになったしお。
強くなったしお。
さとうの知らないしお。
もう、自分の庇護は必要ないのだろうか?
すぐにでも探しに行くべきだったのか?
界聖杯で目を覚ました瞬間に、聖杯戦争を知った瞬間にしおの存在を感じて、そこに迷いなく足を踏み出さなければ。
砂糖味の愛は、砂利になってしまうのか。
分からない。
まだ、分からない。
答えは出ない。
分からないから、知らなければと切に思う。
明確な敵だと認識して、実際に会った相手なら、戦うための情報を集めてるはず。
見てくれは戯けていても、組織のリーダーを演じてるこの少年が切れ者なのは僅かな会話で察せた。
ガムテの誘いに応じたのはその一点。しおに行き着く手がかりを、少しでも掴む。
恐らくは代償に法外な条件をふっかけられるだろうが、最大限譲歩は引きずり出す。しおに危害が及ぶ以外であれば堪えてみせる───。
───了解(りょ)、教えてあげる~~~───
そう、思っていたのに。
拍子抜けするほど、要求はあっさりと通った。
訝しがる暇もなくさとうは知った。
しおの置かれた状況。敵連合という組織名。
死柄木弔という頭目をはじめ、含まれるマスターと契約してるサーヴァント。
並びに、ガムテが籍を置く『海賊同盟』による、峰津院財閥の御曹司が抱える霊地というエネルギーの奪い合い。
そこに必ず連合、即ちしお達も噛んでくるという事。
一気に流れ込んだ情報を、吐き出さないよう咀嚼して。
簡略化されているが、外で起きていた戦況をさとうは初めて把握した。
その、あまりにも混沌とした渦を。
新宿や世田谷の惨状を、知らなかったわけじゃない。
女子高生に経験があるわけもない、現実にあるような戦争と変わらない破壊が巻き起こってるのを理解はしていた。
それでも、ここまで酷いものだとは予想外だった。
知るのが遅れたらと、今でも身震いする。これで勝者が決まりかねない一大決戦が始まるのも知らず都の中心に向かっていたら、どうなったか。
そんな鉄火場にしおが乗り込む話に、危機感を感じたのは確かにある。
けれどそれとは別に、そんな風にしおがひとりで外に出られているのが、嬉しさを抱きもした。
従わされてる風にも、怯えた表情も見せないとガムテが言ったしおの姿。
見れなかったのは残念すぎて、見てしまったらこの愛の味がどんなに増してしまうのかと、口にいっぱいの甘みを感じて。
───別に脱兎(にげ)てもいーよ? ただそうしたらお前はもう二度と愛しいしおチャンに会えないし……あさひにも勝てやしねぇ───
口元を隠すさとうに向かった声の、ある部分を聞いて、一気に味が薄まった。
───ここぞという瞬間(トキ)に全賭(キメ)れない奴は、なにやったって敗北(トチ)るもんだ───
脱兎云々はどうでもよかった。逃げる気は最初からないから。
しおに会うなら地獄の底まで落ちていっても一向に構わない。
だが、なぜそこで
神戸あさひの名前が出てくるのか。
しおを満足に育てられないままに捨て、被害者面で無責任にしおを拾いにきてはまた捨てるあの邪魔者に、自分は負けると言ったのか。
───要求? んなもんねーよ。まあ、あといっこ教えておいてやる事があるとすりゃあ───
───お前をブッ殺すのは神戸あさひだ。だからお前にもあいつと同等(タメ)になるだけの情報漏洩(タレコミ)をやる───
───人の獲物を横取りなんて無粋は、殺し屋でも厳禁(タブー)だ。もし俺がされたら完全殺意(ガチギレ)もんだぜ───
さとうを敵と見做すあさひへの義理立て。
ヤクザらしい任侠を気取ったように思える台詞だが、さとうは違う見解を得た。
ようは、見逃されているのだ。
自分とあさひを比べて値踏みされ、その上であさひを選び、組む旨味がないと突き放されているのだ。
決戦の舞台に乗り込むだけのカードを与えて、まるで言外に『せいぜいあさひのスコア稼ぎになれ』と告げているような、処刑宣告まで残して。
そして、今。
中央区でさとうは歩いている。
進行方向は港区だ。
馬鹿みたいに大きい龍が出てきた墨田区も考えたが、出現した場所よりは、その頸が向かった場所の方が重要そうで。
タクシーは見つからなかったが、徒歩でもそう時間がかかる距離じゃない。戦いとやらが始まるにはまだ猶予があるはずだ。
隣には、同じ歩幅で一緒にいるしょうこ。
体の内が裂けて血まみれになったあさひを抱えて、傷なんてないのに誰よりも泣き腫らして以来の再会。
合流した後に一応手にした収穫を共有して、これから港区へ行く旨を伝えても、すぐに頷いてくれた。
驚きこそ見せたが、それは勢力の大規模への反応であって、そこに行く提案に対しては迷いなく賛成していた……気がする。
「……………」
横目で盗み見するしょうこは、どこか落ち着きがない。
突然あんなドラゴンを見せられて穏やかにいられないは分かるけど。
沈黙に耐えられないわけじゃないのも分かってるので。
「あのさ、さとう……」
「しょーこちゃんってさ、子犬系がタイプだったっけ」
先んじて、こちらから話を振る。結局しょうこも切り出そうとして、タイミングが被ってしまったけど。
「え? 急になによ」
「ほら、神戸あさひを庇ったりしたし。あとアーチャーもよく見ると犬系だよねって。
一緒にひっかけた男はどうだったっけって思い出そうとしたけど、ぜんぜん浮かばなくてさ」
「いや……私は別に犬派じゃないし、あの子をそういうつもりで見てたわけじゃなくて……」
「うん、知ってる。聞いてたから」
『ああいうのを愛の告白っていうんだね!』と、自分に当て嵌めて持論の感想を述べる童磨を黙らせ、見聞きした事実だけ正確に教えるよう命じて。
さとうは、しょうことあさひの会話を聞いた。
しょうこの語るハッピーエンド。自分(さとう)に殺される前まで時計を巻き戻して、そこから先を編纂する。
さとうとしおの運命を愛と名付け、あさひの運命の輪に加わり、双方に祝福を与える大団円。
「話遮っちゃったね。なに?」
顔も見ずに次の番を促す。足は止めない。時間は惜しく、もう一秒も無駄にはできない。
しょうこもその場で立ち止まったりせず、さとうの隣の位置にい続けた。
「……私は、決めたよ。とりあえず」
顔は、正面を向いていた。
背を丸めたりせず、顔を俯かせず、夏の朝空に目を上げて。
「これがさとうにとっても一番なんて言ったりはしないよ。どこまでいっても、これは私の我が儘だから。
二人に会った私が、ここで考えて出した、今の私に出せる精一杯の答え」
「そう。じゃ、私の敵だね、しょーこちゃんは」
「やっぱり、そうなっちゃう?」
「うん。だって、それは私のハッピーエンドじゃないから」
聖杯へかけるはっきりした願い。
しょうこ個人で見出だした救いの形。
さとうから、そこに口を挟む気はない。彼女が彼女の世界を望むなら、さとうの世界と相容れなくなる事を意味してるから。
今は役に立つけど、最後にはいられなくなる。この先に待つ砂糖漬けの日々にしょうこの入る空きはなくて。
「でも、さとうはまだ答えを出せてないじゃん?」
歩は止めない。
けど、言葉はすぐに出てこなかった。
「しおちゃんに会ってきなよ、さとう」
それは言われるまでもない約束。
なのに軽く背中を押された感じに、あまり覚えのないくすぐったさが。
「ここでも、元の世界でも、やっぱりさとうにはあの子が必要なんだよ。
私と会って、叔母さんと会って、あさひ君と会って、最後にしおちゃんと会えたら、今のさとうの迷いも晴れると思うんだ。
……友達としては、少し妬けちゃうけどね」
私じゃ支えきれないのは悔しいなぁと、滲んだ嫉みをくゆらせる。
あんたの思いが遂げられますようにと、友達の側から手を回す。
あさひとの会話は全て聞いた。
どんなやり取りがあったのかも、どんな言葉を吐露したのかも残さず知らされた。
けれど言葉は言葉までで。
言葉の意味も、その思いも、巡らして想像する事まではできても。
どうしてその答えを得られたのかは、まださとうでは導き出せなくて。
「だから─────」
だから。
「その時が来るまでは、私はさとうの味方でい続ける。
戦うのはその後でもさ、いいでしょ?」
胸を張ってそう言える、しょうこの顔を、眩いものを見るみたいに瞼を細めてしまう。
まるでどこかの国の王子様みたいな、歯の浮いた台詞。
似たような事を睦言に嘯く男達には何も響くものは何もなかったのに。
しおであれば口にした事のない甘みが溢れるに違いないけど。
ならしょうこから告白された今、さとうの心に返る音は────。
「アーチャー?」
従者(サーヴァント)の名を呼び、しょうこの足は止まった。
歩く前を、突如として現れた金髪の少年に塞がれて。
「ふたりとも、そこで止まってくれ」
背中を見せたまま呼び止めるアーチャーにさとうも従い、彼が見ている視線を追った。
首をやや上に傾け、日を見せ始めた太陽に白白と明けてきた空を向いたまま動かない。
その先───さとう達の位置から距離・高度共に100mの地点に。
「え……あれって……人……?」
「いや」
黒髪の少女らしき形をしていた。
さとうやしょうこの目で拾えるのは、辛うじてそこまでだ。
大人の体型ではない事は分かるが、表情とか、印象とか、イメージを図れる要素は、人間の視力では拾いきれない。
だけど。
それが何をするものなのかだけは、ごく自然に脳が理解をしてくれた。
───翼らしきものが、背中から生えている。
らしき、としたのは空に浮いているそれの状態から予測したのであり、左右非対称の銀色……とかく機械的な反射をしている為だ。
───右腕に該当する部位に、赤い外殻。
こちらは更に機械然としていた。先端は丸い筒で閉められ、明らかに撃つものの形状をしている。
空に浮き、銃を構えた機械仕掛けの少女。
考察するも馬鹿らしい。待ち構えるように姿を見せたり、意図は見えずともする事は明白だ。
「……警告────これより先、災害危険域……人類種の生存率、4.0310パーセント……現在、なおも下降中……」
か細く、それこそ幼子の拙い声量でありながら、100m離れた全員の耳にもはっきりとした言葉で聞こえた。
長距離の通信技術を応用したものかと思考する間にも、音声は続く。
「……マスターの生命確保、優先するなら……速やかな撤退、勧告、する……」
「もし進むと言ったら?」
聞かせているならば、聞く技術もあるのだろう。
アーチャーは声を張る事なく、すぐそこに相手がいるものとして問いを投げた。
推測は正鵠を射て、返答が送られてきた。
「威嚇射撃……後に、武装解除、要求……最終段階……全ての戦闘手段、破壊し……丸裸、放逐───」
ご丁寧にシークエンスまで順序よく説明してくれるのは、機械故の律儀さか。
戦局に関わってはくるが、個人的な戦いを欲する好戦派でもなし。
何となしに、動きが読めてきた。
す、とアーチャーがこちらを向いた。
無言で、しょうこを見ている。まっすぐ、落ち着いた仕草で。
催促を急かすような強引さはない。主の姫よりの命をいつまでも待つ騎士の面持ちで。
やっぱり犬っぽいじゃんと、さとうは胸に秘め隠す中。
しょうこは、頷いた。同じく無言で。
声にない信頼にアーチャーもまた頷き返し。
「ボク達を撃ちたければいつでも狙い撃ちできただろうに、わざわざの勧告、感謝するよ」
「ん……」
「それで解答の方だが……悪いけど寄り道する暇はない。このまま通させてもらえないだろうか」
遺漏なく返答は伝えられ。
向こうもそれで、ゲーム機のスイッチを入れたみたいに初めての動きを見せた。
「そう……なら、反射、行動……
───勧告、無視……本機の射程圏侵入個体……解析
───【構築(フォルメ)】……対サーヴァント用アルゴリズム───起動」
青い燐光が機体を包む。
何をしているのかは分からない。でも、何をする気なのかは、過ぎるくらい分かる。
「マスター。ここは二手に別れよう。ここはボクが引き受ける」
銃を抜き戦闘態勢に入るアーチャーは言う。
「敵は明らかに飛行タイプ。それも遠距離手段も複数搭載していそうだ。固まっていたら的になる。
君のサーヴァントは、この場所では戦えないしね」
「……そうだね。朝には役立たずだからねこいつ」
『酷い言い草だなぁ。まあ事実だから仕方ないけど』
アーチャーの周りにも燐光が周り出す。
空の機械と似た、電子の揺らぎの見せる青い電雷。
「地下鉄が付近にある。少し乱暴だけど、屋内の壁を壊していけば早く着けるだろう。そこならいざという時戦闘になっても対応できる」
何らかの武装を展開したらしき敵が翼を広げる。
機械仕掛けの天使。舐めても甘い味なんてしないだろうなあと、抜けた感慨が仄かに湧く。
余計な思考をぴしゃりと打ち切る。もう一刻の猶予もない。
ここから地下鉄の入り口まで走って、陽の当たらない、せめてキャスターが戦える場所までは急がなくては。
「松坂さとう」
呼ぶ声。
止まらず、走る。
「君の歪みをボクは肯定しない。その愛情(ココロ)は君の周りの全てを傷つけて、最後に砕け散る諸刃の剣だ。
けど、抱く想いは否定しない。その源泉(ハジマリ)は、きっと誰にでもあるものだから」
走り出す。
体が風を切る音で、聞こえる音は途切れていって。
「君の答えが決まるのを、ボクも願う。
それがボクのマスターのためにもなると信じている」
最後まで振り返ることなく、走っていく。
控えているサーヴァントの存在よりもずっと、地面を強く蹴れる理由を感じながら。
「雷霆は速く、鋭く、如何に自由に舞う鳥をも撃ち落とす。
それを恐れず飛翔(ト)ぶというのなら、いざ覚悟を問おう!」
「───記録、始動……状況、開始……」
ここから先、通行規制。
それでも通らんとするならば、汝、一切の希望を捨てよ。
◆
廃都、新宿。
昨日の未曾有の惨劇の後の都心部を、人々はそう称した。
政府が発表したのでも、動画サイトでインフルエンサーの発言が広まったわけでもなく。
時間の経過と共にごく自然とそんな名前が、ネットを中心に語り継がれていた。
軽はずみで現場を見に来た野次馬、配信で一山当てようと物見遊山で侵入した者ほど、その呼称が正しいものだと理解し伝え、呼称は更に広まっていっていた。
廃して、排されて、灰になった。
『廃棄』された街と。
歌舞伎町を中心とした区域。
まだ生き埋めになった要救助者や建造物の崩落が残っている封鎖線の内側に。一塊の集団がいた。
それは駆けつけた救助隊員ではなく、かといって遊び半分の廃墟探検者でもない。
向かい合うは二組の連合。四組の主従。
総数は20にも満たない小規模。齎す破壊は都市一画。
黄金の不夜街より廃都にこそいるのが相応しい、何方(どちら)が生存(いき)るか絶滅(くたば)るか抗争中の、殺し屋だ。
最早この場にカタギの者など誰もいない。いずれも脛に傷持つ身。
その元締めこそは、怨敵相手を葬り去る為に、空襲に乗じ海外から武器を買い入れ市民ごと闇討ちする、極道なれば。
「な~~~んで俺らババアぶっ殺しに来たのに、ガキの相手する事になってんだ?」
沈黙を破る第一声。
揺れる電動刃のついた頭部。
既に変身を済ませているライダー───
デンジは、予定と違うと悪態づく。
「行かせるわけねぇだろがこのデンノコ野郎~~~~~。ウチのババアは超強敵戦(レイド)中だ。雑魚に削らせてる暇なんか無(ネ)んだよ」
因縁(ガン)つけを買って出るは簡易なる覆面。
顔を隠す意匠は似てはいても、見ている景色はまるで異なる。
デンジが人と悪魔の融合であるなら、ガムテは自ら悪魔の子を名乗るのだ。
「ようガムテ。わざわざそっちから出向いてくれるとは……意外だぜ」
「俺らの常套手(ヤリクチ)はもう暴露(バレ)てんからな。正面衝突(ガチンコ)が一番最適(イイ)手さ」
廃都での邂逅は果たして偶然か。
『M』のマッピングで新宿内を経由していた殺島と、それに先回りして通行規制をかけたガムテ。
鏡世界による圧倒的情報網が敵の上を行ったと見るのが本来は妥当。しかし連合には『M』と、ガムテと同じ八極道であった殺島が在籍(い)る。
見抜かれている。見透かされている。そういった懸念は捨てきれない。下策に乗る愚は冒さない。
だから手持ちの中で割けるうち、選りすぐりの面子で乗り込んだ。
総合戦力は此方が上回っているのは明白。陽動であれ何であれ、敵の駒は確実に潰すに限る。
「………………」
精鋭の中で、揉まれるようにして隠れているあさひ。
別に望んで潜めてはいない。単に、周囲の子供達の殺し屋としての練度が、一般人に過ぎないあさひを飲み込んで見えなくしてるだけだ。
自分自身、理解している。
ここに来る人選に入っているのは、サーヴァントを持つマスターというだけであるという事。
それだって、向かわせるのはサーヴァントだけで、自分は鏡世界に残っている方がずっと安全だ。
だがあさひはそうしなかった。ガムテも、それに言及しなかった。
あさひが戦場に出向く必要、人の死を見つめる理由の一つに今、目を合わせている。
その女だけは、他の人と比べて煌めいて見えた。
互いの殺意が混合する針の筵の緊張感にあって、早朝の散歩に出た途中とでもいうような自然体のままでいる。
白んでいる空気の中で集う者が漆黒を侍るなら、その中で光る星。
存在を没せないどころか、自分の魅力を引き立たせるパフォーマンスに扱ってしまうほど、舞台上(ステージ)の最前線に躍り出ている。
「やっほ、あさひ君。無事だったんだ。元気だった?」
そう、
星野アイに自分の名前を呼びかけられても、あさひは咄嗟に返せる言葉はなかった。
沸々と溜め込んでいた、自分を陥れたアイへと向けるべき感情を、朗らかな笑顔で失念させられていた。
ズラされていた思考が戻った数秒後、今度は急速にあさひに熱が走った。
「───っ」
からかわれた。遊び半分に。
そのつもりが無かったとしても、そっちからハメておいて身の心配をかけてくるのは明らかに舐められている。
炎上騒動は後の新宿に続く戦局で忘れ去られ、ガムテの誘いで難を逃れたが、それでこっちを売った怒りが収まるわけがない。
血が上った頭で、何を言うべきかも考えず憤りをがなろうとしたところを、背後からの小突きで出鼻を挫かれた。
「安価(ヤス)い挑発になんか乗んなボゲ。今回のお前は視聴者席(オーディエンス)っつったろが」
ガムテの持つ小刀の柄でつむじの辺りをこねくり回される痛みで、熱が抜ける。
「殺害(コロシ)は、俺らが殺る。
技術(テク)も素質(センス)も経験値(エクスぺ)も無え素人(トーシロ)はそこで見てな。いーからお前はお前の敵をキチッと見てろや」
「……ああ、分かってるよ」
「ならよし。舞踏鳥(プリマ)、援護(フォロー)要請(ヨロ)な」
控える側近に自分を守るよう指示を下し、標的を絞れと助言まで与えるガムテ。
敵ではないとはいえやや過大な温情を受けてはいないかと、要らぬ申し訳なさを抱いてしまう。
『ねぇ、ライダー。アレ』
『ああ~対面(ツラカシ)はしてねえが、知った顔はチラホラいるぜ』
念話で密に会話をするアイと殺島の視点は、あさひには向けていない。
あいにとって今の挨拶は、嘘(ほんとう)にあの包囲を抜けた事への感想でしかない。
鏡を伝って移動なんという、警察が追えるはずのない経路を備える海賊同盟に拾われたと判明した時点で、それ以上の興味はない。
今の視線の対象は、ガムテを中心に編成されている敵の戦力だ。
顔面にガムテープを巻き付けた記号は既に馴染みがある。
やって来るのは想定通りだったのだが、思ってたより遥かに数は少ない。
成人を超えない少年少女。中には屈強な体格の持ち主もいるが、逆に身体が不自由なのか抱えられている子までいる。
ここまでの戦局で頭数も残らなくなった……とは、控える殺島が否定した。
”割れた子供達(グラス・チルドレン)”MP上位保持者(マサクゥルポイントランカーズ)。
墨極道(メキシカン・マフィア)すら滅(ころ)した、極道最狂の殺し屋集団。
個々の技能であれば八極道にも迫る玄人の二人組(バディ)、その主要メンバー。
意味するところは、少数精鋭。
英霊相手に数で攻めても無意味、厳選した質でもって勝負をかけにきたという事だ。
『サーヴァント(おれら)相手には肉壁にしかなんないが、マスター(おまえら)は別だ。
援護(フォロー)は任せてもらいたいが、身構えぐらいはしときな』
『ん、分かった』
暗く密談を交わすアイらを知らず、冷静を取り戻したあさひは一歩を踏み出す。
戦う為の一歩だ。
目を合わせ、視点を止める。それだけの重大な役目だ。
アイのような輝きはない、脆く崩れる砂の城のような存在感だった。
そこが水で満たされればすぐさま溶けて、底に埋没してしまいそうな、危ういぐらいの薄さ。
けれどあさひは見失わない。絶対に目を逸らさない。
たとえもう、かつて愛した家族ではなくなっていて。
取り戻すため、消さなくちゃならない悪夢(げんそう)でも。
見ないという事だけは、していけないと、こんな自分でも理解している。
「…………しお」
声に出た自分の言葉の質の、なんと儚いことか。
離別───向こうからの完全な拒絶を突きつけられた以来の再会なのに、響く音はひどくがらんどうだ。
一目見れて良かった。生きてて安心した。
これから消すと決めていたのを棚に上げて、そういう思いに駆られてしまうかもと、ぼんやり考えていたのに。
「少し……背が伸びたか?」
「そうかな。ここに来てから一度もはかってないからわかんないや」
兄の問いかけに、妹は平然と答える。
戸惑わず、取り乱さず。
「ご飯、ちゃんと食べれてるか?」
「うん。昨日もね、らいだーくんとピザとか、ケーキとか、いっぱい食べたよ」
「そうか……」
短距離走程の開きはあるものの、怪我や不調を感じさせはしないぐらいは視認できた。
心身になんら問題のない健康体のしおを見て、あさひに去来したものは安堵───ではなかった。
「……そうか」
虚脱感とでもいうのか。
あの家で、こんな家族らしい会話をした事が、あっただろうか。
ありはするはずだけど、日夜暴力に晒され心閉ざすにつれて、強く思い起こさせるものは残ってなくて。
怪物同士が殺し合う本物の地獄ですら。
俺達の家にいるよりも恵まれた生活を送れていたのだと。
フラッシュバックに頭を振る。。
取り合う意味はないと
デッドプールは言ったが、そこだけはただの事実だろう。
生きる術のない母。悪魔を殺して架かる咎。
大人も、法も、愛も、必要なのに守れない自分自身。
「なあ、しお」
「うん」
「俺は、もう決めたよ」
「うん」
しおを見る。
大切な妹。大好きな家族。
もう見れなくなるかもしれない顔を見て、ひとつひとつ紡ぎ出す。
「色んな人に会って、正しいも間違ってるも、どっちも言われ続けて……」
「俺は聖杯が欲しいって思うんだ」
思いの丈。
「現実を変えたい、本当に変えたい願いが、変わらずあるんだ」
譲れぬ気持ち。
「俺達はこうなるしかなかったんじゃないって。ちゃんとした、あったかい場所で生きることができたんだって」
未来を語り。
「……でも、もう一度確かめさせてくれ。しお、本当にもう駄目なのか? 俺達家族の場所に戻ってくる気は───」
最後の悔悟を吐き出して。
「はぁ」
空気が、停まる。
並み居る殺し屋が目を見開いた。
ガムテも殺島もアイも息を止めた。
あさひのサーヴァントであるデッドプールは、覆面の中だけで隠しながらも零す。
───コイツ。溜め息、つきやがった。
───兄貴がタマ張って話しに来たのに。
「言ったでしょ? そういうの、もういらないって」
それは子供らしい癇癪の起こし方。
「私がいってきますとただいまを言える家は、もうあるの」
いらないものを押し付けられたから、いらないとだけ投げるシンプルな反抗。
「お兄ちゃんが帰る家に私はいない。それがやだから聖杯を使うなら。
私も、お兄ちゃんをここで『ぶっ殺す』ね。お兄ちゃんも私をそうしたいんでしょ?
なら、いっしょだね」
「────────────」
離れてしまった。こんなにも。
愕然と、見せつけられたものを見て、あさひは理解した。
たった二人の兄妹なのに。
血を分けた家族同士で殺し合うだけが繋がりになるなんて、思ってもみなかった。
どうしてか。
何かを間違えた結果がこれなのか。
だとしたら、それは誰だ? あさひか、母親か、あの悪魔か。
あるいは、それとも。
運命だなんて装飾はつけたくないが、少なくともある転機だったには違いない、あの。
「なら、ここにあいつが……───!?」
「そこまでだ、あさひ。しお対応するやつにアレコレ教えてあげるこたあねえ」
口を赤い手に塞がれる。
今のしおの抱える楔。松坂さとうの名前をだそうとしたあさひは、デッドプールに阻まれる。
彼としては、一連の会話は───会話とは呼べない断末魔───は聞くに堪えず耳を塞ぎたいくらいだったが、背に腹は代えられず耳から片手を離した。
「もう決めたんだろ? だったらアナキン・スカイウォーカーとダース・ベイダーぐらい違うんだって切り替えろ。
ここからはもう、ポップコーンムービー観る体勢でテレビの前に座ったっていいんだぜ」
それは、もういい。
口からヘド吐きながら言うことじゃない。
お喋りキャラが売りじゃないなら、ぜんぶ黙ったまま終わらせたって構わないんだ。
「……っ残るよ。俺は残らなきゃ、いけないんだ」
「ああ、そうだよあな。オイそっちのB.O.Wくん。言葉利けるか? おたくのマスター、そういう事言ってるけどどうすんの」
「はっ? 俺? あぁ~~~まぁさ……」
振られるとは思わなかったか、語尾を伸ばしながらデンジは考える。
口に出すことは特にないが、聞かれといて何も言わないのも駄目じゃねえかと、変に真面目に考えていると。
「おーいチェンソー君」
悩んだところから、背後で黄色い声。
敵にも味方にもチェンソー持ちはいないと見渡し、自分を指す言葉でしかないと確信して振り向く。
「がんばっ☆」
星の入った瞳の、アイドルの、美少女に、微笑まれて、カワイイポーズで、応援された。
言うまでもなく人生、サーヴァントライフ初の体験である。
「テメエらに恨みはねえがよ。マスターの命令ならしょうがねえよな!
悪いがここで死んでもらうぜえ!」
「うーわあのコ絶対いつか刺されるわ」
ぼやきもかき消す廻旋のチェンソー。
ふかすエンジン音が心臓の音。持て余すトルクが廃都を賑やかす。
敵側からも非難轟々の嵐が始まり、ヴォルテージが高まっていく。
「舌戦(レスバ)終わった? じゃ、殺ろっか☆」
「あぁ───じゃ、そろそろ殺(い)くぜ、手前(テメー)ら」
敵と海賊。
暴走族と殺し屋。
英霊とマスター。
役者は此処に揃い踏み。
見世物じみた猟奇劇(グランギニョル)の幕開けだ。
◆
「だから、いらねえんだよ。あんなモンは」
◆
──────境界線(レッドライン)は、越えられた。
.
最終更新:2022年11月19日 00:17