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<P>【将棋】<BR><BR>将棋スーパースター列伝 その壱 加藤一二三<BR>14歳で4段・18歳で8段という「神武以来の天才」。<BR>「6手目で1時間45分考える」「残り1分なのに『あと何分』を連発し、記録がキレた」「対局中の出前がいつも鰻重」「膝まで届きそうなネクタイ」「ゼンマイが切れたような早口」<BR><BR>「旅館の人工の滝がうるさいから『とめてくれ』と要請」「おやつに『板チョコ5枚とホットカルピスポット2本とフルーツ盛り合わせ』注文」など伝説は数知れず<BR>極めつけは「師匠を破門」。なんと今はあの橋本崇載と兄弟弟子である<BR>熱心なカトリック信者でバチカンから勲章を受章している。4月からNHKの将棋講座の講師だが、テキストの最初の1pを信仰の話で埋めたのは唖然、必見<BR>50年間同じ将棋(特に棒銀戦法)を指しているともいわれる。プロ棋士は「凝り性の集団」だがここまでの人は空前(多分今後も出ないだろう。ちなみに誕生日は1月1日である。<BR></P> <P>貧乏幹事手直し一例</P> <P>将棋スーパースター列伝 その壱 加藤一二三<BR>14歳でプロ棋士・18歳で8段という早熟で「神武以来の天才」と呼ばれている。<BR>彼はプロ棋士として幾多の優勝歴を誇るが、その天然っぷりには驚かされる。</P> <P>「6手目で1時間45分考える」「残り1分なのに『あと何分』を連発し、記録がキレた」「対局中の出前がいつも鰻重」「膝まで届きそうなネクタイ」「ゼンマイが切れたような早口」「旅館の人工の滝がうるさいから『とめてくれ』と要請」「おやつに『板チョコ5枚とホットカルピスポット2本とフルーツ盛り合わせ』注文」など伝説は数知れず。<BR>極めつけは「師匠を破門」。現在ははあの橋本崇載と兄弟弟子である。<BR>熱心なカトリック信者でバチカンから勲章を受章している。4月からNHKの将棋講座の講師を担当しているが、テキストの内容の最初の1pを信仰の話で埋めている。<BR>50年間同じ将棋(特に棒銀戦法)を指しているともいわれる。プロ棋士は「凝り性の集団」だがここまでの人は空前(多分今後も出ないだろう。ちなみに誕生日は1月1日である。<BR></P> <P><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その弐 谷川浩司<BR>21歳で史上最年少の名人位に。「月下の棋士」の滝川のモデルともいわれる(滝川中高卒だし)<BR>神戸在住のトラキチとして、03年の阪神優勝のときはほぼ全マスコミに「お祝いコメント」が載った。<BR>95年阪神大震災で実家が全壊・自らも避難勧告を受けるというなかで「羽生7冠」を阻止した王将戦は伝説<BR>中越地震・豊岡大水害などでの寄附活動も熱心な「漢」である。<BR>「光速の寄せ」で知られ、2ch将棋板でも1番ヲタが多いのはこの人ではないか? と思われる。関西での人気は抜群<BR>しかし・・・ 「泳げない」「自転車にのれない」「運転免許を持っていない」「キャッチボールがまともにできない」<BR>このごろネット中継される大きな将棋で必勝の局面から信じられない負け方をすることから「ロートル」「梗塞の自爆」など罵倒されている。豪邸を建てたため「風水」「シックハウス症候群」疑惑まで。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その参 先崎学<BR>現在「天下の」週刊文春にてコラム「浮いたり沈んだり」を連載している棋士。このコーナーの多くも彼のネタから借りている、ある意味宣伝塔<BR>10歳でプロ棋士を育成する「奨励会」に入門(同じ時期師匠である米長邦雄の家に住み込み弟子をやっていたのがあの林葉直子だった)、早熟の才能を謳われるも、<BR>中学生のうちから麻雀・パチスロ(酒)にのめりこみ羽生らに追い抜かれる(「小博打のすすめ」(講談社現代新書」なんて本まで出している)<BR>専門誌に羽生と並べられて「天才と元天才」とキャプションをつけられたことを20年近くたっても根に持っているらしい<BR>昨年「120面指し」(1人で120人がそれぞれの盤でまっているところに相手をする)を決行するも、ギネスブックの基準に満たないとして歴史に名を残すチャンスを逸する<BR>師匠・米長の将棋をBSの生放送でで解説したとき「師匠の手ですが、ブタのような手ですね」とかましたところ、見ていた米長が「先崎先生によろしく」とNHKに電話。<BR>それをスタッフから聞いて「師匠もヒマだなぁ」と言い放ったエピソードは有名。「減らず口」代表<BR>丸顔だったのが中年太りと眼鏡をコンタクトにしたせいでブクブク体型化<BR>竜王戦・挑戦者決定戦という大一番に柄シャツとチノパンで登場したDQNでもある<BR><BR><BR>474 名前:はっしー ◆HASSYqVF9s [] 投稿日:2005/03/29(火) 20:22:26 ID:/XCWvU/u<BR>モーニング娘。狩狩板さんの「狩狩住民が将棋界を光速で寄せるスレ」の615-617に<BR>先崎学テンプレというのがありました。面白かったので参考にしてみてはいかがでしょう。<BR><BR>http://www.omosiro.com/~sakuraotome/live/test/read.cgi/bbs/1106879352/<BR>下手な将棋板のスレよりわかりやすいし面白いスレです。狩狩住民に感謝。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その四 藤井猛<BR>四間飛車戦法に革命をもたらした「藤井システム」によって谷川から竜王位を奪取・羽生の挑戦も1度は退けた現代振り飛車戦法の旗手。<BR>今期のA級順位戦では最終戦で頓死(王手への対応を間違って詰んでいない王様が詰んでしまうこと)してしまい、おしくも名人挑戦権を逃した。<BR>四間飛車へのこだわりは強烈で、専門誌「将棋世界」で「普通振り飛車をやらない人がやるのは『ファミレスの鰻』、専門家である自分は『鰻屋の鰻』らしい将棋を魅せる」と宣言したことで2chでは「鰻屋」とよばれることに。<BR>将棋のプロで初めて公式ファンサイトがたった人でもある<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その五 青野照市<BR>将棋界では「鷺宮定跡」(あの西武新宿線にある地名)の創始者として知られる<BR>クラシック好きなのはそちらの専門誌に寄稿していることからも有名になったが、天下の「ザルツブルグ音楽祭」に羽織袴で現れ、シャッター攻め・・・ というのは漢とDQNのギリギリ<BR>「ある巨大掲示板をみていたら『青野はA級にいるべきではない』との声があった中『青野は頑張ってほしい』という声もあって感激した」という原稿を載せたため「チャネラー」説が有力になり、<BR>現在では「2ch名人」と呼ばれている<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その六 淡路仁茂<BR>「不倒流」「長手数の美学」と称される粘り強さが持ち味。<BR>プロの対局では110手前後で決着がつくが、339手かかって勝ったことがある。<BR>また、裏の持ち味といえるのが反則。<BR>去年豊川孝弘六段が打って話題になった二歩を3回も打っており、<BR>その他を含め、確認されただけで6回も反則負けを食らっている(おそらく最多記録)。<BR>将棋界ではパソコン通として知られ、将棋用アプリケーションを作ったり、<BR>あの羽生善治にパソコンの手ほどきをしたりするなど、一目置かれている。<BR>ちなみに、その羽生に勝ち越している数少ない棋士のひとりである(2勝1敗)。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 番外編<BR>熊坂学<BR>将棋界は羽生や谷川のような天才ばかりがいるのではありません。<BR>勝者あるところ敗者あり。当然のことですが多くの敗者の上に栄光が<BR>あるわけです。その将棋界の底辺でおきたある1つの奇跡。<BR><BR>熊坂学四段がプロになったのは2002年。25才のときでした。<BR>普通棋士の才能が開くのは若いうちで(もちろん個人差があります)、厳しい<BR>三段リーグを勝ち抜いてプロになったばかりの四段はC2ですぐ通用する実力を<BR>持っています。<BR><BR>しかし、その男は違ったのです。偉大な記録。<BR>プロ入り後3年連続降級点での最速フリークラスを決めた。<BR><BR>その男の名はクマー。<BR><BR>もはやその芸はひふみんの最年少A級陥落・棋神武市の連続降級点回避に並んだと<BR>言えるであろう。その身を削ってネタにするその姿勢には感動すら覚える。ちなみに<BR>順位戦は通算7勝23敗だがそれ以外はごく平均的な棋士といえるであろう。<BR>しかし運命の女神は順位戦を最高の舞台に変えた。そしてこの奇跡を我々に見せてくれたのです。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その六 渡辺明<BR>12月に20歳の若さで竜王を獲得した次期スター候補。顔が漫画の主人公に似ていることから「魔太郎」と呼ばれている(「2典」にも収録)。<BR>日記(現在はplog)も好評である。なんといっても「19歳でできちゃった結婚」という驚愕の事実は世間をあっといわせた。<BR>「竜王になって変わったこと」の問いに「電車の中で週刊少年ジャンプが読めなくなったこと」と答え、ガキなのか大人なのか混迷を深めている。<BR>TBS系列「情熱大陸」に出演したときの宣伝CMも「これが20歳!?」というスタートだった。<BR>将棋界きってのビッグマウスでもある。ちなみに和服は自分で着られない。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その七 村山聖<BR>平成10年8月8日、膀胱癌のため29歳で逝去。<BR>少年期からネフローゼを患いながら駆け抜けたその生涯は大崎善生「聖の青春」(講談社)によって大きな反響を受けた。<BR>しかし「アパート中に少女漫画の山」「風呂嫌い」「爪や髪の毛を切ることが嫌い」というキャラクターと病気による独特の風貌は、もし当時2chが盛んなら「キモヲタ」と言われ格好の餌食とされていたと思われる。<BR>その「鬼才」を互いに認め合っていたのは羽生善治であった。  合掌<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その八 中原誠<BR>名人15期(永世名人)・十段11期(永世十段)・棋聖16期(永世棋聖)・・・ 輝かしい経歴を持つ大棋士、現・日本将棋連盟会長。<BR>しかしそんなことより、ワイドショーを騒然とさせた林葉直子との不倫「突撃しま~す」事件が余りにも有名になってしまった。<BR>真面目な性格の人望者といわれただけにその衝撃は恐らく一生つきまとうであろう。<BR>しかし、林葉のその後の零落、なにより夫人と別れていないことからすると、「大いなる気の迷い」であったのではないか、と弁護したくもなる。<BR>「連盟の恥さらし・中原を追放する!」と息巻いていた若手が、直後彼の草案になる「中原囲い」を駆使して勝ちまくったのは皮肉ともいえよう。<BR>驚くなかれ、息子さんが専門誌に「司法修習生」として登場していた>ということは今弁護士・裁判官・検事として働いている、ということになる。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その九 大山康晴<BR>15世名人・タイトル通算80期・生涯1433勝を誇る、まさに「巨人」。<BR>受け将棋の達人として知られ、「金をタテに4枚自陣に打ち付ける」などその粘りの前に涙を飲んだ棋士は数え知れない。<BR>「A級から落ちたら引退する」と宣言し、名人・A級44期のまま69歳で癌に倒れた。<BR>亡くなる4ヶ月前の順位戦で「横になると手術で切除した空間に内臓が動くのが分かるんだよ」といいいつつ谷川を受け潰した将棋は伝説となっている。<BR>日本将棋連盟会長職を長年務めたが、この功罪は半ばであろう。<BR><BR><BR>将棋スーパ-スター列伝 その拾 升田幸三<BR>大山が出たならその兄弟子であり最大のライバルであるこの人を外すことはできない。<BR>「名人に香車を引いて勝つ」と書き残して家出、本当にそれを実現してしまった男。<BR>木村14世名人とのチャンスのとき謎の対局拒否=「陣屋事件」を引き起こし将棋界以外にも反響を広げた。<BR>その後大山名人相手に香車を引いて完勝。史上初の3冠王に輝く。<BR>しかし太平洋戦争に徴兵されたこと、多量の飲酒・喫煙はその体を蝕み、大山の粘り腰の前に大逆転負けすることが多かった。<BR>「升田式石田流」をはじめとする新戦法・妙手の数々を今もファンを魅了してやまない。<BR>日本将棋連盟は「実力制第4代名人」との称号を贈ったが、「名人の上」と自負していた彼にとっては屁でもなかろう。<BR>羽生善治は「将棋史上だれとやりたいか」との問いに「升田先生」と即答している。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その壱拾参 島朗<BR>ヴェルサーチのスーツで対局し第1期竜王位を獲得、まだ高校生だった羽生・森内・佐藤康光と伝説の「島研究会」を主催。「島ノート」などの解説書や文筆・TV出演も多い人気棋士の1人。<BR>ギャンブルキ○○イとして知られ、「禁雀宣言」は数十度。長年すんでいる経堂近辺の川をさらうと捨てられた雀牌が数セットででくるらしい。<BR>またサイコロにも研究し「製造工程である目が出やすくならないよう加工された」数万円のサイコロ!を愛用。<BR>「ズラ疑惑」があり、将棋中継のとき彼の将棋で桂馬が取ったり捨てられたりすると2chにAAが舞う。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その壱拾四 千葉涼子<BR>NHK杯で聞き手をしている女流棋士。口数の多さとその風貌から「ネズミ女」といわれる。対局のときはメガネ派。<BR>同じ将棋棋士の幸生5段と結婚している。今年女流名人戦に挑戦したが清水市代女流名人(未婚)の前に敗退。勝負を決めた第4局は2月14日に行われたため「セントバレンタインデーの虐殺」として語り継がれている。<BR><BR><BR><BR>【囲碁】<BR><BR>囲碁スーパースター列伝<BR>趙治勲<BR>こんなにキャラの強い棋士はめったにいない。ボサボサ頭にハンカチはむはむ。<BR>ボヤキ芸はひふみんの「あと何分?」にも劣らない。<BR>しかしそれは勝負に懸ける集中力・執念のなせる業。<BR>ライバル小林光一とのタイトル戦直前に交通事故に遭い、大怪我するも<BR>「囲碁が弱くなっちゃいけない。麻酔なしで(手術)お願いします」という<BR>壮絶なエピソードを持つ。<BR>2度の大三冠にグランドスラム。その実績はもはや言うまでもないが、解説に<BR>たてば爆笑必至の超絶話術。この魅力に皆が注目しているんです。是非彼に、<BR>そして少しでも囲碁の魅力にふれて頂ければと思います。<BR><BR>&gt;&gt;523<BR>囲碁の解説中にゴルフスイングをする全身ショットが放送された<BR>おそらく唯一の棋士。<BR>これも付け加えて欲しい。<BR><BR>このときの写真とハンカチの写真、ちょっと見つからない(´・ω・`)<BR><BR>665 名前:名無し名人[sage] 投稿日:2005/03/31(木) 20:16:52 ID:BJVZLu71<BR>http://www.sankei.co.jp/edit/igo/jpeg/050316judan340276.jpg<BR>趙治勲先生の画像ならこれを是非<BR><BR><BR>囲碁スーパースター列伝<BR>藤沢秀行<BR>色々な意味で凄い人「人間ドキュメント」で見た人もいるかと<BR>ttp://urawa2.main.jp/mc/column4/column400.html<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>本因坊算砂(日海)1559~1623年<BR>信長、秀吉、家康に仕えた名人。<BR>1582年6月1日、本能寺において信長の御前で鹿塩利玄と対局するが<BR>この対局は3コウという珍しい形となり無勝負。<BR>翌日本能寺の変が起こったことから以降3コウは不吉と言われるようになる。<BR>家康に時代になって、本因坊算砂と名乗り家元制度の基礎を築く。<BR>昨年第1回囲碁殿堂入りした。<BR>なお、家康もスポンサーとしての功績から同じく囲碁殿堂入りしている。<BR>辞世の句・「碁なりせば 劫(コウ)なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」<BR><BR><BR>本因坊道策 1645~1702年<BR>三世道悦の跡を継ぎ四世本因坊となり、それと同時に名人碁所に就く。<BR>当時の一流棋士をことごこく打ち込み、実力十三段などと言われる。<BR>手割の考え方など革新的な手法を生み出した近代囲碁の開祖。<BR>丈和・秀策の後聖に対し前聖とよばれる。<BR><BR><BR>本因坊秀策 1829~1862年<BR>幼名虎次郎。藤原佐為が進藤ヒカルの前に取り憑いていた人。<BR>井上因碩との耳赤の一局が名局と名高い。観戦していたやじうまが<BR>「漏れは囲碁のことよう分からんけど、これは秀策先生が優勢だな。<BR>井上先生の耳が真っ赤だ」というようなことを言ったらしい。<BR>御城碁では19戦19勝無敗の大記録を作る。<BR>とくに秀策流と呼ばれる布石で戦う黒番では無敵と言われ、<BR>勝敗を聞かれた秀策は「黒番でした」と答えたこともあったとか。<BR>江戸にコレラが流行したとき、周りが止めるのも聞かずに患者の看病にあたったため<BR>当人が感染しそのまま34歳で死去した。<BR><BR><BR>呉清源 1914~<BR>福建省生まれ。昭和の碁聖。<BR>7歳のとき父から囲碁の手ほどきを受け、北京で頭角を現す。<BR>その噂は日本まで届き、14歳の時に瀬越憲作名誉九段らの誘いにより来日。<BR>木谷実と新布石を発表し、現代囲碁の道を切り開いた。<BR>読売新聞主催の打ち込み十番碁で強豪棋士を次々と打ち破り<BR>「十番碁の王」として天才棋士の名をほしいままにした。<BR><BR><BR>木谷實 1909~1975年<BR>昭和前期を代表する棋士の一人。呉清源とともに新布石を発表。<BR>1938年、最後の本因坊、本因坊秀哉の引退碁の挑戦者となり、一局に6ヶ月費やした勝負で<BR>5目半勝ちし名を高める。この対局は川端康成の「名人」として小説化されている。<BR>平塚に木谷道場を開設し多くの弟子の育成に勤しみ、大竹英雄、石田芳夫、<BR>加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲などそうそうたるトッププロたちを排出している。<BR>現在木谷門下の弟子で、のべ500段突破を達成している。<BR><BR><BR>藤沢秀行 1925~<BR>1977年に創設された棋聖戦を第一期から六連覇により、初代名誉棋聖の称号を得る。<BR>「碁は芸である」と考え、厚みの働きを最も良く知るとも言われる。<BR>引退した現在でも秀行先生と慕う棋士たちも海外を含め多い。<BR>年に一度行われる秀行塾と呼ばれる囲碁合宿には<BR>トッププロを含め毎年多くのプロ棋士が参加している。<BR>だが囲碁を取ればただのDQN。<BR>その奇行の数々はこちら<BR>ttp://urawa2.main.jp/mc/column4/column400.html<BR>酒、女、ギャンブルにはまり大きな借金を抱えており、<BR>タイトル戦で勝っても返済で賞金はほとんど残らなかったという。<BR><BR><BR>加藤正夫 1947~2004年<BR>武宮正樹、石田芳夫と共に木谷三羽烏と呼ばれ、<BR>名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。<BR>同年代の棋士が年齢と共に第一線から遠ざかっていく中、<BR>2002年には55歳で本因坊を獲得し、史上最年長の本因坊に。<BR>しばしば大石を取ってしまうことから「殺し屋」と呼ばれた。<BR>が、後年は終盤にも磨きがかかり、「ヨセの加藤」とも呼ばれる。<BR>2002年、日本棋院の副理事長に就任。懸案だった棋院の財政改革に着手。<BR>その多忙のなかで獲得した本因坊に賞賛が送られた。<BR>2004年6月前任者の退任を受けて理事長に就任。しかし、多忙が祟ったのか<BR>12月に入り脳梗塞で入院し、同月30日、57歳で死去した。<BR>ご冥福をお祈りいたします。<BR><BR><BR>武宮正樹<BR>木谷三羽烏の一人。<BR>宇宙流という中央を重視する独特の棋風で、最も人気のあるプロの一人。<BR>黒番では三連星という布石にこだわり続けている。<BR>が、むしろ白番での評価が高かったりする人。<BR>バックギャモンの達人でもある。<BR><BR><BR>石田芳夫<BR>木谷三羽烏の一人。<BR>1971年、26期本因坊戦で林海峰本因坊を破り、22歳で史上最年少の本因坊となる。<BR>以後5連覇を成し遂げ、24世本因坊の資格を持つ。<BR>その正確な読みからコンピュータの異名を取り、丁寧な解説は好評。<BR><BR><BR>小林光一<BR>棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇などなど趙治勲と共に一時代を築いた棋士。<BR>武宮正樹とは対照的な棋風で地に辛い。<BR>木谷實の三女で女流プロの木谷禮子と結婚し、その娘小林泉美もプロ棋士である。<BR>昨年、囲碁界初の父娘対決が実現した。<BR><BR><BR>趙治勲<BR>2度の大三冠とグランドスラムなどすばらしい実績を持つ。<BR>が、彼を紹介するときはやはりそのキャラクターに触れたい。<BR>ボサボサ頭にハンカチはむはむ。ボヤキ芸はひふみんの「あと何分?」にも劣らない。<BR>囲碁の解説中にゴルフスイングをする全身ショットが放送された<BR>おそらく唯一の棋士。旅館などで開催されるタイトル戦のセレモニーで<BR>浴衣姿で写真に写る姿は酔っ払いにしか見えない。<BR>ttp://www.sankei.co.jp/edit/igo/jpeg/050316judan340276.jpg<BR>ライバル小林光一とのタイトル戦直前に交通事故に遭い、大怪我するも<BR>「囲碁が弱くなっちゃいけない。麻酔なしで(手術)お願いします」という<BR>壮絶なエピソードを持つ。<BR>解説にたてば爆笑必至の超絶話術。囲碁を知らない人でも間違いなく楽しめると思います。<BR><BR>http://game9.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1111286882/523<BR>をその後のレスなどを元に少し改変させてもらいました。<BR><BR>張栩<BR>現在、日本囲碁界の第一人者。名人、本因坊、王座の3冠を持つ。<BR>端整な顔立ちで女性ファンが多い棋士の一人。昨年小林泉美と結婚。<BR>趣味は詰碁作りで、その作品はプロをもうならせるとか。<BR>サインには自作詰碁を書いている。<BR><BR><BR>依田紀基<BR>現碁聖。昨年まで名人を4連覇。マスターヨーダとして、フォースを操(ry<BR>ヒカルの碁の頂上決戦、佐為vs塔矢行洋で自分の棋譜が使われていることに<BR>すぐに気がつき、勝敗が分かってしまったとか。遅刻魔。<BR><BR><BR>王銘エン<BR>解説をやらせると「私ならこうは打ちませんけどねぇ」を連発する、<BR>愛すべきキャラクター。<BR>メーエンワールドとも呼ばれる独特の囲碁観を持ち、その棋風を<BR>自らゾーンプレスと命名。著書ゾーンプレスパークは内容は高度ながら<BR>初心者でも※笑える※奇書。<BR>2000年の本因坊戦第1局でシチョウというかなり基本的な筋を見落とし<BR>二日制の碁を一日目で投了した。<BR>が、今年その時の失敗を本にし出版。転んでもタダでは起きない男。<BR>趣味は妻孝行という愛妻家でもある。<BR>エスパー伊東の中の人疑惑あり。<BR>エスパー伊東 ttp://www.ict-world.net/entertair/ito.html<BR>王銘エン ttp://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000066.htm<BR><BR><BR>小林泉美<BR>女流のトップ。小林光一の娘。<BR>父、母、祖父がプロ棋士というサラブレッド。<BR>男性トップ棋士と対局してなんとか形になるのは<BR>日本ではこの人だけと思われる。<BR>昨年、張栩名人本因坊と結婚。名人本因坊カップルの誕生となった。<BR>(当時女流名人、女流本因坊を持っていた)<BR>結婚後、張栩名人の得意布石を多用するようになる。<BR><BR><BR>梅沢由香里<BR>入団と共にその容姿で囲碁界にブームを起こした。<BR>モデル事務所に所属しているプロのモデルでもある。<BR>ヒカルの碁で監修を勤めていたことでも有名。<BR>2002年にJリーガーの吉原慎也選手(川崎フロンターレのGK)と結婚。<BR>棋士としては女流の上位にいることは間違いないのだが<BR>後一歩でタイトルに手が届かない銀メダルコレクター。<BR><BR><BR>万波佳奈<BR>教育実況板の方にはスリッパの人と言ったほうがいいだろうか?<BR>NHK杯の司会を勤め人気をはくす。<BR>対局後の検討で、スリッパ姿を見せていた。<BR>囲碁の実力も、昨年女流棋聖を獲得するなど注目の若手。<BR><BR><BR>李昌鎬<BR>世界最強の棋士。(少なくとも数年前までは)<BR>今年2月に行われた国際団体戦、農心杯(1チーム5人、<BR>3チームでの三すくみ勝ち抜き戦)では、<BR>韓国チームは残り一人、日本、中国はそれぞれ2人、3人という<BR>絶体絶命の状況から5人抜きで優勝して見せた。<BR><BR></P>
<P>【将棋】<BR><BR>将棋スーパースター列伝 その壱 加藤一二三<BR>14歳で4段・18歳で8段という「神武以来の天才」。<BR>「6手目で1時間45分考える」「残り1分なのに『あと何分』を連発し、記録がキレた」「対局中の出前がいつも鰻重」「膝まで届きそうなネクタイ」「ゼンマイが切れたような早口」<BR><BR>「旅館の人工の滝がうるさいから『とめてくれ』と要請」「おやつに『板チョコ5枚とホットカルピスポット2本とフルーツ盛り合わせ』注文」など伝説は数知れず<BR>極めつけは「師匠を破門」。なんと今はあの橋本崇載と兄弟弟子である<BR>熱心なカトリック信者でバチカンから勲章を受章している。4月からNHKの将棋講座の講師だが、テキストの最初の1pを信仰の話で埋めたのは唖然、必見<BR>50年間同じ将棋(特に棒銀戦法)を指しているともいわれる。プロ棋士は「凝り性の集団」だがここまでの人は空前(多分今後も出ないだろう。ちなみに誕生日は1月1日である。<BR></P> <P>貧乏幹事手直し一例</P> <P>将棋スーパースター列伝 その壱 加藤一二三<BR>14歳でプロ棋士・18歳で8段という早熟で「神武以来の天才」と呼ばれている。<BR>彼はプロ棋士として幾多の優勝歴を誇るが、その天然っぷりには驚かされる。</P> <P>「6手目で1時間45分考える」「残り1分なのに『あと何分』を連発し、記録がキレた」「対局中の出前がいつも鰻重」「膝まで届きそうなネクタイ」「ゼンマイが切れたような早口」「旅館の人工の滝がうるさいから『とめてくれ』と要請」「おやつに『板チョコ5枚とホットカルピスポット2本とフルーツ盛り合わせ』注文」など伝説は数知れず。<BR>極めつけは「師匠を破門」。現在ははあの橋本崇載と兄弟弟子である。<BR>熱心なカトリック信者でバチカンから勲章を受章している。4月からNHKの将棋講座の講師を担当しているが、テキストの内容の最初の1pを信仰の話で埋めている。<BR>50年間同じ将棋(特に棒銀戦法)を指しているともいわれる。プロ棋士は「凝り性の集団」だがここまでの人は空前(多分今後も出ないだろう。ちなみに誕生日は1月1日である。<BR></P> <P><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その弐 谷川浩司<BR>21歳で史上最年少の名人位に。「月下の棋士」の滝川のモデルともいわれる(滝川中高卒だし)<BR>神戸在住のトラキチとして、03年の阪神優勝のときはほぼ全マスコミに「お祝いコメント」が載った。<BR>95年阪神大震災で実家が全壊・自らも避難勧告を受けるというなかで「羽生7冠」を阻止した王将戦は伝説<BR>中越地震・豊岡大水害などでの寄附活動も熱心な「漢」である。<BR>「光速の寄せ」で知られ、2ch将棋板でも1番ヲタが多いのはこの人ではないか? と思われる。関西での人気は抜群<BR>しかし・・・ 「泳げない」「自転車にのれない」「運転免許を持っていない」「キャッチボールがまともにできない」<BR>このごろネット中継される大きな将棋で必勝の局面から信じられない負け方をすることから「ロートル」「梗塞の自爆」など罵倒されている。豪邸を建てたため「風水」「シックハウス症候群」疑惑まで。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その参 先崎学<BR>現在「天下の」週刊文春にてコラム「浮いたり沈んだり」を連載している棋士。このコーナーの多くも彼のネタから借りている、ある意味宣伝塔<BR>10歳でプロ棋士を育成する「奨励会」に入門(同じ時期師匠である米長邦雄の家に住み込み弟子をやっていたのがあの林葉直子だった)、早熟の才能を謳われるも、<BR>中学生のうちから麻雀・パチスロ(酒)にのめりこみ羽生らに追い抜かれる(「小博打のすすめ」(講談社現代新書」なんて本まで出している)<BR>専門誌に羽生と並べられて「天才と元天才」とキャプションをつけられたことを20年近くたっても根に持っているらしい<BR>昨年「120面指し」(1人で120人がそれぞれの盤でまっているところに相手をする)を決行するも、ギネスブックの基準に満たないとして歴史に名を残すチャンスを逸する<BR>師匠・米長の将棋をBSの生放送でで解説したとき「師匠の手ですが、ブタのような手ですね」とかましたところ、見ていた米長が「先崎先生によろしく」とNHKに電話。<BR>それをスタッフから聞いて「師匠もヒマだなぁ」と言い放ったエピソードは有名。「減らず口」代表<BR>丸顔だったのが中年太りと眼鏡をコンタクトにしたせいでブクブク体型化<BR>竜王戦・挑戦者決定戦という大一番に柄シャツとチノパンで登場したDQNでもある<BR><BR><BR>474 名前:はっしー ◆HASSYqVF9s [] 投稿日:2005/03/29(火) 20:22:26 ID:/XCWvU/u<BR>モーニング娘。狩狩板さんの「狩狩住民が将棋界を光速で寄せるスレ」の615-617に<BR>先崎学テンプレというのがありました。面白かったので参考にしてみてはいかがでしょう。<BR><BR>http://www.omosiro.com/~sakuraotome/live/test/read.cgi/bbs/1106879352/<BR>下手な将棋板のスレよりわかりやすいし面白いスレです。狩狩住民に感謝。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その四 藤井猛<BR>四間飛車戦法に革命をもたらした「藤井システム」によって谷川から竜王位を奪取・羽生の挑戦も1度は退けた現代振り飛車戦法の旗手。<BR>今期のA級順位戦では最終戦で頓死(王手への対応を間違って詰んでいない王様が詰んでしまうこと)してしまい、おしくも名人挑戦権を逃した。<BR>四間飛車へのこだわりは強烈で、専門誌「将棋世界」で「普通振り飛車をやらない人がやるのは『ファミレスの鰻』、専門家である自分は『鰻屋の鰻』らしい将棋を魅せる」と宣言したことで2chでは「鰻屋」とよばれることに。<BR>将棋のプロで初めて公式ファンサイトがたった人でもある<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その五 青野照市<BR>将棋界では「鷺宮定跡」(あの西武新宿線にある地名)の創始者として知られる<BR>クラシック好きなのはそちらの専門誌に寄稿していることからも有名になったが、天下の「ザルツブルグ音楽祭」に羽織袴で現れ、シャッター攻め・・・ というのは漢とDQNのギリギリ<BR>「ある巨大掲示板をみていたら『青野はA級にいるべきではない』との声があった中『青野は頑張ってほしい』という声もあって感激した」という原稿を載せたため「チャネラー」説が有力になり、<BR>現在では「2ch名人」と呼ばれている<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その六 淡路仁茂<BR>「不倒流」「長手数の美学」と称される粘り強さが持ち味。<BR>プロの対局では110手前後で決着がつくが、339手かかって勝ったことがある。<BR>また、裏の持ち味といえるのが反則。<BR>去年豊川孝弘六段が打って話題になった二歩を3回も打っており、<BR>その他を含め、確認されただけで6回も反則負けを食らっている(おそらく最多記録)。<BR>将棋界ではパソコン通として知られ、将棋用アプリケーションを作ったり、<BR>あの羽生善治にパソコンの手ほどきをしたりするなど、一目置かれている。<BR>ちなみに、その羽生に勝ち越している数少ない棋士のひとりである(2勝1敗)。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 番外編<BR>熊坂学<BR>将棋界は羽生や谷川のような天才ばかりがいるのではありません。<BR>勝者あるところ敗者あり。当然のことですが多くの敗者の上に栄光が<BR>あるわけです。その将棋界の底辺でおきたある1つの奇跡。<BR><BR>熊坂学四段がプロになったのは2002年。25才のときでした。<BR>普通棋士の才能が開くのは若いうちで(もちろん個人差があります)、厳しい<BR>三段リーグを勝ち抜いてプロになったばかりの四段はC2ですぐ通用する実力を<BR>持っています。<BR><BR>しかし、その男は違ったのです。偉大な記録。<BR>プロ入り後3年連続降級点での最速フリークラスを決めた。<BR><BR>その男の名はクマー。<BR><BR>もはやその芸はひふみんの最年少A級陥落・棋神武市の連続降級点回避に並んだと<BR>言えるであろう。その身を削ってネタにするその姿勢には感動すら覚える。ちなみに<BR>順位戦は通算7勝23敗だがそれ以外はごく平均的な棋士といえるであろう。<BR>しかし運命の女神は順位戦を最高の舞台に変えた。そしてこの奇跡を我々に見せてくれたのです。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その六 渡辺明<BR>12月に20歳の若さで竜王を獲得した次期スター候補。顔が漫画の主人公に似ていることから「魔太郎」と呼ばれている(「2典」にも収録)。<BR>日記(現在はplog)も好評である。なんといっても「19歳でできちゃった結婚」という驚愕の事実は世間をあっといわせた。<BR>「竜王になって変わったこと」の問いに「電車の中で週刊少年ジャンプが読めなくなったこと」と答え、ガキなのか大人なのか混迷を深めている。<BR>TBS系列「情熱大陸」に出演したときの宣伝CMも「これが20歳!?」というスタートだった。<BR>将棋界きってのビッグマウスでもある。ちなみに和服は自分で着られない。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その七 村山聖<BR>平成10年8月8日、膀胱癌のため29歳で逝去。<BR>少年期からネフローゼを患いながら駆け抜けたその生涯は大崎善生「聖の青春」(講談社)によって大きな反響を受けた。<BR>しかし「アパート中に少女漫画の山」「風呂嫌い」「爪や髪の毛を切ることが嫌い」というキャラクターと病気による独特の風貌は、もし当時2chが盛んなら「キモヲタ」と言われ格好の餌食とされていたと思われる。<BR>その「鬼才」を互いに認め合っていたのは羽生善治であった。  合掌<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その八 中原誠<BR>名人15期(永世名人)・十段11期(永世十段)・棋聖16期(永世棋聖)・・・ 輝かしい経歴を持つ大棋士、現・日本将棋連盟会長。<BR>しかしそんなことより、ワイドショーを騒然とさせた林葉直子との不倫「突撃しま~す」事件が余りにも有名になってしまった。<BR>真面目な性格の人望者といわれただけにその衝撃は恐らく一生つきまとうであろう。<BR>しかし、林葉のその後の零落、なにより夫人と別れていないことからすると、「大いなる気の迷い」であったのではないか、と弁護したくもなる。<BR>「連盟の恥さらし・中原を追放する!」と息巻いていた若手が、直後彼の草案になる「中原囲い」を駆使して勝ちまくったのは皮肉ともいえよう。<BR>驚くなかれ、息子さんが専門誌に「司法修習生」として登場していた>ということは今弁護士・裁判官・検事として働いている、ということになる。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その九 大山康晴<BR>15世名人・タイトル通算80期・生涯1433勝を誇る、まさに「巨人」。<BR>受け将棋の達人として知られ、「金をタテに4枚自陣に打ち付ける」などその粘りの前に涙を飲んだ棋士は数え知れない。<BR>「A級から落ちたら引退する」と宣言し、名人・A級44期のまま69歳で癌に倒れた。<BR>亡くなる4ヶ月前の順位戦で「横になると手術で切除した空間に内臓が動くのが分かるんだよ」といいいつつ谷川を受け潰した将棋は伝説となっている。<BR>日本将棋連盟会長職を長年務めたが、この功罪は半ばであろう。<BR><BR><BR>将棋スーパ-スター列伝 その拾 升田幸三<BR>大山が出たならその兄弟子であり最大のライバルであるこの人を外すことはできない。<BR>「名人に香車を引いて勝つ」と書き残して家出、本当にそれを実現してしまった男。<BR>木村14世名人とのチャンスのとき謎の対局拒否=「陣屋事件」を引き起こし将棋界以外にも反響を広げた。<BR>その後大山名人相手に香車を引いて完勝。史上初の3冠王に輝く。<BR>しかし太平洋戦争に徴兵されたこと、多量の飲酒・喫煙はその体を蝕み、大山の粘り腰の前に大逆転負けすることが多かった。<BR>「升田式石田流」をはじめとする新戦法・妙手の数々を今もファンを魅了してやまない。<BR>日本将棋連盟は「実力制第4代名人」との称号を贈ったが、「名人の上」と自負していた彼にとっては屁でもなかろう。<BR>羽生善治は「将棋史上だれとやりたいか」との問いに「升田先生」と即答している。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その壱拾参 島朗<BR>ヴェルサーチのスーツで対局し第1期竜王位を獲得、まだ高校生だった羽生・森内・佐藤康光と伝説の「島研究会」を主催。「島ノート」などの解説書や文筆・TV出演も多い人気棋士の1人。<BR>ギャンブルキ○○イとして知られ、「禁雀宣言」は数十度。長年すんでいる経堂近辺の川をさらうと捨てられた雀牌が数セットででくるらしい。<BR>またサイコロにも研究し「製造工程である目が出やすくならないよう加工された」数万円のサイコロ!を愛用。<BR>「ズラ疑惑」があり、将棋中継のとき彼の将棋で桂馬が取ったり捨てられたりすると2chにAAが舞う。<BR><BR><BR>将棋スーパースター列伝 その壱拾四 千葉涼子<BR>NHK杯で聞き手をしている女流棋士。口数の多さとその風貌から「ネズミ女」といわれる。対局のときはメガネ派。<BR>同じ将棋棋士の幸生5段と結婚している。今年女流名人戦に挑戦したが清水市代女流名人(未婚)の前に敗退。勝負を決めた第4局は2月14日に行われたため「セントバレンタインデーの虐殺」として語り継がれている。<BR><BR><BR><BR>【囲碁】<BR><BR>囲碁スーパースター列伝<BR>趙治勲<BR>こんなにキャラの強い棋士はめったにいない。ボサボサ頭にハンカチはむはむ。<BR>ボヤキ芸はひふみんの「あと何分?」にも劣らない。<BR>しかしそれは勝負に懸ける集中力・執念のなせる業。<BR>ライバル小林光一とのタイトル戦直前に交通事故に遭い、大怪我するも<BR>「囲碁が弱くなっちゃいけない。麻酔なしで(手術)お願いします」という<BR>壮絶なエピソードを持つ。<BR>2度の大三冠にグランドスラム。その実績はもはや言うまでもないが、解説に<BR>たてば爆笑必至の超絶話術。この魅力に皆が注目しているんです。是非彼に、<BR>そして少しでも囲碁の魅力にふれて頂ければと思います。<BR><BR>&gt;&gt;523<BR>囲碁の解説中にゴルフスイングをする全身ショットが放送された<BR>おそらく唯一の棋士。<BR>これも付け加えて欲しい。<BR><BR>このときの写真とハンカチの写真、ちょっと見つからない(´・ω・`)<BR><BR>665 名前:名無し名人[sage] 投稿日:2005/03/31(木) 20:16:52 ID:BJVZLu71<BR>http://www.sankei.co.jp/edit/igo/jpeg/050316judan340276.jpg<BR>趙治勲先生の画像ならこれを是非<BR><BR><BR>囲碁スーパースター列伝<BR>藤沢秀行<BR>色々な意味で凄い人「人間ドキュメント」で見た人もいるかと<BR>ttp://urawa2.main.jp/mc/column4/column400.html<BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR><BR>本因坊算砂(日海)1559~1623年<BR>信長、秀吉、家康に仕えた名人。<BR>1582年6月1日、本能寺において信長の御前で鹿塩利玄と対局するが<BR>この対局は3コウという珍しい形となり無勝負。<BR>翌日本能寺の変が起こったことから以降3コウは不吉と言われるようになる。<BR>家康に時代になって、本因坊算砂と名乗り家元制度の基礎を築く。<BR>昨年第1回囲碁殿堂入りした。<BR>なお、家康もスポンサーとしての功績から同じく囲碁殿堂入りしている。<BR>辞世の句・「碁なりせば 劫(コウ)なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」<BR><BR><BR>本因坊道策 1645~1702年<BR>三世道悦の跡を継ぎ四世本因坊となり、それと同時に名人碁所に就く。<BR>当時の一流棋士をことごこく打ち込み、実力十三段などと言われる。<BR>手割の考え方など革新的な手法を生み出した近代囲碁の開祖。<BR>丈和・秀策の後聖に対し前聖とよばれる。<BR><BR><BR>本因坊秀策 1829~1862年<BR>幼名虎次郎。藤原佐為が進藤ヒカルの前に取り憑いていた人。<BR>井上因碩との耳赤の一局が名局と名高い。観戦していたやじうまが<BR>「漏れは囲碁のことよう分からんけど、これは秀策先生が優勢だな。<BR>井上先生の耳が真っ赤だ」というようなことを言ったらしい。<BR>御城碁では19戦19勝無敗の大記録を作る。<BR>とくに秀策流と呼ばれる布石で戦う黒番では無敵と言われ、<BR>勝敗を聞かれた秀策は「黒番でした」と答えたこともあったとか。<BR>江戸にコレラが流行したとき、周りが止めるのも聞かずに患者の看病にあたったため<BR>当人が感染しそのまま34歳で死去した。<BR><BR><BR>呉清源 1914~<BR>福建省生まれ。昭和の碁聖。<BR>7歳のとき父から囲碁の手ほどきを受け、北京で頭角を現す。<BR>その噂は日本まで届き、14歳の時に瀬越憲作名誉九段らの誘いにより来日。<BR>木谷実と新布石を発表し、現代囲碁の道を切り開いた。<BR>読売新聞主催の打ち込み十番碁で強豪棋士を次々と打ち破り<BR>「十番碁の王」として天才棋士の名をほしいままにした。<BR><BR><BR>木谷實 1909~1975年<BR>昭和前期を代表する棋士の一人。呉清源とともに新布石を発表。<BR>1938年、最後の本因坊、本因坊秀哉の引退碁の挑戦者となり、一局に6ヶ月費やした勝負で<BR>5目半勝ちし名を高める。この対局は川端康成の「名人」として小説化されている。<BR>平塚に木谷道場を開設し多くの弟子の育成に勤しみ、大竹英雄、石田芳夫、<BR>加藤正夫、武宮正樹、小林光一、趙治勲などそうそうたるトッププロたちを排出している。<BR>現在木谷門下の弟子で、のべ500段突破を達成している。<BR><BR><BR>藤沢秀行 1925~<BR>1977年に創設された棋聖戦を第一期から六連覇により、初代名誉棋聖の称号を得る。<BR>「碁は芸である」と考え、厚みの働きを最も良く知るとも言われる。<BR>引退した現在でも秀行先生と慕う棋士たちも海外を含め多い。<BR>年に一度行われる秀行塾と呼ばれる囲碁合宿には<BR>トッププロを含め毎年多くのプロ棋士が参加している。<BR>だが囲碁を取ればただのDQN。<BR>その奇行の数々はこちら<BR>ttp://urawa2.main.jp/mc/column4/column400.html<BR>酒、女、ギャンブルにはまり大きな借金を抱えており、<BR>タイトル戦で勝っても返済で賞金はほとんど残らなかったという。<BR><BR><BR>加藤正夫 1947~2004年<BR>武宮正樹、石田芳夫と共に木谷三羽烏と呼ばれ、<BR>名人2期、本因坊4期、王座11期など数々のタイトルを獲得。<BR>同年代の棋士が年齢と共に第一線から遠ざかっていく中、<BR>2002年には55歳で本因坊を獲得し、史上最年長の本因坊に。<BR>しばしば大石を取ってしまうことから「殺し屋」と呼ばれた。<BR>が、後年は終盤にも磨きがかかり、「ヨセの加藤」とも呼ばれる。<BR>2002年、日本棋院の副理事長に就任。懸案だった棋院の財政改革に着手。<BR>その多忙のなかで獲得した本因坊に賞賛が送られた。<BR>2004年6月前任者の退任を受けて理事長に就任。しかし、多忙が祟ったのか<BR>12月に入り脳梗塞で入院し、同月30日、57歳で死去した。<BR>ご冥福をお祈りいたします。<BR><BR><BR>武宮正樹<BR>木谷三羽烏の一人。<BR>宇宙流という中央を重視する独特の棋風で、最も人気のあるプロの一人。<BR>黒番では三連星という布石にこだわり続けている。<BR>が、むしろ白番での評価が高かったりする人。<BR>バックギャモンの達人でもある。<BR><BR><BR>石田芳夫<BR>木谷三羽烏の一人。<BR>1971年、26期本因坊戦で林海峰本因坊を破り、22歳で史上最年少の本因坊となる。<BR>以後5連覇を成し遂げ、24世本因坊の資格を持つ。<BR>その正確な読みからコンピュータの異名を取り、丁寧な解説は好評。<BR><BR><BR>小林光一<BR>棋聖8連覇、名人7連覇、碁聖6連覇などなど趙治勲と共に一時代を築いた棋士。<BR>武宮正樹とは対照的な棋風で地に辛い。<BR>木谷實の三女で女流プロの木谷禮子と結婚し、その娘小林泉美もプロ棋士である。<BR>昨年、囲碁界初の父娘対決が実現した。<BR><BR><BR>趙治勲<BR>2度の大三冠とグランドスラムなどすばらしい実績を持つ。<BR>が、彼を紹介するときはやはりそのキャラクターに触れたい。<BR>ボサボサ頭にハンカチはむはむ。ボヤキ芸はひふみんの「あと何分?」にも劣らない。<BR>囲碁の解説中にゴルフスイングをする全身ショットが放送された<BR>おそらく唯一の棋士。旅館などで開催されるタイトル戦のセレモニーで<BR>浴衣姿で写真に写る姿は酔っ払いにしか見えない。<BR>ttp://www.sankei.co.jp/edit/igo/jpeg/050316judan340276.jpg<BR>ライバル小林光一とのタイトル戦直前に交通事故に遭い、大怪我するも<BR>「囲碁が弱くなっちゃいけない。麻酔なしで(手術)お願いします」という<BR>壮絶なエピソードを持つ。<BR>解説にたてば爆笑必至の超絶話術。囲碁を知らない人でも間違いなく楽しめると思います。<BR><BR>http://game9.2ch.net/test/read.cgi/bgame/1111286882/523<BR>をその後のレスなどを元に少し改変させてもらいました。<BR><BR>張栩<BR>現在、日本囲碁界の第一人者。名人、本因坊、王座の3冠を持つ。<BR>端整な顔立ちで女性ファンが多い棋士の一人。昨年小林泉美と結婚。<BR>趣味は詰碁作りで、その作品はプロをもうならせるとか。<BR>サインには自作詰碁を書いている。<BR><BR><BR>依田紀基<BR>現碁聖。昨年まで名人を4連覇。マスターヨーダとして、フォースを操(ry<BR>ヒカルの碁の頂上決戦、佐為vs塔矢行洋で自分の棋譜が使われていることに<BR>すぐに気がつき、勝敗が分かってしまったとか。遅刻魔。<BR><BR><BR>王銘エン<BR>解説をやらせると「私ならこうは打ちませんけどねぇ」を連発する、<BR>愛すべきキャラクター。<BR>メーエンワールドとも呼ばれる独特の囲碁観を持ち、その棋風を<BR>自らゾーンプレスと命名。著書ゾーンプレスパークは内容は高度ながら<BR>初心者でも※笑える※奇書。<BR>2000年の本因坊戦第1局でシチョウというかなり基本的な筋を見落とし<BR>二日制の碁を一日目で投了した。<BR>が、今年その時の失敗を本にし出版。転んでもタダでは起きない男。<BR>趣味は妻孝行という愛妻家でもある。<BR>エスパー伊東の中の人疑惑あり。<BR>エスパー伊東 ttp://www.ict-world.net/entertair/ito.html<BR>王銘エン ttp://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000066.htm<BR><BR><BR>小林泉美<BR>女流のトップ。小林光一の娘。<BR>父、母、祖父がプロ棋士というサラブレッド。<BR>男性トップ棋士と対局してなんとか形になるのは<BR>日本ではこの人だけと思われる。<BR>昨年、張栩名人本因坊と結婚。名人本因坊カップルの誕生となった。<BR>(当時女流名人、女流本因坊を持っていた)<BR>結婚後、張栩名人の得意布石を多用するようになる。<BR><BR><BR>梅沢由香里<BR>入団と共にその容姿で囲碁界にブームを起こした。<BR>モデル事務所に所属しているプロのモデルでもある。<BR>ヒカルの碁で監修を勤めていたことでも有名。<BR>2002年にJリーガーの吉原慎也選手(川崎フロンターレのGK)と結婚。<BR>棋士としては女流の上位にいることは間違いないのだが<BR>後一歩でタイトルに手が届かない銀メダルコレクター。<BR><BR><BR>万波佳奈<BR>教育実況板の方にはスリッパの人と言ったほうがいいだろうか?<BR>NHK杯の司会を勤め人気をはくす。<BR>対局後の検討で、スリッパ姿を見せていた。<BR>囲碁の実力も、昨年女流棋聖を獲得するなど注目の若手。<BR><BR><BR>李昌鎬<BR>世界最強の棋士。(少なくとも数年前までは)<BR>今年2月に行われた国際団体戦、農心杯(1チーム5人、<BR>3チームでの三すくみ勝ち抜き戦)では、<BR>韓国チームは残り一人、日本、中国はそれぞれ2人、3人という<BR>絶体絶命の状況から5人抜きで優勝して見せた。<BR> <TABLE style="WIDTH: 972pt; BORDER-COLLAPSE: collapse" cellSpacing=0 cellPadding=0 width=1296 border=0 x:str> <COLGROUP> <COL style="WIDTH: 54pt" span=18 width=72> <TBODY> <TR style="HEIGHT: 13.5pt" height=18> <TD style="BORDER-RIGHT: 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<TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; WIDTH: 54pt; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent" width=72><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD></TR> <TR style="HEIGHT: 13.5pt" height=18> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; HEIGHT: 13.5pt; BACKGROUND-COLOR: transparent; mso-ignore: colspan" colSpan=17 height=18><FONT face="MS Pゴシック">NHK杯将棋トーナメントに金髪と異様な格好で登場し流石のちゃねらーもびっくりさせた「NHK教育の視聴率を上げた男」。あまりのインパクトは将棋板にとどまらない影響を与えている。</FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD></TR> <TR style="HEIGHT: 13.5pt" height=18> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; HEIGHT: 13.5pt; BACKGROUND-COLOR: transparent; mso-ignore: colspan" colSpan=17 height=18><FONT face="MS Pゴシック">本人は「髪型だけで注目されたくない」「ホリエモンのようなデカいことをしたい」とのたまっているが、棋士としてこれといった成績を残していないほうがむしろ根本的な問題なのではないだろうか?</FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"><FONT face="MS Pゴシック"></FONT></TD></TR> <TR style="HEIGHT: 13.5pt" height=18> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; HEIGHT: 13.5pt; BACKGROUND-COLOR: transparent; mso-ignore: colspan" colSpan=18 height=18><FONT face="MS Pゴシック">「全戦公開対局・応援団つきで行われるタイトル戦」を提案しているが、本人がタイトル戦線にかするようになってから言い出せ!という保守的な将棋界からの突っ込みに実力で応えてくれることを希望。</FONT></TD></TR> <TR style="HEIGHT: 13.5pt" height=18> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; HEIGHT: 13.5pt; BACKGROUND-COLOR: transparent; mso-ignore: colspan" colSpan=6 height=18><FONT face="MS Pゴシック">4月から大阪に転居し関西所属の棋士となった。石川県出身。</FONT></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD> <TD style="BORDER-RIGHT: #ece9d8; BORDER-TOP: #ece9d8; BORDER-LEFT: #ece9d8; BORDER-BOTTOM: #ece9d8; BACKGROUND-COLOR: transparent"></TD></TR></TBODY></TABLE><BR></P>

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