夜天の主

「なんだい?」

 むき出しの木の根や不意のぬかるみなどで、ひどく足場の悪い深い森の中。
 そこを連れだつ将も兵もなく、1人で歩いていた劉備玄徳は
 聞こえてきた声に振り返って返事をするが、そこには誰もいない。
 たしかに誰かに声を掛けられた気がしたのだが。それも身近な人物に。

「…………誰もいないねえ……。どうもここに来てから妙な感じだ」

 この殺し合いの場。いやその前の死神博士が説明を行った場所から、劉備にとっては不可解の連続だ。
 まずそこに連れて来られた経緯からして、奇怪極まりない。
 連れて来られた、と言っても状況からそう推測したに過ぎない。
 何しろ軍勢を率いて長安へ向け行軍していたはずが、次の瞬間には死神博士が説明を行った場所へ移動していた。
 あんな物事の摂理を超えた現象は、天下を広く巡って来たが聞いたこともない。それこそ夢でしか有りえない。
 しかも移動と同時に、爆発するという首輪まで嵌められている。
 たしかに劉備は関羽や張飛ほどに、武に長けているわけではない
 それでも侠客集団の頭目から、将軍まで務めてきたのだ。それなりの心得はある。
 こんな首輪を気付かないうちにまかれるほど、迂闊な人間ではないと自負している。
 何より不可解なのは、とっくに死んだはずの董卓が居たことだ。
 董卓ほど有名な者が殺されて、しかも何日も死体を晒されたのだ。まさかそれで実は生きていた、なんてことはあるまい。
 つまり死者が蘇ったということになる。こうなると完全に妖術や仙術の領域だ。
 実際、死神博士は死者の蘇生を可能だと言っていた。なるほど、妖術使いに見えなくもない。
 いずれにしろ言えることは、これが人知を超えた事態であり、当然劉備の理解も超えているということ。
 つまりこの殺し合いに関して、あれこれ考察しても無駄である。劉備はそう結論付けた。

「あれもこれも、訳のわかんないことだらけ……わかんないと言えばこの袋だよ。こいつぁいったい、どうやって開けるんだい?」

 そう言って劉備は、紐にぶら下がった袋を無造作に持ち上げる。
 劉備がこの場に送り込まれたとき、一緒に送り込まれた袋。死神博士が支給品を入れたと説明していた物だ。
 中身は詰まっているが、しかしどこにも口が見当たらない。これでは中の物を取り出せない。
 今の劉備の状況は武器もなく味方もなく、いやそれどころか
 殺し合いが本当なら敵だらけだということになる。

「関さんくらいの頭なら、分かるのかも知んないけどよ……。益徳なら力づくで破っちまいそうだな、はっはっは。
ああ~~~、それにしてもおっ月さんはここでも、まんまるきれいだねえ」

 しかし劉備はそんなことを意に介さず、袋を振り軽口を叩きながら天を仰ぐ。
 無論、劉備とて事態の深刻さは理解している。
 だが、何故か『死ぬ気がしない』のだ。
 劉備はその劉姓が示すように、中山靖王・劉勝の末裔とされている。つまり、それが事実なら漢帝の傍系にあたる。
 その出自の由縁もあってか、漢朝が乱れた際に義侠の同胞と共に挙兵した。
 俗に黄巾の乱と呼ばれる内乱以来、大小数え切れぬ戦いを潜り抜けてきた兵だ。
 劉備の半生は決して平易な道程ではなかった。それどころか常に死線の連続だったと言っていい。
 劉備がそれらの死線を潜り抜ける最大の武器となったのは2つ。
 今や天下の大徳として知れ渡った『器』。
 それと身に迫る危機などを、根拠もなく察知できる『第六感』である。
 その2つを武器に乱世を渡り歩き、ついに蜀の地を得て漢中王を名乗るまで登りつめた。
 何度も劉備の命を救った第六感、それが危機を告げていない。
 だから劉備は普段と同じ調子で居られるのだ。

「……っても今は長安攻めの真っ最中だから、そうそうのんびりもしてらんねえがな。
天下人ってのも楽じゃねえぜ。さってと、これからどうしたもんだかねえ…………」

 殺し合いへの恐怖はないとはいえ自分が、一刻も早く自軍に戻らなければならない立場であるとも理解している。
 天下の趨勢をかけ、曹操との戦いに望む自分の使命の大きさを。
 同胞を背負い民を背負い、しかし無理に気負うこともなく天下に臨む。
 それができることこそ、劉備を天下人たらしめているのだ。
 だからと言って、死神博士の言いなりに殺し合いを進めるつもりは更々ない。
 どれほど大儀を背負い今や清濁併せ呑む器になったとしても、劉備が己が正中にすえるものはあくまで侠に他ならない。
 侠は言葉にできぬ。だが侠者ならば言葉にせずとも分かる。
 この殺し合いに乗ることは、義侠とは決して相容れぬと。
 しかし死神博士の言葉を信じるなら殺し合いに勝ち残る以外、ここから生還する方法も無いことになる
 生きて為さねばならない使命がある。生をつかめる道は1つ。さりとてその道は、死んでも選べない。
 要するに現状は、余裕がないどころか八方ふさがりなのだ。

「…………とりあえず、あいつに聞いてみるか」

 まだ夜道を照らす照明もない漢の時代に生まれ育ち、諸国を旅してきた劉備は夜目が利く。
 だから深い森の中でも、1人佇む人間を遠目に見つけることができた。
 見慣れない黒い服に身を包んだ、これも見慣れない長い銀髪の女。
 中原にも江南にも見ない類の人種。胡人でもないようだ。
 しかしそれ以上に劉備の気を引いたのは。

「……なんだ、泣いてるのかい? それにしても……ああ~~~、目を凝らして見りゃえらく別嬪な若ぇ娘じゃねぇの」

 女は手には本を持っているが、足下に支給品の袋を捨て置いたまま涙を流して立ち尽くしている。おまけに中々の美人だ。
 その2点から、どうも危険は少ないように見受けられた。後者がなぜ判断材料になり得るかは、余人には不明だが。
 何より第六感が女を危険な人物だと告げていない。
 とりあえず、何の心配もなく接触できるはずである。
 ただ劉備の中で、なぜか漠然とした違和感があるのが気に掛かっているが……。

「まっ、このまま1人で居たって何にも始まらねえわな。なあ、あんたもそう思うだろ?」

 接触する。
 劉備はそう決めるや否や、草木を掻き分け真っ向から平然と女の前に姿をあらわした。
 この辺は劉備が豪胆なのか無謀なのか、評価の別れるところである。
 女は涙を流したままゆっくりと劉備に顔を向ける。
 その顔に不実の色は見とれない。やはり一抹の違和感が拭えないが……。
 劉備はまさに破顔一笑と言った風情で、女に笑いかけた。

「おいらが誰かって聞きたげだねえ。おいらは漢帝国再興の大儀に生きる漢中王! 劉備玄徳ってんだ!
あんた、名はなんて言うんだい?」

 女はしばらく黙って劉備を見つめていたが、やがて口を開いた。

「我に呼ばれる名は無い」

 その返事に意表をつかれた劉備だが、すぐに気を取り直し笑みにもどる。

「そいじゃ名無しの娘さん。あんた何だってまた、こんなところでじっとして泣いてるんだい?」

 殺し合いに乗っているかどうかはあえて問題にしない。
 もし女にそれほどの邪心あらば自分なら気付くはずだし、自分が乗っていないことも口にせずとも伝わると確信しているからだ。
 女は依然、涙を流しながら瞑目して天を仰いだ。
 その様子は、何かを悔いているようにも見える。

「また、全てが終わってしまった。一体いくたび、こんな哀しみを繰り返せばいい……」

 抑揚のない女の言葉。だが、憂いの色は見て取れる。
 言ってる意味は分からない。当然だ、会ったばかりの者の事情が分かるはずもない。
 それでも女の憂いが殺し合いとは関係ない、ここに来る以前からのものだと察することはできた。
 劉備には関係がないどころか知りもしない話。しかしこうなっては、どうしても放っておけないのが劉備である。
 それに今は状況が状況だ。こんな所にいつまでも1人で居させては、命が幾つあっても足りない。
 情義の人。かつて自身がそう呼ばれた時、劉備は否定した。
 だが目前で困窮に陥っている者を捨て置くことは、どうしてもできない。
 本人がどれほど否定しようと、やはり劉備は情義の人なのである。
 何しろ劉備は『天下の民の笑顔を見る』ために、天下にうって出たのだから。

「おいらはあんたが何者かは知らねえ。あんたに何があったのかもな。
けどよ、もし命を大事にしてえのなら、命を永らえて為したいことがあるのなら、この劉備玄徳に天命を預けてみないかい?」

 相変わらず女の表情は乏しいが、僅かに動揺の気配を読み取れた。

「……私はまだ、主の願いを叶えていない」

 女には生きて果たしたい想いがあるようだ。
 ならば話は早い。
 劉備には、天下の人々を呑み込んできた嚢がある。
 女の想いも呑み込んで、帰るべきところまで共に行けばいい。
 天下人たる自分なら為せる。今の劉備なら、そう確信できた。

「へえ、あんた誰かに仕えてんのかい。なら尚更、命を無駄にしちゃいけねえよ。
事ここにいたって尚、主を想える忠義の者をこんな所で死なせちゃ天下の損失ってもんだよ。
無為な殺し合いを避けて生還することこそ、忠義の道ってもんだぜー!!」

 会ったばかりの女。
 分かることと言えば、本来いるべき主の下から引き離されたことくらい。
 それだけで充分だ! 何者だろうとかまわねえ。
 女と共に、これからの天下を渡っていける
 劉備は女に手を差し出した。
 本当なら抱擁して、女の哀しみを呑み込んでしまいたいところだが
 初対面の女にそれをやるのは、さすがに警戒される恐れがある。
 おそらくは受け入れてくれるだろうと期待し、胸襟を開き女を真っ直ぐ見据えた。

 しかし、違和感がある。

 しかも今までとは全く違う、具体的な違和感。
 女の持っていた本が、いつの間にか”宙に浮いている”のだ。
 当然、そんな真似は尋常な人間には不可能である。
 この殺し合いを仕掛けた死神博士のような、超常の存在でもなければ。

「我は闇の書。我が力の全ては……………………主の願い、そのままに」

 突如、女の足下から光が発せられる。
 紫色の光。それが線を引いて、地面に紋様を描いていた。
 劉備の想像を絶する怪異。
 女はそれを気にすることもなく、平然としていた。
 いや、様子から察するに怪異は”女が起こして”いる。

 今の今まで何の危機感も抱いていなかった劉備を、急激に恐怖が襲う。
 もしや自分は勘違いしていたのではないか?
 女とは気持ちが通じている、と感じていたが
 そもそも女は、この世のものでは無いのではないか。

 黒い鳥のような翼が女の背中から広がる。
 かつて曹操に追われた際感じた、あるいはそれ以上の危機感が劉備を襲った。
 まずい。この女の近くに居るのは途方もなく危険だ。
 女は劉備を見据えたのだ。まるで獲物を狙うように。
 いや、それはもっと無機質な、まるで射撃の的を狙うような目つきで。
 劉備は弾かれたように、女に背を向け走り出す。
 草木を掻き分け、泥に足をとられそうになりながら
 この世のものならぬ女から、必死に逃げる。

「刃もて、血に染めよ。穿て、ブラッディダガー」

 もう女の視界からは完全に離れた。そう踏んだ劉備だったが
 その耳は女の声を遠く微かに、しかし確実に捉えた。
 走りながら首だけ振り向き、女の様子を確認する。
 女は空中を飛んでいた。
 周囲には無数の紅い短剣が、並んで浮いている。
 それらの短剣が一斉に発射された。
 閃光と見紛うほどの速さで、劉備めがけ飛び来る。

 劉備は紛うことなき天下人である。
 同じ蒼天に生きる人ならば、殺し合いという状況だ。協力を取り次ぐことができたかもしれない。
 しかし女を相手には、土台不可能なことだった。
 劉備の器に問題がある訳ではない。
 まず劉備と女では、字義通り住む世界が違う。
 劉備が住む世界は、後漢末期の中華世界。
 そして女は幾つもの次元世界を渡った末、地球に辿りついた。しかも後漢の時代より、10世紀以上も経った日本にだ。
 何より劉備と女の最大の違い。
 それは劉備は普通の人間であるが、女は今や普通の人間ではない。
 今の女は魔法運用器具であるデバイスと融合し、その姿と意思が表に出ている状態だ。
 住む世界が違えば、存在そのものも違う。
 つまり劉備には呑み込むどころか、理解しあうことすら叶わない相手だったのだ。
 女は魔法プログラムと同義の存在。ゆえに殺気を読み取ることができない。
 女は魔法プログラムと同義の存在。ゆえに武威を感じ取ることができない。
 まっこうから明確に殺意を向けられるまで、危機を察知することができなかった。
 それが劉備の誤算であり、そして命を落とした原因となる――――。

 紅い短剣が正確に劉備を追尾し、それに着弾。
 爆発。
 樹木の高さに枝葉の広さまで達する規模の爆煙が上がる。
 爆煙の晴れた後に残ったものは、全身に傷を負った無残な劉備の骸であった。

 本来の歴史ならば蜀漢帝国の皇帝になる男、劉備玄徳。
 天下人となるはずだった男はしかし、蒼天ならぬ殺し合いの地で天命が尽きた。

     ◇     ◇     ◇

 女はかつて八神はやてと呼ばれていた。

 八神はやてが求めているものは、平凡な日常を送ることだった。
 はやては幼いころに両親を亡くし、原因不明の病気で両脚に障害を持って育つ。
 古代ベルカのデバイスである『闇の書』は、はやてが望んだわけではない。『闇の書』からはやてを選び来訪した。
 『闇の書』は、防衛プログラムである守護騎士を起動させた。
 シグナム。ヴィータ。シャマル。ザフィーラ。はやてを主と仰ぐ、4人のヴォルケンリッター。
 魔法の知識を何1つ持たないはやては4人が現れた際、驚きのあまり気絶したほどだ。
 4人は主――はやてに服従した。命令を聞くと平伏したのだ。
 はやてが4人に命令――ではなく望んだのは、家族となること。
 帰路を談笑しながら車椅子を押してもらい、同じ食卓を囲み、同じ温もりの中で眠る。
 長く1人で暮らし両親の思い出も遠いはやてにとって
 新しくできた家族が、例えようもなく愛おしい存在だった。
 騎士ははやてに語る。魔力を蒐集し『闇の書』が完成すれば、主はあらゆる望みを叶えられる絶大な力を得ると。
 はやての脚の障害も治せると。
 それでも八神はやてが望んだものは、平凡な日常を送ることだった。
 魔力の募集は、他者からリンカーコアを無理やり奪う形をとる。はやてはそれを嫌った。
 はやての日常は穏やかに、しかし幸福に過ぎていく。

 だが蜜月の日々は、永遠には続かない。
 はやては知らなかった。闇の書が、自身の生命活動を阻害するほど侵食していることを。
 はやては知らなかった。守護騎士達が自身を救うため、魔力を蒐集していることを。

 終局は前触れもなく訪れた。
 唐突に夜天の下へ連れられ、晒された現実。
 それは非現実的な、寒々とさえした惨状だった。
 倒れ伏すザフィーラ。何も無い空中で磔となっているヴィータ。
 シグナムとシャマルは先程までその場に居た痕跡として、衣服だけを残していた。
 冷たく見下ろす高町なのはとフェイト・テスタロッサ。
 何も知らなかったはやてだが、この時悟った。
 在りし日の幸せは、奪われてしまったと。

 そしてはやては闇の書と融合する。
 はやての意思は深い哀しみの底に沈み、今表にあらわれているのは闇の書の管制人格(マスタープログラム)。
 つまり闇の書の意思。
 闇の書の意思が望むものは、主の願いをかなえることのみ。
 すなわち主の愛しき守護者を傷つけた、なのはとフェイトを破壊する。

 しかし闇の書は未だ使命を果たせぬまま、殺し合いの地に召喚された。
 元の世界に帰るには、殺し合いを勝ち残る他ないらしい。
 ならば、それを為すまで。
 闇の書はプログラム。自身の使命を果たすことが全て。
 それ以外の一切は考慮に入らない。
 だから必要とあらば殺し合いを為すことに、迷いも躊躇いもない。

 劉備を殺しデイパックを放置して、その場を飛び去る。
 食料も地図も必要としない。
 元より自分の命にすら執着はない。
 いずれ防御プログラムが暴走する。そうなれば、全ては終わるのだから。
 ただそれまでの時間を与えられた使命に使うだけだ。
 僅かに気がかりなのは、常より魔力の消耗が大きいこと。
 それに次元転送魔法を試みたが、上手くいかなかった。だから殺し合いに乗らざるを得ないのだが。
 どうやら魔法の使用に、何らかの抑制が掛かっているようだ。
 それでも先程劉備で試したように、人を殺すのに支障はないが。

 名簿を見ていない彼女は知らない。
 同じ殺し合いの地になのはとフェイトが呼ばれていることを。
 それがどんな運命を招くのか知らないまま、殺戮に赴く。
 女はかつて八神はやてと呼ばれていた。
 今はまだ、呼ばれる名前がない。

【劉備玄徳@蒼天航路 死亡】

【H-7/森/一日目-深夜】
【八神はやて@魔法少女リリカルなのはA's】
[状態]:健康、闇の書と融合
[装備]:無し
[持物]:無し
[方針/目的]
 基本:元の世界に帰り、なのはとフェイトを破壊する。
 1:殺し合いに優勝する。
[備考]
 ※魔法少女リリカルなのはA's原作第9話終了後からの参戦です
 ※闇の書と融合している状態です。魔力量、使える魔法の種類や威力などに制限を受けています。
 ※劉備玄徳と八神はやてのデイパックがH-7エリアに放置されています

八神はやて
劉備玄徳

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最終更新:2010年02月19日 09:35