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学校とは常識的に言えば「決められたことを教えるところ、そして教える人=教師と教えられる人=生徒や学生とから成っている。しかし「決められたこと」としての教育内容は古今東西を通じて多様であるし、また教師と生徒の関係も決して一様ではない。


平凡社の百科事典は「学校とは何か」という項目で次のように説明している。

(1)そこに学ぶ者の心身の発達や学力の水準に即し系統だてて配列された教育内容が用意されていること

(2)教師と複数の生徒による教科の授業(集団的な教授=学習の過程)と,学校行事,クラブ活動など教科以外の諸活動とが行われていること

(3)校舎や運動場など教育用の特別の施設を備えていること。

しかしすぐにこの条件はすべての学校にあてはまるわけではないと注釈をいれているのである。つまり、これらは多くの学校についてはあてはまるが例外もあるということである。確かに中世までの学校では、子どもの発達段階にそってカリキュラムが系統的に組まれていたわけではない。また寺子屋などは特別の教育施設を備えていたわけではなかった。それでも通常寺子屋は学校だと考えられている。


 通常「学校」には、「教えるべき内容(カリキュラム)」と、教える人(教師)、そして、学ぶ人(生徒・学生)、そして校舎がある。しかし、そうした常識が通用しない学校が世の中はたくさんある。国連大学は「大学」であるが、学生もいないし入学試験もない。教師もいない。行っていることは「研究」であるが、「大学」と名称が付けられている。度々とりあげるサドベリ・バレイ学校は、カリキュラムも授業もなく、通常の意味での教師もいない。通信教育を行っている学校はたくさんあるが、これも普通の校舎は存在しない。逆に放送大学は正規の大学であり、正規の学生や教授がいるが、その授業を実質的に受けている人たち(それを学生と呼ぶなら)は、無数に存在している。
 教師と生徒・学生は画然と分かれているのが普通だが、古代ギリシャの学校や中世の大学はあまり判然とした区別は存在しなかった。
 フリースクールやインターネットスクールの中には、常識的な意味での学校のイメージと相当異なる形態をとった学校が少なくない。

最終更新:2009年01月03日 22:24