ふきだまりな話5:コントの国の人の思ひ出
menocchio氏がこちらで狂気=異界という示唆深いテーマで書かれているが、それで思い出すのは、所謂「コントの国の人」(リリー・フランキー)のことである。
「コントの国の人」とは何か分からない人も多いだろうが、この話をすればおいおい分かるだろう。
私は今まで「コントの国の人」に結構会ってきたように思えるが、その中でも思い出深い人は二人ほどいる。時系列順でいくと、まず、運転免許を取るために教習所に行っていた時のこと。
技能教習の順番待ちの時だったろうか、待合室の窓際のベンチに虚ろに座っていた時、たまたま隣に座った女性と話をする機会を持った。
はじめは差しさわりのない、「技能教習、どこまで進みましたか?」、だとか、「運転難しいっすね」とかいかにも教習生の話題をしていた。次にどうやら彼女は私と同じ国文学を専攻していたらしく、夏目漱石の話題になった。
「夏目漱石は焼身自殺をして……」
ん?確かに漱石は常にノイローゼ気味な近代人を地で行きそうな人で自殺しそうだが、死因は胃潰瘍の悪化で大出血とかじゃなかったけ?
そのうち、彼女は自分の身の上を話し始めた。
曰く「自分は頭がよかったのに、義父のせいで無茶苦茶になった」だとか「母親が義父と一緒になって私を苛めた」とか、そのうちエスカレートして「義父が私を陵辱し、その時も母親は見てみぬふりどころか、一緒に加担したんだ」など声高に話し始め、「わたしは陵辱された!」、「犯された!」と目を爛々とさせながら叫び始めた。
待合室にいた他の教習生はまるで異物を見るように私達を見始めた。
私はその時、「俺は違うよ」と彼女たちのその奇異な目に反応してしまったが、それは若気の至りのためだろうか。
次の思い出は友人と東京・下北沢を散策していた時のこと。
踏切近くを歩いていた時、すれちがった男性と一瞬、目と目があってしまった。私は歩くスピードを上げた。面倒なことになる、と思ったのだ。
予感は的中し、その男性は私達の跡を追い始めた。私達は早足でとにかく逃げていたが、いつの間にかさびれた商店街の袋小路に辿りついてしまっていた。
振り向くと、その男性がゆらゆらと近付いてきて、ぽつりと言った。
「警察ですよね?」
流石「コントの国の人」。常に想定の範囲外である。
私「いえ、違いますけど」
「え?警察ですよね?」
私「いえいえ。警察じゃないですよ」
「もー、貴方達、警察でしょう。嘘はなしってことで」
私「違いますって」
「もー、帰れないじゃないですかぁ」
と、埒があかない押し問答。友人は無視して行こうとしてたが、退路は「コントの国の人」によって絶たれているし、どうしようもないので、ここは「コントの国の人」にのってあげることにした。
私「ええ。警察ですけど」
「やった!じゃ、帰ってもいいですか?僕」
私「いいですよ、帰っても」
「本当ですか!やった。ありがとうございますぅ!」
「あ、電話だ」
彼は携帯電話を取り出し、一言二言話し、何故か私達に携帯の液晶を見せ、実に解放感に酔いながら帰って行った。
携帯電話が鳴った形跡もなかったし、液晶を見る限りにおいて、通話状態ではなかったのだが。
しかし、この出会いはかつて、狂者は予知など不思議な力を持つ存在だとされていた話を思い起こされる。
しかし、次に挙げる本の著者は確かにこういう輩は予知とか不治の病の全快とか奇跡を起こすかもしれないが、その程度のことで驚いたり、ムキになって否定しても始まらないと説く。物理学的に説明のできない不思議を見たら「あ~この世はこーゆーことも起こるいい加減な世界なんだな~」くらいに思ってればいいそうだ。
で、この本というのが『電波系』(太田出版,1996)である。
著者は特殊漫画家・根本敬(『因果鉄道の夜』がオススメ)と趣味は他人のゴミ漁り、鬼畜ライター村崎百郎。
根元さんも偉大な人だが、この村崎さんは何を隠そう1000の電波を受信するモノホンの電波系なのだ。そして、ここがすごいところだが、村崎さんは膨大な電波を受けつつも飲み込まれず、客観的な地点に踏みとどまっているのである。
その彼が語る電波の真実。電波の種類や電波文書の作り方、あなたの電波度もわかるスグレモノ!
是非とも一読あれ。
私がグッときたのは
人はみんな”自分だけのリアル”の中で、世界一の幸せ者になっていいんだよ。そうならなきゃ、人生なんてウソだよな。オレも「世の中の女はみんな重症の病気で、それを治せるのはオレの浅黒くてデカいチンポしかない!」みたいな妄想をマジで持てれば、きっと幸せなんだろうなぁ(笑)。 --pp84-85
バンジャーイ!
(屑)