ティル・ナ・ノーグ。
ケルト神話に出てくる神族、トゥアハ・デ・ダナーンがミレー族との戦いに敗れた後、移住したといわれる土地であり、理想郷。
「常若の国」という意味を持ち、そこにはトゥアハ・デ・ダナーンが一人、マナナーン・マクリルが王として君臨していると言われている。
また、後のアーサー王伝説に登場するアヴァロンの原典という説もある。
「……そんな理想郷の名を冠する喫茶店、か。くつろぐには丁度良いかもしれないな。」
前来た時はくつろげなかったし、そう独り言をつぶやいたのはサラリーマン風の日本人だ。
服装こそごく普通のサラリーマンなのだが、背負ったコントラバスのケースが周囲の目を引く。
彼の名は
尼乃昂焚。
世界中を旅する
日系魔術師であり、世界を股に掛けるトラブルメーカーだ。
そして今は
イルミナティ幹部である。
何の因果か彼はイルミナティ幹部になった後、再びイギリスへととんぼ返りするはめになったのだ。
中に入るとジーンズにポロシャツといういでたちの男が店員をナンパしていた。
「ジュリア。君の様な快活で朗らかな良い女性がいるとは、この世界もまだ捨てたもんじゃあないね。」
「やだ、オージルさん。そんなこと言ったって紅茶は安くなりませんよ?」
歯に浮くような言葉でナンパしている男はオージル=ピサーリオ。
これでも
必要悪の教会の魔術師であり、彼の女癖の悪さは必要悪の教会の魔術師の間で警戒態勢が敷かれるほどだ。
そんな彼の言葉を交わしているジュリアは蜂蜜色の髪を持つ女性だ。
左頬の大きな傷跡が目立つが、それすら霞むような快活さが発せられている。
「あぁ、尼乃じゃあないか!!」
一歩も進展しないナンパ劇を眺めていると聞き覚えのある声が彼の名を呼んだ。
音源を見るとそこには赤髪碧眼の見知った女性がいた。
「ココか。久しいな。」
挨拶を交わすと尼乃は自然にココの向かいの席に座る。
「あんな狂人の足止めさせておいてずいぶんと白々しいもんだ。」
あんな仕事ばかりじゃあ商売あがったりだよ、毒づく。
「そりゃ悪かったな。そういえばデイヴィットは?」
ココは紅茶を飲みながら自分の隣を指さす。
そこには黒髪銀眼の美少年が縛られていた。やや黒こげになっており、気絶している。
「……哀れな。」
「ちょっと目を離した隙に其処の看板娘にセクハラした上にスカートの中に潜り込もうとしたんだ。これじゃ将来が心配だね。」
「看板娘の方が哀れだな。」
「まぁ、ナンパしている男は魔術師だがなんとかするだろ、あの娘も魔術師だし。」
「そうなのか?」
「まぁ、それ以前に頼れる騎士サマがいるしねぇー。」
騎士サマ?と聞き返すと目の前のナンパ劇に進展があった。
オージルがジュリアの手を取ろうとすると―――――、
パシン、とその手を払う音が響いた。
「……まーた君かい?」
「常連になってくれるのはありがたいけど、流石にナンパは立派な営業妨害だよ、お・きゃ・く・さ・ん?」
オージルの手を払ったのは金髪碧眼の青年。
深緑色のブレザーを主体とした制服を着こなした高校生だ。
「ゴドリック君だっけ?分かるよ?君はおじさんの様なナイスダンディに嫉妬してるんだろう?男の嫉妬はみっともないよ。」
「ハッ、冗談。アンタみたいにナンパするたび警戒態勢敷かれるのがナイスダンディなら、僕はナイスダンディになりたくないな。」
お互い皮肉を言い合った後、オージルとゴドリックは互いを見つめ合う。
二人ともニッコリと笑っているが目は笑っていない。
その後、ジャキィッ!!と互いの霊装を構える。
オージルはケルト神話に登場するペルシア王ピサールの持っていた魔槍のレプリカ、屠殺者(アラードベイル)を。
ゴドリックはクロウボウの棒の部分に計四つのナイフサイズの穂先が、発射口の下に一つの比較的大きな穂先が付いた形状をしている霊装、灼輪の弩槍(ブリューナク=ボウ)を。
「いい度胸じゃあないか。必要悪の教会の魔術師の実力、見せてあげよう!」
「上等!泥臭く頑張るフリーランスの実力、見せてやるよ!」
そう言って二人は店外へ出た。
「……いいのかあれで?」
「大丈夫ですよ、最終的には二人ともいつもおじいちゃんの拳骨で喧嘩が止まるんですから。」
そう言ってジュリアはニコニコしていた。ゴドリック大きくなったなー、と小さく呟いている。
「(……ミランダと言い、この人と言い、最近ショタコンが多いな。もしかしてココもショタコンか?)」
「なんか失礼なこと考えていないかい?」
「気のせいだ。所でどうしてここにいるんだ?」
うまく気を誤魔化せた。
「ほら、この前仕事の報酬、イルミナティの
双鴉道化《レイヴンフェイス》か、ヴィルジールセキリュティー社にツケとけ、っつたろ?今日ここでその報酬をもらう約束なんだ。利子つきでね。」
「そ、そうか。」
カラン、と誰かが店に入る。
鳥の様な仮面をつけており、黒い羽毛の付いた白いマントをしているよく見知った人物だ。
「レ、双鴉道化?」
「おや、昂焚。こんな所にいるとはね。」
「知り合いかい?」
「言ってなかったのかい?今じゃ昂焚はイルミナティ幹部だ。」
「なんとまぁ。」
「まさか、双鴉道化。アンタが金を?」
「その通り。800ドル払う約束だ。」
「まっ、結局アタシの言うとおりの額になったのさ。」
アップルティーを貰おうか。と双鴉道化は昂焚の隣に腰かけ、ジュリアに言うと、はい、かしこまりました!と屈託な笑顔で返事をする。双鴉道化の風貌に疑問は無いのだろうか?
「なぁ尼乃、コイツの素顔ってどうなってるんだい?」ヒソヒソ
「俺は一応素顔を知ってるんだが、箝口令モノなんだよな。」ヒソヒソ
「でもコイツ、アップルティー頼んだよな。どうやって飲むんだ?」ヒソヒソ
「知らんな。が、とても興味深い。」ヒソヒソ
「約束の800ドルだ。所で二人とも何を話しているんだい?」
「「や、なんでもない。」」
「お待たせしました、アップルティーでーす!」
タイミングよくアップルティーが来る。
その素顔が見れるのか、とココは興味深くなってきた。
チャポン、と双鴉道化は嘴のような鼻を中身につける。
ゴクゴク、と喉を潤すような音が響く。
フゥー。と双鴉道化はカップを置く。
中身は空になっていた。
「……え、えええええ!?ちょ、どうなっているんだいその仮面!?ストローか!!」
「ふふふ、企業秘密さ。」
ココは普段の態度からは想像がつかないほど驚いていた。
昂焚もポカーンとした表情をしている。
「さて、仕事もしたし、私はもう行くよ。こう見えて忙しいのでね。あぁ、お代はここにおいていくよ。アップルティー美味しかった。」
そう言って双鴉道化はお茶代と黒い羽毛を残して消えた。
ココは未だにポカーンとしており、昂焚はそういえばまだ注文をしてなかったことを思い出した。
こうして様々な魔術師がカフェ「ティル・ナ・ノーグ」を訪れる。
「(あぁ、ココさんの太もも気持ちいいな……。)」
約一名、別の楽園を味わった罰として、硬雷の剣(カラドボルグ)でオシオキされるのだった。
最終更新:2013年01月19日 17:56