番外編 「教えて!ユマ先生!~変態でも分かる魔術講座~」
11月3日 午前9時ごろ
軍隊蟻のメインとして扱われる拠点の応接室。先日、樫閑とユマが対談したこの部屋は“教室”へと変わっていた。壁にはホワイトボードが立てられ、レディース物のパンツスーツ姿で眼鏡をかけたユマが黒マジックでホワイトボードに「バルムブロジオ先生の魔術講座」と大きく走り書きする。
ラテン系特有の豊満なボディを無理矢理スーツに押し込み、普段はサイドテールだった髪もポニーテールに変わっている。眼鏡をかけることで普段のガラの悪いチンピラの様な姿から一変して、けしからん身体の知的な先生になる。
「スーツと眼鏡が欲しいって…こういうことだったのね。」
学校でよく見かける机と椅子が2セット並べられ、そこに制服姿の樫閑と智暁が座っていた。
樫閑が着ているのは
長点上機学園の制服だ。学園都市の中でも5本の指に入る名門校であり、能力開発においてナンバーワンを誇る超エリート校だ。同じ名門でも「礼儀作法等を含めた総合的な教育」を目指す
常盤台中学とは違い、徹底した能力至上主義が敷かれている。故に在籍者の能力管理に対しては敏感であり、風紀委員向けに公開している学生名簿にすら学生自身の持つ能力は非公表。また、能力以外でも突出した一芸があれば高位の能力者でなくともやっていけるらしい。
樫閑は「軍事指揮官・参謀」として突出した才能を持っており、その一芸で長点上機に入学した。しかし、学園の能力至上主義が肌に合わなかったのか、現在は学校よりも軍隊蟻に身を置くことが多い。そして、才能をフル活用して軍隊蟻を率いている。
白の半袖シャツに紺色のベスト、赤いリボンが特徴だ。これは夏服であり、樫閑はその上に何やら極彩色の目が痛くなる様なコートを羽織っていた。冬服の方は数日前、軍隊蟻の活動中に敵に襲われてナイフで切られてしまったらしく、現在調達中だとか。
「おい。」
ユマが樫閑を指さす。
「何かしら?」
「その目が痛くなるコートを脱げ。」
「嫌よ。これの下、半袖で寒いんだから。」
「いいから脱ぎやがれ。目がチカチカして授業どころじゃないんだよ!」
ユマが無理矢理、樫閑からコートを脱がそうとし、樫閑はそれに抵抗する。
「イヤッッホォォォオオォオウ!女教師と女子生徒、2人きりの教室で背徳の交わりキタ―――――――――!!これで今夜のオカズは確保だぁ!!」
その傍らで智暁は百合百合な妄想を大爆発させていた。
「ああ。もう分かった。代わりにこれを着せるから、マジでそのコート脱げ。精神攻撃レベルの害悪だ。」
ユマが口汚くコートのデザインを罵る。智暁も、おそらく他にも人がいたら同じことを思っていただろう。それほど酷いデザインなのだ。
「どうしても脱げって言うなら仕方ないわ。」
そう言うと渋々樫閑はコートを脱ぎ、樫閑にコートを貸す為にジャケットを脱ぐ。
「脱いだ!デレた!ついにデレた!くそぅ!デジカメ用意しとけば良かったぁ!」
智暁はあまりの興奮に我を失いかけている。彼女のケータイのカメラ機能を使うという判断が頭に浮かばないほどだ。興奮のあまり鼻血が流れ、彼女の制服に付着していく。
智暁が着ているのは映倫中学の制服だ。生徒数900人と、割と少ない生徒数だが、『共学の常盤台』と言われ、強能力者(レベル3)以上でないと入学が認められない能力主義的な一面を持つ。また、共学の常盤台と呼ばれているが、入学条件に能力のレベルが設けられていること以外はほぼ普通の学校と同じであり、高位能力者の集まりでありながら庶民的な部分が多い。
制服はこげ茶のブレザーに赤いネクタイとどこか常盤台中学を意識しているデザインだ。スカートがこげ茶のチェック柄で膝丈まであることが相違点だ。こっちは歴然とした冬服である。
「ユマさんのスーツ姿がエロい!豊満なボディを無理矢理スーツに押し込んだこの肉感と凝縮感が堪らない!!」
「仰羽さん。声に出てるわよ。」
「出てるんじゃなくて、出してるんです!脳内に留めてたら頭がおかしくなっちゃうので!」
「そ…そう。」
智暁の爆発する妄想と彼女の一面に樫閑は少し引いた立場から視線を送る。こんな彼女があの
ブラックウィザードでどう過ごして来たのか、何となく気になったのだ。彼女はブラックウィザードではかなり重要な地位にいたと言われている。単体での戦闘力もそこそこ高く、軍隊蟻の諜報班の調べでは手駒達に関わる役職にいたらしい。手駒達に関しては調べれば調べるほど凄惨な事実が掘り出される。調べたこっちが吐きたくなるほど酷い物だ。そんな中で彼女は生きてきた。今の明るさが素なのか、それとも凄惨なブラックウィザード時代を忘れようとしているのか、はたまた樫閑たちが知らない思惑があってそのための演技なのか。その区別がつかない。
そんな樫閑の考えなど他所に智暁はツッコミ不在という状況を最大限活用して暴走し続ける。
「先生!宿題を忘れたのでオシオキしてください!あと、この前のテストの成績が悪かったので2人きりの教室で個人授業お願いします!教科は保健体育の実技です!」
妄想が暴走する智暁をそろそろ止めたい樫閑は机の上に置いたノートの角で彼女の頭を叩く。ガスッという鈍い音と共に智暁は頭を押さえながらも静かに着席した。
「先生、最後に質問です。バナナはおやつに入りますか?」
「は?バナナは主食だろ?」
中南米では16世紀に奴隷貿易でアメリカ大陸に渡って来た奴隷たちによってバナナが持ち込まれ、彼らによって中南米にバナナは主食として広まった。
「そんな小芝居はいいから、魔術を教えてもらえないかしら?」
机の上にノートとシャーペン、録音機をセットして授業の始まりを待っていた。シャーペンの先をノートにカツカツと当てる頻度が彼女のイライラと比例して増えている。
「そうだな。じゃ、講座を始めようか。」
ユマはホワイトボードに書かれた文字を消す。
「昨日も言ったが、私は誰かに魔術を教えたことが無い。だから、私に魔術を教えてくれた人と同じやり方でやる。それで良いな?」
「ええ。それで構わないわ。」
「じゃあ、まずこれだな。」
ドン!
ユマはぶ厚い大百科並の辞書と数冊の
テキストを樫閑の上に置く。
「初心者のためのラテン語講座」「ラテン語とは何か」「ラテン語大辞典」etc…
「まず、ラテン語をマスターして貰わないと話にならないな。」
意外な教材の出現に樫閑と智暁は動揺する。2人ともラテン語が何なのかは分かっている。各種学会・医学・自然科学・数学・哲学・工業技術など各専門知識分野では、世界共通の学名としてラテン語名を付けて公表する伝統があり、新発見をラテン語の学術論文として発表するなど、根強く用いられている。学も教養もある2人もラテン語には触れていた。
しかし、ラテン語を常用する国家・地域は現存せず、ヴァチカンの公用語になっている程度である。そんな死語を話せるようになるまでマスターする物好きな2人ではない。
2人が唖然とする中、ユマによる教材・辞書による嵐のような猛攻が樫閑に襲いかかる。
「あと、私が使う魔術はスペイン語、ポルトガル語、あと古代ナワトル語も覚える必要があるからな。」
ドンドンドンと音を立てて次々と辞書とテキストによるバベルの塔が積み上げられていく。電子化されたものではなく、紙と文字による物理的な重みだからこその威厳がある。
「まさか、古代ナワトル語の教材まで揃ってるなんて…さすが学園都市だな。」
ちなみに古代ナワトル語(古典ナワトル語)とは、アステカ帝国にて話されていた言語であり、アステカ帝国の拡大と同時に言語も広がり、メソアメリカ(中央アメリカ)の多くの部族で共通語として使われ、16世紀のスペインの侵略まで続いた。
さすがの物量に樫閑も唖然とする。智暁も隣で震えていた。もっと初歩的な「魔術とは何か」あたりから教えてほしかったのだが、どうやらこれらの言語をマスターしないと教えられても理解出来無いらしい。
「ここここ、これ全部覚えるの?」
「ああ。人それぞれだが、大抵の魔術師は7ヶ国語は話せる。私も日本語、英語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語、現代のナワトル語が話せる。ラテン語と古代ナワトル語は学術的な理解ってぐらいだな。」
「日本語に…日本語に対応した魔術は無いのかしら?」
「無いわけじゃないし、種類だけで言えば日本語に対応した魔術はもの凄く多い。ただ、私が使えない。宗教も神話も違うから基礎理論から異なってくる。昂焚ならその辺の知識は豊富だと思う。使っている魔術は日本神話が元ネタだからな。」
「「……………………」」
辞書とテキストによるバベルの塔もそうだが、ただの魔術師兼チンピラ外国人だと思っていたユマが実は自分たち以上に頭が良かったことに驚愕し、ただ唖然とするしかなかった。
「大丈夫だ。スラム育ちで一度も学校に行ったことの無い私だって出来たんだ。まぁ…魔術を使わせて貰えるようになるまで4年もかかったけど。」
ちなみにユマの魔術の教え方は根底から間違えている。魔術は手順さえ教えれば誰にでも使うことが出来る利点がある。それは電化製品の内部構造を理解しなくても取扱説明書を渡せば誰にだって電化製品を扱うことが出来るのと同じだ。しかしユマに魔術を教えたホセ、そしてユマの教え方は物理学・機械工学から教えて、その後に電化製品に触れさせるようなものである。
「さ、さすがにそこまで時間はかけられないわ。せめて日本語で教えられる部分だけでも教えて頂戴。」
「日本語でって…それだと魔術を行使出来るレベルまで到達させるのは無理だな。まぁ、日本語だと何一つ教えられないってわけじゃないんだが…」
「じゃあ、とりあえず、それで良いわ。」
樫閑がそう言うと、ユマはホワイトボードに魔術の二文字を書いた。
「まず、魔術ってのは異世界の法則を無理矢理現世界に適用し、様々な超常現象を引き起こす技術だ。元々は何らかの宗教的奇跡や原石に対する羨望から開発されたものらしく、『真の奇跡に人の手で追いつこうとすること』『才能の無い人間が才能ある人間と対等になる為の技術』とも言われている。」
それを聞いて樫閑は目を輝かせる。中二病だからとかそういったものではなく、「才能の無い人間がそれでも才能のある人間と対等になる為の技術」が存在するからだ。才能と能力が全ての学園都市、そして長点上機に嫌気がさしていた彼女にとっては魅力的だった。
しかし、ここで彼女はあることに気付く。
「ねぇ。その魔術っては『才能の無い人間が才能のある人間と対等になる為の技術』ってわけでしょ。もし“才能のある人間が魔術を使ったら”どうなるのかしら?」
「才能のある人間と無い人間だと脳の構造から既に違っているんだ。使い方とかそれ以前の問題、生まれた時から『持つ者』と『持たざる者』が決まっている。脳の構造が違うと魔術は使えないんだよ。使おうとすると色々負荷がかかって、脳味噌が爆発するらしい。」
「脳味噌が爆発って…それもそうね。敵にも扱える技術をわざわざ開発するのも馬鹿らしいわ。でもそうだとしたら、人工的に能力を発現させられた私達は能力が扱えないんじゃないかしら?」
それを訊かれるとユマは腕を組んで「う~ん」と唸りながら長考する。
「そもそも学園都市の超能力ってのを見たこと無いんだよな。話にはよく聞くんだけど…」
学園都市に来て今日で3日目になるのだが、目で見て分かる超能力というものを彼女はまだ見ていなかった。ブラックウィザード残党との戦いでは能力を使わせる前に殲滅し、智暁の熱素流動も見ていない。軍隊蟻とも戦っていないので能力を見ていないのだ。
「じゃあ、私の能力を見せます!」
智暁が高々と手を上げる。
「え?お前、能力者だったの?」
ユマが智暁に対して疑いの眼差しを向けるが、樫閑は頭を抱えながらも彼女が能力者であることを肯定する。同時に「何で自分がレベル0で、こんな百合百合妄想大爆発少女がレベル3なのか」と理解に苦しむが、「でも能力者ってレベルが高いほど頭がイっているらしいから、これで正しいのかも」と脳内で自分を防衛、正当化する。
「え~っと、まずここに“名状しがたいバールのようなもの”を準備します。」
そう言って、智暁は徐に名状しがたいバールのようなものを取り出す。
「いや、それどう見てもバールよね。ってか、どこから出したの?どうやってここのセキリュティを抜けてそんな凶器を持ち込んだの?」
「樫閑さん…女の子には秘密の一つや二つ、あって当然なんですよ?」
「それじゃあ、まるで私が女の子じゃない言い方ね。私にだって秘密ぐらいあるわよ。聞きたい?」
「いえ、遠慮しておきます。死にたくないので。」
智暁はバールを強く握る。
「バールの先端を見ててくださいね。」
ユマと樫閑がバールの先端に目を向けるとバールは超高温の炎に当てられ続けたかのように朱色に輝き始める。
「私の能力は熱素流動《カロリック》と言いまして、熱ベクトルを操作する能力です。私の場合はベクトルを一点に集中させることで一部分を高温化、逆に熱を奪われた周囲を冷却化させることが出来ます。今、鉄が溶けるか溶けないかのギリギリの温度を保っています。」
「おお。凄いな。(ついでにちょっと肌寒い。)」
「やっぱり能力があるのは羨ましいわね。(ちょっと寒い)」
智暁は能力を解除し、バールに集まる熱ベクトルを強制放出して冷却する。
「なるほど…術式も霊装も無しに特殊な力を使うのか。」
「何も無しってわけじゃないわ。能力を使っている間、彼女の頭の中では熱ベクトルを操作するための計算が行われていて、自分だけの現実も展開させている。そうねぇ…魔術を『異世界の法則を無理矢理現実世界に当てはめる』のなら、超能力は『自分の法則を無理矢理現実世界に当てはめる』って感じかしら。」
樫閑は超能力に関する事柄をホワイトボードに描いてユマに説明する。
「自分だけの現実と実際の世界(現実)にはズレがあるわ。例えば、智暁ちゃんはユマさんとラブラブ百合ップルだと思ってもユマさんはそう思っていないし、周囲もそう思っていない。彼女の脳内と現実にはズレが存在する。悪く言えば、自分だけの現実は妄想と同じようなものよ。」
「妄想を現実に変える能力ってことなのか。」
「そうかもね。妄想ってのは大抵現実にはならないものよ。だけど、100%現実にならないわけじゃない。もしかしたら貴方と智暁ちゃんが百合ップルになる可能性が1万分の1の確率であるかもしれないわ。能力者ってのはその確率を無視して、無理矢理妄想を実現させるの。」
ユマは智暁の方を一瞥する。樫閑の超能力講座に飽きたのか、携帯ゲーム機で遊んでいた。これまた彼女の趣味がふんだんに盛り込まれた百合百合なギャルゲーだ。
「成程。だからあいつはレベルが高いんだな。」
「能力者はレベルが高い程、頭がぶっ飛んでるって言うしね。」
ユマは能力者とは何なのか、樫閑は何故自分はレベル0で彼女がレベル3なのか、それを妙に納得した。
「そう言えば、私たち学園都市の能力者は魔術が使えるかどうかって話、結局のところどうなのかしら?」
「ん~見たところ、多分、駄目だろうな。学園都市の能力開発は人工的に“原石”を生みだすことが目的みたいだし」
「私はレベル0だけど、能力開発そのものは受けているから、アウトね。」
樫閑は落胆する。ユマや智暁の目からしてもよく分かる落胆ぶりだった。
「そこまでして魔術を扱えるようになりたかったのか?」
「まぁ…ね。レベル0が能力者を羨ましがるのは当然の話だからよ。だけど、私たちじゃ魔術は使えないのかぁ。」
「じゃあ、魔術の情報は用無しか?」
「いえ。それとこれとは話は別よ。」
樫閑は俯いていた面を上げる。
「情報ってのは貴重なものよ。その情報を得るためだけに全財産を投げだす人間もいるわ。そして、魔術の情報が遮断された学園都市で魔術の情報を得るってことは、それだけで莫大な価値がある。」
智暁が少し不安そうな顔で樫閑に視線を向ける。
「で、でもそれって知ってしまったら結構ヤバいんじゃないですか?ブラックウィザードも大概でしたけど…、何か、魔術に関しては本気でヤバいような感じがするんです。」
それを聞いて、樫閑はフフッと智暁のことを鼻で笑う。その表情は今まで見たことの無いものだった。
“悪人”
今の樫閑のイメージを表すにはピッタリの言葉だ。
「智暁ちゃん。学園都市に侵入した魔術師を匿っている時点で、私たちはもうこの街の闇に片足突っ込んでいるようなものよ。今更、魔術の知識を得たところで学園都市にとって都合の悪い存在であることに変わりは無いわ。」
これは智暁に対する脅しも同然だった。彼女も共犯者として巻き込み、このことを口外しないように罪で縛りつける。
ユマに対しても同じだ。「学園都市が彼女を消したがっている。」と認識させることで彼女の生存圏を軍隊蟻の手中に抑える。しかし、それはユマとっては脅しでも何でもなかった。そんなことは自覚していたし、これよりも酷い脅しはスラム生活時代に何度も受けてきた。むしろ、ここまで正直に悪意を表に出せる樫閑のことが逆に信用できるぐらいだ。
「私はどんな手段を使ってでも力を手にする必要がある。そのためなら、科学と魔術の境界線なんて踏み躙ってやるわ。」
重武装派スキルアウト“軍隊蟻《アーミーアンツ》”
そのリーダーである“怒れる女王蟻”
樫閑恋嬢の新たな一面が浮き彫りとなった。
(どうしても…取り戻さなきゃいけないものがあるから…)
最終更新:2013年04月08日 21:38