第二章 闇に堕ちた人形は The_Arrogant_Puppetear.
1
学園都市の暗部組織といえば、少数の人員の寄せ集めというだけあってかなり秩序のないバラバラ運営というイメージがあるが、『
テキスト』に限ってそれはないな、と全崩は思う。
彼の目の前では、陵原と星嶋という彼の天敵二人が並んで襲撃の計画を立てていた。全崩と超城と持蒲はすぐに仕事があるわけではないが、それでも仕事が全くないというわけではないので、いろいろと細かい雑務をこなしている。
「……ったくよぉ、何だってこの俺がこんな雑務を……」
先ほど
ブラックウィザードの幹部格を撃退したことで、気が大きくなっているのだろう。全崩は普段にもまして強気な調子(しかしやはり天敵二人はおろか超城にさえ聞こえるかどうか怪しいくらいの大きさ)で呟いた。
「バックアップは、必要なの」
そんな全崩の呟きを耳ざとく聞き取っていた超城に、全崩はびくりと体を震わせて反応した。いっそ清々しくなるくらいのビビリっぷりに持蒲は人知れず苦笑するが、全崩はそんなことに気づく様子もない。
「そうだな。一応、雅紀が
手駒達の拠点を叩き潰すっていう算段にはなっているが、キングは生け捕りにしたい。そこで手加減が可能な宮雹を出動させるわけだが、」
持蒲はそんなことを言いながら、作業中のパソコンのモニターを軽く指で示す。そこには、星嶋の武器であり生命線でもあるファイブオーバーのパラメータらしきものが表示されていた。
「雅紀の戦力は機械に依存している。無論雅紀も素人じゃないから単なるブラックウィザードのクソガキごときに遅れをとるとは思えないが、奴らのボスは別だ。
東雲真慈。調べてみたが、驚いたことにコイツの背後関係は殆ど裏がとれなかった。コイツの頭脳に関しては、
暗部でも通用するレベルだと考えていい。そのくらいのポテンシャルを持った人間だ」
「……なるほど、それで融通の利かない機械が対応できない『想定外』が発生しないように、俺らがこうやって地均しをしておく必要がある、ってわけッスね」
「そういうことだ」
「全崩、お利口、なの」
にこりともせずに褒められても萎縮するだけだ、と全崩は怯えたように肩を竦めつつ、作業に戻る。
今全崩たちがやっているのは、持蒲が解析した
手駒達の本拠地の詳しい座標特定である。
一応、赤い丸で囲める程度にはその位置を把握しているわけではあるが、それでも丸の中にはビルが二、三個ほど含まれている。暗部にまでその勢力を伸ばしてきたブラックウィザードの用意周到さを考えれば、本命のビル以外はデコイであり罠の巣窟ということも考えられるし、何より本命のビルにも罠がないとはいいきれない。そして、そうした罠こそ機械を主戦力とする星嶋にとっては最も危険なものとなる。
だから、斥候の
死人部隊を使うことで向こうの動向を確認しているのだ。全崩と超城が行っているのは、その指示である。
「雅紀と宮雹も、準備はいいか?」
そんな作業をしている二人を尻目に、持蒲は屈伸をしたりといろいろと落ち着きのない陵原と、対照的にソファで雑誌を読んでくつろいでいる星嶋に声をかける。それに反応して、二人は持蒲の方へ振り返ってから頷く。
「こっちは問題なか」
「私のほうも、準備はバッチリだよ~」
「よし」
その様子を見た持蒲は満足げに頷き、近所のお兄さんのような気安さと人殺しの冷たさが同居した不思議な声色で言った。
「それじゃあ、そろそろ始めるぞ。相手はクイーンと違って無能なキングだが、油断してそのへんの
雑兵にやられたりするなよ」
2
「……こちら陵原。敵の見張りは全員片づけたよ」
そんなことを言う陵原の周囲には、無残に倒れ伏した 手駒達の姿があった。
『……向こうにも能力者がいたのに、相変わらず凄い能力やね』
「……そんなことないよ、星嶋さん。……こんなの、全然凄くない」
傷一つなかった。
手駒達だって薬物による能力の強制強化を行っているはずなのに、にも拘らず陵原には服も含めて一切傷らしきものはついていない。
しかし、陵原の表情は優れない。
『……すまんね』
そんな陵原に、星嶋は小さく呟いた。
陵原は、元々表の世界で過ごしていた人間だ。星嶋と同じように、『テキスト』の暗部での活動を見てしまったが為にそのままだと死ぬ以外に道がなくなり、そこを持蒲に拾われて暗部に所属するようになったという経緯を持つ。
それだけではない。
暗部に堕ちた陵原を待っていたのは、全崩による陰湿なイジメだった。元来自分よりも弱い人間にはとことん強く出る性質である全崩にとって、元々『表』の人間で温厚な性質だった彼女は格好の獲物であり、何かと強く出れない持蒲や超城、星嶋とのコミュニケーションで溜まったストレスを彼女で発散していたのである。
それでも、彼女は『表』の世界に帰ることを望み続けた。
彼女の明るい性格や気さくな口調は、いつか『表』の世界に戻る為に維持され続けているものだし、今だって『表』の世界に戻れた時の為に制服を残しているといった風に、まだ再起を諦めたわけではない。
そんな少女に対し、荒事のことで褒めるなど、あまりにも無神経じゃないか。星嶋は、数秒前の自分を内心で責め立てた。
対する陵原はというと、むしろ星嶋のそういった反応が意外だったのか、むしろ慌てたようだった。
「あ! えっと、いや、そういうつもりじゃ……!」
『宮雹』
と、そこに割って入るような形で、持蒲から通信が入った。
「は、はひっ!」
『こちらの準備は整った。そっちも片付いたようだし、早速潜入するぞ。……雅紀の方は、とりあえずそっちからは離脱し、別口を叩いてもらう』
『分かった』
「私も分かったよ」
答えて、陵原は注意深く周囲を確認しながらビルの内部に入る。もちろん、表口から入って行ったらバレるのは間違いないので、裏口からの侵入だ。
(見張りを倒してから三〇秒……。こっちの潜入がバレるまで、最低であと一分ってところかな? それまでに上手い事動きやすい位置を確保できるといいけど……。……う~、スニーキングミッションっていうの? こういうの。苦手なんだけどなぁ……)
内心で苦い表情を浮かべつつ、陵原はすいすいとビルの内部へと潜り込んでいく。
やはりというか、このビルには薬物中毒者――手駒達が配備されているだけで、普通の人間は警備には回っていないらしい。そのせいか、見張りはあらかじめプログラミングした動きしかしないため、その法則を見つけてしまえばあとは簡単に奥まで進めた。
「……このあたりは、ウチの死人部隊と似たような欠点を抱えているんだね……。まあ、ウチのは命令を追加すればすぐに対応できるんだけど」
暗部の技術力によって制御されている死人部隊は手駒達とは文字通りスペックが違う。兵隊達の洗脳の純度はもちろん、洗脳した兵隊を操縦するプログラムの精度も手駒達とは段違いだ。このあたりの組織力の違いは、流石暗部だなと安心させられると同時、その力が同時に自分の敵にもなりえる状況にあることに背筋が凍るような思いがする。
とはいえ、いつまでも現状が続くとは限らない。周囲に警戒しながら歩いて行くと、入り組んだ廊下を出て、何らかの部屋のような場所に突き当たった。
「……ここは駄目だね」
呟いて、陵原は迅速に通路の脇に身体を隠す。
(あからさまに開けた場所。今までの通路で敵がいなかったことから考えても……、分かりやすすぎるくらい、お誂え向きの地形だね)
ここに何かしらの罠も仕掛けていないということは流石に有り得ないだろう。
呼吸を整えた陵原は、静かに自らのスカートの内側に手を伸ばしつつ耳を澄ましてみる。
聞こえてくるのは、複数の息遣いだ。
光学系能力か、あるいは認識干渉系能力か。ともかく、何らかの能力を用いて向こうは姿を隠しているようだった。おそらく、手駒達の能力の一つだろう。
そして、それだけ分かれば十分だ。
(……よし!)
しばらく目を閉じて集中を高めていた陵原だったが、ふと何を思ったのか、それまで身を隠していた通路の脇から身を躍らせた。瞬間、部屋の中の空気が明確に歪むのが分かった。
(やっぱり、能力者が隠れていたみたいだね……!)
薬物によって強度を無理矢理高められた能力。そんなものを食らえば、もちろん陵原はひとたまりもないだろう。陵原はその事実を認識しながらも、恐れずに行動する。
バッ!! と。
スカートの内側に伸ばした手が素早く横に動くと同時、その手に持たれていた巨大な布が陵原の前方に広げられた。
ドガガガガザザザギギギギ!! !! !! という何らかの能力の炸裂音が響き渡るが、広げられた布はその時の形状を保ったまま、まるで盾か何かのように陵原を前に鎮座している。
「……ビンゴ。やっぱり姿を隠す類の能力者だったね」
音が止んだのを確認した陵原は、そのまま能力を解除する。巨大な布はひらひらと舞い、そして地面に着く前に何かに引っ掛かった。
布越しに、数人の男達の姿が浮かび上がる。
「ま、相性が悪かったってことだね」
布がかぶっているだけだというのに、男達は身動き一つとれない。
まるで、布がかかった瞬間のままに時間が止まってしまったかのように、ぴくりとも動かない。
「えーと、ひぃ、ふぅ、みぃ……四人ね」
その間にも陵原は男達の数をのんびりと確認し、彼らの前に立つ。
「えいっ!」
そんな気の抜ける掛け声とともに、固まっていた布は一気に平時の挙動を取り戻す。と同時に、陵原は急いで男達の頭を順番に叩いた。
クシャリ、という軽い音が聞こえる。
「…………大丈夫だよね?」
おそるおそる、陵原は男達の様子を窺う。
手駒達はしばらくその態勢のまま棒立ちしていたが――やがて、ぐらりと一人が揺れると、全員一気に地に伏した。
陵原は布を回収すると、そのままその場を後にする。
手駒達は、劣化死人部隊のような存在だ。薬物で自我を弱らせ、アンテナから送られる指令通りに動かす。だから、直接無力化せずとも『アンテナの電波をジャミングする』といった搦め手に弱いという弱点が存在する。
しかし、別にそんな方法をとらずとも簡単に手駒達を無力化する方法はあった。
アンテナを壊せばいいのだ。
何らかの方法で相手の動きを拘束し、その隙にアンテナを壊せば手駒達は簡単に無力化できる。そして、陵原にはそれが可能な『能力』があった。
(……しかし、キングさんは一体このビルのどこにいるんだろう?)
まさか、馬鹿正直に最上階にいるというのも芸がないだろう。陵原がいるのは当たり前な常識が通用する世界ではなく、相手を貶めるのが常識な暗部の世界なのだから。そのヒントを掴む為に相手の誘導と知りつつあえて最上階を目指してみたのだが、その結果がこんなありきたりな罠だとすると、これは本格的にブラフの可能性を考慮すべきかもしれない。
とすると、相手も何か合理的な理由に則って別の潜伏場所を決めているはずだが……。
(……爆破?)
ふと、陵原は嫌な可能性に思い至ってしまった。
『表』の安直な思考で考えれば、道なりに進んでいった先に敵が待ち構えていたのだからラスボスはその先、つまり最上階にいると考えるだろう。だが、暗部の領域に片足を突っ込んでいるブラックウィザードの軍師がその通りの場所にいるとは考え難い。むしろ、敵を誘い込んだ上で確実に殺すことができる策を考えるはずだ。
この状況で、確実に侵入者を殺せる策は?
――答え。敵に『自分は最上階にいる』と思わせておいて、順調に進んだところでビルを爆破する。そして、自分自身は地下に隠れ潜むことで爆破の衝撃から逃れる。
身も蓋もない発想だが、可能性はある。
先行した部隊から対象を殺害したという報告が聞けなければ、『とりあえず先行させた戦力では対象は殺せなかった』として先行部隊ごと建物を焼き払うのが、暗部の世界のやり方である。
「……この手駒達のアンテナは破壊しているから、向こうは私が『地下』に思い至ったことには気づいていないはず」
動くなら、今だ。
3
結論から言うと、隠し通路はあった。
光学系能力者によって通路の入り口そのものが隠されている可能性も考慮し、それらしい部分をしらみつぶしに探してみたところ、なんと一階の床下に続く道を二回目で発見してしまったのだ。
あまりに簡単すぎて罠の有無を疑い、その確認の方に時間をとられてしまったほどだった。
(けっこうしっかりした作りになっているなぁ……。明かりもちゃんとあるし。……元々ビルに備え付けられていた避難経路を改造したものだったのかな?)
そんなことを考えつつ、陵原はゆっくりと歩を進めて行く。
罠か何かがあるかもしれないと思っていた陵原だったが、意外にも罠らしい罠もなく進んで行けた。
そして……、
「クソ、どうなっている。まだあのビルに残してきた手駒達と連絡が取れるなんて……。……まさか連中、ボクがあのビルにいないと気付いたのか!?」
(!! この声は、まさか手駒達の司令塔!? ……にしては、ちょっと声が幼いような……)
そう考え、陵原は首を振って自分の考えを否定する。暗部の世界では、自分よりも年下の刺客なんてかなり有り触れている。学園都市は、そういう種類の闇を抱えているのだ。
「……だとすると、この隠し通路が既に発見されている可能性を考慮しないといけないな……。まさかバレるはずがないとは思っていたが、相手は学園都市の暗部だし。油断は禁物、注意深すぎるくらいがちょうどいい」
その言葉に、思わず陵原は息を呑んでしまう。
実際のところ陵原は隠し通路の存在を発見し、こうして司令塔のすぐそばにまで接近していたのだから、その判断はまさしく正解だったと言えるだろう。
「おい、人形ども! とりあえず侵入者を探せ! 風路、お前はこっちに来い!」
と、通路の向こうから聞こえてくる少年がそう言うと、足音が離れるものと近づくものの二つに分かれた。
ここに到って、陵原も本格的に戦闘の覚悟を決める。
(……いくら広いとはいえ、この通路に隠れてやり過ごせるようなスペースはない。……引き返している暇もないみたいだし、仕方ないから倒して次へ行く!)
意を決した陵原は、そのままの勢いで直進する。おそらく、曲がり角の向こうには少年達の集団がいるのだろう。集団というのは強力だが、閉所ではその強みは出しきれない。やるならば、電撃戦だ。
「……! 来たか!」
隠す気のない足音に気付いた少年の声を聞いた瞬間、陵原は前方に布を広げた。しっかりと陵原の姿を覆い隠すように広がった布は、やはりそのままの形でぴったりと静止する。
直後、爆裂音が発生した。
ゴガガガガガガ!! !! という派手な音が発生するが、布はそのままの形を維持して陵原を守り続けている。
(……この通路は一方道だからね……)
そんなことを考え、陵原は自分の用心深さに感謝した。
この狭い道では、攻撃の余波さえ致命的なダメージを与えることがある。閉所の爆風が凶器になりえるのと同じ理屈だ。そして、一本道の先に敵がいると分かっていれば、具体的に相対する前に攻撃を放つことで、『余波による攻撃』に出る可能性も大いにあり得た。
だが、これは一歩間違えば自分にも余波が来る危険な攻撃でもある。
現に陵原は布によって攻撃の余波を完全に封殺していたので、逃げ道がなくなった余波は攻撃を行った彼ら自身に戻るわけで……、
「……ちょっと、後味が悪いかなこれは」
無事に攻撃をしのぎ切って角を曲がった陵原は、足下で呻く男達を見て呟く。
死んでいるわけではないし、彼女自身の攻撃でこうなったわけではないが、人が傷つくような展開というのはどうにも彼女には受け入れがたいものだった。
「……さすがに暗部、といったところか」
そんな思考を隠し、苦い顔を消したところで、少年の声が聞こえてきた。どうやら、少年はもう動いていないらしい。逃亡戦では自らの兵力を奪われるだけだと判断したのか。あるいは、既に味方が底を突いたのか。
(まあそれはないと思うけど……)
そう考えて、陵原は敵のボスとの対面に人知れず固唾を呑む。
「やあ、初めまして上層部の犬。ボクは蜘蛛井糸寂。まあ、覚えなくても良いけどね」
……そして現れた『キング』は、声を計算に入れて修正した陵原の予想よりもさらに幼い少年だった。
年の頃は十代前半だろうか。小学生、でもなければ、中学生に上がりたてといった程度だろう。スキルアウトには珍しくあまり運動をしていないのか、全体的に丸っこい印象を与える小太り体型がさらにその印象に拍車をかけていた。
茶色い髪は胸のあたりまで伸ばされているが、それはファッション性というよりはむしろ外見を気にかけない無精さの表れと言っても良い。黒いこぎれいなジャケットを着ていることが逆に全体の印象の中で浮いてしまっているほどだった。
「見たところ、念動能力の変種と言ったところかな」
突然の言葉にギョッとした陵原を見てにやりと口角を吊り上げ、蜘蛛井は続ける。
「キミの能力、大方『物体の座標をその場で固定する』ってところだろう?」
暗部の人員を前にして、少しも臆した様子のない蜘蛛井は、ゴーグルのような形状のメガネの中にある目つきの悪い眼で陵原の体を舐めるように見る。思わず嫌悪感を覚えた陵原をあざ笑うように、蜘蛛井は首を振る。
「おいおい。まさかこの局面で色事を考えるほどボクが間抜けだと思っているのかい? だとしたらキミの方こそよっぽど間抜けだな。今のは、キミの武装を確認させてもらったまでだよ」
そう言って、蜘蛛井は陵原のスカートを指差す。
「その内側」
「……!」
「反応も図星、か。大方、大きめの布でも潜ませているんだろう? 持ち運びも便利だし、自由に形状を変えられる布は『固定』能力との相性が良いだろうしね。この分だと、物体以外のものは固定できないわけか」
図星も図星だった。
陵原の能力は、座標固定という物体の座標を固定する能力だ。
物体は分子レベルで固定されている為、単純な衝撃以外にも炎や電気などの実体のない攻撃にも耐性を持つが、代わりに液体や気体は能力の対象に出来ないという弱点がある。その弱点を解消する為に、形状をある程度自由に変形できる布を携行しているのだった。
「なあ。ボクは軍師だ。そのボクが、何で戦闘員であるキミの前までやって来たと思う?」
演説をするみたいに、蜘蛛井は両手を広げ、
「確実にこの状況を脱することができる! ……という自信を持っているからだ」
瞬間。
ドガアアッ!! と通路の天井が打ち崩され、土煙で蜘蛛井の姿が隠された。
「く……ッ!」
姿が見えなくなった蜘蛛井を警戒し、布を前方に広げて能力を使ったところで、陵原は自分のミスに気がついた。
土煙でこちらの視界を潰された上で奇襲をかけられる可能性を考慮して咄嗟に防御を行ったが、そもそも本当に奇襲をかけたいのなら陵原の頭上の天井を崩せば良かったはずだ。もちろん陵原は避けられるが、下手に警戒させるよりはずっと有用だろう。ということは、向こうは陵原に防御態勢を取らせたいが為に此処まで派手なことをしていたということになる。
「……逃げ、られた……!」
布で土煙を払うと、既にそこに蜘蛛井はいなかった。天井に開けた穴から、念動使いか何かの能力で引き上げてもらったのだろう。
(困ったな……。このまま逃げられると、色々と面倒なんだけ……、ん?)
内心でどうしようか思案しつつ穴の向こうを覗き込んでみた陵原は、そこで思わず驚愕した。
(……此処は、建物の中?)
隠し通路に入ってから、結構歩いていたはずだ。少なくとも、入口があったビルとは別の位置に辿り着いていなければおかしいのだが……と陵原は思い、そして別の可能性に思い至った。
(あ、此処、もしかして別のビル?)
だとすると、蜘蛛井の目的も見えてくる。
おそらく、あらかじめダミーだと思わせておいたビルに武力を集中させ、本命と思わせておいたダミーのビルにこちらの注意を逸らしておいて武装を強化し、油断しているこちらの横っ面を叩くのが蜘蛛井の本来の作戦だったのだろう。
結果的にその作戦は陵原の機転によって失敗したわけだが、ここで蜘蛛井が武力を充実させてしまうと、『テキスト』的にもあまり好ましい展開ではない。
(此処で、畳み掛ける!)
此処で逃がす手はないと、陵原は近くに転がっていた小さめの瓦礫片を複数放り投げる。宙に浮いた瓦礫片は座標固定によって静止し、陵原はそれに手をかけ梯子のように登っていく。
(……この瞬間が一番無防備なんだけど……)
思いながら警戒するが、どうやら向こうは武装を確保することに専念していたようだ。元はビジネスビルだったと思われる一階ロビーには既に手駒達含めて誰もいなかった。
廃ビルの割には、小奇麗な内装のロビーだ。まだ使われなくなってから間もないのかもしれない。
「……まあ、この穴のせいで小奇麗とは言いづらくなっているけどね」
適当に呟きつつ、とりあえず銃撃のリスクを減らす為に物陰に隠れながら進んでいく。
(そういえば、超城さんはこういうの上手かったよなぁ……)
頭の中で彼女の同僚(精神的には上司だが)を思い浮かべながら、陵原はどんどんと進んでいく。超城の能力は戦闘に応用できる類のものではないから、必然的にそれ以外の戦闘技術が高くなる。あの細腕にして全崩を丸腰で倒せるというのだから大したものだ。
超城は陵原が暗部に堕ちる原因になった少女なので、正直なところ陵原は超城に対して複雑な気持ちを抱いている。何で自分を巻き込むようなことをしたんだという恨みの気持ちもそうだし、殺されかけた時の恐怖の気持ちも大きい。ただ、超城は根本的なところで純粋だ。善い事は善い、悪い事は悪いと理解している。――その上で、割り切れる。
それは陵原にはない『強さ』だし、持ってはいけない『強さ』だと彼女は考えている。ゆえに、陵原はマイナスな感情とは別に、超城に対して一種の憧れじみた感情も持っていた。
「……足音は、この先の階段から聞こえるけど」
横目でちらりとエレベータを見つつ、陵原は階段へ向かう。
エレベータを動かすのは廃ビルである以上不可能だが、それが無理だとしてもエレベータの整備用通路伝いに上っていくことは可能だ。本来ならばそちらの方が安全度はずっと高いのだが、生憎とそれを行うには固く閉ざされたエレベータの扉を開ける必要があり、そして陵原にそれは不可能。
「ないものねだりをしていても仕方がない! 行こう」
小さく呟いて、陵原は階段をのぼりはじめた。
4
道中、敵の妨害が来ることはなかった。
ワイヤートラップや対人地雷などの設置型の罠も警戒していたものの、これもなし。尤も地雷の方はそもそも埋め込むことができないので実際はほとんどあり得ないのだが。
(どういうことだろう……? 戦力を温存しているのかな? 地下の攻防で五、六人はリタイヤさせていたみたいだし、敵の戦力も残り少ないのかも)
だとすると、残りの戦力の使いどころはどこだろうか?
まさか最後の最後まで温存という選択肢はあり得ないだろう。最後まで兵力を温存するということは、自分のいるところで戦闘がおこなわれるということだ。ここまでの『徹底して自分を戦場から遠ざける』やり方からして、そういった戦法をとるとは思えない。
かといって、このまま階段を上り切ってしまえば必然的に蜘蛛井のいる部屋で戦闘が繰り広げられることになる。つまり、最も可能性があるのは……、
(今、この場所!)
通路での攻撃は地下で経験しているが、今回はまた勝手が違う。縦横の幅が狭く余波の逃げ道がなかった地下と違い、階段は空間の幅も広い為余波そのものに攻撃力を与えることはできない。しかし代わりに、攻撃の余波が自分に来ることでダメージを負うということもない。
上階から複数の能力で集中砲撃すれば、いかに
座標固定でも防御できてもそれ以上ができない。攻撃点をズラされてしまえば、それで詰む。
カタタッ! と足音が聞こえる。
ばっと上階を仰ぎ見ると、階段の手すりから身を乗り出して手をこちらに向けている男達が数人。さらにその後ろを駆け下りて行く男が数人。おそらく、手を向けている男達からの攻撃に対応しているうちに別角度から攻撃してくるということだろう。
そのまま布を使った防御に徹すれば、待っているのは別角度からのチェックメイト。
ならば。
「星嶋さんが言っていたっけ。攻撃こそ、最大の防御!!」
ドガガガガッ!! !! という衝撃音が響き渡る。その源には、弧を描くように張られた布の『盾』。
しかし、その下に陵原はいない。
布の下にいるだろう陵原に後続の
手駒達が照準を合わせた時には、陵原は既に階段の踊り場近くにまで辿り着いていた。
「あなた達の弱点は、命令に忠実すぎること。『盾の下にいる私を倒せ』という命令に従いすぎて、私が布の下から出てしまったときに咄嗟の対応ができなくなってしまうこと。そして、そこに隙が出来る!!」
陵原はまだ照準を定めきっていない
手駒達のアンテナを平手打ちで次々に破壊すると、そのまま『命令通り』に布に能力を連射している男達にも平手打ちを喰らわせていく。
しかし、それに対しても
手駒達は対応できない。『命令外の事態への脆弱性』という弱点を突かれた結果、
大能力者級の戦力を持っているはずの集団はあっさりすぎるほどあっさりと、本来のスペックを発揮できないまま倒れて行く。
「クソ……、クソ!! どうなっている!? なんでこんなにも、こんなにもあっさりとボクの
手駒達が、確かに最適解は存在していた!! でも、向こうにそこに辿り着くだけのヒントは存在していなかったはず……ッ!?」
最後の階段を駆け上がると、そこには一人の少女を付き従わせているだけの蜘蛛井の姿があった。
あれほどいた配下の駒は、既にいない。
「……運が悪かったね」
そんな少年を見て、陵原は素直にそう思った。学園都市の人間には似つかわしくない考え方だが、しかしこの巡り合わせは偶然にしては悪意がありすぎるだろう。
陵原は薬物で心を壊した人員で作られた組織
死人部隊の指令組織である『テキスト』の一員だ。実際にその管理を行っている超城や指揮をとっている星嶋、その上役であり調整役の持蒲ほどではないが、それなりに彼らの弱点を知っている。そして、その下位互換である
手駒達の弱点についても、全崩や
死人部隊の齎した情報によって目星がついていた。
もしもブラックウィザードが
手駒達の弱点が暴かれた情報を共有していれば、展開はまた変わっていただろう。しかし、現実にブラックウィザードは突然の襲撃に浮き足立ち、上手く連携がとれないまま陵原の襲撃が成ってしまった。
「……あんまりこういう言い方は好きじゃないんだけど、これが『闇』ってことだよ。単純な力量や知識量のことじゃない。それを運用する為のシステムや各人の連携の時点で、この街の『闇』の色が出ているんだ。いくら力を蓄えたところで、ただのスキルアウトの次元ではその領域に辿り着くことはできないんだよ」
「……ぼ、ボクが、劣っている……」
茫然とした様子で、蜘蛛井が呟く。そのあまりの姿に、陵原は眉を顰めた。敵の戦意を削ぐ『暗部』特有の口上だが、自分自身を『暗部』の一員だと思っていない陵原としてはそれを口にするだけで自己嫌悪がしてくるし、その結果こんな風に少年の心を傷つけるのは、たとえその少年がそれをされるだけの悪人だったとしてもあまり気持ちのいいことではない。
「く、ははは。はははは!! 何を言うかと思えば……『闇』だと、辿り着けないだと……ふざけるのもいい加減にしろ!!」
そう、蜘蛛井が言った瞬間。
ゾザザザザザ!! !! と周囲の空気が不自然に渦巻いた。瞬時に陵原は彼の隣にいた一人の少女に目を向ける。
年の頃は小学生、いや中学生くらいだろうか。手入れのされていないボサボサの髪、生気のない虚ろな眼に少しこけた頬。ノンフレームのメガネは通常なら一応の理知を感じさせるはずだが、今は過去にあった理性らしきものを感じさせる程度でしかない。薄汚れたジャージには『映倫中学』の文字がある。おそらく、『こうなる』前は中学生だったのだろう。
「……その、子は」
自分の中である程度の検討をつけつつ、陵原は小さく呟いた。
自分の中で激情が渦巻くのが分かる。自分の予想が正しければ、彼女は激しい怒りを覚えるだろう。
「これがどうかしたぁ? ボクがこれを何に使おうが、キミの知ったことじゃないでしょ? ……あ! もしかして『表』にいた頃の知り合いだったとかぁ?」
「……、」
「ま、違うよね。コイツは元
風紀委員だし。暗部に堕ちるような不良ビッチとは生きる世界が違うよねぇ」
にやりと、蜘蛛井は陵原の神経を逆撫でするような笑みを浮かべるが、陵原はそんなことは問題に感じていなかった。それよりも重要なのは、
「……元、
風紀委員……?」
「そ。網枷のヤツ騙してクスリ漬けにして引きずり込んだんだけど……あの野郎、子飼いにしようとしやがって。ボクがコイツを引き込むのにどれだけ労力をかけたか分かっているのか」
後半は殆ど呟くようにして、蜘蛛井はそう言った。
「……もう、黙っていて」
それだけ言うと、陵原はドッ!! と駆け出した。
これ以上、この少年と口を効きたくなかった。こんな世界を見ていると、自分の目まで汚れていく気がした。汚れた目では、綺麗な世界まで汚れて見えてしまう気がした。
ドヒュウ!! という音とともに、少女から強風が放たれる。鋭さのあまり刃の体を成した風は、しかし陵原が広げた布に全て防がれた。同時に布で姿を隠した陵原は、固定された布を踏み台にして飛び上がり、そして少女の頭頂部に平手打ちを叩き込む。
バァン! という音が響き、手首のスナップで頭ごと吹っ飛ばされた少女は、そのまま枯れ木のように吹っ飛んだ。
それを確認することなく、陵原は即座に布を回収する。
布を手に持ったまま、陵原は蜘蛛井に向き直り言う。
「……さて、これであなたの手駒は全員倒れた訳だけど?」
「ふぅん、それはどうかな?」
ゾザァ!! と。
落ち着き払って蜘蛛井が言うと、何かが削り取られるような音が聞こえた。
「な……!?」
陵原が振り向くと、そこには先ほど倒したはずの少女が佇んでいた。
「やれ!!」
蜘蛛井の言葉に従い、少女は両腕を振った。その動きに呼応するように風が渦巻き、そして刃となって陵原を襲う。布を使わずに後ろに下がると、それだけで風の刃が勢いを失い途中で消え失せてしまった。
「チッ……やっぱり射程がネックか。精密動作については別にそこまで問題じゃないんだが……」
ボソボソと呟く蜘蛛井をよそに、陵原は大部分が怒りに覆われている片隅で冷静に戦況を分析する。能力発動から攻撃までのワンクッションの間。これはつまり……、
「……風の中に、不純物を取り込んで高圧射出することで、微小な不純物によって削り斬っている。……ウォーターカッターの原理だね。
風力使いの変種かな」
「ふうん、流石に頭は良いみたいだね。ボクのコレクションを潰しただけのことはある。正解だよ。一〇〇点だね」
パチパチと、廃ビルの一室に白々しい拍手の音が聞こえる。
「その女……
風路鏡子はちょっと特殊でね」
まるでコレクションを紹介するかのように、蜘蛛井は言う。
「ソイツは網枷に騙されてクスリ漬けにされたんだけど……どうにも、網枷はソイツに対して独占欲を働かせていたらしいんだよ。お陰で、今の今までソイツは網枷の傍仕え。……本当はボクの管轄になる契約だったのにね。まあ、それもこの混乱に乗じて奪ってやったから帳消しにしてやるつもりだけどさ」
「つまり……」
「そう。その女は
手駒達じゃない。クスリ欲しさに『自主的に』ボクらの活動に協力してくれているのさ。それ、その証」
蜘蛛井はそう言って風路の首に巻かれた黒いチョーカーを指差す。陵原には、それが首輪のように見えた。
「ハハッ、
風紀委員が聞いて呆れるねぇ?」
「違う!! そんなのは『自主的』なんかじゃない!! ただ無理矢理薬物で心を壊して従わせているだけでしょ!?」
「だったら何だよ。クスリだろうがなんだろうが、結局のところコイツの『正義』ってのは『その程度』で壊れちまう程度のモノだったんだろう?」
「この……ッ!!」
そう言って笑う蜘蛛井に、陵原は思い切り歯を食い縛る。
そんなのは詭弁だ。徹底的に薬物漬けにされていて、理性を保つことができる方がおかしい。それを分かっていて、蜘蛛井はこの少女が大切にしていたものを嘲笑っているのだ。
風紀委員に志願するまでに大切に温め続けていた、この少女の善性と呼べるものを。踏み躙り、嘲笑い、そしてこうまでして穢し尽くす。
「何で、ここまで……」
「うん?」
「何で!! 何でここまで酷いことが出来るの!? 確かに私達だって同種の汚さを持っている!! 他人のことなんて言えない!! でも、あなた達は『闇』の人間じゃないでしょう!? なのに、必要に駆られたわけじゃないのに、どうしてここまで酷いことができるの!?」
「何故って……」
蜘蛛井はいっそきょとんとした表情を浮かべ、
「だって、それが一番効率的じゃないか。キミらの言う『闇』だって、そうして合理性を求めた先に生まれたんじゃないのかい?」
「……!!」
「……何だい何だい。もしかしてこの『道具』に同情しているの? だとしたら一つ面白いお話を聞かせてあげようか。コイツの兄貴の話をさ」
「……兄……?」
「くく、傑作だよ。コイツの兄貴は、『こう』なった妹の姿にショックを受けてくだらない復讐をしているんだけどね。まあ実際のところブラックウィザードにも被害は出ているわけだが、そんなものは微少なものさ。全体の動きには全く問題ない。……チンケだよねえ! スケールも小さければ発想も小さい!
無能力者らしい劣等な発想だよ! 未だに風路を元の状態に戻すことを諦め切れていないみたいだけど、そんなものは無駄でしかないねぇ、本当に愉快だよ!」
けらけらと、蜘蛛井は笑う。
「キミさあ、さっきから暗部の人員とは思えないほどに青臭い理想ばっかり語っているけど、もしかして暗部の中でも変わり種だったりするの? 他人は殺せませ~ん、みたいなさぁ」
「……、……だとしたら、何?」
「……いや、別に。ただ、この後どうするんだろうなぁ~って思ってね。頼みの綱の『アンテナ攻撃』は効かないっていうのに、そのボロボロの布でこれからどうするんだい?」
言われて、陵原ははっとした。
……布に、僅かだが切れ目が入っている。
「物体を固定する能力だったか。分子レベルの固定だからなのか物体の強度も増しているみたいだけど、当然その『物体を固定する力』を上回る力で攻撃すれば、少しずつではあってもダメージは通るよねえ? あと何回耐えられるのかな? そして、どうすれば殺さずにこの場を収められるのかな?」
「……、」
蜘蛛井の問いかけに、陵原は答えない。いや、答えられない。
その事実を認識した蜘蛛井は、ただでさえ浮かべていた笑みをさらに凄惨なものにして言う。
「こ、た、え、は、不可能で~す!! 無理だろ。不可能に決まっているだろ! キミらみたいな闇に堕ちた負け犬はなあ、真っ黒に汚れた方法でしか場を収めることができないんだよ!! ははははは!! クソ、何だこれ。面白すぎだろ!! まさかこんな状況でこんな面白い茶番が見れるなんてね!! ……おい、風路!!」
「ぐ、ううぅ……」
叫ぶように呼び掛けると、風路は虚ろな瞳に辛うじて意思らしきものを浮かび上がらせて呻く。
そして、人形遣いは人形に一つのシンプルな指示を送った。
「やれよ人形。所詮、
人形じゃ世界は変えられないってことを教えてやれ!!」
「ぐ、うぅ、あ、ァァああああああああああああッッ!! !! !!」
そして、絶望的な戦いが始まった。
5
「……ったく、調子が狂うぜ……」
そんなことを言って、白髪の青年全崩は窓の外を眺める。
彼の足下には、無傷のまま倒れ伏している男たちの姿が確認できた。
「向こうのキング様も、この俺様に手駒達が通用しないっていうのは気付いていなかったのかぁ? コッチならそういう情報は早々に共有できそうなもんなんだがな……。まあ、そのへんはスキルアウトの限界ってところか。まあ、使えるうちに使いまくらせてもらうがよぉ」
手の中には、『コントローラ』。
全崩はこの機械によって手駒達に指令を送っている電波にジャミングすることで、彼らを一方的に無力化できるのだった。
「んで、次の仕事がアレ、と……」
彼の視線の先には、向かいのビル。
いや、正確には、その窓の中で依然苦戦を続けている陵原の姿。
「……アレと戦ってる、ヤク中のお嬢さんを銃で撃ち殺せ、か。……まあ無理な相談じゃあねえけどよぉ。仕方ないとはいえ、こういうのは面倒くせえモノがあるなぁ。……自業自得なのは分かってるけどよぉ」
ブツブツ言いながらも、全崩は長距離用ライフルのスコープに目を当てる。
向こうも向こうで狙撃対策は怠っていないようだが……全崩の能力の前では意味を成さない。
二重衝撃。
モノの衝突などで起きた衝撃などを同じ場所で繰り返し起こす能力。
それを利用すれば、銃弾の威力を二倍に引き上げることだって理論上は可能である。相手が『まともな防護策』で対応している限り、全崩の攻撃を破ることはできない。
と、唐突に全崩の懐から女の声が響く。
『……すまんね』
「う、うおぉっ!? ほ、星嶋!? なんだいきなり! まだ俺は何もやらかしてねぇぞ!?」
『……違う。謝りたかったんばい』
「……それこそいきなり何だよ。テメェの『ファイブオーバー』じゃ火力が強すぎて、あの女個人を殺すのは難しいじゃねぇか」
『荷電粒子砲はね。やけど、機体後部に備わっとるガンタンクば使えば話は別ばい。動力に電気ば用いておるから、電力量ば調整すれば対人レベルに威力ば落とすことだって出来よるんばい』
「だとしても、テメェと陵原のヤツは仲が良いだろ。そのテメェが風路を殺したら、今後のチームワークにひびが入る恐れがあるっていう判断なんだろ。その点、既に好感度が最低レベルの俺なら、いまさら何をやったって変わらねぇってわけだよ。納得しているし、何も謝ることなんかねぇよ」
『……それでも、すまん。ありがとう』
無線機との間に、気まずい沈黙が漂う。
「……チッ! あーもう面倒くせえ! そんなに悪りぃと思っているんなら、一発ヤらせろよ! テメェのその巨乳は一度抱いてみてぇと思っていたんだよ!!」
『……ッ!? だッ……、』
無線機越しの星嶋はそんなゲスとしか思えない発言に思わず言葉を失い、
『………………、……分か、』
「クソったれ!! 悩んでるんじゃねぇよ!! そこは『ちょっと気を許したらコレか本当にゲスだなテメェは』って言うところだろうが!! コレじゃ俺が弱みに付け込んで体を狙うゲスみてぇじゃねぇか!!」
実際のところそれと大して変わらないゲスということはあえて考えず、全崩は頭を掻きむしりながら通信機に吐き捨てるように言う。
「言いてぇことはそれだけか? それなら通信切るぞ。こっちもそろそろ出番が来そうだからなぁ」
プッ、という切断音で、通信は終わった。
改めてスコープに目を当てながら、全崩は小さく呟いた。
「……だから調子が狂うんだ。人を殺して誰かに感謝されるなんてのはよぉ。そんなのは俺の生きてるこのクソッたれな世界とはジャンルが違うんだよなぁ」
6
「がァァァあああああああッッ!! !! あああああああああ!! !! !!」
「くっ……!」
風路の猛攻は、とどまるところを知らなかった。
否、違う。反撃のチャンス自体はいくつか存在していた。しかし、陵原はそのチャンスを生かすことができなかったのだ。
(反撃したら、この子を殺してしまう……!)
なまじ相手が強すぎたのがいけなかったのか。
もはや、陵原に手加減をしている余裕などなかった。やるなら、一撃。それも確実に相手の息の根を止めるような方法しか残されていなかった。
そして、
陵原宮雹という少女にとって、自らの意思に関係なく無理矢理この暗闇の世界に堕とされた少女の生命を奪うというのは、絶対に許容できる行為などではなかった。
「はは、ははは! どうした女! ボクのコレクションを潰した手腕は評価するけど、そんなんじゃ全ッ然届かないよ!? くそ、まったく期待外れだ! 何だよ何だ、大したことないじゃんこの街の『闇』ってのもさぁ!!」
蜘蛛井の哄笑が響き渡る。しかし、風路を殺すことができない陵原に、現状を打破する方法などなかった。
「ほら、さっさと反撃に出ないと、お得意の『盾』も限界なんじゃないかなぁ!?」
「……!!」
これもまた図星だった。もはや、布切れによる『盾』ではあと一〇発攻撃を防げるかどうか。このままでは、防御する術を失った陵原は文字通り少しずつ自分の体を削られるような戦いを強いられることになり、そして最終的には――殺されるだろう。
(……ッ、どう、すれば……? もう、諦めるしかないの?)
思わず、挫けそうになる。
暗部で活動しているとはいえ、陵原は本質的には表の世界に生きている学生とそう変わらない精神性を持つ。そうなるように、努力してきた。どんなに心の裡に歪みを抱えようとも、それだけは絶対に崩さないで生きてきたのだ。
そんな精神が、ここに来て仇となった。『表の世界に生きている学生』というのは、別に『死んでも人死にを避ける様な強靭な善の心を持つ人間』ではない。当然、何かの拍子に、自分が死にそうになれば人を殺すことだって出来てしまう。
(蜘蛛井の言うように、闇に堕ちた人間は負け犬らしく、クズのような最低の解決法でしか、場を収めることはできないの……?)
脳裏に、ツンツン頭の少年が浮かんだ。
堕ちる。
(い、やだ)
状況がより悪い方向に、ではない。もっと本質的な部分で、陵原宮雹という人間が、その心が、堕ちる。
(たすけて。こんなのいやだよ。だれかたすけて、とうま、とうま、とうまとうまとうま……)
どんなことがあろうと、アマちゃんだと言われようと、それでも保ち続けてきた矜持が、今、まさに崩れようとしている。
そんな瞬間だった。
『宮雹』
陵原の耳元につけられている無線機から、声が聞こえた。
「持蒲、さん……?」
陵原は、反射的にそれを救いの声だと確信していた。
持蒲鋭盛という人間は、陵原にとって端的に言うと『救いの手』である。闇の一端を覗き、死ぬしかなかった自分の運命を捻じ曲げてくれた人。それだけじゃなく、自分が光の世界に戻る為に、必要な舞台を作って来てくれた人。
今までだって、この暗部の世界で陵原が自分だけではどうにもならない場面に出くわしたことはあった。だが、そのたびに持蒲という人間は陵原が思いつかないようなとんでもない解決策を引っ提げて来てくれた。まるで物語のヒーロー……いや、それ以上の、登場人物を正しく導いてくれるストーリーテラーのように。
『お前は何を勘違いしているんだ』
「……え?」
だからこそ、陵原は最初、自分が何を言われたのか理解できなかった。
だって、持蒲はいつでも陵原のことをやさしく導いてくれる存在で、その声色はいつも優しいもののはずで、……今の持蒲の声は、
死人部隊に指示を出す時のような、冷たくて薄っぺらな響きだったから。
『いいか、宮雹。お前は一つ勘違いしている。……「あれ」はもう、手遅れだ。もう戻れない。
死人部隊と同じ。あれはもう、心臓が動いていて、脳が活動しているだけの肉人形。お前が考えているような人間性を備えた存在ではないんだ』
「……、」
つまり、それは。
『宮雹。お前があの人形を殺せない理由は何だ? 風路鏡子という存在への同情か? それとも、あんな風になった彼女をこれ以上傷つけたくないという気持ちか?』
他でもない持蒲からの助けが得られないということは。
『……違うだろう。お前だって理解しているはずだ。――お前は、風路鏡子の境遇を自分と重ね合わせている。自分ではどうしようもない事情によって、世界の闇に落とされた風路鏡子に、自分の境遇と似たようなものを見出している』
それよりも馬鹿で、駄目で、弱くてどうしようもない自分では、彼女を助けられなくても
仕方ないということで。
『だが、それはつまらない感傷だ。アイツはお前とは違う。風路はもはや手遅れだが、お前はそうじゃない。お前はまだやり直せる。今は無理でも、いずれは元の世界に戻ることができるんだ。ここを読み間違えるな。本質を見誤るな。――それは、ただの人形だ』
持蒲の声が、陵原の心に染み渡る。
持蒲は、元は凄腕の研究者だ。能力開発の分野では名の知れた人材だったということもあり、その話術は一種の洗脳とまで言われるレベルに達していると言われている。その技術を併用しているのだろう、陵原は、持蒲の言っていることが全て正しい事のように思えた。
結局、持蒲は業を煮やしただけだったのだ。いつまでたっても任務を遂行しない、甘い陵原の背中を押す為に。一つの悲劇に気を取られて、さらなる悲劇を生み出さない為に、こうして持蒲は、自ら汚れ役を引き受けて、陵原を別の形で救おうとしているのだろう。
あるいは、風路は本当に手遅れで、こうして命を終わらせてあげることが彼女にとっては本当の意味での救いなのかもしれない。
『……それでも決心がつかないというのなら、仕方がない。今向かいのビルから全崩が狙撃を試みている。少しの間だけヤツの気を引けばいい。あとは、全崩がやってくれる』
……そう、今までと同じ。趣向がちょっと違うだけで、結局陵原は守られる。『人殺し』という最大のタブーを犯さず、光の世界に戻る資格は失わないで済む。
分かりやすい憎まれ役に、汚れ仕事を押し付けて、そして自分だけはちゃっかり手を汚さず、痛い思いもせず、善人面をしていられる。
今までと、同じ。
脳裏に、ツンツン頭の少年が浮かんだ。
「……違うよ」
それで、良いのか?
『……? 宮雹、どうした?』
「違う。持蒲さん。あの子と私は違うって言っていたけど、それこそ違うよ」
確かに、このまま行けば陵原はいつも通り、お膳立てされた環境で、少しの罪悪感と引き換えにその心を守ってもらえるだろう。
「まだ手遅れなんかじゃない」
……だが、それが本当に『正しい』結末なのか?
蜘蛛井は言った。風路の兄は、未だに行方不明の妹の存命を信じ、死に物狂いで、必死になって彼女を救おうとしていると。
手駒達は、
死人部隊と違い、完全に心を壊されているわけではない。僅かながら自我が残っている。人形なんかじゃない。現に、風路は苦しんでいる。苦しんで苦しんで……それでもまだ苦しみ続けている。
「あの子と私は、同じ」
いきなり訳も分からずに恐ろしい世界に押し込まれて、生きる為に命がけでさらに恐ろしい仕事を続けなくてはならない。
そんな境遇に置かれているのは、風路も陵原も同じことだ。
「違いは一つ。……そんなときに温かい手を差し伸べてくれた人が、いたか、いないか」
全崩に苛められていた日々は地獄のようだった。それこそ、心が折れてしまいそうになるほどに。
でも、そんなときでも、暗部に堕ちたみじめな少女でも、手を差し伸べてくれる人はいた。
ヒーロー。
きっと風路だって、そんなヒーローに出会っていれば、今よりももっとまともな境遇にいられたはずなのだ。
逆にいえば、陵原だってあのときヒーローに出会っていなければ、今頃は彼女のような、今の自分よりも遥かに低い地点にいたのかもしれない。ひょっとしたら、耐えきれずに発狂して、そのまま
死人部隊になっていたかもしれない。
ならば。
『ただヒーローに出会えただけの少女』は、『ヒーローに出会えずに今まさに破滅しようとしている少女』を目の前にして、一体何をすべきなのか?
『おい、宮雹……!!』
「ありがとう、持蒲さん」
きっと持蒲は、別に陵原を叱咤激励しようとしたわけではないはずだ。本当に、彼女の負担を少しでも軽くするために、都合のいい『罪悪感の逃げ道』として機能しようとしていただけ。『持蒲さんが駄目だって言っているんだから、諦めたとしても私に落ち度があるわけじゃない』という、分かりやすい免罪符を用意してくれようとしていただけ。
だが、陵原はその安易な逃げ道に流れなかった。
たとえそれがどれだけ険しい道のりであろうとも。それでも、命がけで『アマちゃん』を続けるのだ。
「……覚悟は、決まった」
きっと、彼女を救ってくれたヒーローも、同じような状況に立てば同じ決断をしたはずだから。
「……さっきから、何やら相談しているみたいだけどさぁ……。もしかして、向かいのビルからの銃撃を期待しているのかなぁ? それなら残念でしたぁ! いくらなんでも、狙撃対策を怠っているわけがないだろう? 結局さあ、チェスの勝敗を決めるのは君たちのようなチェスの駒以下の人形じゃなくて、ボクらのようなプレイヤーなんだよねぇ!! 人形がいくら頑張ってみたところで、世界はなんにも変わらないって、いい加減ご理解していただけちゃったかなぁ!?」
「違う!!」
あの日の光景が、陵原の脳裏によぎる。
あの時も、そうだった。世界の闇だとか、どうしようもない仕組みだとかを高らかに歌い上げた全崩を、彼は真っ向から否定した。
「確かに、世界はどうしようもないことで溢れている。私なんかが一人で頑張ったところで、結果は見えている。世界にはご都合主義なんかなくて、そんなことは誰もが分かっていて、私のしていることなんてただの子供の駄々こねにしかならないかもしれない」
確かにこの世界は辛い事ばかりかもしれない。中にはどうしようもない理由から闇の世界で過ごしている人だっている。そんな連中からしてみれば、俺の言っていることは現実を知らない馬鹿の言葉かもしれない。
「でもそれは、戦う権利を取り上げるものなんかじゃない。結果が見えていたって、精一杯世界を見返す努力をしちゃいけないなんて理由にはならない」
……でも、そこで終わらなかったヤツだっている。俺は、そんなヤツを知っている。どうしようもない状況に置かれても、命をかけて大事な大事な日常を守ろうと、死にそうな目に遭ってまで戦えるヤツを知っている。
「堕ちた人間が、足掻いて足掻いて足掻きまくっちゃいけない理由にはならない。その権利を否定できる理由になんか、絶対にならない!!」
テメェなんかに、最初から諦めて、分かった風にこの世界のことを語るヤツに、そんなヤツらを見下す資格なんか、これっぽっちもねえんだ。
「……もしもあなたが、それを否定するって言うのなら。努力の価値をあざ笑うって言うのなら」
もしもテメェが、それでもそういう人間を馬鹿にして、はなっから見下しているって言うんなら。
「――まずは、」
その幻想を、ぶち殺す。
7
「な、にが」
蜘蛛井は、そんな陵原の宣言を前に、ぼそりと呟いた。
その声は、震えていた。
圧倒的有利であるにも関わらず。
「なぁーにが『その幻想をぶち殺す』だぁ!! キミの抱いているそのくっだらない妄想こそが世間一般じゃあ『幻想』って呼ばれるんだよ!! 分かってないなぁ、全ッ然分かってない!! この状況、誰が王者で! 誰が弱者なのかってのをさぁ!!」
「そんなの、どうでもいい」
口角泡飛ばす勢いで叫ぶ蜘蛛井の言葉を、陵原はその一言で蹴散らした。
もはや、迷いはない。
やるべきことは分かっている。なら、状況がどうだろうと関係ない。
ただ、風路鏡子をこの闇から救い出す。
その一点さえ見えていれば、どんな困難があろうと迷わずに突き進むことができる。
「この子を闇から救うのに、誰が王者だの誰が弱者だのなんて判定は必要ない」
「……っっ!! !! ハッ!! じゃあ、さっさと殺されるんだなぁ!! キミが救うって言った、その風路鏡子自身にさぁ!!」
蜘蛛井のセリフと同時に、風路の周囲から風が生まれる。
粉塵を巻き上げたその気流は、ウォーターカッターのように少量の不純物を混ぜ込みながら高速で陵原を切り刻もうと突き進む。
「……!」
それに対し、陵原は布を広げて盾にする。
今までと同じ光景。
それを見た蜘蛛井は、満足げな笑みを浮かべながら叫んだ。
「それ見たことか!! 結局は口だけじゃないか!! あとその盾は何回使える!? それが終わればタイムリミットのカウントは始まるぞ!! お前の能力は物体の座標を固定する能力だ!! なら、固定するものがなくなればお前の身を守るものはなくなる!!」
事実、蜘蛛井の言う通りだった。
陵原では風路に対し手加減をすることができず、攻撃なんてしようものなら問答無用の即死攻撃くらいしか使えない。
しかし一方で、陵原は風路が生存する結末しか認める気はない。
殺せないのに、殺すことでしか勝負に幕を下ろすことができないのだ。当然、そんな勝負に勝てるはずがない。
「なら、そんな勝負はしなければいいんだよ」
陵原は、そんなことを小さく呟いた。
陵原の覚悟は、既にあのとき決まっていた。
風路鏡子をこの手で救うと決めたその時、陵原宮雹にとっての『戦う相手』は、既に風路ではなくなっていたのだ。
ならば、当然、起こす行動は一つ。
「ほらほらぁ!! どうしたどうした、救うんじゃなかったのかぁ!? ヒーロー気取りの偽善者がぁ!!」
蜘蛛井、風路、陵原は、ほぼ一直線に並んでいる。
風路は蜘蛛井を守るように立っていて、陵原はその風路からの猛攻に成すすべもない。
だが。
最初から、戦う必要なんてなかったのだ。
「……救ってみせるよ」
陵原が、思い切り地面を蹴って走り出す。
直進。
蜘蛛井は一瞬、その行動に虚を突かれた。が、すぐにその軍師としての優れた才能を発揮してその企みを見破る。
「……ハッ!! 短期決戦ってわけかい! そうだよねぇ、キミは放っておいたら自分の武器を失う。それなら、その前に風路に直接攻撃をくらわせてダウンさせるのが一番手っ取り早い!!」
陵原は、何も言わない。
「でも残念だったねぇ! このボクが今までの戦闘を見た判断で言わせてもらうと、至近距離から風路の能力を浴びれば、キミの『盾』では攻撃を完全にカバーしきれなくなる! キミが風路を打ち破ることなんて――」
バッ!! と。
風路を目の前にした陵原は、布を風路にかぶせた。
「風力切断は、空気中の細かな不純物を気流と一緒に高圧射出する能力。当然、高威力を保つ為には絶妙なバランスが必須になる。……そんな中で突然気流を乱され、自分自身が布で外気と遮断され、しかも私の能力で固定されたら、一体どうなるかな」
「……!!」
当然、こんな手を使っても意味はない。
風路の能力は彼女の体から発露するものではない。確かに視界はゼロとなるが、風路がやたらめったらに攻撃をしてしまえばこの策はあっさりおじゃんになる。その上、咄嗟のことだったので布に能力は使っていない。攻撃されたらその瞬間にズタボロにされて、意味を成さなくなる。
だから、陵原の目的はそこではなかった。
風路が拘束されてから、視界の悪さを気にせず能力を撃ちまくるまでのわずかな時間。
それを用いて、陵原は風路の脇を走り抜けた。
「な……、」
「倒すべきは、最初から風路鏡子ではなかった。……私が倒すべき相手は、最初から分かっていたんだ」
陵原が狙っていたのは、最初からこれだった。
人形から人形遣いへの、反逆。
「これで、あなたを守る存在は何もなくなった」
背後で、風路が布を引き裂く音が聞こえる。しかし、陵原はそれを気にも留めなかった。
風路鏡子の風力切断は、高威力だが照準および射程能力がきわめて低い。
こんな至近距離で能力を使おうものなら、陵原もろとも蜘蛛井も切り刻まれてしまう。……いや、陵原の方は能力でいくらかダメージを軽減できるから、蜘蛛井だけが具体的なダメージを受けることになる。
つまり、風路は使えない。
だが、蜘蛛井は余裕を失わない。
「……残念だったね。ボク自身が自衛手段を持っている可能性に、どうして思い至らなかったのかなぁ?」
蜘蛛井の手にされたものを見て、陵原は思わずギョッとした。
何のことはない拳銃だ。しかし、その拳銃は当たり前のように陵原を撃ち抜き、殺すことのできる道具でもある。
ここに、陵原の未熟さが露呈した。
彼女は、何だかんだ言っても結局のところは『表』の学生の精神性を保っている。だから、『暗部』特有の『策を多重に仕掛ける』戦法に対して、耐性がない。相手が大々的に喧伝している戦法こそが最大にして唯一の戦略だと、勝手に勘違いしてしまう。
「見たところ、キミの能力は目視で発動している。なら、初速が音速を超える銃弾の着弾地点にちょうど良く能力をかけることなんてできるのかなぁ?」
それが、死刑宣告になった。
蜘蛛井は躊躇なく拳銃の撃鉄を起こし、
「……え?」
スカン、とその銃身が綺麗に切断された。
カラカラと、あっけない音を立てて、切断された銃身が転がっていく。
静寂が、その場を支配した。
「……ない」
それは、小さな呟きだった。
しかし、同時に確かな宣言だった。
「……この人の『幻想』は…………殺させやしない」
闇に堕ちた人形の、反逆の狼煙だった。
「ふ、風路、鏡子……っ!?」
「ば、馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ……!? 何故、何故風路が!? 反逆の意思なんて叩き潰したはずなのに!! いや、そもそも、今の風路に拳銃だけを狙って切り落とすようなスペックは存在しないはずなのにィィいいいいッ!? !? !?」
なんということはない話。
闇に堕ちた人形だって、ヒーローになれたんだというだけの話。
その現実を認識して、陵原は思わず口元に笑みを浮かべてしまった。
(これが……そうなんだ)
目に、力を入る。疲労したはずの肉体に、活力が漲ってくる。
やることは一つだ。
拳を振り上げ、恐慌のあまり身動き一つとれていない蜘蛛井を見据える。
(この景色が、誰かを救うってことなんだ。『あの人』の立っていたステージなんだ……!!)
その意味を今一度噛みしめて。
少女は、ちっぽけな幻想を守る為に拳を振りおろした。
8
「……そう、か。蜘蛛井と風路は『表』の人間に保護されたか」
下っ端からの報告を聞いた少年は、そう呟いて報告した下っ端を下がらせた。
目のあたりまで前髪を下げた、どこか近づきがたい、陰気な印象のする少年だ。学生服の胸元を
ワイルドに開いているが、不思議とそういった姿が似合っていないちぐはぐさを感じさせていた。年の頃は、大体一五歳程度だろうか。大人と子供の境目、といった形容がよく似合っていた。
下っ端を下がらせ、一人になった少年は思う。
まさか、暗部の人間と戦っていながら『表』の人間に確保されるとは。
向こうの策に引っ掛かった結果なのか、少年が想定していた全ての状況と異なる幕引きに、彼は戸惑いを隠せなかったが……しかしながら、とある少女の顛末に関しては一抹の安心感を覚えていた。
そして、それ以上の喪失感も。
風路鏡子。
彼女を『闇』に引きずり込まれることになった原因は、この少年にあった。
(風路が蜘蛛井に身柄を確保されたと聞いた時は、ついにやられたかと思ったものだが……、……まあ、この結末は最善でないにしても『次善』程度ではあるか……)
とはいえ、『テキスト』に処理されなかったのは僥倖だ。『表』の警察組織相手ならば、ブラックウィザードの組織力でいくらでも相手にすることは可能なのだから。
(『あれ』は、俺のものだ。蜘蛛井には渡さないし、当然『表』に戻るなんてことも許さんさ……)
心の中で、少年は暗い笑みを浮かべる。
ハッピーエンドを認めない者。
この世界では、そんな人間がたくさんいる。プラスで終わったはずの物語にケチをつけ、その結末に後ろ脚で泥を浴びせかけることを良しとする者。そんな存在のせいで、この世界には多くの悲劇が生まれてきた。
「あのう……」
「…………お前か。何の用だ」
そんなことを考えていた少年の背中に、少女の遠慮がちな声がかけられた。この少女のことを普段から快く思っていない少年は、どこか声色が硬くなる自分を自覚しながらも振り返る。
茶色い髪をボブカットにした、小柄な少女だった。ブラックウィザード構成員の殆ど全員に共通する特徴である『黒い服装』として金色の刺繍が成された黒いジャージを着ている。小動物のような印象の少女だが、それとは対照的に太股の大部分が露出するような形状のダメージジーンズが少女にどことなく扇情的な印象を与えていた。
ブラックウィザードの幹部ではない、一般構成員の一人だ。
幹部でありブラックウィザードの『ボス』の補佐役を自認している少年とはまさに天と地ほども権力に差があるのだが、学園都市の『闇』と対峙している今に限っては、地位に限らず能力のある人間は奔走しているのが現状だった。
尤も、この少女に限っては突然の事態に右往左往しているだけという印象が強いように少年は思っているが。
「蜘蛛井さんが、
警備員に捕まったって……」
「その話か。それなら聞いている。伝令なら足りているから持ち場に戻れ」
少女の話を最後まで聞かず、少年はいらだたしげに舌打ちをした。
(ここまで情報伝達が拙いとはな。……まあ、基本はスキルアウトだ。訓練された軍隊のような統率がとれた行動がとれるはずもない、が……。……これはどうにかしなければ……。情報伝達は組織の生命線だ。それがこの有様では、これからの作戦行動にも支障をきたすおそれがある)
「い、いやそういうわけじゃなくてですね」
考え込む少年にどこか気後れするように、少女はおそるおそる切り出す。
「……風路さんは、どうなったんですか」
「……、」
少女の言葉に、少年は僅かに黙り込んだ。
目の前の少女は、薬物中毒者である風路とコミュニケーションがとれる数少ない存在だった。風路も彼女には従順な態度をとる節があり、それこそ少年が少女を嫌う最大の理由でもあったわけなのだが……。
「風路なら、
警備員に保護されたと聞いたな」
忌々しげに、少年は呟く。少年にとって風路鏡子は彼自身の所有物であり、ゆえに自分以外の存在に従順な態度をとるのは気に食わないし、自分の手から離れることなど絶対にあってはならないことだ。
そんな風に考えているからか、少年は少女の目元が安心で若干緩んだことに気付けなかった。
そして、こんなことを言ってしまった。
「……だが、すぐに取り戻すさ。こんな結末は許さない。『アレ』は俺のものだ。他の誰にだって渡さない。それが公権力だろうと、『ブラックウィザード』には関係ない」
「……、」
「何だ? その顔は。お前だって、『薬物中毒になって正常な判断能力を持たない』風路を可愛がっていたじゃないか。その現状を甘受していたじゃないか。それが今更、正義面する気か? ……おめでたいヤツだな」
「そうじゃない!」
少女の表情が優れないことに気付いた少年の詰問を、少女は頭を振って否定する。
「……すみません。出すぎたことを言いました。……自分の持ち場に戻ります」
「そうすると良い。今は非常時だ。上手く立ちまわれば、お前なら『
手駒達のコントローラ』という蜘蛛井のポジションを継承して幹部に昇格できるかもしれないしな」
少女がそんな展開を望んでいないと知りつつ、あえて少年はそう言って少女の精神を削る。
少女が立ち去ったのを確認した少年は、直前までの自分の精神状態を思い返して少しだけ反省した。
「……駄目だな。風路を一時的とはいえ失ったのに加えて、あの女が現れたことで少し気が立っていたか。これでは作戦立案に支障が出かねない……」
ブラックウィザードは、元々一枚岩ではない。
潜在的な反乱分子はいくつも存在していたし、あの蜘蛛井も全体的な分類としてはそういうものだった。他にも構成員のうちの何割かが既に命惜しさに反旗をひるがえしているという。こうした突発的な動きは恐れるに足らないが、問題はそういった勢力を利用して指揮下に置く幹部が出てくることだ。今のところ幹部はきちんと与えられた持ち場を全うしているようだが、このまま戦況が悪くなれば反旗を翻す可能性もある。その可能性は、常に考慮し続けて行かなくてはならない。
だが、こんな状況で反乱に警戒し続けて行くのは精神的にも能力的にも大きな重圧となる。
「……まずは、前々から目星をつけておいた反乱分子か」
ならば、裏切られる前に裏切れば良い。
一時的な戦力としてはマイナスだが、全体的な作戦を円滑に進めることを考えれば、最終的にはプラスになる。
「それが終われば、風路だな」
そう言って、少年は笑みを浮かべた。
偽りのキングが盤から離れても、ゲームはまだまだ続く。
最終更新:2013年02月25日 17:06