第23話「氷の葬列《ブローズグホーヴィ》中編」
時は遡り、11月3日 早朝
―――吸血殺しが、欲しい。彼女を、誘拐しろ―――
アーロンはリーリヤからの指令に眉一つ動かさなかった。
イルミナティの幹部たちがここに来ているのは知っていたし、誰かが自分に接触してくるのも予測済みだった。
自分がいるこの学校は一見すると普通かもしれない。しかし、幻想殺しの上条当麻、彼の保護下にある禁書目録、吸血殺しの姫神秋沙…と、
魔術サイドの人間なら決して放置出来ない存在がゾロゾロといる。そして、それらの監視のために自分の様なスパイが大量にこの学校に入り込んでは排除される光景が繰り返されている。
「それで、随時連絡する。手はず、通りに…」
リーリヤの周囲に大量の冷気が集まり、瞬時に霊装ブローズグホーヴィが形成され、リーリヤは形成されると同時に霊装に跨る。
そして、その重量からは予測できない飛躍的な跳躍で屋上から去っていった。
「どっちかが男の子だったら、やる気が湧いて来るんだけどねぇ」
アーロンはそう呟くと、リーリヤから受け取った通信用の霊装をポケットに入れた。
そして、反対のズボンのポケットから携帯電話を取り出して、何者かに電話をかける。
「私よ。持蒲ちゃんの言う通り、一人接触してきたわ」
『そうか。すっかり“二重スパイ”が板についたな。アボット』
「ええ。お陰さまで」
アーロン=アボットは当初イルミナティのスパイとして学園都市に侵入した…が、わずか2週間で拘束された。しかし、あれほどまでに目立つ様相、言動にもかかわらず2週間も学園都市で活動を続けた彼のスパイとしての手腕を学園都市側は高く評価し、彼に二重スパイの契約を持ちかけた。イルミナティのスパイを続けていると思わせて、逆に学園都市のスパイとして活動する。今までいた組織に対する完全な裏切り、そして学園都市への寝返りだった。
アーロンに選択の余地はあった。科学と魔術の不干渉が徹底されていた当時、学園都市は魔術師を追放処分、または然るべき魔術サイドの機関に身柄を預けて処分を委ねるという方針だった。契約を断っても殺されはしない。
しかし、彼は契約を結んだ。何の躊躇いもなく、即答で。
『で?誰が接触してきた?』
「リーリヤよ。姫神ちゃんが欲しいみたい。『誘拐してこい』って言ってきたわ」
『なるほど…。吸血殺しか…。三沢塾の一件といい、彼女も難儀な人生だな』
「本当にそう思うわ。吸血鬼を求める人間がいる限り、彼女の生涯に平穏は無いでしょうね」
『とりあえず、こちらが指示を出すまで普段どおりにしてくれ』
「なるべく早くお願いね。あの子、見かけによらず短気なところがるから」
『ああ。努力する』
そう言って持蒲は電話を切り、アーロンもそれを確認して電話をポケットに入れた。
「さ~て。授業の準備♪準備♪」
シリアスな面持ちを全て払拭するかのようにアーロンは鼻歌を歌いながらスキップで校舎の中へと戻っていった。
アーロンは放課後のHRが終わったのを見計らって、姫神を呼び出した。
持蒲から電話が来たのだ。作戦も自分が関わる断片的な部分だけ聞かされた。彼の役割は姫神秋沙を人目から遠ざけ、リーリヤが倒されるその時まで自分の管理下に置くこと。
そして“都合のいいことに”今日の昼ごろ、小萌が外出している間に以前から姫神を狙っていた研究施設から電話が入り「実際に彼女と会って話がしたい」と言いだした。
これはチャンスであり、利用する外ない。アーロンは小萌の許可なく独断でそれを承諾した。
担当クラスでもない生徒のことを勝手に決めるのは教師としてどうかと思ったし、後で大目玉くらうことも覚悟したが、仕方のないことだと割り切った。
そして放課後のHRが終わった直後に姫神を呼び出し、彼女を応接室まで案内した。
「ところで。お客様ってどんな人ですか?」
「可愛いわ。可愛らしくて、ちょっと困ったお客さんなの♪」
そう言うとアーロンは応接室の扉を開けた。
「失礼します」と一言入れて姫神が入り、その後にアーロンが入って扉を閉めた。
そして、彼は姫神の背後で含みのある笑みを浮かべながら、扉に鍵をかけた。
応接室に入った姫神の目に映ったのはソファーに鎮座する熊のような男だ。立派な髭が目立ち、筋肉を無理やりスーツに押し込んだような身体をしている。
(可愛い…?)
自分の中にある「可愛い」という概念からかけ離れた姿に姫神は首を傾げる。
「ささっ。姫神ちゃん。座って」
アーロンに促され、熊男の向かって左前に姫神が座り、彼の真正面にアーロンが座る。
「お待たせしてごめんなさ~い♪」
「いえいえ。大丈夫ですよ」
見た目通りの野太く威厳のある声、しかし喋り方には愛嬌が感じられ、それほど威圧感というものは感じられない。むしろリラックス出来るぐらいだ。
「では、改めまして。自分は形製病院付属精神医療研究センターの塩堂《エンドウ》と申します」
「1年の姫神秋沙です」
互いに自己紹介を終えると塩堂は名刺取り出し、姫神に名刺を渡す。アーロンは既に彼から名刺を受取っているようだ。
姫神が彼の名刺に目を遣る。
“形製病院付属精神医療研究センター”
センターの名前は知らないが、形製病院は聞き覚えがある。学園都市にある大手の病院であり、カウンセリング、人格・精神治療に特化した病院だ。治療だけでなく独自の設備で研究も行っている。人間の精神に関わるものであれば節操なく手を広げることで有名であり、病院・カウンセリング施設・研究所などを統括した『形製グループ』は学園都市における心理学、精神医学において無視できない大きな存在となっている。
『自分だけの現実』が超能力の土台とされている学園都市では『自分だけの現実』を構成する人格・心理といった人間の精神に関わる研究が外部以上に重要視されており、それに特化した形製病院は学園都市から多額の支援を受けている。これが『形製グループ』が大きくなった要因の一つでもある。
「私に用事とは…?」
姫神が恐る恐る塩堂に尋ねる。学生の4割が能力者である学園都市だが、彼女の能力はその中でも一際異彩を放つ能力であり、その希少性・特異性から多くの研究施設が彼女を狙ってきたし、彼女の能力が招いた悲劇もある。
しかし、“とある一件”を契機に彼女は能力を“喪失”しており、ほとんどの研究者が彼女を諦めたことで彼女は平穏を手に入れた。残滓を期待する変わり種もいたが、そのほとんどは学校(と言ってもほとんど小萌先生)がブロックしてきた。
そんな中で能力を失ってレベル0となった自分に接触してきた研究機関。今の平穏を壊されないかと不安で仕方なかった。ただでさえ、自分を救った“ヒーロー”が不在だという現状で…
「現在、我々は『自分だけの現実』の完全なる解明に乗り出しております。その中で私は能力の発現・喪失のメカニズムについて研究しており、姫神さんには是非とも当研究に協力して頂きたいと思いまして」
「それは…私が『原石』だからですか?」
「それもあるのですが、私にとってのメインは『能力の喪失』です。能力の喪失といえば、普通は脳の物理的損傷、人格の崩壊などが挙げられますが、姫神さんの能力喪失
パターンは今まで例の見ないパターンです。そもそも自分だけの現実と能力の因果関係は――――――」
その後、饒舌になった塩堂は能力喪失のメカニズムについて長々と語り始めた。こっちが聞いてもいないことまで喋り続け、話題が連鎖して、果てには姫神と無関係ではないのかと思えるような分野まで語るようになった。
自分の得意分野になると相手のことを気にせず延々と語り続ける。彼はいわゆるオタクと呼ばれる人種なのだろう。
(まぁ、これで…時間稼ぎにはなるわね)
興味のない分野いについて語り続けられるのは鬱陶しいことこの上ないが、時間稼ぎには丁度良かった。
(……これで…良いのよね)
* * * *
午後8時
第一六学区のビル群。広範囲にわたる人払いの術式によってほぼ無人のゴーストシティとなっていた。ビルの明かりは一切点いておらず、月明かりと星空、電気が常に供給されている街灯と信号機、自販機がかすかに街を照らしていた。
そして、寒風が吹き荒れるビルの屋上で
クライヴ=ソーンは
双鴉道化と対峙する。
加害者と被害者、イルミナティと
必要悪の教会、復讐者と復讐者。様々な因縁がこの戦場で衝突する。
「あの復讐は私個人の意志で行った。私の不手際で余計な犠牲も出てしまった。その悲劇から生まれた君という復讐者に刃を向けられるなら、私も双鴉道化としてではなく、私個人として相手をするのが筋というものかもしれない」
双鴉道化は仮面を外した。
イルミナティのトップシークレットとも言われる双鴉道化の正体を自らの意志で晒す。
それは同じ復讐者であるクライヴへの同情、自らの復讐が生み出した被害者への哀悼、復讐という強欲を抱き続けた彼への敬意。
この戦いは双鴉道化としてではなく『彼女』個人として決着をつけなければならない。イルミナティのボスだからではない。『彼女』が個人的に行った復讐の産物だ。ツケが回って来たのだ。だとすれば、それは双鴉道化としてではなく『彼女』として清算するのが“筋”なのだ。
晒される双鴉道化の素顔。必要悪の教会をはじめとした様々な組織が血眼になって探し求めた『双鴉道化の正体』がクライヴの目の前で明かされる。
「私が双鴉道化だと知っている人間にこの素顔を晒すのは…昂焚と『彼』を除いたら君が初めてかな」
月夜に輝くショートカットの金色の髪。真珠の様な白い肌。左目を隠す黒い眼帯と右目のスカイブルーの瞳。アングロサクソン系の特徴を揃えた美女がそこに立っていた。
仮面の下に隠されていたのは美男にも美女にも見える中性的な顔立ち。体格も細身で起伏に乏しい。幼児体型という意味ではない。大人の男とも女ともとれる性別の境界線上に立つ曖昧な体型なのだ。
“追及し尽くされた美は性別の垣根を越える”
彼女を表す言葉はそれで十分だった。
しかし、その容姿とは裏腹に格好は貧しかった。
デザインではなく本当に使い古された生活感のあるダメージジーンズ、ヨレヨレの薄汚れたTシャツ、日焼け・汚れ・傷が目立つ10~20年前の彷彿させるダサいライダージャケット。リサイクルショップですら受け取り拒否するような服ばかりを集めた様な格好だった。
そこに双鴉道化としての威厳は無い。何も変わらずそのまま大人になってしまったストリートチルドレンのようだった。
「服はともかく…随分と綺麗な面してるじゃねえか。隠してるのがもったいねぇ」
復讐とか、相手が敵組織のボスとか、そういったものを抜きにした淡々とした感想だった。
だが、すぐにクライヴの目は再び復讐者のそれとなる。殺意、敵意、悪意、憎悪、憤怒、怨嗟、ありとあらゆる負の感情が彼の中を渦巻き、駆け廻り、クライヴ=ソーンという人間を支配していく。
「で?お前の墓には、何て名前を刻めばいい?」
クライヴが銀の魔剣の切先を向けた。無重力空間のように無数の水滴がクライヴの周囲を浮遊している。
『彼女』も腰に差していた双剣を手に握った。ショーテルと呼ばれるエチオピアの刀剣だ。三日月のように大きく湾曲した特徴的な両刃の刀身を持ち、蛇とも竜とも取れる生物が刻印されている。剣全体が暗黒のように黒く、一切の光を映さなかった。
「『ジェーン=ドゥ』とでも書いてくれ」
「ジェーン=ドゥ(身元不明者)か…。名前の通り、誰か分からないぐらいに切り刻んでやる!!」
クライヴの周囲を浮遊する水滴が氷槍へと変化し、次々とジェーンに射出される。何十本もの氷の槍が雨の様に降り注ぐ。避けることも出来ない。ショーテルで撃ち返すとしも手数が足りなさすぎる。
しかし、そんな絶望的な状況下でジェーンは笑っていた。
(安心した。あの時とは一味違うようだな。
――――――いや、そうでなければ…この左目を犠牲にした意味がない!)
ジェーンは左目の眼帯を外した。瞼の下から現れたのは蒼緋の義眼が輝く。その瞬間、彼女に飛来する氷槍が全て“燃え散った”。まるで超可燃物の塊のように氷槍は一瞬で火を上げて燃え上がり、蒸気となって霧散していったのだ。
一気に蒸気がジェーンとクライヴの間を覆い隠す。
(クソッ!視界が…!)
クライヴはすぐに銀の魔剣で蒸気を吹き飛ばす。水とそれに連なる性質を持つ物質を操る彼の霊装によって、モーセの十戒のように霧がクライヴとジェーンの間の道を開く。
(!?)
そこにジェーンの姿はなかった。
しかし驚くのも束の間、クライヴから見て左側の霧からジェーンが飛び出して来た。銀の魔剣の反対側である左側。そこから出てきたことで右側や正面よりも一瞬だけクライヴの防御行動が遅れる。
その一瞬の差でジェーンはショーテルというリーチの短い武器のためにクライヴの懐まで入り込む。一瞬の隙を見極める目、その一瞬で間合いを詰める身体能力は双鴉道化としての立場や出で立ちからは想像できないほど高く、洗練されていた。
そして、外縁の刃を使い、鋏のように左右から斬りつける。
ガキィィィィィン!!
左のショーテルが銀の魔剣と衝突し、右のショーテルはクライヴが隠し持っていた短槍によって受け止められた。
クライヴとジェーンは互いに力を押し付け合い、銀の魔剣と左のショーテル、短槍と右のショーテルが力を伝えてカタカタと震える。
クライヴは初めて間近で素顔の双鴉道化、ジェーン=ドゥと対峙する。
「お前…その義眼は…!?」
ジェーンの左目、眼帯の下は義眼だった。金属製の蒼緋に輝く義眼、不気味な記号が描かれ、それが瞳にあたる部分に刻まれていた。
「『魔眼の王《バロール》』。刃は『殺戮の陰陽《クロウ=クルワッハ》』。ヌァザ王を殺した神々の伝承を利用した霊装だ」
「よりにもよって…!俺への当てつけか!?」
「ああ。そうだ。『ジェーン=ドゥ』として君を殺すためだけにこの目を犠牲にして霊装を手に入れた。安心しろ。強欲鴉魔《マモン》は使わない。ここは私と君だけ、復讐者と復讐者がぶつかる戦場だ。そこに双鴉道化なんてものは不要だ」
「随分と余裕じゃねえか。強欲鴉魔を使わなかったことを後悔しても知らねえぞ」
「そう言う君だって、たった一人でここに来たじゃないか。他の魔術師はどうした?まさか、たった一人で双鴉道化を倒せると思ってたのか?復讐に身を焦がしたからって、そこまで愚かになったわけじゃないだろう?」
「ああ。そうだ。この復讐は俺のものだ。怒りも、憎悪も、悲しみも、全部俺だけが背負うべきもだ。イギリス清教も必要悪の教会も関係ねぇ。全部、俺だけのものなんだ。それに見てみろよ…。俺の顔を…」
「……」
「醜いだろ?任務も使命も責任も全部投げ捨てて、復讐だけに全てを費やした男の顔だ。あいつらが思い浮かべる『世話焼き』や『パパ』なんて言われるクライヴ=ソーンなんかここにはいねぇ。俺は今、お前を惨殺することだけを考えている。てめぇをぶっ殺して、その死体を切り刻んで肉片にしてもこの怒りが収まるわけがねぇ。復讐なんて理由を掲げてもこれからやることは猟奇殺人鬼と何も変わらねぇんだよ。そんな姿を…あいつらには見せたくねぇ!!」
クライヴは渾身の力を振り絞り、銀の魔剣と短槍でジェーンを振り払った。
ジェーンは後方へ跳び、クライヴとの距離を開けた。
血に飢えてカタカタと震える銀の魔剣と短槍。ジェーンの殺戮の陰陽も同様に震えていた。
恐怖ではない。怒りでもない。喜びで…彼女の手は震えていた。
(ああ…。それで良いんだ。それでこそ私が愛した復讐者だ)
* * * *
とあるデパートの地下駐車場。蛍光灯がチカチカと点滅する薄暗い地底の空間で魔術師たちは対峙していた。
カールが出て行った階段の前には軍隊蟻の駆動鎧『シールドクリケット』がメタルイーターMGを構えていた。自分が入るのに使った自動車用の出入口も射程内に含めており、単機で二つの出入口を守っていた。
笑莉は百合若を構え、セスも狼の杖の先にフィンの一撃のための魔力を集中させる。
『おっしゃあ!先手必勝!!』
シールドクリケットが駆動し、メタルイーターMGの照準をリーリヤに合わせた。
砲塔が回転し、そこから大量の弾丸が一直線に撃ちこまれる。次々と射出される弾丸の線はブレることなく、シールドクリケットが持つ高度な火器管制機能で1発も無駄にすることなく全弾がリーリヤに命中する。
1発でも戦車を破壊する威力がある弾丸が何百発も撃ち出されるのだ。例え、相手が何重に装甲を増加した超重戦車でも鉄屑に変わる弾薬量だ。人間相手にはオーバーキルどころか肉片一つ残らないレベルだ。
シールドクリケットがメタルイーターMGの発射をやめる。
高温化した銃身から煙が噴き出し、足元に大量の熱された薬莢が散らばる。
膨大な運動・熱エネルギーを持った弾丸と氷の壁の衝突によって、リーリヤの周囲には溶けた壁が蒸気となって彼女の周囲を覆っていた。
「や…ったのかな?」
笑莉が試しに矢を撃ち込んだ。指を離した直後に音速の域に達した矢は蒸気を吹き飛ばした。
換気扇が蒸気を吸いこみ、笑莉達の視界がクリアになる。
「学園都市の兵器…その威力を、舐めていたわ」
赤く輝く鎧が姿を現した。英国騎士団を彷彿させる重鎧。小柄な少女が装着しているとは考え辛いほどその見た目は重く堅く、銅のように光沢を放っていた。2本の長大なハルバードを脇に抱え、足の裏はスケート靴のようにブレードが付いていた。
『馬』から『重鎧』への変形、ブローズグホーヴィの最大の特徴だ。馬型の利点である高速移動をオミットし、防御面積を小型化、馬を動かすために使っていたエネルギーを省略することで攻撃・防御に廻すエネルギーを増やすことが出来る。
(情報通りだ)
セスはブローズグホーヴィの情報を元イルミナティメンバーのクライヴから得ていたし、彼女が重鎧になるのも作戦の内だった。彼女が防御を優先したことで高速移動を捨てれば、ここからの脱出は更に不可能となる。こうなるとセスの最大出力のガンドぐらいしか彼女を倒すことが出来ないが、別に倒す必要はない。あくまでカールを逃がす為の時間稼ぎだ。
『え!?あの馬が変形して鎧になったの!?パネぇ!マジかっけえわ!俺も欲しい!』
「いや、そんなことよりガトリングが効かなかったことを驚きなさいよ!」
ブローズグホーヴィの変形にシールドクリケットの搭乗者が感嘆を挙げ、すかさず笑莉がツッコミを入れた。
『あ、そういやそうだな。にしても、メタルイーターMGが効かねえのかよ…。どうなってんだ?軍用の複合装甲?それとも実験中の振動衝撃分散装甲か?』
「とりあえず、あれに物理法則を当てはめちゃ駄目だよ。『バリヤーだから効かない!』みたいな小学生の屁理屈を現実にしたようなものだからね」
『魔術ってマジチートだな』
「私達からすれば学園都市の兵器こそマジチートよ。とにかく私達の役目はあくまで足止め。彼女をここから出さなければ問題無いわ」
『了解だ』
2人のやり取りを観てリーリヤがほくそ笑む。
「随分と、余裕なのね。私はまだ、本当の力を、出していないのに」
リーリヤが足踏みした。その瞬間、彼女を中心に地面が凍結し、表面が滑らかな氷は張られていく。
『2人とも!俺の背後に来い!』
シールドクリケットの呼びかけに応じてセスと笑莉が彼の元に駆け寄り、彼の背後に身を隠す。2人を、そして自身も防御するため、背部のアームを動かして翼状になっていた板を周囲に突き立てた。本体とセスと笑莉は要塞の壁のようにそびえ立つ装甲に囲まれた。
シールドクリケット、直訳すると盾コオロギと呼ばれるこの駆動鎧の特徴は大量の盾を持つことであり、その盾で歩兵を守る為の壁を作ることを目的として開発された。
古代から戦争の主な兵力であった歩兵。戦場の制圧に欠かせない存在であり、歩兵の装備も常に進化を続け来た。現代では歩兵の装備で戦車や戦闘ヘリを破壊出来るようになるまで進化していった。しかしどれほど進化しても歩兵の最大の欠点であり、個々の防御力は改善されないままだった。防弾チョッキは進化していたが、強力な軍用ライフルの前には気休めでしかなく、致命傷にならなくても戦闘の継続が困難なダメージを受けていた。堅甲な盾を持たせようにも重量や携行性の関係で装備化できなかった。
“ならば、駆動鎧に全員分の盾を持たせよう”
その発想から作られたのがシールドクリケットであり、盾を展開して歩兵を守りながら移動する移動要塞としての一面も持っていた。
駐車場の地面が次々と凍結していく中で壁の中だけは凍結すること無く、シールドクリケット、笑莉、セスを守った。
シールドクリケットが辺りを見渡すと、凍結した駐車場はスケートリンクのように氷が張られていた。
「このまま、一緒に氷漬けに、してしまおうかと、思ったけど…」
リーリヤは雪の妖精のようにクスクスと不気味に笑う。
「まぁ、良いわ。私の目的は、ここから“出ること”だから」
「「「!?」」」
その時、3人は気付いた。今の駐車場の状況と、彼女の鎧の形状。結論からすると、彼女は高速移動を“捨ててはいなかった”。
突如、リーリヤが高速で縦横無尽に駐車場を滑る。重鎧からは想像できないスピード、滑らかな動き、馬型の時以上に方向転換はスムーズだ。鎧と武器の形状からアイスホッケー選手を彷彿させる。
『まずい!逃げられるぞ!!』
シールドクリケットは即座に展開していた盾を背中に戻し、セスと笑莉を出す。そして、すぐに自分が入ってきた車用の出入口へと向かう。メタルイーターMGをリーリヤに向けて撃ちながら脚部のローラーで素早く移動する。3m近い駆動鎧とは思えないスピードだ。
笑莉は矢を、セスもフィンの一撃をその場から撃ち続けてリーリヤを足止めする。しかし、絶対的な防御力を持つ重鎧のブローズグホーヴィの足止めにすらならなかった。
脚部からスパイクを出して氷を削りながら出入口前をシールドクリケットが先に陣取った。アームを動かし、自身の前に大量の盾を展開、同時に広く盾を展開して出入口を完全に封鎖する。
ガァァァァァァァァン!!
ブローズグホーヴィのハルバードとシールドクリケットの盾が衝突した。振られたハルバードは盾と衝突し、大きな傷を作る。そして、そこから冷気を流し込み、盾とアームを凍結させていく。
(くそっ!このままじゃ…!)
盾と盾の間にわずかな隙間が開き、そこからメタルイーターMGが銃口を覗かせる。
「!?」
リーリヤは即座に気付き、シールドクリケットから距離を取り、華麗なバックスケーティングでメタルイーターの射線から逃れる。
しかし、シールドクリケットから離れたことで笑莉の百合若、セスのフィンの一撃がリーリヤに襲いかかる。
「邪魔」
大量の氷槍を生みだし、大量に射出する。
セスはその場にとどまって迎撃、連射性能に乏しい笑莉は射線軸から逃れようと駆けだす。しかし、スケートリンクのような滑らかな氷のせいで滑って尻餅をついてしまう。普通のスケートリンクだったら微笑ましい光景だが、今は違う。ここは戦場であり、そのコケた一瞬が生死を決定する。
笑莉を追って軌道を変えた大量の氷槍がこちらに向かってくる。
「世話焼かせんじゃねえよ!」
セスが笑莉の元へ咄嗟に駆けだした。氷上の手前で前方に飛びかかり、自らの身体を盾にして笑莉の身体に抱きついた。そして、身体を氷の上で滑らせる。
笑莉は目を瞑ってしまった。貫かれるのが恐いからじゃない。自分のせいで誰かが死ぬところを直視したくなかった。罪悪感を持ちたくないせめてもの心の自己防衛だった。
氷槍が次々と彼の背中に突き刺さる。まるで水面に棒を落とす様な音を立てながら、人が死ぬ瞬間を笑莉に聞かせるように次々と音が聞こえる。
(嫌だ嫌だ嫌だ!聞かせないで!)
笑莉は耳を塞ぎたかったが、セスがしっかりの彼女の腕と身体をホールドしていたせいで腕が動かせない。
罪悪感で潰れそうになる。セスの裏に身を隠しながら百合若で一緒に迎撃する手段もあったはずだ。だが、彼女は逃げた。自分が魔術師として低級なのを理解し、情報が得られれば戦わずに逃げるという諜報員としての癖が出てしまったのだ。それがこの結果だ。
「大丈夫だ。俺は最初から死ぬつもりはない」
セスが言葉を発した。それは強がりでも断末魔でもない。しっかりと生きた人間の言葉だった。ふと気が付くとセスの身体が濡れていた。いや、濡れているというよりは、水の膜に包まれた状態だった。
「憑依術式。ガンド術式の一種で『自身の魔力』を『四大元素の精霊』を混ぜ合わせることで、その四大元素を鎧の様に纏い、自在に操る。氷は水の属性だからな。水の属性と契約した状態の俺には通用しない」
その言葉を聞いて笑莉はあんぐりと口を開け、目を丸くした。
「あれ?もしかして、俺が捨て身の行動に出たと思ってた?」
笑莉はどうコメントすれば分からなかった。自分の勘違いで勝手に悲しんで、罪悪感を持って、涙まで流して、その結果が「俺、水属性だから氷は効かねえ」だ。喜んでいいのか、悲しんでいいのか分からなかった。
「って、いつまで抱きついてんだコラー!」
笑莉はセスを足蹴りして無理やり突き離す。
「助けてやったのにその態度は――――グボァ!!」
2人はひと悶着やった後に氷上の上に立ちあがる。
「とりあえず、この氷をどうにかしないと…ろくに戦えないね」
「ああ。あのロボットもそう長くあいつを止められるわけじゃねえしな。潮時を考えた方がいい。あくまでカールがヘリに乗るまでの時間稼ぎだからな。別に俺達があいつを倒す必要はない。ヤバそうになったら尻尾を撒いて逃げればいい」
「でもまぁ…倒せる時に倒しておきたいよね☆」
笑莉の言葉にセスは驚いた。さっきまで死にかけた人間がここまで余裕ぶっこいていられることにだ。肝の強さというか、何かが彼女の中で変わっていた。
「お前…勝機があるような言い方じゃねえか」
「“あるような”じゃなくて“ある”んだよね☆たった今思いついたけど。乗っちゃう?☆」
「へっ。面白ぇじゃねえか。乗ってやるよ。その作戦」
最終更新:2013年07月10日 00:51