「……って事があったんですよ。」
「そ、そうですか……。(やばいここまで来るともう惚気にしか聞こえない)」
日の沈みかけた時間帯。二人きりのカフェ。
そんな状況の中で、紳士らしく聞きながら、心の中ではそんな本音を漏らすヤール=エスぺランは苦労人というほかない。
すっかり此処の常連になった彼は注文した紅茶に口すらつけず、ただただ聞いているだけだった。
言うまでもないだろうが、紅茶はもう冷め切っている。
ジュリアはその出来事があった次の日、ゴドリックの部屋に行った。
彼の目の下にクマが出来ていたが「なんてことない。」の一点張りだったという。
学校での出来事を聞き、魔術理論について推察をかわし、ちょっとした隙に宝物(エロ本)発掘を行い、夕飯をご馳走になる。
そんな何気ない日常生活。
しかし、その奥底に何重も結界を張っている。そんな感じがしたのだ。
「思春期の高校生にはいろいろありますからねぇ。とはいえ、どうしたものか……?」
ヤールは顎に手を当て考え込んでいる。
ここまで真摯になるのは彼の苦労人気質もあるのだが、彼は『幼馴染を魔術師に攫われ、生贄にされてしまった』という過去を持つ。
思えば、幼馴染を探し出すために彼は魔術師の道を歩んできたようなものである。
そのため、ヤールにとってゴドリックとジュリアの関係性に亀裂が入るのは好ましいことではないのである。
そんな彼が出した結論は。
「“待ってみる”というのはどうでしょうか?」
「待ってみる…ですか。」
「そうです。ゴドリック君は“今はまだ話せない”と言ってたのでしょう?なら話せる時が来るまで待つのが妥当なんじゃないのでしょうか?」
「そう……そうですよね。分かりました。ありがとうございますヤールさん。」
「いえ、このくらいで自分が役に立てるのなら、協力しますよ。」
ジュリアの顔が少し緩む。
きっと彼女にとってはそれほど思いつめる事だったのだろう。
そう思うとヤールは少しホッとした気持ちになった。
魔術師にとって日常から非日常に変わるのは、唐突でいきなり、しかし当たり前の事だ。
PLLLLL!! と携帯の電子音がする。携帯の持ち主はヤールだ。
「はい、もしもし。……はい。分かりました。今すぐ戻って準備します。」
ヤールが携帯を切る。彼の表情は深刻さを物語っている。
「どうかしたんですか?」
思わずジュリアは尋ねた。彼女の中で答えは浮かんでいた。そしてそれは十中八九決まっていた。
「ええ、任務が入りました。」
「そうですか……怪我しないよう気を付けてくださいね。」
「ええ、分かりました。では行ってきます。」
そういうと、ヤールは冷めてしまった紅茶を飲みほし、店を出た。
「カップが、冷たい。」
カップを片そうとして、触れたジュリアはやっとその事実に気付く。
「……温め直せばよかったな。」
今度彼に会った時はお礼にいい茶葉を送ろう、と心に決めたジュリアだった。
そんな心配をしている彼女が知らない場所で。
彼は独り、暗躍していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午前4時45分。
空は僅かに白み、煌く星々は消えかけている
そんなロマンチックな夜空の下で、魔術師たちは暗躍していた。
徹底的に人払いがされた街並み。
そこで二人の魔術師が地を駆ける。
「ニーナ、人払いはちゃんと出来てますね?」
「徹底的にやったので大丈夫……だと思います。所であとどのくらいで標的のところに?」
「あともう少しで来ますね。」
そう断言出来るのは、ヤールの『感染魔術』の精度の高さ故だ。
本来ならば一つの魔術を指し示すものでは無く、ある理論全てを指し示す物。
簡単に言えば、「人間から分かたれた物、人間が触れた物は、離れても影響を及ぼしあう」というものある。
愛用の品が無くなると調子が悪くなるような軽いジンクスから、呪いに相手の髪の毛を使うような本格的な物まで、指し示す幅は非常に広い。
人と物との繋がりを中心にすえた理論であり、魔術理論としては基本中の基本。それが感染魔術だ。
ヤールの感染魔術は自分の血液を染み込ませた紙片を用い、二重の「感染」を行う。
つまり、自らと紙片を血によって結び、紙片と対象を接触によって結び付ける事で、
自分と対象の間に繋がりを作ってしまうのである。
この繋がりを通して相手の居場所、動向、会話等を把握してしまえる他、
繋がりを深くする事で、動作を支配してしまう事も可能になる。
もちろん、お互いに繋がっていると言う事は、相手から干渉される恐れもあると言う事。
そのため、ヤールは紙片に水を生み出すルーンを仕込み、何時でも血を洗い流せるようにしてある。
今回、この魔術の対象にしているのは『ジャック=ザ=リッパー』こと、
ジェイク=ワイアルドという魔術師であり、殺し屋だ。
動作の支配とまではいかなかったものの、居場所や動向はきっちり把握済みだ。
彼が持つ霊装は『呪いの魔剣(ティルフィング)』。
北欧神話に登場する『隻眼の主神』の末裔、スヴァフルラーメが黒小人(ドヴェルグ)に作らせた魔剣のレプリカだ。
その効果は吸血と三回までの命の危機の回避。
ジェイクは以前、
マティルダ=エアルドレッドと
クライヴ=ソーンに襲い掛かったが、二人は見事撃退。ソレがきっかけとなり
必要悪の教会に指名手配されたのだから自業自得としか言いようがない。
必要悪の教会でも『誘拐者』と並んで一刻も早く捕まえたい魔術師の一人だ。
事実今回の任務にジェイク一人に対し3人の魔術師を投入しているあたり彼の捕獲・討伐に対し情熱が窺える。
今回は挟み撃ちでジェイクを追い詰める作戦だ。
今現在、マティルダが交戦中。ヤールとニーナは共にマチに加勢し、ジェイクを追い詰める。そういう作戦だった。
更に非戦闘員のヤールも今回のために攻撃用霊装を所有していた。
相手の霊装の効果は把握済み。3対1という優勢。更に勝率をより高くする為の作戦。
唯一計算外があるとすれば、
「げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひははあひゃあああああああああああ憎い憎い憎いニクイニクイニクイ殺すぅうううううううう!!!!」
――――――――――相手の霊装が“『呪いの魔剣』一本”だと思い込んでいたことだった。
「その毛皮、もしかして霊装?だとしたら益々面白くなってきたね!!」
そう、ジェイクは二つ、霊装を所持していた。
左手は全長80㎝の黄金の柄を持つ両刃の剣。アレが彼本来の霊装、『呪いの魔剣』だ。
問題は彼が纏っている霊装だった。
彼の体を覆っている毛皮のコートの様な霊装だ。
この霊装のせいなのか、彼の身体能力は上がり、理性が少しトンでいるようにも思えた。
更に、これも霊装の効果なのか彼の顔はガスマスク越しにも分かるほど面妖になっていた
「食らえ!!」
マティルダは霊装『螺旋の腕』の孔にためておいた風槍を放つ。その数5つ。
「ガァアアアアアゥフッヒャァアアアアアアアアアアアア憎い憎い憎いニクイニクイコぉろォすゥ!!!」
しかし、ジェイクは突撃を止めない。
5つの風槍のうち、4発を『呪いの魔剣』の剣戟でいなしてゆく。
しかし、1発腹にくらってしまいウゲェエ、と唸り怯んでいる。
この好きに一気に距離を詰め、ドッグファイトに持ち込もうとしていた、
次の瞬間。
ゾッッッ!! と背筋に悪寒が走る。
このまま進めばヤバい、と第六感が警告を鳴らす。
それ故に一瞬、足を止めてしまった。
しかしそれが彼女の危機を救った。
彼女の目の前を高熱の火矢が通り抜け。
その先にあった街灯に着弾、火の玉に包み込まれ黒焦げになった。
マティルダは黒焦げになった街灯、及びジェイクと距離をとる。
ジェイクもまた、正体不明の奇襲に驚き、警戒していた。
「(狙撃手……。誰だか知らないけどつまらない事するね!!)」
そう、心の中が怒りで満たしていると。
「マチ!!」
「加勢に来ました!!」
ジェイクの後ろからヤールとニーナが現れる。
しかし、あまりにもタイミングが悪すぎた。
「気を付けて二人とも!!この辺りに狙撃手が――――――――――――――――!!」
そんなことを告げる前に変化は起きる。
ブスブスと燻っていた街灯が再度火の玉に包まれる。
「「「!!!!」」」
それはまるで太陽のようで、一瞬誰もが行動を止めてしまった。
そして、そこから3つの火矢が発射された。
その輝きはさながらプロミネンスのようだった。
己の身を焼かんと寸分違わず食らいついてくる火矢をそれぞれ回避しようと魔術師たちは動く。
まずはニーナの『逆五芒星(ペンタグラム)』の音波攻撃による火矢の弱体化。
これで迫り来る3本の矢の威力は弱まった。
そして各々は行動を開始する。
マチは義手に風を纏わせ、火矢を打ち消し。
ニーナは『逆五芒星(ペンタグラム)』から銀色に輝く光の矢を高速で放ち、撃ちぬいた。
ヤールは寸での所で回避に成功した。
「ヤ、ヤールさん。マチさん。これって……」
「狙撃手、ですか。厄介な――――――――――。」
そうして警戒する三人。
ヤールは自分が回避した火矢の行方を見ようと振り返る。
躱した火矢は壁に当たると、ドーム状の火炎を形成していた。
そして、まるで壁にあたりバウンドするボールの様に。
轟!!! と火矢は彼の眉間めがけて飛翔してきた。
「…………え?」
ぼそり、と呟いたその一言。
これがヤール=エスぺランの辞世の句に――――――――――――――――
――――――――――――なる事はなく、目の前の黒い濁流が火矢を防ぐ。
直後、濁流は巻き戻し映像の様に戻ってゆく。
「間に合ったみたいね。」
そう声をかけたのは先程まで喫茶店で話を聞いていた女性だ。
ただし、その手には全長2mの湾曲した穂先を持つ槍、『業焔の槍(ルイン)』を持ち、黒い水球を侍らせていた。
「ジュ、ジュリアさん!!こ、これって……。いや、そんな事より今の攻撃は……。」
「ヤールさんの考えている通りよ。」
先日共闘したヤール、長年付き合ってきているジュリアにはこの攻撃の主がわかっていた。
ジュリアは攻撃が来た方向に顔を向け、吼える。
その顔はいつも喫茶店でウェイトレスをする顔ではなく。
ましてや、今まで一緒に仕事をした時にも見た事のない表情だった。
「一体どう言うつもりなの?
3階建てのビルの屋上の給水塔。
その裏から狙撃手は現れた。
大切な人が牙を向けた時。
アナタなら、どうしますか?
最終更新:2013年07月20日 01:10