第27話「鳥籠の守護者《スクールディフェンサー》 前編」
時は遡り11月1日 早朝7:00
映倫中学、小川原高校付属中学校とその周辺を活動領域とする風紀委員一七六支部。
その事務所で一人の少女がココアを飲みながらパソコンに向かっていた。
黒髪のショートヘアで癖っ毛をヘアピンで抑えている。今日は早朝出勤ということもあってか、寝癖を抑える為にヘアピンがいつもより多い。
四角い赤フレームのメガネにパソコン画面が反射して映っている。
「眠たい~。第三次世界大戦が終わったって聞いて、今日の早番が無くなると思ったのに~」
第三次世界大戦で多くの警備員や治安維持組織が出払い、防御が手薄となった学園都市では風紀委員の労働時間を増やすことでその穴埋めがされていた。通常、風紀委員の本格的な活動は放課後から最終下校時刻までなのだが、今回の一時的な処置によって、登校時刻より前に活動する早番、そして最終下校時刻から夜9時まで活動する遅番が設けられた。
今日はゆかりと稜、狐月の3人が早番であり、稜と狐月は学生寮から出て直接パトロールに、ゆかりは支部でいつでもサポートに入れるように待機していた。
―――――が、あまりにも暇なので支部のパソコンでマインスイーパーをしていた。
「あ~駄目だ。仕事中にゲームとか加賀美先輩が感染しちゃってる」
加賀美のその癖をいつも注意している立場でありながら、自分も同じものになろうとしていた。そうであっては先輩への示し(?)がつかない。
ゆかりはすぐにウィンドウを閉じる。
prrrrrrrrrrrrrrrrr!!
突如、支部の電話が鳴り、ゆかりは思わず飛び上がった。
「はい。こちら風紀委員一七六支部です」
『朝早くすみません。公園の自販機のところに怪しい男がいて、変な行動をしているんで、少し見てもらえませんか?自分ではちょっと怖いので。大きなトランクを背中に抱えた男です』
「分かりました。公園って…どこの公園ですか?」
電話の相手、気弱そうな少年が公園の住所を言った。
(あ~。例の故障自販機の場所か。あの辺りなら確か…)
ゆかりがすぐにパソコンに向かい、学園都市の地図を出す。
地図上に映された2つの点と「Ryo」「Kogetsu」の表示。通報のあった公園の近くに点がある。これは2人の腕輪に付けた発信器の信号からGPSで位置を割り出している。
(2人とも傍にいるみたいだね。最近、色々とギスギスしてたから、これで仲良くなって欲しいな)
「ご連絡ありがとうございました。今、そちらにメンバーを向かわせています」
『はい。お願いします』
そう言って、通報者は電話を切った。
ゆかりはデスクに置いていた携帯電話を手に取り、ボタンを操作する。それと同時にパソコンに向かって、マウスを操作しながら別の作業を始めた。
「神谷先輩ですか?葉原です」
『何だ?』
「そこのすぐ傍の公園で不審者の通報がありました。ちょっと斑先輩と2人で見てきて貰ってもいいですか?」
『ちょっとって、そいつ(通報者)は大丈夫なのか?』
「ただ不審者がいたから通報したって感じでしたね。襲われそうとか、そんな緊迫した状態じゃなくて、本当にただ淡々と文章を読み上げる様な喋り方でした」
『分かった』
「では、お願いしますね」
ゆかりは稜との通話を終え、パソコンでの作業に集中する。
「SPoMSにアクセス。監視カメラのリアルタイム映像配信の申請、アカウントとパスワードは…」
SPoMS(学園都市治安管理システム Science worship Public order Management System)
風紀委員・警備員が利用している監視カメラ映像のリアルタイム配信で犯人を追跡、また現場の人間を支援するシステムである。このシステムの導入によって風紀委員の仕事は飛躍的に効率化され、緊急時には多くの手間を省くことが出来た。
悪用を防ぐため、使用は“事件発生時”が原則であり、システムを利用した後にシステムを利用した理由、利用時間などを明記した書類を提出しなければならない。また、使用にはIDとパスワードが必要で、それは一部の風紀委員にしか伝えられていない。ここ一七六支部でもそれを知っているのはリーダーの
加賀美雅とシステムを利用する
葉原ゆかりの2名のみである。
≪パスワードが違います≫
「え…?」
ゆかりは何度もパスワードを打ち込み直すが、それでもエラーの表示が出て来る。
(おかしいな…。IDとパスワードは間違ってないはずなんだけど…。もしかして、加賀美先輩が勝手に変えちゃった?)
ゆかりはシステムを利用できないことに頭を抱えた。
(加賀美先輩に聞いてみるか)
ゆかりは携帯電話を取り出し、加賀美に電話をかける。
しかし、時刻はまだ早朝。普通の学生なら今起きたばかりの時間だ。少しぐうたらな面を持つ加賀美ならまだ寝ているだろう。ゆかりは電話越しの発信音を聞きながら、そんな予測を立てていた。
『あ、ゆかり~?どうしたの?』
予想とは異なり、加賀美は電話に出た。寝ぼけている様子もない。
「あ、加賀美先輩ですか?おはようございます」
『おはよう。どうしたの?また稜か狐月が何かやらかした?』
「あー、いえ、そうではなくて、SPoMSのパスワードなんですけど、変えました?」
『いや、こっちは変えてないよ。どうかしたの?』
「それが、パスワード違いでSPoMSへのアクセスを拒否されまして…。大きな事件が発生したわけじゃないので、急ぎで必要ってわけじゃないんですが…」
『う~ん、確かにSpoMSが使えないのは痛いわね。打ち間違いじゃないなら、SPoMSの管理委員会に連絡して確認取った方が良いかもしれない。もしかしたら、事件の前兆かもしれないし、放置するわけにはいかないでしょ』
「それもそうですね。こっちで処理しておきます」
『うん。じゃあ、お願いね~』
「分かりました。ありがとうございます」
そう言って、ゆかりは電話を切った。そして、すぐさまSPoMSの管理委員会に連絡するために支部にある固定電話を手に取る。
風紀委員、警備員といった学園都市公認の治安維持組織の施設同士は強力な盗聴対策が施されたホットラインで繋がれている。警備員・風紀委員の事務所にある固定電話はそのためにあり、重要な案件や外部には漏らしたくない機密事項はこっちを使うように指導されている。
ゆかりはホットラインでSPoMS管理委員会が設置されている警備員の支部に連絡を入れる。しかし、1分経っても一向に出る気配が無い。電話越しに聞こえる呼び出し音は鳴りやまない。
(まぁ、確かに管理委員会が動く事態はそうそうないし…これもお役所仕事の弊害ってやつなのかな)
事態が深刻でないこともあってか、ゆかりはそう結論付けて電話を切った。
「あ、SpoMSが使えないこと、神谷先輩達に伝えなきゃ」と気付き、ゆかりは自分の携帯電話で神谷の番号にかける。
再び鳴りやまない呼び出し音、こっちも一向に神谷が出る気配がない。もしかしたら、今は不審者の相手をしていて、あえて着信を無視しているのかもしれない。
(こっちも取り込み中かぁ…。SpoMSが使えないって、けっこう不便だよね)
そう思いながら、パソコン画面に目を向けた途端だった。
「!?」
パソコン画面に映されたID・パスワードの記入ページに“自動的に”IDとパスワードが打ち込まれていく。
自動的に入力されたIDとパスワードをシステムが認証した。
(まずい!このままだと…!)
ゆかりは瞬時にこれを「SpoMSに不正アクセスするサイバーテロ」と断定。携帯電話を投げ捨てて、これの対処にあたる。サイバーテロに遭ったのは初めてではないし、その対処法も風紀委員の研修で学んでいる。
(大丈夫。落ち付いて対処すれば…)
ゆかりは頭の中で対処法を再現、それと同時に手を動かしてマウス、キーボードを駆使して対策プログラムを作動させる。
―――――はずだった。
「そんな・・・」
パソコンがゆかりからの操作を拒絶する。学んだ対処法は自分から入力できることを前提としたものだった。しかし、今回は違う。ゆかりからの入力をコンピュータが完全に拒絶しているのだ。
完全に“何者か”によって支部のコンピュータを掌握された。
なす術などなく、ゆかりは頭が真っ白になりそうだった。
しかし、真っ白になる余地など与えられない。今、ここには自分しかいない。思考を止めてしまえば、そこで敗北なのだ。
ゆかりはすぐに次の対策へと入る。入力による対処が通用しないと分かった今、出来ることはひとつ、捨て身の最終手段しかない。
すぐにデスクから立ち上がり、デスク裏にあるパソコンの電源コードを引き抜いた。
「よし!これで!」
すぐに立ちあがり、パソコン画面を確認する。
電源を抜かれて真っ暗になるはずだった画面は変わらず明るさを保ち、システムが既に利用されている状態だった。パソコンに内蔵されたバッテリーパックがまだ残っていたのだ。
「え?ここって…」
画面に映されていたSpoMSの監視カメラのリアルタイム映像配信。映されていた場所は見覚えのある公園だった。レンガ敷きの地面に一か所に傷と凹みが集中している自動販売機。間違いなく、神谷と斑が向かった公園だった。
すると突然、画面が切り替わった。別のアングルの監視カメラ映像だ。
ゆかりはそこで衝撃的な光景を見せつけられた。
頭から血を流して街路樹に倒れる斑
瓦礫の海と化した地面の真ん中で血を流して倒れる神谷
両者の痛々しい姿が監視カメラの映像ではっきりと映し出されていた。
神谷と斑は戦闘向けの能力でレベル4、とりわけ神谷は“剣神”とまで謳われた戦闘力を誇った筋金入りの武闘派だ。
そんな存在である2人が無惨にも倒れている姿は大きなショックだった。
「神谷先輩!斑先輩!」
ゆかりは即座に警備員に連絡。救急車を手配した。
これが、風紀委員一七六支部にとって、忘れられない4日間の始まりだった。
* * *
午前10時
その日、加賀美雅は早朝一番に先生から電話で「荷物をまとめて、一七六支部へ行きなさい」と言われた。午前中の授業は“公務による欠席”という扱いにするそうだ。
加賀美は「授業が潰れてラッキー」とは思わなかった。わざわざ授業を休んでまで一七六支部まで行かなければならないということは、彼女の経験上、悪いことが起きたときだけなのだ。
そして、既にゆかりから“悪い報せ”は聞いていた。
重い足を進めながら、加賀美は一七六支部へと向かった。
緋色の髪は項垂れる首と共に垂れ下がる。
稜や狐月が原因の苦情が積み重なり、学校や偉い人に呼び出されて「支部長としての管理が(以下略)」「君はリーダーとしての自覚が(以下略)」と何度も説教されたこともあってか、呼び出し自体にはもう慣れている。(本当は慣れてはいけないものなのだが)
しかし、授業を欠席扱いにしてまで呼び出されるのは初めてだ。それに稜と狐月がまとめて何者かに倒された知らせのことも考えると、また大きな事件に首を突っ込んでしまったのかもしれない。
加賀美は一七六支部の扉の前に辿りついた。毎日開ける扉なのに今日は異様に緊張する。彼女は深く深呼吸し。ドアノブに手をかけた。
目の前に広がるのはいつもの一七六支部の光景――――ではなかった。
俯いた暗い表情で座る葉原ゆかりの姿、そして彼女を囲むように厳つい表情をした大人達が佇む。
大人達は警備員の制服を着たのが8名、スーツ姿の男が2人いる。
警備員の大人たちの中に見知った顔がいた。毎日のように顔を合わせる小川原高校の教師である
紫崎通だ。他の7名はヘルメットで顔を隠していて分からない。
スーツ姿の男の片方も知っていた。稜や狐月を通して知り合った映倫中学の
綺羅川雄介だ。いつもは明るい体育教師の彼も今は場の雰囲気を読んで、押し黙っている。
「来たか。まぁ、落ち着いて座りなさい」
皆が押し黙る空気の中でもう一人のスーツ姿の男、金髪オールバックのイケメン―――ATT室長の“蒲田”という肩書きを利用する
持蒲鋭盛が口を開いた。
「はい」と答えて加賀美も彼に従い、向かい合うように椅子に座る。
「まず、所属と名前を」
「はい。小川原高校1年、風紀委員一七六支部・支部長の加賀美雅です」
「宜しい。私は警備員の蒲田だ。葉原くんから…話は聞いているね?」
「はい。一七六支部に所属する
神谷稜、斑孤月、両名が不審者との戦闘により負傷し、現在第七学区の病院で治療を受けていると聞きました」
「なるほど、2人については我々の方が詳しい情報を得ているようだ。病院に搬送された2人だが、命に別条は無いそうだ。斑孤月は脳震盪、神谷稜はダメージが酷かったが、明後日には動けるだろう」
「本当ですか!?」
加賀美は思わず飛び上がってしまったが、すぐに自分が恥ずかしい行動に出たことに気付いて、再び着席する。
「とりあえず、死者が出なくて良かった。じゃあ、そろそろ“本題”に入ろうか」
「“本題”…ですか」
加賀美は固唾をのみ、蒲田の口から“本題”が出るのを待った。
「本題というのは、この事件の捜査体制についてだ。この事件は君たちが思っている以上に複雑な事情が絡んでいる。そのため、捜査は警備員の極一部のメンバーのみで行い、事件の存在そのものを極秘裏に処理することを統括理事会が決定した」
「警備員の極一部のメンバーってことは…」
「そう、君の思っている通り、風紀委員は捜査に参加させない。事件に関する情報も一切公開しない。君達は完全な『部外者』になる。無論、この事件のことは外部に一切漏らしてはならない。例え、同じ支部の人間でもだ」
「分か―――――「納得できません」
加賀美の承諾を遮ったのは、さっきまで沈黙を保っていたゆかりだった。
怒りの篭もった表情でゆかりは蒲田に視線を向ける。
「私達は同じ支部のメンバーを傷つけられたんです。それを黙って見ていろって言うんですか。確かに神谷先輩と斑先輩が勝てない相手じゃ私達じゃ手も足も出ません。ですが、私達にもサポートやバックアップぐらいは出来ます。このまま指を咥えて待つことなんて出来ません」
「葉原さん。これには複雑な大人の事情が絡んでいる。『何が出来るか、出来ないか』ではなく、『それに関わるか、関わらないか』の問題だ」
「何が『大人の事情』ですか。いきなり支部にズカズカ入り込んで、何の断りも無くパソコンいじくって監視カメラの映像データ全部消すような礼儀のなってない大人に言われたくありません。それに対応だって、不自然です。事件の存在そのものを抹消する気満々じゃないですか」
「なるほど…。君の視点なら、確かにそう思われても仕方ないか。では、君たちを絶対に引き下がらせる“もっともな理由”を述べよう。その2人を倒した“男”についてだ」
蒲田が黙って手を出すと、それを察して警備員の一人がタブレットを彼に渡した。
「事情があって詳しい情報は公開できないが、君の仲間を倒した男は欧州を中心に活動する国際テロ組織の幹部だ。そして彼を追う警備員の極一部のメンバーというのは、私と直属の部下で構成される警備員の対テロ戦術部隊ATT(Anti Terrorism Tactics)だ」
ATTという組織に加賀美とゆかりは反応を示す。
警備員でありながら教員ではなく、特殊な訓練を受けた“完全なる兵士”によって構成される対テロ特殊部隊。統括理事会直轄であり、メンバーの素性は一切明かされていない。唯一判明しているのはATT室長の蒲田と呼ばれる交渉役だけだ。この蒲田という人物についても統括理事会が最高レベルの機密情報として扱っている。
「我々ATTは数年前から彼のことを最高レベルの危険人物としてマークしていた」
加賀美とゆかりは固唾をのんで蒲田の言葉に耳を傾ける。
国際テロ組織、最高レベルの危険人物
強力な壁に囲まれ、強固な警備網が敷かれたこの学園都市ではあらゆる事象が内部で自己完結される。外に出ることも外から入ることも容易ではない。故に外部の犯罪組織など考えもしなかった。ニュースで耳にする程度で、それらの組織が起こした事件も対岸の火事でしかなく、まさか自分や自分の仲間が遭遇するとは思わなかった。
「すみません」と加賀美が挙手する。
「何だね?」
「その最高レベルの危険人物とは、一体どれほどのものなのでしょうか?」
「危険人物のレベル設定は学園都市の安全保障の関係上、詳しく語ることはできない…が、端的に語るとすれば、7人の超能力者のうち3人が結託して大規模テロを画策している状態だと考えてくれて構わない。余計な犠牲者を出さないため彼の捜査は我々ATTが単独で行うことになった。これで納得したかな?」
その言葉を聞いて、加賀美は一瞬だけ安堵した。
この街を守るのが自分達の使命だ。しかし、2人のレベル4を同時に倒し、対テロ部隊が最高レベルに設定する危険人物を相手にするのはいくら命があっても足りない。それにプロフェッショナルがいるのなら彼らに任せることができ、それが正常な判断である。
「だとしても」と頭言葉をつけて、ゆかりは反論する。
「テロリストの侵入が確実となった場合、第一級警報《コードレッド》が発令され、風紀委員・警備員全体で特別警戒態勢に移行されることが学園都市の安全保障条令で決められています。テロ組織の幹部が入り込んだのに警報を発令せずに極秘捜査を進めるのは明らかに条令に違反しています」
「そうだな。“通常なら”それが正しい判断だ。しかし、今回は特別なケースだ。我々は『学園都市にテロリストが入り込んだ』という情報を公にすることが出来ない。何故か、分かるかい?」
「……余計な混乱を招く…ということでしょうか」
「う~ん。違うな。一番の理由は、今が“戦後”だから」
「「?」」
「第三次世界大戦が昨日終結し、日本、ロシア、欧州各国が終結宣言をしたのは知っているね。戦争が終われば、次の国家は“戦後処理”に取りかかる。『誰が正しく、誰が悪いのか』『誰のせいで戦争が起きたのか』『どうやって落とし前をつけるのか』その交渉の結果が戦争における“真の勝者”を決める。そんな大切な交渉で『学園都市内に超危険人物が侵入』なんてカードは交渉を不利にさせる可能性がある。不安要素は芽の内に取り除いておきたい。逆に言えば、その事件の男は戦後交渉を左右させるほどの影響力を持つとんでもない存在だということだ」
蒲田扮する持蒲の言葉は、正確に言えば今回侵入した昂焚だけの話ではなく、彼のバックについているであろう組織(
イルミナティ)も含めての話だ。
「では、戦後交渉のためなら、学生がテロに巻き込まれても構わないということですか?」
「そうなる前に我々が奴を潰す。我々が潰すのが先か、テロが先かの大博打だ」
「そんな――――」
「言っておくけど、これは統括理事会の決定だ。テロで失われるものより、戦後の条約締結で敗戦国から分捕れるものの方が価値があると上は判断した。悪いけど、これ以上は何も言うつもりはない。元々、君たちに話す予定でないことも話してしまったからね」
ゆかりはぐうの音も出なかった。人命を優先するゆかりの主張は正しい。しかし、蒲田はそれを統括理事会という強大な権力によって封殺した。学園都市で生きる人間にとって、それは決して逆らえるものではない。
“権力”
それは、この学園都市で超能力を持たない大人が能力者(こども)に対して優位に立つことのできるあまりにも大きな要因だった。
「納得したのなら、我々はここで退席させてもらう」
加賀美が首を縦に振ると蒲田は立ち上がり、一七六支部の扉を開けて出て行った。彼に付いて行くように顔の知らない警備員たちも出て行く。
人でいっぱいだった一七六支部はスッキリとし、重苦しかった空気もすっかり無くなった。しかし、今度はスッキリし過ぎてあまりにも静かだった。
「お前らは、これで納得したか?」
紫崎が2人に語りかける。加賀美もゆかりも胸の奥で色んなものが煮え滾っているようで、明確に反応を示さなかった。
ふと、ゆかりが口を開いた。
「紫崎先生も…あの蒲田って人と同意見なんですか?」
「まぁ、蒲田の言ってることもお前らの言うことも理解は出来るが、どちらかと言えばお前達寄りだ。大事な生徒を傷つけられて黙っていられるか。しかし、あっちはあっちで国際関係を見据えて動いている。小を捨てて大を取る上層部の考えも否定できない」
「「………」」
加賀美とゆかりは押し黙った。自分たちの考えが正しいと認めて貰えたのは嬉しい。しかし、同時に蒲田の言うことも正しいと言われて複雑な気分だ。
「大人に…幻滅したか?」
押し黙る2人に綺羅川が話しかける。
普段はいい加減でヘッポコな彼だが、なぜか今は一人前の大人の男として尊敬できる人間に見える。
「あ…いえ、そこまでは…」と加賀美は答える。
「私も幻滅はしてません。まだ色々と整理できてませんが…」とゆかりも答えた。
「まぁ、あのイケメンだってお前らを危険な目に遭わせない為に“引き下がれ”って言ったんだと思うぞ。あいつらはプロフェッショナルだし、あの処置も余計な犠牲を出さない為の判断だ。そりゃあ、俺も大事な生徒を重傷にされて黙っちゃいられないし、八つ当たりであのイケメンに右ストレートぶち込みたい気持ちだったぜ。けど、とりあえずあの2人が生きているって分かっただけで結果オーライだ。斑はともかく、神谷がケガするなんていつものことだしな」
場を和ませるつもりなのか、綺羅川は笑いながら語る。しかし、目は笑っていなかった。今にでも病院に駆け込みたい気持ちでいっぱいなのだろう。
「俺らに出来ることは、あのイケメン共がテロリストをさっさと捕まえることを祈りながら、あいつらの退院祝いの準備をするだけだ。くれぐれも自分達で探そうなんて考えるんじゃねえぞ」
「こっちもなるべく仲間を集めて、自主的に警備を強化するつもりだ。まぁ、気休めにはなるだろう」
「ありがとうございます。綺羅川先生、紫崎先生。やっと整理がついたというか、落ち着きました」
「それは良かった。ATTに囲まれてた時も高校生とは思えない落ち着きぶりだったけどな」
加賀美の表情に少し明るさが戻る。支部のリーダーらしくあるために肩に力が入っていたが、綺羅川の説得で肩の荷が下りたようだ。
同じく精神を張り詰めらせていたゆかりも緊張を解す。
「紫崎先生、綺羅川先生…その、すみませんでした。私が色々問い詰めたせいで面倒なことになってしまって」
「いや、むしろこっちも疑問が解消できてよかった。あの連中にあそこまで切り込んでいくお前の勇気には驚かされたよ」
「いや…その…あれは勇気というよりは意地です。『私達が関わった事件なんだから私達が解決しなくちゃ』って気持ちで一杯で、もしここで引き下がったら神谷先輩達に申し訳が立たないような気がしちゃって…」
「ああ~。確かに稜だったら『ふざけんな!あいつは俺が捕まえる!』ぐらい言いそうね。あいつはクールぶってるけど、思考回路と行動方針は熱血バカそのものだから。ケガが治った途端、病室から飛び出すんじゃないの?」
「いや、まさか、いくら神谷先輩でもそんなことはしないでしょ~」
2人は普段の笑顔を取り戻し、主に稜と狐月のことをネタにしながら笑い合う。
それを見て綺羅川と紫崎も安心して胸をなで下ろした。
* * *
第七学区を走る3台の警備員用の乗用車。
どれも無表情の青年が運転し、他の座席でも微動だにしない警備員の制服を着た男女が座っていた。まるで人形が乗る車のようだ。彼らは人間の見た目でありながら、人ならざる何かを醸しだしていた。それもそうだ。彼らは普通の人間ではない。
暗部の裏切り者、落伍者、実験で再起不能となったモルモット、そんな暗部ですら見捨られた人間の自我を破壊し、思い通りに操ることのできる『タンパク質でできた人形』
それが
テキストの保有する “死人部隊《デッドマンズ》”である。
先頭車の後部座席で一人だけ、人間味を持った男がいる。男は髪を崩して“蒲田”から“持蒲”へと見た目を戻し、タブレットを操作する。
「デッドマン343。目的地までは?」
「あと20分です」
「分かった。デッドマン229。目的地に着いたら俺を起こせ」
持蒲が隣の死人部隊に呼びかけるが、一切反応しない。
「おい。どうした?デッドマン229」
「『あの風紀委員に随分とあることないこと喋ったね』」
「!?」
突然発した予想外の言葉に持蒲は一瞬凍りついた。しかし、すぐにその原因をつきとめる。デッドマン229の話し方からして、誰が“乗っ取った”のか分かったからだ。
テキストと統括理事会の橋渡し。連絡係だ。
「あなたですか。死人部隊の情報同期回線に割り込んで、何の御用ですか?」
「『話はこの死人を通して聞かせてもらった。それにしても随分と喋ったね。『捜査に関わるな』の一点張りで無理やり場を治めることも出来ただろうに』」
「他の風紀委員支部や警備員ならそれで大丈夫ですが、あそこは普通じゃないですから」
「『一七六支部と小川原の警備員が普通ではないと?』」
「ええ。まず、一七六支部といえば数々の越権行為です。始末書の枚数はあの一七七支部を越えており、東雲事変(
ブラックウィザード武装蜂起)でも警備員からの命令を無視して単独で行動しています。彼らは悪い意味で正義感が強い。その上、自分達に実力があると思い込んでしまっている。あの手の連中は『手を引け』の一点張りでは言うことを聞きません。下手に隠せば、大人や上層部への不信感を募らせて活動を活発化させるだけです。それなら、たとえどんなブラックな内容でも真実を明かし、圧倒的な権力で動きを封じ、彼らの代わりに我々ATTが犯人を捕まえることを誓う姿勢を見せれば、彼らも納得するでしょう。紫崎通や綺羅川雄介といった彼らと親交の深い大人たちをあそこに置いたのもそのためです。彼らも我々の意見には賛同してくれますからね。説得してくれるでしょう」
「『なるほど。では、我々は“賭け”に勝たねばな。後はよろしく頼むよ』」
「了解しました。それと
必要悪の教会から派遣される対策チームの受け入れ態勢なのですが――――――」
こちらから連絡係にコンタクトを取ることはできない。常に向こうから一方的だ。そのため、こうして向こうから連絡が来たのを機に持蒲は統括理事会への要望を次々と述べていく。
“テキスト最後の仕事だ。せいぜい頑張りたまえよ。持蒲鋭盛くん”
連絡係の男は心の中でその事実を知らない持蒲のことを嘲笑っていた。
最終更新:2013年10月05日 11:34