第31話「風紀委員一七六支部(ボーダーレス ジュリスディクション)」
「今回だけ、特別に見せてやるよ。私の霊装の真価」
“煙を吐く鏡”
ユマの言葉に呼応し、イツラコリウキの氷槍から大量の冷気が放出される。
あらゆるものを吹き飛ばし、凍結し、目に映るもの全てを白色に変えるブリザード。それがユマを中心に竜巻のように吹きすさび、風が荒れ狂う。
氷霧が空間を支配し、狐月の視界を真っ白に埋めていく。
(まだこんな隠し種があったとは…)
狐月は冷静にこの魔術を分析する。
ユマが放出したブリザードは幸いにも狐月の噴射点の壁で防ぐことが出来た。だが、ユマの発言からするに“煙を吐く鏡”はこれで終わりのはずがない。彼女は狐月の噴射の鎧を知っていながら“煙を吐く鏡”を、狐月を倒す必殺技としてここで出したのだ。
それは、この“煙を吐く鏡”が狐月の噴射の鎧を突破する代物だと確信して使っていることだ。
(このブリザードは“煙を吐く鏡”とやら出すための準備…、いや、時間稼ぎ…!だとすれば……この霧が晴れた瞬間が勝負だ!!)
狐月が身構える。噴射の鎧の圧力をさらに強化し、自分の手に噴射点を形成して、攻撃態勢に入る。
一向に止む気配のない局所的ブリザード。
氷霧が吹く中で一つの声が聞こえた。
「そんな魔術ねぇよ!バァーカ!」
その言葉の瞬間、霧が弱まり、狐月の空力使いの能力で霧が瞬時に吹き飛ばされる。真っ白になっていた視界がクリアになり、病院の廊下、端の窓や階段が明瞭に見えた。
そこにユマの姿は無い。そして、彼女の背後にあった窓は開いていた。
(だ、騙されたぁ―――――――――っ!!)
“煙を吐く鏡”は狐月を身構えさせるためのハッタリ。元からそんな魔術はないのだ。大量の冷気を出すことで狐月を“存在しない魔術”に警戒させ、防御の一手を取らせる。それと同時に視界を潰し、その隙に狐月からの攻撃を恐れずに窓から飛び降りて逃走したのだ。
「女ぁ!よくもこの私を――――――」
狐月がユマの逃走経路を確認するために窓から顔を出した。
おそらくユマが逃げるであろう駐車場側に目を向けた。反対側は行き止まりだからだ。
――――瞬間、3発の銃声が響いた。
ユマは窓から飛び降りて着地した後、警備員から盗んだ銃を自分が出てきた窓に向けて構えていた。狐月のような
プライドが高いタイプは馬鹿にされ、くだらない理由で物事を遮られると頭に血が上って冷静さを欠く。それはユマの経験則に則っていた。彼がすぐに逃走経路を確認するために窓の外に顔を出すのを予測するのも容易だ。
そして、狐月の能力は相性が悪く、ユマにとって厄介…いや、天敵そのもの。どうしても潰しておきたい相手だった。
放たれた銃弾は狐月の身体を貫いた。
窓から身を乗り出していた狐月は銃弾を受けたことでバランスを崩し、全身から力が抜け、2階の窓から落下していく。体の各部から血を流しながら―――。
それは、棚から人形を落とすかのように無造作で、残酷で、儚かった。
地面に落ち、うつ伏せに倒れた狐月の頭や各部からは血が流れていた。
それでもユマは狐月が死んだと結論付けない。修羅場を抜けて培ってきた彼女の経験が囁き続ける。
頭に1発撃ち込むまでは“死”ではない。と――――
例え死んでいたとしてもユマにとっては“まだ死んでいない”。
相手を確実に殺し、殺したことに確証が持てるまで殺す。裏社会では、頭に撃つ銃弾一発分の用心深さが生死を左右する。
ユマは銃口の照準を狐月の頭に合わせた。
彼女は躊躇しない。「厄介な敵は殺す」という当然の真理を実行するだけだからだ。人なんて魔術師になる前もなった後も殺したことがある。
(こいつはここで殺しておかないと、後で厄介になる)
引き金に指をかけ、グッと力を入れた。
一瞬……一瞬だけ、指が鈍った。
その瞬間、一筋の光線がユマの目の前を横切った。光線は右側の病院の壁を膨大な熱量で溶かして貫通してきたのだ。あと数センチずれていたら拳銃が溶けていただろう。
(新手!?)
ユマはすぐさま踵を返して駐車場方向に走り出す。その間にレーザーの第二撃がユマの腕を掠める。数秒も待たずに第三撃が襲い掛かる。
ユマは駐車場へと飛び出した。
数十台は入るであろう広々とした駐車場。ユマから見て駐車場の少し離れた左側と遥か遠い真正面の2ヶ所に出入口がある。そこ以外は街路樹に囲まれていたが、深夜で車がほとんど停まっていなかったため、窮屈さは感じなかった。見えるのはトラックや警備員の護送車、残った医師や看護師の普通車ぐらいだろう。10台にも満たなかった。
「!?」
駐車場を横断するように再びレーザーが走る。
光線はユマの目の前を通過し、更にその先の街路樹を“焼き切った”。
「ああ!もう!次から次へと!」
ユマは即座にイツラコリウキの氷槍から大量の冷気を吐き出させ、駐車場一帯を“氷陣”へと変えた。
氷陣の中にあるあらゆる物体は捻じ曲げられ、それに耐えきれずに自壊する。代償としてユマはその間に視力を失うが、氷陣の内部であれば、冷気の流れや温度変化で物や相手の位置を把握することができる。
もっとも、それは相手が氷陣の内部で凍死せず、なおかつ全身を曲げられてなければの話である。
ユマは冷気でグシャグシャになった“トラックだったもの”の陰に身を潜める。とりあえず、氷陣を展開して視界を潰せば狙撃は出来ない。相手は氷陣の中に入ることができない。相手からの攻撃に神経を研ぎ澄ませる必要もない。
(クソッ痛っえええええじゃねえか!!)
光線が掠ったユマの腕には深さ1㎝ほどの溝が出来上がっていた。肉は抉られていたが、血は出ていなかった。傷口は火傷跡のように肉が焼かれたことで血管が潰され、出血は防がれていた。
氷陣で盲目になっているユマの指で腕をなぞりながらそれを確認した。
(レーザー砲ってやつか…。学園都市は本当にSFの世界だな。超能力か兵器か分からねぇけど…)
ユマは盗んだ警備員のベストから応急処置のキットを取り出した。警備員・風紀委員に支給されている非常用の対外傷キットであり、ユマがさっきまでいた病院の医者が開発したものだ。チューブに詰められたジェル状の薬剤で、塗るだけで消毒・止血・傷口を閉じるという3つの効能を発揮する。
ユマにとっては初めて見るものだったが、装備を確認した時にチューブの裏に簡単な使い方があるのを見つけたため、すぐにそれが何なのか理解できた。
目が見えないせいで中身を取り出すのに一苦労する。
(あの風使い野郎の口ぶりからするに、あいつらは正規の治安維持部隊。ガキだから“風紀委員”ってやつか?だとしたら、このまま籠城戦を続けると増援を呼ばれて包囲される。でも逃げようと氷陣の外に出れば、レーザー攻撃に晒される。今の私にそれを防ぐ術はない。----ああ!クソッたれ!)
ユマは焦っていた。時間は限られている。しかし、突破すればレーザーの餌食。相手の数は不明でこれから増える可能性がはるかに大きい。
ジェルを腕に塗り、傷口を塞いだ瞬間だった。
ズガガガガガガガガガガガガガガン!!
突如、氷柱の雨が降り注ぎ、ユマに襲い掛かる。
無数の氷柱の雨がユマの全身を打ちつけ、駐車場に残っていた車を更に変形させる。遠く離れた位置に停まっていた車にも中り、駐車場各地でガタガタと音を鳴らす。
ユマはすぐに自壊して外れたトラックのドアを屋根にしてなんとかやり過ごす。
威力は大したことはないが、生身で何度も打たれるのはかなり痛い。
(新手はもう一人…水か氷の使い手。威力は低いが、面制圧に適している。私を氷陣から炙り出すつもりか…)
相手は氷陣の中に入れないが、籠城戦を続けると増援を呼ばれてユマが不利になる。
氷陣を展開しながら移動する手もあるが、視力を失った状態では移動に限界がある。それに目立ちすぎる。あくまで逃げて潜伏先を確保することが彼女の目的だ。
(氷柱の雨は車のドアを盾にすれば克服できる。問題は…レーザーか。氷陣を出している限り、向こうは撃ってこないみたいだけど、こっちも手出しできない)
ユマは一安心して、トラックの瓦礫に身を寄せる。射線軸からレーザーの発射ポイントは駐車場の出入り口だと推測でき、そこから身を隠すようにトラックをの瓦礫を盾にする。
(レーザーさえ潰せば後はどうにかなる。でも風使いのガキがちゃんと死んでいるか確認しておきたいし…)
火傷した肘を手でさすりながら、ユマは再び打開策を練り始めた。
ユマは氷陣の展開で一時的に視力を失い、その代わりに別の感覚に意識を向けることが多くなった。音、臭い、そして、肌に触れる空気の流れ―――
(今日は…風が無いな。これなら…)
ユマから見て左側にある病院の駐車場の出入り口、ゲートから離れ、道路を挟んで反対の敷地から駐車場方面を凝視する少女の姿があった。
155cmの標準体型。膝まで届く滝のように長い黒髪を持ち、映倫中学の制服を着ている。厳つい軍用ゴーグルを装着しているせいで、どんな目をしているのかは分からないが、立ち振る舞いで寡黙で冷静沈着な性格が窺える。
「…外しました。とんでもない反射神経…それとも野生の勘?」
『ドンマイ、姫空さん。大怪我させないように手足を狙ったんだから仕方ないよ。そっちから状況分かる?』
耳に装着したインカムに
鳥羽帝釈から、風紀委員一七六支部の
姫空香染に通信が入る。
鳥羽は同じ一七六支部のメンバーで
柵川中学の2年の男子中学生。普段は現場で動く人間だが、今は忙しい葉原の代わりにオペレーターを務めている。
「…状況は不明です。私の“眼”を以てしても…見抜けません。それよりも斑先輩は?」
『バイタルは弱まっているけど、死んではいないみたい。バイタルチェッカー装着していて正解だったよ』
「…同意します。無かったら、斑先輩が死んだと思い込んで怒りに身を任せていました。それにしても…このゴーグル重いです…」
姫空が装着していたゴーグルは厳つかった。普段使っている照準器ではなく、それに外部取り付けのコンピュータが搭載され、他にも通信用のアンテナ、彼女の眼前を覆うディスプレイなど…首の負担が心配になるような大きさになっていた。
『仕方ないよ。貫通狙撃のために支部のパソコンとデータリンクしなきゃいけないんだから。葉原さんが膨大な監視カメラ映像を処理してるおかげで、それでもまだ負担は減ってる方なんだけどね』
姫空のゴーグルは一七六支部のパソコンとデータリンクしている。
今現在、一七六支部では葉原が病院のセキュリティシステムにハッキングし、監視カメラ映像をリアルタイムで入手している。カメラの映像からユマの位置座標を特定し、そのデータを姫空のゴーグルに備え付けられたコンピュータに送ることでデータリンクしている。姫空はゴーグルに送られた位置データを基に照準を合わせ、物陰や壁の向こう側にいる敵を撃ち抜くことができる。
光子照射 レベル4
姫空香染が持つ、眼前からレーザーを放つ光学系能力だ。
厚さ10mmの鉄板を瞬時に溶解させ貫く威力を誇るが、調節は利かないので手加減が出来ないという欠点を持つ。 照射方向は視線と同方向に限定され、明確な「点」を狙わないと照準が甘くなるため、照準器付きのゴーグルを装着して利用している。
最大連続照射時間2秒
最低発射後インターバル1秒
無障害空間での射程距離“200m”
視界に入れば確実に相手を屠る光の矢、それに監視カメラと位置データ演算、データリンクによって、彼女自身の視野に頼らずに200m以内の敵を屠る光の矢へと進化した。
しかし、データリンクと言っても監視カメラによる映像情報、“目”に頼る戦いの本質は変わっておらず、目視もカメラ映像も遮るユマの氷霧の前には手を拱くしかなかった。
その霧が徐々に晴れてきた。今日は風がそれほど吹いていないせいで晴れるのが遅い。だが、霧が晴れてきたということはイツラコリウキの氷槍が氷霧の噴出を止めた―――ユマが氷陣を解除したということだ。
「…霧が…晴れてきた」
『みたいだね』
「相手が次の一手に出る。その時に、必ず仕留める」
姫空は目を凝らし、いつでもレーザーが出せるように照準器のゴーグルを構える。
病院の二つの棟の間、人間が2.3人ほど通れる狭い通路で狐月は倒れていた。
“倒れていた”だけであり、死んではいない。ユマの用心深さは間違っていなかった。
狐月は壁に身を寄せながらゆっくりと立ち上がる。幸い、足に銃創は無かった。
ユマが放った弾丸は、1発目は狐月の頭を掠り、2発目と3発目は左肩を貫通した。
狐月は頭と肩から血を流していた。頭には大きな切り傷が、左肩には2つの立派な貫通銃創が出来上がっていた。
(姫空の援護が無かったら死んでいた…)
血を流し過ぎたのか、意識が少し遠い。目の前も駐車場が見えるはずなのに真っ白でぼけて見える。それがユマの氷霧なのか、自分の意識が遠のいていくのか判断がつかない。
ポケットから超小型のインカムを出し、それを耳に装着する。
「斑だ。誰か…状況を」
『あ、斑先輩ですか?深祈です。大丈夫ですか?』
インカムから聞こえてきたのは後輩の深祈誓互の声だ。ダウナーな彼の声が傷口に響かないほど良い大きさに聞こえる。
「ああ。大丈夫だ。肩がやられたが、致命傷じゃない」
『あ……そうですか。じゃあ、そんなに急がなくていいですね』
「いや、急げよ!こっちは2発も左肩を貫通して――――痛っ!!」
自分の叫びが傷口に響き、狐月は再び肩を押さえて蹲った。。
霧に包まれた、やや晴れつつある駐車場方面から足音が聞こえる。全力で走る足音。それがどんどん大きくなり、こちらに近づいてくるのが分かる。噴霧が終わって晴れつつあるとはいえ、相手は全てを曲げる冷気の中に居る。それだけで足音の主が誰なのか分かった。
(まずい…!!)
足音が大きくなるにつれて狐月の心臓の拍動も大きくなる。
足音の主が霧の中から姿を現した。狐月の悪い予感の通り、それはユマだった。
「仲間が死んだのにやけに冷静だと思ったら…やっぱり生きてやがったのか」
ユマは拳銃を取り出し、狐月の後方の高いところにある監視カメラを撃ち抜いた。
監視カメラ映像のリアルタイム配信が無ければ、姫空の座標狙撃による支援は期待できない。誤射で狐月を殺してしまう可能性があるからだ。
監視カメラが撃ち抜かれると、銃口は次に狐月へと向けられた。
さっきの戦いでは狐月が一方的だった。恐れるに足る相手ではなかったが、今は負傷していて能力も満足に使えない。その上、拳銃まで使われたら完全に防ぐ手立てが無い。
狐月の空力使いだと、さっきは彼女の作った瓦礫を逆に利用することで銃弾を防いだ。しかし、今回は瓦礫の代わりになりそうなものが無い。空気の噴射のみだと銃弾に負ける可能性がないとは言い切れない。それに彼女がどこを狙ってくるのか分からない。いきなり頭を狙うのか、まず動きを封じるために足を狙うのか、弾道の可能性はどこにでもあり、それらすべてを想定して噴射点を設定するのは不可能に近かった。
狐月の体に悪寒が走る。氷霧の寒さに加え、精神的なものも加えてだ。
どっと冷や汗が出る。
狐月に交渉の余地はない。命乞いすら許されない。彼女にとって自分は天敵。今すぐにでも殺したい相手。弾道次第では数分前に殺されていたはずの身なのだ。
ユマが引き金に指をかけた。
銃口は自分に向かっている。確実に殺す気だ。
「相手は…俺ですよ」
ユマと狐月の間を遮るかのように2人の間に一人の少年が“落ちてきた”。
彼が着地した地点には亀裂が入り、地面のコンクリートブロックが割れて浮き上がっていた。
「ナイスタイミング……ってことで、いいのかな?」
眠そうな猫みたいな眼をした青年---
深祈誓互だった。
180cm近い身長に細身の体型、蜂蜜色の髪を真ん中で分けているのが特徴だ。
ジャージにパーカーという動き易くてラフな格好を着こなし、腕に風紀委員の腕章をつけていた。
誓互は自分の着地で割れ、浮き上がった小さなコンクリート片を2つ同時にサッカーボールのように蹴り飛ばした。
コンクリート片は真っ直ぐ蹴り飛ばされ、まるで弾丸のようにユマの左肩を貫いた。皮膚を破り、肉を穿って血に塗れたコンクリート片が彼女の背中を突き破って後方へと飛んでいく。
とても人間の蹴力とは思えない威力だ。
脚軸飛躍
全身の筋肉の強化に伴い、特に太股から爪先にかけた脚力を上昇させる能力だ。能力による脚部の強化により、時速100kmの走行力、ビル2~3階を軽く飛び越える跳躍力を発揮する。
ボールを銃弾のような速度まで蹴り飛ばすなど、造作もないことだ。
「そういえば……左肩に二発でしたね」
誓互は爪先を地面にトントンと当てて靴の履き心地を整える。
ユマは肩から血を流し、軽く舌打ちする。新たな敵に左肩の負傷。左腕はまともに動かせないだろう。だが、彼女は痛みに悶えることなく、冷静に目の前の敵を観察していた。
彼女は即座にバックステップで誓互との距離を取った。今の攻撃で身体能力を強化する能力者だと判断したのだろう。距離を取るのは明白なセオリーだ。
そして、右手に持っていたイツラコリウキの氷槍から冷気を噴出した。
多量の冷気を一瞬だけ出すことで視力が奪われる時間を大幅に削減している。
「下がれ!」
狐月の咄嗟の叫びに反応して深祈が下がり、狐月が前に出る。
足で目の前の地面に一本の線を引く。
その一本の線から噴水のように大量の空気が噴射される。狐月が引いた一本の線、これが一列の噴射点となり、空気の壁を作ることでユマの氷霧を防いだ。
「やっぱりテメェの能力は厄介だな」
(けど…その向きだと拳銃までは完全に防げないだろ)
ユマは狐月に銃口を向け、引き金を引こうとした瞬間だった。
誓互が強く足踏みした。身を低く構え、両足を地面が割れるほど強く踏ん張り、両手を重ねて翳すように前へ突き出した。まるで何かを押し出すようなポーズだ。
狐月が「頼むぞ」と言い残して、前に翳された誓互の手に触れた。
ドォォォォォォォン!!
突然の轟音、衝撃と共にユマの身体は後方の駐車場まで遠く吹き飛ばされた。時速50km近いスピードで飛ばされると、その速度を維持したまま地面をゴロゴロと転がり、車だった瓦礫に激突して止まった。
空力腕砲
狐月は誓互の手の平に噴射点を設定したことで、彼を噴射点の砲台とした。通常なら吹き飛ばされるのは誓互の方なのだが、彼は脚軸飛躍で噴射の威力を脚で相殺し、自分を地面に固定して抵抗値を大きくしたことで体重があまり変わらない抵抗の少ないユマの方が飛ばされる結果となった。
前から与えられた噴射の衝撃、瓦礫に激突して背中から来る衝撃、この2つの負荷に耐えられず、ユマは血反吐を吐いた。
しかし、彼女には回復する暇すら与えられない。
姫空の光子照射がユマの右太腿を掠った。数千度もの熱量光線が皮膚を焼き、肉を抉り、腕と同じように1cm前後の火傷の溝を作り上げる。
「くそっ!!」
慣れとは恐ろしいものだ。普通の人間ならあまりの激痛に転げまわるものをユマは転んだ時のかすり傷ぐらいにしか思っていなかった。
ユマは即座にレーザーの発射地点の方向に氷槍からの冷気を撒布する。
ここが駐車場であるということは、敵のレーザー使いの有効射程内にいること。そして氷霧の自然消滅と空力腕砲で駐車場の霧は完全に消え去っていた。姫空から一方的に狙い撃てる状況、これだけは避けておきたかった。
ユマの出した氷霧は思惑通り姫空の視界を奪っていた。
姫空も目の前から50m先が見えていなかった。でも十分に距離はある。霧から相手が飛び出したとしても対応が可能な距離だ。
「……また籠城?」
『違う!香染!逃げて!』
突如、インカム越しに加賀美の声が響き渡る。
ユマが出した視界遮断用の氷霧の盾。それを突き破って、氷霧の“矛”が現れた。空間を求めてトンネル内を駆け巡る砂埃のようにそれは迫り来る。
姫空は焦る。人間だったら能力で対応できたが、氷霧となるとどうしようもない。そして、氷霧は彼女の予想以上の速度で近づいていた。
(もう駄目…!!)
“全てを曲げる冷気”の恐ろしさは駐車場の惨状から容易に想像できる。全身複雑骨折なんて己の理解を遥かに超えた激痛だろう。普段はクールな彼女が“怯え”という感情を珍しく顔に出していた。
香染は目を瞑った。せめて、死ぬなら眠るように死にたい。
――――――――――――――――あれ?
冷気が来ない。寒気を感じない。それとも既に死んでしまって生理現象が止まってしまったのか。
姫空は恐る恐るその目を開いた。
最初に見えたのは氷の壁だった。彼女を守るかのように彼女の正面と側面をアーチ状の氷壁が取り囲み、霧から守っていた。向こう側の霧の動きが分かるほど氷壁は薄い。
(…た、助かった)
香染はとりあえず安堵すると同時に腰を抜かすが、地面に尻餅をつく前に何者かに後ろから抱きかかえられる。
「ギリギリ間に合ったみたいね」
後ろから姫空を支えたのは加賀美だった。
加賀美は大能力者の能力者で水を媒介とした念動力を使う。要は水の形や動きを自由自在に操る能力だ。
彼女はギリギリのところで香染の前に水の壁を作りだしたことで氷霧を防いだのだ。氷壁になったのは冷気の影響だ。
「…か、加賀美先輩」
「立てる?」
「…は、はい」
姫空が加賀美の手から離れて自立する。動揺した自分を少し恥ずかしがっているのか、加賀美から少し離れると顔を背け、ゴーグルの位置を調整し始める。
ゴーグルの調整を終えると、いつものクールな香染に戻った。
「……大丈夫です。作戦の続行に問題は――――
『二人ともそこから逃げろ!それは霧じゃない!!』
「「!?」」
インカムから聞こえる鳥羽の警告。“それは霧じゃない”という言葉。
それがどう意味なのか分からなかった。そして、それの意味を理解する間もなく、2人はその言葉の“答え”を知らされる。
加賀美が生成した水壁、もとい氷壁が突き破られた。霧を防ぐためだけの文字通り薄氷の防壁。拳銃とそれを握る褐色の腕が氷壁を破ったのだ。その銃口は確実に姫空の頭に向けられていた。
この時、加賀美は鳥羽の言葉の意味を理解した。
前の攻撃は“氷霧の矛”ではなかった。氷霧による攻撃だと思わせ、その実は姫空に特攻するユマをカモフラージュするための霧だった。霧による攻撃だと思わせ、姫空にレーザー攻撃は無駄だと判断させる。
最初から拳銃が本命だったのだ。
壁の向こう側、穴の隙間からは獲物を狙う月夜の捕食者の目が覗かせる。
引き金が引かれた。
装填された銃弾が加速する。
ライフリングに沿って回転がかかり――――――――――
銃口から飛び出した弾丸は、香染の頭部を撃ち抜いた。
最終更新:2014年04月20日 17:43