お兄ちゃんが問題行動を起こして早数日。杏鷲の目の前ではそのお兄ちゃんと【中核部隊】チーフにして『トループ』のNo.2となった渡瀬チーフが互いに難しい顔を浮かべながら話しています。

「歯医者?」

「あぁ。キャンディーの食い過ぎで奥歯がな。前から通ってたんだがここ最近は忙しくて行けてなかったんだわ。んで、虫歯が悪化してんだ」

「また単独行動か?」

「別にいいじゃん。任務の時ならともかく俺にだって私生活ってもんがある。そん時くらい一人で行動してもいいじゃねぇか」

「お前の場合その『任務の時』でも平気で独断行動を取る可能性が極めて高いからな。澤村。お前、この前の件ちっとも反省していないだろ?」

あっ。お兄ちゃんが目線を逸らして冷や汗掻きながら口笛を吹き始めた。この人全然大人っぽくない。むしろ子供も子供。杏鷲より子供っぽい性格かも。

「・・・まぁその件は後にしよう。お前が言っても聞かない性格なのはこの数日だけで把握できた。お前が単独行動を取った時の体制やルール作りももう半ば終えている」

「おっ!さすがは相棒」

「勘違いするな。お前の行動を是としたわけじゃない。止むを得ず。仕方なく。わかったかオールトループチーフ?」

あっ。お兄ちゃんが青褪めている。杏鷲と似てるというかそれ以上の無表情の固まりって噂の渡瀬チーフに皮肉混じりの文句を言わせてるだけあってお兄ちゃんも気まずそう。
まるで悪戯が見付かって親に怒鳴られている悪戯小僧みたいだ。これは、杏鷲の予想大当たりかも。

「話を戻そう。歯医者だったか。・・・うむ」

「あ、あの!」

「ん?何か用かな杏鷲?」

こうなったらお姉ちゃんな杏鷲が一肌脱がないと。歯医者に通うだけで渡瀬チーフと一悶着起こす、杏鷲より子供っぽいお兄ちゃんと親交を深めるチャンスだし。

「杏鷲と鳴鷲が歯医者へ向かうお兄ちゃんの保護者に立候補します!」

「保護者!?」

「兄さんと!?てか杏鷲!何であたしまで!?」

杏鷲の予想通りお兄ちゃんすごく驚愕しています。でもそれは仕方ない事。お兄ちゃんの放浪癖の重傷っぷりは既に『トループ』全体の共通認識となっているのです。
鳴鷲もようやくお兄ちゃんの事を『兄さん』って呼ぶようになったんだね。最初は照れ臭かったのか拒否してたのに。お姉ちゃん嬉しいぞ。

「別にいいでしょ?ゲームばっかりやって暇そうだし。余りゲームばっかりやってないで偶には外にも出ないと」

「ゲームばっかじゃないって。色々勉強もしてたし。・・・・・・ま、まぁ杏鷲が外出するならあたしも付いていってもいいけど」

照れてる照れてる。あぁもう鳴鷲ったら可愛いなぁ。・・・お兄ちゃんじゃないけど杏鷲も鳴鷲もここ最近は激動だったから少しは気分転換しないとね。
鳴鷲の希望をお兄ちゃんに直談判する良い機会でもあるんだし。鳴鷲の希望を聞いた時は杏鷲泣きそうになったもん。これくらいしないとお姉ちゃんも面目が立たないわ。

「・・・いいだろう。杏鷲。鳴鷲。お前達に澤村の保護監督係を命じる。更生させてこい」

「「はい!」」

「相棒!ちょっと待て!」

「ちょっとも待つ気はない。少しは遠阪姉妹の爪の垢でも煎じて飲んできたらどうだ?」

しばらくの間渡瀬チーフと激論を交わしていたお兄ちゃんだったけど程無くしてガックリと項垂れて外出の準備を始めた。
肝心な議論で渡瀬チーフに勝てない辺り今回の件最初からお兄ちゃんに勝ち目なんて無かったんだよ。





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「あぁ恐かった。前から思ってたけどなんだよあの歯医者。患者を脅す歯医者って闇医者じゃね?どう思うよ杏鷲?鳴鷲?」

「でも腕は立つんですよね?」

「腕が立つから兄さんはブツブツ文句を言いながらも同じ医者に通ってるんでしょ?」

「・・・・・・あぁ」

あれから数時間が経ちました。お兄ちゃんの治療は無事事無きを得ましたがまた通院しなければならないという事です。
杏鷲も虫歯の恐ろしさを知っています。甘党ですから。あの甲高いキンキン鳴り響く金属音を思い浮かべるだけで治療の痛みを錯覚的に感じてしまう程です。こういうのを共感覚性って言うんですよね。

「はぁ。ま~た通院か。甘いもんも控えなきゃなんねぇのか」

「という事でお兄ちゃんのキャンディーはしばらく杏鷲が預かりま~す!」

「杏鷲!?せ、殺生な~」

お兄ちゃんからキャンディー袋を没収した杏鷲は早速袋を開けてキャンディーを頬張ります。う~ん甘い。やっぱり甘いものは最高です。
そんな杏鷲達は通院帰りにコンビニに寄って昼食を買い、近隣の公園で昼食を済ませた後のデザードタイムだったりします。
今日は休日なのでこの公園には様々な人達の往来があります。耳を澄ませば色んな会話が聞こえてくるかも。ちょっと澄ましてみましょうか。

「わ、わたしなんかが久峨君と同じ立場になるなんて絶対おこがましい事だと思う」

「そんな事ないさ。白雪。いや。窓枠。僕は君と同じ立場に立つ事ができる事を嬉しく、そして誇りに思うよ」

おおおおお。こ、これは学生カップルのイチャイチャ話かそれとも真剣な話か。でも、そんな音量で話してるとベンチに座ってる杏鷲達に丸聞こえなのに・・・成程。お兄ちゃんの仕業か。これがお兄ちゃんの言うところの『気配を馴染ませる』なんですね。

「で、でで、でででででででででで!!」

(あの女の人すごくテンパってる!?顔も真っ赤っか!どうしたんだろう?)

「ででででででで・・・・・・も、あたしは幻・・・手・・・・・・ズルい人間なんだよ?」

途中ひどくか細く消え入りそうな声量だったせいで上手く会話が聞こえなかったな。あの女の人なんて言ったんだろ?
見れば彼氏さんの表情も真剣さを増していて。彼女さんにだけ聞こえるような大きさで言葉を伝えながら二人共歩き去って行った。

幻想御手(レベルアッパー)・・・か。能力が上がるなんてラッキーというかなんというか」

「お兄ちゃん。聞こえてたんですか?」

「聞こえてたかって?あぁ。俺の能力なら会話なんて筒抜けも同然さ」

五感情報を取得するRASを観測する網様一座。数ある精神系能力の中でも尖りまくっていると前にお兄ちゃんは零していたけど。

「兄さん。幻想御手って確か音声ファイルのアレだよね?」

「知ってんのか鳴鷲」

「うん。【後駆部隊】配属が決まってからここ最近学園都市で起きた色んな事件の情報を頭に叩き込んでたから」

杏鷲だって鳴鷲に負けないよう勉強してますからね。偶々杏鷲がまだ手を付けていなかったところを鳴鷲が先に勉強していただけですからね。誤解しないで下さい。プンプン。

「簡潔に言ってしまえば共感覚性を利用して使用者の脳波に干渉する音声ファイルでそれによって脳波パターンをある人間と強制的に同一とし、
AIM拡散力場を媒介としてファイル使用者の脳をネットワークのように繋げ、結果高度な演算装置を作り出す。これで合ってるよね兄さん?」

「合ってるかって?その通りだ。んで、これがその音声ファイル・・・が保存されていた機器な」

「兄さん?幻想御手に手を出してたの!?」

「出したっていうか丁度抱えていた仕事が一段落した頃合いさ。巷で噂になってた音声ファイルとやらの効果を知りたくてな。最初から胡散臭く感じてたさ。
たかが聴覚刺激。そんなんで都合よく能力が上がるだなんて詐欺の常套句にしてもしょっぱいじゃん?
絶対裏があると思ってファイルを起動した途端すぐわかったわ。これは共感覚性を利用して五感から脳波に干渉する代物だってな。
勿論網様一座で刷り込みは弾いたぜ?共感覚を人為的に発生させられる俺にすりゃ弾くのはわけないしよ」

お兄ちゃんは言う。幻想御手の正体を察した直後面倒臭そうな事態に発展しそうだって思ったお兄ちゃんはお父さん(お兄ちゃんはオヤジって呼んでる)に報告して対処について相談したんだけど、
どうやら他ルートで既に幻想御手のトリックを暴いた人達がいて(超電磁砲とその連れらしい。鳴鷲が同じ電子制御系能力者としてちょっと興奮してた)、お兄ちゃんはお父さんが特別に手配した無人撮影機からの映像で彼女達の奮戦を傍観していたんだって。

「大体さ。出所不明の音声ファイルで能力アップだなんて怖いもの知らずだよな。超能力開発って『外』の人間からしたらヤバ気な開発みたいに思われて当然だぜ?
今はカリキュラムがあるからそれなりに安定してるかもしれねぇが最初の頃の能力開発はやっぱ色々ヤバかったんかね」

超能力開発と言ってもその方法は様々。薬物投与。催眠術等による暗示。脳に直接電極から電気信号を送ったり。
【中核部隊】の碓氷さんに至っては悪徳研究者の私利私欲で脳を切り刻まれて画一的な能力発現を強いられたそうだ。そんな悪行杏鷲絶対に許せない。

「ちなみに俺の能力ってその開発の大部分が所謂自己流なんだぜ?」

「「えええええぇぇぇぇ!!?」」

お兄ちゃんは言う。杏鷲達より小さい頃に『闇』へ身を置いたお兄ちゃん。普通の子供とは違って学校でカリキュラムを消化する事もできなかったお兄ちゃん。
かと言って『闇』の研究機関に脳を弄繰り回されるのを嫌ったお兄ちゃん。そんなお兄ちゃんは発現した能力が能力だったおかげで自分の手で能力開発を行う事ができたそうだ。
具体的に言うと五感刺激や暗示を主体として。RASの特性が可能にした自己能力開発。名付けて自脳開発(ブレイントリガー)。当然の事だけどお兄ちゃんも最初は失敗して何度もヤバい状態になったらしい。
能力による自己流だけで能力開発ができたら精神系能力者や電子制御系能力者が有利だし、学園都市のお偉いさんの面子も丸潰れだもんね。
だから余所様からパクったりカンニングしたり操ったりしてカリキュラムの情報を多方面から収集して、その中でオリジナルの能力開発術を磨いて突き進んでいたそうな。
そのおかげで今の網様一座が形成された。尖りまくっているのはその自己流のせいっぽい。頑固なパーソナルリアリティが形作られたのも自分の手で成長させたっていう自負が強いからなのかもね。





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幻想御手についての話が一段落した頃合いを見計らって杏鷲はお兄ちゃんに打ち明けた。

「鳴鷲に護身術や射撃の訓練をつけてくれって?」

「はい。お兄ちゃんって射撃得意なんでしょ?」

「まぁ得意だけど・・・」

鳴鷲の真剣な表情をチラリと横目で見やりながら杏鷲は何としてでもこのお願いをお兄ちゃんに聞き届けてもらえるよう頑張ります。

「それならエナスダに習った方が効率的だと思うぞ?あいつ射撃も護身術も何でもいけるクチだ」

「エナスダさんにですか?でもあの人とは所属する部隊が・・・」

「俺がとりなしてやるよ。エナスダもNOとは言わねぇだろう。俺もあいつから色々学びたいし」

【先駆部隊】のメンバーエナスダさんはあらゆる場所で通用する一流のエージェントとして育てられたらしく、そこには鳴鷲が求める射撃や護身術も含まれているそうで。
確かにお兄ちゃんの言う通りエナスダさんに習った方が習熟度の速度は速いかもしれませんね。
あの風貌がちょっと恐いですけど杏鷲達のチーフも負けず劣らずの巨体ですから慣れるのも時間の問題かも。

「俺としてはそっちよりも例の代理演算装置の件が気になってんだけどな。初老のジイさんから話は聞いてんだろ鳴鷲?」

「・・・命令には従うつもりだよ兄さん」

「気乗りしてねぇって事が気になってんだよ鳴鷲。言いたい事があるならこの機会は良いチャンスだぞ?普段は俺何処ほっつき歩いてるかわかったもんじゃねぇし」

「・・・フフッ」

お兄ちゃんのぶっちゃけに鳴鷲も思わず吹き出しちゃって。お兄ちゃんなりに気を使ってるのかな。でも、その気遣いはすごくありがたくて。杏鷲達はちゃんと打ち明けます。

「・・・つまりこう言いたいわけか?初老のジイさんが信用ならねぇと。自分達が育った施設を管理していた研究者達が揃ってクズの集まりだったから、初老のジイさんもそういう風に見えると。
んで、クズの集まりが見出した機械による代理演算への適正を初老のジイさんが本格的に形にしたあの代理演算装置に対して不信感を抱くと」

「ク、クズとかそんな事言ってないじゃないか兄さん!」

「お前の表情や口振りを観察してるとそういう風にしか感じねぇぞ鳴鷲。お前感情が露骨に表へ出るからな」

「研究者ってね、いい人もいるんだろうけどやっぱり悪い人達のほうが多いって杏鷲思うな」

「まっ、お前等が育った環境を考えると仕方ねぇ部分はあるだろうな」

杏鷲も鳴鷲も口調こそ違うけど本質は同じ。抱く不信は悪徳研究者に対するもの。普通なら小学校に通う年頃だった杏鷲と鳴鷲はチャイルドエラーだった事が要員で『闇』と深く関わりを持つ施設に半ば強制的に預けられた。
そこで様々な能力実験のモルモットとして扱われる過程で他の子供達が実験動物として使い捨てられていく光景を何度も目にした。

「杏鷲は他の子供達を見殺しにしたの。自分達が助かりたい一心で。悪徳研究者へ復讐したい一心で。鳴鷲がお兄ちゃんへ射撃訓練を希望したのも覚悟の上なんだ」

「兄さん。あたしや杏鷲はもう人を殺してるんだよ。見殺しという形でさ。だから人を殺す仕事に自分達の能力を使う事に躊躇はしないよ。暗部で生きる以上あたしも杏鷲も覚悟はできてる」

自分達をモルモットとしか見做さない研究者に対して鳴鷲はお姉ちゃんへ危害が及ぶのを防ぐために優等生を演じ続け、杏鷲は実験風景によって無表情が顔に張り付いた人格になっても研究者へ復讐する機会を伺うためずっと我慢してきた。
そんな折に研究者諸共施設そのものが別の暗部によって潰されて。施設から解放されたのはいいが中途半端に闇に関わってしまっていたために他に行くアテもなく彷徨っていた杏鷲達はトループに吸収された。
これは半ば必然だったと杏鷲も鳴鷲も捉えている。二人共手は赤く染まっている。ならば自分達がやるべき事はもう決まっている。

「俺の見立てじゃ初老のジイさんってお前等の言う悪徳研究者のグループには入らねぇタイプだと思うぜ?」

「そうなの兄さん?」

「逆にお前等と同じっつーか。能力者、無能力者問わず最初から使い捨てる感覚で研究に携わる者に対しては同業者として強い嫌悪感を持つみたいな事を零してた。
確か前に世話をしてやってた能力者と今も交流があるらしい。毎度金の話で紛糾するそうだがその話題を俺へ話すジイさんの顔、結構楽しそうだったわ」

頭を金槌か何かで叩かれた衝撃を味わった気分だった。まさか初老さんがそんな考えを持っていただなんて。
金遣いが荒くて杏鷲達のチーフにオシオキを食らった変なお爺さんってイメージが強かったけど。

「・・・・・・後で謝ろう。ねっ鳴鷲?」

「うん。兄さんが言うなら間違いないよね」

「俺、お前等にそこまで信用される事やった覚えがねぇんだけどなぁ」

「お兄ちゃんって杏鷲達の事子供扱いしてないでしょ?杏鷲、そういうのわかるんだ」

「兄さん。杏鷲は感覚的にそういうのがわかるみたいなんだ。その人の接する態度や声色とかで自分の事を子供だと舐めたり甘言使って騙したりする意図を杏鷲は察知できるんだ」

「俺も年齢的に子供なんだけどなっていうツッコミはありか?」

「「無しで」」

特技って程じゃないけど杏鷲は他人が杏鷲の事を子供扱いしてるかどうかがすぐわかっちゃいます。
あの施設の悪徳研究者達がそうでしたし。だからなのかな。お兄ちゃんの前だと無表情が崩れるんだよね。キャンディー一杯くれるし。

「そういえばお兄ちゃん、初老さんと何時の間にそんな話をしていたの?」

「武器のメンテナンスを頼んだ時に話をする機会があってさ・・・」

『俺の武器のメンテナンスや改良よろしく。個人的にチップは弾むぜ?貯蓄思考の俺の元には金がタンマリあるからよ』

『ホッホッ。おぬしとはよい酒が呑めそうじゃわい。よかろう。任せておけ』

『頼むわ。あと俺は酒よりオレンジジュースの方が甘くていい』

「・・・みたいなやり取りの後に色々意見交換したんだっけか。あのジイさん金遣いの荒ささえ何とかなりゃ今頃表舞台でも脚光浴びてたんじゃねぇかな」

(オレンジジュースって・・・。『兄さんってコミュ障の気があるね』って杏鷲と話してたのにそれに加えて)

(お兄ちゃんって本当に子供っぽい。だから渡瀬チーフにガミガミ怒られてるのに)

杏鷲達よりよっぽど子供っぽい印象が言動の端々から見て取れるお兄ちゃん。幼い子供が思考回路そのままで大人になったようなイメージ。
しかも団体活動に馴染めないコミュ障の気があるお兄ちゃん。他人からどう見られてるのかにも結構無頓着っぽいし。そういえば能力も引き篭もりには最適な能力だ。
こんなお兄ちゃんがどうして杏鷲達より小さな年で『闇』へ入ったのか謎も謎。試しに聞いてみた。
『俺が話してもいいと思えるまでお前等が生き残ってたら教えてやるよ』と返事が返ってきた。何気に酷い事を言うねお兄ちゃん。
長らく一匹狼だったから仲間意識とかが薄いのかもしれないなぁ。暗部がそういう利害関係の固まりだと言ってしまえばそれまでだけどね。





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デザートタイムも終了し、これからアジトへ戻ろうかという際になってその話題が生まれた。

「初老のジイさんもこれで一安心かな。折角レベル上げのために拵えた代理演算装置を鳴鷲が不本意のまま使用する事はジイさんにとっても余り気分の良いもんじゃなかっただろうしな」

「あたし頑張るよ。初老さんの話だと大能力者級の力を振るえるようになるそうだし、その力で何処までの事ができるか早く把握しないと」

「・・・ねぇお兄ちゃん。今の話でちょっと思ったんだけど」

「何だ?」

「お兄ちゃんってもしかして幻想御手みたいに他の能力者の能力を振るえたりしない?」

共感覚性を利用して使用者の脳波に干渉する音声ファイルでそれによって脳波パターンをある人間と強制的に同一とし、
AIM拡散力場を媒介としてファイル使用者の脳をネットワークのように繋げ、結果高度な演算装置を作り出す。それが幻想御手。
鳴鷲が言うにはその副産物としてファイル使用者の能力を効率よく、そして様々に扱えるようになるそうだ。実現不可能とされている多重能力(デュアルスキル)の真似事、幻想御手開発者曰くの多才能力(マルチスキル)を。

「理論上は不可能じゃねぇな。幻想御手は共感覚性を利用してる。つまり、脳波を特定パターンへ変貌させる共感覚の仕組みを逆算し解析すれば可能ではあるな」

「兄さん。何だか歯切れが悪いね」

「歯切れが悪いだって?そりゃそうだ。その仕組みが簡単に解析できるようなものなら今頃『闇』の中で幻想御手の仕組みを利用した多才能力者がポンポン出て来てる筈だ。
それが無いって事はそんな安易に仕組みがバレるような代物じゃねぇって事だ。それこそ木山春生(かいはつしゃ)当人か当人へ脳波調律を指導した木原幻生(クソジジイ)クラスでもなきゃ普通は再現不可能なんだろさ。
そもそもあれは開発者の脳波パターンを刷り込む代物だ。それを他の脳波パターンへ置き換えるのはそう簡単にできる事じゃねぇよ」

お兄ちゃんの口振りだと脳波調律の指導者に心当たりがあるっぽい。昔会った事でもあるのかな。

「それじゃ兄さんでも無理って事?」

「・・・それが理論上はそうでもねぇ。さっき言ったが俺はオヤジに幻想御手の対処を相談した時、実は幻想御手使用者が入院している病院へ足を運んでたんだ。
網様一座使って使用者の昏睡状態を調べるためにな。そしたら連中の潜在意識に抵抗の感触があってな。脳の働きをネットワーク処理に総動員させられてる弊害だったんだろう。
オヤジが手配した無人撮影機から流れて来る映像を見ながら調査を続行していたそこへ突如として流れて来たある音声。それは・・・」

「学園都市全域に流れた・・・幻想御手治癒プログラムが乗った音声だったよね兄さん」

「そうだ。俺はあの時治癒プログラムが共感覚性を利用して幻想御手使用者の五感へどう作用するのかじっくり観察できた。
そして俺が弾いた幻想御手そのものの五感作用と合わせてプログラム全体の『逆算』もできた。オヤジに寄越してもらった機材使って分析したわけさ。
率直に言って共感覚を操れる網様一座を使って俺の脳波パターンを他人へ刷り込む事は時間こそ少々掛かるが可能になっている。但し、それを一定期間持続させるのは無理だ。
網様一座は脳波全体を直接操る能力じゃねぇからな。どうしても脳波パターンがグラつく。つまり他からの助力がいる。杏鷲。鳴鷲。ここまで言って何か思い付く事はねぇか?」

「・・・・・・はっ!薊さんが持って来た」

「『メンタルパワード』!!」

「そうだ。相棒の能力を参考にジイさんが性能向上を試行錯誤しているあの『メンタルパワード』。本来は精神系能力の干渉を防ぐのが主な役割だが、相棒の能力を参考にするなら・・・。一応あれって多才能力の件も念頭に改良を進めてるんだわ」

渡瀬チーフの能力精神均衡は精神を鎮静状態のまま維持することができる能力だ。この『維持する』を『一定パターンにした脳波を持続させる』と置き換えれば。
渡瀬チーフの能力を参考に防げる精神系能力の強度を強能力者全体に拡大させるため初老さんが性能向上に努めている『メンタルパワード』が幻想御手再現の大きな力となる。

「性能が向上した暁には俺の網様一座と組み合わせる事で・・・」

「「多才能力者(マルチスキラー)澤村慶お兄ちゃん(兄さん)が誕生する!!」」

何だか興奮して来ました。普通なら絶対無理な多才能力をお兄ちゃんと『トループ』の技術力で再現する。その光景を近い将来お目に掛かれる日が来る実感が湧いてきています。
これは実際『メンタルパワード』を扱う薊さんの役割が重要になってきていますね。薊さんファイトです!

「とまぁ理論上では可能なんだが、実際問題はなぁ~」

「本当に歯切れが悪いですねお兄ちゃん。折角杏鷲や鳴鷲がテンション上げてあげたのに。嬉しくないんですか?」

「考えてもみろよ。まずよ。その多才能力に必要な能力者を何処から連れて来るんだ?お前等。俺が多才能力のために一般人の能力者を拉致して使い潰す事を良しとするのか?
幻想御手の理論を使う以上、その一般人は近い未来昏睡状態に陥る。これはお前等が毛嫌う悪徳研究者と同じ手口じゃねぇのかよ」

「「あっ・・・」」

浮かれてて見落としてた。他人の脳波を強制させられるんだからその人は一定期間が過ぎれば昏睡状態になる。
杏鷲達は能力者をモルモットのように扱って使い潰す悪徳研究者が嫌い。大嫌い。それなのに杏鷲達は。

「つっても俺も能力柄一般人を操る機会は多いしな。軽蔑するかい?」

「兄さんはモルモット扱いしてるの?」

「いや。あくまで仕事に必要な手段として操ってるだけかな。別に使い潰すのを前提に動いちゃいねぇよ。仕事が終わったら能力も解除してるし。敵に関してはその限りじゃねぇが」

それならまだ許容範囲内かな。『闇』で生活してる人間だし敵にそこまで配慮してたら命が幾つあっても足りない。
杏鷲だって鳴鷲だって死にたくない。死なないためには杏鷲達も色々乗り越えていかないといけないものも多そう。

「例えばその敵を捕まえて多才能力の一部としよう。そこで問題になるのが俺の能力限界だ。多才能力の肝は五感への刺激によって脳波を調律する仕組みだ。
だが俺の能力にも限界は存在する。五感操作と暗示能力は厳密には別枠みたいにさ。暗示なら継続できる方法はあるんだが五感操作にはれっきとした人数制限と範囲制限がある」

「「・・・」」

「しかも幻想御手の理論を使うとなるとフィルターを弱体化させて情報の幅を広げた上で改竄する必要がある。そうなると新たな制限が乗っかってくる。
制限自体はケースバイケースだが、範囲にしろ人数にしろ狭まる事は避けられねぇ。んで、そいつ等を俺の周囲に置きながら戦闘に臨まなきゃならねぇって何の罰ゲームだよって話」

「「・・・・・・」」

「後な、幻想猛獣(AIMバースト)って言うんだっけかあのAIM拡散力場を触媒とした潜在意識の怪物は。幻想御手のネットワークは暴走の危険を孕む。
間違っても数百数千の能力者の脳をネットワークとして繋ぐなんて真似は駄目だ。俺がヤバい。安全面を考慮すると一桁に抑えた方がいいわな。
そうなると扱える能力の幅も激減するし、効率の良い向上した能力を使用するなんて事も・・・な」

段々興奮が冷めていく。すごく問題だらけっていうか、問題を解決しようとするとどんどん魅力が減少していくこの感覚。
魅力的な文言を謳ってる癖に実際に使おうとした時に色んな問題が見えてくるような通販商品を買ったような時と似たような感じ。

「つーかさ。俺の周囲に置かなきゃならねぇんならそいつ操った方が早いし効率良くね?」

「「あっ」」

お兄ちゃんの口からトドメが放たれた。理論上は可能でも実際問題現場で運用しようとしたら従来のやり方の方が断然優れているのはよくある事。これは多才能力者澤村慶お兄ちゃんの誕生は理論だけで終わりそうだ。
『もし実際に運用するとしたらそれこそ俺の屍を越えていけみたいに何らかの事情で能力使用が困難になっている人間の能力を拝借するみたいな運用方法?』とか何とかお兄ちゃんはボソボソ呟いてたけどね。





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帰り道、杏鷲と鳴鷲はお兄ちゃんの両脇に立って手を繋ぎながら歩く。本当はこんな何気ない日常をずっと過ごしたかった。
でもそれは叶わぬ夢。もうわかり切っている。だからせめてこんな時くらいその真似事をしてみても罰は当たらないと杏鷲は思う。

「うふふ。何だかデートみたいですねお兄ちゃん?」

「デートみたいですねってオイオイ。精々周囲からは兄妹に見えてるんじゃねぇかな。俺ロリコンじゃねぇぞ」

「兄さんはこんな可愛い女の子と手を繋げて嬉しくないの?羨ましく思われる光景だよこの姿って」

「俺結婚願望無いからな。異性と付き合いたいと思った事も無いわ」

「それって思春期の男子として狂ってないですかお兄ちゃん?」

「うっ。お前等まで俺を狂ってるって言うのかよ。あの茶髪女にしろディオンにしろ俺の何処がそんなにトチ狂ってるって言うんだ。
そりゃよ、この10年仕事の上で殺した人数が四桁とかその辺まで上る時点で狂ってるのかもしれねぇけどよ。これでも『闇』の住人の中じゃまだ常識ある方だと思うんだがなぁ」

(四桁って・・・。兄さんは『刺客人』って呼ばれた人なんだよね。あたし達より小さい頃からずっと殺しを重ねている人間)

(やっぱり気になるな。お兄ちゃんがどうして杏鷲達より小さい頃から『闇』に身を置いているのか。どうして10年以上もの間お兄ちゃんはお兄ちゃんらしくいられ続けたのか)

お兄ちゃんが凄腕の刺客って話は既に知っている。仕事でかなりの数の人間を殺めている事も。それなのにお兄ちゃんは人間性を全く失っていない。
杏鷲なんかほんの一部の人以外だと無表情になっちゃうくらいに、鳴鷲なんか気性が荒くなっちゃうくらいに変わっちゃったのに。
『トループ』の中でもそういう人はいる。杏鷲達のチーフがまさにそうだよね。杏鷲達の事を子供扱い・・・じゃなく一人の女性として扱ってくれる人だから苦手意識は余り無い。
杏鷲達の服装もチーフがポケットマネーを出してくれたもんね。『女の子なんだから精一杯おめかししないと』って。

「まあなんだ。この『闇』も何時まで続くかわかったもんじゃねぇし、『闇』の住人の中じゃまだ常識があるって言っても余り意味は無いかもな」

「・・・無くなるの?本当に?」

「無くなるのかって?さぁな。だが予知能力者でもねぇ限り未来の事なんか誰にもわからねぇ。お前等が表の世界で年頃の女の子らしく過ごせる日常が来るかもしれねぇ」

ドキッ!

「・・・お前等はどっちもどっちかを守りたいんだろ?」

「鳴鷲は杏鷲にとって一番の宝物。鳴鷲のためなら杏鷲何でも頑張れる」

「杏鷲はあたしが守る。生きるのも死ぬのも最期まで一緒だ」

「なら尚更だな。お前等、その日常が来る時までどっちも欠かさず生き残れるようキリキリ動け。宝物は最期まで守り抜いてこそ価値があるんだからな。
『トループ』に舞い込んでくる依頼は色々あるようだぜ?勿論殺しの依頼もな。お前等の覚悟見せてもらうわ。あぁ。それと。数日前の件ありがとよ。助かった」

気休めかもしれない。この学園都市に根付く『闇』が消えるなんて事今の杏鷲達には想像もできない。
でも希望を持つ事は当人の自由だ。お兄ちゃんが口に出した希望。それを信じてみるのは決して駄目な事じゃ無い筈だ。
その希望が叶う日まで。杏鷲も鳴鷲も幾度も手を汚す覚悟を抱いて。

「そのためにも、お兄ちゃんには黙っての単独行動を控えてもらわないといけないと思います!」

「うっ。そ、それはまた別の話・・・」

「別の話なんかじゃ無いってば!渡瀬チーフに兄さんを更生させるよう命令されてるし、今日はとことん話し合おうよ兄さん!」

「で、でも今日の夜は発足した〔トルーパー〕の連中との顔合わせが・・・」

「それまでまだまだ時間があります!鳴鷲!」

「そうだね杏鷲!」

「「お兄ちゃん(兄さん)!お覚悟を!!」」

胸元に青色のブローチを装着した杏鷲から伸びる右手と胸元に赤色のブローチを装着した鳴鷲から伸びる左手を両の手で繋ぐ子供っぽいお兄ちゃんと一緒に遠阪姉妹は底知れない学園都市の『闇』を渡って行く。



第九話~遠阪杏鷲

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最終更新:2015年04月17日 23:01