―――時間は飛んで3年後のお話。
四方視歩が
人臣上利に引き取られてからしばらくは、実験は下準備の為の地味な工程が続いた。
行われるのは体内で分泌される物質を意図的に操作する為に体の成長の方向性を導く投薬のみ。
まだ能力も発現していない幼子達に施せる実験は今の所無く、一般的には気が楽な時期…と思われていたが。
「くっ…分かっていた事とは言え、この時期が一番つらいな…!」
「え~。良いじゃないですか、小さい子供も可愛い物ですよ?」
そう、人臣上利にとってこの時期の――自我を持ち始めた時期――子供達は厄介極まりない相手なのだ。
実験の経過を見る為にはボク自身が
被験者の様子を見るのが一番だ。…しかし
「ヒトオミ~。あそぼ~よ~、ねぇってば~」
「ええい!気安く触るな!と言うかナチュラルにボクを呼び捨てにするんじゃない!」
全く以って子供と言うのは扱いに困る。
礼儀を知らないどころか常識すら知らないときた。
被験者である以上、実験以外の余計な事柄で傷を付ける訳にもいかない。
だからと言って子供のうまい扱い方など把握していないボクには対処法など浮かぶ筈も無く。
こうして半ばされるがままにされるザマと言う結果に落ち着いた。…不本意だけどね。
「視歩ちゃーん、人臣さんは仕事があるから私と遊ぼうね~」
「は~い。終わったらあそんでよねっ、ヒトオミ」
ひとまずは子供の扱いに慣れている番のおかげでどうにかなっているが、はてさて。
これから先もこの子供たちの相手をしなくてはならないのなら、何か対策を考えなくてはならないな…。
「まぁ、それはそれとして。人臣さん、この投薬って何時まで続けるんです?」
「今投与している薬剤は成長期が始まる前で一旦止める事になる。それまでに体のホルモンバランスを定められれば良いんだけど…」
理論上はそうなる、とはいえ実際に現実ではその通りにいかない事など良くある事だ。
とにかく今は交感神経が活性化した際に「ある物質」を分泌する様に調節しなくてはならない。
急いでどうにか成る物ではないが、あまりのんびりしていられない事情もあるのだ。
ボクが始めたこの研究を知ってか知らずかは分からないが、同時期にある実験の話が持ち上がった。
(木原幻生…か。能力者の「暴走」に目を付けたのは偶然か、それとも…?)
どちらにせよボクはボクで目指す物がある。
それに向けて今は………子供の扱いでも勉強するべきかな。
「人臣おねぇちゃんは何時も難しい顔しちゃって大変だね~」
「ね~。もっとにっこり笑えばいいのにねっ」
…全く、子供と言うのは良く分からない。後、番は後で私の部屋に来るように。
上司に向かってその口ぶりは折檻が必要だ。とっておきのお仕置きメニューを用意しておいてやろう。
「ふぇぇぇぇっ!?こ、これくらいの軽口は許してくれてもいいじゃないですかっ!?」
「問答無用。さぁ、来たまえ」
いやぁぁぁぁぁぁっぁ!!と言う悲鳴がボクの研究室から聞こえてくるのも日常茶飯事。
全く以ってこの研究所も随分騒がしくなってしまった物だ。
まぁ、この四方と言う子が何故ボクを指名して預けられたのか、親が誰なのかは結局定かで無いままだけれど。
この子が研究の鍵になるとボクを踏んでいる。…理由は、特には無いのだけれどね。
―――さらに時は飛んで1年後
そんな日々も既に四年目に突入し、四方達は6歳となった今日この頃。
とは言え一年前と状況自体は殆ど変わってはいない。変わった事と言えば…
「ないすふぁいっ!――れいじんぐすとぉーむっ!」
「ウボアー!」
…と、まぁご覧の通り番が四方に吹っ飛ばされている訳だが。
そう、四方を始め一部の被験者達が早くも能力に目覚めたのだ。
それ自体は喜ぶべき事で、実験が先へ進むとあれば小躍りしても良い程の朗報なのだが…。
「…何をしているんだい?君達は」
「えとねー。バンが色々「必殺技」って言うのを教えてくれたの」
必殺技と来たか…。番が所謂「オタク」と言う奴で、特に格闘ゲームをこよなく愛している事は知っている。
しかしわざわざ子供たちにその知識を吹き込んでどうしようと言うのか。
…そして四方も四方でそれっぽいのを実現してしまっている辺り何とも言えない。
ああ、言いそびれたが四方の目覚めた力は「風を生み出す力」の様だ。
しかもどうにも才能があるようで、目覚めてまだそう経たない時期だというのにかなりの出力を誇っている。
そして先ほどボクがこの事実を朗報と言い切れなかった原因なのだが、それがここに起因する。
四方が能力を使ってイタズラをする様になってしまったのだ。
「あいたたた…。視歩ちゃんってば飲み込みが早すぎ…」
「で?改めて聞くが何をしているんだ、番」
強めの口調で問いただす。唯でさえ手に余り気味のこの子にこれ以上何を吹き込もうと言うのか。
考え次第では再びお仕置き部屋行きも視野に入れなければならないな…と考えていると、慌てた様子で
「あ、いや!能力の使い方をしっかり覚えさせれば制御をするようになるかなーって思いまして!」
「…考えあっての事だったのは分かったけど、それにしたって他にやりようはあっただろう?」
いやぁ、どうにも趣味が先行しちゃいまして、と悪びれる様子の無い番には後で折檻するとして。
四方の方へと向き直る。どちらにせよさっきの様な「必殺技」をあちこちで放たれては堪った物じゃない。
どうにか言いくるめて禁止しないと…と思ったのだが
「あ、人臣。私の能力ってそんなに痛いんだねぇ。これからは使う所を考えないと」
「ん?それは一言一句違わず同意する限りだが、何でまたそんな事を?」
言うまでも無く自覚してくれたのはありがたいが、理由が分からなければ気味が悪い。
どうしてそういう結論に至ったかと尋ねてみれば、それは意外でも何でもない答えだった。
「だって、ほら…バンがめちゃくちゃ痛がってるし」
「ああ、そういう事ならもっと痛めつけても構わないよ。…番限定で」
幾らなんでもそれは酷くないですか!?と言う悲鳴染みた声はスルーして…。
そこに自分で気づいた四方は優秀だ。自覚的であるというのは大人でも子供でも尊ぶべき長所だろ。
…あれ?何だこの思考は、まるで私が親バカの様じゃないか。まったく持って有り得ない。
「自覚無いんですかね、この人?」
「何の話ー?」
うるさい。ボクのイメージを崩すような発言をするんじゃない。
ボクにとってあくまで被験者達は「オモチャ」なのだ。じゃなきゃ第一話の冒頭のアレが唯のポエムみたいになってしまうじゃないか。
オモチャは遊ぶためにあり、壊れるまで使い潰す事に楽しみを覚える。
それがボクの基本スタンスなのだ。子供たちに感化される様な事が合ってはならない。
…そういうのを世間一般では「キャラ崩壊」と言うんだったか。そんな憂き目に会うのは御免被る。
「割と手遅れなきもしますけどねー」
「…番、今日のお仕置きは三倍プッシュだ」
ひぇぇぇぇぇっ!赤い部屋に閉じ込められるのはもういやぁぁぁぁぁぁ、と言う叫びはやっぱりスルー。
ボクは番の首根っこを掴んで自室へと引きずっていくのだった。
「あ、四方。キミは自分の部屋に戻っておきたまえ」
「はーい!二人とも、またね~」
手を振って去っていく四方に手を振り返す番。
気づけば自分も手を振るまではいかなくとも、手を挙げて返している事に愕然とする。
それはそれとしてそんなボクの様子をニヤニヤと見つめる番の首を掴む力を強めるボクのだった。
「ぐぇぇぇぇっ。死にます、それ以上やったら死にますぅぅぅぅっ!」
「一回くらい死にたまえよ、君は」
…全く、今日も今日とて研究所は騒がしい。
―――例の如く時は飛んで3年後
「で?何をしているんだ、四方。…と言うか、当たり前の様に何故君が自由に出歩いている」
「ああ、前者も後者もまとめて答えられるわね、それ。いや、要するに…」
そうして説明する四方のセリフを信じるならば、どうやら彼女は番の仕事の手伝いをしているのだとか。
…研究者が被験者に仕事を手伝わせるのはアリなのかナシなのか。議論の余地は無い、ギルティだ。
「まぁ、君の方に落ち度は無いだろうから止めはしないが…四方、ちゃんと対価は貰っているんだろうね?」
「対価?いや、別に特に貰ってないけど…」
全く、分かっていないなこの子は。他人の為に何かをするならば対価を受け取るのは鉄則だというのに。
それが分かっていない辺り四方もまだまだ未熟と見える。
「四方。忠告しておくが何かを他人の為にするならば対価を受け取れ。それがなければ手を貸してなどしてはならないよ」
「何よソレ?別に誰かを助けるのに理由なんていらないでしょ」
…こんな環境でよくもまぁこんなセリフを吐ける子に成長したな、この子は。
いや、私も私で手繰を訳も無く助けていたりしたから人の事を言えないが。
あれはあれで助けた後に彼の利用価値が判明したから、その為に生かしてやったと公言しているが…
助けた時点では対して理由が無かったと言えるからな…気まぐれと言う奴が良い方向に転がる事もあるという良い例だ。
しかしそんな気まぐれで助けた命とは言え、タダという訳にはもちろんいかない。
ボクが彼を助けた対価として、ボクに対して破格での情報提供を約束すると言う取引が行われている。
そういう「取引」の繋がりと言うのは裏切りや誤算を生みにくく、安定している。
…誰かと親交を深めたいというならば尚更、どんな形であれ安定した繋がりが必要だ。
「別に理由を強要している訳じゃない。助ける理由は人それぞれだし、理由の有る無しも人それぞれだ」
「なら、何が言いたいの?」
言い方は胡乱な物だが素直な疑問の様だ。まぁ、突然ボクがこんな事を言い出せば疑問にも思うか。
いやしかし自分でも少々意外ではあるのだ。何故ボクは突然こんな忠告をする気になったのか?
「ふむ…結局の所、人と人の繋がりなんて脆い物だ。絆や友情を否定する訳じゃないが…補強するものが大いに越した事は無い」
「ええと…つまり「取引」って繋がりで関係を補強しろ、って事?」
飲み込みが早いようで何よりだ。この理解力は幼いながらも賞賛に値する。
まぁ、こんなお節介染みた忠告をしたところでこの施設内に居る限り、彼女がこれを実践する事は中々無いだろうが。
「ふぅん…ま、折角の忠告だから受け取っておくけど…」
「そうすると良い。差し当たっては番に何かしらの対価を要求する事をオススメするよ」
あ、なるほど。何故わざわざボクがこんな忠告をしてしまったのかようやく分かった。
番の常識外れな行動に対しての新たな形での制裁を、と言う魂胆らしい。
…無意識の内に番への仕置きを念頭に置いた言動をしてしまうとは認めたくない現実だな。
「…人臣って、番を虐めるのが趣味みたいになってない?」
「言うな。今それに気が付いて愕然としている所なんだ」
まぁ、虐めたくなるのも分かるけどね~と身も蓋も無い四方。
確かにあの反応は癖になるものがあるし、どうにも犬か何かを相手にしている様な気分になるのも確かで…
…いかんな、これでは本当に番を虐めるのが趣味のようになってしまう。
「でも言う通りね。番には何かご褒美を要求しとくわ」
手をぷらぷらと振りながら手伝いへと戻る四方を見送る。
さて、それはそれとしてボクもただ四方と戯れるためにやってきた訳では無い。
今日は四方以外の被験者の状態観察へやってきたのだ。
(とは言え、当初に比べれば数は随分減ったな…仕方の無い事とはいえ、焦る物があるな…)
被験者の数は当初の半分にまで減ってしまっていた。
最も、適正のない者に対してまで研究を続けるのはまるっきり無駄だしね。
コストの面からも切り捨てる事に価値があると言える。
そして、切り捨てられた子達がどういう末路を辿ったかと言えば…
「あ、人臣さーん!引き取り先、見つかりましたよ!」
「…君のせいでボクのイメージがどんどん崩れていく気がするんだが、何故かな」
そう、切り捨てられた子達の末路は本来、闇に葬られてそのまま終わる筈だったのだが…。
この番とかいう良く分からない助手の必死の主張によって適正無しと判断された被験者は孤児院へと引き取られる事になった。
…我ながらやってる事が甘ちゃん以外の何者でもないな…。
「な、何か登場早々に酷い言い草…!というか此処で何してたんですか?」
「いや、さっきまで四方と…あ。そうだ、忠告だが財布の中身を充実させておいた方が賢明だよ」
へ?という疑問顔の番は放っておいて…数日後、猫のぬいぐるみを抱えた四方と財布の薄さに涙目になる番の姿がある事は別の話だ。
そろそろ無駄話は終えて本来の目的を果たしに行かなくては。
「あ、何処行くんですか?」
「他の被験者の所へ行く。現状、四方にばかり気を傾け過ぎな一面があるからね」
まぁ、確かに実験としても四方が一番進みが速いのは事実だけれど。
それ以外にも有望株は幾つかあるのだから、そちらを蔑ろにするわけにはいくまい。
…という訳でやってきたのはとある被験者の部屋の前だ。
簡素な物である物の、被験者達には一応部屋が用意されている…例の如く番の提案でだ。
そしてその部屋の内装は案外きっちりとしていて、洗面台まで設置されている始末。
…無論、番の提案で。何だかボクは研究者と被験者の関係性についてよく分からなくなってきたよ。
ともかく、そんな風に対女の子用設備が無駄に充実した居住用スペースを訪れたボクだが、中に入るのを少し躊躇していた。
どうにもここの住人…の片割れの方だが、扱いに困るんだよねぇ…。
「ま、うだうだ言ってても仕方ないか。…入るよ」
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「…何か用ですか?」
「あ、えーと…何でしたっけ…イチオシさんだっけ?」
惜しくない。全く以って惜しくないが人を朝のニュース番組のコーナーみたいな名前で呼ぶんじゃない。
いやまぁ彼女達にはあまり接していないから間違っていてもニアピンしているだけマシという物か…いや、それにしたってイチオシは無いだろう。
「…へぇ。実験責任者が直々になんて珍しいですね」
この微妙に無愛想且つ皮肉たっぷりな感じで喋る子の方が「吉永芙由子(よしなが ふゆこ)」と言う名前だ。
ついこの間、電撃を操る力に目覚める事に成功したと報告を受けている。
未だレベル1の微弱な能力だが、この早さは目を見張る物がある。
四方と合わせてゆくゆくはかなりの高位能力者になるのかもしれない。
…そんな未来が来るかどうかは保障しないが。
「何かいつもと違うことがあったんじゃない?どーなんですか、そこらへん?」
「いや、特にそういう訳じゃないよ。単に偶には直に検査をする必要があると思っただけだ」
この割かしフレンドリーな方が「松井 弓削(まつい ゆげ)」と言う名前。
まだ能力の発現こそない物の、投薬実験自体はうまくいっているので展望はあると言った所か。
ボクが進めているこの実験は能力者が対象で無ければならないという前提がある。
その上で、被験者の体が成長を始める前。つまりは幼児の頃から投薬を繰り返して体内の分泌物を操作する。
この二つの条件をクリアする事で初めて実験の本質へと迫る事が出来るのだ。
(その先へ進むには更に気の遠くなるようなギャンブルに勝つ必要があるが…さて)
結局の所、この手の実験の一手目など最初からダメ元の様な物だ。
失敗したところで気にしない。その失敗から学び、更に短期間で確実に成果を出せる様に再実験。
…とは言え、今回の実験は一回に掛かる時間が長過ぎるが故にこの実験ばかりに掛かりきりな訳でもないが。
合間にその他の研究を挟みながらこの長期プロジェクトに挑んでいる以上、失敗しても気にしないって言うのは強がりだけど。
「検査、ってまたあんな痛いのやるんですかぁ…」
「いや、今回はそういう物じゃない。少しばかり血液を採取するのと…幾つかの質問に答えてもらうだけだ」
そう言うと少しばかり安堵した様子の二人。まぁ、誰だって痛い目に遭わずにすむと分かればそうなるか。
あの四方ですら投薬や実験の際には表情を曇らせる事だし、仕方のない事だろう。
それに何の反応も返さないオモチャはつまらないし、多少のリアクションはスパイスとして楽しめる。
「まぁ、来たのが女の子でよかったじゃんね、芙由子」
「ん?どういう意味だ?」
松井の発言に疑問を覚えて、吉永に向き直ると微かにバツが悪い様な表情を返された。
そういえば吉永についての報告書には「性格に難あり」と書かれていたが、それ関係か?
しかしその質問に答えたのは吉永ではなくて松井の方だった。
「えとですね。芙由子ってば男の人が恐くて近付くだけで動けなくなっちゃうんですよ」
「………別に、恐い訳じゃないし。苦手なだけ…」
それを恐いと言うのだと思うけど…いや、しかし思っていたのとは違う理由だったな。
しかしこの身が女性である事に助けられる日が来るとはね…。
「しかし、女の子と言うがボクは君達より年上だよ」
「えっ!?私達より小さいのに!」
失礼な子だな…。いや、ボクの身長が低いのは誰が見ても思う事ではあるだろうけど。
ボクはこれでも今年で成人する年齢なんだけどね。因みに番はボクの一つ年下で、未だに未成年だ。
…ん?若過ぎるって?それはそうだろう。何せボクは十年以上前から研究職についているのだし。
そして番も七年前程から学生をしつつ助手をしているあたり特殊な例でもある。
「…それにしてもこんな施設に閉じ込められている身で男性恐怖症って言うのは不可解だな」
「でも芙由子ってば私と相部屋になった最初からこうでしたよ?」
となれば一人部屋だったそれ以前に原因があるという事か。
そこら辺もきちんと把握しておかなければならないのがこの研究の辛いところだ。
ボクはカウンセラーでも何でも無いんだけどねぇ…
「吉永、何か原因に心当たりがあるかい?」
「だから恐くなんか無いって…別に、何も無いです」
別に嘘を吐いている様には見えないが、だが全く心当たりが無い訳も無さそうだ。
本人も余り覚えていない所で何かがあったと見るべきだろう。となれば…
(確か、その時期にこの子を担当してたのは…この男か)
手元の書類を確認すると、ある男のデータが記されていた。
彼がこの吉永の実験経過を調査し報告していた研究員なのだが…彼が原因か?
名前は…「蜜柑 修(みかん しゅう)」か…。何かフルーティーな名前の奴だな。
写真を見ると若い男で人相はお世辞にも良くないと言えるだろう…人の事言えないけど。
「吉永、この写真の男に何かをされた覚えはあるかい?」
「……?顔は知ってるけど、特に何も…」
ふむ…読みが外れたか。まぁ、この場で直ぐに分かるなら苦労はしないか。
ボクの進める研究では感情と言う面も重視される以上、早いところどうにかしたい所だが…。
何にせよ、この蜜柑と言う男に関しては改めて調べてみる必要があるな。
番にも色々と詳しく話を聞いてみるかな。番はあれで色んな人脈があるし…基本、虐げられてばかりだけど。
「そうか。まぁ、今はそれは良い。…それじゃあ、これから幾つか質問をするから」
「今のも質問だったとおもいまーす。で?どんな質問なんですか?」
余計な口を挟まんでよろしい、と釘を刺しておく。
吉永の方はそうでもないが松井は随分とフランクな奴だからな…四方よりマシだが。
「まず、一つ目。怒ったり泣いたりした時に体に異常を感じた事はあるかい?」
この質問は結構重要だったりする。何がって怒ったり泣いたりすると言う行動にこの研究の肝があるからだ。
交感神経が活性化している時、つまりは感情が激した時に彼女らの体の中ではある物質が分泌されている。
その「物質」はそれ自体では害も益も持たない物で、強いて言うならば少しばかりの幻惑効果を持つ位か。
しかし彼女ら被験者にとってはその物質は脳内でとある効果を発揮する劇薬と化す。
…同時期に実験を始めた木原幻生が発見・製造法を確立した「晶体」とは別の方面からアプローチをした結果
ボクは「能力を暴走」させると言う効果を発揮する事に成功したのだ。
しかしこれはあくまでこの物質と被験者の体質が合わさって効果を発揮する物だ。
幼い頃からそれ用に調整された肉体がなければ何の価値も無いこの物質は、学会では冷たい目を向けられる結果となった。
だがこの物質の持つ本当の価値はそこでは無い。ボクが目指す研究の先はもっと先にある。
「うーん、私は特に無いんだけど芙由子は前に…」
「…そうね。前に怒った時に能力がおかしくなった事がありました…何かこう、制御できなくなるって言うか」
ふむ、やはり能力が発現している吉永には既に暴走の兆候が現れているらしい。
良い傾向だな…。彼女は少々性格に難があると言われているが、むしろその傾向はきっかけとしてはいい結果を齎すかもしれない。
感情が昂ぶりやすい吉永は実験のデータを取るという意味では最適かもしれない。
安定させるのは少々骨が折れそうだが彼女にも目を重めに傾ける必要がありそうだ。
「そうか…またその現象があった時は報告してくれ」
体晶の事はボクも調べてみたが、あれはリスクが大きすぎる。
服用するという動作が必要な上にその代償があまりにも大きい。服用を続ければ対象はたちまち壊れていく代物だ。
もちろん、能力の暴走と言う現象そのものが体に負担を大きく掛ける物であるのは確かだがそれにしてもあれは頂けない。
対してこの研究で怒る暴走はリスクが限りなく抑えられている。
しかも体晶の様に服用と言う動作は必要なく、体内で生成される物質で事がすむ。
被験者にとっては元々体内で生成される物質なだけに負担は限りなく少ない。
ボクが目指す境地に辿り着くためには被験者が幾度もの暴走に耐えうる必要が有るが為の回り道。
「しっかし、私達が受けてるコレって一体何なんですか?何を目指しているのやら私にはさっぱりで」
「君達にそれを教えるのは研究に支障がでるから無理なんだけど…まぁ、強いて言うなら「心と心を繋ぐ」事か」
あらロマンチック、と言う松井の発言を聞きつつボクは自分でもロマンチストが過ぎると感じていた。
言い方を濁したとは言え「心を繋ぐ」と言うのは実は遠くない表現だ。
「…心を繋ぐなんて馬鹿らしいです。でも、結局の所私達は従うしか無いんですけどね」
「そーんな嫌な言い方をしなくても良いじゃんねー芙由子。まぁ、確かに閉じ込められて酷い目に遭わされてるのは確かだけど」
二人揃って嫌な言い方をしてるじゃないか。いや、文句を言われる程度で済むのはマシとしか言い様が無いんだけど。
番のおかげで今の所犠牲者は出ていないが本来ならこの時点で十人以上が死亡していても仕方ない仕打ちに遭わせている訳だし。
…しかし、つくづくこの世界において番は異常な存在だな…。
ボクとしてはオモチャが長持ちするので一向に構わないが、他の研究者からすれば疎ましく思われても仕方ないだろうに。
現に幾度と無く恨みを買われて命を狙われる類の嫌がらせを受けている様だし。
そんな目に遭いながらしぶとく生き残って生還してくるのはある種の才能か。
「何の話ですか?番ちゃんの事ですよね、それ」
「ああ、番の奴は何と言うか妙な奴でね。君達が無事に生きている理由も番のお陰と言っていい」
そんな事をボクが堂々と言い切るのもどうかと思うが、事実なのだから仕方ない。
…ああ、今更だが番が何をしているのかの説明をしていなかったか。
前に適性の無い子供の引き取り先を番が探してきていると言う話をしたが、それ以外にも色々と裏で番が暗躍していたりする。
何気に医療の知識を持っている番の手によって死の淵から呼び戻された子供は数え切れない。
そう、あの女はこんな仕事についていながら被験者の命を絶対に救うのだと言う妙な信念を持っている。
そして事実その信念は大抵の場合において守られる傾向にあるらしく、彼女が担当した実験の死者は他に比べて極めて少ない。
「番ちゃんってば変な人ですよね~。前に他の子の治療してるのみたけどすっごい必死でびっくりしちゃった」
「むしろそんな目に遭わせている側の人なのにね。どっかおかしいんじゃないの?」
それについては全面的に同意しよう。遠くで「いい加減私を虐めるのはやめてくださいよ~」とか聞こえる気がするが気のせいだろう。
多分今頃本人は四方に無茶なおねだりをされて冷や汗をかいている頃だろうし。
「まぁ、番の話はそこまでにして…次の質問に答えてくれ―――
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
…とこんな風に検査と言う名の雑談の様な何かは過ぎていく訳だ。
いかんせんボクのキャラ設定に対して明る過ぎやしないか、見た人がと疑問を覚えるのも仕方が無いとは思う。
しかしその原因は恐らく番あたりなのでボクに責任は無い。
あのお気楽に過ぎる女を見ていると、真面目で居る事が馬鹿らしくなってしまうのだ。
ある意味で恐ろしい才能とも言えるが…ま、過去のボクが今のボクを見れば目を疑うであろうボクの現状も、環境も。
今となってはそれほど悪くは無いんじゃないかと思うのだから、人とは変わる物だと感心せざるを得ない。
…今更変わった所で過去の悪行が無かった事になる訳でも無し、影に生きる人生である事には何ら変わりは無いのだろうけど。
それどころか悪人である事を貫けなくなった今、ボクは著しく弱体化していると言える。
こんな有様じゃあその内に何処かの正義の味方にでも始末されてしまいそうだ。
昔ならいざ知らず、今のボクはあまり死ぬことを歓迎できない。
研究目標や野望はあれど、死んだら死んだで構わないなんて粗末な考えを抱いていたのが過去のボクだ。
その辺りが「最も木原に近い存在」と呼ばれるボクと、本物の「
木原一族」との決定的な壁だったのかもしれない。
研究の為に生きているのは確かだが、研究の先に崇高な目的がある訳でも無い。
結局はその場その場で実現したい何かを為しているだけ…。その為には非情になる事も、悪魔になる事も厭わなかった。
しかし今はどうだ。番という良く分からない存在を従える様になり、四方というこれまた良く分からない存在を引き取り、扱いに困る子ども達を大量に抱え、学園都市上部の思惑に触れ、ただただ経験したことも無い何かにさらされ続けて来たこの数年間。
今まで目先の事しか考えなかったボクが、初めて「先」を見たいと思ってしまった数々の物事。
なんて事はない。単にボクも生きてみようと思える理由が出来た、それだけの話。
見てみたい先がある。その先を見届ける為ならば…また、ボクは「なんだってできる」のだろう。
それが良い事か悪い事かはいざ知れず。今はたまたまそれが「いい方」へ向いているだけ、なのかな。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「という訳で、その邪神は折角感動的な話が続いていたのを一瞬でギャグに換えてしまったりする恐ろしい存在なんです!」
「へぇ。それは恐ろしいというか、噂が出回ってる時点で色々と残念な感じね」
吉永と松井の部屋から戻ってみると、手伝いを終えたらしい四方と番が話していた。
こいつは仕事をしているのか…?と疑問に思ったが特に今はする事が無かったな。
「で?もう何度目の問いか分からないが何をしているんだ二人とも?」
「視歩ちゃんに都市伝説を教えていた所です!世にも恐ろしい邪神の話を「教育に悪い話を吹き込むな!」
…本当に何時でも騒がしいな、此処は。
―――――また、こんな事もあったっけ。
「で?例の如くキミは何をしているんだい、四方?」
「え、人臣の手伝いだけど?」
そう、ここはボクの研究室で今この場に居るのはボクと四方の二人だけ。
何故か四方はボクの研究室の片付けをしていて、何故かボクはそれを眺めている。
確かボクは研究室で仮眠を取っていた筈なんだけど…。
ああ、ボクが寝てるトコロを部屋に勝手に入ったのか、コイツ。
「…いや待て、そもそも何故君が外を出歩いている?」
基本的に被験者は普段閉じ込められる様に自分の部屋に入れられている。
それは四方も例外ではなく、普段は自分の部屋で大人しくしている筈なんだが…。
「ほら、番がまた仕事を手伝ってーって言って…」
「またお仕置きが必要だなあの阿呆…」
と言うか、仮にその理由で部屋を出してもらったとして何故ボクの部屋に辿り着いたのか。
いや、大体予想はつくんだけど…
「番が『視歩ちゃんは人臣さんの部屋を掃除してあげてくださいね~。私が勝手に入ると怒るので』ってさ」
「既にボクを舐めきってるな、アイツは…!と言うか四方を使ってやったって同じだあの馬鹿!」
とりあえず何よりも先にやるべき事は決した。一先ずあの馬鹿女にお仕置きしなければ何も始まるまい。
という訳で研究室を早足で出て、番の姿を探す。
背後から「私はどうすればいいのー?」と言う言葉が聞こえてきたが今は放って置く事に。
―――――三分後
「番の奴はどこだ!?」
「え、えっとーバンちゃんはイマセンヨー?」
と、部屋の片隅で布の塊が声を上げた。へぇ、カーテンとは喋る物だったのか、初めて知ったよ。
…茶番は置いておいて。何の危機を察したか番はカーテンの中に隠れていた。
(隠れる位なら最初からしなければいいのに…)
我ながら至極真っ当なツッコミだなと思いつつ、その首根っこを掴む。
ぐえっ、だかなんだかの悲鳴を聞きつつ部屋の中央まで番を引きずって一言。
「…で?どうしてあんな事を?四方を使ってまでボクの部屋を物色したかったのかい?」
「ええと…それは…」
歯切れが悪いな。よし、こんな時は暇つぶしで開発したこの「低周波魔ッサージ機」をだな…
このマッサージ器は絶妙な振動と刺激で対象を快感の地獄へと叩き落す物で、以前番に試した時はそれはもう(ry
「それ以上いけない!ソレ使ったらとてもじゃないけどTVに写せない事になります!?」
「ならさっさと吐けばいい物を…」
こういう所で無駄に粘るから無駄に尺が伸びるというのに。
唯でさえ長々とした茶番とぐだぐだで構成されているこのシリーズが更に助長になってどうする。
「今更感溢れるセリフですねすいませんすいません反省してます!」
「で?何でこんな事をしたんだい?」
そろそろ本題に移って貰わないと困る。
未だに口を紡ぎ気味の番に冷たい目線を送ると、やがて観念したかのように。
「うぅ…分かりましたよぅ…。ええとですね…実は…ごにょごにょ…」
「はぁ?…ああ、なるほど。やっぱり君、馬鹿だろう?」
酷くないですか!?と言う悲鳴を聞きながらボクは呆れかえっていた。
いや、確かに理屈は分かったけど…
「だって、人臣さんは此処に住んでますし、私も此処に泊り込む事多いですから…混じっちゃったんですよぉ…」
「なら正直に言えば良かっただろう?そんなのを気にする歳でもあるまいに」
全く以って子供っぽくて困る。しかし、部屋の中にそんな物があっただろうか?
拙いな…部屋にある物を把握できていないって言うのはそれこそ子供っぽいじゃないか。
「気にしますよー。幾ら同性でも多少は羞恥心持ちましょうよ」
「馬鹿馬鹿しい。たかが下着が紛れ込んだくらいで気にしてられないよ」
そう、何故彼女がボクの部屋を片付けさせようとしたのか。
それは自分の下着が洗濯後、ボクの物と混じって研究室に紛れ込んでしまったかららしい。
正直に言えばいいものを、恥ずかしいからと四方まで使うとは呆れた物だ。
「でもでも、今頃きっと視歩ちゃんが見つけてくれてますねー」
「まぁ、探す手間が省けたといえば省け………まて、何か嫌な予感がする!」
えっ、と疑問顔を浮かべる番を放置して研究室へ急ぐ。
つまり四方は今、ボクの研究室を片している訳だ。そして、番の下着が紛れ込んでいる事実を彼女は知らない。
つまりどう言う事かと言うと…
(四方が番の下着を見つける→四方がそれをボクの下着と認識する→???)
碌なことにならない予感しかしない!
番の性格上、アレが着けている下着も明らかにボクのイメージには合わない類の物に決まっている!
「四方!ちょっと片付けるのをまっ……………」
「………………かわいい」ピローン
四方が手に持ち、広げる様な形で目の前に掲げているのは明らかにボクの下着では無かった、
何せその下着という物が…白、と言うだけなら良いが「アニメキャラのバックプリント」と言う代物だからだ。
と言うか!幾らなんでもそのチョイスは成人女性としてどうなんだよ!?
「…人臣、かわいいの履くんだねー。何かイメージ変わったかもー」
ちょっ!っと止める前に何故か嬉しそうな四方はボクの横をすり抜けて出て行ってしまった。
…え?何この状況…
「…まぁ、とりあえず番はお仕置きしとこう」
「えっ、酷くないですか!?」
知らん。とりあえずお前は反省しろ!
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後日、施設内でボクの噂がしばらく流れ続けたとかそんな話があったのはまた別の話。
いや、ボクが可愛いもの好きだとか見た目相応の子供用下着を愛用しているとか、普通に考えればおかしいと分かるだろ!
…はぁ、やっぱり此処は騒がしい…って、このセリフも何度目何だか。
最終更新:2015年11月27日 21:26