○私
私は、その人の事を「センパイ」と呼んでいます。
本名は知ってはいますが、色んな意味で尊敬の念を込めて「センパイ」呼び。先輩ではなく、パイセンでもなくセンパイです。
ですからここでは敢えて名前を語らず、センパイ、と呼ぶ事にしましょう。
私が通う学校、学園都市のとある学区のとある区画に存在します
天童寺学園は、中高一貫でちょっとばかしデカい図書館があるって以外は取り立てて何の個性も無いような学校。
母体が馬鹿でかい故に中には色んな個性豊かな学生たちがうようよと、それこそ私が把握しきれていない程にいるわけで。
しかしながら私が知る限りでは、高学年の子達のみならず自分より上の先輩方からも「センパイ」呼びされますのは、古今東西老若男女、右と左と探せども、唯唯一にセンパイだけで在りましょう。
年上にセンパイ呼ばわりされる程だからよっぽどの、それこそ学園都市なだけあって大能力者、或いは忍者か、将又統括理事会構成員の御子息か、さすれば天狗か悪魔か魔術師かー、だなんて邪推する気持ちも御最も。
ですがそんな豪華絢爛な肩書なんぞアリはせず。平々凡々人畜無害。青く瑞々しき学生生活を悪戯に悪友と食い潰しちゃう様な十把一絡げ系男子に過ぎないのです。
さすれば何故センパイ呼ばわりされるのか、そいつは今から語ろうかと。
これからつらつらと語りますは昼休みの一角を切り取った、有象無象の「私」視点で描く、何者でもないちょっとばかし特殊な「センパイ」と第三者が織りなす目くるめくワンシーンな訳です。
天道寺学園の昼休みはどうも騒がしい、中高一貫でまだ小学生気分の抜けきっていない中等部の生徒が騒いでたり、高等部にもなってまだ子供臭さの抜けない男子たちがプロレスやら何やらで揉みくちゃの乱痴気騒ぎを起こしているからとも言えますが。主たる原因はそれではないのです。
―――廊下の方から怒号が聞こえる。割合的には男子8割女子2割といった所か、人の集団が押し合い圧し合いせめぎ合いしながら私の居る教室を怒涛の勢いで疾駆してきました。
「またやってんねぇ、本当飽きないよねアイツ等」
私と机を介して向かい合わせで座っている友人はそういった。「ムサシノ牛乳100%配合牛乳パン」なる菓子パンを不味そうに食みながらの台詞でございます。
大覇星祭の借り物競争もかくありなんと言わんばかりに必死な形相の彼ら。それを眺めるか放置をする大多数。この構図は私が入学する前から脈々と受け継がれて来た言わば伝統行事化されているものの様で。部外者的には今日から即刻無くしても全く困りはせん悪しき習慣な訳だが、元参加者である卒業生連中の熱烈な希望もあってなんやかんや現時点まで生き残っています。
さてその一塊が顔面を林檎の様に紅潮させて向かいますは、学生達が勉学に励む学生棟から少し離れた別棟に設置されたし購買部。
彼らの狙いは学校名物「コロッケマヨパン」、学園都市外で言うB級グルメ的な代物です。
正直マヨネーズが衣に染みてべちょべちょしたパン、程度にしか思わないのですが。
そこがイイと言う一部のコアな狂信者が学年に一定数毎年発生し、そいつ等が寄り集まってあんな人間大移動を形成していると言った寸法。
あのパンのどの辺りが彼らをあそこまで狩り立てるのか。私はあのパンに麻薬でも入っているのではないかと一人勝手に納得するのであります。
「まぁ、あんだけ必死になった所で、ねえ」
喉の何処かに引っかかったパンをお茶で流すと、
「
上玉利先輩が、むふっ、一番乗りなんだろうけどね。今日も、おっほゲホッ、ガハ」
軽くむせたまま友人はそう言いました。
何を隠そうこの友人が言いました上玉利先輩こそがそう、私が人知れず崇拝している「センパイ」その人なのです。
「今日も来るでしょうか」
「来るでしょうよきっと、アンタも懲りずに良く見たいと思うよホント」
「はい、楽しいです。今日はどんな偉業を成してくれるのでしょう」
「偉業てアンタ」と友人が若干ヒいているのを尻目に、私は年甲斐も無く目を輝かせます。偉業、と言ったのも自分としては決して誇張でも何でもなく、そのままの意味で使った次第です。
それ程までに、センパイは昼休みに毎日多様な神業を見せて、否、魅せてくれるのです。
能力開発と勤勉にしか時間を費やすゆとりの無いこの閉塞的な学園都市ライフの中で、部活上がりに飲む炭酸水の如く、私にハジけたエンターテインメントを提供してくれる――――
センパイはまさしく私の恩人であり、心の安穏の象徴なのであります。
しかしながら何とも悲しい事に、私はセンパイの事をほんの少ししか知りません。というか、一回も会話した事も無い体たらくで御座います。
普段は平々凡々、という情報もこの目の前にいます友人伝手に聞いただけに過ぎず。私の目で、耳で、身体で知り得た情報というものはこれっぽっちも持ち合わせていないので候。
あくまでも憧れであり、見るだけでも十分私にとっては有り難い事ではあるのですが。
そう、贅沢を言うのであれば。
「センパイを」
ほんの少しの我儘を通せるのであれば。
「知って、みたいです。もっと」
それは、自然と口から洩れてた言葉。所謂願望なのであります。
「お」
一呼吸を置いて、
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ。どうしたの、あんた藪から棒に」
普段「さばさば系」を自称する友人も驚きを隠せない御様子です。私もビックリしているんですから、無理も無いです。
「も、もしかして……『ホ』の字ってヤツでございましょうかい」
「そんなんじゃ、ない。と思います、どっちかというと、興味をソソられる、です」
「あー……知識欲を満たしたい系?」
「あ、そんな感じです。生態観察的な、ああいや違います。何だろう、単なる興味本位といいますか危ないスイッチを押してみたい感覚といいますかその―――――」
と、何の意味も無い弁明をこねくりこねくりしている傍らで。王蟲の群れ染みた人の流れを追従する彗星の如き何かが駆けていきました。
「お、上玉利パイセンのお出ましだよ」
思わず廊下側の窓から身を乗り出して、私はその背中をしげしげと眺めます。
――――相変わらずナルト走りなのですねセンパイ。その見る人を楽しませる事を忘れないエンターテインメント根性に、私は感服致します。「普通に走った方が早いんと違うんかな」という友人の無粋で残酷なツッコミを物ともしないその強固な自分だけの現実(パーソナル・リアリティ)。たとえ無能力者でも私の中では超能力者級ですよ、センパイ。
今日も今日とてコミカルに土煙を巻きながら、渡り廊下を疾駆するセンパイ。その後ろ姿を視界に入れつつ「あぁ今日もセンパイは愉快だなぁ」と心で微笑みながら、午後からの退屈な能力開発に頑張る原動力をチャージするのです。これが私の日常。
何時もならこの調子で「今日も見事なナルト走りでした、センパイ」でしみじみと締めるトコなのですが、今日はいつもの様には行かず、
「ほら、行っちゃうよ上玉利先輩」
と、友人は親指を走り去る先輩に向けながら、
「もっと知りたいんでしょ。チャンスだぞ」
なんと、ホラ追って来いよと私に目くばせするではありませんか。
何という所業。このお方は我が安穏の習慣という名のイマジンをぶち殺そうと言うのでしょうか。何と意地悪な顔をしている事かこの友人は。もうまたパンを喉に詰まらせても背中をぽんぽんしてやりませんからね、と心に決めながら。
「そうですね、思い立ったが吉日とは良く言ったものです」
と、敢えてヤツの口車に波乗りしてみようと思います。何せ口火を切ったのは他ならぬ私でありますから。男ではないのですが。二言はねえぜ、って所です。
それに、「いつも見てます、アリガトウゴザイマス」の一言くらい言ってやらねば、いつも元気を貰っているのに申し訳が立たないって物ですので。
もう、センパイの小さくなる背中を愉快に眺めるのは終焉と致しましょう。別にB級未満の中毒パンには全く興味はありませんが、センパイに一言物申したいが為に身を粉にしてでも購買戦争とやらに参戦いたしましょう。
かくして、私はセンパイの背中を追う為に血で血を争う購買競争に身を投じる事となるのです。
○私
さて、いざ購買競争に馳せ参じたのは良いものの。これが思ったよりも生半可なレースでは無いと、実際に交じって初めて気づきました。なんせ相手は胃の中を空っぽにし飢えに飢えた健康優良少年少女。お目当ての御馳走が数量限定と在らば、その必至さもひとしおなワケで。具体的に言うなれば全く道を譲って下さらないのです。まるで肉のバリケードの様に所狭しと密集し、すり抜ける隙間すら見つからない程です。彼らの二重の意味でのハングリーさに今更ながらちょっぴり引いている次第です。
しかしここでしょぼくれている様じゃあとてもセンパイに顔向け出来た物じゃあございません。先刻センパイが何の躊躇いも無くこの肉癖の僅かな隙間を縫うように、否、染み込むかの如くするすると掻い潜っていった様に、どこかしら付け入る隙はある筈なのです。頸を延ばして鶴望す、さながら疑似餌をチラつかせたアンコウの如く今かー今かー、と機会を待ち望む私です。
――――――ええいしゃらくさいですね、蹴散らしてしまいましょう。
○センパイ
ここで話し手はガラリと変わる。
廊下のコーナーに差し掛かった際に出来る人の滞留、及びその時に出来るごく僅かな肉壁のほつれを潜りぬけて数刻たった頃だろうか。先程から感じていたどろっとした不安が顕在化した。ハッキリ言うなれば、ついさっき自分が居た後方から「ぼうーん」というコミカルな破裂音に振り返ると、まるで漫画の様にぴゅーっと吹き飛ぶ人の姿が見えたのだ。
「なんだ、あれは?」
「判らん、後ろがごちゃごちゃしていて何が何だか。とにかくヤバいのは確定的に明らか!!」
そんな声が聞こえる。もはや悲鳴に近い叫び声は後ろの方から徐々に飲み込まれ次第に何も聞こえなくなる。
「飲み込まれたらどうなってしまうんだ……?」と思わず呟く。想像するだけで背筋が凍る。
廊下の埃っぽい匂いや体操袋、誰かの内履きズックなどの諸々と共にぽんぽん撒き上げられる後続者達、その得体のしれない何かに必死に逃げながら目的地へと邁進する先頭グループというこの構図、さながら突如発生した大雪崩に逃げ惑うボーダーのようである。
その余りにもふざけた光景を目の当たりにして思わず足を止めたくなる衝動に駆られたが、生憎ここは一分一秒を争う世界。ああいとおかし、といって眺めるだけの野次馬に成り下がるつもりなど毛頭ないのだ。
冷酷無比な勝負の世界なれど、流石にたかだかパンの為に校内に爆発物を持ってくる馬鹿野郎は居ないものとして考えるに。恐らくあれは超能力の類とみて間違いは無いだろう。しかしながらああいった類の能力を使う参加者は過去に見た記憶はない。頻繁に購買競争に参加する生徒の名簿と各超能力諸々はすべて洗い出し、対策を構築済みである。したがって自分の身に覚えがない現象=新参者の超能力によるものと断定する事にした。
先頭グループは二度目のカーブの勢いを殺さず、そのまま階段をばたばた駆け降りる。
天童寺学園の高等部校舎は一年二年と三年の間で階層が異なっており、職員室等は一階、一年二年は二階、三年は三階と区分けされている。その為購買競争は階段を駆け下りる手間の分だけ下級生である一年二年が有利になる仕様となっているのだが、それが絶対的な差となり得るわけでも無く、事実栄光の聖杯(コロッケマヨパン)を勝ち取るのは高等部三年が四割を占める。上級生諸君らは階段の差を如何に埋めるかという、知略策略謀略戦略奇策田吾作etc.が複雑怪奇に絡み合った思考戦の果てに勝利を奪取するのだ。
したがってここ階段エリアは上級生の介入が傾れ込んで来る激戦区域であり最も気を抜けないエリアの一つなのである。
なので自分はこの中間地点で一気に先頭に躍り出る様勝負を仕掛ける。
「――――イメージは忍者。接地点は柔らかく、踏み抜くように。大丈夫、俺なら出来る。俺なら――――」
そう独り言を呟くと、本日最初の神業を、やってのける。
階段の上から一気にジャンプし、階段の折り返し地点の壁に衝突しない様三角飛びの要領で壁を蹴り、軌道を急旋回させ、スタンと着地する。
後方から突然人が飛びぬき、壁をクッション代わりにして抜き去っていく姿を見るのはさぞ驚く事だろう。抜かれた人は皆口を揃えて「上玉利が飛んだ……」、「ジツだ、ニンジャに違いない」とどよめいている。
―――――余談だが、この技術を見る人は揃って「半ば人間離れしている」と揶揄するのだが、個人的には超能力を持っている人間の方がよほど人間離れしていると言える。
当然の事ながら自分は忍者ではない。そもそも忍者が現代に実在するかは定かじゃないが、自分が使える全ての技術はあくまで人間の身体で成せる範囲の事、それも一般人が出来る範囲の事に過ぎないのだから、「やれるかやれないか」ではなく、「やる度胸があるかどうか」の差にすぎないと自分は考えている。
兎に角、この作戦により前のグループをごぼう抜きし、目の前には残す所後数人である。
しかし当然の事ながら階段エリアで勝負を仕掛けるのは自分だけではない。
ふと上を見上げると階段の手すりに乗って滑り降りてくる三年生が三人、猛烈な勢いで追随して来るではないか。彼らは三年生グループの中でも強豪であり、昼休みに勝ち取ったコロッケマヨパンを上手そうに頬張って帰ってく姿をよく見かける。少しでもバランスを崩そうものなら怪我に繋がりかねない様に見えるが、グループの一人が重力操作の超能力を持っているらしく、演算で姿勢を安定させているのだそうだ。
三人の内の先頭の男は滑りながら呵々大笑している。
「かはははははははははははっ、おっ、遅いっ、遅すぎるぞおおおおおお諸君んんんんん。」
どうやら滑りながら話すのは少し怖いようで、顔には一抹の不安を露わにしているのが見え見えである。みっともないぞ三年。
「か階段なんぞ、馬鹿正直にちちチマチマと、わっ我々にすればぎぎぎぎ牛歩に同じ!!今日のコロッケマヨパンは我々が独占するっるるるるるるるるうううううううううう」
「階段の手すりで滑っちゃダメって親に教わらなかったかマナー違反共!!」
「ううううう、うるせいっ過程は結果で埋められるんだよ。規則でパンが買えるかってんだよ、それと上級生に対してタメ口はいただけないなっ」
と三年三人衆のリーダーらしき一番手が毒づいた。もう彼我の距離は階段半階分といったところか。本来ならばこのまま階段エリアで三年連中が先頭グループに躍り出るのである、そう、本来ならば。
「おおおおおおし、ここここのままっまままあ先頭に躍り出るぞっぞぞぞ、おおおおおおおおおおおおおっ、うううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?」
突如三年の姿勢がぐらり、と崩れた。後続に広がる埃と人で形成された謎の雪崩に面食らった結果、奇しくもそのど真ん中に突っ込む形となった模様である。コミカルにばひゅーんと飛ばされる三年生を視界の隅に捉えた後、特に後ろ髪を引かれる程の思い入れも無いのでそのまま驀進する。
さらば三年三人衆、登場してから何となくオチは読めてた気がするが印象には残る最期であったと言ってやろう。
「骨は拾ってやろう、なむなむ」
一階に降り立つ頃には破裂音は収まっていたが、それでも柄にもなく神に祈りたくなるほどには後ろは地獄絵図であった。
○私
「ふう」と一息つく、これで参加者は半分位片付いたでしょうか。少々手荒な手段になったとは言えども、いやあいい仕事をした。爽やかな気分で額の汗を袖で拭います。
これで何の障害も無く、悠々と、大手を振ってセンパイの下に迎えましょう。
ふと自分がたどった軌跡を振り返ると、廊下はぺんぺん草も生えていない様な有様だ。撒き散らかした学校特有の埃っぽい匂いがつん、と鼻を突きます。
「すみません掃除のおばさん、すみません先輩方。骨は拾いますね、なむさんっ」
と精一杯の反省の念を示した後、再び私はセンパイの方へと向かうのでした。
ところで、言い忘れていましたが私何とも喜ばしい事に超能力を発現しておりまして。それも我ながら結構イケるクチだと自負しております。なんの超能力かは秘密です、乙女の秘密って奴です。ですから聞くだけ野暮ってモノなのです。
二階の階段をずんずん降りていき、一階に降り立ちました。ここからは直進し正面玄関で靴を履きかえ、別棟の購買部までは一直線になります。初めて購買競争に参加したので勝手はちんぷんかんぷんですが、多分みんな玄関で手こずりそうですよね。だって靴を履きかえるのって手間がかかりそうですし、靴紐とか大変そうですし。
ですので、センパイに追い付くのは最も手こずるであろう玄関がベストであると判断した。あくまで私の目標はセンパイへの接触であり、日頃のありがとうを一方的にぶつけるだけなのだから。パンなど全く要らないのだ。
「このまま何事も無く、センパイに追い付けると良いのですが」
とひとりごちる。弱気になったのはそう上手くはいかない、また一波乱が起こりそうな予感がしてならなかったからです。
否、正確には又一波乱を起こしてしまいそう、ですね。友達が言うには私、こう見えてトラブルメーカーの素質があるらしいので。センパイに迷惑を掛けてしまわないかが不安でたまらないのです。あぁ自分で自分が恐ろしいのであります!
ですがここでめげちゃあ女が廃るってもんです故。ココは心を鬼にして、一波乱でも二波乱でも舞い上げてやりましょう。出会いは鮮明であればある程海馬領域に焼付くってもんですんで。センパイの海馬領域に鮮烈に、苛烈に、激烈に、将又熱烈にこびり付いてやろうって所存です、はい。
「かくして、私は購買競争という血で血を争う闘争にさらに一歩足を進める事となるのでしたとさ、めでたしめでたし」
と我ながら訳の分からない事を呟きながら、マイペースに玄関エリアへと足を運ぶのでした。
○センパイ
玄関にていそいそと外履きの靴に蝶々結びを結わいている所で悪いが、この際だからハッキリ言わせてもらおう。
購買に降り立った革命児ことこの自分、上玉利は憤りを隠せずにいる。
何に対して憤っているかというと、あの人間雪崩の「発生源」に対してである。
購買競争に於いて、相手に対して妨害を加える類の超能力が認められているのは今から向かう玄関を抜けてから我が校自慢の大図書館「知識の泉」沿いの渡り廊下を伝い、購買部のある別棟のドアの手前までという学生と教師間の紳士協定、即ち暗黙の了解が存在する。
なぜならば超能力の使用は人が密集した場所での使用は細かい制御も難しく、その余波で無関係の人や物まで巻き込みかねないからである。したがって、先程の超能力は明らかに迷惑行為。悪質さで言うなればあの階段スベリ三人組など比較にならない程のギルティなのである。
それに、何よりも後片付けに困るではないか。誰が散らかした廊下の後片付けをすると思っているんだ。あの気の良くて朗らかな掃除のおばちゃん達が後片付けに困った顔をするのを想起すると、申し訳なさに思わず苦虫を噛み潰した顔になってしまう。
混沌の極みと形容される我が校の購買競争は、多少荒々しい所すらあれどその実スポーツマンシップに則った世界をも内包している。他人に無闇に危害を加える超能力は控える、という暗黙の了解がそれを如実に証明しており、そういった安全と信頼の下にこのような荒々しいイベントが成り立っているのだ。それを悪戯に穢すのは許される事ではない。
しかし、靴紐を確りと結んだと同時に自分は、その怒りの矛を収めようと思った。
何しろ相手は(恐らく)新参者に違いない、傍から見れば規則や規律など皆無な世紀末世界に見えようこのレースに初めて参加した者だ。多少の失態は仕方の無い事と言えるだろう。ましてやそれが不文律であるならば尚の事、新人が知っている筈がないのだ。
大丈夫、失敗など誰にでもあるぞ名も知らぬ新参者よ。その行為の愚かさは誰かが叱責する訳でも無いだろうが、その反感に満ちたアウェーな空気をその身で感じ取る事で徐々に理解すると良いさ。
固く結んだ靴紐を携え、固く整頓された玄関のタイルにしっかりと一歩を踏みしめると、誰よりも速く玄関を飛び出す。ここでも勝利のサインたるナルト走りは欠かさない。
因みにこの超蝶結びは門外不出の独自技術の賜物であり、早く結べると同時に決して走っている間に解けず、且つ結んだ紐を踏んでしまう事も無いという革命的なテクニックである。遅刻をした時や身体測定など競争以外でも重宝する。正直最初に見せた階段からの三角飛びよりも技術的価値としては上だ。
後ろからは「畜生、何という超蝶結びの速さだ。まるで手の先が見えなかった」、「ジツだ、ニンジャに違いない」と口々に弱音が漏れていた。ふふふ、もっと驚け奉れ。そして猛れ若人よ、自分はより粘り強くシナヤカな脅威を募集中ぞ。
「しかし」誰よりも速いスタートダッシュを決めた俺は新参者に対して一抹の同情を隠せずにいる。
何せあの行為で少なからず参加者の反感を買ったのは確かだ。自分はすんでの所で許容したが、腹に据えかねている常連もいるだろう。これからそいつらの敵意を一手に率いる事を想像する、あぁ何と恐ろしきかな。
「特に、スポーツ少女達の飯の恨みは恐ろしいぞ、千年狐の如く九代末裔まで呪われかねん」
今日は嫌にひやひやする日だ、と思った。
それは悪寒かはたまた風邪か、出来る事なら後者が良い。そう願わずに居られない、しかしながら本意は前者。嗚呼何と不幸か上玉利、鬼が出るか蛇が出るか、未来は誰にも判らず仕舞、知るは神か能力者~、だなんて無駄に小気味の良い口上を呟きながら。
話し手をガラリと新参者に切り替えるとしようではないか。
○私
さて、突如話し手をバトンタッチされた私ですが。正直な話今窮地に立たされていてそれ所じゃございません。
渡り廊下を意気揚々と闊歩していました私の前に颯爽と現れたのは、「元気印」という表現がぴったりな年下っぽい日焼け少女と、胸元にストップウォッチを提げ、片手に学生カバンを携えた
マネージャー系眼鏡少女だった。
「……見つけた、アンタがさっきの雪崩ヤローかな」
「この人がそうなんですかー? うそ、凄い可愛いじゃないですか!!肌なんて白くて乙女って感じですねー」
可愛らしい二人組は毅然として我が眼前に屹立します。
「……知りません、人違いではないでしょうか」
「無駄、アンタがさっき雪崩を押しのけて出てきたのは知ってるんだから。後ろに向かって合掌、してたよね?」
「……」
まいりました、まさか見られていたとは。私は思わず「あちゃー」と頭を抱えます。どうしてこうも自分は抜けているのか。思わず軽い自己嫌悪に陥ります。
年下の褐色乙女はもの珍しそうに後ろの惨状と私を交互に見ながら、
「どーもクロみたいですねー、でも意外です。こんなド派手な超能力があるならもっとユーエキな使い道もあるんじゃないっすか。先輩、この人スカウトしましょうよ、水泳部にっ!!」
ぴょんぴょん楽しそうに飛び跳ねていましたが、先輩の眼鏡少女の無慈悲な手刀で「ぐえ」と言いながら轟沈します。
「私を、『教育』つもりですか」とおずおず聞きました。「うむ、物分かりが良くてヨロシイ」と眼鏡少女は満足げにうなずいた。
「貴女、はっちゃけすぎよ。アレは完全にルール違反だから」
「血も涙も無い競争だって聞いたのですが。ルールがあったのですね」
「やっぱり新入りか。でもだからって許されないんだから。学校黙認の節度ある競争を保つにはそれ相応の規律が必要。それを乱す者には然るべき罰が与えられるのが世の摂理ってモノでしょう?」
「そーだそーだ、許されないんだぞー」とお腹をすりすりしながら褐色少女は同調する。まだ痛みが残っているのか所々跳ねた髪がふるふる振るえています。痛そうです。
「ふむ」と眼鏡少女は思案する。人差し指を唇にそっと当てて悩む姿は悩ましげで、同性であるのになんだかどきどきしちゃいそうです。
「そうね、取り敢えず罰は後ろの片づけって事でどう? 大丈夫、昼休み丸々使えば何とか半分位は済むでしょう。残りは掃除のおばちゃんにやって貰えばいいから」
と彼女は提案しました。傍から見れば割と妥当な罰と言えそうですが、それでは私がセンパイと接触するチャンスが潰えてしまうではありませんか。
「すいません、放課後、掃除の小母さんと一緒に必ず後片付けしますので、お願いですから今は見逃して貰えませんか。会いたい人が居るんです」
「だーめ。しなきゃならない事を放棄してなーにが会いたい人、だ。責務を果たしてからの自由、これ社会の常識よ」
「先輩」
その瞬間、褐色後輩ちゃんの表情が険しくなる。気だるげで無気力な喧騒がその瞬間その場所だけピン、と空気が張り詰める。
――――流石運動部、私の敵意に敏感に気が付いた模様ですね。運動部で鍛えたスポーツマン特有の勘か、或いは生来の動物的勘の成せる業か。その敏感な危機察知能力に敵ながらあっぱれを送りたい衝動に駆られます。
「実力行使、みたいっすねー。温厚な文化系美女かと思いましたが、とんだ過激派っすね」
「そもそも競争に参加したいって時点で奇特な事には違いないけどね。水先、悪いけどアンタの出番みたいね」
どうやら向こうもやる気満々の御様子です。実に話が早くて助かります。
私自身、戦闘は全く持って経験がございませんが、だからと言って易々と罰をしょい込む訳にもいきません。思い立ったが吉日と言う様に、私は私の決意が揺らぐ前にさっさと事を済ませてしまいたいのです。
明日の自分の気持ちなど誰にも保証出来ないのですから、私は「今」の気持ちを尊重したいのです。そしてその私の感情が「奴らを蹴散らせい」とグイグイ突き動かすのですから、仕方が無い。文句は私の心におっしゃってください。
褐色少女は眼鏡少女がおもむろに取り出したスポーツ飲料を受け取ると、ふたを開け一口飲みました。
「もーしわけないっす、呼び出し喰らって駆けつけた身なんで貴女に特に思い入れも無いんですがー。怪我させない様努めますんで、出来れば大人しくしていて下さいっす」
「こちらこそ、不束者です故。貴方に怪我をさせてしまう恐れがありますが、どうか掠り傷程度で済んで下さいね」
その瞬間、私の視界は白に変色した。これは私が巻き上げた土煙ではありません。肺いっぱいに、むあっとした空気が充満するのを感じます。成程これは水蒸気ですか。
辛抱たまらずむせ返る様に倒れ込み咳き込むと、微かに視界の隅で誰かが蠢くのを確認しました。
気配の方に急いで手をかざすと、一発、二発。その場にはそぐわないポップな破裂音と衝撃波を巻き上げます。何時の間にか人だかりが出来ていたのか「超能力の戦闘だ!!」「アタシ、先生呼んできます!!」との声が聞こえた気がした。
「無茶しないで下さい、肺炎起こすっすよ」と後ろから声が聞こえた。声の方にぐいっと身体を急旋回させる。最早無我夢中で超能力を振るいます。何回も、何回も、気配のある方に照準を合わせるのですが、その度に意識をズラされて要領を掴めません。
息苦しくって、先生が来る前に早く終わらせたくって。なぜこんな事になったのか運命が恨めしくって。この時点で戦いを持ち込もうとした自分の愚かさを後悔しました。堂々とケンカを売った以上せめて一矢報いなきゃハズカシイのですが、水蒸気と褐色少女の機敏な動きがそれを妨げます。
「勝てる訳ないじゃない」と眼鏡少女の声が囁きかける様に響きます。
何時の間にやら集まった野次馬の喧騒の中で、その声だけが鮮明に、直接鼓膜を震わせているかのように聞こえました。
「見るに能力強度に関しては水先を優に上回ってるみたいだけど。片や日々能力を手足の様に使っている運動部、片や只の学生。制御と応用の点に関して練度が桁違いよ。それに場所も悪いわね。幾らロケットランチャーを持っていても屋内じゃ使い所が限られてるし、使い方も把握してなければ拳銃程度で簡単に圧倒できちゃうのは自明でしょ?」
淡々と、まるで詰将棋の様に私の気持ちを追い詰めていきます。勝ち筋を一つずつ丁寧に踏み潰されていく様な感覚に襲われ、思わず諦めてしまいそうです。
どうしましょう、この二人相当の切れ者です。
「―――――――~~~~~~~~~~っ、ぐ」
たまらず、膝を床に付けてしまいました。「チェックメイトっすー!!」という声が嫌に遠く聞こえます。そこで自分の意識が遠退いている事を自覚しました。
嗚呼何と愚かな事でしょう、人並み以上の超能力を持ってしまったが故の弊害だろうか。この敗北は根拠の無い万能感が抜け切らないまま、今現在まで生きてきた自分への罰であると言えるでしょう。
すみませんセンパイ、かねてからの「アリガトウ」を伝える事は。もう、叶いそうに―――
○センパイ
ぞくり、と嫌な寒気が背筋を走った。全く、一体今日何度目であろうか。俺の背筋はガクブルしっぱなしだ。
どうも今日は自分を蔑ろにして事が大きく動いているような気がする、それも自分の全く与り知らずな何処かで。
自分のこの動物的な勘は奇妙な程に良く当たる。今日は雨が降りそうだとか、今日は自転車関連で嫌な目に会いそう、だとか。
こういった研ぎ澄まされた生物本来の第六感も自分が「上玉利先輩」足らしめる要素の一つであると言えよう。
その獣並みの勘が「今回はヤバいぞ」と、警鐘を鳴らしているのだ。これは嫌でも警戒せざるを得ないであろう。
具体的に、どのような予感がするかと言うなれば、そう。
「得体のしれないバケモノと鬼ごっこする羽目になりそう」といったところか。
―――――なんだそれは、と。思わず自分の勘を疑いそうになった。
購買競争ももう終盤に差し掛かった所なのだが、遠足は帰るまでが遠足だと良く言う様に物事は最後まで何が起こるか分からないのだ。
そういった事で、今一度警戒を怠らない様にしておこうと心に決める自分なのであった。
うん、学校の方ですごい爆発音が聞こえた気がするが、きっと自分には関係ない。あってたまるかってんだ。
○私
不意に後ろを陣取られたような気がした。だからこれは不可抗力なのです。
朦朧とする意識の中放った一撃は当然の事ながら調整ミスの一発であり、その威力は手心を加えて放った一撃とは比較にならない程の衝撃を周囲に振りまいたのです。
対テロ用焼夷弾と見紛うほどの爆発音に衝撃波。ツングース化の爆発もかくやと言わんばかりの破裂は周囲の窓ガラスを悉く揺らし割り、一帯の物という物をぶわっとすっ飛ばしてしまいました。
「どうなってやがる……強能力者であの出力だってのか」と、眼鏡少女の声が聞こえた。
同時に「いやぁ音、凄かったっすねー」という褐色少女の声も聞こえる。
辺りを見回すと周囲の情報が次第に入ってくるようになる。気付けば視界を遮っていた水蒸気も破裂と共に吹き飛んだようで、鮮明に周囲を見渡す事が出来ました。
「なになに、ガス爆発!?調理部の山打が遂にやらかしたかっ」
「ガスじゃねーって超能力だよ、ちょーのーりょく!!」
「ちょっと押さないでよー見えないでしょー!!」
……どうやら周りの人に怪我は無かった様です。しかしそれでもかなり面倒な事になってしまったようで、爆発音を聞きつけ訪れた生徒達とそれを間近で見て混乱する生徒達が混ざり合ったやんややんやの乱痴気騒ぎ。もう諍いどころの話では無さそうです。
「おいどーなってる、そこをどけ!」という先生の強い声も聞こえますが、どうやら生徒達が邪魔で騒ぎの現場に来る事が出来ていないようです。
―――――――よし、逃げるのならば今でしょう。
私は周囲の生徒達の混乱に乗じて、するするするりと現場を後にします。
途中、私を妨害していた二人が生徒たちの間からチラリと見えました。二人はちゃんと健在でした。ですが褐色ちゃんの方は至近距離で破裂をもろに受けた所為か腰が抜けてしまったみたいで、眼鏡先輩に肩を貸して貰っていました。
二人の安否を確認して安堵した後、再び私はセンパイを求めて果てなき追いかけっこに気持ちを切り替えるのです。
毎日通っている廊下がいつもより長く感じる。先程の諍いが想像にも増して負担となっている様だ。
息も絶え絶えで満身創痍な私は何とか玄関にたどり着くと、はぁはぁと悩ましげに肩で呼吸をしながら急いで靴を履きかえる。
嗚呼それにしても、私は何と悪い子なのでしょうか。不可抗力とはいえ器物損壊に加えあのような騒ぎを起こしてしまうだなんて私、マジやんきーです。トラブルメイカーです。
この事件は校舎の窓ガラスを壊して回ったと言う尾ひれがついて世紀末系不良少女として一生後ろ指を指される事になるのでしょうか。センパイ、私キズモノになっちゃいました……責任取って下さい。
けどあれ程の事をしなければ間違いなく制圧されていた、それ程までに脅威であった事は間違いない。なので自分の判断に躊躇いなどこれっぽっちも無いのです。八難苦難もばっちこいなので御座います。
触れるもの皆傷つけるギザギザハートとなった傷心中の私ですが、それでも本来の目的は忘れる事はありません。
「待ってて、ください。センパイ。今、そっちに向かいます、ね」
足取りが酷く重い、なんだかどっと疲れた気がする。人肉を詰めた頭佗袋と化しつつある私の身体は肺を中心に悲鳴を上げている。ひゅーひゅーと喘鳴がやけに煩く、周囲の音は遠退いて。それでいて意識は嫌に鮮明だった。
正面玄関の扉を開けると、生温い外気がいつも以上に不快に感じました。
最早私を突き動かすは執念です。廊下をめちゃくちゃにし、窓ガラスを割るなどという悪行を重ねた以上、もう引けない所まで行っちゃってますので。
さあ待っててください私のセンパイ。今しがた貴方の前にふわりと馳せ参じ、用事が済んだらどろんと消えてやりましょう。
ところで、この程度の器物破損は自宅謹慎程度で済むのでしょうか?
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「あーらら、行っちゃいましたねー」
「ま、遅かれ早かれ処分ウケるだろうよ。自宅謹慎程度で許してくれるんじゃあないか」
肩を組みながら、二人の少女が会話する。二人の周囲は未だ混乱のさなかであり、爆発ヨロシクこの事件も煙に撒こうといそいそ逃走中だ。
「あれが所謂いやぼーんってヤツですかね。私勝ったと思ったんだけどなぁ」
とてもサッパリした様子で褐色少女は愚痴を溢す。「勝ち負けじゃあないだろ」と突っ込む先輩の傍らで、非常に満足げだ。
「とにかく、コレで自粛してくれるといいんスけどね。思わず熱くなっちゃいましたし」
「どうだか。さっきの様にボンボン爆破騒ぎ起こす元気も無いだろうけどな。なんにせよお疲れ」
ぽん、と眼鏡少女が頭に手を置くと「えへへー」と褐色少女は笑顔を返す。
「ところで報酬は午後のカロリー源一週間分っすからね。忘れてないっすかー?運動部にとってカロリー摂取は授業より大事なんすから」
「それにしても摂取しすぎだお前は。その締まった身体の何処に蓄積されてるんだ畜生め」
そんな微笑ましくも騒がしいやり取りが繰り広げられている、そんな昼休みの一角なのであった。
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最終更新:2015年07月17日 00:03