魔術。それはこの世界とは別の世界、すなわち異世界の法則を現実世界へ引っ張り出し様々な超常現象を発現させる技術を指す。
魔術の存在を知らない者からすればオカルトのようなもの。元々は才能を持たぬ者が才ある者へ追い付く為に開発された術。
法則たる下地となるベースは主に神話や伝承。手順を踏み己が生命力を魔力へ精製し、法則である神話などをコマンドとし、魔術的記号を示す事で魔術を行使する。この当事者達を魔術師と呼ぶ。
自身に刻む魔法名のブースターの一例として、魔術師達は組織構造を組み上げる。魔法名に刻んだ理想や信念を達成する為に。
今回語られる異説はそういった組織構造の一形態である、とある魔術結社で起こった内部抗争とでも言うべき事件。
結社の名は『多からなる一(イ・プルーリバス・ウナム)』。アメリカ合衆国の国璽に記載されている一文を組織名とするこの結社は他の魔術的組織から『弱小宗教・民族の寄せ集め』と表現されている。
また、列強国の侵略や大きな宗教の伝播、政治的な文化破壊などと言った理由から滅ぶ危険性を孕んだその土地固有の風習や古くからの伝統を守る事を主な目的としている。
その為か純粋な戦闘員も当然いるが、然程戦闘を得意としない・あるいは戦闘に消極的な魔術師も一定数存在する。
固有の風習や伝統を守る術は何も戦闘だけでは無い。むしろ戦闘に頼らない継続的な喚起や粘り強い教育が実を結ぶ事例は多数存在し、当然の事ながら結社で活動する穏健的な魔術師も心得ている。
無論掲げている目的のように必要に迫られた場合は結社として戦闘も辞さない。そんな『「大いなる個」に対する「多からなる一」たらん、世界の総意に対する抑止力たらん』という理念を有する『多からなる一』で発生した事件。
それは『多からなる一』秘蔵の魔道書の内の一つで、書に記載された魔術を行使すれば『多からなる一』が保管する魔道書の中で物理的な被害が最も大きくなると称される、十九世紀の魔術師エリアス=リョンロートがまとめたフィンランドの民族叙事詩『カレワラ』をある一人の少女が奪取した事を端に発する。
これは『多からなる一』正規メンバーにして魔道書原典『カレワラ』を奪取した少女カッレラと、同じく『多からなる一』正規メンバーにして逃亡を図ったカッレラを単身追った人間イロ=コイが中心となる物語。
描かれるは、現在進行中で進む物語の狭間たる海上戦から。太平洋のとある無人島周辺を舞台にした魔術師同士の戦いで一体何が交錯し、どのような思想が衝突したのか。物語の幕は…狭間の戦いらしく唐突に開かれた。






~とある魔術の日常風景 異説「イ・プルーリバス・ウナム」Ⅰ~






色濃い闇に覆われ、自分が主役だと言わんばかりに爛々と光り輝きながら己の存在を主張する星々も今夜ばかりは脇役に追いやられる、そんな異常な光景が確かに『そこ』にあった。
『そこ』とは太平洋に浮かぶ無人島。より正確に言えば、星々を脇役に追いやった『主役達』は無人島より相当離れた海域で時速千キロを超える速度で以て今なお激闘を続けている。


「いい加減しつこい!!」


霊装船団『ナンタヴェア』の一隻に搭乗するのは、『多からなる一』から魔道書原典『カレワラ』を奪取した少女カッレラ。しかし、少女の肩から伸びる腕は人のそれでは無い。言うなれば『巨人』の腕である。
フィンランドの民族叙事詩に登場した、天を覆う樫の木を切り倒した巨人をモチーフにした体積変換術式によってカッレラは部分的に己が身を巨人と成している。
土から炭素や窒素などの身体を構成する成分のみ抽出し作った着ぐるみを着ている様なものと言えばいいか。
属性的には土に分類されるこの魔術で巨大な腕を得ているにも関わらず、搭乗する『ナンタヴェア』に沈む兆候は一切見られない。
霊装船『ナンタヴェア』は船の主な材質は木や布でできており、楕円形のボートに布でできた帆が掲げられている全長6メートル程の簡素な船だが積載量は相当なものである。
その『ナンタヴェア』のコアであり魔術的記号が細工された蛇の卵に自身の魔力を注入して船を動かしているカッレラは傍に控えさせている『カレワラ』に意思を伝え、応える『カレワラ』もまた目にも止まらぬ速度で魔法陣と化している己のページを捲る。


「うだる熱、凍てつく空気、原初の雌牛が育む恵みの川で育ち成った原始の巨人。この身に纏うは始まりの巨人ユミルの血肉。しからば大海もまた原始の巨人の礎となれ!!」


威力を重視したカッレラが詠唱を終えた直後、彼女が構成する巨人の腕は千キロ超の時速で海上を走る『ナンタヴェア』から両腕を海中へ突き入れた。
原始の巨人ユミルの血は海や川となり、身体は大地となった伝承を逆に解釈しユミルの身体を構成する海や海底たる大地を操る。
常識では考えられない事象を無理矢理現実のものとする魔術。その証明として、海中へ潜り込ませた両腕が通り過ぎ去った後に出来た波飛沫が意思を持った怒涛のように盛り上がり、カッレラと同じく『ナンタヴェア』を操縦する追跡者を呑み込もうと襲い掛かる。


「海国フィジーにて蛇神ンデンゲイは最も偉大で最も強大!蛇神に超えられぬ高波などこの世に無し。天と海を引き裂いた御業で以て荒れ狂う大海原を平定せしめよ!!」


追跡者たる老人イロ=コイに表情に特段の焦りは見られない。皺多き年老いた肌を海水で濡らしながらカッレラと同程度の長さの詠唱を終えたイロは右手を水平に振る。
それだけで今にもイロを呑み込もうとしていた高波の怒涛は真横に何十にも引き裂かれ、イロに襲い掛かる間も無く母なる海へ還っていった。


「ちっ!まさにいたちごっこってヤツね!」

「そうじゃのう。何せ、わしがここに到着する前におぬしは別の者達とも戦闘を重ねておる。わしは、こうして戦いながらおぬしがまともな魔術を使えぬレベルまで疲労が溜まるのを待っておればよい」

「これが馬鹿老害お得意の消極的戦法か。臆病者のあんたらしい小賢しい戦法ね」

「誤解じゃの。普段ならこんな戦い方はせんわい。カッレラ。これでもわしは未だにおぬしを仲間だと思っておる。できる事ならおぬしを傷付ける事なく騒動を終結させたい。個人的にも、こんな戦いさっさと終わらせて魔術研究に没頭したいんじゃ。ヨボヨボの老いぼれの頼みを聞くのが若人の務めではないか?うん?」

「冗談よして。成ろうと思えば子供にでも中年にでも老人にでもなれるイカレ老害の言葉を真に受けるほど私は暇じゃ無いの!!」


カッレラは唇を噛みながらイロのふざけた言動に付き合う暇は無い事を言葉だけでは無く戦闘行為で示そうと魔術行使の燃料である魔力を練り上げる。
思えば『カレワラ』を奪取してからの流れ、いや奪取前から自分という存在の周囲に存在するであろう『運命』とやらはカッレラの予測から外れていた。


(潜在的な反体制派を扇動し内部抗争を誘発させ、混乱の最中に警備が手薄になった『カレワラ』を奪取する。当然途中で幾らかの不安定要素が現実化し、『カレワラ』奪取にそれなりの手間が掛かると思っていた。なのに、“あんなに上手く行くだなんて”。あれじゃ“早過ぎる”!!)


カッレラは『カレワラ』奪取の為に念入りに準備をしてきた。『多からなる一』に潜在的に存在していた反体制派―単に『自分の宗教と他の奴の宗教が同列に扱われるのが気に入らない』という反体制派ばかり―を静かに焚き付けたのもその準備の一つ。
勿論計画に絶対は無い。作戦決行当日に限ってカッレラが予測していない不慮の要素が具現化する可能性も織り込み済み。
だが、事態はカッレラが想像する以上にトントン拍子で進行した。思わず拍子抜けする程『カレワラ』が保管された部屋に辿り着いたカッレラは事が上手く運び過ぎている状況に戸惑いながらもこの機を逃すわけにはいかないと揺れる心を抑え込み、『カレワラ』の奪取に成功した。


「馬鹿老害!『アレ』もあんたの仕業!?」

「『アレ』とは何じゃ?『アレ』とは」

「とぼけるなっての。空間移動用に必要な魔力を充填していたコアをセッティングするだけでよかった筈の『ナンタヴェア』の殆どがどっかに行った事を言ってるのよ!!」


後は反体制派が起こしている混乱に付け込んで、後々に必要となる幾つかの霊装を積んであるお目当ての『ナンタヴェア』に搭乗し、認識阻害の魔術結界に覆われた常世の海上移動要塞型神殿『ハワイキ』―『多からなる一』の本部であり、イロ=コイが開発した霊装でもある―の各所に設置されている『ブレ・カロウ』と呼ばれる特徴的な高い屋根を持つ神社的建築物から空間移動により逃走を達成する。
空間移動が可能な時間帯も計算しての作戦。実際には複数人物の魔力によってでしか空間移動は発動できない。だが、何事にも抜け道というのは存在する。
『ブレ・カロウ』による人や物体の空間転移に必要な魔力は確かに集団規模相当を求められるが、言い換えれば集団規模の魔力が充填されているコアのようなものを予め用意しておけば単独でも実質的に空間移動は可能なのである。
そして、コアとなる魔術細工済みの蛇の卵には殻に沿って卵内部を数日程度魔力が循環する機能が備わっていた。
これは遠隔操作や自動操縦時において必要不可欠な機能だが、カッレラはこの機能に目を付け逃走用の為に確保しておいたのだが、当の『ナンタヴェア』の殆どが数十分前には存在した船着場から消え去っていたのだ。
焦る心を必死に制御しながら方々を探し回ってようやく一隻だけ『ナンタヴェア』を見付けたのだが、今度は各所の『ブレ・カロウ』が構造を変形させながら一斉に地面の下へ沈んでいったのだ。


「さぁのう。少なくとも現在判明している事は、おぬしが乗っておる『ナンタヴェア』は完成したばかりの赤ん坊で“まだ主人に愛着を持っていない”という悲しい現実だけじゃの」

(どうせ、『ハワイキ』には馬鹿老害にしか知り得ない秘密があったって事でしょうよ。当然と言えば当然だけどね。手札を全て明かす魔術師が何処の世界にいるって話よ)


空間移動による逃走手段を封じられたカッレラは、止むを得ず充填した魔力を使用し『ナンタヴェア』による航海を開始した。
幸い空間移動用にと反体制派の幾人かを口車に乗せ魔力を注がせているコアは余力十分である。
『カレワラ』の記載内容を読みながら次なる行動である十字教への襲撃に作戦をシフトさせようとした矢先に見知らぬ外部の人間と戦闘を行う羽目になった。
『カレワラ』の力を試す良い実戦相手と考え戦闘を開始したカッレラだが、思いの他相手は強かった。相当の手練だったという事であろう。
それでも確かな魔力消費と時間の浪費と引き換えに『カレワラ』による強大な戦力で戦闘を優勢に進めていたところに現れた『多からなる一』の刺客がイロ=コイ。
魔術結社『多からなる一』へ、本部機能を置く居住地として絶好且つ最適な『ハワイキ』などの霊装を提供した魔術師としては相当の変わり者。しかも、率先して戦いに赴かない臆病者としてよく名が挙がる老いぼれ魔術師が一人で『カレワラ』を有するカッレラの前に立ち塞がった。
想像だにしていなかった人間の出現に呆然とするカッレラがトドメを刺そうとしていた外部の者達を助け避難する時間稼ぎを行ったイロは、カッレラに投降を呼び掛けるもカッレラは己の主張を曲げなかった。それに対してイロもまた戦闘を決断し、今に至るというわけである。


「さぁ、一緒に歌い始めよう、共に語ってゆこう。我ら、二つの方角よりやって来て出会いし者。『カレワラ』第二章【巨大な樫の木と大麦】を根幹に術式構築」

(来るか!『カレワラ』が恐れられる所以たる“即興複合術式”!!)


カッレラの挙動に変化が生じる。巨人ユミルの腕と化した両腕から新たな巨人の腕が生え始める。ユミルは数多の巨人をその身体から産み出した始原の巨人である。
その神話に『カレワラ』は類似する無数の神話体系の逸話を自動的に付与・合成し、新たな物語を築き上げる。
カレワラ調韻律と呼ばれる独特なリズムを基本とし、時には高らかに唄い、時には談話形式へ主軸を置きながらカッレラは詠唱を紡いで行く。


「始原の巨人より産まれ出でし霜氷の巨人は母なる海を冷徹な氷の地獄に一変させる!!」


ユミルの左腕から生えた新たな巨人は霜氷の巨人フリームスルスの巨腕。海の象徴であり氷でできた体を持つと『カレワラ』では解釈された霜氷の巨人の手が海面に触れた瞬間、海底に達する程分厚く堅牢な氷の大陸が出来上がる。
『ナンタヴェア』は海面に『乗る』形で航海する性質である。よって、氷の上では身動きの取れない座礁船も同じ。
カッレラは自身の『ナンタヴェア』付近のみ海水状態を保っている。
対抗するイロは大得意とする炎属性魔術にて自身の周囲に存在する巨大な氷の連なりを融かす事に専念するが、どうしても船の進行速度は減衰を強いられる。


「始原の巨人より産まれ出でし霜の巨人ウートガルザ・ロキは虚像と実像を混ぜ合わせ、卑しい嬌声を挙げる!!」


対となるようにユミルの右腕から生えたのは霜の巨人ウートガルザ・ロキの巨腕。幻と姦計に長けたロキの巨腕は一瞬で粉々に砕け散り、
光を屈折させる微細な粒子となってイロの進行を妨げる。しかも、この粒子には対象―この場合はカッレラ―の気配や魔力の感知を誤認させる『幻』の性質も兼ね備えていた。


「始原の巨人より産まれ出でし大妖精シェートロールは千変万化の腕で以て人を溺死させる!!」


氷の大陸に『ナンタヴェア』を座礁させてしまったイロは船から降り、屈折する光の世界で右往左往していた。
そこへ分厚い氷をブチ抜いて海底から上昇してきた巨腕二つの掌にイロは包まれ、フリームスルスの力を一部解除して液体に戻った海中へ引き摺り込まれていく。
フィンランドの池に棲むとされる妖精にして巨人シェートロールは人々を水の中に引き摺り込み溺死させる逸話を持つ。
イロも抵抗するが、トロールに備わる特質として体組織における強力な再生能力により大地から伸びる土の巨腕は幾度破壊しても海底から材料を補給し再生する。
いくら魔術師と言えど余程の例外を除いて人間である事には変わりない。酸素が吸えない水中で囚われる事がどれ程の危機かは身を以て知っているだろう。


「……」


一分が経ち、二分三分と時間の針は進む。激しい音も次第に聞こえなくなり、海中から伝ってきた振動も止んだ。
奇妙な沈黙が場を支配するが、カッレラは気など緩めない。このままで終わる?そうは思えない少女の予感に、操るシェートロールの巨腕に起きた異変が追随する。


「ッ!?腕が…!!」


切られた腕さえ引っ付くほどの強大な再生能力を持つシェートロールの巨腕がガタガタと崩れていく。まるで猛烈な毒に冒され組織を溶かされているようなそんな感覚。
無論シェートロールの巨腕に起きた事象がカッレラ当人に反映されないよう速攻で海底との繋がりを切って事無きを得たカッレラは少々間を置いた後に異変に気付く。
具体的には海底から伝わる振動を。あるいは熱を。そして思い出す。イロが操る伝説ンデンケイは地獄の力を備える蛇神であると。


「ちぃっ!!」


気配を探ると、海底に流れる地脈の力が急速に膨張しているのがすぐにわかった。とはいえ海底、つまり大地との繋がりを一度遮断したカッレラにイロが放つ攻勢を邪魔する仕掛けの実行はタイミングを考えると不可能に等しかった。
よって直接的な戦闘力は魔術結社でも指折りの実力派である事に加えて、危険時における対処能力等こと戦闘においては頭もキレるカッレラはフリームスルスの巨腕を拳から氷の大陸へ突き刺す。次に宙に浮いた形となった自身からフリームスルスの巨腕を生やすユミルの腕を切り離す。
フリームスルスの巨腕を支えたる支柱とし、『ナンタヴェア』ごとユミルの手に収まったカッレラは腕力に物を言わせたユミルの投擲で付近の無人島へ向かった。
次の瞬間、カッレラがいた場所を含めて氷の大陸がマグマの噴出や立ち昇る灼熱の炎柱に覆われる。
地獄の力を灼熱の炎熱や煮え滾るマグマと解釈し、大地の隆起と共に強大な炎属性魔術を扱うイロが囚われていた海中から浮上する。
多少ながら傷を負い、血を流すイロの身体で特に目を引くのは変質した瞳と右腕だろう。縦に長く伸びる黒目、そして右腕の黒い鱗のような皮膚から思わず連想してしまう生き物……それは蛇。


…to be continued

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最終更新:2016年01月15日 23:49