爆発と爆炎と爆風の暴虐が閃光と共に四方八方に無造作に噴き撒かれた後に残ったのは、蒸発した水域を埋めるべく周囲からクレーターの如き巨大な跡が残った海底目掛けて滝のように海が殺到するという異様な光景だった。
ドーナツ型の島の東半分を七割方この世から消滅させた炎核の巨人スルトの灼熱の力。その源である魔道書原典『カレワラ』を操る魔術師カッレラは巨人化魔術を解除しないまま灼熱の息吹を吐き続けていた。


「ガハァ、ガハァ……」


先の攻撃でカッレラが消費した魔力は然程無い。むしろ、莫大な力によって自爆しないよう制御するのに相当の集中力を使った。
生命力とは違う、しかし魔術を用いるのに求められる強靭な精神力を『多からなる一』の戦闘派魔術師カッレラは十二分に持ち合わせていた。


「……馬鹿ネ。アンタノ事、本当ハソンナニ嫌イジャナカッタノニ。ドウシテ私ノ前ニ立ッタノヨ……イロ」


体は元より目の端からも火炎を垂れ流す巨人スルトを維持したままカッレラはもうこの世にはいない優しい人間に語り掛けていた。
声に含まれる苦さ、漂わせる雰囲気から目の端から垂れ流す火炎がまるで涙を流しているようにさえ錯覚させる。


「……邪魔者ハイナクナッタ。今ノ一撃デ『多からなる一』ハ元ヨリドコカノ組織ニ気付カレタ可能性ガ高イ。早クココカラ離脱シナイト」


それでもカッレラは己の目的を達成する為に振り返る事を止めた。『道理を通すには相応の犠牲や悲劇が伴う』。これは魔術師カッレラが自身の中心軸に置く考え方。
何かを成すには何らかの弊害が発生する。それが世の道理の一つ。本当はそんな事望んでなどいないのに、どうしても自分の前に立ちはだかる犠牲や悲劇を前にカッレラは一つの諦念と共にその在り方を受け入れた。
但し、今回はその中でも特大の悲劇であったが。本当はこんな事絶対にしたくなかったのに。強者と認めたとはいえ、未だ心中では臆病な小心者という第一印象は消えてなどいないイロをこの手に掛けた事に、強靭な精神力がグラつく感覚を覚えてしまう。
だから、もう振り返らないのだ。今の攻防に気付かない鈍重な組織はそうはいないだろう。今の時代宇宙からの人工衛星によって地球上で起きた異変を察知する事ができる。
つまり長居は禁物なのだ。カッレラは島の中央部に停泊させている『ナンタヴェア』に向かう為に、イロがいた場所をこれ以上目に映さない為にカッレラは踵を巡らす。


「あら~?何処へ行くのかしらカッレラ?美人のお姉さんをこんな台無しな格好に追いやったのにその落とし前を着けない内にここから離脱できると本気で考えているの?ウフッ」

「ッ!!?」


最初は『カレワラ』の汚染が実は想像以上にまずくて幻聴を引き起こしたのかと思ってしまったくらいだ。
次に考えた想定は自分の後悔が生んだ声無き声なのかと受け止めてしまった。でも違う。違った。
後方から聞こえてくるこの声は…カッレラより年上で色気さえ漂わせるこの聞き慣れた声は。


「この姿はお久かなカッレラ。同じ女の体を持つ者として、“右半身を真っ黒焦げの炭にしてくれた”事へのお礼はあなたにタップリ返さないとね。ウフッ」


男でも女にでもなれるマジックアイテム『両性産卵(ウトロコラ)』で女性になった魔術師イロ=コイで相違無い。






~とある魔術の日常風景 異説「イ・プルーリバス・ウナム」Ⅲ~






衣服が全て焼失したイロを瞳に映したカッレラは息を呑む。女の体となっているイロの右半身の惨状は余りに酷いものだ。顔も腕も肩も胸も腹も腰も脚も、その大部分が黒焦げの炭と化しているが所々に蛇の鱗のような皮膚が見え隠れする。
左半身も至るところに火傷の症状が見て取れる。それでもこうして話せているのは、火属性の魔術を操るイロはその治癒術も心得ている事の証である。
だが、そんな事は炎核の巨人スルトの攻撃を凌げた事実の説明にはなりえない。


「ウフッ。どうして私が生きているのか不思議でしょうがないって雰囲気ね。なら、特別大サービスでお姉さんが教えてあげましょ。いずれにせよ、この格好のままじゃみすぼらしくて世間様に顔向けできないわ」


普通なら絶命している筈の状態のまま不敵な笑みを崩さないイロは、左手の人差し指をクイッと動かした。
それと同時に海から時速千キロ超の速度で走ってくる霊装船『ナンタヴェア』が突入の勢いを利用して大跳躍を実施する。
宙でひっくり返る『ナンタヴェア』から布で巻かれた幾つかの積荷が落下し、ひっくり返った体勢から元の状態に戻る霊装船は中央部の湖に着水した。


「これな~んだ?」

「『両性産卵』…?」

「正~解。そんでもって、これを食べると~パクッ!」


落下してくる積荷の一つを左手でキャッチしたイロは布を剥ぎ取り、中から『ナンタヴェア』のコアとは別種の魔術的細工を施している蛇の卵を取り出し殻ごと食べる。
それはイロが操る魔術名にしてマジックアイテムである蛇の卵『両性産卵』。魔力が込められたマジックアイテムである『両性産卵』を生のまま食す事をトリガーとして発動する魔術。男でも女にでもなれる魔術だが本質はそこでは無い。


「何が出るかな、何が出るかな~ウフッ」


イロの体表にヒビが入る。黒焦げの炭も、火傷の症状も、蛇の鱗も、全てひび割れる『皮』となり、数秒も経たない内に『皮』が破け去る。
蛇の脱皮の如く『皮』から抜け出てきた『新たなる』人体、年齢は二十代と思しき外見に彫りの深い目、精悍たる顔立ち、全体的に赤黒い皮膚、筋骨隆々な逞しい体格から放たれる覇気、首より下まで伸びる艶やかな黒髪が目立つ男性が産まれ出でる。
さすがに全裸のままというのは恥ずかしいのか、『両性産卵』を幾重にも巻いて包んでいた布を腰巻に使うイロの体に先程までの夥しい惨状の跡は見受けられない。


「正解は…己(おれ)だよコノヤロー。よくもまぁやってくれたもんだぜ。危うく死ぬところだった」

「有リ得ナイ…有リ得ナイ!!『両性産卵』ハ男カ女ニナレルダケノ魔術ダッタ筈!!」

「テメェが『両性産卵』の何を知っている?『両性産卵』を生み出した契機をテメェが知っているとでも?そもそも、魔術師ってのは切り札を容易に明かさない秘密主義者じゃ無かったけか?」

「…!」

「それによぉ、たかだか男か女になれる魔術の完成に数十年もの時間を費やしたりしねぇよ。それでも信じられねぇってんならこう問い返そうか?
魔術師になった連中の大概に付き物の悲劇やらを経験した己の数十年にも渡る研究の末に生み出した魔術が、たかが男か女になれるか程度の枠に収まると本気で思ってんのかカッレラ!?」


初めて見る容貌となったイロから放たれる凄まじい怒気は、ンデンゲイ魔術を見抜いたと大見得を切ったカッレラに対する怒りに満ち満ちている。
しかも、大見得を切ったカッレラが同じンデンゲイ魔術の『両性産卵』の効果を男にでも女にでもなれる程度にしか見ていない事実が更にイロの怒りの炎に油を注ぐ。
文字通り怒髪天を衝くイロにカッレラは自分の見誤りを悟る。老人から女性に、そして今回の女性から青年になった経緯から見てイロは『両性産卵』の連続使用で巨人スルトの攻撃を凌いだのだろう。
他にも属性魔術を始めに使える魔術を総動員して何とか『通常の人間なら即死している状態』レベルに抑え込んだのだろう。
それでも、あれだけの傷をその身に浮かべているのだ。当然発生するであろう『意識を容易に刈り取る程の激痛』を遮断している魔術にカッレラは心当たりが無いのだが。


(『人体の新たなる構築』…それが『両性産卵』の本質か!他のンデンゲイ魔術に気を取られていて完全に舐めてたわ。それでも程度ってもんがあるでしょ!!あんな状態から傷一つ存在しない体を新たに構築できるだなんて!!
霊装を筆頭にマジックアイテム作りの腕が超一流とは知っていたつもりだったけど、これは私の予想を遥かに超えてるわ!!)

(腹立つなクソッ!まだ若ぇカッレラには己の苦労なんて実感できねぇだろが、“今”や“一つ前”のような『復活を果たせる』レベルの熟成した『両性産卵』はマジで作るのが難しいんだぞ!
今回の消費で己の二十年が全てパァーになっちまった。まさかこんな事で消費しちまうだなんてな。本気でムカつく!!)


『両性産卵』はンデンゲイが性別のある人間の卵を産んだ伝説を基にしている。ここで大事なのは人体を産み出したという部分であり、イロはこの部分を重視して魔術式を構築した。
イロにとって男にでも女にでもなれるというのはあくまで付属物でしかなく本質では無い。また、このマジックアイテムの効果―新たな人体構築を基本とし、そこにどれ程の復活要素を付随させられるか―を左右するのは熟成という要素である。
今回使用した復活レベルの『両性産卵』は確率として五年に一度できるかどうかという非常に低い可能性が実現化した代物である。
勿論あくまで確率なので五年以上時間が掛かる事はザラにある。特に今回消費した二つは運が悪かったという事もあって合計でおよそ二十年の歳月を必要とした。
異能のセッティングに掛かる手間が時間にして十年単位を必要とする魔術だって珍しくは無い。『両性産卵』もその類である。この苦労は、若いカッレラには本当の意味で理解する事は現状できない要素である。
故に、あぁいう発言となりイロが怒りを深める事態になってしまった。イロが『両性産卵』を生み出した契機、そこに存在した『悲劇』、イロ=コイが『悲劇』を回避する為に成そうとした想いが、たかが男にでも女にでもなれる程度であった筈が無い。絶対に無い。


「ソレガアンタノ本当ノ姿ッテワケ?今マデ見テキタ姿トハマルデ雰囲気ガ違ウワ」

「男か女かはその時々の気分次第だけどな。でも、テメェが言うようにこの姿が己のとっておきなのは間違い無い。己が本気になってる証拠で、しかもブチ切れてる証拠でもあるわけだからな」

「ヘェ。私ハ今ノアンタノ方が普段ノ姿ヨリ良イワ。何テイウカ覇気ガ感ジラレル。今ノアンタカラハ全然臆病ッポサヲ感ジナイ」

「そりゃどうも。しかし、やっぱあいつの魔術はどれもこれも激ヤバもいいところだな。事前に知ってたから何とかなってるが、知らなきゃ今頃とっくの昔にあの世行きだわな」

「アイツ?」


現実を直視し、ようやく納得したカッレラは正真正銘本気を見せるイロに再び相対する。イロ自身がとっておきと称する今の姿は、カッレラにとって気分を害するようなものでは無かった。
逆に好感さえ持てる程気概に満ち溢れた精悍な青年となっているイロは、実にカッレラ好みの性格であると言える。
普段からそうしておけば臆病者だの小心者だのという噂も流れないのに勿体無いとさえ想ってしまったカッレラは、イロが零すとあるキーワードに注意が向く。


「あぁ。エリアスの野郎、己を万が一『カレワラ』が邪悪な魔術師に悪用された時の保険に指名してくれやがって。いくらダチ公でもよぉ、頼んでいい事と悪い事があらぁ。
そんな事態を恐れるなら最初から悪用防止用の術式でも組んどけって話だ。まぁ、今回は悪人じゃ無くてじゃじゃ馬だからな。エリアスも想定外だっただろうが」

「……ハッ?」


イロの言っている言葉の意味がわからない。カッレラには、イロが語るキーワードが意味するところをすぐに理解できない。頭に入ってこない。
そんな彼女のうろたえなど知らぬ存ぜぬの体でイロは髪をクシャクシャに掻きながら話を続ける。


「魔道書原典『カレワラ』の著者で十九世紀の魔術師エリアス=リョンロートだよ。テメェも知ってんだろうが。あいつ、己のダチ公だぜ」

「ハアアアアアァァァァッッ!!!??」

「うるせぇ!!巨人化してる状態で叫ぶな!耳が痛ぇ!!」


指で耳に栓をして空気を震わす大音量を防ぐイロは抗議の声を挙げるが、カッレラからすれば自分の方がイロへ事の詳細を求めたいくらいである。
フィンランドを出身地とし、魔道書原典『カレワラ』に縁のある魔術を使用するカッレラにとって十九世紀の魔術師エリアス=リョンロートは地元でとても有名な魔術師だった。
奪取する魔道書を『カレワラ』にしたのも、単に破壊力の高さを求めたからじゃ無い。『カレワラ』が自分に相応しい魔道書であるとカッレラが考えたからである。
そんな魔道書の著者であるエリアスとイロが友達?確かにイロは一世紀以上生きているらしい。本人がそう言うのだ。
ならばエリアスが活動した時代にイロは生きており、彼とイロが友情の杯を交わす可能性は皆無では無い。だが、そんな偶然信じろと言われても信じられないのが普通の反応である。


「これも信じられねぇのか。ったく、『カレワラ』を扱う魔術師が著者のエリアスを信じられないってのは野郎にとっても不幸だな」

「私ガ信ジラレナイノハ、エリアスジャナクテアンタノ言葉ヨ!!」

「言葉じゃ足りねぇんだな。なら、こいつならどうよ!」


火炎を端から垂れ流す目を白黒させるスルト化したカッレラに見せ付けるように、イロは地面に横たわる『ナンダヴェア』の積荷の一つを持ち上げる。
巻き布を外し、中から出て来たのは石で作製されたと思われる霊装。鋸のような蛇と稲光をイメージして作られた石槌に纏わり付く稲光からカッレラは霊装の正体に勘付いた。


「魔道書『カレワラ』に出て来る至高の神にして雷神ウッコが槌『ウコンバサラ』。これは己のダチ公エリアスから『カレワラ』を破壊する為に作製を依頼された霊装だ。
北欧神話の雷神トールが扱う『雷神の槌(ミョルニル)』の関係性に類似しているが、まぁ今はどうでもいい。
己は世界中の蛇伝承を追い求める男でね。勿論ウッコが扱う『ウコンバサラ』の中に蛇と雷がシンボルになったハンマーがあった事も熟知している。
そもそもフィンランド神話において鋸型の蛇は雷のシンボルだ。己にとって霊装『ウコンバサラ』を作製するのは己の目的にも合致するから快く引き受けた」

「……!!」

「そんな折に、己はエリアスから魔道書原典『カレワラ』の件を頼まれた。さっき言ってた保険ってヤツだ。カッレラ。テメェは知らねぇだろうが、『カレワラ』に記されているとあるページにエリアスは細工をしている。
何時の日か自分が作った魔道書が何者かに悪用されてしまう事態を恐れたエリアスは、『カレワラ』に雷槌『ウコンバサラ』を叩き込む事で『カレワラ』と『カレワラ』の所有者を同時に抹殺する術式を秘かに潜ませているんだぜ?」

「何デスッテ!!?」


鋸型の霊装『ウコンバサラ』を片手にエリアスが仕掛けた魔術的細工を打ち明けるイロに、カッレラは動揺の色を濃くし始めた。
仮にイロが語る内容が真実だとして、『カレワラ』が扱う魔術は全てイロに筒抜けであると見ていい。先程のスルトの攻撃からも生き延びる事ができた理由はエリアスから『カレワラ』への対処法を指南されていたからか。
『ウコンバサラ』については、直接的に命の危険に繋がるとてもまずい代物だ。霊装作りに関してイロが超一流なのは明白だ。『カレワラ』を作ったエリアスの仕掛けも合わせて万が一の誤作動も発生するまい。


「己が『多からなる一』に入った動機が、結社が掲げる理想を実現する為だけだとでも思っていたか?
己が『多からなる一』の皆を説得して単身ここにいるのは、破れかぶれの捨て駒みてぇな特攻をするつもりとでも考えていたか?
全ては己のダチ公エリアス=リョンロートと交わした約束を果たす為!カッレラ。テメェはやり過ぎた。己を本気で怒らせたんだよテメェは!!」


『ウコンバサラ』の柄を地面へ付き立て、発する稲光がイロの憤怒の凄まじさを物語っているかのように激しく蠢く。
カッレラは自分の想定していた『運命』とやらの歯車が盛大に狂い始めている事を実感する。痛感せざるを得ない。
しかし、まだ勝機が失われたわけでは無い。そもそもフィンランド神話についてはイロよりカッレラの方が絶対に博識である自信がある。
そして、『カレワラ』とカッレラの命を奪う雷槍『ウコンバサラ』も実際に叩き込まれるような隙を作らなければいいだけの話だ。


「……ソレガドウシタノヨ。アンタト私ジャ扱ウ神話ガ一緒デモ、ソノ知識ハ大キク差ガアル。ソレニ、ヨウハ『ウコンバサラ』ヲ『カレワラ』ニ叩キ込マレナケレバイイダケノ話。アンタノ『両性産卵』ニハ驚カサレタケド、他ノンデンゲイ魔術ニ私ハ確カナ対抗手段ヲ持ッテイル!!
『カレワラ』ノ中身ヲ知ッテイルカラト言ッテ『カレワラ』ノ攻撃ヲ全テ防ゲルレベルニアンタガ達シテイナイノハワカッテイルワヨ!!」

「そうだな。特に己のンデンゲイ魔術に対する対抗策を構築されてるのは痛ぇよな。なら、“対抗策を構築されていない”ンデンゲイ魔術やフィジー信仰魔術に切り替えればいいだけの話だよな」

「何ッ?」

「カッレラ。不思議に思わないか?これだけ派手に暴れてんのに、他の魔術組織も国レベルの情報機関も全く動きが無いみたいに周囲が静かなのをよ」

(そ、そうだ。おかしい。周辺に魔術組織がいないからと言っても、今までの暴れように国の指示でスクランブル発進してくる戦闘機なりなんなりがあってもおかしくないのに。まるで、何かに認識を阻害されているみた……!!!)

「…ようやく気付いたか。目的遂行に全力投球できるその熱中振りは個人的にスッゲェ好きだけどな、少しは十字教襲撃なんていう大それた目的ばっか見てないで、一度心を落ち着けて、冷静になって周囲を見てみろ」


イロの指摘に気を取り直していたカッレラの背筋が凍り付く。イロとの交戦に夢中になり過ぎていたのか、水平線より手前に聳え立つ石造りの建築物が何時の間にか建っている事に今更ながら気が付いた。
とある法則に基づいた大きな輪となり無人島を取り囲むように海底から姿を現しているそれ等は、カッレラにとって最早見慣れた建築物と言っていい。特徴的な高い屋根を持つ石造りの神社的建築物。
『多からなる一』の本部を置く常世の海上移動要塞型神殿『ハワイキ』各地に存在するその建物の名は『ブレ・カロウ』。それ等が何百もの規模で何時の間にか建築されていたのだ。


「『ブレ・カロウ』…!!」

「『ハワイキ』周囲に張り巡らされている認識阻害用の魔術結界は、世界各地に建設されている『ブレ・カロウ』の空間移動時限定の偽装結界にも応用されているのは知っているよな。
とはいえ空間移動時のみ限定される『ブレ・カロウ』の偽装結界を、己はそれをこのタイミングで発動した。いや、発動『できた』理由を教えてやろうか?
それとも、戦闘の最中に何百もの『ブレ・カロウ』をこの広範囲に建築できる程の魔力が何処にあったかを教えてやろうか?」

「ッ!」

「『ハワイキ』。『ブレ・カロウ』。共に接続状態良好確認。再度供給開始!」


イロの宣言と共に、島を取り囲む『ブレ・カロウ』から強大な魔力がイロへ流れ込む。供給源は、現在『ハワイキ』に残る魔術師達。
彼等はイロの依頼を受けて、各々『ハワイキ』及び『ブレ・カロウ』のエネルギー供給地点で依頼された仕事をこなしていた。
その内容を一言で言えば『イロのバックアップ』。魔力とは使用する術式に応じて生命力から練り出す過程でその特色を変える。
今回で言うならば、『ブレ・カロウ』を抱える『ハワイキ』に必要な魔力を『多からなる一』メンバーは精製し『ハワイキ』及び『ブレ・カロウ』に流し込んでいる。
それ等はンデンゲイ魔術やフィジー信仰魔術を操るイロに適合する強大な魔力源になるのである。


「馬鹿ナ!!『ブレ・カロウ』ノ空間移動術式ヲ利用シタエネルギー供給方式ナラ、時刻ハ日ノ入リト日ノ出ニ限定サレル筈!!」

「それとは別の術式だって。知らねぇか?フィジーを含めたメラネシア招神信仰『カーゴ・カルト』ってヤツを。一般的な見方は、『自分達が持たず、白人だけが素晴らしい文明を持っているのは平等だった神から奪い取ったからだ』みてぇな文化的コンプレックスの話になってるが、魔術師にとってはそもそも宗教的奇跡を体現した者へのコンプレックスから生まれた異能が魔術なんだからとても“らしい”信仰だよな」


メラネシア招神信仰『カーゴ・カルト』。大方の見方では現地人の白人への文化的コンプレックスのような話になっているが、イロの見方と解釈は違った。
元々類似する信仰としてインディアンのゴーストダンスやアステカのスペイン侵略時の一幕について詳しかったアメリカ大陸出身者のイロは、一世紀以上生きる経験として当時の現地民の信仰をつぶさに観察した結論として、『カーゴ・カルト』は類感魔術を柱とする偶像の理論のような呪物崇拝でありながら独特な形態を取っていると解釈した。


「幾つか種類のある魔術『カーゴ・カルト』の内、己が今使っているのはフィジー信仰において願いを叶えてくれる神や先祖の霊が暮らすとされる常世の国『ハワイキ』に向かって『ブレ・カロウ』を通じて祈ってお願いを聞いて貰う術式だ。
祈りの儀式自体は『ハワイキ』を出立する前に済ませてある。己は現地に神が齎した文明を魔術に関わるものと解釈している。
己は祈ったぜ。『「ハワイキ」や「ブレ・カロウ」を通じて己に必要な力を齎してくれますように』とな」


『神を呼ぶ』性質を有する『ブレ・カロウ』は『ハワイキ』の玄関だ。そして、『ハワイキ』にて作業に没頭する魔術師達の魔力をイロに届ける通路にもなる。
だが、無人島付近に作り出した『ブレ・ガロウ』はイロの土属性魔術よって作り出された、いわば即興の模倣品である。
普通なら偶像の理論を用いているとはいえ、即興で作った模倣品がレプリカとして有益レベルの機能を発揮する事はできない筈。ここで活きてくるのが『カーゴ・カルト』。
とある法則に基づいて無人島を取り囲む輪となっている『ブレ・カロウ』は、実は『ハワイキ』に現在建築されている『ブレ・カロウ』と瓜二つなのだ。
『カーゴ・カルト』の本質の一つは現地に存在する物質で完璧な模倣(品)を実現させる事でオリジナルに影響を与える事である。
イロが扱う魔術『カーゴ・カルト』が操るものの一つは、言うなれば偶像の理論における『レプリカによってオリジナルに変質を齎す』偶像の逆利用理論。
元の『ブレ・カロウ』に刻まれた魔術的記号や文字を精密に再現した現地材質版『ブレ・カロウ』を建築したイロは『ハワイキ』の『ブレ・カロウ』と対応させ、繊細なバランスの上で魔術『カーゴ・カルト』を操っている。


「当然だが、こんな繊細な術式を扱うのは一人でなんかじゃ無理だ。だから、特に日頃から仲の良い穏健派のメンバー達に手分けして貰いながら魔術『カーゴ・カルト』を行使中だ。
己にはテメェのような自動で術式を組み合わせてくれる『カレワラ』のような便利アイテムなんか無ぇからよ。昔から困った時は人海戦術ってな具合さ。
『ブレ・カロウ』の建築も偽装結界も、己は制御しているだけで大本のエネルギーは結社の皆持ちだぜ?まぁ、さっきのスルトの一撃で偽装結界外の水流にも変化が起きたし、絶対見破られない状態でも無いんだが…後で皆に飯でも奢らねぇとな」

(そうか…!!『ハワイキ』は神殿だ。つまり、大掛かりだったり繊細だったりする魔術を行使するにはうってつけの儀式場!!
『多からなる一』メンバーがイロ以外出向かったのもそういうわけか!!儀式場なら個人の魔力の他に地脈なんかの『世界の力』を通す事で界力(レイ)に変換して莫大なエネルギーを得る事もできる!!
可能性として考えていなかったわけじゃ無い。イロが余りにも戦闘に消極的な臆病者だったから何時の間にかその可能性を削除していた!!)


その身に巨大な魔力を充填しつつあるイロにカッレラは危機感を抱く。このままでは遠からず形勢が逆転しかねない。
こちらには『カレワラ』があるとはいえ、イロのバックには結社メンバーのバックアップがある。『カレワラ』とその所有者の命を奪う切り札も向こう側にある。
魔道書原典『カレワラ』を奪取したばかりに『独りになってしまった少数派』カッレラと、単身出撃しながら『少数派』たる他の結社の人間と力を合わせてカッレラを止めようとする『多数派』イロの構図に、少女は少なからず動揺する。
追っ手を打ち破った末に自身が十字教に宣戦布告すれば、もしかすれば結社の中からカッレラの意思に同調する動きが発生する可能性だってある。
そんな淡い期待は無残に砕かれた。『少数派』を守る事を目的とする『多からなる一』にも完全に敵視され、『独り』になったカッレラは自身を仲間だと言ってくれたイロの説得すら無視して殺そうとし、その結果優しき老人さえをも敵に回してしまったのだ。


(でも!でも!!でも!!!絶対におかしい!!偽装結界で私の認識すらごまかしていたとして、結界を発動する為には“発動前”に『ブレ・カロウ』を建築しなきゃいけない!!その予兆はあったか!?いや、絶対に無かった!!
何かを見落としている!!私に建築を気付かせないように何らかの細工をしたイロの行為を絶対に見落としている!!おそらく、この無人島に来てからの細工の筈!!一体何を私は見落として………)


脳を目まぐるしく働かせるカッレラは、どうしても自分の認識をごまかしていたイロの細工に心当たりを付けられない。
特に偽装結界を発動する為にまず行わなければならない『ブレ・ガロウ』の建築に関わる魔術的・魔力的予兆は一切感じられなかった。
自分に油断が無かったとすれば、それは絶対にイロが予兆を気付かせない仕掛けを行ったという事を示している。その心当たりを必死に探すカッレラはようやく思い出した。


(蛇……イロが海から島へ渡って来た際に変貌していた蛇のような瞳と皮膚が黒い鱗と化していた右腕。まさか、あの未知の魔術が関係して…)

「何をボーッと突っ立ってるんだカッレラ?戦いはまだ終わってなんかいねぇぜ?」

「ッッ!!」


思い出した矢先にイロは容赦無く戦闘再開を宣言する。島の周囲の『ブレ・カロウ』がその輪を少しずつ縮めて来る。
カッレラはイロの扱う魔術式を看破した末に編み出した対抗術式でもって割り込みを掛けるが、今度は通じない。
イロの宣言通り、これは少し前までに使っていたンデンゲイ魔術などでは無い魔術式で運用されている。
蛇化という未知の魔術にしてやられた可能性も浮上し僅かだがたじろぐカッレラに、バックアップ陣と連携して準備を整えた魔術師イロはカッレラにとっても自分にとっても皮肉になるであろう“『多数派』たる宗教に影響された”『少数派』魔術を見せ付ける。


「大海原を渡り逝く者(mara029)!!!」


蛇伝承を追い求めて世界中の大海原を渡り逝く者として、眼前の少女に暴れ狂う憤怒と心からの敬意を示す為に魔法名を名乗る魔術師イロ=コイはかつて生涯の約束を交わした愛しき人のような『悲劇』を繰り返さない為に命を懸けて戦場に立つ!!


…to be continued

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最終更新:2016年01月24日 00:13