それは『サトリ』の瞳を持つ男にとって偶然の出会いだった。
狙っていた魔術結社を殲滅した帰りに少数民族がひっそりと暮らす南米の集落を見て回っていた際に、奇妙な噂を“目にした”。
何でも、幾つかの集落において若者が次々に命を落としているらしい。他集落で生活する人間の間では疫病が流行していると結論付けられていた。
何故若者ばかり死んでいるのか、そこに明確な根拠があったわけでは無い。それなのに結論が出ている。しかも、誰も確認の為にその集落を訪れようともしていない。
魔術的な作為。所謂『人払い』系の魔術の匂いを男は嗅ぎ取り、その予感は見事に的中した。
『なんとお礼を言っていいか。あなたが来訪しなければ、私達は全てを失っていた』
『礼なんかいらねぇよ。それに、お前の孫はもうここにはいない。俺が来るまでにどっかに連行されちまったようだ』
ブードゥ系魔術結社の暗躍。魔術的な人体実験に利用する為に、大多数の目が届き難い少数民族の集落から必要な人間を誘拐していた。
ご丁寧に『人払い』系の魔術を使用して集落に人を近付けなくさせていた。『サトリ』によって事情を看破した男はすぐに行動を起こした。
魔術結社としては結構な勢力を有するブードゥ系魔術結社の支部に所属する魔術師の一人から情報を全て引き出し、罠を張り、何時ものように集落の若い人間を攫いに来た魔術師達をあっという間に叩き潰し、電光石火の如き勢いを持続したまま支部へ乗り込み速攻で殲滅した。
だが、既に誘拐されていた者達は何処にあるか支部に所属する魔術師でさえ知らない結社の本部へ連行されていた。
襲撃を警戒してよく本部を置く地を変える用心深さが垣間見える。勿論『サトリ』で事情は知っていた男だったが、まずはこれ以上の誘拐行為を阻止する為に動いたのだ。
『息子を早くに失っていた私にとって息子が遺した孫はかけがえの無い宝物だ。だが、私の命は長くは無い。もう会えない事は覚悟しています』
『……そうか』
愛しい孫の顔を思い浮かべている集落の長老の心情を読み取る『サトリ』の男は、魔術結社がどんな目的で彼の孫達を誘拐したのかその理由をあえて告げなかった。
余命幾許も無い彼がこれ以上の悲劇を体感する必要は無い。男の配慮が伝わったのか救ってくれた事への単なるお礼なのか、長老は集落に古くから伝わるとある石斧型の守護石を持ち出した。
『これは?』
『「ピエルトネール」という集落の秘宝です。外来人であるあなたは知らないかもしれませんがこの秘宝を作り出した私達の祖先、そして今の私達も石を信仰し、石を宝と見る一族です。
また、これはかのブードゥ教において神聖視される石でもあります。その切欠となった「ピエルトネール」のご加護をあなたに贈ります』
『サトリ』の男は一目見てその石が霊装であると悟った。『ピエルトネール』と称される石斧型の守護石を手に取り、込められた魔術的記号を分析した結果秘められし魔術的効果も理解した。
しかし、男は当初これを突き返そうとした。アフリカ起源であり、また『ピエルトネール』に対応する神が自身の扱う魔術式の大本である雷神と同一視されているとはいえ世界最大宗派と形式的にでも習合している宗教の神の力を用いる事への拒否感があったからだ。
それでも、長老は自身の望みであると言って『サトリ』の男へ『ピエルトネール』を半ば押し付けるように贈った。
『もし…もし私の宝物と……私の孫に会う事があればその『ピエルトネール』と共に私の言葉を伝えて頂けませんか?勝手極まる失礼な事と理解しています。ですが、どうか。これが…最期の望みです』
床に伏せる痩せ細った老人がその身に残された最後の力を振り絞るように『サトリ』の男の手を己の両の手で掴む。
震えながらも芯の通った力強さを宿す掌、その老いた瞳から発せられる鈍い眼光、何より長老の心に垣間見た想いの強さを『サトリ』の瞳で確と見た男は遂に根負けし、『ピエルトネール』と共に老人の言伝を預かった。
別に、率先して件の魔術結社を追うわけでは無い。長き旅の途上で偶然にも再び相見える時があればその折に。
『それでいい』と零し、少しだけ表情を緩めた長老は荒立てていた息を整え睡眠を取る為に静かに目を閉じた。『サトリ』の男はそれ以上言葉を交わさず集落を後にした。
そして幾歳月が経ち、『サトリ』の瞳を持つ男を取り巻く環境も変わった。ひたすら渡り鳥生活を送っていた男が止まり木たる魔術結社を見付け、そこで生活するようになったのだ。
とはいえ、以前と変わらず単独で活動する事が殆どである。しばらく前には魔術結社全体を揺るがす大事件も起きたが、生憎その時は別件にて不在で全く関われなかった。事の顛末も通信術式で知ったくらいのそんな長期的な不在。
その行き着く先にようやく辿り着いた。止まり木から旅立った渡り鳥が目的地に到着したのだ。
「こんな所にいたのか……死体に群がる虫けら共」
ブードゥ系魔術結社『天命の星(ゼトワール)』本部―ブードゥ教寺院の跡地―を前に幾歳月を経てかつて年老いた人間と交わした約束を果たせる時を迎えた『サトリ』の瞳を持つ男。
名は
トワイライト=グリモス。魔術結社『多からなる一(イ・プルーリバス・ウナム)』の構成員にして、結社における強硬派筆頭格と目される三眼の魔術師は額に在る『避役の瞳(サトリ)』を見開き、一般人が行き交う普通の世界において『瞳』を隠している迷彩術式の大本である擬態魔術『避役の肌』を体全体に展開したまま『天命の星』殲滅作戦を開始した。
ブードゥ教寺院跡地の地下に張り巡らされた結界が破られてからまだ数分程度しか経っていない。それなのに、迎撃に向かわせた魔術師達から何の応答も返って来ない。
そもそも迷宮のように入り組んだ通路に仕掛けていた数多の罠をどのように潜り抜け、あまつさえどんな手管を用いて結界そのものを破壊せしめたのか。
結社内に裏切り者が存在し、その者の手引きによって侵入したとしか思えない手際の良さ。応答の代わりに聞こえてくるのは戦闘と思しき轟音。そして、徐々にだが確実に侵入者が中枢部へ近付いて来ているのを否が応でも認識してしまう。
「『
必要悪の教会(ネセサリウス)』か!?おのれ!どうやってこの場所を突き止めたというのだ!?」
魔術結社『天命の星』を取り仕切る初老の男性ロバート=ロボスは、対魔術師に特化したイギリス清教お抱えの部署の名を漏らしながら矢継ぎ早に部下へ指示を出す。
不定期に本部機能を移転させて尻尾を掴ませないよう注意を払っていたロバートは、毒吐く暇すら惜しむように今後の対処を思考する。
襲撃者の当てとして想定している『必要悪の教会』程の組織に居場所が割れてしまったという事は、既存の隠れ家は全て仕えないと判断した方がいい…と思いつつも、襲撃者を排除した後に何処かへ雲隠れする必要性から、内心考えていた新たな隠れ家候補のいずれかに身を潜めるのが得策である。
(実験はまた再開できる。今は侵入者の排除と退路の確保が優先か。幸い退路の方は予め設置して……!?)
ロバートの脳内には、いざという時の為に設置した緊急避難地下通路の図面が明瞭に映し出されている。
今後必要となる最低限の資材も複数の部下に指示して収集させ、一足先に避難用通路へ向かわせた。
後は逃走を果たすまで時間を稼ぐ、増援がいない事を前提にできるなら侵入者を排除する。緊急事態にも関わらず落ち着き払った対処をこなすロバートだったが、鼓膜を叩く轟音の“位置”が急速に移動している事に違和感を抱き、それはすぐに危機感に様変わりする。
(ま、さか!?避難通路の位置まで知られているのか!?本当に結社内部に裏切り者がいる!?
おのれぇ…私に逆らえばどうなるか、必ず見付け出して私に逆らった罰を骨の髄まで叩き込んでくれる!!)
侵入者はロバート達の行動を嘲笑うかのように避難地下通路がある方面へ移動したようだ。轟く破壊音の連続が侵入者の挙動を雄弁に物語っている。
すぐにロバートは通信術式を用いて先行させていた部下に連絡を試みるも、いずれからも返答は無い。
十中八九先行させた部下はやられた。地下通路も破壊された。そう考えざるを得ないロバートは、余りの手際の良さに本気で裏切り者が内部にいる事を疑う。
「侵入者が来るぞ!」
迅速な避難を目的としていた為に中枢部と避難通路を結ぶ道は一直線。罠のような術式も存在しない。
つまり、避難通路を破壊した侵入者は程無くしてここに辿り着くという事だ。ロバートは周囲に立つ幹部や構成員に迎撃を命令する。
自身も迎撃の為に中枢部に隣接する『倉庫』に眠る己が手足となる僕(しもべ)を召喚する為に通信術式を発動させる。どうやら侵入者を排除しない限り『天命の星』が生き残る術は無いらしい。
時間にして、侵入者が中枢部に辿り着いたのは迎撃命令を出してから1分程経っての事。しかし、ロバート達にとっては数十分にも数時間にも感じられた遅いようで早かった60秒。
「ここがハエの溜まり場か」
侵入者は1人。額に瞳を持つ異形の人間と見て取れる風貌。全体的に青系統もしくは黒系統の色で纏められた衣服を身に纏うその姿に一瞬ロバート達は言葉を失った。
何故なら、ここにいる誰もが断片的な噂を耳にしていたからだ。曰く、各地の戦場に姿を見せては殲滅の限りを尽くしたと謳われる生粋の戦闘狂。
出くわした魔術師の殆どが命を落としており、どのような魔術を使うのか詳しい事は未だに不明。唯一わかるのは“当人が『サトリ』と呼ぶ『瞳』を額に浮かべる血塗られた魔術師である”くらい。
「『サトリ』…!!」
名前すら不明である事から今では『サトリ』という単語が血塗られし魔術師の通称となっている。
東の島国に伝わる人の心を見透かす化物の名でもある『サトリ』の瞳を前にし、ロバート達はほんの一瞬だけ明確な死の予感を抱いた。抱いてしまった。
もし、断片的な噂が真実だとするならば。『サトリ』が敵と認識した者はまず死ぬ。人類にとって当たり前に訪れる死。それを齎す悪魔が目の前に立っているのだから。
「そこの真ん中のジジイ。お前が鬱陶しいハエの親玉だな?」
「……」
「何だよ、ダンマリ決め込んじゃって。無愛想な奴だな」
「貴様なら言葉にしなくとも答えがわかっているのではないのか?」
「確かにそうだ。この『サトリ』の瞳は全てを見透かしている。お前が『天命の星』のボスって事も、『心が読めるならこのアジトの内部構造も看破する事は容易い』と考えている事もわかっている。
まぁ実際の内部攻略はもうちょい複雑だったんだが、今から死ぬお前等にとっちゃ聞いても無駄な話だろう」
ロバート達が『サトリ』と呼称する男トワイライト=グリモスは、ロバートの問いをあっさり肯定する。
隠す必要など無いと言わんばかりに額の瞳が心を読む霊装である事をバラす。そこに存在するのは絶大な自信か。
魔術師にとって心を読まれる事。それは自身が扱う魔術の特性だけでは無く式の下地となる伝承・逸話を戦う前から看破される事に他ならない。
一部の例外を除き、それがどれだけ致命的な事なのか魔術師なら誰もが理解できる。そして、魔術師にとって致命的な読心をトワイライトは容赦無く実行する。
「どうして私達を狙う?私達は貴様に…」
「『関わった覚えなど無いが』だって?その通り。お前等は俺に関わった覚えなんざ無いだろう。“俺が”お前等に関わってるんだからなぁ」
「本当…」
「『本当に悪趣味な瞳だ』?そう言うなよ。これでも人の醜い心象とか見ようと思えば見えるから結構ストレス溜まるんだぜ。
少しはストレス発散の為に俺の世間話に付き合ってくれたっていいだろう。こう見えて俺は話好きなんだぜ?」
そのストレス発散の末路がロバート達の死だとでも言いたいのか。抗議しようと思ったロバートだったが止めた。『サトリ』には思っただけで通じるだろう。
それより問題なのがこの状況をどうやって切り抜けるのか。心を読めるトワイライトを返り討ちにする為にはどのような手が有効か。
「奴の瞳の視界内に入るな!!各々連携を取らず、巻き添え覚悟で『サトリ』を潰せ!!」
どうせ心を読まれるのなら口に出してしまっても問題無い。『サトリ』を警戒して迂闊に動けないままでいれば、結局の所トワイライトに自由な動きを許してしまうだけだ。
心を読めるのなら先手を打つ事も後手で備えるのも自在だが、瞳を読心の媒介にしている以上有視界内という制限がある方が普通だ。
ならば先んじて動く事でトワイライトの『サトリ』から逃れる。トワイライトも黙してロバート達の行動を見逃しはしないだろう。
それでも、少しでも勝利する確率が高くなるようにロバートの指示を受けた『天命の星』の幹部や構成員達は目立った動きを見せないトワイライトより早く動き、勝機を見出す魔術を各々発動しようとする。
「ガッ!?」
「グゥッ!?」
「ンッ…!?」
命令を下したロバートの目には、まるで部下達を取り巻く時間の流れが停止したように映った。それ程までに完璧な停止。言葉を発する事も目玉を動かす事もできず、更には発動し掛けていた魔術すら止まった。
部下達の中にはトワイライトの『サトリ』の有視界から外れていた者も数名いた。しかし、現実として先手を仕掛けるべく動いた部下達は空間に縫い止められたように動けなくなってしまった。
ロバートにとっては驚愕する事しかできない光景だったが、そんな光景がいつも通りと化しているトワイライトにとっては特段の感情など抱かず、これまたいつも通りに自身の周囲に数多の炎の矢を顕現させ四方八方に振り撒いた。
「チィッ!!」
正体が掴めない魔術を前に湧き上がる危機感に急かされるようにロバートは後退する。判断は正しかった。後退した直後ロバートがいた場所を炎の矢の嵐が殺到する。
一方、無防備になっている部下達はまともに炎の矢を浴び次々に絶命していく。先程の攻勢に参加していなかった者達は動けるようで、即席の防護術式で矢の嵐を防ぎ続ける。
「遅ぇ」
炎の矢を防ぎ切った構成員の横っ腹に突如として現れたトワイライトの両手には雷の両刃斧(ラブリュス)が携えられていた。
数多の物質を刹那に消失させる超高温のラブリュスの一閃により胴体を真っ二つに切り裂かれる魔術師を目にし、他の魔術師達は反撃に打って出ようとするも先程の強制停止魔術が頭にチラ付きどうしても挙動が遅れる。
『サトリ』によって敵対する魔術師達の動揺を見透かすトワイライトは隙を見逃さずすぐさまラブリュスを投擲し、莫大な熱量を伴う大爆発を発生させ『天命の星』メンバーを一気に殲滅していく。
「オォッ!?」
「アァッ!?」
再び行動を強制停止させられる魔術師達を問答無用で屠るトワイライト。瞬く間に数を減らしていく『天命の星』。
保護色のように周囲の景色と同化したり、単に自分や身に付けている物などの色を様々に変色させ自身の姿形を偽装する事ができる擬態魔術『避役の肌』による錯乱、
有視界内に収める生物の心を読み、脳を混乱に陥れる幻覚すら抱かせる『避役の瞳』を併用する事で凄まじい戦果を挙げるトワイライトの戦闘はまさに脅威の一言に尽きる。
「貴、様ぁ…!!」
「後はお前だけだぜ、ハエの親玉」
最早戦闘とすら呼べない一方的な殲滅の末、生き残ったのは襲撃者たるトワイライトと『天命の星』を取り仕切るロバートの2人のみとなった。
圧倒的劣勢に身を置かされ歯噛みするロバートだったが、その表情にはまだ希望があった。彼にはまだ切り札が存在する。召喚するまでに多少時間が掛かってしまうのが難点だが、部下の犠牲によって何とか時間も稼ぐ事が叶った。
地響きは起こり、床が脈動する。トワイライトはロバートの出方を伺うように数歩下がる。床を破壊し現れた幾人もの死人。身に付ける着衣はそれぞれ普段着だったりシスターのそれだったり色々だ。そんな死人達は主たるロバートを守護するようにトワイライトの前に立ち塞がった。
「こりゃぁ…ソンビか?ゾンビ映画によく登場する奴等に比べてえらく小奇麗じゃねぇか」
「『死人の軍勢(ゾンビ・カダーヴル)』と私は名付けている。ブードゥを語るに当たってゾンビは必要不可欠な要素だろう?」
『死人の軍勢』。ブードゥでは馴染み深いゾンビ術式。ブードゥではゾンビとは映画で登場するような一度死んだ者が復活するような代物では無い。
呪いを込めた毒によって生者を仮死状態に置き、魂と肉体を分離させ、空っぽの肉体を呪術者が自由自在に使役する。
ロバートはこの術式をより完成度の高い代物にする為に今まで多くの実験を繰り返してきた。
「そうだな。何せ、今まで俺が殺してきた『天命の星』の魔術師達の半分近くがゾンビだったもんな。
俺の『サトリ』でも心が読めないんだ、何かしら小細工を弄しているとは思っていたんだが…恐ぇ術式だ。…いや、恐ぇ奴だなロバート=ロボス。
お前にとっちゃかつての仲間も所詮お前の手足でしか無かったのか?」
「……クククッ、あぁそうだとも。連中は私の思想に異を唱えた愚か者。ならばブードゥの司祭(ボコール)たる私は奴等を罰しなければならない。
最初は苦労したぞ。一般人を材料に幾度も実験を繰り返した結果、ようやく魔術師すら私の手中に収める事ができるようになった」
「収めるってか、『最低限魔術を行使できるくらいの脳機能を維持する術が見付かった』だろ?ブードゥにおけるゾンビは頭がイカれた人間である必要がある。
そのイカレ具合を見極めるのが難しい。どの辺まで脳死してりゃゾンビ術式を行使したまま魔術を行使させられるか、それをとろくさいお前は幾度にも渡る人体実験でようやく見極められた」
死者に魔力を生み出す術は無く、つまりは魔術を使えない。ならば呪術的な毒を用いてゾンビ術式行使に必要な魔術的記号を付与しながら脳に損傷を与えればいいという考え方。
その点魔術を知らない一般人は実験材料としてはこれ以上無い好材料だった。魔術行使に対する耐性を持たない一般人は、一定数の魔術行使で廃人となる。
その壊れ具合をつぶさに観察し、『死人の軍勢』完成に活かす。完全の脳が死んだ一般人は労働力として使い潰す。中には魔術に対する適正を持つ一般人もいて、それ等は単純に使い潰さずに有効な戦力として育てたりもする。
そうしてロバートは勢力を拡大し続けていった。人の運命を牛耳る『天命の星(ゼトワール)』の名を冠する結社の頭領として相応しき醜悪な性質の持ち主。
「さぁどうする『サトリ』。ここにいるゾンビはいずれも今までお前が相対してきた魔術師とは比べ物にはならぬ腕の持ち主ばかり。
中には類稀な適正を持つが為に私が育て上げた一般人出身の魔術師もいれば、『必要悪の教会』に追われる程の悪名高き魔術師もいる。
そして、私が操るゾンビ術式が単なる肉体的なゾンビを使役するばかりだと思うな。『死人の軍勢(ゾンビ・カダーヴル)』が肉体的ゾンビを使役する術式なら、ゾンビと化した人間の魂を呪術として使役するこの『死霊の軍勢(ゾンビ・アストラル)』は魔術的な毒として貴様を殺す!
そして、貴様の『サトリ』では魂の無い空っぽな『死人の軍勢』の動きは読めないのはわかり切っている!」
ロバートの周囲に三本足の馬の形をした揺らめく青白い炎が幾つも出現する。醜さを浮かべる馬の表情には、魂と肉体が分離する前までに抱いていた負の感情が宿っていた。
伝承的に考えると霊魂的ゾンビ『死霊の軍勢』と肉体的ゾンビ『死人の軍勢』は、霊魂が肉体に戻る事を防ぐ観点から近付けさせてはならない。
しかし、ここにロバートの独自解釈が挟まる。現地信仰の一部では肉体と分離させた魂を、抱く負の感情を利用した呪術の材料として使用していた。
ロバートはこれを呪術の材料と化してしまえば霊魂は二度と肉体に戻る事はできないと解釈し、魔術式を構築したのである。
よって、戻るべき肉体を前にしながら戻れない事に負の感情を高まらせる『死霊の軍勢』の呪術的毒素の濃度は比例的に増していくのだ。
手間は掛かるが効果は絶大。物理的な魔術ばかりでは無く呪術的な魔術すら手中に収め、それ等を生み出す霊魂と肉体を自在に使役するロバート=ロゴス。
魔術師として相当な実力を持つ初老の男性の真骨頂を、しかし『サトリ』で最初から見透かしていたトワイライトはロバートの語る魔術の特性など聞いていない。
トワイライトが着目していたのは、ロバートが使役するゾンビの一体。肌が赤黒い若者。顔には特徴的な化粧が施されており、額の中心には大きめの黒子が付いていた。
「よぉ。その額の黒子、まるで俺の『サトリ』みてぇだな。大きさは断然お前の方が小っちゃいが。まぁ瞳が黒子に大きさで負けてちゃいけねぇわな」
「……」
「クククッ。無駄だ。話し掛けても反応などしない。むしろ、ここにあるそ奴の霊魂に宿る負の感情が増すばかりだぞ?」
ロバートの嘲笑など意に介さず、トワイライトはそれからも二言三言その若者に言葉を投げ掛ける。そこで変化があった。
若者の霊魂を示す炎なのだろう。額に斑点のある三本足の馬が『死霊の軍勢』達の前に出て来たのだ。今にも呪術的毒素を携えトワイライトに特攻を仕掛けようと息巻いている。
トワイライトは『サトリ』で以て“生物”たる霊魂の意思を見通し、首から服の内側へ向けてぶら下げていた全長10センチ程の石斧型守護石を掲げる。
「お前の爺さんから預かったもんだ。肉体の方の脳機能に障害があったとしても、呪術と化している霊魂状態のお前なら覚えはあるだろ?…その状態で生物の括りに入るとは、あの虫けらも酷な事をしやがる」
止まった。まるで時間が停止したかのように揺らめく炎がピタリと停止した。霊魂どころか術者であるロバートさえ意表を衝かれた事態。
その中で唯一人、泰然として構える霊装『ピエルトネール』を掲げるトワイライトは『サトリ』で感情を読み取った霊魂に向けてかつて交わした約束を果たす為に口を開く。
「爺さんからのメッセージだ。『私はお前を愛している。この先どんな未来が待ち受けていようとも、私はお前を愛し続けている。我が誇りよ。我が宝物よ。先に逝くが、またお前と会えるその時を心待ちにしている。愛しき孫よ。どうか絶望に身を堕とさず、希望を抱き、もう一度手を取り合って一緒に暮らせる日を共に望もう』」
自分の宝物であると言い切った長老の孫は、ロバートのゾンビ実験の生贄となった。魔術師としての適正があったのか、今日まで使い潰されずにこうしてトワイライトと出会えたのは幸運だったのだろうか。
『ピエルトネール』とトワイライトの言葉を受けた霊魂は、ピタリと停止していた炎の揺らめきを活発化させる。
そして、三本足の馬の瞳から炎の筋が1本2本と垂れ流れ始める。それは涙の変わりだったのだろうか。炎の筋を垂れ流し続けた若者の霊魂を示す青白い炎は、風に吹き散らかされるように消失していった。
「馬鹿な!!術式が…制御し切れぬ!!」
「お前、心中で零していたじゃねぇか。『術式の完成度を高める』だ何だってな。裏返せば、自分の術式の完成度にずっと不安を覚えていたって事だよな。
俺もこんな風に転がるとは正直思ってなかったが…結局お前はゾンビの主に相応しくなかったって事だな」
「貴様…貴様ぁ…!!あのゾンビを知っているという事は……まさか南米に置いていた支部を壊滅させたのは貴様か!?」
「ビンゴ。大当たり」
「唯の戦闘狂が!!血に飢えた獣がヒーロー気取りとは片腹痛い!!それとも、戦いに狂う貴様にとっては戦えれば何でもいいとでも言うのか!!?」
想定外の事態に術式を維持しようとするロバートだったが、長老の孫たる霊魂はロバートの意に反して現世から消失した。
術式が完璧なら血族の遺品を目にしたとしても遺言を耳にしたとしても揺れ動かされる事は無い。
負の感情を高めるべく霊魂の感受性を削っていなかった事も術式の不完全さと併せて制御し切れなかった要因の1つか。
術式の不完全さを指摘されて激昂したロバートはトワイライトに噛み付く。ロバートにとって、唯の戦闘狂に自身の計画や術式がこうも容易く崩されている事がどうしても我慢ならない。
「ははっ。はははっっ。はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」
「……?」
嗤う。嗤って嗤って嗤い続けて。『サトリ』の嗤いは何時までも止まらない。ロバートの余りにも的外れな指摘にトワイライトは嗤わずにはいられない。
「……冗談よせよ。こんな湿気た戦いに俺はどんな愉悦を見出せばいい?」
掲げていた『ピエルトネール』から手を離したトワイライトの瞳は据わっていた。右手にラブリュスを生み出し、ゆったりとした足取りで一歩ずつロバートへ歩んで行く。
「俺が臨む結社戦は大抵こんな湿気た気分になる。己の私利私欲の為に弱っちい奴を使い潰すなんて真似を犯す連中に俺がどうして心踊らされる?」
自身の肌や着衣などから出身地を悟られないように展開していた『避役の肌』を解除したトワイライト。
日焼けした赤茶色の肌、右目の血塗られたと錯覚する程禍々しい赤い瞳、耳や首にまで伸びる赤黒い長髪、首元に巻かれた朱色のスカーフ、アフリカ各地の特色を融合させた民族衣装の上から硬質な紅色のマントをはためかせるなど、トワイライトは赤系の柄で統一させている本来の姿を露にする。
「お前を殺しても一度呪術化しちまってる霊魂は術式の関係上二度と肉体へは戻れない。それは、さっきの消失を見ても明白だ。しかも脳死状態だってんなら死体も一緒だ。なぁ虫けら。
お前は本当に俺を“唯の”戦闘狂だと思ってんのか?勘弁してくれよ。戦えれば何でもいいなんてクソつまんねぇ人生送っているような“唯の”戦闘狂と俺を同一に見てくれるな。
そもそもよぉ…虫けら。お前は俺の何を知っている…!!?」
(来る!!)
真の風貌を露にしたトワイライトの怒気が込められた殺意の視線にロバートは咄嗟に身構える。
先程目にした強制停止術式はこちらが仕掛けた事で発生したように見えた。少なくとも何かしらの条件をクリアして初めて発動するような代物である事に違いない。
こちらには先の戦い以上の戦力が存在する。物理的な魔術攻勢や呪術的な魔術攻勢を先手・後手共に仕掛けられる。
一先ずは『死人の軍勢』に命令を下し、『サトリ』の範囲外から敵の出方を伺う…
「とろくせぇ」
暇すら無かった。姿を消えたと認識した瞬間、トワイライトのラブリュスの一閃によりロバートは横一線に切り裂かれた。
これは幻覚でも無ければ夢でも無い。圧倒的な速度によって実現した超速攻。『死霊の軍勢』も『死人の軍勢』も一瞬で抜き去り術者を切り裂いたトワイライトの一撃の根幹に眠る術式に覚えを抱けど、迫り来る死の迎えによって意識が虚ろになったロバートは最期に浮かんだ疑問を口にする。
「貴…様、もしや『聖人』…か?」
『聖人』。この世に生を受けた瞬間から神の子に似た身体的特徴・魔術的記号を持つ人間を指す言葉。世界広しど全員を合わせても20人に達しないとされる人を超越した者。
偶像の理論により身体に『神の力の一端』を授けられる事による強大な力は、『聖人』に圧倒的な実力を付与する。
その最たる一例が音速挙動の実現。音速で以て挙動を起こす事が可能な『聖人』の特質を年経たロバートは知っていた。
だが、実際に体験した事は無かった。故にロバートは凄まじい速度での挙動を起こしたトワイライトを『聖人』と疑ったのだ。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。『聖人』がこんなにとろいわけねぇだろうが」
疑問に少しだけ答えたトワイライトの言葉が果たしてロバートに伝わったかどうかは定かでは無い。ラブリュスの爆発でロバートの身体全てを消滅させた今となっては確かめようが無い。
正確に答えるのならば霊装『ピエルトネール』の効果。ヴードゥでゾンビを生み出す為に使用されるゾンビパウダーの構成材料の根幹たる雷石でもあり、雷神シャンゴ及びシャンゴと同じく雷神と称されるヴードゥの神ソボによって作り出されたと謳われている。
シャンゴとソボは同一視されており、雷石ピエルトネールに宿る神の霊力は地上に稲妻を走らせ対象を破壊し、更には治癒力を持つとされ神聖視されている。
抽出される魔術的記号は『疾走』と『再生』。5秒間のみ秒速200メートルもの速度で任意に挙動を起こす事が可能。次の発動までには1分程の間を置く必要がある。
あの若者をロバートの術式から解放できたのも、もしかすると霊装『ピエルトネール』のおかげなのかもしれないがその辺は正直どうでもいい。
総括するならば、ロバート=ロボスはゾンビ術式の生贄にした少数民族に代々伝わる唯一無二の秘宝の力によって命を落としたのだ。
「やっぱりあの速度域で動くとなると体にくるなぁ」
身体の内側から悲鳴を聞くも、すぐに煩い声は鳴り止んだ。霊装『ピエルトネール』は雷を吸収する特性を有しており、吸収した量に応じて『再生』の力へ変換し、『疾走』により掛かる負荷を含め術者の身体の損傷を自動的に再生していくのだ。
特にシャンゴ又はソボの魔術で発生させた雷は変換効率が良く、貯蓄量がトップクラスなら『再生』の力全てを消費する代わりに脳や心臓を含め身体欠損が複数発生しても即時自動再生する。
一見してとても便利な霊装ではあるのだが、戦での命のやり取りの中から生まれ出でる愉悦を求めるトワイライトにとっては滅多な事では命の危機を感じられなくなる霊装でもある。
その為、“生粋の”戦闘狂トワイライト=グリモスにとっては正直邪魔だったりする。もし、これが必要な時があるとすれば至高なる愉悦を求めるまでの『途上』だろう。
「長老のメッセージも伝えた事だし、これを機会に『ピエルトネール』を返しにいくか。俺が持っているよりかはあの集落の宝物にしておく方がいいだろう。爺さんの墓前にでも供えておくか」
『ピエルトネール』の今後の取り扱いについて一応の結論を出したトワイライトは、周囲に倒れているゾンビを一瞥する。
既に霊魂は現世から消失した。残るは肉体だけ。このまま自然に腐っていくよりも、何処ぞの魔術結社に再利用されるよりも。
「お前等の“生きた”証、この『サトリ』の瞳に刻んでいてやるよ。じゃあな」
雷神シャンゴの魔術『暴虐の神罰』によって寺院跡地地下に眠る結社ごと肉体を葬ったトワイライトは一時間ぶりに地上に姿を現した。
このまま一直線に『ハワイキ』へ帰るか、『ピエルトネール』を返しにあの集落へ立ち寄るか悩んでいたトワイライトだったが、そこにポケットに入れていた通信用霊装から声が聞こえて来た。
「トワイライト。聞こえる?トワイライト!」
「あぁ。そんなに大声出さなくても聞こえてるよ。しっかし、お前の作ったこのマヌケ面した仮面はもうちょっと何とかならなかったのか?これが俺?お前、俺に喧嘩売ってんのか?」
「君に芸術のイロハを叩き込みたい気分だけど、今はそれどころじゃ無いんだ」
トワイライトがポケットから取り出したミニマムチックな仮面―伎楽面と呼称する。ちなみにトワイライトを模して作られているがとても笑える一品である―から少年の高めの声が聞こえて来る。
通信用霊装として作製されたミニマム伎楽面の開発者でもある少年の名は
ピクリス=K=ドロワ。『多からなる一』の構成員に名を連ねる魔術師である。
普段は認識阻害結界を有する『ハワイキ』と自身の魔術のシナジーが抜群という事もあって特段の事由が無い時は本拠地の守護任務に就いているピクリスの声色に焦りを感じたトワイライトは僅かに声のトーンを低くする。
「どうした?またカッレラのガキが問題でも起こしたのかよ?」
「問題は起こしていないんだけど…今回はカッレラとエテノアが問題に行き会ったという表現が正しいね」
「わざわざ俺に連絡をよこしたのはどういうわけだ?」
「トワイライト。君は確かゾンビ術式を操る魔術師がいる魔術結社の殲滅任務中だっただろ?その感じならもう終わったみたいだけど」
「……つまり、“ガキ共が遭遇した敵が人間を化物に変える術式を持っていて、カッレラ達も被害を受けた”って流れか?」
「察しがよくて助かるよ。でも、カッレラ達が被害を受けた事自体はまだ何とかなるかもしれないんだ。問題は…」
「わかってるわかってる。“だから”俺が『ハワイキ』に戻る必要があるって話だな。はいはい、帰ってやるよ。あーあ、返しそびれちまったなぁ。また機会があればそん時返すか」
「ん?何の話?」
「個人的な話さ。お前にゃ関係無ぇ」
ピクリスから連絡を受けたトワイライトは、ここから一番近い『ブレ・カロウ』に向けて走り出した。
『ピエルトネール』が無くとも雷神の伝承を利用した身体強化術式は一通り取り揃えてある。
姿を消す為に『避役の肌』を展開し、常人を超えた速さで大地を駆け抜けるトワイライトはピクリスから伝えられたとあるキーワードを反復する。
先日『多からなる一』を揺るがした魔道書原典『カレワラ』に関わる事件の首謀者カッレラと、彼女が随行した同じく『多からなる一』の構成員が行き会った事件におけるキーワード。
ロバート=ロボスが人の尊厳を根底から踏み躙り使役したゾンビのように人間を化物に置き換え操る魔術。その根幹に据えられた伝説の名は。
「『人面犬(ヒューマンドッグズ)』…か」
~とある魔術の日常風景 異説「レジェンダリー・ヒューマンドッグズⅠ」~
…to be continued
最終更新:2016年02月16日 21:47