転校生の
風川正美と、稜の同居生活が一週間が過ぎようとしていた。
この一週間は稜と正美、二人にとってはかなりと言っていいほど中身が濃い一週間であった。と言うのも、稜は一週間も風紀委員を休み、正美が無くしてしまった普段の生活に必要なエピソード記憶を再記憶させるため、放課後は寮に帰って味覚の認識させたりと、出来る限りの範囲で正美の面倒を見ていた。正美も稜の努力の甲斐あって、人並みの生活が送れるだけの状態までになったのだった。その中で変わったことと言えば、正美が稜のことを『神谷さん』から、『神谷くん』に呼び方を変えたことや、狐月や麻美が稜の状況を把握したくらいだ。 そして、今日は7月20日、夏休み初日だ。
稜と正美の部屋にて…
「…くん、神谷くん!」
「う…ぅん~…」
「おはよう、神谷くん♪」
「お…おはよう…」
稜が目を開けたときに前まで目に入るのは天井だが、今は必ず、正美のやさしく微笑んでいる表情が稜の目に入っている。そして、正美はまるで母親のような口調でやさしく言った。
「夏休みだからってだらけちゃダメだよ?」
「あっそ…」
「え!?寝ちゃうの?」
稜がそう返事をして再び目を閉じて眠りにつこうとすると、正美がビックリしながら聞き返す。すると、稜は眠りに落ちようとした意識を引き戻し、ベットからガバリと起き上がって正美に聞く。
「夏休みだからな…ん?今何時だ?」
「8時だけど?」
「うわやべぇ…今日から復帰だったの忘れてた…」
そんな時来客を知らせるチャイムが鳴ると、インターフォン越しから、狐月の声が聞こえた。
『神谷君!仕度はできているか?』
「待っててくれ!」
「失礼するよ。」
稜はベットから勢いよく降り、部屋着として来ているスウェットを脱ぎ、急いで制服に着替え始めた。すると、何故か狐月の声が近場で聞こえ、稜は驚きながら狐月をみて早口に言う。
「なんで入ってきてんの?」
「彼女が…」
狐月が目線を向けた先には不思議そうな顔で稜を見ている正美の姿があった。彼女が上がってとでも狐月に言ったのだろうと考え、その思考は放棄して、稜は狐月に言った。
「それで?俺はモーニングコールなんか頼んでねぇぞ」
「いや、簡単に話に来ただけだ、彼女を…風川正美を支部に連れてきてくれ。」
「は!?なんで?」
「一週間も休んだ代償だそうだ。」
「あっそ…。まぁいっか…その方が俺の目に届く範囲で護衛もできるし…」
「護衛?」
「ああ、校長曰くこいつは記憶崩壊起きているんだと…だから不良とかに絡まれたときの対処ができないから俺が護衛をするんだと…」
稜は面部くさそうにそう言うと、冷蔵庫から栄養剤の入った小瓶を一本取り出し、蓋を開けて一気に呷った。
「なるほど…では立ち話も終わりにしてそろそろ行くか。」
「ああ」
こうして三人は176支部へ向かった。
この一週間で、稜が彼女に関して分かっていることと言えば、正美自身が自分の名前と、自分の能力の名前と用途とレベルを覚えていること。そして、その能力が本人の感情次第で暴走するということだ。
176支部にて…
「おはようございまぁす!」
「おはようございます!」
「あ、おはよう!」
「つれてきましたよ?風川!いいぞ」
「お…お邪魔…します…」
稜に促され、正美は緊張しながら支部へ入室した。
「キャー!!可愛い!なになに?これが稜の彼女?」
「ブッ!!なんでいきなりそうなるんですか!?」
雅の発言に稜は呆れながらも反論すると、タイミングが良いのか悪いのか、空気を読む気が全くない声ともに、176支部随一の変態紳士こと丞介が入室してきた。
「風紀委員176支部一の色男参上!!」
「ん?君は?おっと、君の姿が僕の白紙のキャンバスに色をくれた!ありがとう!!」
「え?い、いえわたしは何も…」
「来て早々口説くな…」
「あでっ!?ところで神谷先輩、どうしたんですか?その方は…」
稜に軽くどつかれた場所をさすりながら、丞介は正美を見るや否や、質問をぶつけてきた。そして、それに答えたのは稜ではなく雅だった。
「ん~?稜の彼女だよ?」
「うそぉぉ!?」
「だから、なんで加賀美先輩はそういう方向に話しを向けるんですか?!」
稜はこのマイペースなリーダーにそうツッコむと、雅はニヤニヤしながら言った。
「え~?だってさぁ、さっきからその子、ずっと稜にくっついているんだもん疑っちゃうじゃな~い?」
「はぁ~、頭痛くなってきた…」
雅の天衣無縫全開の発言に、稜はこめかみの部分を抑えてそうつぶやいた時、緋花がズーン…と沈んだ声で独り言のようにブツブツと何かを言っているのが聞こえていた。
「…そっか…稜先輩もモテ気に入ったんですかぁ~…あぁそうですか…いいですよねぇ~…あたしなんて…あたしなんて…あははははは…」
さらに、それに続けるかのようにゆかりと麗まで、稜に非難の目つきと言葉を浴びせる。
「神谷先輩…不潔です…」
「残念なイケメンなのに、なんでこんな可愛い娘ができるの!?」
「だぁから!!なんでお前らまで誤解してんだよ!でもってなんで焔火はこの世の終りみたいな顔で沈んでんだよ?!!」
稜が三人にツッコミを入れている中、この雰囲気を作った張本人である雅はそれを楽しそうな目で見ていて、丞介と狐月は稜を哀れむような目で見ている。そんな中ただ一人、正美だけは不思議そうな顔をして、176支部のメンバー全員を見ていた。
そしてそんなこんなで176支部の勤務時間が終わると、雅の簡単な挨拶で、今日の仕事が終わった。
「みんな!お疲れ様!!」
「お疲れ様でした!」と一同が挨拶を済ませ、それぞれの寮に戻っていった。
その帰り道にて…
「ねぇ、神谷くん…」
「ん?」
寮に戻る途中の道で、正美は稜に遠慮がちに話を持ちかけた。
「これからゲーセン行かない?わたし、どんなものかは知ってるけど…どんな感じか分からないから…」
「ゲーセンか…う~ん…いい、かもな…」
「じゃあ決定!!早く行こう」
「うわ!おい、引っ張るなって!」
こうして、正美が稜の制服の袖を引っ張る形で、二人はゲームセンターへと向かった。
ゲームセンターの自動ドアが開くと、そこからはハイサウンドでゲーム音が鳴り響いている。
「んで…何やりたいんだ…って、風川?」
正美はUFOキャッチャーの景品の猫のぬいぐるみストラップに釘付けになっていた。そんな正美の姿を見て、稜は少し微笑んでから言った。
「…ちょっと貸せ」
「うん!」
正美が元気よく頷いて避けると、稜は財布から百円玉を取り出し、投入口に入れ、UFOキャッチャーを操作し始めた。すると、たちまち二つの猫のぬいぐるみストラップが二本のアームで挟み取られ、そのまま商品取り出し口へ繋がる穴の上でアームが開き、二つの猫のぬいぐるみストラップが落ちていった。
「すごい!」
「ほらよ」
稜は取れた二つの猫のぬいぐるみストラップを、正美に渡した。
「いいの?」
「ああ、俺はいらねぇし」
「そう、じゃあ…はい!」
稜は笑みを浮かべながらそう言うと、正美は相づちをうってから少し間を空かし、明るい表情で片方の猫のぬいぐるみストラップを稜の方に差し出した。
「ん?くれるのか?」
「うん!一つあげる!わたしも二つは付けられないし♪それに、わたし、まだちゃんと神谷くんにお礼、言ってなかったから」
「ありがとう」
力のない笑みを見せて正美がそう言うと、 稜も珍しく優しい笑みを浮かべて、お礼の言葉を言った。もしこの光景を稜の知人が見たら、さぞ驚くことだろう。
「ねぇ、プリクラ撮ろうよぉ!」
「あれか?」
稜はプリクラ機を指差しながら正美に聞くと、正美は元気よく肯定して稜の腕を引っ張った。
「うん!さぁ出発!!」
「お、おい!引っ張るなって!!」
こうして、稜は正美とプリクラを撮ることになったのだが…。
一枚目、正美はぎこちない笑み、稜は無表情。二枚目、正美は自然な笑み、稜は無表情。と、稜は尚も乗る気皆無の表情で三回の内の二回の撮影を棒に振ってしまう。そんな稜を見た正美は、ある行動に出ることした。
そして三枚目に入ろうとしていたその時。
『ラストの写真、行っちゃうよぉ!!3!・2!・1!』
「ちゅ…」
「!?」
稜の左頬にやわらかい感触が走った。 現像された写真を見ると、三枚目の写真には頬をうすく赤に染め、稜の左頬にキスをしている正美と、それにびっくりしている稜の姿が映っていた。
「えへへ♪一回やってみたかったんだ!チュープリ♪」
「…どこで覚えたんだ?そんな単語…」
「んー?えっと、知識で知ってたみたい…」
「あっそ…」
稜は頬が真っ赤になっているのに気付き、そっぽを向いた。
「あれ?神谷くん?どうしたの?」
「なんでもねぇ…とにかくさっさと帰るぞ?完全下校までそんなに時間がねぇし」
「うん!」
こうして二人は寮へと向かった。その二人の背中を夏の夕日が優しく照らしていた。
同時刻、ストレンジ、《
ブラックウィザード》では…
東雲真慈が廃ビルの一角でソファーに寝転びながら一本のUSBメモリーを弄んでいた。
「せいぜい最後の幸せを楽しむんだな…
神谷稜…最後の…な…」
その言葉と共にUSBメモリーを眺め、真慈はにやりと笑う。その笑みが何を意味しているのかは本人以外、誰も知るものはいなかった。その時だ。
「東雲さん!!大変です!」
《ブラックウィザード》の幹部である双真が、焦った様子で真慈の部屋に入ってきたのだった。
「落ち着けバカ、何があったか簡潔に言え」
「はい!実はさっき、構成員と下っ端の連中が薬(やく)を売りにここから出て行ったわけですが…。連絡が途絶えました…」
「なんだと…。情報は」
「今のところ皆無です…一人でも戻ってくれば分かる思います」
「…なら、街にいる構成員をさっさと探せ」
「はい!」
双真ははっきりと返事をし、駆け足で真慈の部屋を後にした。すると、再び一人となった真慈はボソリと言う。
「チッ…面倒なことを…」
この後日、《ブラックウィザード》の面々は小規模で行動し、周りを警戒していても、次々と何者かによって被害に遭い続けていった。
END
最終更新:2013年01月16日 17:42