1
学術の街、学園都市。
科学と科学と科学で構成されたこの街ではあらゆるものが機械化され、機械的な整頓によって街全体がデザインされています。
そこには、確かに人の手だからこそ起こり得る『雑さ』や『汚さ』は存在しませんが、人の心によって生み出された『暖かさ』もまた、計算された『科学』によって塗り潰されているような気がします。
喫茶店――『恵みの大地《デーメーテール》』は、そんな学園都市に齎された救いのオアシス。
心に悩みを抱えた人達は自ずとこの喫茶店を訪れ、可愛らしく人情深い 女将さん《マスター》に悩みを打ち明け、そしてどこかすっきりした心で帰路に就きます。そんな暖かなこの店は、学園都市が――いえ、現代社会がいつの間にか忘れてしまった『暖かな気持ち』を取り戻すことの出来る、数少ない場所なのではないでしょうか。
『恵みの大地《デーメーテール》』は、どんな人も拒みません。先生も生徒も研究者も、優等生も不良も、この店の中では関係ないのです。
……でも店内での喧嘩は禁止です。
2
「芽功美さぁーん!! 来たわよぉー!!」
からんころん、という小気味のいい音と共に、少女の声が店内に響き渡ります。
洋風の、隠れ家のようにこじんまりとした、それでいて暖かい雰囲気を持った店には、誰も人がいません。それもそのはず、時刻は一〇時三〇分。喫茶店『恵みの大地《デーメーテール》』は、さきほど開店したばかりなのです。
「あら、よく来たねえ、晴天。ちょいと久しぶりかい?」
打てば響くように、少女の声に反応してお店の奥から妙齢の女性が現れました。
明るい茶色の髪を短く切りそろえた、美しい女性です。
『I♥SCIENCE』と書かれたTシャツに履き古されたジーンズ、その上にエプロンとバンダナをつけた、何とも所帯じみた服装なのですが、それらの上からでも分かるほど大きな胸がそういったものの印象を全て塗り潰してしまっています。
ともすると女子学生と言っても信じてしまいそうな若々しい容姿ですが、彼女の物腰や言動から感じられる年齢はどう若く見積もっても三……げふんげふん。世の中には知らない方が良い事もあるのです。
「ん~、そうですね~。最後に来たのが六月だったから、一ヶ月くらいぶりですね~」
「おや、希雨もいらっしゃい」
マスターの芽功美さんを呼んだ金髪の少女の後ろから、そんなことをいいながら少女が入店してきました。
一四、五歳くらいの、可愛らしい少女です。
艶やかな前髪を眉の辺りで一直線に切り揃え、常に目元に微笑を湛《たた》えている、朗らかな雰囲気を持った少女でした。バストも芽功美さんほどではありませんが、年齢の割には大きそうです。
「わー、何だか一ヶ月来てないだけで随分変わった様な気がするです」
「いんやあ、事実えらい変わっとるよ。前に来よる時ぁあん壁紙ゃもうちっと赤っぽぉ色やったとよ」
「世津も月代もいらっしゃい。あとこれはね……」
希雨、と呼ばれた少女の後に続いて、さらに二人の少女が入店します。
世津と呼ばれた方言交じりの方の一人は中世的な顔立ちの、茶色いベリーショートヘアの少女。肌は全体的に健康的に焼けていて、顔だけ見れば可愛い系のイケメンと見れないこともないですが、如何せん中学二年生にしては豊か過ぎる胸が彼女の女性的印象を強めすぎていました。
月代と呼ばれた馬鹿に丁寧な口調のもう一人はダークグレーの黒髪を三つ編みにした、小柄なメガネ少女です。方言少女とは対照的に、いかにも温室で育ちましたといったような色白は、透き通った美しさよりもむしろ室内的な不健康さを感じさせますが、この少女、実は見た目ほど虚弱ではありません。今は真価を発揮していませんが、ツッコミ役は虚弱では務まらないのです。
「これから夏になるから、涼しくなるようにって色の青みを増やしてみたわけさ。ほら何だっけ……共感覚性?」
「なるなる。赤い色で『イチゴシロップ』って書いてあったらたとえ果汁ゼロパーセントだろーとなんとなくイチゴな気がするなーっていうアレでしょ?」
そして、うろ覚えの知識を披露する芽功美さんに身も蓋も無い例を挙げたこのショートヘアの金髪少女が、晴天さんです。
彼女達四人は、夏休みにも拘らずブラウスの上にサマーセーター、下にプリーツスカートという制服を着ています。
勿論、いくら学園都市が学園の都市だからと言って夏休みも制服でいなければならないルールなどありません。むしろ、多くの学校では休日は勿論、放課後ならば私服を着用したって何の文句も言われないのです。勿論、『学生として節度を持った範囲で』という制約はありますが。
しかし、彼女達の通う『
常盤台中学』は別でした。
常盤台中学はお嬢様学校なので、特に『体面』を重んじる校風です。下手に風紀が乱れる可能性がある『私服』の着用は、校則で禁止されているのでした。
3
「いやぁー、期末テストがあってさぁ、ホントはもっと早く行きたかったんだけどね、中々タイミングが掴めなくって」
「いいのさいいのさ、学生は勉強が本分だよ。それを疎かにしてこっちに来てたら、あたしの方がお説教しなくちゃならないところだったさね」
「ふふふふ、それは命拾いしましたね~。晴ちゃん、私が止めてなかったら五回は行こうとしてたし~」
カウンター席に座り、頭を掻きながら申し訳なさそうに笑う晴天さんに芽功美さんはにっこりと笑って返しました。それを横で見ながら、希雨さんは楽しそうに微笑みます。余談ですが、希雨さんは常に微笑んでいて、怒っているときでも笑い通しです。なので下手な無表情よりも感情が読みづらいのですが、晴天さんには不思議とそれが分かるのだとか。本当に不思議ですね。
「で、期末テストはどうだったんだい?」
芽功美さんの質問に、四人はそれぞれ違った反応を見せました。
希雨さんは先ほどと全く同じように微笑み。月代さんは得意げに喜色満面になり。世津さんは少し戸惑ったような表情。晴天さんはというと、ちょっと女子が浮かべてはいけないレベルで歪んだ苦悶の表情を浮かべていました。
「……その様子だと、晴天以外はみんな大体良かったみたいだね」
「……いやっ!! まだ世津が! 世津が残ってるわ! アンタのその戸惑いはテストの点数が思ったより悪かったからだと見た!!」
呆れたように溜息を吐く芽功美さんですが、流石に友達の間でまで負け犬になりたくない晴天さんは最後の希望に縋り付きます。話を振られた世津さんは、戸惑いで眉を八の字に顰めながら、
「……処理速度ぉの部分が、前回よりも三十パーセント上がっとったんばい。これって、良かの?」
「ちくしょーっ!! それはね世津!! 『良い』んじゃなくて『絶好調』って言うんだよ!! おめでとう我らがグループの誇る天才野生児!!」
まるでそうなることが分かっていたかのように、晴天さんは悔しそうに叫びながら差し出された紅茶を一気飲みします。彼女が飲んだ紅茶は、お嬢様校に通うお嬢様が飲むに相応しい由緒ある銘柄なのですが、それをウーロン茶か何かのように飲み干すお嬢様は世界広しと言えど彼女を置いて他にいないでしょう。それが誇らしいことかどうかは分かりかねますが。
「っていうか鉄鞘さん、処理速度三〇パーセント上昇って凄くないですか? 私だって嗅覚細胞が察知できる匂いの種類が一種類増えただけなのに、です……」
「私も、最大氷結範囲が三〇センチ伸びただけだったしね~。すごいね~、世津ちゃんは。私達の出世頭だね~」
実際、この『期末テスト』の結果で学園都市に住む生徒の幾ばくかは友情を壊してしまっていたりもするのですが、彼女たちに限ってそんなことはありません。常盤台の中でも『バカルテット』と呼ばれるほど呑気な気性の彼女達は、レベルの上昇よりも日々を楽しく過ごせているかどうかのほうがずっと重要なのです。
そして、芽功美さんはそんな彼女達四人の性格がとても好きでした。
「……で、肝心の晴天のテスト結果はどうだったの?」
「……え、それ聞いちゃう? 今のアタシのリアクションを聞いておいてそれ聞いちゃう?」
芽功美さんの容赦ない追及に、晴天さんは気持ちだけ(椅子に座ってるので物理的には無理です)後ろに下がります。しかし、この状況から無回答を貫くことは不可能でしょう。言うなれば、『か~ら~の~?』と話を振られたくらいの強制力です。
腹をくくった晴天さんは、かっ!! と目を見開いて被害状況《リザルト》を語ることにしました。
「アタシの能力ってさ、まず『普段の肉体』の状態があって、どのパーツをどの程度、どんな風に強化するかをその都度その都度で演算するんだけどさ。その方法だと『普段の肉体』に何らかの怪我とか疲労とかがあると演算の効率が落ちちゃうわけ。だから細々ーと『普段の肉体』にプラスして怪我とか疲労とかの不確定要素があっても演算効率が落ちないようにリソースの調整とかして、結果的に腕一本吹っ飛んだ程度の負傷なら演算効率の落ち幅も一〇パーセント以下に抑えることができるようになったのよね」
まあそもそも腕が一本吹っ飛ぶほどのダメージ負ってたら演算どころじゃないだろうけど、とグロいことをさらっと言う晴天さんに、彼女の幼馴染で(誇張表現ではなく)彼女を誰よりも心配している希雨さんは本当に一瞬だけ眉を顰めます。そんな純情少女を横目で見ながら芽功美さんは、
「へえ、凄いじゃん。だったら成績も随分上がったんじゃない?」
「とぉーころがどっこい!! 常盤台の身体検査《システムスキャン》は生徒の能力をしっかり発揮させる為に負傷はおろか疲労すら有り得ません!! それどころか下手に演算効率の落ち幅を削る為にリソース調整したからフル稼働時の演算速度は落ちてて、むしろ成績落ちました!!」
どぱーん!! と、ともすれば背後で波飛沫が上がったように見えるほど堂々と胸を張る晴天さんですが、何故かその姿には哀愁が溢れていました。演算の方式に調整を加える、という実は結構高度なことをやってのけている彼女なのですが、努力が常に実を結ぶほど世界は優しくは出来ていないのです。
「……よぉーし分かった!! ここはアタシがテストを乗り切った少女たちの為に人肌脱いでやるかねっ!!」
「おお! 流石芽功美さん太っ腹! です!」
「月代、その台詞は最近小腹が気になってきたオバサンには禁句だよ!」
「そのプロポーションで何を言うか……、です」
どこか影のある表情で呟く月代さん(『貧乳は希少価値《ステータス》』が持論)はさておき、ちっとも老化を感じさせない(どころかまだ成長しそうな気配すら感じさせます)芽功美さんは、ちょっとだけ店の奥に引っ込むと、数十秒してから両手でお皿を持って戻ってきました。
彼女の持つお皿の上には、四つの拳骨くらいの大きさのシュークリーム。見た目だけなら、常盤台生御用達の高級デパ地下で売ってるシュークリームに比肩するほどの美しさですが、見た目だけではないのが芽功美さんクオリティ。今回も、良くも悪くも意外性のある品物なのでしょう。
「題して、死亡遊戯《ロシアンシュークリーム》っ!!」
「無駄にカッコいい漢字当てて誤魔化そうとしてんじゃねえぞ!!」
どや顔で皿を突き出す芽功美さんに、晴天さんはこめかみに血管を浮かび上がらせるほどの剣幕で怒鳴りつけます。実はとあるやんごとなき財閥の令嬢という、この中ではダントツで生まれのよい晴天さんですが、最早令嬢どころか女と言っていいのかすら分からない有様です。
彼女が此処までこのロシアンシュークリームを毛嫌いするのには、理由がありました。
「まあ、晴ちゃんは一〇回やれば七回ハズレ引いちゃうくらい運が無いからね~」
のほほんと、晴天さんがロシアンシュークリームを嫌う理由を話す希雨さん。
晴天さん第一主義な希雨さんとしては、基本的に晴天さんが嫌がるようなことをするのは本意ではないはずなのですが、彼女的にはハズレをシュークリームを食べて女の子にあるまじき形相で身悶える晴天さんは『アリ』なのでしょう。
愛情と言うのは、人それぞれなのです。
「まあまあ、みんな食べてみなさいな。殆どおいしいから」
「ちくしょう、せめて客に出すモノくらいちゃんとしたモノを出しなさいよ……」
「あら? タダなんだからいいじゃないかい」
「タダいり高いものはなか。代価はあんたの命じゃき……なんて」
隠れた邪気眼の才能を発動しながら、世津さんは我先にとシュークリームを掴みます。世津さんは今まで大体一〇パーセントくらいの確率でハズレを引いているのですが、野生育ちな彼女はどんなものでも美味しく頂けます。前に『どうしてこんな生物兵器をそんなにおいしそうに食べれるの?』と聞いてみたところ、『腹さ減った時に食った毒キノコに比べりゃあ、ちょこっつ口ん中ばぴりぴりするくらい何てことなか』と答えたエピソードは、涙なくして語ることはできません。
「ささ、召し上がれ」
そんな比較的どうでもいいエピソードを思い返すことで少しでも死刑執行までの時間を延ばしていた三人でしたが、芽功美さんにそういわれてしまってはもう時間を稼ぐことはできません。
ちなみに被弾確率七〇パーセントな晴天さんがいるせいで、希雨さんは五パーセント、月代さんは一五パーセントと通常の『二五パーセント』を大きく下回っている彼女達ですが、それでも食べるのを躊躇ってしまうほどハズレの破壊力は凄まじいのでした。
逆に言うと、七割の確率でハズレを引く不運体質なのにこのロシアンルーレットに挑める晴天さんは、間違いなく勇者《ヒーロー》です。
ヒーローはヒーローでもダチョウな倶楽部のヒーローですけれども。
「「「「……それじゃ、いっただきまーす」」」」
四人の少女は、そう言うと一気にシュークリームを頬張りました。拳骨ほどの大きさがあるのに、バラエティの何たるかをよく理解している少女達です。常盤台のお嬢様をやらせておくには勿体無いな、と芽功美さんは思いました。
「……おいひいでふぅ♪」
まず最初に生存報告を行ったのは、他でもない月代さんでした。彼女はハズレを引いたときのリアクションが晴天さんに次いで面白いことで(芽功美さんから)定評があるので、彼女の生存報告に芽功美さんは少し残念そうな表情を浮かべました。
「……ごくん。おいしいですね~」
続いて、ちゃんと飲み込んでからお上品に返事をする希雨さん。彼女は常に微笑んでいて、それはハズレを引いたときも同じなのですが、ハズレを引くと微笑みながらも水が手放せなくなるというかなり微笑ましいリアクションをとってくれるので、それはそれで見たかった芽功美さんは残念に思いました。
「……うまか!」
三番目に、一気に溜めてから世津さんが叫ぶように評価しました。彼女は何でも美味しいというので料理人としては嬉しい反面、ハズレを仕込んでいる側としてはちょっと面白くない芽功美さんなのですが、ここで安心してはいけません。世津さんは何でも美味しいというので、この時点で彼女がハズレを引いている可能性もあるのです。
「…………、」
そして、晴天さんは――、
瞬間、金束は背筋に熱した鉄棒を思い切り突き刺されたような感覚を覚えた。
キュガッッッ!! !! !! という轟音が彼女の脳内で響き、鋭い『何か』が彼女の口腔、喉、そして脊髄を蹂躙していく。
あまりの衝撃に、金束は思わず自分が仰け反っていることにすら気付けなかった。
「ごッ…………がッッ……!? !? !?」
身体の中心で『何か』が収束、収束、収束、収束――――そして、開放される。
「ぐ、かはっ、ッッがァァァァああああああああああああああああああああああああッッッッ――――!! !! !!」
金束は、今食べたばかりのシュークリームが喉を逆流する嫌悪感を感じながら、椅子から転げ落ちた。
焼けていた。
現実には、彼女の身体には全く異常は無い。しかしながら、そのあまりの辛味によって、彼女の脳は全身が焼けているかのような錯覚を感じた。
(あ、たしの身体…………一体、どうなっ……、て……!?)
無様に地面を転がりながら、金束は朦朧とした意識の中でそう考えた。内臓が、まるで意思を持った別の生き物のように蠢いている感覚がした。最早、元の位置に収まっているのかさえ定かではない。内臓の一部が腹を突き破っていると言われても不思議ではなかった。
「ぁ、……」
朦朧とする意識の中、金束は見た。
皿を持ちながら、のた打ち回る金束を見て、満面の笑みを浮かべている芽功美さんの姿を。
彼女は言う。
「ああ……、言い忘れてたね。そいつの商品名は『capsaicin999《カラシたっぷり》』。その意味は――『必ず泣かす』」
んな、アホな……。
涙目な金束の突っ込みは、ひゅうひゅうと喉を過ぎるばかりで音として発露されることはなかった。
「……って違うでしょーが!!」
口元をハンカチで拭いながら立ち上がった晴天さんは、先ほどまでのダメージは一切感じさせずに立ち上がりました。
否、ダメージ自体はあります。薄くですが口の周りは赤くなっていますし、涙目ですし、何より頻繁に水を飲み続けています。
「今の何よ!! ごくごくっ、さっきまでのほのぼのナレーションとっ、ごくごく、ほのぼの展開で築き上げてきた雰囲気が一瞬にして別世界じゃない!! あれは駄目、駄目よ駄目、ぐびっ、『デーメーテール』はああいう描写が、っぷはぁ、挟まれるような世界観《おみせ》で、ごくごくごく、あっちゃいけない!! カラシ駄目、ゼッタイ!!」
クスリ乱用防止の標語のようなことを口走りながら、晴天さんは息を巻きますが、肝心の芽功美さんはもぐもぐと自分で作ったシュークリーム(普通)を頬張っていました。
「うーん……、通常のクリームに加え隠し味に柑橘系のクリームを入れてみたけど、これは成功だね。この夏のトレンドを先取りだよ!」
「テメェ辛さに喘いでる客の目の前で本物食うたぁどーいう了見だコラ!! 客商売一からやり直すか、ええ!?」
「まあまあ晴ちゃん~。私がベロ冷やしてあげるから落ち着いて~」
「アンタにベロ冷やされた日にはそのまま凍ってしまいにゃ凍傷になるわ!!」
ぎゃーぎゃーと喚きながらも吐き出したシュークリーム(笑)の残骸をティッシュで回収する晴天さんを見ながら、芽功美さんは思いました。『ああ、やっぱこの子をイジるのは面白いなぁ』、と。
「……でも、悩みは解決したんじゃないかい?」
「……っ!」
カウンターに肘を突きながら、にっこりと優しく微笑む芽功美さんに、晴天さんははっと目を見開きました。
確かに、直前まで晴天さんはテストの結果が悪かったことに少なからず落ち込んでいるようではありました。今ではすっかり負け犬根性が染み付いてしまい、努力が実を結ばなくとも特に気にしなくなった(というよりも、惰性で努力し続けているような感じの)晴天さんですが、それでも悔しくないわけがないのです。
それが一連の馬鹿騒ぎをしているうちに和らいでいるのは、彼女がなんと言おうが確かな事実なのでした。
「……ふふ、その笑顔だよ。私はそういう笑顔が見たくて、この店を開いたんだ」
にっこりと、慈母のような笑みを浮かべて、芽功美さんは笑います。
「――さあ、注文を聞こうかね」
(…………最初に愚痴を話した時点で、金束さんの悩みがある程度解消されてたような気がすることについては、触れないでおこうです……)
ちょっと釈然としない思いはあるものの、せっかく綺麗に纏まったので変に掻き回さない様にしよう、と思える月代さんは、空気の読めるいい女です。
4
学術の街、学園都市。
喫茶店――『恵みの大地《デーメーテール》』は、そんな学園都市に齎された救いのオアシス。
心に悩みを抱えた人達は自ずとこの喫茶店を訪れ、可愛らしく人情深い 女将さん《マスター》が悩みを打ち明け、そしてどこかすっきりした心で帰路に就きます。
『恵みの大地《デーメーテール》』は、どんな人も拒みません。先生も生徒も研究者も、優等生も不良も、この店の中では関係ないのです。
今日も、色んなお客さんが芽功美さんの料理を、芽功美の悩み相談を、あるいは芽功美さん本人を目当てに『デーメーテール』を訪れます。
……でもやっぱり、店内での喧嘩は禁止です。
最終更新:2012年02月16日 01:34