第3話「ペンより剣より母は強し」
時は少し遡り、高級ホテル最上階の火災の2日後。
ミランダから受け取った金でスーツを新調し、何事も無かったかのように昂焚はミュンヘンの界隈を練り歩いていた。完全に観光気分であり、背広を脱いで片手に持ち、ネクタイも緩んでいた。
日本から遠く離れた欧州でも日本文化に触れることは多い。書店に行けば独訳された日本の漫画を見かけ、ゲームショップに行けば日本製のゲームが棚にある。極稀に日本製の車を見かけることもある。(右ハンドルなので、さぞ運転し辛いだろう。)
そして、昂焚は今、ドイツで日本の文化に触れている。
先日、ミランダとの待ち合わせ場所に選んでいた国立美術館「アルテ=ピナコテーク」の隣にある新館「ノイエ=ピナコテーク」で浮世絵展が開催されていたのだ。
別に行く宛てが無く、午前中はブラブラとする予定だった昂焚はその浮世絵展を覘くことにした。
別に日本でも見ようと思えば見れるものなのだが、ドイツ人が日本の文化にどのような感想を持つのか興味が湧いたのもある。それに自身が持つ浮世絵の知識を披露したい気持ちもあった。
魔術の知識が人間にとって毒であり、魔術師と呼ばれる者達は宗教によってその毒から自身を防護している。中世ヨーロッパの芸術は宗教とは切っても切れない縁があり、不可解で難解な芸術作品が実はとある魔術の暗号だったりすることもある。そのため、魔術師には芸術(主に宗教画)に詳しい者が多く、イギリス清教のシェリー・クロムウェルなどはその最たる例だろう。
日本においては神社仏閣、仏像などもその例だろう。庶民文化となった江戸時代の浮世絵も神道の寛容さからは逸脱できない芸術作品であり、
日系魔術師にもその知識が必要とされていた。
入場券を払い、美術館の中へと入る。そこは普段のノイエ=ピナコテークと変わらず、美術館全体で浮世絵展を催しているわけではなさそうだ。
「浮世絵展はコチラ→」と書かれた看板の先にはフロアの一角を丸々使って、浮世絵が並べられていた。人気のある日本文化の代表格とも言える浮世絵であるため、他のイベントよりもかなり広めにスペースを取っているようだった。
昂焚はノイエ=ピナコテークが普段から所蔵する芸術作品を一通り見た後、浮世絵展のあるフロアへと向かい、浮世絵を眺めることにした。
(ああ。これは日の出の水平線上の紅緋の原料となるウコン、キハダ、くちなしに含まれる季語や魔術的な意味を抽出することで・・・)
―――――とまぁ、そんな感じで魔術師らしい観点で絵を眺めていく。
凝り性と言うべきか、集中力があり過ぎると言うべきか、昂焚は絵画の魔術的考察に熱中していた。そして、脅威が自分の背後にいることなど、一切、気付いてなかった。
久々に、自分の独り言以外のネイティブな日本語を耳にする。
旅先で日本人にあったのは数ヶ月振りだ。前に会ったのは“カミジョウ”という外資系企業の営業マンだった。不幸な息子のためにお守りの類を買い集めているのだが、その量や執着は尋常ではなく、「大ケガをして入院している姿しか思い出せない」と笑って言い張れるぐらい息子の不幸は常態化しているらしい。
その息子の救済と、一時ではあるが酒飲み仲間として彼には「グリグリ」というアフリカのお守りを渡した。
グリグリは西アフリカのお守りであり、ビーズと子安貝で構成されている。
その形が女性器を連想させるため古来アフリカでは女性や生命力の象徴として祭具、偶像、宗教用品、装身具などに用いられ、現在でも子安貝を使ったお守りなどが西アフリカの日常の中に深く根付いている。
あの事を懐かしく思い、機会があれば日本に帰ろうかとも思いにふける。
だが、今はそれどころではない。自分以外の人間の日本語を背後から聞いたと言うことは、自身の背後に声をかけた日本人がおり、尼乃昂焚という固有名詞を使ったのだから、自分に用がある。
「はい。自分が尼乃昂焚で間違いないですが。」
昂焚はそう答えて、背後に振り向いた。
そこには自分に声をかけた東洋人の女性がいた。
長い黒髪のストレート。右目から右頬にかけて布の眼帯によって顔を覆っている。全身を包むゆったりとした服装をしているが、極力肌を露出しないようにしているようだ。服の上からでも分かるほど胸が大きい。話し方、身のこなし、服装、醸し出す雰囲気、その何もかもから母性が感じられ、敵意が削がれていく。
ここ最近、トムソン女史といい、ベネット女史といい、何かと胸が豊かな女性と縁があるような気がしてならない。
「私、
イルミナティの幹部を務めさせて頂いております。箕田美操と申します。」
そう言って、強欲を神とするイルミナティの幹部とは思えない礼儀正しい態度で深くお辞儀をする。それに応じて昂焚もお辞儀し返す。
彼女を見るために振り向いたときから・・・そして、お辞儀をし終えて頭を上げた時に彼は、美術館に自分たち以外誰もいないことに気付いた。来客も、職員さえいない。
つい数秒前まではたくさんの人間がいたはずなのに・・・・
「ご丁寧に、人払いのルーンですか・・・。」
「荒事に関わると、つい癖になってしまうんですよね。」
そう言って、彼女は笑いかける。
「それで自分に何か用でしょうか?」
「ここでは話辛いので、外で―――「今は無理です。」」
美操が全てを言い終える前に昂焚は美繰の提案を言葉通りに断固拒否する。
美繰も(え?)と思っただろう。それほど、予期せぬ突然のことだったのだ。
だが、動揺せずに母性溢れる礼儀正しい態度を貫く。
「『今は無理』というのは、どういうことでしょうか?」
しかし、吐く言葉は一つ一つが辛辣であった。そして、段々とその目は怒りに染まり、眼帯で隠された顔の部分から負のオーラが捻出されていく。
流石に己が道を往くマイペースな昂焚でさえも違和感を覚える。
「まだ絵を全部見ていないのに出て行くなんて、入場料がもったいないじゃないですか。」
「・・・・・・。」
「せっかく美術館に来たのですから、優雅に絵画観覧と洒落込もうではありませんか。貸切で。」
昂焚は手を差し伸べて美繰をエスコートしようとするが、彼女はその手を強く引っ叩いて撥ね退けた。
「彼女にあれほどの仕打ちをしておいて、この態度とは・・・・さすがの私でも怒りますよ?」
流石の昂焚も彼女のタダならぬ態度に気付き、何か深刻な事情でもあるのだろうなと思って彼女の提案に従い、まだ見ていない絵画と入場料を惜しみながらも外へ出た。
外へ出ると、美術館前広場にも東洋指揮の人払い術式のが張り巡らされており、更にその周囲にも念入りに人払いが成されていた。もう視界には人っ子一人入り込まない。
「随分と、念入りに人払いをするんだな。」
この時点で昂焚は気付いた。魔術師がこれほどまでに人払いをしなければならない理由は二つ。一つは大規模術式の展開に一般人を巻き込まない為の処置、そして、もう一つの理由は――――
ガキィィィィィィン・・・・・・
そう、魔術を駆使した戦闘である。
どこからともなく現れた謎の男が正面から剣で斬りかかり、昂焚は咄嗟に攻撃を避けた。斬る対象を見失った剣はそのまま地面にぶつけられた。
(こいつ・・・・どこから!?)
この広々とした美術館前広場に人が隠れる様なスペースはない。人払いをしていることもあり、ここにいるのは昂焚と美繰だけである。
そして、昂焚は自分に斬りかかった男がおかしいことに気づいていた。
男は屈強な身体つきで古代東アジアの鎧を纏ったような姿だが、その肉体は腐食し、まるで死霊か、ゾンビと形容するのが容易な姿だった。
「まさか・・・・・!?」
昂焚はあることに気付き、美繰の方を振り向く。
「あなたも
神道系の端くれなら、もうお分かりですよね?」
そう告げると、美繰は眼帯を外し、身体を覆うベールのような上着を脱ぎ捨てた。
胸と腰に布を巻いただけの某エロチックな運び屋のような服(?)。露出した肌にはオリエンタルな文字か模様のようなものが浮かび上がり、まるで黄泉か地獄でも表すかのように禍々しい。そして、彼女の眼帯で隠された顔半分には大きな火傷の跡があった。
「なるほど・・・黄泉軍《ヨモツイクサ》か。その火傷は黄泉醜女《ヨモツシコメ》の核だな。」
「一目でそこまで理解できるんですね。でも――――」
母のように微笑む彼女が両手を左右に広げると、周囲に野球ボールサイズの青い炎が大量に湧きあがる。その青は酸素を与え過ぎた炎の青ではない。人の魂そのものであり、涼やかな色に隠れる灼熱の地獄の業火を想わせる。
そして、青い魂の炎はそれぞれが古代東アジアの鎧を纏った死霊の兵士として、腐敗した肉体を手に入れ、この世界に質量を持って現界した。その様は某大人気ゾンビゲームさながらである。
イザナギがイザナミの醜い姿を見てしまい、逃げ去った時、その追手として差し向けた黄泉の国の軍勢、その逸話を基板とした魔術だ。いわゆる『見るなのタブー』を利用した術式であり、術の発動中は術者の全身に文様が浮かび上がり、それを捉えることで、例え術者が認識していなくとも自動的に魔術が発動する。その効果は、『決して滅ぶことのない戦士』を生み出し『追跡させる』というものだ。
「黄泉軍に追われる立場なんて、まるでイザナギみたいだな。」
「そう、醜い姿に変わり果てたイザナミの姿に恐怖し、黄泉軍、黄泉醜女から逃げ惑うんですよ。けど、伝承通りに逃がすつもりはありませんことよ。―――行きなさい。」
彼女に呼応して、大量の黄泉軍が剣や槍を振りかざし、昂焚に襲いかかる。
昂焚も棺桶トランクから自動的に都牟刈大刀を出し、戦士たちに応戦する。
「ウオオオオオオ」と典型的すぎる呻き声を上げながら、切り込み隊長(ゾンビ)が剣を振りかざして昂焚に斬りかかり、昂焚も都牟刈大刀《ツムガリノタチ》で応戦する。
戦士の剣と昂焚の都牟刈大刀が激突した途端、凄まじい雷光が飛び散った。剣は砕け、戦士の肉体は一瞬にして高電圧で消し炭になっていった。
「ミランダの時は手加減したが、今回はそうはいかないな。」
都牟刈大刀は八岐大蛇から取り出した刀だとされている。そのため、都牟刈大刀に関連して蛇に関する伝承を組み込むことで蛇に関わる魔術を使用することが出来る。この雷もそうだ。蛇は雨や雷を引き起こす天候神であり、八岐大蛇《ヤマタノオロチ》も例外ではない。
都牟刈大刀はミランダ戦の時とは違い、水が滴りながらも激しい雷光がバチバチと散らされ、今にも雷を落としそうな雰囲気だ。
(滴る水と雷、蛇腹を彷彿させる刀身・・・・。大方、天叢雲剣《アメノムラクモノツルギ》、草薙剣《クサナギノツルギ》、都牟刈大刀《ツムガリノタチ》、八重垣剣《ヤエガキノツルギ》、沓薙剣《クツナギノケン》のいずれかでしょう。随分と徳の高い霊装をお持ちのようですね。けど、何を目的としたのか、霊装を七支刀《ナナツサヤノタチ》の形状にしたことで霊装自体を伝承から逸脱したものにしてしまい、本物の天叢雲剣からかけ離れた姿にしてしまったのはいけませんね。偶像崇拝の理論から考えても逆効果としか言えません。彼は何を意図してあんな姿にしてしまったのか・・・)
昂焚とぶつかり合い、全身を雷光で焼き尽くされた戦士が肉体を修復し、再び剣を携えて昂焚の前に立ちはだかる。
「やっぱり、一筋縄ではいかないかー。」
感情のこもっていない棒読みなセリフで昂焚は余裕の笑みを浮かべていた。
「彼らは一人一人が一流の戦士なのですよ。その上、不死身なのですから。」
そう言って、美繰の方も母性溢れる余裕の笑みを浮かべていた。
「そうか。全員が一流の戦士か・・・・。だったら・・・・」
昂焚は右手に持った都牟刈大刀を左に大きく振りかぶると、一気に右へと薙ぎ払った。凄まじい雷光が瞬き、美繰は視界が潰されて目を瞑った。再び目を開けると、昂焚に襲いかかる黄泉軍はその一薙ぎで殲滅されたのだ。
「戦わず、一方的に殲滅すればいい。」
ドヤ顔で語る昂焚。だが、彼の攻撃に対して美繰は疑念を抱いていた。
昂焚が使う霊装は日本神話ではあまりにも有名過ぎるものである。それは徳が高く、製造された霊装の精度によってはそれ一本で爆撃機並みの戦力になることもある。しかし、伝承が有名過ぎるのと同時に霊装の効果や攻撃手段が逆算され易いという弱点がある。
美繰も昂焚の霊装が天叢雲剣かそれに準ずる者だと予想してからは、八岐大蛇や蛇に関する伝承から雨、もとい水や雷の攻撃をしてくるのは既に予測済みだった。特に警戒しなければならないのは水。八岐大蛇は洪水の化身として解釈されることもある。
だが、それでも不審な点がある。まず、彼が黄泉軍を葬ったのは雷の斬撃を使ったと仮定しよう。そうすると、彼の背後から奇襲をしかけていた死霊も全身を高電圧で焼き尽くされた理由を説明できない。
雨雲を発生させて、周囲を雷で焼き尽くす手段もあることはあるが、残念ながら本日は晴天なり。雲一つ見つからず、仮にその攻撃を仕掛けたとしたら広場も焦土と化していたはずだ。だが、彼は器用に戦士だけを消し炭にしていた。
(けど、どんな小手先を使っても根本的解決にはならないのですよ。)
今度は先程の10倍以上、総勢100名以上の死霊兵の大軍が出現し、広場を所狭しと埋め尽くす。
「うわぁ・・・、人がゴミのようだ・・・。燃えるごみ、生ごみ、粗大ごみ。あ、剣と鎧は鉄だから燃えないごみか?」
「そのゴミに敗北するのはあなたですよ?」
美繰に呼応するかのように死霊兵たちは一気に剣を振りかざし、昂焚へと突撃していった。
だが・・・、誰も昂焚に触れることは出来なかった。
雷鳴と共に兵士たちが次々と吹き飛ばされていく。それと同時に聞こえる鎖を引きずるような音。
美繰は見た。そして、理解した。
雷鳴を散らせながら黄泉軍の死霊兵を薙ぎ払う鋼鉄の蛇だ。千羽鶴のように幾重にも折り重なった刃が連結することで蛇剣を形成し、まるで生きた蛇のように自由自在に動き回る。しかも1体ではない。全長50m近くの数匹の鋼鉄の大蛇が縦横無尽に戦士たちの中を駆け回り、次々と身に纏う雷撃で焼き尽くしていく。
(なるほど・・・、あの霊装は本来の剣の姿ではなく、剣を体内に宿していた八岐大蛇を再現することで剣に関する伝承ではなく、蛇神に関する伝承を基にした魔術の効率を高めたのね。)
八岐大蛇とは日本神話に出て来る8つの頭と8つの尾を持つ大蛇であり、その大蛇と黄泉軍による神話を越えた戦いが美術館前広場で繰り広げられている。全ての大蛇が昂焚の剣の持ち手に繋がっている。
しかし、どれほど黄泉軍を駆逐しても次々と復活して数が減らない。対する昂焚にも鋼鉄の大蛇が自動防御する為、昂焚に近づくことが出来ない。お互いに膠着した不毛な戦いであった。
それでも美繰にはまだ切り札がある。黄泉軍の長である黄泉醜女である。その上、昂焚も気付いていない更なる隠し玉を持っている。
(そろそろ黄泉醜女を使いましょう。既に相手には見抜かれているわけですし・・・)
おかあさんがきたからには、あそびのじかんはもうおわり
―追イカケロ。忠告ヲ破リ、醜イ私ヲ見タ愛スル人ヲ―
黄泉醜女の詠唱を終えると彼女の背後で地面が隆起し、大きな影がそこに現れる。
体長3mの巨大なゴーレムだ。死霊と土を合成して造られ、周囲の土や岩、大理石も巻き込んでその肉と成す。上半身だけが地表へと姿を現し、その光景は地獄から這い上がる嘆きの醜女のようにも見える。
なんとも形容しがたい雄叫びをあげると地中に埋まっていた下半身も地面を蹴って駆けあがった。
「黄泉醜女。行きなさい。」
美繰の言葉通りに黄泉醜女は一気に昂焚の元へと駆け抜ける。
その巨体に似合わず、軽々と走り、その巨体から想像できないジャンプ力で黄泉軍を飛び越えて、数秒足らずで昂焚の目の前に着地した。
「さすがは神の足にも追いつく俊足・・・。こんなのに追われるイザナギはさぞビビり顔だっただろうな。」
昂焚が都牟刈大刀の鋼蛇の標的を黄泉醜女に変更し、一気に襲撃させる。
数体の鋼蛇が黄泉醜女の身体を貫き、拘束具のように巻きついて行く。そして、洪水のような大量の水でぬらした後に高圧電流を流す。眩い光と共に数千万ボルトの高圧電流に黄泉醜女は焼き尽くされていく。
全身を消し炭にされた黄泉醜女はその場に倒れ込む。
(やったか?)
無論、このセリフが扱われるということは・・・・・・
倒れ込んだ黄泉醜女は四つん這いになり、剥き出しになった牙を昂焚へと向ける。
(あれ?もしかして、『やったか?』って思ったから、やれてないフラグが立った?)
「ガァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」
奇声を発しながら鋼蛇を次々と薙ぎ払い、人間らしからぬ4足歩行で高速移動する黄泉醜女。その姿はまさしくゾンビそのものだった。
圧倒的なスピードとパワーの前に昂焚は成す術も無い。そんな一方的な戦闘を美繰は眺めていた。
(八岐大蛇の霊装。まさか日本から遠く離れたこの地で拝むことができるとは思いませんでしたわ。)
美繰はそう思って昂焚の霊装を遠くから眺める。
「!?」
何かを直感的に感じた美繰はすぐにその場から下がろうとした。
ズガァァァァァァァァァァァン!!
突如、目の前の光景が黒い線によって真っ二つに分け隔てられる。
勢いよく都牟刈大刀の鋼蛇の一匹が地中から飛び出し、彼女の目の前スレスレの空間を切り裂く。あと数ミリ前に出ていれば、彼女の鼻や胸が餌食になっていただろう。
咄嗟の出来事に対してもパニックにならず、美繰は下がって鋼蛇から距離をとる。
(まさか、鋼鉄の蛇を使って黄泉軍や黄泉醜女を相手取ったのは蛇の数が数えられないようにするため!?私に8本すべてを戦いに費やしていると誤認させ、1本を地中に忍ばせて機会を窺っていたのですね・・・・。)
そう考えられるのは昂焚の切り札が外れ、自身の勝利が確実になっていると知っているからだ。
「あらあら。今の攻撃が切り札のようでしたけど、惜しかったですわね。」
そう軽く言った美繰だが、黄泉軍と黄泉醜女を一気に相手取る昂焚にはしっかりと聞こえていたようだ。昂焚は両者を相手取りながらも美繰の方をチラチラとみている。
「確かに攻撃は外れたんだが・・・・なんとまぁ・・・・ごちそうさまでした。」
昂焚の言い返しに美繰は意味が分からず、「?」を頭に浮かべて首を傾げた。何か変わったことと言えば、胸と腰がスースーするなぁ・・・と―――――!!
「きゃああああああああああああああああああああああああああああ!!」
まるで乙女のような悲鳴と共に美繰は両手で自身の胸と腰を隠す。
昂焚の攻撃は確かに外れた。だが、刃が彼女の胸と腰に巻かれた布だけを見事に切り裂き、サービスカットGJな展開となったのだ。
「ささささ、さすが、噂に聞いた通り、貞操観念の欠片も無い最低な男ですね。」
予想外の出来事に美繰は顔を真っ赤にし、しゃがみ込んで切れ切れになった布を手元に寄せ集める。
「いや、だから何のことだかさっぱり――――」
美繰の発言に疑問を抱いた昂焚だが、今は黄泉軍と黄泉醜女と戦っていてそんなことを考える暇などなかった。
(まぁ、下準備も済んだから、使わせてもらうか。)
昂焚は都牟刈大刀の鋼蛇で黄泉醜女の手足を縛って動きにくくすると、小言で何かを呟き始めた。
(あれは詠唱?一体何の・・・?)
美繰は裸一貫のせいで身動きが取れず、昂焚の詠唱を阻害する術はなかった。
昂焚が詠唱を続ける度に次々と広場から黄泉軍が消え去り、黄泉醜女も消え去っていく。まさかの大逆転劇である。
黄泉軍も一人残らず消え去り、黄泉醜女も跡形も無く消え去っていった。もはや、彼女を護る兵はいない。
昂焚は都牟刈大刀を通常の七支刀に戻すと、布切れを持ってゆっくりと美繰のところへと歩いて来る。
昂焚を貞操観念のない最低な男と評す美繰は自身の貞操の危機を感じ、恐怖に包まれた表情で昂焚を見つめる。
「ど、どうして?黄泉軍は?黄泉醜女は?」
時間稼ぎのつもりだろうか、震える唇を必死に動かして喋る。
「ああ。あれは強制翻訳《スペルトランスレイト》を使って、あんたの魔術の根本にある伝承を“翻訳”させてもらった。」
「ほん・・・・やく?」
「そう。お前の魔術の元ネタは古事記だろ?その中の黄泉軍や黄泉醜女に関する項目を強制詠唱で英語に翻訳し、それをこの領域内で対応させた。」
古事記や日本書紀における「黄泉」は英語、もとい十字教の概念では「地獄(hell)」に相当する。そうなると美繰が使役していたのは地獄の軍勢とその司令官となるのだ。そして、黄泉軍は「鬼」で構成されており、その鬼は十字教における「悪魔(devil)」に相当する。
そうなると、この世界のこの広場には大量の悪魔が存在したと解釈される。そこを突いたのだ。
十字教における悪魔とは神のいうことを聞かなくなった天使であり、その天使は莫大な異能の力の塊である。そのエネルギー量は法皇級の魔術を使う優秀な魔術師ですら虫けら同然だ。立ち向かおうとか、そんな次元ではない。不可避で抵抗不可能な災害そのものである。
そんな大層な存在をこの地上に繋ぎとめるのも容易ではない。天使の例であっても夏に起きた御使堕し《エンゼルフォール》のような世界を巻き込む大魔術でも使わなければ天使や悪魔を地上に引き摺り降ろすことすら出来ない。
無論、美繰が古事記を基にした黄泉軍や黄泉醜女の術式では悪魔の軍勢を地上に繋ぎとめることなど出来る訳が無く、後はテレズマや世界の力、地脈・龍脈による自浄作用で悪魔と誤認させられた黄泉軍や黄泉醜女は本来、居るべき場所へと強制的に戻されたのだ。
「元ネタが有名過ぎて、それをそのまま晒したこと、術式の制御系統の暗号化が甘かったことが敗因だな。」
「そ、そうなのね・・・。」
にじり寄る昂焚に尻もちを突きながらも後ずさりする美繰。何も抵抗できず、とにかく恐くて、恐くて、恐くて、恐くて、堪らなかった。
そして、ついにその思いが口から零れた。
「来るなぁ!そうやって、私を辱めるつもりですか!ミランダのように!」
美繰の突然の叫びに「は?」と答える昂焚。
彼の対応が悪かったせいなのか、美繰は更に激怒する。
「そうやって、とぼけているのも今の内ですよ!」
「いや、だから何のことかさっぱり・・・・」
「2日前の火災があったホテルで見たんです。」
「いや、見たって何を?」
「淫らな格好をしたミランダさんとあなたをです。それだけならまだ良いです。けど、問題はその後、彼女は幼い少年にしか興味を示さなくなったんです。まるで、大人の男に失望したかのように・・・!!」
そう言って、
箕田美繰は啜り泣き、手に持っていた布で涙をふく。
要するに・・・・
ミランダが幼い少年にしか興味を示さなくなった。
↓
きっと、大人の男に酷いことをされたに違いない。
↓
そういえば、尼乃昂焚とかいう日本人と会ってたな。
↓
女性に歪んだ性癖を持たせるほど辱めるなんて、同じ日本人として許せない
↓
いまここ
―――という経緯らしい。
本当のことを話せばそれで万事解決なのだろうが、トムソン女史曰く、「クライアントのプライベートを話すのは運び屋の信頼に関わる。」だそうで、ミランダのことを話すのは運び屋の信用に関わる。
「ああ。それはミランダがショタコンなんだ。」
そんな教えを完全無視し、昂焚はホテルでの出来事を全て、何一つ包み隠さず語った。
ミランダがショタコンであること、彼女がショタコン向け変態雑誌を定期購読していること、ルシアンにエンジェルポロリ執事服を着せようとしたこと、ついでに火事の原因がミランダであることetc
(誤解されたままでまた黄泉軍や黄泉醜女と戦わせられるなんて御免だ。)
「もう敵にしたくない>>>>運び屋の矜持」という力関係で成立してしまったようだ。
「嘘じゃないですね?」
「ルシアンが全てを語ってくれるはずだ。」
そう言うと、昂焚は美繰が戦闘前に脱いだ上着を彼女の肩にかける。
「俺は明日までこの街にいるつもりだ。真相究明は早めにしておいた方がいい。」
「そ、そうですね。」
昂焚から受け取った自分の上着を羽織り、裸が見えないように前を閉じた。その姿は“はいてない”“つけていない”な露出狂の変態さんそのものだった。火傷やら色々とマイナスポイントはあるのだが、そこが逆にそそられると言うか・・・キズモノ萌えと命名しよう。
そして、彼女は再び母性溢れる笑顔で帰っていった。しかし、彼女の笑顔の奥底で見え隠れする“母としての強さ”があった。母性というのは何も優しさだけではない。母は子を護るために強くなければならず、同時に子が道を踏み外した時は戻してやる力強さも求められる。
彼女からはそんな強さが溢れていた。
「あなた、怪しい格好ね。その下、ちゃんと着てるの?」
「え?あの・・・それは・・・///」
「怪しいわね。ちょっと署まで来てもらおうかしら?」
「え!?あの・・・それは・・・ちょ・・離しなさーい!」
昂焚が言い忘れていたのが悪いのだが、魔術には世界を歪めるために歪める範囲を限定する領域を作り、その領域の内部で世界を歪める魔術を行使するのは常識中の常識だ。無論、宗教が違ってもそれは変わらない。
昂焚が強制翻訳を使った時も限定された領域内で発動しており、その領域を区切るサインもあった。それは皮肉にも美繰が周囲に張りつけた東洋版の人払い術式である。その術式によって形成された無人空間を強制翻訳の効果範囲として設定した。美繰の人払い術式は黄泉軍や黄泉醜女の弱点が桃であり、彼らが桃を避ける伝承を応用したものであり、通常の人間を黄泉軍、人払い術式を桃に対応させることで人々が美術館やその周囲に不快感を持ち、自然に立ち去っていくようにしていた。昂焚が強制翻訳で十字教言語に翻訳した古事記にもそれに該当する部分があった。十字教において桃に何かを追い払うような伝承は存在せず、それがルーンに影響してしまったことで人払いの効果が無くなってしまったのだ。
その結果、箕田美繰は婦警に捕まってしまい、取調室コースへと直行していった。
それから数日後
保釈金を払ったことで解放してもらった美繰だったが、当の昂焚は既にドイツを飛び去っていた。
(とにかく、ルシアンから真相が聞けるはずですね。)
そう思い、彼女はイルミナティ本部の中を歩いていた。だが、一向にルシアンが見つからない。
「ああ、それならミランダさんと一緒にいるのみましたよ。」と答える構成員がいたので、美繰は早速、ミランダとルシアンが一緒に入るのを見たとされるある一室に美繰はノックもせずにドアを開けた。
そこにはガムテープで椅子に固定されたルシアンと彼を見て恍惚な表情を浮かべるミランダ、そして、昂焚の言った事を裏付けるかの如く、エンジェルポロリ執事服とショタコン向け変態雑誌がミランダの手に握られていた。
「ん~!!」
口をガムテープで塞がれたルシアンは美繰に「助けてくれ」サインを必死に送り、最も見られたくない光景を見られたミランダは真っ青になっていた。
「よ、美繰さん。あの~これには深い事情と言うものがあって・・・・」
動揺し、完全に目が泳いでいるミランダに説得力は皆無だった。
そんなミランダに対し、美繰は母性溢れる笑顔で眉ひとつ動かさなかったが、どこか威圧的というか、自分から罪を白状することを促されるオーラを放っていた。
最早、隠すことなく生粋のショタコンとして目覚めてしまった彼女に母の強さは通用しなかった。
「そう。あなたの性癖をとやかく言うつもりはありませんのよ。けど、ニュース沙汰になったり、警察のお世話になったりするのは――――――」
「え?それって美繰も同じj―――――――――」
セリフを途中で止めてしまったミランダ。なぜなら、美繰の背後から8匹の雷の蛇がこちらを睨んでいたからだ。
本邦初公開の箕田美繰の切り札「八雷神」
イザナミが黄泉の国においてまとっていたと言われる八つの雷神を魔術で疑似的に再現したものである。蛇の形をした雷であり、術者の意思によって自由自在に動き、攻撃するという昂焚の都牟刈大刀と少し被る能力を持っている。またそれぞれが雷の持つとされる象徴的効果を有し、雷の範疇に収まらない効果を生み出すことも可能であり、『黄泉軍』『黄泉醜女』を行使するために使う魔力を全てこちらに回すことで発動する、切り札とも呼べる術である。
「私の・・・私のショタへの愛を理解できない奴がのさばる世界なんて・・・・滅べb―――ギャ―――――――――!!!」
その後、ミランダがどのような制裁を受けたのかは、皆さんのご想像にお任せします。
最終更新:2020年10月31日 14:09